お知らせ - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 142

お知らせ

News

FROMKYOTOOSAKA

連休期間中の営業について(愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 名古屋店)

2021.04.24

【連休期間中の営業について】

 

平素はご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

古美術風光舎 名古屋店は、連休中も休まず営業致しております。

スタッフ不在の時間帯もございますのでまずは、お電話にてご連絡頂けましたら幸いです。

 

連休期間中、ご自宅の整理などででました行先の迷われたお品などございましたら、持ち込み買取はもちろんのこと、全国買取出張などのご相談も承っておりますので、まずはお気軽にご相談下さい。

御連絡お待ちしております。

 

 

 

 

【 古美術風光舎 名古屋店 】

愛知県名古屋市千種区姫池通

TEL052(734)8444 (10:00-17:00 OPEN)

 

 

有松絞りを再発見する寄り道。(愛知県名古屋市千種区 骨董買取・古美術風光舎名古屋店)

2021.04.23

こんにちは。スタッフYです。

今回は、先日の旧東海道の寄り道紀行の続編です。

鳴海~有松界隈のもう一つの寄り道ポイント、今回は、『有松絞り』です。

前回お伝えしましたとおり、鳴海宿の発展に欠かせない有松、鳴海絞り。

 

 

 

 

ここ有松は、1608年に東海道の保全のため徳川家尾張藩の布告による移住政策で作られた町であり、もともと耕地面積が少なく農業には向かない土地だったため、村人たちは、農業以外の収入源を求めていたそうです。そのような開拓者の1人であった竹田庄九郎が何か特産物を作らなければと考え出したのが有松絞りでした。

 

名古屋城を築城する際に訪れていた九州豊後の人々が着ていた絞り染めを見て手法を研究し考案し、はじめは手ぬぐいにして軒先に吊るして販売していましたが、やがて旅人が土産物として買うようになり街道一の名産品となったのが始まり。天和元年(1681)には、尾張藩第2代藩主徳川光友が第5代将軍徳川綱吉の将軍就任の祝賀として絞りを「九々利染」と称して献上したことから全国的に知られるようになったそうです。また、木綿の生産地である知多郡がそばにあり、流通の大きなパイプである東海道筋にあったため、資材や商品を運ぶ必要なくして商いできたことも大きいとも。有松・鳴海地方は参勤交代で江戸と行き来する西の諸大名たちの宿場でもあり、旅人が故郷への土産物としてこぞって絞りの手ぬぐいや浴衣などを買い求め、これが街道一の名産品となっていきます。その繁栄ぶりは、東海道五十三次などの浮世絵に描かれたほどですものね。

 

 

 

17世紀後半に浴衣が一般的に用いられるようになると、絞りの需要が拡大し、これに伴って、有松絞りの技術も発達していきます。。技術の発展に貢献したのは、2代目竹田庄九郎で、同氏は衣料としての絞り製品を開発。また、従来の藍染に加えて、紅染、紫染めなど染色技術も開発し、産業の基礎を築いきます。

 

有松絞りは現在に至るまでその後、幾度かの栄衰を繰り返します。明治時代に入ると全国で絞りの生産が盛んになりますが、一時的に有松での産業は衰退していきます。窮地を迎えますが、有松絞りの老舗である竹屋、橋本屋、井桁屋などが販売網の拡充や新たな技法の考案で復興させ再び全盛期を迎えます。改良開発の取り組みは精力的に行われ、1897年からの45年のあいだに、絞り染め技術の改良や新しい意匠の登録、特許取得を行い、独自の絞り染め産地としての地位は確固たるものにと、絞り技術そのものの存続維持にも努めていますね。

戦前は、地域を挙げての努力の甲斐あり、戦前の有松絞りの生産高は年間100〜120万反にもおよび、業況は隆盛しますが、やはり戦時中は徴兵・徴用にとられ、大部分の業者は転廃業に追い込まれていきます。戦後は生産が回復しすがが、工芸士の高齢化や技法や種類の減少に。

 

そして現在。有松絞りは新しい可能性に挑んでいます。有松絞りを新たなるファブリックのジャンルと捉えて全国、いえいえ世界に発信しているブランドもここ最近現れ、進化系有松絞りが登場しています。

パリの生地展示会ではエルメス、シャネル、ディオール、ロエベなど、そうそうたるラグジュアリーブランドから評価されたり、海外へ出店される有松発のデザイナーも。このパターン本当に多いですが、日本の伝統技術のすばらしさを海外の人から評価され再認識されるとは、我々あまりにも気づかなさすぎですよね笑。

 

 

 

 

絞りは、「くくる」「ぬう」「たたむ」の単純な手作業の工程によりできた生地を、染め上げることで、布地に様々な模様を描き出す染色技法。江戸時代から考案された技はなんと100種類以上。複雑多岐にわたるため、独りの職人が一つの技法を極めます。これらの先人の遺産に支えられて引き継がれる絞りの技術や、手に取った時の良さを、たくさんに手にとって触れてみてほしいです。

 

そうそう、前日、都内某所にて、進化系絞りのバックを持った若い女性を発見。とりこみ方が本当におしゃれさんでした。これからの有松絞り、注目していきたいですね。

 

 

 

 

Hello. This is Staff Y.

The sequel to the detour trip of the old Tokaido the other day.

Another detour point in the Narumi-Arimatsu area. This time, it is “Arimatsu Shibori”.

As I mentioned last time, Arimatsu and Narumi Shibori are indispensable for the development of Narumi-juku.

Arimatsu is a town created in 1608 under the migration policy of the Tokugawa family Owari clan for the conservation of the Tokaido, and since the area of ​​cultivated land was originally small and it was not suitable for agriculture, the villagers were not interested in agriculture. He was looking for a source of income. It was Arimatsu Shibori that one of those pioneers, Shokuro Takeda, thought that he had to make some special products.

Looking at the tie-dyeing worn by the people of Bungo, Kyushu, who visited when building Nagoya Castle, they researched and devised a method, and at first they made a towel and hung it on the eaves for sale, but eventually travelers bought it as a souvenir. It started to become the best specialty product on the highway. In the first year of Tenna (1681), Mitsutomo Tokugawa, the second feudal lord of the Owari clan, presented the iris nationwide as a celebration of the inauguration of the fifth shogun Tsunayoshi Tokugawa. It seems that it has become known. In addition, because Chita-gun, which is a production area of ​​cotton, is nearby and it is located on the Tokaido line, which is a large distribution pipe, it is said that it was possible to do business without having to carry materials and goods. The Arimatsu / Narumi region is also a post station for various western daimyo who come and go to Edo on a change of attendance, and travelers buy squeezed towels and yukata as souvenirs to their hometown, and this will become the best specialty of the highway. .. Its prosperity is as depicted in Ukiyo-e such as the 53 Stations of the Tokaido.

