9月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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軟らかい水・硬い水(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.25

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

朝晩は一枚上着がないと寒いと感じるほど、急に涼しくなりましたね。「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当によく言ったものだなと実感しております。

 

 

最近県外へ出かけていた家族から「名古屋の水は関東より硬度が低いらしいが知っていたか?」と言われました。え?そうなの?変わらないでしょ?

名古屋に住んで十数年。そんなことは全く気に留めたこともなかったのですが、調べるとどうやら関東の方が硬度が高いんだそうです。

何故そんな話になったかというと、出かけた先で髪を洗った時に、泡立ちが良くなかったのだそうで(シャンプーのせいでは?とは思いましたが)。海外では髪がパサつくと聞いたことはありましたが、関東方面にお住いの方に本当にところを聞いてみたいです。

 

軟水と硬水は、水の硬度によって分類されています。硬度とは、水1Lあたりに含まれるミネラルの量のことです。
WHO(世界保健機関)の基準では120mg以下を軟水と定めていますが、日本では100mg以下を軟水としています

地域によって硬度の差はありますが、日本の水は、ほとんどが「軟水」です。

水の硬度が高い地域では、石灰質が豊富な地層が多く、地形がなだらかであることが多い傾向にあります。地形がなだらかなことによって雨の水が地下に染みこんでからゆっくりと地下を移動し、その間に地層から溶け出したイオンやミネラルを豊富に含むことができるため、硬水となるのです。

日本は、国土が狭く、雨が良く降るという気候特性もあり、水が地中にとどまる時間が短く、すぐに流れ出てしまうため、地層から溶け出すミネラルを十分に含むことができません。ですので、ミネラル成分の少ない水「軟水」が一般的となっています。

 

 

若かりし頃、ダイエットのために硬水を意識して飲んでいる時期がありましたが、なんだかクセがあって飲みづらい。そして気づけばお腹もこわしががちに…。

それもそのはず、硬水には軟水と比べて「マグネシウム」が多く含まれています。マグネシウムは人間の生命維持に不可欠な必須ミネラルです。ですが、便秘薬にも使われている成分のため、体質によっては摂取しすぎると下痢になることもあるのです。

軟水を飲みなれている人が、突然たくさんの硬水を飲めば、胃腸に負担がかかるのは当たり前と言えば当たり前の結果ですね。格好つけて硬水を飲んだ結果がこれとは我ながらなんと残念な…。

 

 

私には合いませんでしたが、もちろん体に良いところもたくさんあります。硬水に含まれるカルシウムやマグネシウムは血液をさらさらにする効果があると言われています。そのため、硬水を飲むことによって、動脈硬化の予防や、心筋梗塞や脳梗塞のリスク減少に効果があると期待されています。動脈硬化予防として、1日コップ2~4杯程度の硬水を摂取するのがおすすめだそうです。

 

また、洋風料理との相性も良く、硬水に含まれるマグネシウムは、肉料理の灰汁や雑味、臭みを取り除いてくれます。日本でも沖縄は硬水です。沖縄と言えば、豚肉料理ですが、硬水が豚の灰汁と臭みを取り除いてくれるため、料理との相性が抜群なんですね。

また、関東では硬水に近い軟水であることから、風味の強い濃口醤油が良く使用されます。出汁も海藻である昆布ではなく、灰汁の強い魚の鰹節がより使用されるようになったのは、水の硬度が理由なのだとか。使われるお醬油ひとつにもそんな理由があるようです。

 

お年頃ですので、健康のために硬水を取り入れたいところですが、すぐにこわしてしまう私のお腹は、残念ながら赤ちゃん並みということか…。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.

It has suddenly become so cool that it feels cold in the mornings and evenings unless you have a jacket on. I realize that the phrase “hot and cold last until the other shore” is a true saying.

Recently, a family member who was out of the prefecture said to me, “Did you know that the water in Nagoya is said to be lower in hardness than that in the Kanto region?” Did you know that? Did you know that? Is that so? It’s the same, isn’t it?

I have lived in Nagoya for more than ten years. I had never paid any attention to such things, but when I looked it up, I found that the hardness is apparently higher in the Kanto region.

The reason I asked why he said that is because when he washed his hair at the place where he went out, it did not lather well (I thought it might be because of the shampoo). (I thought it might be the shampoo). I had heard that hair gets dry abroad, but I would like to ask those who live in the Kanto area what is really going on.

 

Soft and hard water are classified according to the hardness of the water. Hardness is the amount of minerals contained per liter of water.
According to WHO (World Health Organization) standards, soft water is defined as water containing 120 mg or less, while in Japan, soft water is defined as water containing 100 mg or less.

Although there are regional differences in hardness, most water in Japan is soft water.

Regions with high water hardness tend to have limestone-rich strata and gentle topography. The rolling topography allows rainwater to soak into the ground and then slowly move underground, during which time it can become rich in ions and minerals that have dissolved from the strata, resulting in hard water.

In Japan, due to its small land area and rainy climate, water stays underground for a short period of time and runs off quickly, so it cannot contain enough minerals dissolved from the strata. Therefore, “soft water,” water with low mineral content, is common.

 

When I was young, there was a time when I consciously drank hard water to lose weight, but it was kind of peculiar and hard to drink. I also noticed that it tended to upset my stomach….

As I mentioned at the beginning, hard water contains more magnesium than soft water. Magnesium is an essential mineral that is vital to human life. However, it is also used in laxatives, and depending on one’s constitution, too much of it can cause diarrhea.

It is only natural that a person who is accustomed to drinking soft water would suddenly experience gastrointestinal stress if he or she drank a lot of hard water. I am sorry to say that this is the result of drinking hard water in an attempt to look cool… It was not for me.

 

It did not suit me, but of course it has many good points for the body. The calcium and magnesium contained in hard water are said to have the effect of making the blood more fluid. Therefore, drinking hard water is expected to be effective in preventing arteriosclerosis and reducing the risk of myocardial infarction and cerebral infarction. It is recommended to consume 2 to 4 glasses of hard water per day as a preventive measure against arteriosclerosis.

 

 

It also goes well with Western-style dishes. The magnesium in hard water removes lye, miscellaneous tastes, and odors from meat dishes. In Japan, Okinawa is also hard water. Okinawa is known for its pork dishes. This is because hard water removes lye and odor from pork. So it goes well with the cuisine.

In the Kanto region, where the water is soft, almost like hard water, dark soy sauce with a strong flavor is often used. The hardness of the water is also the reason why dried bonito flakes, a fish with a strong ash flavor, are used in soup stocks instead of kombu, a seaweed. I never realized there was such a reason for even a single soy sauce.

At my age, I’d like to take in hard water for my health, but my stomach, which gets upset easily, is as big as a baby’s. I’ll see you later.

See you soon.

