4月, 2021 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜

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FROMKYOTOOSAKA

心に残るエッセイスト(愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 より)

2021.04.30

早いもので4月も終わりですね…

ここのところ一段と時間の経つのが早く感じているスタッフTです。

焦ります。そして、なぜかしら昔のことを思い出すんですよ。

今朝、出掛けにチラリと視たテレビ番組のゲストは林真理子さんでした。

その途端、学生時代の想い出がパーッと蘇ってきました~

 

バブル期に学生時代を過ごしたスタッフTにとって、

彼女の『ルンルンを買ってお家に帰ろう』という作品は衝撃的でしたね~。

林真理子さんはコピーライターとして活躍後、

1982年に出版したこのエッセイ集でデビュー。

いきなり当時の大ベストセラーとなったのですが、

なんと言っても その功績は、なんとなく それまでタブー視されていた

ねたみ・そねみ・しっとを世の中に解放したことでしょうか?

それも軽々と!

 
その後、直木賞・吉川英治文学賞・等々を受賞し、

小説家としても不動の地位を確立されています。

今でも第一線で活躍されているなんて素晴らしいですね。

同時代に活躍されたエッセイスト・椎名誠さん、皆様ご存知でしょうか?

武蔵野郊外で美大生時代を過ごしたスタッフTは、椎名先生のご近所に住んでおりました。

(全く知らずに偶然だったんですけどね。作品のファンではありました。)
 
日課だった早朝のジョギング後に御自宅の脇を通るんですが、

スウェットスーツでゴミ出しをするお姿を時々お見掛けするんですね。

ああ、こんなに有名な作家さんでも…と勝手に親近感を感じたりして。

アトリエで課題を終えて夜に通り掛かると書斎で執筆されているのをお見掛けしたり、

客員講師として編集論の講座にいらした時はモグリで聴講させていただきましたよ。

黒板と同化するくらい真っ黒に日焼けして、作家らしからぬご風情。

冒険家の肩書の方がピッタリでした。(編集者でもあり、映画監督でもあり。)
 
著書には『さらば国分寺書店のオババ』など…(なんというタイトルでしょうね。)

昭和軽薄体と評された、擬音語や口語の多様による軽い文体が、なんとも新しく感じたものです。

 
村上龍、村上春樹、山田詠美、影山民生、群ようこ・・・
他にも綺羅星のような作家たちが輝く時代でした。
 
そんな昭和も随分遠くになってしまいました…
平成、そして令和…
 
新しい表現は次々と生まれて行きます。
次の時代を担う世代が今も若い感性でリアルタイムの文化を謳歌しています。
 

It’s early and April is over …

It is Staff T who feels that time has passed more quickly these days.

Do you know Makoto Shiina, an essayist who was active at the same time?

Staff T, who spent his college days in the suburbs of Musashino, lived in the neighborhood of Professor Shiina.

(It was a coincidence without knowing it at all. I was a fan of the work.)
& nbsp;
After jogging in the early morning, which was my daily routine, I pass by the side of my house.

I sometimes see people taking out trash in sweat suits.

Ah, even such a famous writer feels a sense of intimacy without permission.

I saw that it was written in the study when I finished the assignment in the atelier and passed by at night,

When I came to the editorial course as a visiting lecturer, I listened to it at Moguri.

The tan is so black that it is assimilated with the blackboard, and it has an atmosphere that is not like a writer.

The title of an adventurer was more suitable.

His books include “Farewell Kokubunji Bookstore Obaba” … (What is the title?)

The light writing style with a variety of onomatopoeia and colloquialism, which was described as Showa light and thin, is something new.

Such Showa has become far away …
Heisei and Reiwa …
& nbsp;
New expressions are born one after another.
The generation that will lead the next era is still enjoying real-time culture with young sensibilities.

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大切な思い出の品物を整理しなければならないこと、ございますよね。
そんな時は古美術風向舎名古屋店までご相談下さい。
出張買取も致しております。

名古屋近郊だけでなく、愛知・岐阜・三重・その他の地域へも伺えますので、
先ずは皆様よりのご連絡をお待ち申しあげております。

古美術 風光舎 名古屋店(店舗営業時間 10:00~17:00)
052-734-8444
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You have to organize your memorable items,
In such a case, please contact the antique art Fukosya Nagoya.

We also do business trip purchases.
We can visit not only the suburbs of Nagoya but also Aichi, Gifu, Mie, and other areas.
First of all, we look forward to hearing from you.

Antique Art Fukosha Nagoya Store (Store business hours 10: 00-17: 00)
052-734-8444
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琥珀色の楽しみ(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.04.29

 

強めの雨が降り続いている名古屋です。

皆さまは普段、お酒を嗜まれることはおありでしょうか。

スタッフ I 正直、お酒を飲むとふっと心が解放され、癒されることしばしばです笑。

ひとえに飲み物というくくりでも、効能など含めいろいろな不思議さを持っていると思います。

その数、種類、世界中を探せば切りなく集まることでしょう。

お酒のどういうところが好きなの?と聞かれたことがありますが、はて?そこはそんなに深く考えていなかったもので…

そう言われるとお酒そのものの味が好きだったり、ほろ酔い気分になれるのもいいし、ちょっと悩んでいたこともなぁんだちっぽけなことじゃん!とすぐにくよくよが吹き飛んだり…笑

お酒の力を借りて…なんてよく言いますが、上手に付き合えば(大袈裟ですが)簡単にかかる魔法の飲み物…

 

何度かの流行を経て、今や国内でもすっかり定番となったものはウィスキーでしょうか。

ウィスキーのコレクション__これは我が家での密かな趣味であります。

世界を見ればそのブランド数、無限にあるのではないかと思うほどですね。

と言っても、その歴史や知識など奥深さを知る前にまずは口にしてしまっている私(汗)

ちょうどいい機会なので、入門から勉強してみたいと思います。

 

まずは歴史__ 検索記事によると…

ウィスキーが日本に伝わったのは、嘉永6年(1853年)のペリー来航の際だと言われています。

その後は長く”知る人ぞ知る洋酒のひとつ”として珍重されていたようです。

ウィスキーの存在が一般的に知られるようになったきっかけのひとつが、昭和4年(1929年)にサントリーの前身にあたる壽屋(コトブキヤ)が国産ウィスキー第一号を発売したこと。

とはいえ、しばらくの間は一部の富裕層が欧米文化に憧れて嗜むといった程度で、一般庶民への本格的な普及には至らなかったそう。

日本での第一歩、浸透を控えたまだまだ序の段階ですね。

 

ウィスキーが日本で本格的に普及し始めたのは、第二次世界大戦後のこと。

それまで国内の酒類市場は日本酒が主流でしたが、戦後の経済発展にともなうライフスタイルの変化とともに洋酒への関心が深まり、ウィスキーが急速に人気を獲得していきます。

(さすが日本人、よそのものの取り入れ方、早くて上手です!)

昭和37年(1962年)の酒税法改正によって、ウィスキーは特級・1級・2級の3区分に分けられます(級別制度というものですね)

これにより、例えばサントリーであれば「トリスからレッド、ホワイト、オールド、リザーブ、ローヤルへ」というように、消費者が社会的地位向上に応じて、より高級なブランドへと移行するスタイルが定着していったとのこと。

当時のサラリーマンは”自分もいつかはローヤルを飲める身分に”と誰もが思っていたのだとか。

こういった段階を踏んだモチベーション維持の方法、大事ですよね。個人的によくやります^^

ウィスキーが日本経済の発展を示すステータスシンボルとして親しまれていたこと、ここでよく分かりました。

 

そして1970年代に入ると、日本のウィスキー文化はさらに多様化していったようです。

1971年、ウィスキーの輸入自由化に伴って、バーボンやスコッチなどの舶来ウィスキーのブームが到来。

飲みやすい”水割り”の流行もあって、バーやスナックでは「ボトルキープ」が普及。

日本独自のウィスキー文化が育まれていったのですね。

確かにこの年代、実家のチェストには数種のウィスキーボトルが並んでいたこと、子供ながらに記憶しています。

 

日本のウィスキー市場、経済成長ととに続いていた右肩上がりも1983年にピークを迎えて以降、価格の引き上げや酒税の増税などが重なり、次第にその勢いは失速。

さらに折からの酎ハイブームのあおりを受けてウィスキー離れが進み、急速に消費量の勢いは失われていったようです。

流行のかげりが見え始めたころですね。

その後長い低迷期が続いたようですが、2000年代にターニングポイントが!

