3月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 4

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FROMKYOTOOSAKA

元気がもらえるお花です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.08

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

暖かな日中の陽気と朝晩の冷え込みに、すっかり体調を崩してしまいました。みなさまもご注意くださいね。

 

 

さて、本日3月8日は「国際女性デー」。「ミモザの日」でもあります。SNSの中でも黄色いミモザの花が溢れ、お花屋さんの店頭でも黄色いミモザが多く見られ、癒されます。

 

この「国際女性デー」は、1904年にアメリカ合衆国のニューヨークで、参政権のなかった女性が労働条件改善を求めて起こしたデモがはじまりとされ、 1910年の国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日と提唱したことから始まりました。 1975年には国連によって「国際女性デー(International Women’s Day)」として制定され、日本でも「女性の生き方を考える日」として、さまざまな活動が行われているものです。

 

また、イタリアでは3月8日を「FESTA DELLA DONNA(フェスタデラドンナ)=女性の日」とし、 男性から普段お世話になっている女性に旬のミモザをプレゼントする風習があり、3月8日は「ミモザの日」とも呼ばれるようになりました。

「国際女性デー」に類する女性のための日は世界各国にありますが、贈られる花がミモザと決まっているのはイタリアだけ。これは、大戦後初めて迎える1946年の女性の日にイタリアの女性連合によって提唱されました。

最初はすみれの花が候補に挙げられていましたが、高価なすみれに対し、ミモザはイタリアに自生する身近な花で、これならば貧富の差に関係なく誰でも身近な女性に感謝の意を表すことができる、とミモザに決まったのだそう。

 

 

ミモザと聞いて思い浮かぶのが、鮮やかな黄色い花。ポンポンのような小さく丸い花が集まって咲くのが特徴ですね。成長が早く、5メートルを超える木に育ち、花の時期には木の枝全体が黄色い雲やわた菓子のようにふんわりと見えます。花はドライにしてもきれいな黄色が残るので、リースやスワッグ、ドライフラワーなどインテリアにも人気です。

3月~4月頃まで花を楽しませてくれる黄色くてふわふわした印象のかわいらしい花のミモザ。鼻を近づけると分かるような、ふんわりと甘い優しい香りが楽しめます。

 

 

花ばかりに目が行きがちですが、実は葉も特徴的です。
ミモザの正式名称は、銀葉(ぎんよう)アカシアといいます。正確にはミモザという品種の植物はなく、アカシアの仲間の総称のことをいいます。アカシアの木は、マメ科アカシア属に分類されるオーストラリア原産の常緑高木です。

元々ミモザは、オジギソウの学名であり通称。アカシアの葉がオジギソウに似ていたことから、アカシアがヨーロッパへ持ち込まれた際に「ミモザアカシア」と呼ぶようになり、そこから「ミモザ」という呼称が定着したといわれています。

この銀葉アカシアという名前にもあるように、ミモザの葉はシルバーリーフと呼ばれ、すこし銀色のような色をしています。お花屋さんでミモザ(銀葉アカシア)を見かけたときは、葉にも注目してみてください。

 

 

最近はお花屋さんに限らず、ミモザの花をよく見るようになってきた気がします。
花束やアレンジメントなどの切り花(枝物)で見るほかに、ミモザを使ったレジンアクセサリーや、リース、スワッグなどを黄色のミモザを使った小物たちを見ると、春が来たなと実感します。

明るい黄色が鮮やかに春を告げる、ミモザ。小さなポンポンが集まったように咲く姿が可愛らしく、元気をくれる花です。

そんなミモザの代表的な花言葉は「優雅」「友情」「感謝」という意味があります。

見た目がとても可愛く、花言葉の意味もポジティブなものばかりなので贈り物に向いていますが、花の色によって花言葉の意味が違ってきます。

ミモザに限りませんが、花言葉の意味を知らずに贈ってしまうと、意図していない意味にとられてしまう可能性もあるので、注意が必要ですね。

 

見た目から元気がもらえるミモザですが、花粉症の私には、実はあのふわふわした生花は油断ならないので、毎年ドライフラワーを飾ることしかできなのがとても残念なのですが・・・。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.
The warm daytime weather and the cool morning and evening temperatures have made me completely ill. I hope you are all taking care of yourselves.

Today, March 8, is International Women’s Day. Yellow mimosa flowers are all over social networking sites, and many yellow mimosa flowers can be seen in flower stores, which is very soothing.

International Women’s Day was first celebrated in 1904 in New York City, U.S.A., when women who did not have the right to vote held a demonstration to demand better working conditions. In 1975, it was established as “International Women’s Day” by the United Nations, and various activities are being conducted in Japan as “a day to think about women’s way of life.
In Italy, March 8 is “Festa della Donna” (Women’s Day), and there is a custom for men to present mimosas, which are in season, to women whom they have taken care of in their daily lives.