 

 

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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体内時計の調節が年々難しくなってきました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.24

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

数年ぶりに1週間ほどの旅行に行ってまいりました。

快くお休みをくださった店主、シフトをカバーしてくれたスタッフに感謝いたします。

 

日常から離れ羽を伸ばす時間はとても有意義だったのですが、なにせ飛行機に乗るのが久しぶりすぎて、時差ボケの真っ只中におります。若い頃はそこまで感じることがなかったのですが、年々時差を調節するのに時間がかかるように感じます。

 

 

 

 

時差ボケは英語で jet lag と表し、まさにジェット機に乗って短時間で移動することで体内時計と現地時間にずれが生じ、個人差はありますが心身の不調を引き起こす状態を言います。時には全く症状がない人もいるようで、私の家族にも明るくなれば目が覚め、暗くなればいつでも眠れる強者がおります。うらやましい限りです。

 

一般的には日本から西への飛行よりも東へ飛行する時の方が時差ボケの症状が強くなる傾向があるとも言われています。

西行きは時間がプラスされて1日の時間が長くなり、東行きは1日の時間が短くなるためだそうです。人間の体内時計は元々1日が24時間よりも長いことから1日の時間が長くなる方が体内時計は調整しやすいのだとか。分かったような分からないような…。この年齢になると西へ行こうが東へ行こうが調整はかなり難しい気がいたします。

職業柄、常にタイムゾーンを移動しているパイロットやフライトアテンダントの方々はどうされているのでしょうか。慣れてくるものなのかと不思議です。

 

他にも早寝早起きが習慣化していいる朝型の人の方が時差ボケの症状が出やすいと言われています。時差による生活リズムの急な変化に順応しにくいためだと考えられています。一般的に成人の約30%が朝型で約40%が中間型、約20パーセントが夜型で特に強い夜型の人が10%いるそうです。そして約50%の人が遺伝的にタイプが決定されているとも言われています。

学生の頃、朝に勉強すると効率がよいと言われ、試験中など無理に起きて失敗していたので私は朝型ではないようです。

 

先ほど時差ボケは体内時計と現地時間とのずれにより不調をきたすと書きましたが、もう少し詳しく調べると体内時計によってコントロールされている体温やホルモンの分泌のリズムなどがバラバラになっている状態だそうです。

人間の体内時計は約25時間周期とされ、外的刺激の中でも特に光の影響を強く受け時計を進めていきます。つまり通常は早朝に光を浴びると別名睡眠ホルモンとも呼ばれるメラトニンの分泌が夜の7時ころから始まり、23時ころにピークを迎え眠りにつくことができます。また朝の太陽の光により血圧上昇に関係する内因性カテコラミンやストレスに打ち勝つエネルギーとなるステロイドホルモンも起床時から午前中にかけて分泌され、逆に成長ホルモンや甲状腺刺激ホルモンなどが睡眠時に分泌されます。

自分の体ながら、人間の体は本当に複雑で繊細にできているのだと再確認します。

起きて、食べて、寝ているだけのような気がしますが、健康を保つために体の中で様々な機能が密かに頑張ってくれているのだなと思うと、せめて意識的にできること、例えば規則正しい生活や運動、食事などには気をつけたいと改めて思います。

 

最近は飛行機に乗らずとも「ソーシャルジェットラグ=社会的時差ボケ」という状態に陥る人が多いそうです。

平日の睡眠不足を取り戻そうとして、休日に「寝だめ」をしてしまうためです。太陽を浴びる時間が遅くなり体内時計はまるで外国に旅行に来てしまったかのように錯覚し乱れてしまいます。睡眠時刻の中央時刻、つまり就寝から起床までの時間の真ん中に来る時間がズレることにより起こるといわれています。

休日の2日間朝寝坊しただけで体内時計が30~40分遅れるのだとか。一度ずれてしまったリズムは取り戻すのが難しく、平日に疲労感を引きずる原因にもなります。

私も昔はよく週末に寝だめをしておりました。長時間眠ったはずなのに体や頭が重くスッキリしない週末を過ごし、月曜の早起きが更につらくなるという悪循環。基本的に夜型は睡眠時間が短い傾向があり週末に寝だめをし体内時計が乱れてしまうようです。

睡眠時間の中央値をずらさなければいいのなら週末の就寝時間を早めればよい。つまり朝ゆっくり寝たければ、就寝時間も早めて中央時間を平日と同じにすればよいと考えてしまいますが、習慣化している就寝時間をいつもより早めるのもなかなか難しそうです。質の良い睡眠の確保は現代人にとって永遠のテーマですね。

 

なんだか色々と話のつじつまが合っていないような気もしますが、時差ボケのせいということでお許しください。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

For the first time in several years, I went on a trip for about a week.

I would like to thank the owner for graciously giving me the day off and the staff for covering my shift.

 

It was a great time to get away from the daily routine and stretch my wings, but it has been so long since I have been on a plane that I am in the midst of jet lag. When I was younger, I never felt this bad, but as the years go by, it seems to take me longer to adjust to the time difference.

 

Jet lag is a condition in which a person’s body clock and local time are out of sync with each other due to a short jet ride, causing physical and mental discomforts that vary from person to person. Some people have no symptoms at all, and there are strong people in my family who can wake up when it gets light and sleep when it gets dark. I am envious of them.

 

Generally speaking, it is said that the symptoms of jet lag tend to be stronger when flying eastbound than when flying westbound from Japan.

This is because westbound flights add time to the day, making the day longer, while eastbound flights make the day shorter. Since a day in the human body is originally longer than 24 hours, it is easier to adjust the body clock if the day is longer. I don’t know whether I understand it or not…. At my age, I feel that it is quite difficult to adjust whether I go west or east.

I wonder how pilots and flight attendants, who are always moving from one time zone to another because of their jobs, do it. I wonder if they get used to it.

 

It is also said that morning people who are accustomed to going to bed early and getting up early are more prone to symptoms of jet lag. It is believed that this is because they have difficulty adapting to the sudden changes in their daily rhythm due to the time difference. Generally speaking, about 30% of adults are morning-onset, 40% are intermediate, 20% are night-onset, and 10% are particularly strong night-onset. It is also said that about 50% of people have a genetically determined type.

When I was a student, I was told that studying in the morning is more efficient, and I forced myself to get up during exams and failed them, so it seems I am not a morning person.

 

I mentioned earlier that jet lag is caused by the discrepancy between the body’s internal clock and the local time, but a closer look reveals that it is a state in which the body temperature and the rhythm of hormone secretion, which are controlled by the body clock, are disrupted.

The human body clock has a cycle of about 25 hours, and it is strongly influenced by light among other external stimuli to advance the clock. In other words, early morning exposure to light usually triggers the secretion of melatonin, also known as the sleep hormone, which begins around 7:00 p.m. and peaks around 11:00 p.m., allowing the body to fall asleep. Morning sunlight also causes the secretion of endogenous catecholamines, which are related to increased blood pressure, and steroid hormones, which provide energy to overcome stress, from the time of waking to the morning, while growth hormone and thyroid-stimulating hormone are secreted during sleep.

I am reminded that the human body is truly complex and delicate, even as I am a human being.

It seems like all we do is wake up, eat, and sleep, but when I think about the various functions in my body that are secretly working hard to keep me healthy, I am reminded once again that I should at least be conscious of the things I can do, such as a regular lifestyle, exercise, and diet.

 

These days, many people fall into a state called “social jet lag = social jet lag” even without flying.

This is because they “sleep in” on their days off to make up for the lack of sleep they had during the week. The time when they are exposed to the sun is delayed, and their body clocks are disrupted as if they have traveled to a foreign country. It is said that this is caused by a shift in the median time of sleep, that is, the time that comes in the middle of the time between going to bed and waking up.

Just by sleeping in late in the morning for two days on a holiday, the body clock can be delayed by 30 to 40 minutes. Once the rhythm has shifted, it is difficult to regain it, and it can cause fatigue to linger into the weekdays.