ウィスキーをソーダで割ったハイボールの流行がその流れを大きく変えたとのこと。

ハイボールはもともと1950~60年代に、アルコール度数の高いウィスキーを日本人向けに飲みやすくしたスタイルとして流行したもの。

(確かに洋画で観るウィスキーやブランデーを飲むスタイルはストレートです)

その後は長く下火となっていましたが、国産ウィスキーメーカーによる積極的なキャンペーンも功を奏し、再びハイボールブームが到来したのです。

皆さまご存じの通り、健康ブーム・カロリーや糖質を気にする人々がシフトしたこともあり、その流行は現在も続いていますね。

若い世代の方々には新しいお酒として、また人生ベテラン組の方々には懐かしいお酒として楽しまれていることと思います。

 

2014年に放映されていたNHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルは、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏。

このマッサン効果に国際的評価も加わって、2000年代後半からは国産ウィスキーへの人気が高まり、私も店頭で手に入らなかった経験がありますが、生産が追いつかず品薄になることも。

世界的にも盛り上がりを見せるウィスキーブームは、従来のアイルランド・スコットランド・アメリカ・カナダ・そして日本といったウィスキー大国以外の新興国にもおよび、現在ではインドや台湾、オーストラリアなど様々な国で造られたウィスキーも数多く輸入されているそうです。

それから、海外の方に日本のウィスキーをプレゼントしても大変喜んでいただけますよ。

 

”黒船とともに来航してから150年以上もの歴史を持つ日本のウィスキー市場。時代ごとの流行に左右されながらも、その長い歴史を通じて、世界的にもユニークな独自のウィスキー文化を育んできた”

ウィスキーの日本での生い立ち、少し垣間見ることができました。

 

つい最近、買いためていた自分のストックから普段のご褒美に⁈ 一本開封。

『日本のウィスキーづくり__約1世紀の歴史を経て、世界から高く評価される存在に__

アイリッシュ・スコッチ・アメリカン・カナディアン・ジャパニーズ。

それぞれの風土、歴史が育んだ個性豊かな「世界5大ウィスキー」を「ブレンド」して新しい個性をつくる。』

こう謳われていることで有名な碧色ラベルのボトルです(ネーミングそのままです笑。)

”世界の多彩な原酒から選定し、匠のブレンドの技で完成させたプレミアム・ブレンデッドウィスキー”との説明書き。

高級なものほどストレートでと教わってきましたが、やはり味や香りの違いは格別!

素人ながらその華やかさ、スモーキーさなど奥深さの違いはわかりました。

(私にはちょっと年季が入りすぎた味わい⁈まだまだ浅いですね…美味しさはもちろんです!)

 

古美術に触れていると、作家さんたちの制作した意図や伝えたい思いなどを汲み取るようになりました。

このウィスキーも作り手の方々の大変な労力や情熱、様々な思いが込められていることを感じます。

飲んでしまうのは一瞬ですが、これも一種の芸術品として味わう、そして特別なひとときをもたらしてくれるものと思うと感謝の気持ちも湧いてきます。

普段に定着しているものにこそありがたさを忘れてはならないなと…。

GW中といっても望むように行動できないことも多いと思いますが、ステイホームでならではの楽しみ方を皆さまそれぞれお持ちだと思います。

連休期間限定、映画やドラマを無料公開しているサイトもあります。

おうちにいながらも皆さま、充実したお時間を楽しまれますよう…

今夜も琥珀色の飲み物に癒してもらおうかな…♪

 

 

It is Nagoya where heavy rain continues.

Do you usually enjoy alcohol?

Staff I Honestly, drinking alcohol often releases my heart and heals me lol.

I think that even if it is just a drink, it has various mysteries including its efficacy.

If you look for the number, type, and world, you will be able to gather together.

What do you like about alcohol? I’ve been asked, but what? I didn’t think so much about it …

When I say that, I like the taste of sake itself, it’s nice to feel tipsy, and I’m a little worried about it, it’s a tiny thing! As soon as I knew it, it blew away … lol

Borrowing the power of liquor … I often say, but if you get along well (exaggerated), it’s a magical drink that can be easily taken …

 

After several fashions, is whiskey now a staple in Japan?

Whiskey Collection __ This is a secret hobby at home.

Looking at the world, I think there are an infinite number of brands.

Even so, I’ve said it before I knew the depth of its history and knowledge (sweat)

It’s a good opportunity, so I’d like to study from the beginning.

 

First of all, according to the history __ search article …

It is said that whiskey was introduced to Japan when Perry arrived in Kaei 6 (1853).

After that, it seems that it was prized as “one of the Western liquors known to those in the know” for a long time.

One of the reasons why the existence of whiskey became generally known was that Kotobukiya, the predecessor of Suntory, released the first domestic whiskey in 1929.

However, for a while, some wealthy people longed for Western culture and loved it, so it did not reach the general public in earnest.

It’s the first step in Japan, and it’s still in the early stages of penetration.

 

Whiskey began to spread in Japan in earnest after World War II.

Until then, sake was the mainstream in the domestic liquor market, but as lifestyles changed with the postwar economic development, interest in Western liquor deepened, and whiskey rapidly gained popularity.

(As expected, Japanese people are quick and good at incorporating Yo itself!)

Due to the revision of the Liquor Tax Law in 1962, whiskey can be divided into three categories: special grade, first grade, and second grade (it is called a classification system).

As a result, for example, in the case of Suntory, the style of consumers shifting to higher-end brands as their social status improves, such as “from Tris to red, white, old, reserve, and royal,” has become established. It was said that.

Everyone thought that the office workers at that time would be able to drink royal one day.

It’s important to have a way to maintain motivation that goes through these steps. I often do it personally ^^

It is well understood here that whiskey was popular as a status symbol indicating the development of the Japanese economy.

 

And in the 1970s, Japanese whiskey culture seems to have become more diverse.

In 1971, with the liberalization of whiskey imports, the boom of imported whiskey such as bourbon and scotch arrived.

Due to the trend of “mizuwari”, which is easy to drink, “bottle keep” is popular at bars and snacks.

You have nurtured a unique Japanese whiskey culture.

Certainly, as a child, I remember that there were several types of whiskey bottles lined up in my parents’ chest during this period.

 

The Japanese whiskey market and economic growth have continued to rise, but since peaking in 1983, price increases and liquor tax increases have combined, and the momentum has gradually slowed down.

Furthermore, it seems that the momentum of consumption was rapidly lost as whiskey moved away from the occasion due to the high boom of soybeans.

It was around the time when the trend was beginning to appear.

It seems that a long period of stagnation continued after that, but there was a turning point in the 2000s!

The trend of highball, which is whiskey divided by soda, changed the trend.

Highball was originally popular in the 1950s and 1960s as a style that made whiskey with a high alcohol content easier to drink for Japanese people.

(It is true that the style of drinking whiskey and brandy that you see in Western movies is straightforward.)

After that, it had been down for a long time, but the aggressive campaign by domestic whiskey makers was also successful, and the highball boom came again.

As you all know, the health boom, calories and sugar-conscious people have shifted, and the epidemic is still going on.

I think that the younger generation will enjoy it as a new sake, and the veterans of life will enjoy it as a nostalgic sake.

 

The model of the NHK serial TV novel “Massan” that was aired in 2014 is Masataka Taketsuru, the founder of Nikka Whiskey Distillery.

With the addition of international acclaim to this Massan effect, domestic whiskey has become more popular since the latter half of the 2000s, and I have had the experience of not being able to obtain it at stores, but production may not be able to keep up and it may run out.

The whiskey boom that is booming worldwide has spread to emerging countries other than the traditional whiskey powers such as Ireland, Scotland, the United States, Canada, and Japan, and now whiskey made in various countries such as India, Taiwan, and Australia. Is also imported in large numbers.

Also, if you give Japanese whiskey to foreigners, you will be very pleased.

 

“The Japanese whiskey market has a history of more than 150 years since it came with Kurofune. Through its long history, it has cultivated a unique whiskey culture that is unique in the world, despite being influenced by the trends of each era.”

I was able to get a glimpse of how whiskey was born in Japan.

 

Just recently, I opened a bottle from my stock that I had bought as a regular reward.

“Japanese whiskey making __ After about a century of history, it has become highly regarded by the world __

Irish Scotch American Canadian Japanese.

Create a new personality by “blending” the unique “5 major whiskeys in the world” nurtured by each climate and history. 』\

It is a bottle with a blue label that is famous for being sung like this (the naming is the same lol.)

An explanation of “Premium blended whiskey selected from a variety of raw liquors from around the world and completed by the blending technique of craftsmen.”

I’ve been taught that the higher the quality, the straighter it is, but the difference in taste and aroma is exceptional!

Although I was an amateur, I understood the difference in depth such as its gorgeousness and smokyness.

(It’s a little too old for me⁈ It’s still shallow . Not to mention the deliciousness!)