Although there are other women’s days similar to International Women’s Day in many countries around the world, only in Italy are mimosas the designated flower to be given as a gift. This was proposed by the Italian Women’s Union on the first Women’s Day after World War II in 1946.
At first, violets were considered as a candidate, but the mimosa was chosen because it is a familiar flower that grows wild in Italy, whereas violets are expensive, and anyone, rich or poor, can express their gratitude to a woman close to them.

When one hears the word mimosa, bright yellow flowers come to mind. It is characterized by its clusters of small, round flowers that look like pompons. The tree grows quickly, reaching over 5 meters in height, and during the flowering season, the entire branch of the tree looks soft and fluffy like a yellow cloud or cotton candy. The flowers remain a beautiful yellow color even when dried, making them popular for interior decorations such as wreaths, swags, and dried flowers.
The mimosa is a pretty yellow flower with a fluffy appearance that can be enjoyed from March to April. You can enjoy its soft, fluffy, sweet, gentle fragrance that you can smell when you put your nose close to it.

Although people tend to focus only on the flowers, the leaves are actually distinctive as well.
The official name of the mimosa is the acacia (Acacia chinensis), which means “silver-leafed acacia. To be precise, there is no variety of mimosa plant, but rather a generic name for a member of the acacia family. The acacia tree is a tall evergreen tree native to Australia, classified in the genus Acacia of the Fabaceae family.

Originally, mimosa was the scientific and common name for the osmanthus. Because the leaves of the acacia resembled those of the tussock, when the acacia was brought to Europe, it came to be called “mimosa acacia,” from which the name “mimosa” is said to have taken root.
As the name “silverleaf acacia” suggests, the leaves of the mimosa are called “silverleaf” and have a slightly silvery color. When you see mimosa (silverleaf acacia) at a flower shop, pay attention to the leaves.

I feel that mimosa flowers are becoming more common these days, not only in florists’ shops.
In addition to cut flowers (branches) such as bouquets and arrangements, resin accessories, wreaths, swags, and other accessories using yellow mimosa make me realize that spring has arrived

Mimosa, with its bright yellow color, heralds the arrival of spring. It is a flower that cheers us up with its lovely appearance of blooming like a cluster of small pompons.
The typical words of the mimosa in the language of flowers are “grace,” “friendship,” and “gratitude.
It is suitable as a gift because it looks very pretty and the meaning of the language of flowers is all positive, but the meaning of the language of flowers differs depending on the color of the flower.
It is not limited to mimosa, but if you give a gift without knowing the meaning of the language of flowers, it may be taken to mean something you did not intend.

Mimosas are cheerful from the outside, but as a hay fever sufferer, I can’t be too careful with those fluffy fresh flowers, so I can only decorate with dried flowers every year.

See you soon.

 

 

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買取しております。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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思い付きドライブ、行ってきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.07

皆様こんにちは、スタッフYでございます。

 

先日から出かけたい病が発症しておりまして、うずうずしております。それも急に発症するものですから、いつも予定の決断は直前となり思い付きにもほどがあるのですが、この気持ちの赴くままに動けることが大好きな性分でして、どうもやめられません。ですが、その急な思い付き、先日はちょっと失敗でありました。

 

先日急に思い立ったのは「梅」。通りがかったお宅の庭先には美しく咲いており、もう気になりだしまして。昨年訪れて圧巻だった佐布里池梅林をもう一度見てみたくなり、友人を誘って(急にお誘いしてごめんなさい。)行って参りまいりました。

 

知多市佐布里の佐布里池梅林。

 

 

 

 

 

 

その昔、佐布里一帯は薄ピンク色の花が咲き、多くの観梅客が訪れにぎわいをみせた時代もあったようですが、昭和34年の伊勢湾台風でかなりの被害を受け、さらに愛知用水の佐布里池の建設により水没し、佐布里の梅はごく一部が残るのみとなってしまいました。その後、地元や県の協力で苗が植えられ、今では25種類、約6,000本にまで増え、現在では県下でも有名な梅のスポットであります。

 

その梅の「佐布里梅」は、明治の初めに鰐部亀蔵わにべかめぞう氏が、桃の台木に接ぎ木して増やしたと言われており、厚い果肉と小さい核が特徴で、梅干しに適しており、「佐布里梅」は、令和元年10月10日に知多市天然記念物に指定されております。そんな佐布里池梅林の見頃は2月中旬から3月中旬。薄ピンク色の佐布里梅、白色で一重の白加賀、小枝が緑で花が青みがかった白色の青軸などを楽しむことができるはずだったのですが…。あららら。

 

 

 

 