In the past, I used to sleep in on weekends. It was a vicious cycle: I would sleep for a long time, but my body and head would feel heavy and unrefreshing over the weekend, making it even harder to get up early on Monday. Basically, night owls tend to sleep for shorter periods of time, so they tend to sleep late on weekends and their body clocks get out of order.

If you don’t want to shift your median sleep time, just go to bed earlier on weekends. In other words, if you want to sleep late in the morning, you might think that you should go to bed earlier and make the median time the same as on weekdays, but it seems difficult to move the bedtime earlier than usual if it has become a habit. However, it seems to be difficult to go to bed earlier than usual.

 

I feel like I’m missing the point here, but please forgive me if I’m just jet-lagged.

See you next time.

 

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帝室技芸員 中井敬所(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.23

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

今朝の名古屋は雲ひとつないすっきりとした晴天です。朝、窓からの爽やかな風を感じ、ホッととしながら暖かいコーヒーを飲んでから出勤いたしましたが、いよいよ季節が移り替わってきましたね。

 

 

本日はシリーズ化しております「帝室技芸員」についてつぶやきをしようと思っていたところ、「篆刻(てんこく)」という聞きなれない分野が気になりましたので、本日は「篆刻家」中井敬所についてお伝えしようと思っております。まずは「篆刻」とは?。深堀していきますので、少々お付き合いくださいませ。

 

篆刻(てんこく)とは、「木・石・金などに印を彫ること。その文字に多く篆書を用いるからいう。」とあり、印にする素材に「篆書体」の文字などを彫る行為そのものとされています。

「篆書体(てんしょたい)」とは、中国を統一した秦の始皇帝が六国のバラバラだった文字を統一し、「小篆(しょうてん)」と呼ぶ書体を作りました。この小篆とそこから派生した書体を篆書体と呼びます。
そのため当時の公的な文書では篆書体が使われました。その後、中国から日本に伝わります。歴史上有名な「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という後漢(25-220年)の光武帝より贈らた金印は金でできたものです。

また馴染み深い篆書体の例として、日本紙幣にある「総裁之印」の捺印やパスポートの「日本国旅券」と記された印字があります。

 

 

ちなみに現在では、篆書だけでなく、隷書・楷書・行書・草書・かなの各書体を刻すことも全て「篆刻」と呼ぶ場合もあります。ほかにも押印した朱肉の跡(印影)と、本体のデザインを眺めて楽しむことも篆刻に含まれます。篆刻は芸術的な面が強いといえます。

 

また、似た言葉で「落款(らっかん)」がありますが、落款とは、芸術作品(主に書画)が完成したときに書く署名捺印のことで、署名だけ、または捺印だけの場合もあります。

書道はもちろんのこと、絵手紙や年賀状、短冊、ちぎり絵、水彩画、水墨画、色紙などにも押され、篆書体の文字が多く使われますが、行書体、隷書体なども使用されます。書籍に捺す蔵書印も篆刻印の一つです。

たしかに、 年賀状や絵手紙に印が押されていると「むむ。なかなかやるな」と、たいした作品でなくても(すみません)立派に見えたりしますね。

 

印の起源はかなり古く、5000年前のメソポタミア文明で使われていたと言われています。日本に篆刻が伝えられたのは、江戸時代中期で、主に文人間で使用されていました。書や絵をうまく書くことのできる文人が、自分自身で印を刻するようになったことから、流派としての特色ある印章が生まれました。

その後、鎖国政策が終わりを迎え、中国との交流が盛んになると篆刻界の更なる芸術性が開花し、多くの篆刻家を輩出することに繋がるのです。

 

その明治時代に活躍したのが中井敬所ですが、そんな彼の略歴を述べますと、

 

1831年  東京に生まれる

1844年  益田遇所に入門

1868年頃 篆刻家として本格的に活動を始める

1876年  篆刻会結成

1880年  国璽を制作して明治政府に献上

1906年  篆刻家として初めて帝室技芸員に任命される

1909年  胃腸カタルのため東京の自宅にて死去。享年78歳

 

明治時代の印壇を代表する篆刻家である中井敬所は保守派の印人として知られ、日本における印章学の基礎を築いて『印学の父』とも称されています。

幼少期より叔父にあたる三世浜村蔵六について篆刻を学び、次いで益田遇所に師事して研鑽を重ねます。二人の師は共に、江戸時代の儒学者で国内の印章制度を確立して『印聖』とも称させた高芙蓉の教えを受け継いだ、江戸の篆刻界を代表する人物でした。

22歳で中井家の養子になり、家業であった鋳金に従事しますが、明治維新以降、中国の篆刻について熱心に学び修錬を積んだのち、中国篆刻家の作風の流れを大きく受けた作品の制作に取り組みます。のちに「菡萏(かんたん)居社」を設立し、岡本椿所、郡司楳所、増田立所、井口卓所、など多くの門人に篆刻の技術を伝授しました。

このほか、国の印章である国璽を刻して明治政府に献上したほか、宮内省に設置された宝物取調局査係や内国勧業博覧会審査官などを歴任し、75歳で篆刻家として初の帝室技芸員に任命されました。

 

日本はデジタル技術が発展した今も、筆での署名及び印鑑での契約の習慣が続いています。またそれに付随して印鑑の数を数種類持っている事も日本ならではと言われています。

中井敬所による篆刻及び日本印象学についての資料は残念ながらあまり見当たらないようですが、中国や国内の古印の研究にも尽力し、日本の印章学の基礎となる優れた著作を遺しています。

印章が日本の文化として続いていけば中井敬所の功績にも、これからより光が当たるかもしれません。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.

It is a clear and cloudless day in Nagoya this morning. I felt the fresh breeze from the window this morning and drank a cup of warm coffee before going to work.

Today, I was going to write about “Imperial Household Artists,” which has become a series of tweets, but then I became curious about the unfamiliar field of “seal engraving,” so today I am going to tell you about “seal engraver” Keisho Nakai. First of all, what is “Tenkoku”? Please bear with me for a moment as I delve deeper.

 

Tenkoku means “to engrave a seal on wood, stone, or gold. It is called “Tenkoku” because many seal scripts are used for the characters. It is said to be the act of engraving “seal style” characters on the material to be used as a seal.

The term “seal style” refers to the typeface called “small seal” created by Qin Shi Huangdi, the first emperor of the Qin Dynasty, who unified China by unifying the disparate characters of the six kingdoms. This small seal and the typefaces derived from it are called seal scripts.
Therefore, the seal script was used for official documents at that time. Later, it was introduced from China to Japan. The historically famous gold seal presented by Emperor Guangwu of the Later Han Dynasty (25-220) named “King Kannowanokoku” was made of gold.

Familiar examples of seal script include the “President’s seal” stamped on Japanese banknotes and the “Japan passport” printed on passports.

Incidentally, nowadays, engraving not only in seal script, but also in clerical, standard, running, cursive, and kana scripts is also sometimes referred to as “seal engraving. In addition, enjoying the design of the body of the seal and the mark of the red ink (seal impression) is also included in the seal engraving process. It can be said that seal engraving has a strong artistic aspect.

 

A similar term is “rakkan,” which refers to a signature and seal written when a work of art (mainly calligraphy and paintings) is completed.

In addition to calligraphy, it is also stamped on picture letters, New Year’s greeting cards, strips of paper, chigiri-e, watercolor paintings, ink paintings, colored paper, etc. Although seal script characters are often used, gyosho and clerical script characters are also used. Kurasho seals, which are stamped on books, are also seal impression seals.