 

When I was exposed to antique art, I came to understand the intentions and desires of the artists.

I feel that this whiskey also incorporates the great effort, passion, and various thoughts of the creators.

It’s a moment to drink, but it’s also a kind of work of art, and I’m grateful to think that it will bring a special moment.

We must not forget the gratitude for what is usually established.

I think that there are many cases where you cannot act as you wish even during Golden Week, but I think that each of you has a unique way of enjoying your stay at home.

Some sites offer movies and dramas for free during consecutive holidays.

I hope you all enjoy a fulfilling time while staying at home .

I wonder if I’ll be healed by an amber drink tonight ♪

 

 

ここ風光舎では古酒の買取もさせていただいております。

貴重で自慢のコレクションをお持ちの方、ぜひご披露くださいませ。

また、生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方もいらっしゃると思います。

古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

Here at Fukosha, we also buy old sake.

If you have a valuable and proud collection, please show it off.

I think that some people are organizing important items as their lifestyle changes.

At Fukosha, we purchase various genres such as paintings, jewelry, and hobby items in addition to antiques and antiques.

Please feel free to contact us even if you have been tidied up and are wondering if this kind of thing is okay.

 

Fukosha is also strengthening business trip purchases.

We will make business trips not only to Aichi prefecture but also to Gifu prefecture, Mie prefecture and other prefectures.

No matter how close you are, we are looking forward to hearing from you.

 

Chikusa-ku, Nagoya-shi, Aichi, antique purchase “Antique Fukosha Nagoya store”

TEL: 052-734-8444

SDGsを普段の生活に意識してみました。(愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎名古屋店 骨董買取いたします)

2021.04.28

 

 

こんにちは。スタッフYです。

いよいよ、ゴールデンウィーク突入。といっても本日は雨。香炉の寿老人と外の雨を眺めております。ゴールデンウィークといいつつも、今年はそのような気分ではない方も多いこと拝察いたします。「まぁ、生きているとそういうこともある。」と、戦時中に育ったYの母親に言われると何も言えなくなりましたが、参りましたね汗。

 

ならば、新しい生活に向けた知識を見直そうと、最近気になっていたSGDsについて、このゴールデンウィーク中に意識してみようと思い立ちました。

SDGsは皆さまご存じの通り、Sustainable Development Goalsの頭の文字を合わせた言葉で、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されています。読み方は、SDGs(エスディジーズ)。2015年9月、ニューヨーク国際本部にて開かれた国際サミットで、150を超える加盟国首脳の全会一致で採択されました。これは、2016年から2030年の15年間で達成する目標を記したもので、「地球上の誰一人取り残さない」という強い意志のもと、地球を保護しながら、あらゆる貧困を解消し、すべての人が平和と豊かさを得ることのできる社会を目指し設定されました。

 

SDGsには、あのカラフルなロゴでもおわかりの通り、17の大きな目標と、それらを達成するための具体的な169のターゲットで構成されています。17個の目標を眺めると、特に企業や個人の生活と関わりがあり,すぐにでも取り組めそうなSDGs目標12「つくる責任 つかう責任」が目につきました。「つくる責任 つかう責任」がキャッチコピーのSDGs目標12は「持続可能な生産消費形態を確保する」が目標として掲げられています。それまでの大量生産大量消費から、少ない資源で生産性をあげ良いものを使えるようにし、さらには廃棄自体も減らす社会構造を作っていこう、という目標なのです。

このSDGs 目標12は、「経済」「社会」「環境」の三側面を総合的に成長させようとするSDGsの考えをすべて反映している目標であるため、様々な場で重要視されています。

 

目標の中には、それぞれ具体的な行動指針のようなもの(ターゲット)があるのですが、特に12.1にかかげている、“ 10YFPには、(「ジャパンSDGsアワード」の審査員の一人でもある 蟹江憲史さんの著書(SDGs(持続可能な開発目標)/中公新書)によると、)「持続可能な公共調達」、「消費者情報」、「持続可能なツーリズム、エコツーリズム」、「持続可能なライフスタイル及び教育」、「持続可能な建築・建設」、「持続可能な食糧システム」という6つのプログラムがあり、それぞれに関する政策や情報共有、実施のためのツール開発などが行われているとのこと。つまり、世界の持続可能な消費と生産を推進する取り組みを行ないましょうというもののようです。確かに生活に密着したこの目標12は、比較的一般の人にも身近に取り入れやすい目標ですね。

難しいことは置いておいて、

 

・食品ロスをなくす

・エコロジカル・フットプリント(原料から製造・消費、そして廃棄にいたるまでに、環境に負担をかけないようにする。詳しくは SDGsのHPへ)

・3Rなどのリサイクル活動をする

・エシカル消費(人権や地球環境に配慮した倫理的な消費を行いましょう、といった意味合いを持ちます。)

 

ここから、意識してみることに。

 

 

 

 

例えば、昨日スタッフYの夕飯。まず健康のためスーパーマーケットまで徒歩で向かう。エコバックにて買い物、食品ロスのないように計画的に買い物。残すところなく胃袋へ。これで良いようです。さらに、むいた皮などを肥料にしたり出来る方は、さらに上級者でしょうか。さすがに、そこまでは行き届きませんが、結構今までの生活の中にも達成できていることもありました。こうやって、日々の生活の中で達成できていることを振り返るだけでも良いようです。

 

そもそも量生産大量消費、CO2排出量が増えたのはここ100年くらい。ここ古美術風光舎にあります巡り巡ってきた100年以上前の古美術のお皿などまだ使えますものね。それよりなにより経年の良さや過去の技術などによって、物そのものをさらに価値あるものに。その価値を、歴史や人権や地球環境に配慮した知識を少し取り戻した2021年の私たちには理解できるようになりました。これまでの100年の生活に後戻りはできませんが、少し戻してみるのはそんなに難しくないのかなとも思いました。

 

Hello. This is Staff Y.

Finally, Golden Week has entered. However, I understand that there are many people who do not feel like that this year. “Well, that’s what happens when I’m alive,” said my mother, who grew up during the war, and I couldn’t say anything. I’m sweating. Then, in order to review my knowledge for a new life, I decided to be aware of the SGDs that I was interested in recently during this Golden Week.

As you all know, SDGs is a combination of the acronyms for Sustainable Development Goals, which is translated as “Sustainable Development Goals” in Japanese. The reading is SDGs. It was unanimously adopted by the leaders of more than 150 member states at the International Summit held at the United Nations International Headquarters in September 2015. This describes the goals to be achieved in the 15 years from 2016 to 2030, and with the strong will to “leave no one on the planet”, while protecting the planet, all poverty is eliminated and everything is done. It was set with the aim of creating a society where people can obtain peace and affluence.

As you can see from the colorful logo, the SDGs consist of 17 major goals and 169 specific targets to achieve them. Looking at the 17 goals, I noticed SDGs Goal 12, “Responsibility to Create, Responsibility to Use,” which is particularly related to the lives of companies and individuals and is likely to be tackled immediately. “Responsibility to make and responsibility to use” is a catch phrase SDGs Goal 12 has the goal of “securing a sustainable production and consumption form”. The goal is to create a social structure that increases productivity and uses good products with a small amount of resources, and also reduces waste itself, from the mass production and mass consumption up to that point.

This SDGs Goal 12 is important in various places because it is a goal that reflects all of the SDGs’ ideas to comprehensively grow the three aspects of “economy,” “society,” and “environment.” ..

 

Each of the goals has something like a concrete action guideline (target), but especially in 12.1, “10YFP is also one of the judges of the” Japan SDGs Award “. According to Norichika Kanie’s book (SDGs (Sustainable Development Goals) / Chuko Shinsho)) “Sustainable Public Procurement”, “Consumer Information”, “Sustainable Tourism, Ecotourism”, “Sustainable” There are six programs, “Lifestyle and Education,” “Sustainable Architecture and Construction,” and “Sustainable Food System,” and policies, information sharing, and tool development for implementation are being carried out. thing. In short, it seems to be an effort to promote sustainable consumption and production in the world. Certainly, this goal 12, which is closely related to daily life, is a goal that is relatively easy for the general public to adopt.

Aside from the difficult things

・ Eliminate food loss

・ Ecological footprint (to avoid burdening the environment from raw materials to manufacturing / consumption and disposal)

・ Recycling activities such as 3Rs

・ Ethical consumption (It has the meaning of ethical consumption that considers human rights and the global environment.)

From here, I decided to be aware of it.

 

For example, yesterday staff Y’s supper. First, for good health, walk to the supermarket. Shop at the eco bag, and shop systematically so that there is no food loss. To the stomach without leaving anything. This seems to be good. Furthermore, is it even more advanced if you can use peeled skin as fertilizer? As expected, it didn’t go that far, but there were times when I was able to achieve it in my daily life. In this way, it seems that you can just look back on what you have achieved in your daily life.