一足も二足も早かったですね笑。サイト情報の「遅咲きの梅が咲き始めました。」につられてしまい、ちょっと急ぎ過ぎたようです。ですが、ちらほら咲いている品種もありお天気も穏やかでしたので「ドライブしていたら梅が咲いてるのをみつけた。」ということに変更しました。

 

 

折角のドライブでしたので半田市の方面へ寄り道し、赤レンガ建物も見学して参りました。

 

 

 

 

半田赤レンガ建物は、1898年(明治31年)にカブトビールの製造工場なのですが、現在こちらの建物は、平成16年文化庁登録 登録有形文化財、平成21年経済産業省認定近代化産業遺産、平成26年半田市指定 景観重要建造物 第1号

などに指定されており、地方都市・半田から一流ブランドを目指し、果敢に大手ビールメーカーに挑んだ起業家たちの精神を今に伝えております。

 

この赤レンガ建物、設計者は明治建築界の三巨匠の一人、妻木頼黄(つまきよりなか)でありまして、あの横浜赤レンガ倉庫や日本橋(装飾部)なども彼の設計によるものだそうで、いわれてみれば確かに雰囲気は似ている気がいたしますね。

 

半田赤レンガ建物は、ビール工場として安定した温度や湿度を必要とすることから、現在ではほとんど例を見ない、中空構造を持つ複壁や多重アーチ床など、極めて特徴的な構造をもった建物でして、現在は建物見学の他、市民が利用したりできる場所のようでありました。昨日も確定申告の申告受付場所になっており、人が行き来しておりました笑。現役バリバリの建物のようです。

 

 

 

 

 

 

 

ところで、外観で目に入ってきます「カブトビール広告塔」。こちらは実は最近できたようです。

ご存じの方もおいででしょうが、明治41年頃の名古屋駅前(名古屋停車場)のシンボルであった「カブトビール広告塔」が2022年に 114年の時を超えて現在の半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)に蘇りました。
この高さ10mを超える巨大な広告塔、実はジブリ映画「風立ちぬ」に当時の名古屋駅の風景の中に登場しております。それが現代に目覚めるきっかけとなったようでして、2年前のジブリパーク開業にあわせてこの半田赤レンガ建物の横に復活。

 

 

 

 

 

 

それはそうと「カブトビール」さっきから気になりませんか?。実は、1943年(昭和18年)に企業整備令の適用で半田工場を閉鎖してカブトビールの製造は終了したのですが、現在は当時の文献にできる限り忠実に復刻した「明治カブトビール」と、大正時代の分析表をもとに復刻した「大正カブトビール」の2種類が復刻版が販売されております。こちらの赤レンガ倉庫でも味わうこともできるようなのですが、今回は運転中でしたので断念し、帰路につきました。

 

思い付きドライブ、計画ミスのところもありましたが、このような寄り道で思わぬことも。これも思い付きドライブの好きなことの理由の一つでして、これだからやめられないんだな…。

 

それではごきげんよう。

 

Hello everyone, this is Staff Y.

I have been itching to go out since the other day. It comes on suddenly, so I always make a decision on my schedule at the last minute, and it’s almost too much of a spur of the moment thing, but I love being able to move around as I feel like it, and I can’t seem to stop myself. However, this sudden impulse was a bit of a failure the other day.

The other day, I suddenly thought of plum blossoms. I passed by a house with beautiful plum blossoms in the yard, and I was already curious about them. I wanted to see the Saburi Ike Plum Grove again, which I visited last year and found breathtaking, so I invited a friend of mine (sorry for the sudden invitation…) and we went there. I invited a friend of mine (sorry for the sudden invitation…) and we went there.

Saburi Ike Plum Grove in Saburi, Chita City.

Once upon a time, the area around Saburi was crowded with many plum-viewing visitors who came to enjoy the light pink blossoms. However, the area was severely damaged by Typhoon Isewan in 1959, and was further submerged by the construction of Saburi Pond for Aichi Irrigation. Later, with the cooperation of the local and prefectural governments, seedlings were planted, and the number of plum trees has now grown to about 6,000 in 25 varieties, making it one of the most famous plum blossom spots in the prefecture.

The thick pulp and small kernels of the Saburi Plum trees are suitable for making umeboshi (pickled plums), and they were designated as a natural monument of Chita City on October 10, 2028. The best time to visit the Saburi Plum Grove is from mid-February to mid-March. We were supposed to be able to enjoy the light pink Saburi ume, the white single-petaled Shirakaga ume, and the white Aokushi ume with green twigs and bluish flowers, but…. Oops.

I was a step or two too early lol. I got caught up in the site information, “Late-blooming plum trees have begun to bloom.” I was a little too hasty. However, some varieties were in bloom here and there, and the weather was mild, so I changed it to “I found plum trees in bloom when I was driving around. So I decided to go for a drive and found plum blossoms in bloom.

