9月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜

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FROMKYOTOOSAKA

色々と秘密の多い三毛猫でした(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.29

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

昨夜は激しい雨と雷鳴で何度か目が覚めました。私以外の家族は熟睡していたようで信じられない思いです。

という訳で、少し眠気を抱えながら出勤しますと、いつもながらスヤスヤと穏やかに眠る「九谷焼の眠り猫」。こちらまで誘われてしまいそうで困ります。

 

 

 

 

実は本日9月29日は、9(来る)29(福)という語呂合わせで「招き猫の日」とされているようです。招き猫はもともと日本で多く見られる「三毛猫」がモデルとなっているとか。

愛猫家の方からお𠮟りを受けそうですが、私愚かにも今のいままで「三毛猫」という品種があるのだと思っておりました。実は猫の毛色が三種類、白、黒、茶色(オレンジに近い茶色)にはっきりと分かれている猫のことを総じて「三毛猫」というのですね。一般的には日本特有の猫とされており、血統猫よりも雑種猫で見かけることが多いとのこと。

昔から幸運を呼ぶ猫とされており、白は浄化、黒は厄除け、茶色は繁栄を意味し、三という数字も「満つ」と掛け合わせて、願いが満たされるとして縁起がよいとされています。昔の商家では商売繁盛を願い三毛猫を飼う習慣もあったようです。

 

縁起を担ぐだけでなく、三毛猫はその希少価値からも珍重されてきました。三毛猫は親が三毛猫であれば生まれるというものでもなく、またほとんどが雌として生まれてくるそうです。

通常は猫の毛色は色の濃淡はあっても一色から二色が多く、白黒茶の三色の猫が生まれる仕組みを知るには染色体との関係を知る必要があるとのこと。人も動物も性別を決める染色体は男性がXY、女性はXXで、ネコは元々白くなる遺伝子をもっており、白以外の黒と茶色の毛色を決める遺伝子は染色体のXにしかないそうです。そのためXを二つ持つ雌は白の他に黒と茶の三色になる可能性があり、X染色体を一つしか持たない雄は二色になる可能性が高いのです。

しかしごくまれに遺伝子の変異によりXXYの染色体を持つ雄が生まれるそうですが、その確率は1/30000とも言われており、かなり稀なことだそうです。その希少性から雄の三毛猫は幸運のシンボルとなり、江戸時代には多くの船で「航海の際に三毛猫の雄を飼っていれば安全が保障される」と信じられ一緒に船に乗り航海していたとか。実際に南極観測船の「宗谷」でも「たけし」と名づけられた三毛猫が乗っており船員たちに可愛がられたそうです。

 

他にも有名なところでは和歌山電鉄貴志川線の三毛猫駅長「たま駅長」がその愛らしさから人気を博したことを覚えています。利用者の減少から存続が危ぶまれた貴志川線に観光客を呼び込み、閉鎖寸前だった駅を救いました。正真正銘の「招き猫」ですね。

個人的にはこの「たま駅長」が私の三毛猫のイメージなのですが、三色の配色により様々な模様のパターンがあるようです。白が多く黒と茶色がしま模様になった「しま三毛」は物静かでおとなしい性格。白ベースに黒や茶色が所々に飛んでいる「とび三毛」は音や匂いに敏感。他にもコントラスが少なく柄がはっきりしていない「キジ三毛」やソフトな色合いでトーンが薄い色をしている「パステル三毛」などに分類されています。

 

現在の飼い猫の起源はエジプトのイエネコと言われています。ネズミをはじめとした害獣を駆除してくれる存在として農家などで飼われていました。突然変異や交配を繰り返しさまざまな毛色や柄の猫が生まれました。日本では古くから日本猫といわれる特有の猫の種類がおり、その1つである短い毛と丸い尻尾が特徴のジャパニーズボブテイルと呼ばれる品種に三毛猫が存在し、海外からの様々な種との交配で現在の三毛猫に至っているようです。

海外での人気も高く、英語では「キャリコ」、フランスでは「トリコロール」など洒落た名前で呼ばれているようです。北米やヨーロッパでは日本原産のジャパニーズボブテイルが「MIKE(みけ)」と呼ばれ愛されています。

 

私は猫を飼ったことがないので分かりませんが、三毛猫は雑種であることが多いため比較的丈夫で、猫らしさが溢れる知的で気まぐれな性格が魅力なのだそうです。プライドが高くマイペースでクールな一面と甘え上手な性格から「猫の中の猫」とも呼ばれるとか。

 

ここ覚王山で店主がよく出会うという猫ちゃんも三毛猫でしょうか?かなり警戒しているように見えますが…。

分かる方がいらっしゃれば教えてください。

 

 

 

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Last night I was awakened several times by heavy rain and thunderstorms. I couldn’t believe that everyone in my family except me seemed to be sound asleep.

So, I went to work feeling a little sleepy and found “Kutani Yaki Sleeping Cat” peacefully sleeping as usual. I am troubled by the fact that it seems to be luring me to sleep as well.

 

In fact, today, September 29, is “Manekineko Day,” which means “beckoning cat day” in Japanese because of the Japanese word “9” (come) and “29” (good fortune). The beckoning cat was originally modeled after the “tortoiseshell cat” that is often seen in Japan.