Indeed, when a seal is stamped on a New Year’s greeting card or a picture letter, one may say, “Mm-hmm. It is true that when a seal is stamped on a New Year’s greeting card or a picture letter, it looks splendid even if it is not a great work of art.

The origin of seals is quite old and is said to have been used in the Mesopotamian civilization 5,000 years ago. It was in the middle of the Edo period (1603-1867) that seal engraving was introduced to Japan, and was used mainly among literati. Literati who could write and draw well began to carve seals themselves, giving birth to distinctive seals as a school.

Later, as the policy of national isolation came to an end and exchange with China flourished, further artistic development in the seal engraving world blossomed, leading to the production of many seal engravers.

 

After that, Nakai Keisho was active in the Meiji Era, and here is a brief history of him,

1831 Born in Tokyo

1844: Introduced to Masuda Gyosho

Around 1868: Began full-scale activities as a seal engraver

1876 Formed a seal engraving society

1880 Produced the National Seal and presented it to the Meiji Government

1906: Appointed as the first seal engraver to be appointed as an Imperial Household Artist.

1909: Died of gastrointestinal catarrh at his home in Tokyo. He was 78 years old.

 

Nakai Keisho, a seal engraver representing the seal world of the Meiji era, was known as a conservative seal engraver and is also called the “father of sealology” for laying the foundation of sealology in Japan.

He learned seal engraving from his uncle, Hamamura Zoroku III, from his childhood, and then studied under Masuda Gyosho. Both masters were representative figures in the seal engraving world of Edo, having inherited the teachings of Gao Fuyou, a Confucian scholar of the Edo period who established the domestic seal engraving system and was also called “Seal Sage”.

At the age of 22, he was adopted by the Nakai family and engaged in the family business of metal casting, but after the Meiji Restoration, he studied Chinese seal engraving with great enthusiasm, and after accumulating training, he began to produce works that were greatly influenced by the style of Chinese seal engravers. Later, he established “Kantan Company” and taught seal engraving techniques to many of his students, including Okamoto Tsubakisho, Gunji Umesho, Masuda Tatejyo, Iguchi Takusho, and others.

In addition, he engraved the national seal and presented it to the Meiji government. He also served as an inspector of the Treasure Collection Bureau established by the Ministry of the Imperial Household and as an examiner for the National Industrial Exhibition, and was the first seal engraver to be appointed as an Imperial Artist at the age of 75.

 

Even with the development of digital technology in Japan, the custom of signing contracts with a brush and using a seal continues. It is also said that having several types of seals is unique to Japan.

Unfortunately, there are few materials on seal engraving and Japanese impressionology by Nakai Keisho, but he has devoted himself to the study of ancient seals in China and Japan, and has left behind some excellent works that will serve as the basis of Japanese sealology.

If seals continue to be a part of Japanese culture, Nakai Keisho’s achievements may be illuminated in the future.

 

See you soon.

 

 

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自分のための終活って何でしょう…(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.22

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

昨日は鑑定会にご来店いただきありがとうございました。

 

 

3連休ともなれば絶好のお片付けチャンスなわけですが、こうも暑いとなかなか大掛かりに…とはいきませんね。そういった理由もあるのでしょうか、最近は数点のみお持込みいただくお客様が増えたような気がいたします。片付けのコツに「小さいスペースから」とか「1日1箇所を10分で」などがよく言われます。少しづつコツコツするのが長続きの秘訣かもしれません。とは言え、年を重ねると体力的に厳しくなるのも当然で。そんな時は無理せず、自分のペースで進めてくださいね。風光舎では出張買取はもちろんですが、遺品整理やお家丸ごとなどのお片付けも承っておりますので、お気軽にご相談ください。

 

さて、最近よく目にするようになりました「人生100年時代」と聞いて何を思い浮かべますか?

この高齢化社会ですので、「人生100年」が当たり前になりつつある時代です。先日の敬老の日のニュースでも、高齢者人口が3000万人以上と言っておりました。もはやどこからが高齢者なのか線引きが難しいところではありますが、この数十年で「終活」「エンディングノート」「断捨離」というキーワードが一気に広がり、多くの特集を目にするようになりました。

共通しているのは「終活」とは決して後ろ向きなことではないという考え方のような気がします。

 

先日、自分のための終活ってなんだろな?と思いながら、内館牧子さんの『迷惑な終活』を手に取ってみました。

『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』『老害の人』に続く「高齢者小説」第5弾になります。

 

 

ネタバレしない程度にあらすじをお伝えしますと、

 

『75歳の主人公英太は、終活に熱心な妻礼子から終活をするようにうるさく言われるが、「生きているうちに死の準備はしない」と終活を嫌がっていた。 そんな英太が、ある出来事をきっかけに終活を始めることに。それは家族や他人のためではなく、自分の人生にケリをつけること。そして、その終活の影響が思わぬ出来事を呼び、あらぬ方向にいく…。』

 

というような内容で、コミカルなのですが、75歳ではない私もリアルな現実を感じられる高齢者達の物語。終活は十人十色ですが、この作品に登場するいわゆる後期高齢者さんたちはとても元気な方ばかり。それぞれ違う終活を始めてイキイキとしています。

 

終活にしろ、断捨離にしろ、「みんなやってるよ」「やらないと残された人が苦労するから」「自分のためにいいから」などとあまり言われると、提案のようでいて、若干押しつけのような気がしないでもありません。

終活は「他人に迷惑をかけないように」とか「家族がもめないように」とか他者を意識したものが多い気がしますが、もちろんそれもとても大切なことだと思います。その中で「自分のために」も大切にしたいものですね。

 

モノなど買わず、断捨離して身辺を縮小していくのが節度ある老い方かもしれません。

けれど、心配し過ぎるのも準備し過ぎるのも意味がないことかも、という思いもあります。「どうせもうすぐ死ぬから、やめとこう」と欲しいモノをあきらめたり、やりたいことを我慢するのもつまらない気がします。いつ何が起こるかわからない未来のために、準備するのは、心が弾みませんので。

 

できることなら、あとのことは、残された人でどうにかしてね。ごめんねって感じで行きたいのですが、だめでしょうか。みんなが天国にに来たら御馳走するからってことで。

と、まあ、今回このお話を読んで、いざという時のためという気持ちだけでなく、今から準備し始めたら楽しい終活になるかもしれないと思うと同時に、 思わず自分の生き方を見つめ直すといった壮大なきっかけにもなった気がします(笑)

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone. This is Staff T.

Thank you for coming to our appraisal yesterday.

 

The three-day weekend is a great opportunity to clean out your house, but it is difficult to do so on a large scale when it is so hot. Perhaps this is one of the reasons why we have seen an increase in the number of customers bringing in a few items recently. We often hear tips such as “start with a small space” or “do one area a day in 10 minutes” as tips for tidying up. The secret to long-lasting tidying up may be to do it a little bit at a time. However, it is natural that as we get older, we become physically demanding. In such cases, please take it easy and proceed at your own pace. At Fukosha, we not only purchase items on business trips, but we also offer services for clearing out belongings and whole houses, so please feel free to contact us for more information.

 

Now, what do you think of when you hear the phrase “100-year life period,” which you often see these days?

Since we live in an aging society, “100 years of life” is becoming the norm. In the news the other day on Respect-for-Senior-Citizens Day, it was said that the elderly population is over 30 million. It is difficult to draw a line as to where one is considered elderly, but over the past few decades, the keywords “lifetime activities,” “ending notes,” and “decluttering” have spread rapidly, and we have seen many special features on these topics.