 

hen yukata became popular in the latter half of the 17th century, the demand for squeezing increased, and along with this, the technology of Arimatsu squeezing also developed. .. It was Shokuro Takeda, the second generation, who contributed to the development of technology, and he developed squeezed products for clothing. In addition to the conventional indigo dyeing, we will also develop dyeing technologies such as red dyeing and purple dyeing to lay the foundation of the industry.

Arimatsu Shibori has continued to rise and fall several times since then. In the Meiji era, squeezing production became popular nationwide, but the industry in Arimatsu temporarily declined. Although we are facing a difficult situation, the well-established Arimatsu Shibori stores such as Takeya, Hashimotoya, and Igarashiya will reconstruct by expanding the sales network and devising new techniques, and will reach their heyday again. Efforts for improvement and development are vigorously carried out, and during the 45 years from 1897, we will improve the tie-dyeing technology, register new designs, obtain patents, and solidify our position as a unique tie-dyeing production area. ..

Before the war, it was worth the effort of the whole region, and the production of Arimatsu Shibori before the war reached 1 to 1.2 million a year, and the business situation was prosperous. Some of the contractors were forced to go out of business, and production recovered after the war, but due to the aging of craftsmen and the decrease in techniques and types.

And now. Arimatsu Shibori is challenging new possibilities. Arimatsu Shibori is regarded as a new fabric genre, and brands that are transmitting it nationwide, even to the world, have recently appeared, and the evolutionary Arimatsu Shibori has appeared.

At the fabric exhibition in Paris, there are designers from Arimatsu who are highly evaluated by such luxury brands such as Hermes, Chanel, Dior and Loewe, and who are opening stores overseas. This pattern is really common, but it’s too hard for us to realize that the wonderfulness of traditional Japanese technology is appreciated and re-recognized by foreigners.

 

Squeezing is a dyeing technique that draws various patterns on the fabric by dyeing the fabric made by the simple manual process of “kukuru”, “nu”, and “folding”. There are more than 100 types of techniques devised since the Edo period. Due to the complexity and variety, a single craftsman masters one technique. I would like you to experience the squeezing technology that is inherited by the heritage of these ancestors and the goodness of picking it up.

Oh yeah, the day before, I found a young woman with an evolutionary squeeze bag in Omotesando, Tokyo. The way of importing was really fashionable. I would like to pay attention to Arimatsu Shibori in the future.

 

 

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生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方もいらっしゃると思います。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

また風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

I think that some people are organizing important items as their lifestyle changes.

At Fukosha, we purchase various genres such as paintings, jewelry, and hobby items in addition to antiques and antiques.

Please feel free to contact us even if you have been tidied up and are wondering if this kind of thing is okay.

 

Fukosha is also strengthening business trip purchases.

We will make business trips not only to Aichi prefecture but also to Gifu prefecture, Mie prefecture and other prefectures.

No matter how close you are, we are looking forward to hearing from you.

 

Chikusa-ku, Nagoya-shi, Aichi, antique purchase “Antique Fukosha Nagoya store”

TEL: 052-734-8444

ふたりの天才 その2(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.04.22

 

今日、初めて当ブログをご覧いただく方は、はて?とお思いかと思いますが、本日は「酒井抱一」エピソード第2弾とさせていただきます。

江戸時代を代表するふたりの天才絵師・酒井抱一と葛飾北斎でありますが、同時代を共に江戸で過ごした二人が、重なった道を辿っていったのか否か、気になるところです。(スタッフ I だけでしょうが…笑)

 

江戸琳派の軽妙洒脱な武家絵師・酒井抱一(1761年生まれ)。

(日本美術がお好きな方ならご存じのことと思いますが、『江戸琳派』とは、19世紀前期に江戸で花開いた絵画様式。桃山時代から江戸時代初期に京都で育まれた琳派を受け継ぎ、江戸風にアレンジしたことで大名から庶民まで幅広い人気を博したそうです。)

一方、森羅万象を描いた自称 ”画狂人” 葛飾北斎(1760年生まれ)。

同じ江戸の地にて芸術に人生をかけたという志は同じでも、そのスタイルはそれぞれだったことでしょう。

 

20代までは奔放なライフスタイルで順風満帆だった抱一ですが、寛政2年(1790年)兄の忠以がなくなるとその暮らしも一変したようです。

”甥の忠道(ただひろ)が家督を継ぐことになった酒井家と距離を置き、転居を繰り返して独自の道を模索。37歳で出家し、京都へ向かうなどの迷走が続く。抱一は、この30代の模索の時期に酒井家がかつて庇護していた京都の絵師・尾形光琳が残した作品に巡り合い、その強い影響を受けて自ら絵筆をとるようになった。”

こんな心奪われる体験、これも神さまが天才に授けたひとつの道すじでしょうか。

(尾形光琳の作品に影響を受けたとする芸術家は他にも抱一の弟子・鈴木其一がいます。後に引き継がれていくわけですが、こういう見聞によって、今度は尾形光琳にフューチャーしてみたくなります)

そして40歳になったころ、光琳風の絵画様式(琳派)の名手として知られるようになるのです。

 

一方、同じ年ごろの北斎はというと、狂歌絵本や黄表紙(洒落・滑稽・風刺をおりまぜた江戸時代の絵本・マンガのこと)などの挿絵のほか、美人画や役者絵、肉筆画などに熱心に取り組んでいたものの、その生活は相変わらず苦しかったと伝えられています。

それに比して抱一は、約100年前に尾形光琳が極めた絵画様式を、作品を見て学びとる”私淑” という形で受け継いでいくことを決意。

伝統的なやまと絵をもとにした雅で装飾豊かな琳派的表現と、俳諧などの江戸文化の粋で洒脱、瀟洒な美意識などを融合した「江戸琳派」を確立していったとのことです。

文化12年(1815年)55歳の頃には、光琳百年忌にあたって光琳遺墨展を開催。

それと同時に『光琳百図』前編を刊行したことによって、光琳の作風への思慕をより一層強めていったそうです。

さらに抱一は、11代将軍徳川家斉の父である一橋治済から注文を受け、代表作『夏秋草図屏風』を光琳作『風神雷神図屏風』の裏側に描くことになりました。

長年の思いが実り、実現に至ったという傑作誕生のわけだったのですね。

待望の機会を得た抱一は、地色に銀を用い、俳諧の知識を加え、雷神の裏に雨に濡れた夏草、風神の裏には風になびく秋草を配し、自ら修練してきた光琳よりもリアルな画風で描き上げたといいます。

絵の意味までそろえたというこの最高傑作、どこまでも粋、そして静かだけども情熱が伝わります。

 

その後、抱一は68歳で死去。

そのころの北斎の仕事は読本の挿絵や肉筆美人画、絵手本『北斎漫画』などで、浮世絵の第一人者とは言い難い状態だったようです。

想像するより遅咲きで苦労人だったのですね。

我が道を驀進した天才的浮世絵師の側面を知ることができました。

 

北斎が浮世絵師のトップに上りつめたのは抱一の没後、70歳を過ぎてからのことということで、抱一さん、1歳先輩の全盛期は見られなかったのですね。残念…

しかしふたりは多少の交流があったり、ウワサを聞いたり、お互いに意識していたものがあったんじゃないかと勝手に想像します。

現代では天才と称される人たちも常に順調だったわけではない…地道に努力しないとな、また先人たちに教えていただきました。

私よく思いますが、この何世代も超えた時代で自分たちの作品や人物像がまだまだ、いやむしろスポットを浴びているとはご本人たちは思いもしなかったでしょう。

ご年配になってからの意欲、見せつけてもらってます!芸術作品って素晴らしい!