I am sure cat lovers will scold me for this, but until now I thought there was a breed of cat called “tortoiseshell cat”. In fact, the term “tortoiseshell cat” refers to cats with three distinct coat colors: white, black, and brown (almost orange). It is generally considered to be a cat unique to Japan, and is more often seen in mongrel cats than in pedigree cats.

They have long been considered lucky cats. White means purification, black means protection from bad luck, brown means prosperity, and the number “three” is also considered auspicious because it is crossed with “fullness,” meaning that your wishes will be fulfilled. In the old days, it was customary for merchants to keep tortoiseshell cats in the hope that their business would prosper.

 

Tortoiseshell cats have been prized not only for their good luck, but also for their rarity. Tortoiseshell cats are not necessarily born with tortoiseshell parents, and most are born as females.

Usually, cats have one or two hair colors, even if there are shades of color, and to understand how a black, white, and brown cat is born, it is necessary to understand the relationship between chromosomes. The chromosomes that determine the sex of both humans and animals are XY for males and XX for females. Cats originally have a gene that makes them white, and the gene that determines black and brown fur colors other than white is found only on chromosome X. Therefore, females with two X chromosomes are likely to have black and brown fur in addition to white, while males with only one X chromosome are more likely to have two colors.

However, in rare cases, a genetic mutation can produce a male with an XXY chromosome, but the probability is said to be as low as 1/30,000, which is quite rare. Because of its rarity, a male tortoiseshell cat became a symbol of good luck, and in the Edo period (1603-1867), many ships were believed to have kept a male tortoiseshell cat on board to guarantee their safety when they sailed. In fact, a tortoiseshell cat named Takeshi was on board the Antarctic research vessel Soya and was adored by the crew.

 

Another famous example is “Tama Ekicho,” the tortoiseshell cat stationmaster of Wakayama Electric Railway’s Kishigawa Line, who became popular for his adorable personality. He attracted tourists to the Kishigawa Line, which was in danger of being shut down due to a decline in the number of passengers, and saved the station, which was on the verge of closure. It is a true “beckoning cat.

Personally, this “Tama Ekicho” is my image of a tortoiseshell cat, but there seem to be various patterns depending on the color scheme of the three colors. The “Shima-Shimei,” which is mostly white with black and brown stripes, is quiet and gentle. The “Tobiti-Triplet,” which has a white base with black and brown flying in some places, is sensitive to sounds and smells. There are other categories such as the “Kiji Tortoiseshell,” which has little contrast and no distinct pattern, and the “Pastel Tortoiseshell,” which has soft colors and light tones.

 

The origin of today’s domestic cats is said to be the Egyptian Aedes aegypti. They were kept by farmers and others as a means of exterminating rats and other vermin. Through repeated mutations and crossbreeding, cats of various coat colors and patterns were born. In Japan, there has long been a unique breed of cat called the Japanese Bobtail, which is characterized by short hair and a round tail.

The tortoiseshell cat is very popular overseas, and is called by fashionable names such as “calico” in English and “tricolor” in France. In North America and Europe, the Japanese Bobtail, which is native to Japan, is called “MIKE” and is well-loved.

 

I have never owned a cat, so I don’t know, but I hear that tortoiseshell cats are often hybrids, so they are relatively hardy and have an intelligent and whimsical personality that is full of cat-like qualities. They are also called “cats among cats” because of their pride, their own pace, their cool side, and their sweet nature.

 

Is the cat that the owner often encounters here in Kakuozan also a tortoiseshell cat? It seems to be very wary of her.

Please let me know if you know.

 

See you next time.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

 

【掛軸・仏具買取】名古屋市千種区のお客様より銀杯・贈答品などを買取いたしました。

2024.09.29

 

 

名古屋市千種区のお客様より掛軸・仏具などを買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

古美術風光舎では、掛軸・仏具などの買取もおこなっております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

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【銀杯・贈答品買取】名古屋市千種区のお客様より銀杯・贈答品などを買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.28

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より銀杯・贈答品などを買取いたしました。

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宗像大社をゆく(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.28

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

先日、学生みたいな分刻みスケジュールの九州弾丸旅に行って参りました。

そこで訪れたのが先日の小鹿田焼の里(日田)だったのですが、他にも済印を押しただけかのような訪問先を今頃になって思い返しております。

 

その中でも、今度は余裕のある大人旅で再来したいな…と思いました「宗像大社」について、自分の復習を兼ねて呟いていきたいと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ。

 

「宗像大社」へ、行って参りました。

 

 

 

 

宗像大社は日本神話に登場する日本最古の神社のひとつなのですが、天照大神の三柱の娘・三女神が沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、本土の辺津宮にそれぞれ祀られており、この三宮を総称して「宗像大社」といいます。

 

先日訪れたのは、三宮の総社である「辺津宮」。市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られており、本殿と拝殿は国指定の重要文化財であり、皇室・国家を守護する神、また道の神様として信仰が篤く、航海安全、交通安全を祈願する参拝者がたくさん訪れます。本殿の屋根の曲線が何とも言えない美しさです。朱色の社殿と青空が映えますね。