What they all seem to have in common is the idea that “end-of-life” is not a backward-looking thing.

 

The other day, I wondered what “end-of-life” life for me means. I picked up a copy of Makiko Uchidate’s “Unsolicited End-of-Life Activities.

It is the fifth “novel for the elderly” following “The End of Life,” “I’ll Die Soon,” “When I’m Born Again,” and “The Old Man’s Man.

I’ll give you a synopsis of the story without spoiling anything,

 

The main character, Eita, is 75 years old, and his wife Reiko, who is enthusiastic about his life, has been nagging him to do his final activities, but he has been reluctant to do so, saying, “I will not prepare for death while I am still alive. However, one event triggered Eita to start his life-ending activities. It is not for his family or others, but to put an end to his own life. And the effects of his life-ending activities lead to unexpected events that take him in an unforeseen direction…” The film is a comical story.

 

It is a comical but realistic story about elderly people, which even I, not being 75 years old, can feel the reality. Although the end-of-life activities vary from person to person, the so-called “late elderly” who appear in this work are all very healthy people. Each of them has started a different kind of end-of-life activity, and they are all very energetic and lively.

 

Whether it is end-of-life activities or decluttering, when people say things like “everyone is doing it,” “the people left behind will have a hard time if you don’t do it,” or “it’s good for you,” it may sound like a suggestion, but I can’t help but feel that it is a bit of an imposition.

I feel that most end-of-life activities are focused on other people, such as “not causing trouble for others” or “not causing trouble for the family,” which of course is also very important. Of course, I think that is also very important, but I would also like to value “for myself” in that context.

 

 

It may be a moderate way to grow old, not buying things, decluttering and downsizing.

However, I also feel that it is meaningless to worry too much or prepare too much. It is also boring to give up something you want or hold back from something you want to do because you are going to die soon anyway. It is not exciting to prepare for a future in which we do not know when it will happen.

 

If at all possible, the rest of the things should be taken care of by those who are left behind. I would like to say, “I’m sorry,” but is that too much to ask? I’ll give them a treat when they come to heaven.

Well, after reading this story, I think that it might be a fun end-of-life activity if we start preparing now, not only for emergencies, but at the same time, I feel that it gave me a grand opportunity to rethink my way of life without thinking (laugh).

 

 

See you soon.

 

 

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その魅力は奥深い・・・(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.21

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

店内にワレモコウのお花が顔をのぞかせています。外は真夏のような暑さですが、ワレモコウのおかげで気分だけでも秋を感じられます。

 

 

秋というと何となく寂しいイメージですが、スポーツニュースでも寂しいニュースもありました。元大関・貴景勝が現役引退を決断したそうです。なんとまだ28歳1カ月。ご本人の気持ち的にはまだまだと思っても、ケガには勝てなかったということでしょうか。

大関在位30場所は、けがの連続だったそうで、新大関だった2019年夏場所で痛めた右膝に加え、近年は首の痛みに悩まされておられたとか。28歳での早すぎる幕引きとなりましたが、突き押しの威力を追求してつかんだ優勝4度は照ノ富士に次ぐ現役2位。その輝きは色あせないものですね。

 

1500年の歴史を持つ日本の国技ともいわれている、相撲。髷を携えまわし姿で土俵に立つ超弩級に大きい力士の姿は世界的に有名です。伝統興行でありながら、意外と知られていないような魅力で溢れたものでした。

 

日本で相撲がおこなわれるようになった歴史は古く、日本書紀や古事記など、日本神話が載っているような古い文献にも、相撲の記述が残されているほどです。古墳から力士を模した人形が出土していることからも、4世紀ごろには既に相撲があったと推測されています。

天皇の前でおこなわれるスポーツの試合を「天覧試合」と呼びますが、相撲の天覧試合がはじめておこなわれたのは4世紀よりも昔、今から2000年も前だといわれています。神話の中の天覧試合では、当時出雲国にいた野見宿禰(のみのすくね)と大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)という2人の力自慢が対決しており、キックやパンチも繰り出される取っ組み合いだったとか。

 

約1500年前に神事として始まった相撲は、江戸時代に入ると庶民の娯楽として親しまれるようになり、やがて「大相撲」という現在に続くプロリーグへと進化していきました。

長く独特な歴史はもちろんですが、ルールや技、格好や所作に到るまですべてが個性的です。「大相撲」の象徴といえば、力士の風貌ですよね。遠くからでも「いる」と分かる力士達の体格は、平均身長183.3cm、平均体重160.5kgと超重量級!大相撲観戦の機会はまだありませんが、この巨体の力士が土俵上で激しくぶつかり合う取り組みは、迫力満点で圧倒されるのでしょうね。

 

相撲絵(歌川国貞)

 

相撲ならではの伝統的なアレコレで言えば、土俵を清めるために力士が塩を撒く所作が大好きでした。私が子供の頃は水戸泉が豪快に塩を撒き、館内を沸かせていましたが、今はどうなんでしょう。

その昔、相撲は豊作を願う神事だったことから、土俵は神聖な場所とされ、取り組みの前に邪気を払う「清めの塩」として塩がまかれていました。その伝統が今でも受け継がれているわけですが、「清めの塩」には、あの「伯方の塩」が使われているのだとか。

1場所(15日間)で約520kgの塩がまかれているそうです。単純計算で、1日あたり約35kg、力士1人が約500gまいていることになります。

「伯方の塩」はさらさらした食塩と違い、手の平になじみ、たくさん撒きやすいのだそうで。粒が大きく、土俵に舞う姿も映えると。両国国技館が大きく沸く清めの塩は、実は「伯方の塩」。そう思うと、大相撲になんだか親近感がわいてきますね。

 

そんな大相撲。今はそれほど見なくなりましたが、実家近くに名古屋場所宿舎があったスタッフTには、子供の頃からわりと身近な存在でした。記憶にはありませんが、遠い昔お相撲さんに抱っこしてもらったそうな。

昔から、強いお相撲さんに赤ん坊が抱っこされると「丈夫に元気に育つ」と言われていますが、ギャン泣きしてきっと本人それどころではなかったと思います…。

 

ではでは、また。

Hello everyone. This is Staff T.

The flowers of the Japanese snowflake are peeking out in the store. It is as hot as midsummer outside, but thanks to the flowers, I can feel the autumn in my heart.

Autumn is a somewhat dreary time of year, but there was some sad news in the sports news as well. Former ozeki, Takaketsugu, has decided to retire. He is only 28 years and 1 month old. Even though he still feels that he has a long way to go, he was unable to overcome his injuries.

He had been suffering from neck pain in recent years, in addition to a right knee injury sustained in the summer of 2019, when he was a new ozeki. His brilliance will never fade.

 

Sumo is said to be Japan’s national sport with a history of 1,500 years. The image of a large, oversized sumo wrestler standing in the ring with a topknot in a mawashi (a ceremonial kimono) is famous throughout the world. Although sumo is a traditional sport, it is full of charms that are not well known.

Sumo wrestling has a long history in Japan, and is even mentioned in such old documents as the Chronicles of Japan and the Kojiki, which contain references to Japanese mythology. It is estimated that sumo was already in existence around the 4th century, as dolls resembling sumo wrestlers have been excavated from ancient burial mounds.