In the first place, mass production and mass consumption and CO2 emissions have increased in the last 100 years. You can still use the antique plates that have been around for more than 100 years here at Fukosha. Above all, the goodness of aging and past technologies make the thing itself even more valuable. Its value has come to be understood by us in 2021, who have regained a little knowledge of history, human rights and the global environment. I can’t go back to my 100 years of life, but I wondered if it would be so difficult to go back a little.

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古美術風光舎名古屋店も、皆様のSDGsの活動にお役に立てたらと思っております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

また風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

We hope that the antique art Fukosha Nagoya store will also be useful for your SDGs activities.

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Fukosha is also strengthening business trip purchases.

We will make business trips not only to Aichi prefecture but also to Gifu prefecture, Mie prefecture and other prefectures.

No matter how close you are, we are looking forward to your call.

 

Chikusa-ku, Nagoya-shi, Aichi, antique purchase “Antique Fukosha Nagoya store”

TEL: 052-734-8444

ベストセラーの裏側(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.04.27

 

皆さま、こんにちは。

巷では、米ロサンゼルスで行われたアカデミー賞の授賞式が話題のひとつでしょうか。

大御所アンソニー・ホプキンスが『羊たちの沈黙』以来、2度目のオスカー受賞。

83歳での主演男優賞受賞は史上最高齢の快挙とのことですが、今回のハプニングから察するに、ご本人は気にも留めていなかったご様子。

(予想されていなかったので⁈本人は欠席、名誉ある受賞に誰も壇上に登場することなく突然の幕切れだったとのこと)

他にも中国出身のクロエ・ジャオ監督がアジア系女性監督では史上初の受賞や、韓国出身の俳優がこちらも史上初の演技賞受賞の快挙ということでアジアの勢いが話題になっていますね。

当然コロナ禍での開催とあっては会場や進行など様々な構成変更をしなければなりませんし、従来とは違う形ではなおさら予期せぬ出来事は起こるものですね。

時には政治や社会問題を持ち込まれ何かと話題をさらうアカデミー賞ですが、私は純粋に作品を楽しみたいなと吞気なことを思ってしまいます。

 

先日、スタッフ I は1年以上前に公開された『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』(2019)を鑑賞。

フランス・ベルギー合作のスリラー映画でありますが、ダン・ブラウン原作の小説『ロバート・ラングトン』シリーズの4作目『インフェルノ』出版の際、海賊行為と違法流出を恐れた出版元が著者ブラウンの同意のもと、各国の翻訳家を地下室に隔離して翻訳を行ったとの実話をベースにしている__ミステリーさが興味をかき立てられる内容なんです。

(ダン・ブラウン作品の多くは日本だと越前敏弥氏が翻訳を担当されていることが多いですが、越前氏も果たしてその境遇に置かれていた⁈とはちょっと考えられませんが…う~ん、そこは定かではありません)

もちろんそんな出版秘話を知る由もなく、私は一読者としてその推理にわくわくしながら『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズを読破していました。

まずこの映画を観ると、日本と海外とでは翻訳という職業はちょっとリスペクト具合が違うことがわかります。

欧米では翻訳家の名前がクレジットされないことも多いようです。

一方日本では、必ずというほど翻訳家の略歴も名前とともに載っていますよね。

現に、文豪・潤一郎さん(スヌーピーと仲間たちの「ピーナッツ」の翻訳は有名ですね)や、ユーモア小説を機知に溢れた翻訳で楽しませてくれる森村たまきさん、モンゴメリ作品のファンなら知らない方はいない「赤毛のアン」シリーズの翻訳家・村岡花子さんなど、日本が誇る名翻訳家はたくさんいらっしゃいます。

翻訳家さんによって、そのお話の持つ印象まで変わってくるのでとても重要だなと私は思っているのですが…

 

そして、超人気作品が世に出される陰には、

”HBO(アメリカのケーブルテレビ放送局)はハッカーたちによって「ゲーム・オブ・スローンズ」を脅かされたと、サイバー攻撃があったことを認めている”

”金を支払わなければ、作品をオンラインで公開するとディズニーを脅迫した”

などといった様々な犯罪に巻き込まれる事案がいくつもあるようです。

やはり金銭の支払いを拒めないという場合が必ず起こっているのですね…

ハッカーさんたち、そんなに天才ならもっと他のことに労力を費やせばいいのにといつも思いますが…

全てをかけエンターテインメントを創作する方々を思うと悔しすぎます(泣)

 

ちょっと重くなってしまったので明るい方へシフトして、この映画の監督はヒット作『タイピスト!』のレジス・ロワンサル。

そして音楽担当はこれまた日本が誇る作曲家・三宅純氏であります。

(『人間失格 太宰治と3人の女たち』のサントラもこの方)

スタイリッシュな全編の音楽がミステリー感を格上げしています。

 

なにはともあれ、個人的に翻訳家というお仕事をされている方、尊敬です。

一時期、全巻を繰り返し読むほどハリポタ狂であった我が子に、ハリーポッターの洋書が欲しいと言われ、逆翻訳戦法で英語の学習かぁと親としては喜んで早々に取り寄せてみたものの、はて、新品のまま一年以上飾ってある次第です。笑

期待したのも束の間、いやいや子供らしい予想通りの反応です。

日本人向けにわかりやすく、ぐいぐい引き込ませてくれる日本語訳、世界を広げてもらって本当にありがたいです。

原文を自分なりの解釈で読めたらさぞ面白いだろうとは思うのですが、私もまだまだ勉強不足…(汗)

今回の連休はもっぱら英語漬けで追い込んでみようかと思ったのも一瞬。

休みの日こそ頭を解放したくなるまだまだ甘い自分でした。笑

(風光舎は連休中も営業しております。お電話お待ちしております。)

 

Hello everyone.

Is the award ceremony of the Academy Awards held in Los Angeles, USA one of the topics in the streets?

Anthony Hopkins, the mogul, won the Oscar for the second time since “The Silence of the Lambs”.

It is said that winning the leading actor award at the age of 83 is the oldest achievement in history, but from this happening, it seems that he did not even notice.

(Because it was not expected,⁈ he was absent, and it was a sudden end without anyone appearing on the stage for the prestigious award)

In addition, the momentum of Asia has been talked about because director Chloe Zhao from China won the first Asian female director’s award, and the actor from South Korea also won the first acting award in history. ..

Of course, when the event is held in Corona, we have to make various structural changes such as the venue and progress, and even more unexpected events will occur in a different way than before.

Sometimes it’s an Academy Award that brings in political and social issues and gets a lot of attention, but I’m sick of purely wanting to enjoy the work.

 

The other day, Staff I watched “The Translators Captive Best Sellers” (2019), which was released over a year ago.

It is a thriller movie co-produced by France and Belgium, but when the fourth work “Inferno” of the novel “Robert Langdon” series based on Dan Brown was published, the publisher who feared piracy and illegal leakage agreed with the author Brown. Originally, the content is interesting because it is based on the true story that translators from each country were isolated in the basement and translated.

(Most of Dan Brown’s works are translated by Toshiya Echizen in Japan, but I can’t think that Mr. Echizen was in that situation too … Hmm, I’m not sure there)

Of course, without knowing such a secret story of publication, as a reader, I was excited about the reasoning and read through the “Da Vinci Code” series.

First of all, when you watch this movie, you can see that the profession of translation is a little different between Japan and overseas.

In Europe and the United States, translators’ names are often not credited.

On the other hand, in Japan, the biography of translators is almost always included with their names.

In fact, literary master Junichiro (the translation of Snoopy and his friends’ “peanuts” is famous), Tamaki Morimura who entertains humorous fiction with witty translations, and those who are fans of Montgomery’s work do not know. There are many famous translators that Japan is proud of, such as Hanako Muraoka, a translator of the “Akage no Anne” series.

I think it’s very important because the impression of the story changes depending on the translator .

 

And in the shadow of the super popular works being released to the world,

“HBO (American cable television station) admits that there was a cyberattack, saying that hackers threatened the” Game of Thrones “.”

“If you don’t pay, you threatened Disney to publish your work online.”

It seems that there are many cases involved in various crimes such as.

After all, there are always cases where you do not refuse to pay money .

Hackers, I always think that if you’re such a genius, you should spend more effort on other things .

It’s too regrettable to think of people who put everything into creating entertainment (crying)

 

It got a little heavier, so I shifted to the brighter side, and the director of this movie was the hit movie “Typist! 』Regis Roinsal.

