5月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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FROMKYOTOOSAKA

もしかしたら何か見つかるかもしれません(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.24

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

今日は薄雲がありますが、晴天の名古屋です。手荷物が増えるのが面倒だなと思いましたが、日傘を引っ張り出しました。いよいよ、また暑い日々がやってくるのかと恐れおののいています。

とはいえ、酷暑が予想される夏の前に、じめじめの梅雨がやってまいりますので、お片付けなどには今の時期を逃す手はありません。

 

 

そういえばしばらく前に、藤原定家自筆の古今和歌集の注釈書が発見され話題になりましたね。

平安末期~鎌倉期の歌人、藤原定家が記した古今和歌集の注釈書『顕注密勘(けんちゅうみっかん)』の自筆原本が、初めて見つかりました。

定家の流れをくむ冷泉家で代々継承された『古今伝授』の箱から見つかったもので、蔵でひっそりと守られ、冷泉家秘伝の箱に約130年もの間開封されなかったそうです。調査した専門家が「国宝や重要文化財級は出尽くしたと思っていた」というほどの驚きの発見だったようです。

 

冷泉家は宮中で歌会開催などを代々担ってきた「和歌の家」で、貴重な書物などが多く残ることから、「文書の正倉院」とも呼ばれます。『古今伝授』は歴代当主が一生に一度だけ開けて、歌学の修練に励んだものだそうで、最後の開封記録は明治29年。約130年開封されなかった理由は不明だそうですが、今回の調査のために、和歌の神々と先祖への許しを請う神事を行ったそうです。

 

藤原定家は新古今和歌集の選者として知られていますが、私のように古今和歌集と新古今和歌集の違いは何だっけ?と思った方はいらっしゃいましたか?

中学高校時代に習った内容を思い出しても、さっぱりなので調べたところ、まず有名な和歌集としては「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」があります。

そうでした・・・思い出してきました。

 

はじめに、「万葉集」は現存する日本最古の和歌集で、撰者ははっきりとしていませんが、大伴家持がかかわったとされています。天皇や貴族だけでなく、庶民が詠んだものまであり、およそ四千五百首の歌が収められています。

ご存知かと思いますが、元号の「令和」は万葉集の一首が由来となっています。

 

次に、「古今和歌集」は平安時代前期の日本最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)です。勅撰和歌集とは、天皇や上皇の命によって編集された和歌集のことを指します。醍醐天皇(だいごてんのう)の命令で、紀貫之(きのつらゆき)らが編集しました。約1100首が集められ、その4割ほどが詠み人知らずで、選者の歌が2割以上を占めており、繊細で優美な歌が多く、女性的ともいわれています。

 

最後に、「新古今和歌集」は鎌倉時代に後鳥羽上皇の命により編集された勅撰和歌集です。藤原定家をはじめ6人の選者によって、万葉集やそれまでの勅撰和歌集に選ばれなかった和歌の中から、約2000首が集められています。

 

今回見つかった『顕注密勘』は、歌学者・顕昭による古今和歌集の注釈に対して、藤原定家が自説を付け加えたものだそう。これまで写本しかなかったため、解釈が顕昭・定家どちらのものか曖昧だった部分が、顕昭への反論に紙を付け足すなどされており、区別がより明確になったようです。藤原定家の思考を知る手がかりとなるようですね。

 

このような世紀の発見とはいかなくても、ご実家の倉庫や蔵に、もしかしたらたくさんの骨董品が眠っているかもしれません。遺品整理の際に見つけた数々の工芸品がもしかしたら、価値があるものだったなんてことも。一気に着手するのは大変ですので、まずは手つかずの場所の風通しから始めてみてはいかがでしょうか。何か見つかるかもしれませんよ。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

 

It is a sunny day in Nagoya today, although there are some light clouds. I pulled out my parasol, though I thought it would be a hassle to carry more baggage. I am afraid that hot days are finally coming again.

However, the rainy season is coming before the summer, which is expected to be extremely hot, so there is no way to miss this time of year for cleaning up.

By the way, a while ago, a commentary on the Kokin Waka Shu (Anthology of Ancient and Modern Japanese Poetry) in Fujiwara Teika’s own hand was discovered and became a topic of conversation.

For the first time, the original manuscript of “Kenchu Migikan,” a commentary on the Kokin Waka Shu written by Fujiwara no Teika, a poet from the late Heian to Kamakura periods, has been found.

It was found in a box of “Kokin Denju,” which had been handed down from generation to generation in the Reizei family, the descendants of Teika. The box was kept quietly in a storehouse and was not opened for about 130 years in the Reizei family’s secret box. The discovery was such a surprise that the expert who investigated it said, “I thought we had run out of national treasures and important cultural properties.

 

 

The Reizei family is said to be called the “Shosoin of Documents” because of the large number of valuable books and documents that remain in the house. The “Kokin Denju” is said to have been opened only once in the lifetime of each successive head of the family to train in the study of waka poetry, and the last record of its opening was in 1896. The reason why it was not opened for about 130 years is unknown. For this research, they held a Shinto ritual to ask for forgiveness to the gods of waka poetry and their ancestors.

 

Fujiwara no Teika is known as the selector of the Shinkokin Wakashu, but what is the difference between the Kokin Wakashu and the Shinkokin Wakashu, like me? Did anyone else wonder, like me, what the difference is between the Kokin Wakashu and the Shin Kokin Wakashu?

I had no idea, even though I remembered what I learned in junior high and high school, so I looked it up. The first famous waka anthologies are the Manyoshu, Kokin Wakashu, and Shin Kokin Wakashu.

That’s right… I started to remember.

 

 

First of all, “Manyoshu” is the oldest extant collection of waka poetry in Japan, and although the author is not known for certain, Otomo no Iemochi is believed to have been involved with it. It contains approximately 4,500 poems, not only by emperors and aristocrats, but also by ordinary people.

As you may know, the Japanese era name “2025” is derived from one of the poems in the Manyoshu.

 

 

The Kokin Wakashu is Japan’s first imperial collection of waka poems dating back to the early Heian period. The imperial anthology refers to a collection of waka poems compiled by order of an emperor or superior. The collection was compiled by Kino Tsurayuki and others at the order of Emperor Daigo. About 1,100 poems were collected, about 40% of which are unknown to the poet, and more than 20% of the poems are by the selectors. Many of the poems are delicate and graceful, and are said to be feminine.

 

Finally, the “Shinkokin Wakashu” is an imperial collection of waka poems compiled in the Kamakura period by order of the Emperor Go-Toba. It was compiled by six selectors, including Fujiwara no Sadaie, and contains approximately 2,000 waka poems that were not selected for inclusion in the Manyoshu or previous imperial anthologies.

 

The “Kenshu Mikikan” found in this collection is said to be a commentary on the Kokin Waka Shu by the poet Kensho, to which Fujiwara no Teika added his own theory. Since only manuscripts had been available until now, the interpretation was ambiguous as to whether it belonged to Kensho or Teika, but now the distinction seems to be clearer, as a paper has been added to refute Kensho. It seems to provide a clue to the thinking of Fujiwara no Teika.

Even if you don’t find the find of the century, you may still find many antiques in your family’s warehouse or storehouse. It is also possible that many of the artifacts you find when sorting through your belongings may turn out to be of great value. It is difficult to start all at once, so why not start by ventilating the untouched places? You might find something.

 

See you soon.