A sporting match held in front of the emperor is called a “Tenran-game,” and it is said that the first “Tenran-game” of sumo was held 2,000 years ago, well before the 4th century. In the mythological Tenran match, two sumo wrestlers, Nominosukune from Izumo and Taima-no-Kehaya from Yamato, were said to have fought each other in a duel with kicks and punches.

 

Sumo began as a Shinto ritual about 1,500 years ago, but by the Edo period (1603-1867), it had become a popular pastime for the common people, and eventually evolved into a professional league called “Ozumo” that continues to this day.

Sumo has a long and unique history, of course, but everything about it is unique, from the rules and techniques to the way it is dressed and conducted. The symbol of “Ozumo” is the appearance of sumo wrestlers. The average height of a sumo wrestler is 183.3 cm, and the average weight is 160.5 kg! I have not yet had the opportunity to watch a sumo match, but I imagine that it must be very powerful and overwhelming to watch these huge wrestlers clash violently with each other in the ring.

Speaking of traditional sumo, I loved the gesture of the rikishi sprinkling salt to purify the ring. When I was a child, Mito Izumi used to sprinkle salt with such gusto that it brought the whole hall to a boil.

In the old days, sumo was a Shinto ritual to pray for a good harvest, and the sumo ring was considered a sacred place where salt was sprinkled as “purifying salt” to ward off evil spirits before each bout. The salt was sprinkled on the ring before each bout as “purifying salt” to ward off evil spirits, a tradition that is still carried on today.

About 520 kg of salt is sprinkled in one place (15 days). Simple calculation shows that about 35 kg of salt is sprinkled per day, or about 500 g per rikishi.

Hakko-no-shio” salt is different from other types of salt in that it is very light and easy to spread on the palm of one’s hand. The grains are large, so they look good dancing in the ring, he said. The salt used to purify the Ryogoku Kokugikan is actually Hakko-no-Salt. When I think about it, I feel a sense of familiarity with sumo.

 

Such sumo wrestling is not so popular nowadays. Although I don’t watch sumo so much anymore, I was familiar with it since I was a child, as there was a Nagoya Grand Sumo Tournament dormitory near my parents’ house. I don’t remember, but I heard that a long time ago, I was hugged by a sumo wrestler.

It is said that if a baby is carried by a strong sumo wrestler, it will grow up to be strong and healthy.

 

See you later.

 

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

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【花器・香合買取】名古屋市千種区のお客様より買取いたしました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.21

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より花器・香合などを買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

古美術風光舎では、花器、香合などの買取もおこなっております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

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明日9月21日持込鑑定会開催いたします。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.20

古美術風光舎では、毎月21日鑑定会を行っております。

今月は、明日9月21日(土)10:00~17:00 開催いたします。

 

 

 

 

 

事前のご連絡はご不要ですので、ご都合の良いお時間にお立ち寄りください。

ご自宅やご実家で「どのくらい価値のあるものなのだろう」と疑問に思うお品などがあれば、査定だけでも構いませんのでお持ちください。

大きなお品など持ち込みが難しいお品は写真でも査定させていただきます。

毎月21日は覚王山日泰寺参道にて弘法の日縁日も開催されています。縁日にお立ち寄りの際はぜひ風光舎にもお立ち寄りください。

ご来店を心よりお待ちしております。

 

FUKOSHA holds an appraisal session on the 21st  of every month.

This month, it will be held on Saturday, September 21, from 10:00 am.

 

No prior notice is required, so please drop by at your convenience.

If you have any items at home or at your parents’ house that you wonder how much they are worth, please bring them in for evaluation only. If you have large items that are difficult to bring in, we will be happy to assess them by photo.

We look forward to seeing you at our store.

 

 

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帝室技芸員 並河靖之(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.20

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

記録ってこんなにあっさり塗り替えられるのなんですね…。

たしか、昨日のブログにて大谷翔平選手の48ー49からの50-50が待ち遠しいというつぶやきをしたはずですが、今朝TVをつけたところ、あっさり記録が達成されているではないですか。朝から驚いたと共に、へ?もう?と思いながら、朝ご飯を食べた方もいらっしゃったのではないでしょうか笑。

 

今朝の試合は、19日(日本時間20日)、敵地でのマーリンズ戦にて「1番・DH」で先発出場。まずは2盗塁をあっさり決め、そのあとホームラン2本。50-50をあっさり達成したかと思うと、この試合だけで結果ホームラン3本、盗塁2盗塁により、すぐに51-51と記録をさらに伸ばし偉業達成であります!。

 

しかも3打席連発を含む6安打で球団新記録10打点ですから、この大暴れにスタジアムは騒然、歓声では終わらずパニック状態。もはや誰にもとめられないこの大暴れぶりをスタジアムで観戦できたファン方は本当に本当に羨ましい!。

そんな大興奮の試合に足を引っ張られながら出勤してまいりまいたが、たぶん今日は大谷選手のこの偉業達成のニュースで持ち切りだと思いますので、せめて夜は思う存分ザッピングしまくりたいと思っております。

 

 

 

 

というわけで、ここからは通常運転に戻っていきましょう。

 

本日はシリーズ化しております「帝室技芸員」なのですが、本日はちょっと気になった七宝作家の2人のナミカワについてお伝えしたいと思っております。

 

明治時代、七宝業界は尾張、京都を中心に数多くの七宝作家が存在しました。ここ愛知県尾張地方でも七宝焼の生産は盛んでして、現在でも生産がされております。当時多くの七宝作家がおりましたが、その中でたった二人だけ帝室技芸員に任命された作家が、今日ご紹介する京都の並河靖之[1845〜1927]と東京の濤川惣助[1847〜1910]の、二人のナミカワであります。

 

偶然にもほどがるのですが、二人は同じ「ナミカワ」姓であります。二人のナミカワは共に同世代に日本の近代七宝家を代表する人物として広く国内外に知られた人物であり、同じ【ナミカワ】姓なのですが、京の宮家の家従家に養子に入った並河靖之と、房総の農村の出である濤川惣助との間には何の繋がりなはないとのことです。

 

日本の七宝焼が海外へと広まっていった明治中頃に二人は日本を代表する七宝家になり、帝室技芸員にも任命されておりますが、明治期七宝焼が海外へと広まっていった時代ですので、ローマ字表記することもあったでしょう…。そうすると同じ「KAMIKAWA」。外国の方は混乱はしなかったのか、ちょっと気になるところであります。

 

本日は京都のナミカワ、並河靖之について述べていきますが、まずは略歴を。

 

【京都の七宝作家 並河靖之】

並河靖之 (1845~1927) は、 弘化2 (1845) 年武州川越藩京都留守居役京都詰め役人高岡九郎左衛門の三男として生まれました。 安政2 (1855) 年、十一歳の時に青蓮院の坊官をつとめていた並河家に養子となりました。 青蓮院宮に仕えましたが、 明治維新を迎えて社会体制の変革に伴い、 実業を志し 明治6(1873)年頃、 名古屋方面から来た七宝家について七宝の製造法を学びました。

 

明治8(1875)年の京都博覧会に七宝作品を出品して受賞したのを皮切りに数々の国内外の博覧会に出品して受賞し、 日本を代表する七宝家の地位を確立。特にその細かい植線による図柄の表現と、艶のある黒色透明釉薬の発明は日本の七宝を広く諸外国へ知らしめることに成功しました。 明治26 (1893) には、縁綬褒章を受章し、続いて明治29 (1896) 年には帝室技芸員に選ばれました。

 