And the musician is Jun Miyake, another Japanese composer.

(This is also the soundtrack to “No Longer Human Osamu Dazai and the Three Women”)

The stylish full-length music enhances the mystery.

 

Anyway, I personally respect my job as a translator.

For a while, my child, who was so crazy about reading the whole volume repeatedly, was told that he wanted a foreign book of Harry Potter, and as a parent I was happy to order it as soon as possible as a parent learning English with reverse translation tactics. , It depends on having been displayed as new for over a year. Lol

What I expected was a fleeting, no, childish, expected reaction.

I think it would be interesting if I could read the original text in my own way, but I’m still lacking in study . (sweat)

For a moment, I thought I’d try to drive in English during the Golden Week holidays.

I was still sweet when I wanted to release my head on my days off. Lol

(Fukosha is open even during consecutive holidays. We look forward to your call.)

 

 

生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方もいらっしゃると思います。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

また風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

I think that some people are organizing important items as their lifestyle changes.

At Fukosha, we purchase various genres such as paintings, jewelry, and hobby items in addition to antiques and antiques.

Please feel free to contact us even if you have been tidied up and are wondering if this kind of thing is okay.

 

Fukosha is also strengthening business trip purchases.

We will make business trips not only to Aichi prefecture but also to Gifu prefecture, Mie prefecture and other prefectures.

No matter how close you are, we are looking forward to hearing from you.

 

Chikusa-ku, Nagoya-shi, Aichi, antique purchase “Antique Fukosha Nagoya store”

TEL: 052-734-8444

 

 

 

 

 

 

 

『忘筌』(ぼうせん)(愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 骨董買取)

2021.04.26

『得魚忘筌』(とくぎょぼうせん)

先日の茶道のお稽古場にかかっていた掛軸の言葉です。

 

うおを得えてせんわする」と訓読します。

四字熟語として調べると_

「魚を捕ると使っていた道具のことを忘れる」という意味で、

目的を達すると、その嬉しさで、それまでに役立ったものを顧みなくなることの喩え。

恩を受けて報いることを忘れるという意味でも用いる。_と出てきます。
 

しかしながら、禅語として読み解くときは、逆とも取れる解釈がなされます。


 
中国の古典、『荘子』外物篇より_がいぶつへん

 

せんうお
所以ゆえん、魚を得て筌を忘る。ていうさぎに在る
所以、兎を得て蹄を忘る。げんは意に在る所以、

意を得て言を忘る。

われいづくにか忘言ぼうげんの人を得て、

れとともに言わんや。

 

川に仕掛ける筌は、魚をとるための道具であり、

魚をとってしまえば、もはや用のないもの。

また、言葉や文字は、意、即ち心のあり方を説明する手段道具でしかないはずなのに、

言葉や文字を余りに重用しすぎて、「意」をないがしろにしている……

あくまでも筌は魚をとるための道具であり、

言は意を伝える手段でしかない。
 
「何が目的で、何が手段なのか、間違いのないように注意せよ」というわけです。

 

 
このお軸を前にしてスタッフTの心に中に浮かんできたのは、

京都・大徳寺にある孤篷庵こほうあんの茶室「忘筌ぼうせん」。

小堀遠州の名付けた茶室と言われています。

小堀遠州は茶人としては古田織部に就いて研鑚し、遠州流の開祖といわれるほどになります。

晩年に至っては作事奉行、造園奉行として各地に名園名建築を残した人物でもあります。
「綺麗さび」といわれる風致は、都会的な雰囲気の中で、もの静かな優雅を表現する所に特徴があり、

特に茶室の建築には、その家風がしのばれます。

大徳寺の龍光庵の密庵みつたん、南禅寺金地院の八窓の席、などが特に有名です。
後に徳川家光の茶道指南にもなったので名声が高まりますが、

正保四年(一六四七)

 

きのふといひけふとくらしてなすことも なき身のゆめのさむるあけぼの

 
と辞世の句を残して六十九年の生涯を閉じ、自らが開基となった孤篷庵に葬られます。
遠州は大切な茶室を「忘筌」と命名して、目的と手段を取り違えることなく、

茶道の原点に返る事を教えたのではないでしょうか。

 

茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる事を知るべし
                           千利休

 

 

実はもう一つ!お軸を前にして閃いたフレーズがあるんです。

ブルース・リーの映画の中の_

そう、あの有名な “Don’t think. Feeeel !” (←Feelじゃなくて、ここは敢えてFeeeee!で ^^)

「考えるな。感じろ!」ってヤツです。

 
そして、その後にこそ本当に大切な言葉が続くんですよね。

“ It’s like a finger pointing away to the moon.

Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”

「それは月を指差すようなものだ。その月を示す指を見つめるのではなく、

指で示された月こそが目的である栄光なんだ」_といったところでしょうか。

    月=目標・結果・ゴール
    指=手段       

 
そこに到達するためには考えに考え抜かなければならないでしょう。

それさえも忘れるほどの境地に辿り着け!ということだと解釈してます。


 

自己の茶道歴を振り返ってみると…もう何も考えなくても

自然に出来るようになったことも、ある…一応あるんですよ。

でも基本の袱紗捌きは今一度、特訓中。

(以前の別の流派の作法が出てきてしまうんですね。

ある意味、手が覚えてしまって、無意識に出てくるんですが。

使い分けられるようにならないと...;)

今日もまだまだ手段に囚われて、

なかなか目的に到達できないスタッフTですね~。

 

“Tokugyobosen”

It is a word of a hanging scroll that was hanging on the tea ceremony lesson the other day.

 

If you look it up as a four-character idiom, _

In the sense that “when you catch a fish, you forget about the tools you used”

When you reach your goal, the joy of it is the metaphor of not looking after what has been useful until then.

It is also used to mean forgetting to benefit and reward. _ Will appear.

However, when it is read as a Zen word, it is interpreted in the opposite way.

The uke set in the river is a tool for catching fish,

Once you catch a fish, it’s no longer useful.

Also, words and letters should only be tools to explain the meaning, that is, the state of the mind.

I overuse words and letters and neglect “meaning” …

The uke is just a tool for catching fish,

Words are only a means of communicating.

Be careful not to make a mistake about what the purpose is and what the means is.

That’s why.

 

What came to the mind of Staff T in front of this axis was

Kohoan’s tea room “Oblivion Bousen” in Daitokuji Temple, Kyoto.

It is said to be a tea room named by Kobori Enshu.

As a tea master, he studied Furuta Oribe and is said to be the founder of the Enshu style.

In his later years, he was also a person who left behind famous buildings in various places as a magistrate and a landscaping magistrate.
The scenery called “beautiful rust” is in an urban atmosphere.

It is characterized by expressing quiet elegance,

Especially in the construction of the tea room, the style of the house is extended.

Mitsutan, a secret hermitage of Ryukoan in Daitokuji, and Hassō-an seats in Konchiin, Nanzenji, are especially famous.
Later, Iemitsu Tokugawa became a tea ceremony leader, so his fame increased, but

4th year of Shoho (1647)

 

You can also live with Kinofutoi Hikefu
Yume no Samuru Akebono without a body

 

After leaving the phrase of death poem, he closed his life of 69 years.

He is buried in Koho-an, where he was founded.
Enshu named the important tea room “Oblivion”

Without confusing the purpose and means

I think he taught me to return to the origin of the tea ceremony.

You should know that the tea ceremony is just boiling water, making tea and drinking.
Sen no Rikyu

 

Actually another one! There is a phrase that flashes in front of the axis.

_ In Bruce Lee’s movie

Yes, that famous “Don’t think. Feeeel!” (← Not Feel, this is Feeeee! ^^)

“Don’t think. Feel!”

 

Actually, important words follow after that.

“It ’s like a finger pointing away to the moon.

Do n’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory. ”

“It’s like pointing at the moon. Instead of staring at the finger that points to the moon,

The moon indicated by the finger is the glory that is the purpose. ”

Month = Goal / Result / Goal
Finger = means

You will have to think through your thoughts to get there.

You’ve reached a point where you can forget even that! I interpret it as that.

 

Looking back on my tea ceremony history … I don’t have to think about anything anymore

There are times when I can do it naturally …

However, the basic Fukusa handling is once again under special training.

(You’ve come up with another way of doing things before.

In a sense, my hand is remembered and it comes out unconsciously.

I have to be able to use it properly. .. .. 😉

I’m still trapped in the means today

It’s Staff T who can’t easily reach the goal.