Since we were driving, we stopped by Handa City and visited a red brick building.

The Handa Red Brick Building was a factory for the production of Kabuto Beer in 1898, and is designated as a Registered Tangible Cultural Property by the Agency for Cultural Affairs in 2004, a Heritage of Industrial Modernization by the Ministry of Economy, Trade and Industry in 2009, and an important landscaping structure No. 1 by Handa City in 2014.
The building is designated as a Tangible Cultural Property by the Agency for Cultural Affairs in 2004, a Heritage of Modern Industry by the Ministry of Economy, Trade and Industry in 2009, and an important landmark designated by Handa City in 2014, among others.

The red brick building was designed by Tsumaki Yorinaka, one of the three masters of Meiji architecture, who also designed the Yokohama Red Brick Warehouse and the Nihonbashi (decorative section).

The Handa Red Brick Warehouse is a beer brewery that requires stable temperature and humidity, so it has a very unique structure with hollow double walls and multiple arched floors, which are rarely seen today. Yesterday, it was also used as a place for filing tax returns, and people were coming and going. It seems to be an active building.

By the way, there is a “Kabuto Beer Billboard” outside the building, which seems to have been built recently.
As some of you may know, the “Kabuto Beer Advertising Tower,” which was the symbol of Nagoya Station (Nagoya Station) around 1908, was revived in the current Handa red brick building (former Kabuto Beer Factory) in 2022, after 114 years.

This huge advertising tower, more than 10 meters high, actually appeared in the Ghibli movie “The Wind Rises” in the scenery of Nagoya Station at that time, and it seems to have triggered its awakening in the modern age, so it was revived next to this Handa red brick building two years ago when Ghibli Park was opened.

By the way, isn’t “Kabuto Beer” something you’ve been wondering about? Actually, the production of Kabuto Beer ended in 1943 when the Handa factory was closed due to the application of the Enterprise Development Order, but now there are two reprinted versions available: “Meiji Kabuto Beer,” which was reprinted as faithfully as possible to the literature of the time, and “Taisho Kabuto Beer,” based on an analysis table from the Taisho era! The “Taisho Kabuto Beer” is also available at the Red Brick Warehouse. It seems that you can also taste it here at the Red Brick Warehouse, but I gave up this time because I was driving.

I was driving on an impulse, and I made some mistakes in my planning, but this kind of unexpected side trip is one of the reasons why I like this place so much. That’s why I can’t stop.

Have a good day.

 

 

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長年勘違いしておりました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.03.06

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

寒暖差の激しいこの冬、頭では上手く対処できているつもりでも、体がついていけないこともございます。辛い時には無理をせず暖かくしてお過ごしください。

 

今朝、通りすがりにお庭に置かれた立派な燈籠を目にし、改めて風光舎の鉄製の燈籠を眺めております。店の真ん中でどっしりとした存在感を放っていおります雪見燈籠。透かし模様は桐の葉のようにも見えますが、鉄製のため洋風のデザインにも見えます。火が灯され模様が美しく浮き上がる姿もいつか見てみたいものです。

 

 

 

 

燈籠といえば御影石など石でできたものが多く鉄製のものは少ないようです。作られた当初は恐らく鈍い光を放っていたと思われますが、今の錆びた様子も年月の流れを感じ味わいがあります。

燈籠には「春日型」「織部型」など様々な種類がありますが、「雪見灯籠」の特徴は笠の部分が大きく、丸型と六角形が主流で「丸雪見」「六角雪見」と呼ばれています。基礎の部分は3つ足が4つ足が一般的とのこと。

 

名前の由来については、「笠の部分が雪が積もったように見える」「笠に積もった雪を鑑賞して楽しむ」などの説もあるようですが、有力な説としては滋賀県の近江八景にある「浮御堂(うきみどう)」に似ているからとのことです。「うきみ」が「ゆきみ」に変化したと言われています。主に水面を照らすために笠の部分が大きく、水際に設置されることが多いそうです。

 

燈籠は古くから東アジアの伝統的な照明器具として利用され、日本には奈良時代に仏教の伝来とともに伝わりました。仏教では灯が邪気を払うとされております。また故人があの世で迷子にならないように道しるべとなるよう灯を用いたとされています。日本全国で行われる「灯籠流し」や「灯籠まつり」は供養や鎮魂を目的として古くから行われてきました。

 

日本庭園に燈籠が取り入れられたのは桃山時代に広がった茶道文化の影響とされています。夕暮れ時の茶会における庭のあかりとして茶庭に取り入れられました。月明りのみが頼りの中、優しい燈籠の灯が路地を行く人の足元を照らしていたことでしょう。

 