 

Who is this blog for the first time today? I think that, but today is the second episode of “Sakai Hoitsu”.

Two genius painters, Sakai Hoitsu and Katsushika Hokusai, who represent the Edo period, are wondering if the two who spent the same period together in Edo followed an overlapping path. (Staff I only . lol)

 

Sakai Hoitsu (born 1761), a light and stylish samurai painter of the Edo Rinpa school.

(As anyone who likes Japanese art knows, “Edo Rinpa” is a painting style that blossomed in Edo in the early 19th century. It inherits the Rinpa that was brought up in Kyoto from the Momoyama period to the early Edo period. , It seems that it gained wide popularity from daimyo to ordinary people by arranging it in the Edo style.)

On the other hand, the self-proclaimed “painter” Katsushika Hokusai (born 1760) who drew all things in nature.

Even though they had the same desire to spend their lives in art in the same Edo area, their styles would have been different.

 

Until his twenties, Hoitsu had a free-spirited lifestyle and sailed smoothly, but in 1790, when his brother’s loyalty disappeared, his life seemed to change completely.

“My nephew Tadahiro kept a distance from the Sakai clan, who was to succeed the family, and repeatedly moved to find his own way. He left home at the age of 37 and continued to stray, such as heading to Kyoto. During this period of groping for his thirties, he came across a work left by the Kyoto painter Korin Ogata, who was once protected by the Sakai family, and was strongly influenced by it, and began to take his own paintings. ”

Such a fascinating experience, is this also one of the paths that God has given to geniuses?

(There is another artist who is said to have been influenced by Ogata Korin’s work, Hoitsu’s disciple, Suzuki Kiitsu. It will be taken over later, but based on this observation, I will try to feature Ogata Korin this time. I want to)

At the age of 40, he became known as a master of Korin-style painting style (Rinpa).

 

On the other hand, Hokusai around the same year is used for illustrations such as Kyoka picture books and Kibyoshi (picture books and manga from the Edo period that mix fashion, humor, and satire), as well as bijin-ga, actors’ drawings, and hand-drawn drawings. Although he worked diligently, it is reported that his life was still difficult.

On the other hand, Hoitsu decided to inherit the painting style that Korin Ogata mastered about 100 years ago in the form of “private” to learn by seeing his work.

He said that he established the “Edo Rinpa”, which is a fusion of elegant and decorative Rinpa expression based on traditional Yamato-e, and stylish and elegant aesthetics with the essence of Edo culture such as haiku. is.

At the age of 55 in the 12th year of Bunka (1815), he held the Korin Ink Exhibition on the occasion of the 100th anniversary of Korin.

At the same time, by publishing the first part of “Korin Hyakuzu”, he seems to have further strengthened his longing for Korin’s style.

In addition, Hoitsu received an order from Harusada Hitotsubashi, the father of the 11th Shogun Tokugawa Ienari, and decided to draw his masterpiece “Flowering Plants of Summer and Autumn” on the back of Korin’s “Fujin and Raijinzu”.

It was the birth of a masterpiece that was realized after many years of thought.

Having the long-awaited opportunity, Hoitsu used silver for the ground color, added knowledge of haiku, arranged rain-wet summer grass behind the thunder god, and autumn grass fluttering in the wind behind the wind god, and practiced himself. It is said that he drew it in a more realistic style than Takorin.

This masterpiece, which has the meaning of the picture, is forever stylish and quiet but conveys passion.

 

After that, Hoitsu died at the age of 68.

At that time, Hokusai’s work was illustrations for reading books, beautiful hand-drawn paintings, and the picture model “Hokusai Manga”, and it seems that he was in a state where it was hard to say that he was a leading figure in ukiyo-e.

He was a hard worker because he bloomed later than I imagined.

I was able to learn about the side of a genius ukiyo-e artist who went on my way.

 

Hokusai climbed to the top of the ukiyo-e artist after Hoitsu’s death, after he was 70 years old, so you didn’t see the heyday of Hoitsu-san and his one-year-old senior. Sorry …

However, I imagine that the two of them had some interaction, heard rumors, and had something that they were aware of each other.

People who are called geniuses in modern times are not always doing well . I have to work hard, and his predecessors told me.

As I often think, they would not have thought that their works and figures were still in the spotlight in this age beyond generations.

I’m showing off my motivation since I became older! Works of art are wonderful!

 

 

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旧東海道 鳴海宿へ寄り道いたしました。 (愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 名古屋店 骨董買取いたします)

2021.04.21

皆さま、こんにちは。

もうねぇ、そろそろ自粛に疲れてきましたので思い切って旅に出かけてきましたよ、自宅より車で3分の旅へ。失礼致しました。旅ではありません、あくまでも生活圏内での買い物の途中の立ち寄りです。と、いうわけで急いで駆け抜けて、ここ鳴海宿有松~鳴海界隈のご紹介をいたします。

 

 

 

 

 

古美術風光舎名古屋店のあります愛知県には、旧東海道が通っていたこともあり、歴史を感じられるスポットが所々あります。

ですが、旧東海道の宿場町の面影が残っているのは、ここ有松~鳴海近辺だけだそうです。有松の町並みは2016年7月、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、町全体が景観を損なわないように歴史環境に配慮した建物になっております。よって、有松~鳴海近辺は現在も街道の趣きを残し、ここは大都市名古屋の中にあって今も街道情緒が色濃く残されているタイムスリップゾーンといったところでしょうか。なんといっても名古屋駅から名鉄名古屋本線で20分で降りたってすぐに行けるとあって、季節の良い時期にはウォーキング旅をしている方も多く見受けられます。

 

絞りでも有名な鳴海、有松界隈。通り沿いには、今も絞りをお店が立ち並び、HNK大河ドラマ(たしか、黒田官兵衛の岡田准一さん)の衣装も手掛けた有名な絞商さんも。絞りについては、次回のブログに詳しく掲載いたしますね。

 

 

 

 

もちろん、歌川広重の東海道五十三次にも鳴海宿の版画が残っています。東海道は、当時の交通の要。ここを通って、江戸や伊勢や熱田や京など様々な人が行きかって賑やかだったのでしょう、当時の方が軒先で絞りを手に取っている姿が。旅の思い出にお土産に名産品を買ったりしてたのでしょうか。版画の中の人々も心なしか、嬉しそうな表情であるような気がしますが。「東海道中膝栗毛」では、店の主人との滑稽なやりとりの末、弥次さんが手ぬぐいを一枚分買った場面で登場する所だそうです。