 

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

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刀剣の査定買取でお悩みの方はけっこういます。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.23

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

季節の良くなり、このところご実家などのお片付けのご依頼やご相談も多くなりました。そのなかで少し気になったことに、刀剣などの処分や扱いにお悩みのお客様がいらっしゃいます。

そんな刀剣について少しずつです呟いてみたいと思いますが、本日はまず刀剣とは?からであります。

 

 

 

 

1.まず、刀剣とはどういうものか。

 

日本古来の伝統美である『刀』。神々を崇める道具や魔物を退治する魔除けとして、また別の時代では、人を殺める道具として使われてきました。歴史の長い刀剣は現代においては高価な骨董品の中でも『刀剣類』として扱われていますが、さて「刀剣とはどういうもの?」と聞かれると、その定義はちょっと難しく、例えば、『刀』は刀剣という事は簡単に分かりますが、『包丁』は刀剣なのかちょっと悩みますよね。

 

2.刀剣の定義とは?

 

刀剣の定義は『刀身』や『剣身』を備えている『武器』の総称でありますが、刀や太刀、日本刀など、刀剣関連には様々な種類がありそれらの種類の総称のことです。もう少し具体的に説明していきますと、「刀剣」と「刃物」は違います。前述にあるように、「刃身があるのであれば刀剣なのであれば、包丁も刀剣では?」と思われるかもしれませんが、包丁は「刃物」に属し刀剣類ではありません。刃をもつもので、刀剣類に属するものには一定の定義が存在し、その定義に属すれば『刀剣』、属さなければ『刃物』と分類されるのですが、肝心な『刀剣類』と『刃物』の違いは何のでしょうか?

 

3.『刀剣類』とは、銃刀法によると…

 

第二条 2 /この法律において『刀剣類』とは、刃渡り十五センチメートル以上の刀、槍及び薙刀、刃渡り五・五センチメートル以上の剣、あいくち並びに四十五度以上に自動的に開刃する装置を有する飛出しナイフ(刃渡り五・五センチメートル以下の飛出しナイフで、開刃した刃体をさやと直線に固定させる装置を有せず、刃先が直線であつてみねの先端部が丸みを帯び、かつ、みねの上における切先から直線で一センチメートルの点と切先とを結ぶ線が刃先の線に対して六十度以上の角度で交わるものを除く。)をいう。

 

つまり、刀剣類とは

・刃渡り15cm以上の刀、やり及びなぎなた刃渡り

・5.5cm以上の剣、あいくち、飛出しナイフ

 

となり、これ以外のナイフは刀剣類ではなく、刃物に分類され、銃刀法の刀剣類に該当いたしません。銃刀法を見てみると、刀剣類の中に、刃渡り15cm以上の刀「やり」及び「なぎなた」とあります、槍と薙刀に関しては、明らかにその形状で判別できるでしょうが、刀と包丁やナイフの違いは何になるのでしょうか。刀と包丁、ナイフとの違いはその形状で判断するしかなく、切先とつばの付け根を結ぶ線が刀身から外れている場合、つまり反っているものをおおむね刀剣類としているようです。

しかし、反ってはいないものの日本古来の武器である忍者刀は武器であるとの判例があり、刀剣類ですので所持は禁止されています。刀身が反っているということは、どういう意味を持つかと言うと、切るだけでなく突き刺すのに有効な形状をしているということで、これは槍も薙刀も同じです。突き刺すという行為は、切るよりもはるかに深い傷を負わせ、危険で殺傷能力が高いため、武器として認識されているようです。ちょっと話が微妙になってきましたね…。

 

「で、結局どう分けられるの?」と思われるかもしれませんので非常に簡単に刀剣と刃物の見分け方をまとめますと

・刀剣類 = 武器

・刃物  = 道具

と、理解しておくのがよいのではないでしょうか。だから道具と言える包丁は「刀剣」ではなく「刃物」なのです。

前述にもありますが、刃をもつ形状の変わった武器として、「薙刀」や「槍」がありますが、あれらも刀剣類に属します。殺傷力のもつ刃を持った武器だからなのでしょう。また、刀剣の買取業界においては「鍔」や「拵え」といった刀装具も刀剣類も価値があり買取として扱っていますので、装飾などの価値があるのも刀剣でしょうか。

 

4.『刀剣類』は注意が必要です。

 

骨董品でも本物の日本刀を含む『刀剣類』の扱いは大変危険なものです。所持するためには必ず『銃砲刀剣類登録証』が必ず必要になります。この証明書がついている『刀剣類』であれば、骨董品店で購入する際も、友人に証明書と一緒に譲る際にも必要となる大切な証書となります。の登録証、基本的に『刀剣類』についてくるものですので『刃物』には必要ありません。(自宅の包丁に証書はないですよね。)よって、登録証のない『刀剣類』を持っている場合は改めて登録の手続きを行わなければなりませんのでご注意ください。

 

そして、刀剣には所持することができないものもあります。それは、日本刀をつくる工程に、決められている必要な工程を行わずに製造された刀剣です。刀剣や日本刀を所持するためには、このような事を知っておく必要がありますのでご注意ください。

 

今日はなんだかひやっとするようなつぶやきでありましたが、私もこのところ美術館で銘刀が気になっており、あの吸い込まれるような風景と刃先に魅了されることも。こうやって刀剣に沼っていくのか…と少し思いましたが、その刃先と同じくその扱いと保管は大変危険で繊細。私にとってはまだ簡単に近づける存在ではないようです。

 

次回は刀剣の魅力やその買取についてなどなど呟いてまいります。

それではごきげんよう。

 

 

*古美術風光舎では刀剣の買取や査定のご相談も承っております。ご自宅ご実家にございます刀剣をどうしようかとお悩みでありましたら、一度ご相談くださいませ。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

As the season is getting better, we have been receiving a lot of requests and consultations regarding the cleanup of family homes and other properties. One of the things that has been bothering us is that some of our customers are having trouble disposing of or handling swords and other such items.

Today, I would like to talk a little about swords.

 

First of all, what is a sword?

Swords” are an ancient Japanese traditional beauty. It has been used as a tool to worship the gods, as an amulet to ward off demons, and in other times, as a tool to kill people. Today, swords with a long history are treated as “swords” among expensive antiques. For example, it is easy to understand that a “katana” is a sword, but is a “kitchen knife” a sword?

 

What is the definition of a sword?

The definition of a sword is a generic term for a “weapon” that has a “sword blade” or “sword body,” but there are many different types of swords, such as the katana, tachi, and nihonto.

To be more specific, there is a difference between a “sword” and a “blade”.

As mentioned above, you may be thinking, “If a knife is a sword if it has a blade, then isn’t a kitchen knife also a sword?” However, a kitchen knife belongs to the “cutlery” category and is not a sword. If a knife has a blade and belongs to the sword category, it is classified as a “sword” and if it does not, it is classified as a “cutlery”.

 

What is the difference between “swords” and “knives”? 3.

Article 2, paragraph 2
In this law, “swords” means swords, spears and naginata with a blade of 15 cm or more in length, swords with a blade of 5.5 cm or more in length, aikuchi, and flying knives (flying knives with a blade of 5.5 cm or less in length that have a device to automatically open the blade to a 45 degree angle or more, and knives with a blade that is not fixed in a straight line with the sheath and the blade. (excluding flying knives with a cutting edge of 5.5 centimeters or less, with a straight cutting edge and a rounded tip of the blade, and with a line connecting a point on the blade 1 centimeter straight from the cutting edge with the cutting edge at an angle of 60 degrees or more to the line of the cutting edge). (2) “Swords” means swords.

 

In other words, swords are

Swords, javelins, and naginata with blades of 15 cm or more in length
Swords with a blade of 5.5 cm or more in length, aikuchi, and flying knives

Other knives are classified as blades, not swords, and do not fall under the category of swords under the Swords and Swords Law.
The Swords and Swords Law includes the words “yari” and “naginata,” which are swords with a blade of 15 cm or more in length, and the spear and naginata are clearly distinguishable by their shape, but what is the difference between a sword and a knife or kitchen knife?