今となっては電気がない生活を送ることは想像できませんが、昔の人々も漆黒の夜に明かりを求めて試行錯誤していたようです。数万年前には動物からとった油を、そして3000年前には植物の油を燃やすオイルランプが使われ始めたとのこと。

日本では平安時代に室内で小さな皿に油を満たし、台座にのせて火をともす「灯台(とうだい)」と呼ばれるものが使われていたとか。灯台?と聞いて思い浮かぶのはあの岬の先にある「灯台」でしたので、調べたところ。「灯台下くらし」ということわざの灯台は岬にある灯台ではなく、昔の室内照明の灯台だという事実に行きつきました。私は岬の灯台だと完全に勘違いしておりました。このことわざは江戸時代から存在し、岬にある灯台が「灯台」と呼ばれるのは明治に入ってからで、それまでは「燈明台」と呼ばれていたなどの理由があるそうです。

高い台の上に置かれた皿に油が入っており、真下は皿の陰になって暗かったことから、世間のことをよく知っている人でも身近なことに疎いことや、探していた答えが目の前にあったことなどを意味することわざができたとか。

 

燈籠について調べていましたら、長年の勘違いに行きつきました。これからは「灯台下くらしだね」と言う時に、あの岬の灯台ではなく、平安時代の室内をほのかに照らす灯台を思い起こすのかと思うと、少し不思議な気もいたします。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

This winter, with its extreme differences in temperature, even if you think you are coping well in your head, your body may not be able to keep up with the change. Please take it easy and stay warm when you are having a hard time.

 

This morning, as I was passing by, I saw a magnificent lantern placed in the garden and took another look at the iron lanterns at Fukosha. The Yukimi Lantern stands with a strong presence in the center of the store. The openwork pattern looks like paulownia leaves, but because it is made of iron, it also looks like a Western design. It would be nice to see the pattern beautifully floating in the air when the lantern is lit.

 

Most lanterns are made of stone, such as granite, and few are made of iron. When they were first made, they probably emitted a dull light, but the rusted appearance of today’s lanterns is also tasteful, showing the passage of time.

There are various types of lanterns, such as “Kasuga type” and “Oribe type,” but “Yukimi Toro” is characterized by its large shade part, which is usually round or hexagonal, and is called “Maru Yukimi” or “Hexagonal Yukimi. The foundation part is generally three-legged with four legs.

 

As for the origin of the name, there are some theories, such as “the shade looks like snow piled up” or “people enjoy appreciating the snow piled up on the shade,” but a leading theory is that it is because it resembles “Ukimi-do” in the eight scenic spots of Omi in Shiga Prefecture. It is said that “ukiimi” changed to “yukimi. Lanterns are often placed near the water’s edge with large shades, mainly to illuminate the water’s surface.

 

Lanterns have long been used as traditional lighting fixtures in East Asia, and were introduced to Japan in the Nara period (710-794) with the arrival of Buddhism. In Buddhism, it is believed that lanterns ward off evil spirits. Lanterns are also believed to have been used to guide the deceased so that they would not get lost in the afterlife. Lantern Floating Ceremonies and Lantern Festivals have been held throughout Japan for the purpose of memorial services and the repose of souls since ancient times.

 

It is believed that the introduction of lanterns into Japanese gardens was influenced by the tea ceremony culture that spread during the Momoyama period (1573-1600). Lanterns were incorporated into tea gardens to illuminate the garden during tea ceremonies at dusk. With moonlight as the only light, the gentle glow of the lanterns would have illuminated the feet of people walking down the alley.

 

It is hard to imagine living without electricity today, but it seems that people in the past also tried to find light in the pitch black night. Tens of thousands of years ago, oil from animals was used, and 3,000 years ago, oil lamps burning plant oil began to be used.

In Japan, during the Heian period (794-1185), a small dish filled with oil was placed on a pedestal and lit indoors, called a “todai,” or lighthouse. A lighthouse? When I heard the word “lighthouse,” what came to mind was the “lighthouse” at the end of the cape, so I looked it up. I came across the fact that the lighthouse referred to in the saying “living under the lighthouse” was not a lighthouse on the cape, but an old indoor lighthouse. I had completely misunderstood that it was a lighthouse on the cape. This proverb has existed since the Edo period, and lighthouses on the cape were not called “lighthouses” until the Meiji period (1868-1912), and until then they were called “toromyo-dai” (lighthouse tower), among other reasons.

The oil was in a dish placed on a high pedestal, and directly below was dark in the shadow of the dish, thus creating a proverb meaning that even those who know much about the world are unfamiliar with familiar things, and that the answer they were looking for was right in front of them.

 

When I was researching about the lighthouse, I came across a longstanding misunderstanding. It is a little strange to think that from now on, when we say, “I live under a lighthouse,” we are not thinking of the lighthouse on the cape, but of the lighthouse that faintly illuminated the room in the Heian period.