 

本殿もさることながら、今回是非訪れたかったのが境内にある「神宝館」。コンクリート4階建ての大きな建物なのですが、この建物の中には神職でしか上陸できないあの沖ノ島から出土された鏡、勾玉、金製指輪など国宝に指定された宝物がなんと約8万点も収められております。それらは沖ノ島に奉献された品々なのですが、多様な来歴を持ち当時の東アジアの交流が伺えしれます。また膨大な数の奉献品は500年にわたって執り行われた祭祀の変遷を如実に伝えており、時代時代の変化も大変興味深いところです。他にも宗像大社に伝承されてきた重要文化財なども収蔵・展示されており、自称「国宝見るだけマニア」の血が騒ぎます。しかも写真撮影はどれも可でしたので、ますますテンションが上がってきました。

 

早速薄暗い館内へ中へ入りますと、いきなり金の指輪が輝いております。

1.8㎝ほどの小さな指輪ですが、当時の新羅の王族に愛されたデザインとのことで、1500年前の趣は今もその輝きは本当にそのままなんですね。

 

 

金製指輪 沖ノ島【国宝】(5~6世紀)

 

 

また、沖ノ島からは3~4世紀のものと伝わる銅鏡が数多く出土しており、どの銅鏡もその文様は同じものはひとつもありませんでした。それぞれの異なった文様は大変細かく凝っていて、一つ一つ丁寧にみたいのですが、なにせ時間がない泣。

 

 

 

 

 

 

展示物の中にはたくさんの玉(ぎょく)(6~7世紀)もあり、その種類や色、加工も繊細。これら一点一点すべて国宝であります。

 

 

 

 

碧玉・滑石製管玉は、径が0.5cm程度の細形のものと、径が1.0cm弱の太めの大形のものがあるそうで、沖ノ島の国家祭祀の各時代において、玉は素材や形状を変えながら、ささげられていたようです。

 

また、金属の加工細工には、「おしゃれだなぁ…。」と、失礼な言葉しかでてこない国宝見るだけマニアですが、

 

 

金銅製心葉形杏葉【国宝】 (6~7世紀) 約9.0㎝

 

こちらは鞍から馬の胸部や尻部にのびる革帯(胸繋・尻繋)に下げて馬を飾りたてる金具なのですが、それぞれの杏葉は鳥人の顔の文様をはじめ細部の表現されています。それらは一様ではなくかなり自由なようです。羽ばたく鳥人の文様は大陸では高句麗の古墳壁画などをはじめ種々のものにみられるそうです。

 

 

金銅製棘葉形杏葉【国宝】(6~7世紀)長13.4~15.5cm(張出部+身部)

 

こちらも革帯(胸繋・尻繋)なのですが、棘をもつ柊の葉のような形からこの名があるそうです。金箔がところどころ残っていたり、金属に打ちだした文様も綺麗に残っていますね。

 

 

金銅製帯金具【国宝】(6~7世紀)〔鉸具〕〔各〕長約12.0cm 〔帯先金具〕〔各〕長16.0cm

 

こちらの金具は取り付けについては判然としないそうなのですが、平安時代以降の唐鞍にみる後輪の両側に下げた「八子」という帯状装飾金具との類似が指摘されており、八子は伊勢の神宮の鶴班毛御彫馬の馬装具にもみられることから八子のつながりが注目されるそうです。

 

 

金銅製香炉状品【国宝】(年代不詳) 経13.5cm

 

奈良時代とされているようですが、近年は5世紀後半の中国北魏に由来する文物や北魏様式の系譜をひき、6世紀後半から7世紀前半に朝鮮半島か日本列島のいずれかで製作された頸総金具 (馬の喉元に下げる頸総を留めるための装具)との指摘がなされているいるようですが、類例がなく用途不明のようで形状から“香炉状”とされているそうです。香炉にみえますが香炉じゃないとなんでしょうか…。真ん中の部分に龍が描かれているようで、探してみてください。

 

 

金銅製高機【国宝】(8~9世紀)長48.0cm 台外幅16.7cm

 

今回自分の中で一番テンションがあがった宝物なのですが、なんと金銅製のミニチュア織機であります。

非常に精巧な造りで部品はほぼ揃っており、組み立てると実際に織ることができるそうです。展示もちゃんと組み立てて織っている状態で展示しており、幅10cmほどの布が織られていました。古代の機の姿をそのままに残す最古の現存資料として貴重だそうです。とにかくかわいい。

 

 

金銅製雛形五弦【国宝】(7世紀)琴長27.1cm

 

そして、こちらも日本固有の弦楽器である倭琴のミニチュア品だそうです。祭祀において楽を奏するものを雛形化して幣帛としたものであろうとのこと。

 

そうこうしておりますと、次のスケジュールのため時間が無くなってきました泣。

 

 

 

 

 

 

やむなく退出。これはリベンジしなければいけない…。と、未練たらたらにて退出いたしましたが、秋のお出かけの候補として皆さまもぜひご検討くださいませ。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

The other day, I went on a bullet trip to Kyushu with an up-to-the-minute schedule like a student. I visited the village of Ojikada-yaki (Hita) the other day, and now I am thinking back on the other places I visited as if I just put a seal of approval on my trip. I would like to write about Munakata Taisha Shrine, which I would like to return to this time as an adult traveler with more time to spare… I would like to write about it for my own review.