The only way to tell the difference between a sword and a kitchen knife or a knife is to judge by the shape of the sword. However, there is a precedent that a ninja sword, an ancient Japanese weapon, is a weapon even though it is not warped, and its possession is prohibited because it is a sword.

The fact that the blade is warped means that it is shaped not only to cut, but also to thrust, which is the same for spears and naginata. The act of thrusting seems to be recognized as a weapon because it inflicts a much deeper wound than cutting, and is dangerous and capable of killing. The story is getting a little more subtle….

So, how do we divide the two in the end? So here is a very simple way to distinguish between swords and blades.

Swords = Weapons
Blades = tools

It would be better to understand this as “swords” and “knives”.

Therefore, a kitchen knife, which can be called a tool, is not a “sword” but a “blade.
As mentioned above, there are also “naginata” and “javelin” as weapons with blades of unusual shapes. They are also classified as swords, probably because they have blades with the power to kill.

In the industry of purchasing swords, sword accessories such as “tsubas” and “arrangements” also have value and are treated as swords for purchase.

 

4. “Swords” should be treated with caution.

Handling swords, including real Japanese swords, is very dangerous, even for antiques. A “Firearms and Swords Registration Certificate” is always required to possess such items. This certificate is an important document that is required when purchasing a sword from an antique store or giving it to a friend with a certificate.

This registration certificate is basically attached to “swords” and is not required for “knives. (You don’t have a certificate for your kitchen knives at home, do you?) (You don’t have a certificate for your knives at home, do you?) Therefore, please note that if you have “swords” without a registration certificate, you will have to go through the registration process again.

 

And there are some swords that you are not allowed to possess. That is, swords that have been manufactured without the necessary steps that are determined in the process of making Japanese swords. Please note that you need to know these things in order to possess a sword or Japanese sword.

 

Today’s tweet was somewhat cringe-worthy, but I have also been curious about the famous swords at museums recently, and I am sometimes fascinated by that absorbing scenery and the edge of the blade. I was a little bit surprised to know that this is how I got swamped with swords… but just like their cutting edges, their handling and storage are very dangerous and delicate.

It is not an existence that I can easily approach yet.

So long, and have a good day.

 

We at Fumikosha are happy to purchase your swords and provide you with consultation. If you are wondering what to do with the swords you have at home or at your parents’ house, please contact us.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

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まだまだ未知の世界があるようです(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.22

みなさまこんにちは。スタッフHでございます。

最近外を歩いていると、庭先や道沿いに様々な種類の花が咲いているのを見かけます。以前は名前の分かる花や木が多かったのですが、最近は見慣れない花や木に出くわす機会があり好奇心がくすぐられます。

 

さてこちらは馴染み深い松竹梅が見込みに描かれた古伊万里の染付長皿です。縁には細かなみじん唐草文様が描かれています。暑さのせいか涼やかな色合いについ目が向いてしまいます。

 

 

 

 

縁の裏側にも唐草模様がゆったりと描かれています。

 

 

 

 

 

 

この長方形の長皿、食器の中でも好きな形です。丸い形の器が多い食卓にこの角ばった器を置くだけでアクセントとなり、ちょっと華やかになります。丸皿だと悩んでしまう盛り付けも長皿だと一直線に並べるだけで同じ料理がお洒落に見えるから不思議です。収納もしやすいのも有難いところです。

日本で長皿は17世紀後半から作られ始め「鮎皿」とも呼ばれ、魚、肉、野菜、卵などの焼き物や刺身などを盛ったされています。普段の食事では一汁一菜が多かったようですが、季節ごとの旬の食材を使った料理を長皿に盛って食卓に加えることで、楽しむ食事を演出していたと考えられています。

 

長皿は粘土板を型に押し当て、はみ出た粘土を切り取って形を整える糸切成形により作られていました。厚手で四隅を少し内側に入れた入隅のある長方形の形は19世紀まで作り続けられたとされています。私でも使い勝手が良いと感じているのですから、江戸時代の人々にも人気があったのではないでしょうか。同じ形で絵柄を変えたものが多くあるそうです。食事をすることを楽しむ文化があり、またその人々の要望に応えるように、様々な工夫を凝らしながら、食卓が楽しくなる器を作り続けた江戸の職人の気概を感じます。

 

さて先ほど見慣れぬ花や木の話をしましたが、今朝見かけた見慣れぬ木がこちらです。

 

 

 

 

白いふわふわした綿毛のような花?が咲いております。気になり調べてみると、「メラレウカ」という木でした。葉をお茶として飲んだことから別名「ティーツリー」とも呼ばれているそうです。原産国のオーストラリアに18世紀ころ上陸した海洋研究科のキャプテンクックもこの葉をお茶として飲んだとか。

ティーツリー?聞いたことがある名前だと思っていたら、葉や茎からエッセンシャルオイルが抽出され、ハーブとしても利用されているとのこと。アロマオイルを扱う店には必ず置かれている種類だと思います。この木から作られていたのですね。

オーストラリアの先住民アボリジニの間ではその殺菌力や抗ウイルス、抗炎症などの作用により万能薬として愛用されていました。今でもティーツリーのアロマオイルは風邪やインフルエンザの予防にも効果があるといわれています。

以前はアロマオイルやハーブティーなどにはあまり興味がなかったのですが、ぐっすり眠れないと感じていた時期に友人にハーブティーをもらい試してみたところ、信じられないくらいぐっすり眠れたことがありました。私が単純にできているのか、紛れもなくハーブの力なのかその効能に驚きました。自然の力ってすごい!と感じました。まだまだ私の知らない世界があるようです。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Recently, when I walk outside, I see various kinds of flowers blooming in gardens and along roads. In the past, there were many flowers and trees whose names I could recognize, but recently I have been encountering unfamiliar flowers and trees, which tickles my curiosity.

This is a Ko-Imari long dish with a familiar pine, bamboo, and plum motifs. The rim is decorated with a fine minced arabesque pattern. The cool coloring of the plate is very attractive due to the hot weather

The back side of the rim also has a relaxing arabesque pattern.

This rectangular long dish is one of my favorite shapes among tableware. Just by placing this rectangular dish on a dining table with many round dishes, a change is created and it becomes a little more colorful. It is a wonder that the same dishes look stylish just by arranging them in a straight line on a long plate, whereas it would be difficult to arrange them on a round plate. Another advantage of long plates is that they are easy to store.

In Japan, long dishes began to be made in the late 17th century and were called “ayu-zara” (sweetfish dishes), and were used to serve grilled fish, meat, vegetables, eggs, and sashimi. It is thought that people enjoyed eating meals by serving seasonal foods on long dishes and adding them to the dining table, although most of their daily meals consisted of one soup and one dish.

Long dishes were made by pressing a clay plate against a mold and cutting away the overhanging clay to form the shape. The thick, rectangular shape with the four corners slightly turned inward is believed to have continued to be made until the 19th century. Since even I find it easy to use, it must have been popular among people in the Edo period. Many of the same shapes with different designs are said to have been used. I feel the spirit of Edo craftsmen who continued to create dishes that made dining enjoyable, while devising various ways to meet the needs of a culture that enjoyed eating and the demands of its people.

 

Now, I mentioned earlier about unfamiliar flowers and trees, and here is an unfamiliar tree I saw this morning.

A white, fluffy, fluff-like flower? I was curious and looked it up. I was curious and looked it up, and found that it was a “melaleuca” tree. It is also called “tea tree” because its leaves were drunk as tea. Captain Cook, a marine researcher who landed in Australia around the 18th century, also drank the leaves as tea.

Tea tree? If you think the name sounds familiar, essential oil is extracted from the leaves and stems, and it is also used as an herb. I think it is the kind that is always placed in stores that deal in aroma oils. So it was made from this tree.