そうそう、この上の鳴海宿図にもあるように、確かに小高い山が現在もありますね。今は、小学校が建てられています。歴史検証とともに、ひとりブラタモリもやっているので、結構忙しい。

 

また、緩やかに曲がった東海道約800メートル区間に沿って、広い間口を持つ紋商の主屋敷や門・塀が数多く見られ、比較的ゆったりとした街並みが継承されています。並びには江戸後期から昭和初期までの様々な時代の建物が見られますが、東海道に面する主屋は木造2階建て、切妻屋根、桟瓦葺き、平入りを基本としているので、町並みが統一されている感が。ここ有松を過ぎれば、間もなく鳴海宿。鳴海近辺よりも開発されなかったせいか、そのおかげでしょうか、有松近辺に古い屋敷が多く残っています。有松絞の暖簾が春のさわやかな風にさやさやと揺れていているのがとても印象的でした。

 

 

 

 

 

 

忙しくレポートいたしましたが、広重の版画と現在の道を見比べていると、だんだん傘を被ってこのまま京へ向かっている旅女の気分になってきました。京までは、歩きませんが。

 

次回は、有松の発展に欠かせないそして現在も継承されている有松絞の世界をご報告いたします。

 

Hello everyone.

Hey, I’m getting tired of self-restraint, so I took the plunge and went on a trip, a 3-minute drive from my home. Excuse me. It’s not a trip, it’s just a stop in the middle of shopping. That’s why I hurriedly ran through and introduced you to the Narumi-juku Arimatsu-Narumi area.

In Aichi Prefecture, where the antique art Fukosha Nagoya store is located, there are some spots where you can feel the history, partly because the old Tokaido was used.

However, it seems that the remnants of the post town of the former Tokaido remain only here in the vicinity of Arimatsu-Narumi. In July 2016, the townscape of Arimatsu was selected as a nationally severely ill traditional buildings preservation district, and the entire town is a building that takes the historical environment into consideration so as not to spoil the landscape. Therefore, the area around Arimatsu-Narumi still retains the taste of the highway, and this is a time-slip zone in the big city of Nagoya, where the atmosphere of the highway still remains. After all, it takes 20 minutes to get off from Nagoya Station on the Meitetsu Nagoya Line, and you can go there immediately, so many people are taking a walking trip during the good season.

Narumi, Arimatsu area, which is also famous for aperture. Shops are still lined up along the street, and there is also a famous squeezer who also worked on costumes for the HNK Taiga drama (Mr. Junichi Okada of Kuroda Kanbei). I will post more about the aperture in the next blog.

Of course, there are still prints of Narumi-juku on the Fifty-three Stations of the Tokaido, Hiroshige Utagawa. Tokaido was the cornerstone of transportation at that time. It seems that various people such as Edo, Ise, Atsuta, and Kyo were bustling through here, and it can be seen that those at that time were picking up the iris at the eaves. Did you buy a souvenir as a souvenir as a memory of your trip? A happy expression without the hearts of the print people. In “Tokaido Nakagiri Kurige”, it seems that it will appear in the scene where Mr. Yaji bought a towel after a humorous exchange with the owner of the store. Oh yeah, as you can see in the Narumi-juku map above, there are certainly small mountains even now. An elementary school is being built now. Along with historical verification, I am also doing Bura Tamori alone, so I am quite busy.

In addition, along the gently curved Tokaido section of about 800 meters, you can see many main residences, gates, and walls of the crest quotient with a wide frontage, and the relatively spacious cityscape is inherited. In addition, you can see buildings from various eras from the late Edo period to the early Showa period, but the main building facing the Tokaido is basically a two-story wooden building, gable roof, tiled roof, and flat roof, so the townscape A feeling of unity. After passing Arimatsu here, Narumi-juku will soon be there. Perhaps because it wasn’t developed as much as in the Narumi area, there are still many older mansions in the Arimatsu area. It was very impressive that the Noren of Arimatsu Shibori was swaying in the refreshing spring breeze.

I’ve been busy reporting, but when I compare Hiroshige’s prints with the current road, am I the only one who feels like a traveling woman wearing an umbrella and heading for Kyoto? I won’t walk to Kyo. Next time, I will report on the world of Arimatsu Shibori, which is indispensable for the development of Arimatsu and is still inherited.

 

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春眠、暁を覚えず (愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 出張買取致します)

2021.04.20

毎年4月に、茶道のお稽古場に掛かる御軸に、

孟浩然の『春暁』の一節が書かれたものがございます。

「春眠不覚暁」

尾張徳川に縁のある香道の御流派・志野流のお家元の御作。

滋味溢れる筆致を眺めるたびに、

またこの季節が巡ってきたのだなぁと感慨深いです。
 

 

春眠不覚暁 処処聞啼鳥

夜来風雨声 花落知多少

 

春の暁は気候も暖かく、心地よい眠りに夜が明けたのも知らず寝すごしてしまったが、

ふと眼をさませばあちこちで小鳥の啼く声がきこえる。
そういえば、昨夜は風雨の音がはげしかった。

花はどれほど散ってしまっただろうか。

 

(日本では中学校の国語で学習するので知らない人はいないかも。

皆様もきっと春先の寝坊のいいわけに使ったりしましたよね?)

 

作者の孟浩然は盛唐の詩人(689-740)湖北省襄陽の人。

科挙の試験に失敗し、一時は山に隠棲してましたが、

40歳の時、長安に出て詩才を認められました。

王維の紹介で皇帝にも会見ができる身分になったのですが、

後に詩句の一部が玄宗の不快を誘い追放されてしまい、

終生政府役人には就けず、不遇な一生を送り故郷で没したのでした。

平淡清雅の作風で五言律詩を得意とし、

自然詩人として王維と並び称せられます。享年52歳。

 


 
スタッフTは、この唐詩を見ると

中国語で暗唱する声がどこからともなく聴こえてくるんです。

暗唱も出来ます。ピンイン(声調)は怪しいですが...

 

遼寧省瀋陽に一か月ほど滞在したことがあって、

その頃よく唐詩を聞いていたんですね。

若いころに覚えたことって結構忘れないものですよね。

本当に身体に沁み込むように覚えちゃいますね。

当時、園児だった娘なんて、

一ヵ月だけ通った中国の幼稚園のお友だちに、

「一様的!Yīyàng de!」(それ、いっしょだね!)なんて

楽しそうに声掛けていてビックリでした!

 

ああ、あの頃に戻りたい...

 

昔はこの詩の通り、寝ても寝ても本当に眠くて眠くて...

おや、最近はそんなことないですね。

かえって早い時間にフッと目が覚めたりして。

年齢が上がったせいでしょうか...

いえいえ、十分に睡眠時間が取れているからでしょうね。

きっと、そうですよね。

そういうことにしておこう~っと。

DSC_1084

Every April, on the axis of the tea ceremony practice hall,

There is a passage from Meng Haoran’s “Meng Haoran”.