I visited Munakata-taisha Shrine.

Three daughters of Amaterasu, the three goddesses, are enshrined at Okitsumiya Shrine on Okinoshima Island, Nakatsumiya Shrine on Oshima Island, and Hengtsumiya Shrine on the mainland, collectively called Munakata Taisha.

The other day I visited Hengu, the head shrine of the three shrines. The main shrine and the hall of worship are nationally designated important cultural properties, and many visitors come to pray for safe voyages and traffic safety. The curved roof of the main shrine pavilion is indescribably beautiful. The vermilion color of the shrine pavilions and the blue sky are a perfect match.

In addition to the main shrine pavilion, I was eager to visit the “Shimbokan” on the grounds of the shrine. It is a large four-story concrete building that houses some 80,000 treasures designated as national treasures, including mirrors, gadama, and gold rings excavated from Okinoshima Island, which can only be landed on by Shinto priests. These items were dedicated to Okinoshima Island, and their diverse histories reveal the interactions between East Asia and Japan at that time. The vast number of objects also shows the changes in the rituals that took place over the 500 years of the shrine’s existence, and the changes over time are also very interesting. Other important cultural properties that have been handed down in Munakata Taisha are also stored and exhibited, making it impossible for self-proclaimed “national treasure enthusiasts” not to visit…. Moreover, since photography was allowed in all of the museums, I was getting more and more excited.

As soon as we entered the dimly lit museum, we suddenly saw a shining gold ring.

It was a small ring of about 1.8 cm, but it was a design loved by the royal family of Silla at that time, and the taste of 1,500 years ago is still really intact with its shine.

Gold Ring, Okinoshima Island [National Treasure] (5th – 6th century)

A number of bronze mirrors, which are said to be from the 3rd to 4th century, have been excavated from Okinoshima Island, and no two mirrors have the same design. The different patterns on each mirror were so detailed and elaborate that I wanted to see them one by one, but time was short.

There were also many jade objects (6th-7th century) among the exhibits, which are delicate in type, color, and processing. All are national treasures.

There are two types of jade and boulder jade: thin jade with a diameter of about 0.5 cm and large thick jade with a diameter of a little less than 1.0 cm.

The metalwork is also said to have been “fashionable…” and some rude words were also used.

Gilt bronze heart-shaped apricot leaf [National Treasure] (6th – 7th century) approx. 9.0 cm

This is a metal fittings to decorate a horse by attaching it to the leather belt (bosozuna and shiritsuzuna) that extends from the saddle to the horse’s chest and rump. Each apricot leaf is decorated with a bird’s face pattern and other details. The design of birds flapping their wings is said to be found on the continent in a variety of objects, including murals on Koguryo tombs.

Gilt Bronze Apricot Leaves in the Shape of Thorny Leaves [National Treasure] (6th – 7th century), Length 13.4 – 15.5 cm (overhang + body)

This is also a leather belt (bosozuna and shirizuna), but it is said to be so named because of its shape like a holly leaf with thorns. The gold leaf remains in some places, and the design hammered into the metal is also beautifully preserved.

Gilt bronze obi fittings [National Treasure] (6th-7th century) [buckle] [each] approx. 12.0cm long [obi tip fittings] [each] 16.0cm long

The attachment of these metal buckle fittings is not known for certain, but it has been pointed out that they are similar to the “Yako” decorative band fittings on both sides of the rear wheel on Chinese saddles of the Heian period and later, and the Yako is also found on the horse mount of the crane-shaped carved horses of the Jingu Shrine at Ise, so the connection with the Yako is of interest.

Gilt bronze censer-shaped article [National Treasure] (date unknown), longitude 13.5cm

Although it is believed to date from the Nara period (710-794), it has recently been suggested that it is a neck brace (an ornament used to fasten a neck brace around a horse’s throat) made in either the Korean Peninsula or the Japanese archipelago in the late 6th or early 7th century, drawing on objects from the Northern Wei Dynasty in China in the late 5th century and on the lineage of the Northern Wei style, but there are no similar examples and its use is unknown. However, there are no similar examples and its use is unknown, so it is considered to be “censer-like” in shape. It looks like an incense burner, but what if it is not an incense burner? There seems to be a dragon in the middle part, so please look for it.

ilt-bronze Koki [National Treasure] (8th-9th century), length 48.0cm, width 16.7cm outside the stand.

This is the most exciting treasure for me this time. It is a miniature gilt bronze loom.

It is a very elaborate loom with almost all of its parts, and when assembled, it can actually be used for weaving. The exhibit also displayed the loom in its assembled state, weaving a piece of cloth about 10 cm in width. It is said to be valuable as the oldest existing material that preserves the appearance of ancient machines as it is. Anyway, it is cute.

Gozen Hinagata Gozen made of gilt bronze [National Treasure] (7th century), Koto length 27.1cm.