It was used as an all-purpose medicine by the indigenous Aborigines of Australia due to its bactericidal, antiviral, and anti-inflammatory properties. Even today, tea tree aroma oil is said to be effective in preventing colds and influenza.

I used to have little interest in aroma oils or herbal teas, but when I was having trouble sleeping well, a friend gave me a cup of herbal tea to try, and I could not believe how well I slept. I was surprised at its efficacy, whether I am a simple person or whether it is undeniably the power of herbs. The power of nature is amazing! I felt that the power of nature is amazing! It seems there is still a world out there that I am unaware of.

 

See you next time.

 

 

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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当たり前ではない平和な光景です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.21

みなさまこんにちは。スタッフHでございます。

少しずつ夏の気配がしてきましたが、まだ空気はカラッとしていて気持ちの良い朝でした。これに湿気が加わると発汗が抑えられ、熱中症の危険性が高くなるといわれています。気温だけでなく湿度にも注意が必要なのですね。過信は禁物だと自分に言い聞かせています。

 

先日小ぶりの盃台について綴りましたが、こちらの少し大きめの盃台も仲間入りしております。

 

 

 

 

 

 

絵柄が緻密に描かれており、白い余白とのコントラストが爽やかな印象で、飾っておくだけで存在感があります。盃台には本当に色々なサイズや形があるのですね。

 

さて昼を過ぎる頃から風光舎の店の前を元気な小学生たちが下校する姿が見られます。こっそり観察していると後ろを向いたり、立ち止まったり、道の端から端をジグザクに歩いたりと真っすぐにあるいている子の方が少ないような…。真っすぐ歩くことが当たり前になってしまった大人としては少し羨ましい気もします。

 

ちなみに本日5月21日は、「小学校開校の日」だそうです。それまで旧幕臣の子弟たちを対象にした学校はあったようですが、地域の子供が誰でも通えるような「公立小学校」はなかったようで、明治2年(1869年)5月21日、京都に「上京第二十七番組小学校」が開校しました。これは明治政府が小学校教育を義務付けた「学制」を公布するより3年前の出来事だったそうです。

幕末の動乱により京都の町の大半が焼けてしまい、明治維新で都が京都から東京へ移ったことで京都の人口が激減し、経済が衰退していきました。そんな中、行政と京都の町衆たちが寺子屋にかわり、子供たちが等しく教育を受け国内外の文化や歴史を学べる場所を作ろうと動き出したそうです。

資金調達に重要な働きをしたのが「番組制度」で、町の自治組織の番組ごとに資金を出し合ったとのこと。硯や筆なども資金から購入され、合計64校もの小学校が次々と建てられたそうです。

京都の西陣織や清水焼などの伝統産業を引き継いでいく人材を育てるために、当時から日本画などの美術に関する授業も取り入れられました。その結果、卒業生には北大路魯山人などの芸術家も多く輩出され、寄贈された作品が校内に飾られているとか。羨ましい環境ですね。京都の人々の懐の深さや団結力を感じます。

 

小学生の甲高い元気な声を聞いていると、当たり前に学校に通えることに感謝したくなります。しかも日本のように子供が大人の付き添いなしで外を歩ける国は少ないといいます。日本に来たばかりのアメリカ人のタレントさんが、一人で下校している小学生を見かけ、誘拐されないか心配で家まで着いて行ったそうです。屈強な欧米人が子供の後ろをついて歩く姿もちょっと怪しげな気もしますが…。それくらい珍しい光景なのでしょう。

また4、5歳の子供が財布を首から下げて一人でおつかいをする日本のテレビ番組(もちろん大人が見守っています)「はじめてのおつかい」が海外で人気のようですが、幼児をおつかいに出そうという発想が現実離れし過ぎて、もやは架空の世界にも見えるとか。

子どもたちにとって安全な日本の環境がいつまでも続きますように。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

It was a pleasant morning with the air still dry and crisp, although summer is gradually beginning to show itself. It is said that when humidity is added to this, it suppresses sweating and increases the risk of heat stroke. So we need to pay attention not only to temperature but also to humidity. I tell myself not to be overconfident.

The other day, I wrote about small sake cupholders, and this slightly larger one has joined the lineup.

 

The elaborate patterns on these pieces contrast with the white margins, giving them a fresh impression and making them stand out just by displaying them. Sake cup stands come in a variety of sizes and shapes.

 

After midday, we see cheerful elementary school students leaving school in front of the Fumikosha store. I noticed that they were turning around, stopping, or walking in a zigzag pattern from one end of the street to the other, and it seemed that few of them were walking in a straight line. As an adult who has become accustomed to walking straight, I feel a little envious.

 

Today, May 21, is “the day elementary schools were opened. Until then, there had been schools for children of former shogunate vassals, but there were no “public elementary schools” that any local child could attend, and on May 21, 1869, the “Kamigyo 27th Program Elementary School” opened in Kyoto. This was three years before the Meiji government promulgated the “school system,” which mandated elementary school education.

Most of the town of Kyoto was burnt down during the upheavals at the end of the Edo period, and with the capital moved from Kyoto to Tokyo during the Meiji Restoration, Kyoto’s population declined sharply and the economy declined. Under such circumstances, the government and the townspeople of Kyoto began working to create a place where children could receive an equal education and learn about domestic and international culture and history, instead of a terakoya.

The “program system” played an important role in raising funds, and each program was funded by the town’s self-governing organization. The funds were also used to purchase inkstones and writing brushes, and a total of 64 elementary schools were built one after another.

From that time on, classes on Japanese painting and other art-related subjects were also introduced in order to nurture human resources who would carry on Kyoto’s traditional industries such as Nishijin textiles and Kiyomizu-yaki ceramics. As a result, many of the school’s graduates are artists, such as Kitaoji Rosanjin, and their donated works are displayed in the school. It is an enviable environment. I feel the depth of nostalgia and unity of the people of Kyoto.

 

Hearing the high-pitched, energetic voices of the elementary school students makes me want to thank them for being able to attend school as a matter of course. Moreover, it is said that there are few countries where children can walk outside unaccompanied by adults like in Japan. An American TV personality once told me that he saw an elementary school student leaving school alone and, worried that he might be kidnapped, followed the child home. It may seem a little suspicious to see a strong Westerner walking behind a child, but…. But it is such a rare sight.

Also, “Hajimete no Otsukai,” a Japanese TV program in which a 4- or 5-year-old child carries a purse around his or her neck and goes on an excursion by himself or herself (watched by an adult, of course), seems to be popular overseas, but the idea of taking a toddler on an excursion seems too far from reality and even fanciful.

I hope that the Japanese environment will remain safe for children forever.

 

See you next time.

 

 

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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特別な日のお酒を演出してくれそうです(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.19

みなさまこんにちは。スタッフHでございます。

昨日の初夏のような暑さから一転、本日は雨模様で気温も下がっています。着るものから寝具まで悩ましいところです。

さて、風光舎に新しく仲間入りしたお品の紹介です。どんな用途か分からず初めは燭台?かとも思いましたが、「盃台」と呼ばれるものだそうです。藍色と白の淡い色合いが溶けあい、富士山の山頂に雪が積もっている様子が墨絵のようでしっくりきます。ところで富士山ですよね?