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大切な思い出の品物を整理しなければならないこと、ございますよね。
そんな時は古美術風向舎名古屋店までご相談下さい。
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052-734-8444
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夏日(愛知県名古屋市千種区 骨董買取 古美術風光舎より)

2021.04.25

こんにちは。名古屋では日増しに気温も上がり、五日ほど前には今年初めての夏日を迎えました。

全国的に最高気温が25℃以上の地域が増え、九州では何と30度を超しているところもあるそうです。

汗ばむような陽気、体調管理にどうぞ気を付けてくださいね。

 

ところで皆さま、読書週間はいつなのか知っていますか?

読書の秋という言葉に連想される通り、十月の後半から、十一月にかけてです。

 

終戦間もない1947年の日本で、「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと開催されたのが始まりだそうです。

今日に至るまで、読書週間は愛され続けており、昨年も感染症対策を行いながら、企画が多く用意されました。

 

また、読書週間の始まる10月27日は「文字・活字文化の日」として認定されました。

ところで、文字と活字は何が違うのでしょうか。

文字は、人間が発している言葉を目で見て理解できるよう、図式化したもの。活字は、活版印刷によって印字された文字のことを指すそうです。

 

日本の国民的行事として、定着した「読書週間」ですが、なんと「こどもの読書週間」というものもあります。

四月の後半から、五月にかけてのちょうど今の時期です。図書館や学校などで、ポスターをご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

こどもの読書週間が始まったのは、1959年のことです。子どもたちに、本を読む楽しさを知っていてほしいという思いもありますが、

子どもだけではなく、大人が子どもの読書について今一度考えてみてほしいという願いも込められているそうです。

 

 

忙しい毎日の中、すこし立ち止まって本を読む時間を持ちたいものです。

(皆さまの子ども時代の、お気に入りの本は何ですか?いつかお聞きしたいです。)

 

Hello. The temperature rose in Nagoya day by day, too and reached the first summer day this year approximately five days ago.

Areas with more than 25 degrees Celsius of highest temperature increase, and there seems to be the place where I am more than what and 30 degrees nationwide in Kyushu.

Please be careful about sweating weather, physical condition management.

 

By the way, when do you know Book Week, everyone?

As is associated by the word autumn of reading, from the latter half of October to November.

 

It seems to begin to have been held the cause of the determination, the end of the war “will make a peaceful civilized nation by power of reading” in Japan of few 1947.

I continued being loved in Book Week, and there were many plans and was prepared to this day while performing infectious disease measures last year.

 

In addition, I was authorized as “a letter, printing type Culture Day” on October 27 when Book Week began.

By the way, what will the printing type be different from a letter in?

I schematized it that the letter watched the words that a human being issued with eyes and understood it. The printing type seems to point at a letter printed by type printing.

 

It is “Book Week” when I colonized as a national event of Japan, but there is the thing called “Book Week of the child” how, too.

It is the just present time from latter half of April to an azalea. The person who saw a poster at a library or a school may come.

It is about 1959 that Book Week of the child began. There is thinking to want children to know the pleasure to read a book,

Not only the child but also the wish that an adult wants you to think about reading of the child once again seems to be loaded with.

 

In busy every day, I want to have time to stop a little, and to read a book.

(what the book of the favorite of your child era is I want to ask you sometime.)

 

 

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植物学の日(愛知県名古屋市千種区 骨董買取 古美術風光舎名古屋店より)

2021.04.24

皆さま、こんにちは。

本日は、植物学の日です。なぜ今日が植物学の日なのか、知っていますか?

 

本日四月二十四日は、植物学者である牧野富太郎博士の誕生日です。

牧野博士は1862年、今からおよそ160年前の高知県に生まれました。豊かな自然の中で幼いころから植物へ興味を持ち、植物を採集しては名前を調べ、覚えていたそうです。

 

日本の植物がまだあまり解明されていなかった時代、日本全国を調査し、植物を記録した博士は、「植物学の父」や、「日本の植物分類学の第一人者」とも呼ばれています。牧野博士が学名を付けて記録した植物は、およそ1500種以上、収集した標本資料はおよそ40万枚と言われています。

 

また、博士は植物知識の普及にも心血を注ぎました。同好会や講演会を積極的に開催し、園芸学校や高等学校でも講演を行いました。そして、学術雑誌の創刊にも携わりました。牧野博士が携わった学術雑誌は今でも刊行が続いており、論文の発表の場となっているそうです。

後世の植物学会にも大きな影響を与える、牧野博士の功績を称えて、植物学の日は認定されました。

 

牧野博士の地元である高知県では、高知県立牧野植物園が開園しています。

園内は、牧野富太郎記念館と植栽エリアからなっています。

 

植栽エリアでは、牧野博士のゆかりの植物およそ3000種以上が、美しい水景庭園や体験型の広場などに、咲き誇っているそうです。

牧野富太郎記念館では、牧野博士が実際に使用していた採集道具や、日記、ノート、植物図や写真などが多数展示されています。

2019年には、大幅にリニューアルされ、牧野博士の植物標本や、自筆の植物図などが展示されているシアターが開設されたそうです。牧野博士が描かれる植物図は、非常に緻密で、植物の個体によって異なる顔つきを絶妙に表現していると言われています。

 

牧野植物園は、植物はもちろん、建築の美しさも評判が高いです。牧野富太郎記念館を設計したのは、「海の博物館」などで知られる内藤廣さんです。美しい植物と建築が調和、ネット上で画像を見ているだけでも惚れ惚れとします。

 

 

そんな高知県立牧野植物館では、牧野博士の生誕を記念し、毎年四月二十四日は「マキノの日」とされ、入園が無料、さらには限定のスペシャルツアーも開催されているそうです。

来年の四月こそは!コロナも落ち着き、高知県を訪れることができるよう心から願っております。

 

Hello, everyone.

It is a botanical day today. Why do you know whether today is a botanical day?

 

April 24 is a birthday of Dr. Tomitarou Makino who is a botanist today.

Dr. Makino was born in Kochi about 160 years ago now in 1862. I was interested in a plant in rich nature since childhood and checked the name of the plant when I collected a plant and seemed to remember it.

 

In the times when a Japanese plant was almost still unknown, I investigate all over Japan, and the doctor who recorded a plant is also called “botanical father” and “first person of the Japanese plant taxonomy”. As for the plant which Dr. Makino attaches a scientific name and recorded, the specimen document which I collected is said to be about 400,000 pieces about 1,500 kinds or more.

 

In addition, the doctor devoted himself/herself to the spread of plant knowledge. I held a club and a lecture positively and gave a lecture in a gardening school and the high school. And I was engaged in the foundation of a periodical of the learned journal. Publication still continues, and the learned journal which Dr. Makino was engaged in seems to become the place of the announcement of the article.

I praised an achievement of Dr. Makino who had a big influence on Botanical Society of coming ages and was authorized on a botanical day.

 

 

 

In Kochi that is a hometown of Dr. Makino, Kochi Prefectural Makino botanical garden is opened.

The garden becomes the Tomitarou Makino Memorial from the planting area.

 

In the planting area, more than about 3,000 kinds of plants of the connection of Dr. Makino seem to be in full glory in beautiful Mikage Garden or the experience-based open space.

In the Tomitarou Makino Memorial, the collection tool which Dr. Makino actually used and a diary, a notebook, a figure of plant or a photograph are displayed a lot.

In 2019, I was largely renewed, and the theater where illustrations of plant of a botanical specimen and the handwriting of Dr. Makino were displayed seemed to be established. The plant figure where Dr. Makino is drawn is very minute, and it is said that I express a different look exquisitely by an individual.

 

In the Makino botanical garden, reputation is high in the beauty of the building let alone a plant, too. It is Hiroshi Naito known at “the museum of the sea” that designed the Tomitarou Makino Memorial. A building harmonizes with a beautiful plant and I am just looking at an image and do it on a net adorably.

 

 

 

It is said every year with “a day of Makino” on April 24, and entering a kindergarten is free, and, besides, with such the Kochi Prefectural Makino plant building, the special tour of the limitation seems to be held in commemoration of the birth of Dr. Makino, too.

I pray heartily to be able to visit Kochi in April in the next year.