This is also a miniature of the Japanese koto, a stringed instrument unique to Japan. It is said to have been made into a model of the instrument used in rituals to play music and used as a mihakubaku.

As I was doing so, I was running out of time for my next schedule….

I had no choice but to leave. I had to take revenge…. I left the venue with a lot of unresolved feelings.

I hope you will also consider it as a candidate for your autumn excursion.

Have a good day.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

 

【仏像・茶器買取】名古屋市緑区のお客様より買取致しました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎))

2024.09.28

 

 

 

名古屋市緑区のお客様より仏像・茶器などを買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

古美術風光舎では、仏像・茶器などの買取もおこなっております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

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ナスカの地上絵、想像以上に親近感がわきます(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.27

皆さまこんにちは、スタッフHでございます。

昨日のスタッフYの小鹿田焼のブログ、とても感慨深いものがありました。

遥か昔、日々の料理に苦戦していた頃にお祝いに頂いたのが小鹿田焼の「飛びかんな」の中皿でした。つたない料理が別物に変身したかのように美味しそうに見え、お皿の力を実感した瞬間でした。

 

本日店内に仲間入りしております白磁碗。花びらのような紋様がのびのびと描かれ、こちらの器もきっとあらゆるものを受け止めてくれるはずという大らかさを感じます。

 

 

 

 

 

 

 

しばらく器を眺めておりますと、また突飛な想像ですが先日ニュースで見たナスカの地上絵を思い浮かべてしまいました。

 

山形大学ナスカ研究所とIBM研究所の共同研究プロジェクトが、6カ月間のAIを用いた現地調査により新たに303個の地上絵を発見したと報告しました。これにより確認済みの地上絵が倍になったそうです。

ナスカの地上絵の存在はもちろん知っていましたが、有名なハチドリやサルの絵ぐらいしか思い浮かばず、そんなに多くの種類があるのかと驚きました。

ナスカ文化が栄えたのは紀元前100年~800年の900年間とされ、宗教的中心地はナスカ川流域の「カワチ遺跡」です。ナスカの土器は色鮮やかで美しく、動物や草花、戦士や神様をモチーフにしたものが多く見られます。文字を持たなかった文明だったため絵は重要なコミュニケーションの道具だったと考えられています。

それにしてもあまりに自由でユニークなデザインの数々。改めて調べて見てみると、「カールおじさん?」「ケロロ軍曹?」「インベーダーゲームのキャラクター?」と思われる絵もあり親近感が半端ないのです。

地上からは絵を確認することが難しく、飛行機が発明された後1939年に初めて上空より発見され、1994年に世界文化遺産に登録されました。

 

描いた方法は、歩数で距離を測り、小石をどけながら描いていたことが分かっています。そのため人の歩幅の違いにより左右対称になっていないものもあるとか。もし人が線上を歩いていたなら一筆書きで描かれているのも納得がいく気がします。

地上絵が描かれたナスカ台地は一面に太陽に照らされて黒褐色に変色した小石が広がり、これらの小石の下に白い砂の地層があります。この黒と白のコントラストにより線タイプと面タイプの2種類の地上絵が描かれました。

 

線タイプの絵は平地にのみ描かれ64%が野生動物をモチーフとし、小型の面タイプの絵は山の斜面などにも描かれ人間や家畜などが81%を占め、目的によって描き分けられていたと考えられています。

線タイプの地上絵はなんらかの儀式活動を行っていたようで、地上絵の上を歩いていた痕跡も残っているそうです。わざと落として割った土器の欠片なども多数発見され儀式の際に土器を割るという習慣があったようです。

一方、面タイプは小道の合流地点の丘などに描かれ、通る人々の目印になっていたと推測されています。

他にも天体観測に使われていたという説などもあり未だ謎に包まれている部分は多く、興味が尽きることはないようです。

 

それにしても不思議なのは1000年以上も前の地上に描かれた絵が消えずに残っていることです。

どう考えても不可能な気がしますが、第一の理由としてナスカの地では1500年以上ほとんど雨が降っていないことが挙げられます。年間降水量が平均4mmとありえないほどの乾燥地帯なのです。

次にナスカでは絶妙な強さで風が吹いているとのこと。積もりそうな砂を吹き飛ばしてくれるため、砂漠であっても砂に埋もれてしまうことがありません。

また動物が生息していないため踏み荒らされる心配がないそうです。

他にも大地に硫酸カルシウムが多く含まれているため土が固く、霧もおおいため硫酸カルシウムと水分が混ざり合い、さらに強固な大地となり地上絵を守ってきました。

その後、地上絵が発見された後は多くの人々の保全活動により現在まで守られてきました。

偶然が重なった自然環境と人々の努力により、今も遥か昔の人々の暮らしに思いを馳せることができるのですね。

 

しかし考えてみると、雨も降らず、動物も住みつかないような厳しい環境でよく人々が生活を続けられたものだと思ってしまうのですが、個性豊かな絵を見ていると、豊かな心を持った人々だったのかなと勝手に想像してしまいます。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone, this is Staff H.

I was very deeply moved by Staff Y’s blog yesterday about Kogada-yaki pottery.