“Spring sleep awakening”

A work by the owner of the Shino style, a Kodo school with a connection to Owari-Tokugawa.

Every time I look at the delicious brush strokes

I am deeply moved that this season has come.

The climate was warm in the dawn of spring, and I slept without knowing that the dawn had come to a good night’s sleep.

If you squint your eyes, you can hear the roaring voices of small birds here and there.
By the way, the sound of wind and rain was loud last night.

How many flowers have fallen?

& nbsp;

(In Japan, you learn in the national language of junior high school, so you may not know it.

I’m sure everyone used it as a good reason for oversleeping in early spring, right? )

Staff T sees this Tang poetry

I can hear the voice reciting in Chinese from nowhere.

You can also recite. Pinyin (tone) is suspicious. .. ..

& nbsp;

I’ve been in Shenyang, Liaoning for about a month,

At that time, I used to listen to Tang poetry.

You will never forget what you learned when you were young.

I remember it as if it really sank into my body.

A daughter who was a kindergarten child at that time

To a friend of a kindergarten in China who attended for only one month

“Uniform! Yī yàng de! ” (That’s it!)

I was surprised to hear that he was having fun!

Oh, I want to go back to that time. .. ..

In the old days, as this poem says, I was really sleepy and sleepy whether I slept or slept. .. ..

Oh, that’s not the case these days.

On the contrary, I woke up early.

Is it because I’m getting older? .. ..

No, it’s probably because I have enough sleep.

I’m sure it is.

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ふたりの天才(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.04.19

 

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

名古屋は晴天が続き、春の暖かさが戻るようですね。

 

突然ですが、皆さまは「酒井抱一」と聞いて思い浮かぶ絵画がありますでしょうか。

先日、抱一の『絵手鑑(えてかがみ)』という作品を見て驚きました。

19世紀・江戸時代に描かれた着色墨画ですが、それがとってもモダンなのです。

構図やデザインが洗練されていて、はっきりとした色使いが勝手に私好み!と。

最高傑作と称される『夏秋草図屏風』は重要文化財となっており、思い浮かぶ方もいらっしゃるでしょう。

しかし個人的に酒井抱一、その人物像はよく知りませんでしたので、本日は深掘りを…

 

酒井抱一は、江戸時代の絵画を語る上で忘れてはならない絵師のひとりです。

同時代のもう一人の天才絵師と言えば、浮世絵の大家・葛飾北斎でありますが、実はこのふたりの年齢は一つ違い、同じ江戸で育っているのですね。

同じ時の空気を吸って、同じ絵師という道を極めていった_ちょっとおもしろ芸術小話。

これもご縁でしょうか。(ちなみに抱一が1歳若いです)

それぞれの画業を突き詰めていく中で、交流はあったのかなぁと単純に思ってしまいました。

そんなふたりを比べてみると…

 

抱一は武家のエリート_姫路城主酒井雅楽頭家(うたのかみけ)の次男として生まれながら、37歳で出家します。

この生まれた環境からすると、のちに絵師になることなど当時は誰も想像できなかったことでしょう。

抱一は多趣味で大名茶人として知られた兄・酒井只以の影響で様々な文化に親しみ、20代まで俳諧や書画、狂歌、浮世絵、能、茶の湯などを嗜む奔放な暮らしを続けていたとのこと。

さすが名門武家の出ですね、これはさぞ楽しかったことでしょう。

書画は武士のたしなみとされてはいたものの、抱一は歌川豊春の指導を受け、素人離れした作品を残しているようです。

そして肉筆の浮世絵美人画も数多く描いていたとか。

このように若い時代に文化人としての素養を身につけ、狂歌師で文筆家としても活躍していた大田南畝などとも交友関係を築いていったとのことですが、ん~想像するに華やかだったことと思います。

 

一方、対する北斎は幼いころから絵を描くことに夢中。

おじいちゃん姿しかあまり披露されていない北斎の幼少期を想像して…

幼名・時太郎だったころのお絵描き姿、可愛らしかったでしょうね。

叔父である幕府御用の鏡師・中島伊勢の養子となるものの家督は継がず、14~15歳の頃に版木の彫師となり、19歳の頃に勝川春章に入門。

やがて浮世絵師として生計を立てるようになるそうです。

ここで、ふたりが若かった時期の両者の邂逅を記した資料は見つかっていないとのこと_

いきなり謎を残されましたね。

しかし、抱一が親しかった大田南畝は浮世絵に関する著作が多く、北斎とも親しかったとの記述が。

また、北斎は初期のころに狂歌絵本を多数手掛けていたらしいので、どこかで繋がりはあったのではないのか…

と、勝手にエピソードを膨らませて楽しむ次第です。

 

その後、ふたりは順風満帆に創作の道が開花していくのでしょうか…?

勝手につづきを作り…次回、スタッフ I 担当の回にまたつらつら書きたいと思います。笑

 

 

How are you all doing?

It seems that the sunny weather continues in Nagoya and the warmth of spring returns.

 

Suddenly, do you have any paintings that come to your mind when you hear “Sakai Hoitsu”?

The other day, I was surprised to see Hoitsu’s work “Etekagami”.

It is a colored ink painting drawn in the 19th century and the Edo period, but it is very modern.

The composition and design are sophisticated, and I like the clear colors. When.

The “Flowering Plants of Summer and Autumn”, which is called the masterpiece, is an important cultural property, and some of you may think of it.

However, I personally didn’t know much about Sakai Hoitsu, so I’m going to dig deeper today …

 

Sakai Hoitsu is one of the painters who must not forget when talking about paintings in the Edo period.

Speaking of another genius painter of the same era, he is the master of ukiyo-e, Katsushika Hokusai, but in reality, the two are of different ages and are raised in the same Edo period.

I breathed in the air at the same time and went on to become the same artist.

Is this also a connection? (By the way, Hoitsu is one year younger)

As I pursued each painting industry, I simply wondered if there was any interaction.

Comparing those two …

 

Hoitsu was born as the second son of the Sakai clan, the elite of the samurai family, the lord of Himeji Castle, and left home at the age of 37.

Given this environment in which he was born, no one could have imagined that he would later become a painter.

Hoitsu became familiar with various cultures under the influence of his older brother, Sakai Tadazane, who was known as a famous tea ceremony with many hobbies, and lived a free-spirited life until his twenties, enjoying haiku, calligraphy, kyoka, ukiyo-e, Noh, and tea ceremony. He said he was continuing.

As expected from the prestigious samurai family, this must have been fun.

Although the calligraphy was considered to be a samurai’s grace, Hoitsu seems to have left a work that is far from being an amateur under the guidance of Utagawa Toyoharu.

And he also drew a lot of hand-painted ukiyo-e beauty paintings.

In this way, he acquired a background as a cultural person when he was young, and made friends with Ota Nanpo, who was also active as a kyoka writer and writer. I will do it. Lol

 

On the other hand, Hokusai has been crazy about drawing since he was a child.