 

See you next time.

 

 

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愛知県津島市のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.06

 

 

愛知県津島市のお客様より、掛軸を買取りいたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

ただいま古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取を強化しております。

ご自宅に眠っているお品がございましたら、ぜひご相談ください。

 

 

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愛知県一宮市のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.03

 

 

愛知県一宮市のお客様より、額、置物など買受いたしました。再度のご依頼でございます。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

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本日は雛祭り🌸ですね。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.03

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

一年を通してみますと様々な節句やイベントがあるのですが、それらを追いかけていますと一年なんて早く通り過ぎてしまう気がいたします。

 

さてさて、本日は雛祭り。桃の節句ともいいますが、節句やイベントにランキングを付けるなんておこがましいのですが、自分の中で桃の節句は大好きな節句ランキング上位に入るうれしい節句であります。

 

何が好きかと言いましても、なんとも言い難いのですが、あの色のイメージでしょうか。

 

 

 

 

どうやら自分は、それぞれの節句やイベントをどうやら「色彩」で認識しているようで、淡い緑、白、ピンクがこれから始まる季節への高揚感が増してきます。

昨日もちらし寿司や蛤のお吸い物などなどの準備のために買い出しにスーパーへ立ち寄ったのですが、雛祭りカラー、緑、白、ピンク…が売り場の各所で可愛らしさ満載でありました。

 

そんな三色。「かわいい」と一言で片づけてしまいそうになるのですが、緑、白、ピンク(紅色)はそれぞれ色には意味が込められているようであります。

 

その雛祭りカラーの代表的なものですと菱餅でしょうか。3色の菱形の餅が重なった形をしていますが、緑には健康や長寿、白には清浄や純潔、ピンクには魔除けという意味があり、また菱餅の色は、雪の下から植物が芽生え桃の花が咲く姿を表しているのだと言われております。メッセージと共に季節を奥ゆかしくとらえたところがなんとも雛祭りらしいお菓子ですね。

 

そんな三色を今日はいろいろなところに取り入れたいと思っており、先日から食材をいろいろ買い揃えているのですが、ちらし寿司にどうしても赤身のマグロを入れたい…。

 

よって、それだけは今日は仕事の帰りに絶対買おうと計画しておりますが、夕方のスーパーの争奪戦で赤身のマグロがなくなっていないことを願うばかりです。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

There are many festivals and events throughout the year, but if you keep up with them, a year passes by so quickly. Today is Hinamatsuri (Girls’ Day). It would be a bit presumptuous of me to rank all the festivals and events, but Peach Festival is one of my favorite festivals and I am very happy to rank it high on my list of favorite festivals.

It is hard to say what I like about it, but I guess it is the image of the color.
It seems that I recognize each of the festivals and events by their “colors,” and the pale green, white, and pink make me feel more uplifted for the season to come.

Yesterday, I stopped by the supermarket to buy some chirashi-zushi, clam soup, etc., and the Hinamatsuri colors, green, white, and pink… were full of cuteness at every corner of the sales floor.
I almost put these three colors away as cute, but each color of green, white, and pink (crimson) seems to have its own meaning.

The most representative of the Hinamatsuri colors is the diamond-shaped rice cake, which is made up of three different colored diamond-shaped rice cakes, with green representing health and longevity, white purity and innocence, and pink to ward off evil. It is a confectionery that is very typical of the Hina Matsuri Festival in the way it captures the season in a profound way along with its message.

I want to incorporate these three colors into various places today, and I have been buying various ingredients since the other day, but I really want to put red tuna in my chirashizushi…. Therefore, I had planned to buy that much today.

I just hope they don’t run out of red tuna in the battle at the supermarket in the evening.

Have a good day.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

信楽へ行ってきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.02

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

三月に入り花粉が気にはなりますが、そろそろじっとしていられない方、いらっしゃるのではないでしょうか。

 

そんな中スタッフY、先日信楽を訪れてみました。

旅の目的は信楽焼の土鍋ごはんを信楽焼の器で食すランチと信楽散策でして、久しぶりの信楽、お天気にも恵まれ楽しい旅でありました。

本日はその旅行記ブログ、すこしお付き合いくださいませ。

 

名古屋から車で一時間半。

信楽は、日本六古窯のひとつである信楽焼が有名な街ということはご周知とは思いますが、そう、あの人気NHKドラマ「スカーレット」の舞台にもなった場所でもあります。各所にロケの舞台になった場所があったり(ロケ地巡りもの楽しい。)信楽焼の陶芸体験ができる施設がたくさんあり、また、街を歩いているとたくさんの信楽焼のたぬきがお出迎えをしてくてれます。

 

 

 

 