A long time ago, when I was struggling with cooking, I received a “flying kanna” medium plate from Kogada-yaki as a gift. It was a moment when I realized the power of plates.

 

The white porcelain bowls that have joined our store today, with their petal-like patterns drawn spontaneously, give a sense of generosity that will surely accept all kinds of things.

Looking at the bowls for a while, I was reminded of the Nazca Lines that I saw on the news the other day, although this is a bit of an outlandish imagination.

 

A joint research project between the Nazca Research Institute of Yamagata University and the IBM Research Institute reported the discovery of 303 new terrestrial paintings through a six-month field survey using AI. This has doubled the number of confirmed terrestrial paintings.

I knew of the existence of the Nazca Lands, of course, but I could only think of the famous hummingbirds and monkeys, and was surprised that there were so many different types of paintings.

The Nazca culture flourished for 900 years, from 100 to 800 B.C., and its religious center is the Kawachi site in the Nazca River basin. Nazca pottery is colorful and beautiful, often featuring motifs of animals, plants, flowers, warriors, and gods. As a civilization that did not have a written language, painting is thought to have been an important communication tool.

Nevertheless, the designs are so free and unique. When I looked them up again, I found myself asking myself, “Uncle Karl? Sergeant Keroro? Invader game characters? Some of the pictures are so familiar that it is difficult to see them from the ground.

It was difficult to see the paintings from the ground, and they were first discovered from the sky in 1939, after the invention of the airplane, and registered as a World Cultural Heritage in 1994.

 

It is known that the painters measured the distance by the number of steps they took and painted while moving pebbles out of the way. Therefore, some of the paintings are not symmetrical due to differences in people’s strides.

The Nazca Plateau, where the paintings were drawn, is covered with pebbles that have turned blackish brown in the sun, and there is a layer of white sand beneath these pebbles. The contrast between the black and white areas created two types of terrestrial paintings: line-type and surface-type.

Line-type paintings were painted only on the plains and 64% of them depicted wildlife motifs, while smaller surface-type paintings were painted on mountain slopes and 81% of them depicted humans and domestic animals.

Line-type paintings seem to have been used for some kind of ceremonial activity, and there are traces of people walking on them. Many of the pottery pieces were intentionally dropped and broken, suggesting that there was a custom of breaking them for ceremonial purposes.

On the other hand, it is assumed that the mask type was used as a marker for people passing by, as it was carved into a hill at the confluence of paths.

There are also other theories, such as the theory that they were used for astronomical observation, and there are still many parts that are shrouded in mystery, so there seems to be no end to the interest.

 

What is still a mystery is the fact that pictures drawn on the ground more than 1,000 years ago have remained on the ground.

It seems impossible, but the first reason is that there has been almost no rainfall in Nazca for more than 1,500 years. It is an impossibly arid region with an average annual rainfall of 4 mm.

Secondly, the wind blows with exquisite strength in Nazca. It blows away the sand that might accumulate, so even if it is a desert, you will not be buried under sand.

They also do not have to worry about being trampled because the area is not inhabited by animals.

In addition, the soil is hard because it contains a lot of calcium sulfate, and because of the abundance of fog, calcium sulfate and moisture mix to form a stronger soil that protects the paintings on the ground.

After the discovery of the terrestrial paintings, they have been protected by the conservation activities of many people.

Thanks to the natural environment and the efforts of people who have protected it, we can still recall the lives of people long ago.

 

However, when I think about it, I wonder how people could continue to live in such a harsh environment where there is no rain and no animals can live, but when I see the rich individuality of the paintings, I imagine that the people had rich hearts.

 

I will see you next time.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

お見舞い申し上げます。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.26

 

 

 

先日の能登半島豪雨災に見舞われた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。

古美術風光舎では、石川県令和6年能登半島地震地震災害義援金へお振込みをさせていただきました。

 

 

 

 

 

微力ではありますが、復興の一助となれれば幸いです。まだまだ厳しい状況でございますが、被災地のみなさまお体にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

 

一日も早い復興を心よりお祈り申し上げております。

 

 

We would like to express our deepest sympathies to all those who have been affected by the recent Noto Peninsula torrential rain disaster.

Fumikosha Antiques & Fine Arts donated to the Noto Peninsula Earthquake Disaster Relief Fund for the 2024 Noto Peninsula Earthquake in Ishikawa Prefecture.

 

Although it is a small contribution, we hope that it will help in the recovery effort. The situation is still very difficult, but we ask that everyone in the affected areas take care of themselves.

 

We sincerely hope for the earliest possible recovery.