Imagine Hokusai’s childhood, when only his grandpa was shown .

He must have been cute when he was a childhood name, Tokitaro.

Although he was adopted by his uncle, Ise Nakajima, a mirror artist for the shogunate, he did not succeed to the family, became a woodblock tattooist when he was 14 to 15 years old, and entered Katsukawa Shunsho when he was 19 years old.

He says he will soon make a living as an ukiyo-e artist.

Here, it is said that no material has been found that describes the encounter between the two when they were young.

Suddenly you left a mystery.

However, there is a description that Ota Nanpo, who was close to Hoitsu, had many books on ukiyo-e and was also close to Hokusai.

Also, Hokusai seems to have worked on many Kyoka picture books in the early days, so maybe there was a connection somewhere …

It’s up to you to inflate the episode and enjoy it.

 

After that, will the road of creation bloom in a smooth sailing …?

I will make a continuation without permission … Next time, I would like to write it again in the staff I charge. Lol

 

 

生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方もいらっしゃると思います。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

また風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

I think that some people are organizing important items as their lifestyle changes.

At Fukosha, we purchase various genres such as paintings, jewelry, and hobby items in addition to antiques and antiques.

Please feel free to contact us even if you have been tidied up and are wondering if this kind of thing is okay.

 

Fukosha is also strengthening business trip purchases.

We will make business trips not only to Aichi prefecture but also to Gifu prefecture, Mie prefecture and other prefectures.

No matter how close you are, we are looking forward to hearing from you.

 

Chikusa-ku, Nagoya-shi, Aichi, antique purchase “Antique Fukosha Nagoya store”

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柳は緑 花は紅 (愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 出張買取致します)

2021.04.18

こんにちは!
今朝は晴れたかと思いきや、

またパラパラと雨の降る覚王山界隈です。
先日の茶道のお稽古で、

「柳緑花紅」(やなぎ)は緑(みどり)(はな)は紅(くれない)~

と書かれた軸がお床に掛かっておりました。

宋時代の詩人、蘇東坡(そとうば)の詠じた詩です。

本来はもう一言「真面目」という言葉が添えられています。
柳緑 花紅 真面目(やなぎはみどり はなはくれない しんめんもく)」

まじめか~!じゃなくて、「しんめんもく」って読むんですね。

 

目の前にある春の景色を目の当たりにして

柳は緑色で、花は紅に染まり、これが本来のありのままの姿そのままだ」と詠嘆したのです。

柳が新緑の枝を垂らし、花が紅に咲き誇っています。

この光景は何千年と繰り返されてきた春の景色です。ただそれだけです。

ただそれだけなのに、敢えて「真面目(しんめんもく)」と感動したのです。

柳は柳として、何も隠すことなく堂々と現し、花も花として、その姿を示しています。

柳は柳、花は花、そこには価値の優劣はなく、あるのは真実だけです。

 

穏やかに説いてくださる茶道の先生のお言葉に、

「ああ、そのままの自分を受け入れていけばよいのだ...」

とスッと救われた気持ちになったものです。

ありのままを、ありのままに受け取り、

そこに真実を観ることが「」の心そのものです。

自然は何も隠さず堂々と私たちの前にその姿を現しています。

ありのままが真実です。

余計な価値判断を捨て去り、

心の目を見開いて、歩んでいきたいものです。

 

どんなものにも本質的な尊さがあることを教えてくれているのですが

周りの人・ものについても、その尊いそのままの本質的な姿を正しく見ることができているか_

ということについても考えさせられる禅語です。

 

私事で恐縮ですが、家に愚息が一人おりまして、

彼が家に居る時はゲームをしている姿しか見たことがありません。

一応、一日にゲームをやっていいという時間は決めてあったはずなんですけれどね...

明日の準備とか宿題とか、やることやってからって言ってあるはずなんですけどね...

彼なりに自分がやるべきことはやっているんでしょうか?

どうもそうらしいですね...

自分の衣類の洗濯やお風呂掃除はやってくれてますけどね...

もうあるがまま受け止めるしかないんでしょうかね?

未だに悟りの開けないスタッフTでございます。


Hello!
I thought it was sunny this morning, but it was raining again in the Kakuoyama area.
& nbsp;

In the tea ceremony lesson the other day,

“Willow green flower red” ~ </ b> willow </ b> ( willow) is green </ b> (green) flower </ b> ( hana ) Is crimson </ b> ( willow </ b>) ~

There was an axis written as.

Witness the spring scenery in front of you

The willow is green and the flowers are dyed red, which is exactly what it was. </ B>” he lamented.

Willows hang down fresh green branches and flowers are in full bloom.

This scene is a spring landscape that has been repeated for thousands of years. That’s it.

Even so, I dared to be impressed with “ Serious </ b> (Shinmenmoku) </ span>”.

The willow appears as a willow without hiding anything, and the flower also appears as a flower.

Willow is willow, flower is flower, there is no superiority or inferiority of value, there is only truth.

& nbsp;

In the words of the tea ceremony teacher who gently preaches

“Oh, just accept yourself as you are …”

Receive as it is, as it is,

Seeing the truth there is the very heart of “ Zen </ b>”.

Nature is openly appearing in front of us without hiding anything.

The truth is as it is.

Throw away unnecessary value judgments,

I want to open my eyes and walk.

& nbsp;

I’ve been teaching that everything has an essential preciousness.

Are you able to correctly see the precious and essential appearance of the people and things around you?

It is a Zen word that makes me think about that.

I’m sorry to say that I have a fool at home.

I’ve only seen him playing games after he got home.

For the time being, the time of the day should have been decided. .. ..

I’m sure you’ve said that you’re preparing for tomorrow, doing your homework, and doing what you’re doing. .. ..

Am he doing what he should do?

They do the laundry for their clothes and the cleaning of the bath. .. ..

Is there no choice but to accept it as it is?

& nbsp;
This is Staff T, who is still unenlightened.
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春霖(愛知県名古屋市千種区 骨董買取 風光舎より)

2021.04.17

皆さまこんにちは。本日名古屋では、静かに雨が降っております。
先日から静かな雨の日が続き、春霖という言葉が思い起こされます。

 

春の雨をあらわす言葉はこの言葉以外にもたくさんあります。
春時雨や、花散らしの雨、催花雨など、
ただ単に「雨」と表現するのではなく、情景が浮かび上がってくるような美しい言葉がたくさんありますよね。

 

春の雨を表す言葉ですら、こんなに多様なので、雨を表す言葉はさぞたくさんあるのだろうと思い、調べてみたところ……

一説にはなんと、400語以上もあると言われているそうです。

その中から、いくつか紹介させてください。

 

まず、催涙雨。初めて聞く言葉だったのですが、七夕に降る雨のことを指すと聞き、納得しました。織姫と彦星が、会えなかったことを嘆き、流した涙だと言われています。七夕の日が雨になると、少し寂しく思いますよね。今年の七夕は、晴れるでしょうか。