 

 

 

 

 

 

また上部には龍も描かれており立体的に浮き出ています。側面には激しい波しぶきが描かれ、小さいお品ですがとても迫力のある絵柄で見ていて飽きません。

 

盃台は本来は「茶事」で使われたものだそうです。お茶を頂く前、懐石料理をいただく時にお酒も出されるのですが、引盃をこの盃台に重ねて乗せ客前の畳の上に置かれたとのこと。引盃も懐石道具の一種で、客数分の重ねられた薄い盃を客が一枚ずつ引くことが名前の由来だそうです。

盃台は初期は黒塗りでしたが、のちに朱塗りとなり、幕末期には陶磁器のものが作られるようになったとのこと。

この盃台に盃を乗せることによって非日常の特別感が演出できそうですね。茶事においては茶席に座る人々の絆を深める儀式ともいえそうです。今ではあまり見られなくなりましたが、神前結婚式における「三々九度」や、お祝いの席で樽酒を木槌で割る鏡開きなど、大事なイベントでお酒は欠かせないものとなっています。決してお酒を飲みたいだけではありません…よね。

普段使いとして、盃台にお猪口を乗せて日本酒をいただくなどというお洒落なシーンもありなのではと妄想をしております。調べてみますとデザインや大きさも豊富で楽しめそうです。

 

描かれている富士山を見て思い出したのですが(また話が逸れますが)、私が富士山を初めて見たのは10代の頃に箱根旅行に行った時でした。高台に車を停めて外に出ると見たこともない神々しい山が!この美しい山は何?と思っていたらそれが富士山でした。関東地方の方には笑われそうですが箱根から富士山が見えるという頭がなく、感動的ではあったのですが、少し間抜けな憧れの富士山との突然の初対面でした。

日本が誇る美しい山の代表ともいえる富士山ですが、どうしてあんなにきれいな円錐形なのか不思議ではありませんか。少し調べてみると、富士山は成層火山で大規模な噴火活動を繰り返し、火山灰と溶岩を交互に噴出し堆積しながら少しずつ裾野を広げ成長しているそうです。

日本の火山は主に安山岩質の溶岩なのに対し、富士山が噴出する岩石は玄武岩質のため日本でもまれな火山とされています。この玄武岩質の噴出物は粘りが小さく流れやすいため、広範囲に広がり富士山の広い裾野を形成したといわれています。

 

日本人としていつか富士山に登り、ご来光を拝みたいという願いはありますが、もう無理なのではないかという年代に差し掛かっております。まずは足腰を鍛えることから!などとまた気の長い話をしております。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

After yesterday’s early summer heat, today is rainy and the temperature is dropping. It’s a bit of a problem from what to wear to bedding.

Now, I would like to introduce a new item that has joined the Fukosha family. At first, I thought it might be a candlestick, not knowing what kind of use it would serve. I was not sure what kind of use it would have, and at first I thought it might be a candlestick, but it is called a “sake cup stand. The pale hues of indigo and white blend together to create a fitting image of snow on the top of Mt. Fuji, by the way, Fuji right?

Also, a dragon is drawn on the top, floating three-dimensionally. On the side, there are violent splashes of waves, and although it is a small item, you will never get tired of looking at the very powerful design.

 

The sake cup stand was originally used for tea ceremonies. At the tea ceremony, sake was served, and the sake cup was placed on the tatami mat in front of the guests. The name “hiki-bai” comes from the fact that the guests would pull one thin sake cup from the stack for each guest.

In the early days, sake cup stands were painted black, but later they were painted vermilion, and by the end of the Edo period, they were made of porcelain.

It seems that placing the sake cup on this sake cup stand creates an extraordinary and special atmosphere. In tea ceremonies, it can be said to be a ritual to deepen the bond between the people sitting at the tea table. Although it is not so common nowadays, sake is an essential part of important events such as “sansankudo” at Shinto weddings and Kagamibiraki, where a barrel of sake is broken with a mallet at a celebration. It is not only for drinking sake…right?

I have a fantasy that there is a fashionable scene where you can enjoy sake with a sake cup on a sake cup stand for daily use. I have looked into it and found that there are a variety of designs and sizes to enjoy.

The Mt. Fuji depicted on the cup reminds me of the first time I saw Mt. Fuji when I was a teenager on a trip to Hakone, Japan. I parked my car on high ground, got out and saw a divine mountain I had never seen before! What is this beautiful mountain? I thought to myself, “That is Mt. I know this may sound funny to those of you in the Kanto region, but I had no idea that Mt. Fuji could be seen from Hakone, and although it was impressive, it was my sudden first encounter with this slightly silly and longed-for Mt.

Fuji is one of the most beautiful mountains in Japan, and I wondered why it has such a beautiful conical shape. Fuji is a stratovolcano that has repeatedly erupted on a large scale, spewing and depositing volcanic ash and lava alternately, gradually expanding its base and growing.

Fuji is a rare volcano in Japan because the rock from which it erupts is basaltic, whereas most volcanoes in Japan erupt mainly andesitic lava. The basaltic ejecta is less viscous and flows easily, so it is said to have spread over a wide area and formed the broad base of Mt.

As a Japanese, I have always wanted to climb Mt. Fuji and see the sunrise someday, but I am now approaching the age where that may no longer be possible. First of all, I need to strengthen my legs and back! I am talking long-windedly about such things again.

 

 

I will see you next time.

 

 

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まろやかな美味しさです(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.18

みなさまこんにちは。スタッフTでございます。

 

今日は朝から近くの小学校から賑やかな歓声が聞こえてきました。どうやら今日が運動会本番のようです。

しかし今日は爽やかを通り越しじりじりと日焼けするのが分かるほどです。子供達の応援に気を取られ、保護者の方が倒れたなんて話も聞きますので、大人も子供もこまめな水分補給が大事です。

 

 

さてさて5月は薫風に芳しい新茶の季節でもあります。

今日のような暑い日は、冷たいお茶が飲みたくなります。ですが、お茶には、渋味・苦味・うま味の独特な味わいがあります。大人にとっては魅力的な味わいですが、小さいお子さんにとっては、渋味・苦味のあるお茶は苦手……ということも多いようですが、私、最近は『水だし緑茶』で楽しんでいます。

 

日常使いの いつもの日本茶がお水で入れられる手軽さが、ズボラな私にはぴったりでして、お水で出すと、苦味や渋みが抽出されず、旨みや甘みがゆっくりと抽出されます。旨みと甘みが凝縮した、とろっとした美味しいお茶が手軽に楽しめるのが良いところ。

玉露、煎茶、かぶせ茶、くき茶、ほうじ茶、番茶、玄米茶など、日本茶なら何でもお水で出すことが出来ます!作るのはとても簡単で、プロが淹れても私が淹れても美味しさは同じではないかと勝手に思っています(笑)

 

緑茶は、使う水の温度によって、抽出される成分量が変わります。

お茶に含まれる苦み成分である「カフェイン」や、渋み成分であるカテキンの一種の「エピガロカテキンガレート」は、お湯の温度が高いと溶けやすい性質があり、60℃以上のお湯で淹れると溶けだす量はぐんと増えます。
お水でじっくり抽出することで、カフェインやエピガロカテキンガレートの抽出量が抑えられるため、緑茶の苦み・渋みも抑えられるというわけです。

 

一方で、甘み・うまみ成分である「アミノ酸」や、比較的穏やかな苦味を感じさせるカテキンの一種である「エピガロカテキン」は、低温の水にも溶け出しやすい特徴があり、お湯で淹れた場合とほぼ同じように抽出されます。
そのため、水出し緑茶は、苦み・渋みが少ない、まろやかな甘みとうまみのあるお茶になりますので、カフェイン摂取量を気にされる方、緑茶の苦み渋みが苦手な方やお子さんも、おいしく飲むことができます。

また、水出し緑茶は免疫力向上に役立ってくれることが確認されています。緑茶に多く含まれるアミノ酸の1種であるテアニンは、ストレスを解消したり睡眠の質を良くする効果があると言われています。

 

ちなみに江戸時代には、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列がありました。

『茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中』と言われ、寛永10年(1633年)に制度化され、幕府が倒れるまで続きました。茶壺道中は、将軍通行に匹敵するほど格式のあるもので、茶壺を持った使者が仰々しい行列を伴って通るときには、大名行列さえも道をあけなければならず、人々に緊張の走る行事でした。

 

わらべ歌「ずいずいずっころばし」の歌詞の中に、こんなフレーズがあります。

 

『ちゃつぼに おわれてトッピンシャン ぬけたら ドンドコショ~』

 

これは茶壺道中の様子を表しているもので、茶壺道中の行列がやって来たので、戸口をピシャっと閉めて家に逃げ込み、行列が通り過ぎたら、ホッと胸をなでおろしたというような感じでしょうか。

 

もし家に茶葉があれば、ぜひ淹れてみてください。せっかく買ったいいお茶でも、開封したものは味が落ちてしまいますから、もったいぶらずに(笑)。冷茶にして飲んで、熱いお湯でいれたときとは違う香りや味を、楽しんでみてくださいね。

ではでは、また。

 

 

Hello everyone. This is Staff T.