 

Translated with DeepL.com (free version)

【抹茶碗・着物買取】豊田市のお客様より抹茶碗・着物などを買取いたしました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.26

 

 

 

 

 

 

 

豊田市のお客様より抹茶碗・着物などを買取いたしました。

古いお宅の納屋までいかせていただきました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

古美術風光舎では、抹茶碗・着物などの買取もおこなっております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

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小鹿田焼の里を行く(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.26

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

少しばかり涼しくなりましたね。もう一生この暑さが続くのかと思うくらいこの涼しさのことを忘れかけていましたが、心地よい時期にはいりました。

 

そんなわけで、ここぞとばかりに先日ちょっと遠方へ足を伸ばしてみましたのですが、目的は、以前から興味のあった窯元巡りであります。訪れた感想を先に申し上げておきますと、今回は「ちょっと」どころではなかった笑。ですが、なかなか訪れられない地域でしたので、覚悟を決めて訪れてよかったので、本日はその報告をいたします。ご一読お付き合いくださいませ。

 

訪れた先は、大分県日田市にあります「小鹿田焼」(おんたやき)であります。

 

 

 

 

日田と言いますと、かつての天領、お水のが豊富で美味しい地域のイメージですが、小鹿田焼(おんたやき)は、日田市の市街地から更に車で50分くらい山あいを走った地域に位置する地区であります。その小鹿田皿山地区(日田市源栄町皿山(もとえまちさらやま))で焼かれる陶器のことを小鹿田焼というのですが、現在も機械を使わず手作りが続けられおり、その風景は昨年のブラタモリでも放送されておりました。その陶芸技法は1995年(平成7年)に国の重要無形文化財に指定され、2008年(平成20年)3月には地区全体(約14ヘクタール)が「小鹿田焼の里」の名称で、池ノ鶴地区の棚田とともに重要文化的景観として選定されている地区であります。

 

その小鹿田焼のはじまりは、江戸時代中期の1705年(宝永2年)若しくは1737年(元文2年)に、江戸幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、山を隔てた現在の小石原(現在の福岡県)から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と、彼を招いた日田郡大鶴村の黒木十兵衛の資金提供のもと、同じく鶴河内村小鹿田の坂本家から土地提供を受け、皿山地区にて開窯。開窯から三百有余年、現在もこの地区の三家につながる人の一子相伝の習慣により九軒の窯元で作られております。

また民芸運動の創始者である柳宗悦もこの小鹿田焼にみせられ来窯、紀行文「日田の皿山」を著作。世界的に有名な陶芸家バーナード・リーチも来窯しており、昭和45年には、文化庁により「記録作成の措置により講ずるべき無形文化財」に選択され、平成7年には国の無形文化財に指定されております。

 

 

 

 

現在も三家につながる9軒の窯元で作られる小鹿田焼ですが、その製法や特徴も独特の作風でして。皿山地区で採取されえる土を、川の水を利用した唐臼でで20~30日かけ粉砕し、手作業で水簸、乾燥。すべてこの地域でおこなっております。また、平成8年(1996)には、川のせせらぎと独特な音が響き渡る唐臼の音が「残したい日本の音風景100選」にも選ばれておりまして、焼物だけでなくこの地区の風景までもが訪れてみたくなる場所なのです。

 

 

 

 

今回訪れてみたかったも、この風景をTVでみたことがきっかけだったのですが、小さな集落を穏やかに川が流れ、各窯元へ水を引き込み、そこへ唐臼が作られた風景をゆっくり歩きますと、川のせせらぎとその臼の音が山あいの集落にリズミカルに響き渡っております。道途中にあります唐臼をしばらく眺めておりましたが、その音とゆっくりと落ちる臼の動きの中に溶けていくような感覚が湧いてくるのでしが、つまりはしばらくぼー--っとしてたといいますか、気が付くとぼーっと唐臼を見つめておりました笑。

 

そして時間と手間をかけ唐臼によって作られた原土は水簸され、凝縮した泥水を「オロ」と呼ばれる濾過で水抜きし、乾燥されようやく陶土が完成。

 

 

 

 

ようやく職人により蹴轆轤を使って成形され天日干し、装飾が施されます。

小鹿田焼の伝統的な装飾として「飛び鉋」「刷毛目」「指描き」「櫛描き」などの図柄がありますが、もっとも特徴的な装飾の1つが、うつわに刻まれたリズミカルで面白い幾何学模様。これは、伝統的な装飾技法でカンナや刷毛を使ってひとつひとつ丁寧に描かれますが、この装飾もろくろを足を使って回転させながら行っていきます。

 

 

 

 

次に釉薬による伝統的な装飾にはいるのですが、作品に打つようにかける「打ちかけ」と作品全体にかける「流しかけ」があります。小物や濃い釉薬をかけたものには、割れやゆ釉薬が飛ばないように他とは別に素焼を行うそうでして、その後、器を窯まで運び登り窯に火を入れていきます。また、小鹿田焼には絵を描かいた装飾はないのも一つの特徴です。

 

 

 

 

また、この小鹿田焼には窯元の名を入れておりません。それは小鹿田焼が窯元全員で行う原土の採取から作品造りが始まる地域ブランドということで、地域が一つの価値観を持ちコミニティを形成し、それを伝承しているというのは窯業に関わらず現在の日本では珍しい仕組みでもあるなと思いました。

 

 

 

 

とまあ、ここまで述べてきた工程のすべて、山あいの地区をそぞろ歩きながら全部拝見することができます。それぞれの窯元のお家も「こんにちは」と、言いたくなるような田舎のお宅でして、その風景と共に川のせせらぎの音と唐臼で土を打つ音だけがゆっくりと山あいに響き渡ります。

本当に騒々しい日々の生活を一旦置いておきたくあるような時間でありました。

 

地区には日田市の小鹿焼工芸館もありまして、小鹿焼の歴史やその銘品なども展示されております。こちらもおススメですので、陶芸と共に癒されたい方にはぜひ一度訪れてみてください。ただし、他県からは、「えいやーっ」の気合が必要です。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

It has become a little cooler. I had almost forgotten about the cooler weather, as if this heat would last forever, but it is now a pleasant time of year.