並河靖之の作品の中でも特に有名なものとして、「七宝 四季花鳥図 花瓶」がありますが、この作品は、明治天皇の御下命により、1900年のパリ万国博覧会の出品用作品として制作されました。パリ万国博覧会では金牌を受賞しており、現在では並河靖之の代表作として【三の丸尚蔵館】に所蔵されています。

 

 

「七宝 四季花鳥図 花瓶 サクラ」 明治32年(1899)
七宝  径25.0×高36.0

(宮内庁HPより)

 

1対の作品でして、サクラと青もみじがあります。大きく配された山桜やモミジとともに数種の野鳥が、並河が創始した光沢をたたえた黒色釉の背景から鮮やかに浮かび上がっているかのようです。また、細密な図案は絵筆で描かれたかのように樹幹の輪郭となる金属線に肥痩がつけられており、図柄を拡大してみますと、その技術の高さと緻密さには目が奪われます。近代有線七宝の最高水準を示す並河の傑作として、内外での大きな評価を得ており、御下命により制作されて1900年パリ万国博覧会に出品された作品であります。

 

その並河靖之の作品のすぐれた特徴として、緻密な細工が挙げられます。それぞれの作品は、細部に至るまで手間暇をかけて作られており、その技術力は他の追随を許しません。また、作品にはよく自然の要素が含まれており、花、鳥、風景など、自然からインスピレーションを得て作られた作品が多く、それが彼の作品に深みと生命感を与えています。

 

また、並河靖之の作品は、彼の生涯を通じて幾度となく変化してきました。初期の作品は、伝統的な七宝の手法を活かした作品が多く、その後は次第に独自の色彩感やデザインを追求するようになっていきます。そして後期の作品では、より大胆な色彩と自由な形状を用いた作品が増え、彼自身の芸術観が色濃く表現されています。

 

そして、並河靖之は中原哲泉らとともに有線七宝を極めたことでも有名です。有線七宝とは、金属の胎(ボディ)に文様の輪郭線として金や銀の線をテープ状に貼りつけ、線の間に釉薬をさして焼成・研磨を繰り返す技法のことですが、パリやシカゴ、ロンドン、バルセロナの博覧会や内国勧業博覧会に出品した壺や花瓶などの作品は、その技術を存分に表現し、金賞を含む多数の賞を受賞し、国内外を問わず高い評価を受けました。

 

また、並河の七宝は、京都舎密局におけるドイツ人科学者のワグネルとの出会いや、自ら開発した黒色透明釉薬などによって作風が変化していきます。

 

どの時代の作品であれ、彼の作品の特徴は色彩と細部の表現の素晴らしさでしょう。また、独自の研究で黒色透明釉薬を開発や綿密な植線と優れた色彩感覚で有線七宝を極めた作品は、ただただため息であります。

 

 

次回はもう一人のカミカワ、東京の濤川惣助をご紹介していきたいと思います。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Records can be rewritten so easily….

I must have tweeted in yesterday’s blog that I was anxiously awaiting Shohei Otani’s 50-50 from 48-49, but when I turned on the TV this morning, I saw that the record had been easily broken! I was surprised this morning, and also thought, “What? Already? I guess some of you may have eaten your breakfast with the thought, “What?

 

This morning’s game was against the Marlins on the 19th (20th in Japan time), and he started as the “No. 1 DH. First, he easily stole two bases, then hit two home runs, and just when you thought he had easily achieved a 50-50 record, he hit three home runs and stole two bases in this game alone, and quickly improved his record further to 51-51!

 

Moreover, with six hits, including three in a row, he scored 10 runs, a new team record. The stadium was in a state of panic, not just cheering, as a result of this rampage. The fans who were able to watch this unparalleled rampage at the stadium were truly, truly envious!

I’ve been dragged to work by the excitement of the game, but I’m sure today’s news will be all about Otani’s accomplishment, so at least I’ll be zapping the news as much as I can at night.

 

 

 

So, let’s get back to our normal routine from here.

 

Today, I would like to tell you about two cloisonne enamel artists who caught my attention.

 

In the Meiji era, there were many cloisonne enamel artists in the cloisonne enamel industry, especially in Owari and Kyoto. Here in the Owari region of Aichi Prefecture, cloisonne enamel ware production also flourished and is still being produced today. Among the many cloisonne enamel ware artists of the time, only two were appointed as Imperial Artists: Namikawa Yasuyuki (1845-1927) of Kyoto and Tawokawa Sosuke (1847-1910) of Tokyo, the two artists introduced today.

 

It is not so much of a coincidence that they share the same surname, “Namikawa. Both Namikawa and Tawokawa were well known in Japan and abroad as representatives of modern Japanese cloisonne enamel ware in their generation, and although they share the same surname, there is no connection between Namikawa Yasuyuki, who was adopted by a member of the imperial family in Kyoto, and Tawokawa Sosuke, who came from a farming village in Boso.

 

In the middle of the Meiji period (1868-1912), when Japanese cloisonne enamel ware was spreading overseas, the two became Japan’s representative cloisonne enamel ware artists and were appointed as Imperial Household Artists. In that case, the name would have been the same, “KAMIKAWA. I am a little concerned that foreign people might have been confused.

 

Today, I would like to talk about Yasuyuki Namikawa, the “Namikawa of Kyoto,” but first, a brief biography.

 

Namikawa Yasuyuki, Kyoto’s Cloisonne Treasure Artist

Namikawa Yasuyuki (1845-1927) was born in 1845 as the third son of Takaoka Kurozaemon, an official of the Kawagoe clan in Bushu, Kyoto. In 1855, at the age of eleven, he was adopted into the Namikawa family, who served as a priest at Seiren-in Temple. He served Seiren-in Palace, but with the Meiji Restoration and changes in the social system, he decided to pursue business and learned how to make cloisonne enamel ware from a cloisonne enamel ware maker from the Nagoya area around 1873.

 

He exhibited cloisonne enamel works at the Kyoto Exposition in 1875 and won awards at numerous national and international expositions, establishing his position as one of Japan’s leading cloisonne enamel artists. In particular, his fine linework and the invention of a glossy black transparent glaze made Japanese cloisonne enamel ware widely known throughout the world. In 1893, he was awarded the Medal with Ribbon, and in 1896, he was selected as a member of the Imperial Household Artists.

 

One of Namikawa Yasuyuki’s most famous works is the “Cloisonne Vase with Flowers and Birds of the Four Seasons,” which was created by order of the Emperor Meiji to be exhibited at the Paris Exposition of 1900. It was awarded a gold medal at the Paris Exposition, and is now in the collection of the San-no-Maru Shogakukan as one of Namikawa Yasuyuki’s representative works.

 

 

 

Cloisonne enamel “Flower Vase with Seasonal Flowers and Birds, Cherry Blossom,” 1899
Cloisonne enamel, Diameter 25.0 x Height 36.0

(From the Imperial Household Agency website)

 

This pair of vases includes a cherry blossom and a blue maple tree. The large arrangement of mountain cherry blossoms and maples, along with several species of wild birds, seem to emerge vividly from the glossy black glazed background created by Namikawa. The detailed design is as if painted with a paintbrush, and the metal lines outlining the tree trunks are thickened and thinned. This work was produced by order of the Emperor of Japan and exhibited at the Paris World Exposition in 1900.