次に、鬼洗い。
鬼洗いなんて、どんだけ強い雨なんだろう……と思ったところ、
「鬼」は、大晦日に降る雨のことを指しているのであり、雨脚の強さが鬼ほど強い、という意味ではありませんでした笑
そのような雨を指す言葉としては、鬼雨(きう)という言葉がありました。
ゲリラ豪雨の和製語と言われているそうです。

雨は、その音を表すオノマトペもたくさんありますよね。
ぽつぽつや、しとしとなど日常生活の中でもよく使われています。

日本語は、他の言語と比べると音節が少なく、それを補うような形で、オノマトペは発展してきたのだそうです。

 

私個人の「よく使うオノマトペナンバー3」をここで発表させていただくと、

一位 ダラダラ(一日に一度は言いませんか?)
二位 ペコペコ
三位 ゴロゴロ(怠けている様子から、転がる様、目やお腹の調子を表すときなど、非常に汎用性が高いです)

となります。皆さまの「オノマトペナンバー3」もいつか聞いてみたいものです。

 

よく、日本独自の言葉として「木漏れ日」があげられます。
どの国にも、その国にしか存在しない特別な言葉というものがあると思います。どうか、これから先も絶やすことなく伝えていきたいものです。

 

 

 

Hello everyone. It is raining quietly in Nagoya today. The quiet rainy days have continued since the other day, reminding me of the word ”syunrin’’: a Japanese word expressing long spring soft rain. There are many other words that describe spring rain. Spring rain, flower-scattering rain, inducing-flower rain, etc. There are many beautiful words that seem to bring me out the scene, rather than just expressing it as “rain.” Even the words for spring rain are so diverse, so I thought there were many words for rain, so I looked it up. .. .. According to one theory, it is said that there are more than 400 words for rain. Let me introduce some of them.

First, inducing-tears rain. It was the first word I heard, but I was convinced when I heard that it refers to the rain that falls on Tanabata. It is said that Orihime and Hikoboshi lamented that they could not meet and shed tears. When it rains on Tanabata, you feel a little lonely. Will it be sunny this year’s Tanabata? Next, “wash the demons”. I wonder how heavy it rains to wash demons. .. .. I thought, “demon” refers to the rain that falls on New Year’s Eve, and did not mean that the strength of the rain was as strong as the demon. As a word to refer to such rain, there was the word “demon rain”. It is said to be a Japanese word for guerrilla rainstorms. There are many onomatopoeia that express the sound of rain. It is often used in daily life, such as fluffy and fluffy. Compared to other languages, Japanese has fewer syllables, and onomatopoeia has evolved in a way that complements it.


When I announce my personal “frequently used onomatopoeia number three” here, No. 1  daradara No.2  Pekopeko  No.3 rumbling (It is very versatile, such as when you are lazy, when you roll, when you express the condition of your eyes and abdomen) It will be. I would like to hear your “onomatopoeia number 3” someday. Often, the word “sunbeams” is unique to Japan. I think every country has a special word that only exists in that country. Please, I would like to continue to convey this in the future.

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古美術風光舎では、古美術や着物など多く買受しております。
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看花還看花~花を眺めながら(愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 出張買取致します)

2021.04.16

今日は朝からパラパラと雨模様の名古屋です。
ただいまは少し小止みですが、夕方から本格的に降り出すとか...
お出掛けの皆さま、どうぞお気をつけて下さいね。
 
風光舎に来る途中、藤の花が綺麗に咲いておりました。
八分咲きくらいでしょうか?今年は本当に早いですね。
他にも多種多様な花々が開花して 覚王山界隈もまさに百花繚乱です。
花を眺めながら歩くと、いつの間にかギャラリーに到着していました。
 
先日のスタッフYブログを読んで、
そうそう、そうなのよ!似たような花だけど...どっち?
スタッフTも思っていました!
 
春も酣(たけなわ)の今が盛りと咲き誇る街路樹の花_
これは花水木!
ありがとうございます。区別つきました!
白にピンクに鮮やかですね!
その前に咲いてたのはモクレン?あっちはコブシだったかな?
(これらは咲いてしまえば判りやすいです。コブシは思い切り花弁が開くので^^)

今年は取りやめとなってしまいましたが、
毎年一月の茶道の初釜では_
床の間に飾られている赤い実は千両?万両?どっち?と話題になります。
スタッフT、これはもう間違えません!
 
千両箱を持っている人は上にかかげて見せびらかすので、上向きに実がつくのは千両。
万両箱を持っている人は重くて持ち上げられないので、下向きに実がつくのは万両。
どうですか?これならば直ぐ覚えられますよね!

そして、これから夏に向けては_
菖蒲?アヤメ?杜若(カキツバタ)?でしょうか。
 
イヌタデ?水引草?
牡丹か芍薬か?
椿?山茶花?
ほんとうに思いつくだけでも、似たようで違う植物って、
まだまだ沢山ありますね。
 
着物や器の文様は、敢えて何の花か判らないように描かれていたりもします。
季節を問わず、いろんな場面で使えるようにとの配慮ですね。

今、古美術風光舎 名古屋店のギャラリーには、四季を通じて楽しめる器、ございます。
お近くまでお越しの際は、ぜひ足をお運びいただき、手に取って御覧下さいませ。
お待ちしております。

Today is Nagoya with rainy weather from the morning.
It’s a little short now, but it’s going to start in earnest in the evening. .. ..
Everyone who goes out, please be careful.

On the way to Fukosha, wisteria flowers were in full bloom.
Is it about eight minutes blooming?
This year is really early.
A wide variety of other flowers have bloomed, and it is truly a hundred flowers.
 
I read the staff Y blog the other day and
It’s a similar flower. .. .. Which one?
Staff T was also thinking!
 
The flowers of the roadside trees that are in full bloom in spring as well
This is Hanamizuki!
Thank you very much. I made a distinction!
It’s bright pink on white!
Was it magnolia that bloomed before that? Was that Kobusi?
(These are easy to understand once they bloom. The petals of the magnolia kobus open as much as possible ^^)
 
It has been canceled this year,
At the first pot of the tea ceremony in January every year _
Is the red fruit displayed between the alcove a thousand? Ten thousand? Which is this? It will be a topic.
Staff T, this is no longer wrong!
 
People who have a Senryo box will show off by holding it up, so it is Senryo that bears fruit upwards.
People who have a Manryo box are too heavy to lift, so it is Manryo that bears fruit downward.
how is it? You can easily remember this!
 
And for the coming summer _
iris? Ayame iris? Kakitubata (Japanese iris)? Is not it.
 
Inutade? Mizuhiki grass?
Peony or peony?
camellia? Sasanqua?
A plant that looks similar but different just by coming up with it
There are many more.

The patterns of vessels and kimonos are sometimes drawn so that you do not know what kind of flower they are.
It is a consideration that it can be used in various situations regardless of the season.