 

So I took advantage of this opportunity to go a little further afield the other day, and the purpose was to visit a kiln I had been interested in for some time. I have to admit that my visit was not “a bit” interesting. However, since it was an area that I do not get to visit very often, I am glad that I was prepared for the visit. Please read on.

 

The place we visited was “Onta-yaki” in Hita City, Oita Prefecture.

 

Hita is associated with the image of a former imperial domain, an area with abundant and delicious water, but Ontayaki is located about 50 minutes by car from the city center of Hita City in a mountainous area. The pottery produced in the Sarayama area (Sarayama, Motoe-machi, Hita City) is called Ojita-yaki, and is still handmade without the use of machines. The pottery technique was designated a national Important Intangible Cultural Property in 1995, and in March 2008, the entire area (about 14 hectares) was selected as an Important Cultural Landscape along with the terraced rice fields of the Ikenotsuru district under the name “Ojikada-yaki no Sato” (village of Ojikada pottery).

 

The origin of Ogada-yaki pottery dates back to 1705 or 1737, in the middle of the Edo period, when it was established by the deputy governor of Hita, which was under the direct control of the Edo shogunate, to meet the demand for daily utensils in his territory. The kiln was established in the Sarayama area with the financial support of Jubei Kuroki of Otsuru Village, Hita County, who invited San’emon Yanase, and land donated by the Sakamoto family of Oshikada, Tsurukawachi Village, also in Hita County. More than 300 years have passed since the opening of the kiln, and today, nine kilns continue to produce pottery based on the traditions passed down from one generation to the next by the three families in the area.

Muneyoshi Yanagi, the founder of the folk art movement, was inspired by Oshikada-yaki and came to the kiln, writing a travelogue entitled “Sarayama in Hita. In 1970, the Agency for Cultural Affairs designated the kiln as an “intangible cultural asset that should be documented” and in 1995, it was designated as a national intangible cultural asset.

 

Today, Kogada-yaki is still made at nine kilns connected to the three families, and its production method and characteristics are also unique in style. Clay collected in the Sarayama area is crushed using a mortar that utilizes river water for 20 to 30 days, then hand-weighed and dried. Everything is made in this area. In 1996, the sound of the millstone, which echoes with the murmuring of the river and its unique sound, was selected as one of the “100 Soundscapes of Japan to Preserve”.

 

I wanted to visit this village because I saw this scenery on TV, and as I walked slowly through the scenery where a river flows gently through a small village, water is drawn to each kiln, and a mortar is made there, the murmuring of the river and the sound of the mortar echo rhythmically in the mountain village. I looked at the millstones along the way for a while, and felt as if I were melting into the sound and the slow movement of the millstones, which is to say, I was in a daze for a while. It’s a millstone that makes you want to stare at it blankly for a while.

 

The clay is then sieved, the condensed muddy water is drained through a filter called an “oro,” and the clay is finally dried to produce pottery clay.

 

The clay is then dried and the potter’s wheel is used to shape the clay, which is then dried in the sun and decorated.

The most characteristic decoration is the rhythmical and interesting geometric patterns carved on the vessels. This is a traditional decoration technique in which each piece is carefully painted one by one using a canner and brush, and this decoration is also done by rotating a potter’s wheel with a foot.

 

Next comes the traditional decoration with glaze, which can be done in two ways: “uchikake,” which is applied as if striking the work, and “nagashikake,” which is applied to the entire piece. Smaller pieces and those with dark glazes are unglazed separately from the rest to prevent cracks and splashes of glaze, and then the pieces are brought to the kiln and fired in the climbing kiln. Another characteristic of Kogada-yaki is that there is no painted decoration.

 

Also, the name of the kiln does not appear on the pottery. This is because Kogada-yaki is a regional brand that begins with the collection of raw clay, which is done by all the kiln operators.

 

Well, you can see all of the above mentioned processes while strolling through the mountainous area. The houses of each kiln owner are so rural that you want to say, “Hello,” and with the scenery, only the sound of the murmuring river and the pounding of the clay with a mortar slowly echoes through the mountains. It was a time when I really wanted to put my noisy daily life aside for a moment.

 

In the area, there is also the Kogajiyaki Museum of Hita City, which displays the history of Kogajiyaki and its masterpieces. This museum is also highly recommended, so if you are looking for a relaxing experience with pottery, please visit there. However, if you are from other prefectures, you will need to have the spirit of “eeeeeeeeeeee!

 

Have a good day.

 

 

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【鉄瓶・武者小路実篤短冊買取】名古屋市天白区のお客様より買取いたしました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.25

 

 

 

 

名古屋市天白区のお客様より鉄瓶、武者小路実篤短冊などを買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

古美術風光舎では、花器、香合などの買取もおこなっております。

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