 

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連休期間中の営業について(愛知県名古屋市千種区 古美術風光舎 名古屋店)

2021.04.24

【連休期間中の営業について】

 

平素はご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

古美術風光舎 名古屋店は、連休中も休まず営業致しております。

スタッフ不在の時間帯もございますのでまずは、お電話にてご連絡頂けましたら幸いです。

 

連休期間中、ご自宅の整理などででました行先の迷われたお品などございましたら、持ち込み買取はもちろんのこと、全国買取出張などのご相談も承っておりますので、まずはお気軽にご相談下さい。

御連絡お待ちしております。

 

 

 

 

【 古美術風光舎 名古屋店 】

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TEL052(734)8444 (10:00-17:00 OPEN)

 

 

有松絞りを再発見する寄り道。(愛知県名古屋市千種区 骨董買取・古美術風光舎名古屋店)

2021.04.23

こんにちは。スタッフYです。

今回は、先日の旧東海道の寄り道紀行の続編です。

鳴海~有松界隈のもう一つの寄り道ポイント、今回は、『有松絞り』です。

前回お伝えしましたとおり、鳴海宿の発展に欠かせない有松、鳴海絞り。

 

 

 

 

ここ有松は、1608年に東海道の保全のため徳川家尾張藩の布告による移住政策で作られた町であり、もともと耕地面積が少なく農業には向かない土地だったため、村人たちは、農業以外の収入源を求めていたそうです。そのような開拓者の1人であった竹田庄九郎が何か特産物を作らなければと考え出したのが有松絞りでした。

 

名古屋城を築城する際に訪れていた九州豊後の人々が着ていた絞り染めを見て手法を研究し考案し、はじめは手ぬぐいにして軒先に吊るして販売していましたが、やがて旅人が土産物として買うようになり街道一の名産品となったのが始まり。天和元年(1681)には、尾張藩第2代藩主徳川光友が第5代将軍徳川綱吉の将軍就任の祝賀として絞りを「九々利染」と称して献上したことから全国的に知られるようになったそうです。また、木綿の生産地である知多郡がそばにあり、流通の大きなパイプである東海道筋にあったため、資材や商品を運ぶ必要なくして商いできたことも大きいとも。有松・鳴海地方は参勤交代で江戸と行き来する西の諸大名たちの宿場でもあり、旅人が故郷への土産物としてこぞって絞りの手ぬぐいや浴衣などを買い求め、これが街道一の名産品となっていきます。その繁栄ぶりは、東海道五十三次などの浮世絵に描かれたほどですものね。

 

 

 

17世紀後半に浴衣が一般的に用いられるようになると、絞りの需要が拡大し、これに伴って、有松絞りの技術も発達していきます。。技術の発展に貢献したのは、2代目竹田庄九郎で、同氏は衣料としての絞り製品を開発。また、従来の藍染に加えて、紅染、紫染めなど染色技術も開発し、産業の基礎を築いきます。

 

有松絞りは現在に至るまでその後、幾度かの栄衰を繰り返します。明治時代に入ると全国で絞りの生産が盛んになりますが、一時的に有松での産業は衰退していきます。窮地を迎えますが、有松絞りの老舗である竹屋、橋本屋、井桁屋などが販売網の拡充や新たな技法の考案で復興させ再び全盛期を迎えます。改良開発の取り組みは精力的に行われ、1897年からの45年のあいだに、絞り染め技術の改良や新しい意匠の登録、特許取得を行い、独自の絞り染め産地としての地位は確固たるものにと、絞り技術そのものの存続維持にも努めていますね。

戦前は、地域を挙げての努力の甲斐あり、戦前の有松絞りの生産高は年間100〜120万反にもおよび、業況は隆盛しますが、やはり戦時中は徴兵・徴用にとられ、大部分の業者は転廃業に追い込まれていきます。戦後は生産が回復しすがが、工芸士の高齢化や技法や種類の減少に。

 

そして現在。有松絞りは新しい可能性に挑んでいます。有松絞りを新たなるファブリックのジャンルと捉えて全国、いえいえ世界に発信しているブランドもここ最近現れ、進化系有松絞りが登場しています。

パリの生地展示会ではエルメス、シャネル、ディオール、ロエベなど、そうそうたるラグジュアリーブランドから評価されたり、海外へ出店される有松発のデザイナーも。このパターン本当に多いですが、日本の伝統技術のすばらしさを海外の人から評価され再認識されるとは、我々あまりにも気づかなさすぎですよね笑。

 

 

 

 

絞りは、「くくる」「ぬう」「たたむ」の単純な手作業の工程によりできた生地を、染め上げることで、布地に様々な模様を描き出す染色技法。江戸時代から考案された技はなんと100種類以上。複雑多岐にわたるため、独りの職人が一つの技法を極めます。これらの先人の遺産に支えられて引き継がれる絞りの技術や、手に取った時の良さを、たくさんに手にとって触れてみてほしいです。

 

そうそう、前日、都内某所にて、進化系絞りのバックを持った若い女性を発見。とりこみ方が本当におしゃれさんでした。これからの有松絞り、注目していきたいですね。

 

 

 

 

Hello. This is Staff Y.

The sequel to the detour trip of the old Tokaido the other day.

Another detour point in the Narumi-Arimatsu area. This time, it is “Arimatsu Shibori”.

As I mentioned last time, Arimatsu and Narumi Shibori are indispensable for the development of Narumi-juku.

Arimatsu is a town created in 1608 under the migration policy of the Tokugawa family Owari clan for the conservation of the Tokaido, and since the area of ​​cultivated land was originally small and it was not suitable for agriculture, the villagers were not interested in agriculture. He was looking for a source of income. It was Arimatsu Shibori that one of those pioneers, Shokuro Takeda, thought that he had to make some special products.

Looking at the tie-dyeing worn by the people of Bungo, Kyushu, who visited when building Nagoya Castle, they researched and devised a method, and at first they made a towel and hung it on the eaves for sale, but eventually travelers bought it as a souvenir. It started to become the best specialty product on the highway. In the first year of Tenna (1681), Mitsutomo Tokugawa, the second feudal lord of the Owari clan, presented the iris nationwide as a celebration of the inauguration of the fifth shogun Tsunayoshi Tokugawa. It seems that it has become known. In addition, because Chita-gun, which is a production area of ​​cotton, is nearby and it is located on the Tokaido line, which is a large distribution pipe, it is said that it was possible to do business without having to carry materials and goods. The Arimatsu / Narumi region is also a post station for various western daimyo who come and go to Edo on a change of attendance, and travelers buy squeezed towels and yukata as souvenirs to their hometown, and this will become the best specialty of the highway. .. Its prosperity is as depicted in Ukiyo-e such as the 53 Stations of the Tokaido.

 

hen yukata became popular in the latter half of the 17th century, the demand for squeezing increased, and along with this, the technology of Arimatsu squeezing also developed. .. It was Shokuro Takeda, the second generation, who contributed to the development of technology, and he developed squeezed products for clothing. In addition to the conventional indigo dyeing, we will also develop dyeing technologies such as red dyeing and purple dyeing to lay the foundation of the industry.

Arimatsu Shibori has continued to rise and fall several times since then. In the Meiji era, squeezing production became popular nationwide, but the industry in Arimatsu temporarily declined. Although we are facing a difficult situation, the well-established Arimatsu Shibori stores such as Takeya, Hashimotoya, and Igarashiya will reconstruct by expanding the sales network and devising new techniques, and will reach their heyday again. Efforts for improvement and development are vigorously carried out, and during the 45 years from 1897, we will improve the tie-dyeing technology, register new designs, obtain patents, and solidify our position as a unique tie-dyeing production area. ..

Before the war, it was worth the effort of the whole region, and the production of Arimatsu Shibori before the war reached 1 to 1.2 million a year, and the business situation was prosperous. Some of the contractors were forced to go out of business, and production recovered after the war, but due to the aging of craftsmen and the decrease in techniques and types.

And now. Arimatsu Shibori is challenging new possibilities. Arimatsu Shibori is regarded as a new fabric genre, and brands that are transmitting it nationwide, even to the world, have recently appeared, and the evolutionary Arimatsu Shibori has appeared.

At the fabric exhibition in Paris, there are designers from Arimatsu who are highly evaluated by such luxury brands such as Hermes, Chanel, Dior and Loewe, and who are opening stores overseas. This pattern is really common, but it’s too hard for us to realize that the wonderfulness of traditional Japanese technology is appreciated and re-recognized by foreigners.

 

Squeezing is a dyeing technique that draws various patterns on the fabric by dyeing the fabric made by the simple manual process of “kukuru”, “nu”, and “folding”. There are more than 100 types of techniques devised since the Edo period. Due to the complexity and variety, a single craftsman masters one technique. I would like you to experience the squeezing technology that is inherited by the heritage of these ancestors and the goodness of picking it up.

Oh yeah, the day before, I found a young woman with an evolutionary squeeze bag in Omotesando, Tokyo. The way of importing was really fashionable. I would like to pay attention to Arimatsu Shibori in the future.

 

 

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生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方もいらっしゃると思います。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

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At Fukosha, we purchase various genres such as paintings, jewelry, and hobby items in addition to antiques and antiques.