 

I heard lively cheers from a nearby elementary school this morning. It seems that today is the main day of the field day.

However, it is not only refreshing today, but I can feel myself getting sunburned. I have heard that some parents have fallen ill because they were distracted by cheering for their children, so it is important for both adults and children to drink water frequently.

 

May is also the season of freshly brewed tea, which is fragrant in the fragrant breeze.

On a hot day like today, I feel like drinking cold tea. However, tea has a unique taste of astringency, bitterness, and umami. For adults, the taste is appealing, but for young children, tea with astringency and bitterness is often their favorite ……. Recently, I have been enjoying “mizu-dashi green tea” (water-dashi green tea).

 

 

The convenience of being able to make my usual Japanese tea with water is perfect for me as a lazy person. When I make it with water, the bitterness and astringency are not extracted and the umami and sweetness are slowly extracted. The good thing is that it is easy to enjoy a mild and tasty tea with concentrated umami and sweetness.

Any Japanese tea can be served with water, including gyokuro, sencha, kabusecha, kukicha, hojicha, bancha, and genmaicha! It is very easy to make and I selfishly believe that the taste is the same whether it is brewed by a professional or by me (laugh)!

 

The amount of ingredients extracted from green tea depends on the temperature of the water used.

Caffeine, the bitter component of tea, and epigallocatechin gallate, a type of catechin, the astringent component, dissolve more easily when the water temperature is high, and the amount of catechin that dissolves increases dramatically when brewed with water at 60°C or higher.
Slow brewing with water reduces the amount of caffeine and epigallocatechin gallate extracted, which in turn reduces the bitterness and astringency of green tea.

 

On the other hand, amino acids, which are sweet and umami ingredients, and epigallocatechin, a type of catechin that gives green tea a relatively mild bitterness, are easily dissolved in cold water and are extracted in much the same way as when brewed with hot water.
Therefore, mizudashi green tea has a mild sweetness and umami flavor with less bitterness and astringency, making it a delicious drink for those who are concerned about caffeine intake, those who dislike the bitterness and astringency of green tea, and even children.

In addition, mizudashi green tea has been confirmed to help improve immunity. Theanine, a type of amino acid abundant in green tea, is said to relieve stress and improve the quality of sleep.

 

Incidentally, during the Edo period (1603-1867), there was a procession of tea pots filled with tea to present Uji tea, a specialty of Uji City, Kyoto Prefecture, to the Tokugawa shoguns.

The procession was institutionalized in 1633 and continued until the fall of the Tokugawa shogunate. The tea pot procession was so prestigious that even the daimyo’s procession had to make way for the messengers carrying tea pots and accompanied by an ostentatious procession, an event that caused tension among the people.

 

 

In the lyrics of the warabe song “Zu-zu-zu-zukorobashi,” there is a phrase that goes like this: “Chatsubo ni owa-awai.

 

Chatsubo ni oarete toppinshan, nukeruwa dondokosho~.”

 

This phrase is used to describe a scene during a tea ceremony, in which a procession of people were coming to the house, so they closed the door and ran into the house, and were relieved when the procession passed by.

 

If you have tea leaves at home, please try brewing them. Even if you have bought good tea leaves, the taste will deteriorate after opening the package, so don’t be wasteful (laugh). (Laughs) Try drinking it cold, and enjoy the different aroma and taste than when you make it with hot water.

See you soon.

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今さらながらハマっております・・・(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.17

みなさまこんにちは。スタッフTでございます。

本日、名古屋は見事な快晴となりました。5月も半ばを過ぎ、疲れが出る頃ですので、体調を崩さないようご注意くださいね。

 

 

さてさて、今日はようやく金曜日。土日でリフレッシュ・・・といきたいところですが、そうもいかない今日この頃であります。慌ただしい週末ではありますが、少々楽しみなこともありまして。

大半の方にはブームは過ぎてしまったでしょうか?ご興味ない方もいらっしゃるかと思いますが、『アニメ 鬼滅の刃』を毎週楽しみにしています。決してガチ勢ではないのですが、気づけばすべての放送を見てしまっております。

今回は第4期『柱稽古編』。来るラスボスとの対決への準備期間編ですので、これといった山場はないのかもしれませんが、描かれる映像の素晴らしさが毎回楽しみです。個人的には、エンディングで出てきた『柱』たちの刀の映像に見入ってしまいました。

 

刀と言えば、前回の『刀鍛冶の里編』では、炭次郎が「300年以上前の刀」を手にして驚く場面がありました。確かに300年という歳月は非常に長いものです。恥ずかしながら知らなかったのですが、実はその頃に作られたものは日本刀としては比較的若い分類に入るのだそうです。

アニメの中では「300年『以上』前の刀」「戦国時代」と言っているので該当はしないようですが、仮に『鬼滅の刃』の舞台である大正時代(1912~1926年)から300年遡るとすると、それは江戸時代初期。「新刀期(しんとうき)」と呼ばれる時代にあたるのです。

300年前のものが「新しい」!? いったいどういうことなのか……。

 

日本刀の歴史はどうなっていて、どのくらいまでさかのぼることができるのでしょう?

調べてみたところ、日本刀と聞いて思い浮かべる片刃の湾刀(わんとう)は、平安時代の中期~終わり頃に成立したとされています。それ以前にも古墳時代から日本国内に刀は存在しましたが、大陸から渡来したものを踏襲した形状(まっすぐな「直刀」や、両方に刃がついた「剣」)が中心でした。

そこから次第に日本独自の発展をしていったとされています。年代は西暦1000年前後、今から約1000年前とのこと。

約1000年前から現在まで日本刀は作り続けられています。現在も現役の刀鍛冶がおられるそうです。この1000年間は諸説あるようですが、大まかに3つ(あるいは4つ)の時代に分けられ、

日本刀の成立~戦国時代に作られたものを「古刀(ことう)」、江戸時代~明治9年のものを「新刀(しんとう)」、それ以降の作を「現代刀(げんだいとう)」と呼び、新刀のうち、もう1つさらに分けて幕末の刀を「新々刀(しんしんとう)」とすることもあるそうです。

 

と、ざっくり呼び方だけ書いてしまいましたが、形状の変化やらなにやらの詳細まで調べているうちに、一体何を調べていたのか分からなくなるほどでしたので、ご興味ある方はぜひ調べてみてください。

 

そういえば、テレビCMで見ましたが、全国の日本刀を鑑賞できる場所として、「名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(メーハク)」がオープンしました。最大で刀剣200振、甲冑50領、浮世絵150点、火縄銃・古式西洋銃250挺を展示できる博物館だそう。刀剣・甲冑・浮世絵・火縄銃・古式西洋銃が一体となったこだわりの展示方法のようなので、少々興味を惹かれはいたしますが・・・

 

ひとまずアニメを堪能するとして、今週も炭次郎の前向きな言葉や真摯な姿勢に元気をもらって、また来週頑張ろうと思います。

それでは、また。

 

 

Hello everyone. This is Staff T. It is a beautiful sunny day here in Nagoya today.