また、陶芸体験が楽しめるスポットや信楽の豊かな自然を満喫できるスポットなどもあり、今回伺った土鍋のお店も信楽焼を使用しておりまして、そんな器を使ったカフェや食事のできるお店ものどかな風景の中にできていたり。なんとも癒される街であります。

 

やはり旅のテーマは信楽焼になるのですが、

信楽焼は主に滋賀県甲賀市信楽町周辺で生産されているのですが、それはやはり付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄であるからのようです。その丘陵の道沿いにたくさんの窯元が連なっており、その風景も趣があります。

それゆえ日本を代表する陶磁器として日本六古窯のひとつにも数えられ、これまで多くの作品が生み出されてきました。

 

 

登り窯のあとがカフェになっていました。

 

 

こちらはギャラリーに

 

 

その独特な風合いは、陶土に木節(きぶし)・実土(みづち)・蛙目(がいろめ)など、さまざまな種類の粘土を混ぜて作られており、ほかにも複数の原料を使って作っているため、コシがあって肉厚な焼物に仕上がります。

 

また、材料となる粘土がしっかりとしているので、大きな焼物を作るのにも向いており、その耐火性も高く、高温で焼くことで独特な風合いになるのも魅力のひとつであります。それゆえ焼き方や窯の中の温度などにより、仕上がりが変化するのも面白いポイントでして、ひとつひとつの作品が個性に溢れているため選ぶのが楽しい焼物でもあります。

 

中世から現在まで生産が続けられている信楽焼の歴史は古く、なんと742年聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手したときに、布目瓦や汁器の須恵器を焼いたのが始まりという説があることも驚きですが、紫香楽宮跡も見ることができますが、ここに都が栄えていたことも驚きですね。

 

ですが、どことなく野性味あふれる肌感が確かに須恵器を思い起こすような気もします。また、当時すでに発展し始めていた常滑焼の技術を取り入れ徐々に発展していったとされており、当時から窯元同士の交流があったようですから、当時の職人さんたちも探求熱心だったのでしょうね。

 

明治時代以前に作られていた釉薬をかけない焼物は「古信楽」と呼ばれるのですが、室町時代末期頃までは壺などを中心に作られておりました。その後、江戸時代の茶の湯の大衆化により信楽焼は一気に発展していきますが、江戸時代末期になると陶業地として栄えますがその後は不況を迎えます。理由は金属製品などが普及したことにより、信楽焼のような陶磁器の需要が激減してしまったためです。

 

ですが時代が進むと、不況を打破するために信楽焼のタイルや傘立てなどが作られるようになり、明治時代になると、現在でもよく見かけるたぬきの置物が作られ始めました。ここでやっとたぬきの登場です。そんなたぬきの置物を気に入った昭和天皇が、信楽行幸の際に歌に詠まれたのがきっかけで全国に広まったといわれております。

そういえば、なぜ信楽は「たぬき」なのかいつも不思議に思っており、一つ謎が解けました。

 

 

 

 

ちなみにたぬきには「た(他)」「ぬき(抜く)」=「他を抜く」という意味に通じるため、「商売繁盛の縁起物」という意味をなしており、昔から店先に置かれておりますが、ちょっと気になったので、信楽周辺のお宅の玄関先を車越しに勝手に調査いたしますと…。

 

たぶん近隣の95%くらいのお宅の玄関先にたぬきが置かれていたのではないでしょうか。(スタッフY調べ)

 

 

 

 

そんなたぬき設置調査をしながら信楽を後にいたしましたが、信楽とても癒されるところでありました。

この春の旅の候補に入れてみてはどうでしょか。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

It’s March and pollen is a concern for some of you, but I think it’s time for those of you who cannot stay still.
In the midst of all this, Staff Y visited Shigaraki the other day.

 

The purpose of the trip was to have a lunch of rice cooked in a Shigaraki earthenware pot with Shigaraki ware and to walk around Shigaraki.

 

It was my first visit to Shigaraki in a long time, and the weather was perfect, so please bear with me for a moment as I write about my trip.

 

Shigaraki is an hour and a half drive from Nagoya.
As you may know, Shigaraki is famous for Shigaraki ware, one of the six oldest kilns in Japan, but it was also the setting for the popular NHK drama “Scarlett. There are many places where the drama was filmed (it is fun to visit the filming locations). There are many facilities where you can experience Shigaraki pottery making, and many Shigaraki tanuki (raccoon dogs) will welcome you when you walk around the town.

 

The earthenware pot store we visited this time also uses Shigaraki ware, and there are also cafes and restaurants in the tranquil scenery that use such ware. It is a very relaxing town.
The theme of my trip will be Shigaraki ware,
Shigaraki ware is mainly produced in the area around Shigaraki Town, Koka City, Shiga Prefecture, because the hills in the vicinity produce high-quality potter’s clay. Many kilns are located along the road along the hillside, and the scenery is very picturesque.