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ふたりの天才 その2(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.04.22

 

今日、初めて当ブログをご覧いただく方は、はて?とお思いかと思いますが、本日は「酒井抱一」エピソード第2弾とさせていただきます。

江戸時代を代表するふたりの天才絵師・酒井抱一と葛飾北斎でありますが、同時代を共に江戸で過ごした二人が、重なった道を辿っていったのか否か、気になるところです。(スタッフ I だけでしょうが…笑)

 

江戸琳派の軽妙洒脱な武家絵師・酒井抱一(1761年生まれ)。

(日本美術がお好きな方ならご存じのことと思いますが、『江戸琳派』とは、19世紀前期に江戸で花開いた絵画様式。桃山時代から江戸時代初期に京都で育まれた琳派を受け継ぎ、江戸風にアレンジしたことで大名から庶民まで幅広い人気を博したそうです。)

一方、森羅万象を描いた自称 ”画狂人” 葛飾北斎(1760年生まれ)。

同じ江戸の地にて芸術に人生をかけたという志は同じでも、そのスタイルはそれぞれだったことでしょう。

 

20代までは奔放なライフスタイルで順風満帆だった抱一ですが、寛政2年(1790年)兄の忠以がなくなるとその暮らしも一変したようです。

”甥の忠道(ただひろ)が家督を継ぐことになった酒井家と距離を置き、転居を繰り返して独自の道を模索。37歳で出家し、京都へ向かうなどの迷走が続く。抱一は、この30代の模索の時期に酒井家がかつて庇護していた京都の絵師・尾形光琳が残した作品に巡り合い、その強い影響を受けて自ら絵筆をとるようになった。”

こんな心奪われる体験、これも神さまが天才に授けたひとつの道すじでしょうか。

(尾形光琳の作品に影響を受けたとする芸術家は他にも抱一の弟子・鈴木其一がいます。後に引き継がれていくわけですが、こういう見聞によって、今度は尾形光琳にフューチャーしてみたくなります)

そして40歳になったころ、光琳風の絵画様式(琳派)の名手として知られるようになるのです。

 

一方、同じ年ごろの北斎はというと、狂歌絵本や黄表紙(洒落・滑稽・風刺をおりまぜた江戸時代の絵本・マンガのこと)などの挿絵のほか、美人画や役者絵、肉筆画などに熱心に取り組んでいたものの、その生活は相変わらず苦しかったと伝えられています。

それに比して抱一は、約100年前に尾形光琳が極めた絵画様式を、作品を見て学びとる”私淑” という形で受け継いでいくことを決意。

伝統的なやまと絵をもとにした雅で装飾豊かな琳派的表現と、俳諧などの江戸文化の粋で洒脱、瀟洒な美意識などを融合した「江戸琳派」を確立していったとのことです。

文化12年(1815年)55歳の頃には、光琳百年忌にあたって光琳遺墨展を開催。

それと同時に『光琳百図』前編を刊行したことによって、光琳の作風への思慕をより一層強めていったそうです。

さらに抱一は、11代将軍徳川家斉の父である一橋治済から注文を受け、代表作『夏秋草図屏風』を光琳作『風神雷神図屏風』の裏側に描くことになりました。

長年の思いが実り、実現に至ったという傑作誕生のわけだったのですね。

待望の機会を得た抱一は、地色に銀を用い、俳諧の知識を加え、雷神の裏に雨に濡れた夏草、風神の裏には風になびく秋草を配し、自ら修練してきた光琳よりもリアルな画風で描き上げたといいます。

絵の意味までそろえたというこの最高傑作、どこまでも粋、そして静かだけども情熱が伝わります。

 

その後、抱一は68歳で死去。

そのころの北斎の仕事は読本の挿絵や肉筆美人画、絵手本『北斎漫画』などで、浮世絵の第一人者とは言い難い状態だったようです。

想像するより遅咲きで苦労人だったのですね。

我が道を驀進した天才的浮世絵師の側面を知ることができました。

 

北斎が浮世絵師のトップに上りつめたのは抱一の没後、70歳を過ぎてからのことということで、抱一さん、1歳先輩の全盛期は見られなかったのですね。残念…

しかしふたりは多少の交流があったり、ウワサを聞いたり、お互いに意識していたものがあったんじゃないかと勝手に想像します。

現代では天才と称される人たちも常に順調だったわけではない…地道に努力しないとな、また先人たちに教えていただきました。

私よく思いますが、この何世代も超えた時代で自分たちの作品や人物像がまだまだ、いやむしろスポットを浴びているとはご本人たちは思いもしなかったでしょう。

ご年配になってからの意欲、見せつけてもらってます!芸術作品って素晴らしい!

 

Who is this blog for the first time today? I think that, but today is the second episode of “Sakai Hoitsu”.

Two genius painters, Sakai Hoitsu and Katsushika Hokusai, who represent the Edo period, are wondering if the two who spent the same period together in Edo followed an overlapping path. (Staff I only . lol)

 

Sakai Hoitsu (born 1761), a light and stylish samurai painter of the Edo Rinpa school.

(As anyone who likes Japanese art knows, “Edo Rinpa” is a painting style that blossomed in Edo in the early 19th century. It inherits the Rinpa that was brought up in Kyoto from the Momoyama period to the early Edo period. , It seems that it gained wide popularity from daimyo to ordinary people by arranging it in the Edo style.)

On the other hand, the self-proclaimed “painter” Katsushika Hokusai (born 1760) who drew all things in nature.

Even though they had the same desire to spend their lives in art in the same Edo area, their styles would have been different.

 

Until his twenties, Hoitsu had a free-spirited lifestyle and sailed smoothly, but in 1790, when his brother’s loyalty disappeared, his life seemed to change completely.

“My nephew Tadahiro kept a distance from the Sakai clan, who was to succeed the family, and repeatedly moved to find his own way. He left home at the age of 37 and continued to stray, such as heading to Kyoto. During this period of groping for his thirties, he came across a work left by the Kyoto painter Korin Ogata, who was once protected by the Sakai family, and was strongly influenced by it, and began to take his own paintings. ”

Such a fascinating experience, is this also one of the paths that God has given to geniuses?

(There is another artist who is said to have been influenced by Ogata Korin’s work, Hoitsu’s disciple, Suzuki Kiitsu. It will be taken over later, but based on this observation, I will try to feature Ogata Korin this time. I want to)

At the age of 40, he became known as a master of Korin-style painting style (Rinpa).

 

On the other hand, Hokusai around the same year is used for illustrations such as Kyoka picture books and Kibyoshi (picture books and manga from the Edo period that mix fashion, humor, and satire), as well as bijin-ga, actors’ drawings, and hand-drawn drawings. Although he worked diligently, it is reported that his life was still difficult.

On the other hand, Hoitsu decided to inherit the painting style that Korin Ogata mastered about 100 years ago in the form of “private” to learn by seeing his work.

He said that he established the “Edo Rinpa”, which is a fusion of elegant and decorative Rinpa expression based on traditional Yamato-e, and stylish and elegant aesthetics with the essence of Edo culture such as haiku. is.

At the age of 55 in the 12th year of Bunka (1815), he held the Korin Ink Exhibition on the occasion of the 100th anniversary of Korin.

At the same time, by publishing the first part of “Korin Hyakuzu”, he seems to have further strengthened his longing for Korin’s style.

In addition, Hoitsu received an order from Harusada Hitotsubashi, the father of the 11th Shogun Tokugawa Ienari, and decided to draw his masterpiece “Flowering Plants of Summer and Autumn” on the back of Korin’s “Fujin and Raijinzu”.

It was the birth of a masterpiece that was realized after many years of thought.

Having the long-awaited opportunity, Hoitsu used silver for the ground color, added knowledge of haiku, arranged rain-wet summer grass behind the thunder god, and autumn grass fluttering in the wind behind the wind god, and practiced himself. It is said that he drew it in a more realistic style than Takorin.

This masterpiece, which has the meaning of the picture, is forever stylish and quiet but conveys passion.

 

After that, Hoitsu died at the age of 68.

At that time, Hokusai’s work was illustrations for reading books, beautiful hand-drawn paintings, and the picture model “Hokusai Manga”, and it seems that he was in a state where it was hard to say that he was a leading figure in ukiyo-e.

He was a hard worker because he bloomed later than I imagined.

I was able to learn about the side of a genius ukiyo-e artist who went on my way.

 

Hokusai climbed to the top of the ukiyo-e artist after Hoitsu’s death, after he was 70 years old, so you didn’t see the heyday of Hoitsu-san and his one-year-old senior. Sorry …

However, I imagine that the two of them had some interaction, heard rumors, and had something that they were aware of each other.

People who are called geniuses in modern times are not always doing well . I have to work hard, and his predecessors told me.

As I often think, they would not have thought that their works and figures were still in the spotlight in this age beyond generations.

I’m showing off my motivation since I became older! Works of art are wonderful!

 

 

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