 

It was a beautiful sunny day in Nagoya today, and I hope you are feeling well.

Well, today is finally Friday. I would like to refresh myself on Saturday and Sunday, but it is not so easy these days. It’s a hectic weekend, but I have a little something to look forward to.

I hope that the boom has passed for most of you. I know some of you may not be interested in this, but I look forward to watching the “Anime Oni-no-Blade” every week. I am not a fanatic by any means, but I find myself watching all the broadcasts.

This time is the fourth season “Hashira Rehearsal Arc”. It is a preparation period for the upcoming showdown with the last boss, so there may not be any major climaxes, but I look forward to the wonderful images that are depicted in each episode. Personally, I was fascinated by the images of the swords of the “Pillars” that appeared at the ending.

 

Speaking of swords, there was a scene in the previous episode, “The Village of the Swordsmith,” where Sumijiro was surprised to see a “sword that is over 300 years old” in his hand. Indeed, 300 years is a very long time. I am ashamed to say that I did not know that, in fact, swords made around that time are classified as relatively young as Japanese swords.

In the anime, the swords are referred to as “more than 300 years old” and “the Warring States period,” so they do not seem to fall under this category. However, if we were to go back 300 years from the Taisho period (1912-1926), the period in which “Oni no Hane” is set, that would be the early Edo period. This period is called the “Shintouki” period.

Something 300 years old is “new”? What in the world does that mean? ……

 

What is the history of the Japanese sword and how far back does it go?

According to my research, the single-edged wanto (bayonet) that comes to mind when one hears the term “Japanese sword” was established in the mid to late Heian period. Before that, swords had existed in Japan since the Kofun period (burial mounds), but they mainly followed the shape of those imported from the continent (straight swords or swords with blades on both sides).

From there, it is believed that the Japanese sword gradually developed in its own unique way. The date is around 1000 A.D., or about 1,000 years ago.

Japanese swords have been made from about 1000 years ago to the present. There are still sword smiths working today. There are various theories about the last 1000 years, but it can be roughly divided into three (or four) eras.

Those made between the establishment of Japanese swords and the Warring States period are called “kotou,” those made between the Edo period and 1876 are called “shinto,” and those made after that period are called “gendaitou.

 

I have written only a rough description of what they are called, but I lost track of what I was researching as I was looking into the details of the changes in shape and whatnot, so if you are interested, please check it out.

By the way, I saw on a TV commercial that “Nagoya Sword World/Nagoya Sword Museum (Mehaku)” has opened as a place where visitors can appreciate Japanese swords from all over Japan. The museum can display up to 200 swords, 50 pieces of armor, 150 ukiyoe prints, and 250 firearms and old Western-style rifles. I am a bit intrigued by the way the swords, armor, ukiyoe prints, firearms, and old Western-style rifles are all displayed together.

I will enjoy the anime for now, but I will try my best next week, cheered up by Sumijiro’s positive words and earnest attitude.

See you next week.

 

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【絵画買取】名古屋市千種区のお客様より鑑定買取いたしました。

2024.05.17

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より、絵画を買取いたしました。

 

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今、古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取も強化しております。

なお、毎月18日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

 

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女子力を高める展覧会(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.16

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

ゴールデンウィークも終わり、私のように次の休みまでのことを考えると憂鬱になっている方もおいでではないでしょうか。このモチベをどうやって保とうか…といろいろ策を練っているところではあるのですが、そんな矢先、友人から「かわいいからいってみない?」と、お誘いがありまして。

 

 

 

 

「コスチュームジュエリー:美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより」

 

へ、行って参りました。

このフライヤーやエントランスまでもがすでにモチベと言いますか女子力を高めます。早速いってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところでコスチュームジュエリーって?と、まずは思いますよね。

 

コスチュームジュエリーとは、宝石や貴金属を用いず、ガラスや貝、樹脂など多種多様な素材で制作されるファッションジュエリー。宝石などの素材から解放され、自由なデザインを提案できるコスチュームジュエリーを20世紀初頭のポール・ポワレが先駆けとなり作り出し、以降シャネルやディオール、スキャパレッリなどフランスのオートクチュールのデザイナーたちがこぞって取り入れました。

なんだ、本物の宝飾品ではないのか…と、思ってしまったみなさま、それはちょっと残念。

 

「これは、偽りなく美しい “ニセモノ” のジュエリー」と、あえて本真珠と模造パールをあわせて身に着けたガブリエル・シャネルの言葉が残っているように、彼女をはじめ、かつてのデザイナーにとっては、素材が何であれデザインやスタイルにこそ真の価値があることを表しているようであります。

 

私もかつて2年ほど前に名古屋市科学館で開催された宝石展を訪れたのですが、国立科学博物館のコレクション、国立西洋美術館や各地の博物館の所蔵品や、アルビオン アート・コレクション、ヴァン クリーフ&アーペル、ギメルなどのすごい作品から多種多様な宝石を拝見してまいりました。それはそれは凄かったのですが、本物の宝石の装飾やそのパワーを前にしますと、人間ため息しかでません…。これらの宝飾品を身に着けていた方もきっと身分の高い方でしたので、もはや殿上人の世界であります。

 

ですが、このコスチュームジュエリーを拝見しますと、当時の流行、世相など時代の息遣いや等身大のリアルな女性をいろいろ想像しながら、時には笑いながら拝見できておりました。ヨーロッパ、そして戦後はおもにアメリカで、コスチュームジュエリーは広く普及したようでして、当時の女性たちは装う楽しみだけではなく、それらを身に着けることによって生きる活力、自由や自立の精神をもたらしていったのでしょうね。そんな等身大のリアルな女性の姿が浮かんでくるのです。

 

それもそのはず、本当に素材、デザイン、自由なんです。

 

 

ジョン・F・ケネディの夫人、ジャクリーンも

身に着けておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように、モチーフも動物だったり、草花だったり、人間だったり、創造物だったり…。素材も色も様々、なんだって自由です。「ニセモノ」とか「ホンモノ」もということも大切なもジュエリーの見方ではありますが、こうやって「ニセモノだけどなにか?」と言わんばかりの堂々とそして可愛らしく表現されたジュエリーに、時代や世相や流行などと共に女性の自由な未来を表現したもう一つ別次元のジュエリーの価値観が伝わります。

 

それにしても、なぜか女子力と元気と、くすっとした笑いまでももらえたコスチュームジュエリー、ご興味のございます方は是非訪れてみてください。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y[.

 

Golden Week is over, and I’m sure there are those of you who, like me, are feeling depressed thinking about the upcoming vacations. I am trying to figure out how to keep my motivation up…but just then, I received an invitation from a friend of mine, “You look cute, why don’t you try it? I was just about to do so when a friend of mine asked me to go to the show.

Costume Jewelry: Reformers of Beauty from Chanel, Dior, and Schiaparelli’s Chisako Kotaki Collection

 

I went to the exhibition.

Even the flyer and the entrance are already motivating me, or rather, boosting my girlish power. Let’s get started.

 

By the way, what is costume jewelry? You may be thinking, “What is costume jewelry?

 

Costume jewelry is fashion jewelry made of various materials such as glass, shells, and resin, without using precious stones or metals. Costume jewelry was pioneered by Paul Poiret at the beginning of the 20th century, which was free from gemstones and other materials and allowed for free design proposals.

If you’re thinking, “Oh no, it’s not real jewelry…”, you’re in for a disappointment.

 

Gabrielle Chanel, who dared to wear a combination of genuine pearls and imitation pearls, said, “This is a beautiful ‘fake’ piece of jewelry, without any pretense. I was once in Nagoya about two years ago.