Now, in the gallery of the Nagoya store, there are vessels that you can enjoy for a long time.
Please come visit us and pick it up.
We’ll be expecting you.

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悲しくも美しい絶景(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.04.15

 

皆さま、こんにちは。

ふと気がつけば、街道のツツジも満開近く見事に咲いています。

明るい日差しに照らされた新緑はきれいに輝いていたりと、ほのぼのした毎日に溶け込んだいつもの景色。

このような日常もあれば、日本にはあぁ美しい!と心から思える絶景も数多くあります。

国土の7割が森林に覆われたこの島国では、その土地土地で気候風土も違いますし、それぞれの特色があります。

風景はもちろん、風習や方言、人柄・人情なども違い、大変興味深いところであります。

その土地の持つ色彩や情緒など、ならではを感じられるられるので、スタッフ I は国内旅行も大好きです。

皆さまの日常の暮らしの中にも、古くから受け継がれてきた町並みや食文化、伝統工芸や芸術品など様々おありだと思います。

そこに溶け込む普段の心弾む好天の日や、郷愁そそられ何となく切なさも感じたりする夕景など…

何気ないこともなんだかいいですよね。

 

それから日本各地にいつかある世界遺産。

そのひとつ、3年近く前「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されています。

訪れた人は格別の印象を持つと言う五島列島。

旧石器時代には早くも人が住み着いていたと言われています。

歴史深い五島の島々…海の向こうからやってきたキリスト教が禁じられていた時代に、その信仰を守ろうとした人々が移り住んだことは、ご存じの方も多いことでしょう。

潜伏キリシタンが密かに守り伝えてきた信仰の歴史を伝える教会群。

この説明をつらつら書きながらも、私まだ五島まで足を運んだことはありません(泣)

長崎市の大浦天主堂を訪れたときに感じた、とても厳か、神聖な空間とやはりにているのかなと思っていますが…

いい意味で独特な雰囲気が印象的で、その時の青天とのコンビがまた素敵だったなと記憶しています。

 

世界遺産の構成資産「頭ヶ島の集落」に立つ『頭ヶ島天主堂』はキリスト教解禁後に信徒の手で完成されたとのこと。

”頭ヶ島は上五島の中心である十字架型をした中通島の東にあり、今は橋でつながっているが、昔は無人島であった。そこにキリスト教信徒が移り住んだ理由は、農業に適した平地や港の近くの漁村にはすでに仏教徒が住んでいたから。信徒は山間部や海沿いの僻地に潜伏するほかなかった。

厳しい条件の頭ヶ島に信徒が住み始め、山裾の急斜面に教会の仮聖堂がつくられたのは、禁教令が解かれる前の明治3年(1870年)。その後、信徒たちが力を合わせ、自ら切り出した砂岩をひとつひとつ積み上げて、10年の歳月をかけて完成した教会。”

ここで使われている砂岩は驚くほど大きく、かなりの重労働だったようで、1日に2,3個しか積み上げられなかったそうです。

厳しい弾圧に耐え、長い受難の時代を生き抜いたのちに建てられた教会のうちのひとつだったのですね。

エキゾチックでありながらも静寂に満ちていて、強く心に訴えかけるものがある_

こうした悲しい歴史が背景にあったことを知ると、厳粛さが増します。

画像で見ると建物の外観は重厚な石造り。(これは全国でも珍しいそうですね)

それに対し、内装は女子向き⁈な装飾がパステルカラーで施された優しい空間_

驚くほどこじんまりとした大きさ…これが信徒の数に見合った規模だそうです。

このように信仰の伝統を間近にできるのが五島列島の魅力でもあるとの記述も。

 

個人的には国内でもまだまだ未開の土地、ありそうです。

今は充実した旅ができるようにシミュレーションする時期でしょうか。

オンライン上で開発する絶景探し、今後もつづきそうです。

 

Hello everyone.

Suddenly, the azaleas on the highway are in full bloom.

The fresh green lit by the bright sunlight shines beautifully, and the usual scenery that blends into the heartwarming everyday.

If there is such a daily life, it is beautiful in Japan! There are many spectacular views that you can truly think of.

In this island country where 70% of the land is covered with forests, the climate is different depending on the land, and each has its own characteristics.

Not only the scenery, but also the customs, dialects, personalities and humanity are different, which is very interesting.

Staff I also loves domestic travel because you can feel the colors and emotions of the area.

I think that there are various things in your daily life, such as townscapes, food culture, traditional crafts and arts that have been passed down from ancient times.

The usual exciting sunny days that blend in there, and the evening scenery that makes you feel nostalgic and somehow sad …

It’s nice to be casual.

 

Then there are some World Heritage Sites all over Japan.

One of them, nearly three years ago, “Hidden Christian Sites in Nagasaki and Amakusa Region” was registered as a World Cultural Heritage Site.

The Goto archipelago is said to have a special impression on visitors.

It is said that people settled in as early as the Paleolithic era.

The historic islands of Goto … Many of you know that people who tried to keep their faith moved to the time when Christianity from the other side of the sea was forbidden.

A group of churches that tell the history of faith that Kakure Kirishitan has secretly protected and passed down.

Although I wrote this explanation, I haven’t visited Goto yet (crying).

I wonder if it’s a very solemn and sacred space that I felt when I visited Oura Catholic Church in Nagasaki City …

In a good way, the unique atmosphere was impressive, and I remember that the combination with the blue sky at that time was also wonderful.

 

It is said that “Kashiragashima Catholic Church”, which stands in the world heritage constituent asset “Kashiragashima Village”, was completed by believers after the lifting of the ban on Christianity.

“Kashiragashima is located to the east of the cross-shaped Nakadori Island, which is the center of Kamigoto Island, and is now connected by a bridge, but it used to be an uninhabited island. Because Buddhists already lived on flatlands suitable for agriculture and fishing villages near the harbor, the believers had no choice but to hide in the mountains and remote areas by the sea.

Believers began to live on Kashiragashima Island under harsh conditions, and a temporary church shrine was built on the steep slope at the foot of the mountain in 1870, before the persecution of Christianity was lifted. After that, the believers joined forces and piled up the sandstones they cut out one by one, and the church was completed over 10 years. ”

The sandstone used here was surprisingly large and seemed to have been a lot of hard work, with only a few piled up a day.

It was one of the churches built after enduring severe crackdowns and surviving a long period of suffering.

Exotic yet quiet, there is something that really appeals to you _

Knowing that this sad history was in the background adds to the solemnity.

Looking at the image, the exterior of the building is made of heavy stone. (This seems to be rare in Japan)

On the other hand, the interior is a gentle space with pastel colors that are suitable for girls.

Surprisingly small size … This is a scale commensurate with the number of believers.

There is also a description that it is also the charm of the Goto archipelago that the tradition of faith can be brought up close in this way.

 

Personally, it seems that there is still undeveloped land in Japan.

Is it time to simulate for a fulfilling trip?

Looking for a superb view to develop online, it seems that we will continue in the future.

 

 

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