 

One of the outstanding characteristics of Namikawa Yasuyuki’s works is their meticulous craftsmanship. Each piece is made with painstaking care and attention to detail, and his technical skill is unrivaled. In addition, his works often contain elements of nature, and many of his pieces are inspired by nature, such as flowers, birds, and landscapes, which gives his pieces depth and life.

 

In addition, Yasuyuki Namikawa’s work has changed many times throughout his life. In his early works, many of his pieces utilized traditional cloisonne enamel techniques, after which he gradually began to pursue his own unique sense of color and design. And in his later works, more bold colors and freer shapes are used, and his own view of art is strongly expressed.

 

Namikawa Yasuyuki is also famous for his mastery of wired cloisonne enamel ware together with Tetsusen Nakahara and others. Wired cloisonne enamel ware is a technique in which gold or silver lines are taped to a metal body as outlines of patterns, and glaze is applied between the lines, and the firing and polishing processes are repeated. Namikawa’s cloisonne enamel works received numerous awards, including gold medals, and were highly acclaimed both in Japan and abroad.

 

Namikawa’s style of cloisonne enamel ware also changed with his encounter with the German scientist Wagner at the Kyoto Shaman’s Bureau and the black transparent glaze he developed himself.

Regardless of the period in which he worked, his works are characterized by their great expression of color and detail. His development of black transparent glazes through his own research and his mastery of wired cloisonne enamel ware with meticulous planting lines and an excellent sense of color are simply breathtaking.

 

 

 

In the next issue, we will introduce another Kamikawa, Tawokawa Sosuke of Tokyo.

 

Have a good day.

 

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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【掛軸・絵画買取】(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.20

 

 

春日井市のお客様より掛軸・絵画などを買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

古美術風光舎では、掛軸・絵画などの買取もおこなっております。

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なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

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50-50見逃せないですね。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨とう買取古美術風光舎)

2024.09.19

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

いよいよ近づいてきましたね…。なんことだ?と聞き返されそうですが、大谷翔平選手の夢の「50-50」です。いよいよ近づいてきておりますよね。

 

近々のニュースでは、ドジャース・大谷翔平投手が18日(日本時間19日)敵地・マーリンズ戦に1番・指名打者で出場。第1打席で左前打を放ち出塁し、すぐさま49個目の盗塁を決め、史上初の48本塁打&49盗塁(48-49)に到達しました。夢の「50-50」にまた前進です。

 

初回の第1打席で左前打を放ち、すぐさま二盗を決めたのですが、49盗塁は日本出身選手では2006年のデーブ・ロバーツ(ドジャース監督)に並んで歴代2位となるそうです。さらに捕手の失策で三塁に進塁しますが、1死からテオスカー・ヘルナンデス外野手の内野ゴロで本塁を狙いますが、挟まれタッチアウトとなりましたが、どこまでも貪欲に攻める姿勢は崩れませんね。

そんな大谷選手、7月23日(同24日)の本拠地・ジャイアンツ戦からなんと26回連続成功、アウトになったのはたった4度らしく、盗塁成功率は92.5%という驚異の成功率だそうです。

 

ついついホームランに気を取られがちなのですが、盗塁は素人目線にみても難しいとみてわかります。脚力も必要ですが、 投手のフォームを盗み、相手バッテリーの配球を読み、抜群のスタートを決め、絶妙なスライディングする技術が必要などなど、素人目線でも難しいんだとうな…と、みてとれます。

ですが、見ていて一番気がかりなのは怪我のリスク。スライディングが決まった後、審判のセーフのサインがでますと、ヒヤヒヤと共に「セーフでよかった」と「怪我がなくてよかった」が、私はいつも錯誤します。

 

それより、最近でこそ50-50などのタイトルを耳にしますが、実は近年のメジャーはホームランと逆に盗塁が減少していたようです。そうですよね、メジャーリーガーのホームランバッターが盗塁するイメージがそもそもなかったような…。それもそのはず、18~22年までの5年間に50盗塁以上の選手は1人もいなかったようです。ですが、2022年の新ルール「ベース拡大」導入により、様子が変わってきたようで、新ルール後、なんと3選手が50盗塁以上をマークしております。

 

ベース拡大によって、ベースの大きさが15インチ(約38.1センチ)四方から18インチ(約45.7センチ)四方になり、この変更で本塁から一塁、本塁から三塁の距離は3インチ(約7.6センチ)減少し、一塁から二塁、二塁から三塁の距離は4.5インチ(約11.4センチ)減少。大きなベースは、選手の安全にポジティブな影響があると期待されているものの、実際に比較してみると視覚的なインパクトのほうが大きく、ベース付近での怪我の減少にもつながったとMBLは報告ているようですよ。

 

この新ルールにより、今年はレッズのエリー・デラクルスに大谷が続こうとしているというわけですが、ホームランの方につい気がいきがちだった素人観戦者スタッフY、これを知ってしまうと盗塁もホームランぐらいの熱量で見逃せない一瞬になってきたではないか。

 

とにもかくにもその瞬間は近づいてきているようですので、ここからの一戦一戦、絶対見逃せない…。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

It is finally getting closer… What is it? It is Shohei Otani’s dream “50-50”…. It is finally getting closer, isn’t it?

 

In recent news, Dodgers pitcher Shohei Ohtani played in the game against the Marlins on the 18th (Japan time 19th) as the designated hitter. In his first at-bat, he hit a ball to left field and immediately stole his 49th base, becoming the first player in history to hit 48 home runs and steal 49 bases (48-49). He is on his way to his dream “50-50” again.

 

He hit a ball to left in the first at bat and immediately stole second base. His 49th stolen base is the second most in history among players from Japan, tied with Dave Roberts (Dodgers manager in 2006). He also reached third base due to a catcher’s error, but with one out, he tried to reach home on an infield single by outfielder Teoscar Hernandez, but was caught between the two and touched out.

Since the July 23 (July 24) game against the Giants, Ohtani has been successful 26 consecutive times, getting out only four times, and his success rate of stealing bases is said to be an astonishing 92.5%.

 

We tend to be distracted by home runs, but stealing a base, even from an amateur’s point of view, is very difficult. It seems that stealing a pitcher’s form, reading the opposing battery’s pitch distribution, making a great start, and having the skill to slide in exquisitely are necessary, but what worries me most is the risk of injury. When the umpire gives the “safe” sign after a successful slide, I always feel a little nervous and mixed up between “glad it was safe” and “glad there were no injuries.

 

More recently, I have heard of titles such as 50-50, but in fact, it seems that home runs and stolen bases have been declining in the majors in recent years. Yes, I know, I didn’t really have an image of major league home run hitters stealing bases in the first place…. That is also true, it seems that no player stole more than 50 bases in the five years from 2006 to 2010. However, with the introduction of the new “base expansion” rule in 2022, the situation seems to have changed. After the new rule, a whopping three players have stolen 50 or more bases.

 

With this change, the distance from home base to first base and from home base to third base decreased by 3 inches (about 7.6 cm), and the distance from first base to second base and from second base to third base decreased by 4.5 inches (about 11.4 cm). Decrease. While the larger bases are expected to have a positive impact on player safety, the MBL reports that the visual impact is greater in actual comparison and has also led to fewer injuries near the bases.

The new rule has allowed Ohtani to follow the Reds’ Ellie Delacruz this year, and although we amateur spectators have tended to focus more on home runs, now that we know this, stolen bases have become a moment that cannot be missed with as much enthusiasm as a home run.

The moment seems to be approaching anyhow, so we definitely cannot miss every single game from here on out….

 

Have a good day.

 

 

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