 

I visited a gemstone exhibition at the Nagoya City Science Museum about two years ago, and saw a wide variety of gemstones from the collections of the National Museum of Nature and Science, the National Museum of Western Art and other museums, the Albion Art Collection, Van Cleef & Arpels, Gimel, and other amazing works. It was amazing. It was amazing, but when confronted with the ornamentation and power of real gemstones, one can only sigh…. The wearers of these jewels must have been people of high rank, so we are now in the world of the high priests.

 

However, looking at the costume jewelry, I was able to imagine and sometimes laugh at the fashions and trends of the time, and the real life-size women of that era. Costume jewelry seems to have spread widely in Europe and mainly in the U.S. after the war, and women of that time must have enjoyed not only dressing up but also wearing them, bringing vitality, freedom, and independence to their lives. The images of such life-size and realistic women come to mind.

 

It is no wonder, then, that the materials, design, and freedom are truly unique.

 

Jacqueline, wife of John F. Kennedy, also wore one.

 

The motifs can be animals, flowers, humans, creatures, and so on. The materials and colors are varied, and everything is free. It is also important to look at jewelry as “fake” or “real,” but it is also important to look at jewelry as “fake, but what is it? However, the jewelry that is presented in such a dignified and cute manner, as if to say, “It’s fake, but what’s wrong?

 

But somehow, the costume jewelry gave me girl power, energy, and even a giggle.

 

Have a good day!

 

見慣れたはずの景色が新鮮に見えました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.15

みなさまこんにちは。スタッフHでございます。

先日、子供の頃から参拝している天満宮を久しぶりに訪れました。夕方で小雨がぱらついてたせいか、ほぼ貸し切り?のような状態でした。写真が多めですが、よければお付き合いください。

以前ブログで狛犬について調べ、興味が膨らんでいたせいか本殿前の青銅の狛犬が目に留まりました。元文三年(1738年)北浜の西嶋氏による奉納と記されています。どなたかは存じ上げませんが、魅力的な狛犬ですねと伝えたくなります。

 

 

 

何度も前を通り過ぎたはずですが、こんなに華やかな姿だったかな?と改めてじっくりと眺めました。

尾やたてがみに流れるような動きがあり、華やかさの中にも凛とした力強さがあります。長年、気にも留めず素通りしておりました。

 

 

 

境内には他にも沢山の狛犬が置かれており、備前焼の狛犬が後ろにそびえ立つ迫力のある御神木と共に社を守っている姿も見られます。

 

 

 

 

本殿裏の梅園も有名で、花の時期は終わっていますが久しぶりに足を踏み入れると、見事な梅の枝のトンネルが出迎えてくれ、梅の香りに包まれながらの散策を想像しながらくぐりました。

 

 

 

小さい橋も寄贈されており、梅の花の絨毯を橋の上から一望できます。来年は時期を合わせて是非訪れたいと思います。

 

さてこちらの天満宮の御祭神の一人である菅原道真公は平安時代の貴族であり政治家でもありました。右大臣まで昇りつめた秀才として知られ、天満宮が学問の神様といわれる所以となっています。

そのため吊るされた絵馬には志望校合格!の文字が並んでいます。菅原道真はこの地の寺にいた叔母の覚寿尼(かくじゅじ)を時々訪れていたようで、大宰府に左遷される際も叔母を訪ね、別れを惜しんだと伝えられています。宝物殿には道真の遺品と伝わる硯、鏡、櫛等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けています。

菅原道真はライバルの讒言によって大宰府に左遷され、ほどなく死去した悲運の人でもあります。死後、都は度重なる天変地異に見舞われたり、疫病が蔓延したそうです。これが道真公の祟りであるといわれ、祟りを鎮めるために京都北野に天満宮が創建されたといわれています。死を目前にした道真が「私の亡骸は、人ではなく牛にひかせなさい。そして牛の赴くまま留まったところに埋葬すること」という遺言を残したという説があります。そして遺言どおり亡骸を埋葬場所まで乗せて運ぶ途中、牛が臥せって動かなくなった場所の近くにある安楽寺に埋葬されました。そこが後に大宰府天満宮となったとのことです。

 

こちらの天満宮にも牛がたくさん祀られております。中でも「撫で牛」は自分の体の病んだ部分や具合の悪い部分を撫でたあと、その牛の体の同じ個所を撫でると、病気が治るという言い伝えがあります。

 

 

 

私も日頃気になる箇所を撫でさせていただきました。そんなにあちこち撫でられても…という名で牛の声が聞こえてきそうです。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone, this is Staff H.

The other day, I visited Tenmangu Shrine, which I have worshipped at since childhood, for the first time in a while. Perhaps it was because it was in the evening and there was a light drizzle, but the shrine was almost completely rented out. I took a lot of pictures, but I hope you enjoy them. I took a lot of pictures, but please bear with me if you like.

I had been researching about komainu (guardian dogs) on my blog, and perhaps because my interest had been piqued, the bronze komainu in front of the main shrine caught my attention. It was dedicated by the Nishijima clan of Kitahama in 1738. I do not know who it is, but I want to tell him that it is a very attractive guardian dog.

 

I must have passed by it many times, but I stared at it again and wondered if I had ever seen such a gorgeous figure. I stared at them again.

The tail and mane have a flowing movement, and there is a dignified strength in the gorgeousness. I had passed by it for many years without paying attention to it.

 

There are many other guardian dogs in the precincts of the shrine, and this one is made of Bizen ware, with a powerful sacred tree towering behind it to protect the shrine.

 

The ume (plum) garden behind the main shrine is also famous. The tunnel of plum tree branches was magnificent, and I could only imagine what it would be like to take a walk surrounded by the fragrance of plum blossoms.

A small bridge has also been donated to the park, and from the bridge you can enjoy a panoramic view of the carpet of plum blossoms. Next year, I would like to visit there at the right time of the year.

Sugawara Michizane, one of the deities of Tenmangu Shrine, was an aristocrat and politician in the Heian period. He was known as a brilliant man who rose to the position of Minister of the Right, which is why Tenmangu Shrine is said to be the god of learning.

For this reason, the ema (votive tablet) on which he hung is lined with the words, “Success in the school of your choice! is written on the hanging ema (votive picture tablet). It is said that Sugawara Michizane occasionally visited his aunt Kakujuji, who lived at a temple in this area, and that when he was transferred to Dazaifu, he visited her to bid her farewell. In the Treasure Hall, an inkstone, mirror, comb, and other items said to have belonged to Michizane have been handed down as sacred treasures, six of which have been designated as national treasures.

Sugawara no Michizane was a man of great misfortune who died shortly after being moved to the left to Dazaifu due to the false allegations of his rivals. After his death, the capital suffered repeated natural disasters and epidemics. It is said that Michizane was cursed by the gods and that Tenmangu Shrine was built in Kitano, Kyoto, to quell the curse. It is said that Michizane, facing death, said, “Let a cow, not a man, take my corpse, and it will stay where it goes. It is said that Michizane, on the verge of death, left a last will and testament: “Let my corpse be led not by a man, but by an ox, and bury it wherever the ox goes and stays. As per the will, he was buried at Anraku-ji Temple near the place where the cow lay motionless on the way to the burial site. This temple later became Dazaifu Tenmangu Shrine.

 

Many cows are enshrined at this Tenmangu Shrine as well. Among them, there is a legend that if you stroke a sick or unwell part of your body and then stroke the same part of the cow’s body, your illness will be cured.

 

I also stroked the parts of my body that bothered me on a daily basis. I can almost hear the cow’s voice in the name of “Even if you stroke me here and there so much…”.

 

Well, I will see you next time.

 

 

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