 

The area is also known as one of the six oldest kilns in Japan and has produced many works of ceramics and porcelain representing Japan.
After the climbing kilns, there is a café.
This one is now a gallery.

 

The unique texture of this pottery is created by mixing various types of clay, such as kibushi, mizuchi, and garome, with other materials, resulting in thicker and firmer pottery.

The clay is also suitable for making large pieces of pottery because of its firmness, and its high fire resistance is one of its charms, giving it a unique texture when fired at high temperatures. It is interesting to note that the finish changes depending on the firing method and the temperature in the kiln, and each piece is unique, making it a fun pottery to choose.

 

The history of Shigaraki ware, which has been produced from the Middle Ages to the present, is long, and it is surprising that it is said to have started when Emperor Shomu started building the Shikaraku Palace in 742, when he fired Nunome tiles and Sue ware (soup bowls).

 

However, the somewhat wild skin texture certainly reminds us of Sue ware, doesn’t it? It is also said that the pottery gradually developed by adopting the techniques of Tokoname ware, which had already begun to develop at that time, and since there seems to have been exchange between potters from that time, the craftsmen of that time must have been eager to explore.

 

Unglazed pottery made before the Meiji period is called “Koshigaraki,” and until around the end of the Muromachi period, it was mainly made into pots. Later, with the popularization of the tea ceremony in the Edo period, Shigaraki ware developed rapidly, but at the end of the Edo period, it flourished as a ceramic production center, but then entered a period of recession. The reason for this was that the demand for ceramics such as Shigaraki ware declined drastically due to the spread of metal products.

 

As time went on, Shigaraki-ware tiles and umbrella stands were produced to break the depression, and in the Meiji period (1868-1912), tanuki figurines, which are still commonly seen today, began to be produced. This is where the tanuki finally made its appearance. It is said that Emperor Showa, who was pleased with these tanuki figurines, wrote a poem about them when he went to Shigaraki, and this is how they spread throughout the country.

 

Come to think of it, I always wondered why Shigaraki is called “Tanuki.
By the way, “tanuki” has the meaning of “good luck charm for prosperous business” because “tanuki” means “to overtake others” and “nuki” means “to overtake others”. I was a little curious, so I took the liberty of checking the entrances of homes in the Shigaraki area. I guessed that about 95% of the houses had a tanuki at their entrance (according to our staff Y). (According to Staff Y’s survey).

 

We left Shigaraki with such a survey of tanuki placement, and found Shigaraki to be a very relaxing place.

Why don’t you include Shigaraki as a candidate for your trip this spring?

 

Good bye.

 

 

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三重県のお客様より再度買受いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.01

 

 

 

三重県のお客様より、茶道具他多数買受いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

ただいま古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取を強化しております。

ご自宅に眠っているお品がございましたら、ぜひご相談ください。

 

 

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3月と言えば・・・(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.01

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

いよいよ3月に入りました。毎度のことながら、もうひと月経ったのかと驚きますね。

年が明けてから3月までは、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」という言葉もあるくらいですから、あっという間に過ぎ去るように感じられる期間ではあります。

そして気づけば、1年の4分の1が終わるわけですから、大人になればなるほど、「もう3月が終わるのか」と妙な焦りを感じるようになってしまいました。

 

さて、3月は日本では和風月名で「弥生」とも言いますね。ちなみに、12ヶ月の中で3月と12月だけが「月」という漢字が使われていません。

「弥生」とは、暖かな陽気にすべての草木がいよいよ茂るという意味の「弥生(いやおい)」がつまって、「弥生(やよい)」になったとされています。「弥」にはいよいよ、ますますという意味があり、「生」は草木が芽吹くことを表しています。

この他にも3月の異称(別名)として「桜月(さくらつき)」「花見月(はなみつき)」「花月(かげつ)」「花咲月(はなさきづき)」など、他にもたくさんの異称があります。これからは桜など、色々な花が咲く季節。今から楽しみです。

 

また、英語で3月は「March」ですが、これはローマ神話の「マルス(Mars)の月」を意味する「Martius」に由来します。 マルスは「戦と農耕の神」で、「軍神」とも呼ばれます。 古代ローマ暦では、新年が3月であり、気候がよくなり軍隊を動かす季節、また、農耕を始まる季節に良いとされ、そこから3月はマルスを称える月となりました。

 

さて、3月といえば、みなさんはどのようなことを思いつきますか?

 

3月と言われて私が一番に思い付くのは、「卒業式」。

あとは「ひな祭り」「春分の日」「春休み」といったところでしょうか。

日本では、幼稚園はじめ、全ての学校や大学で卒業式がありますが、欧米などでは大学の学位授与式しかないそうです。日本で学校制度が始まったのは、1872年(明治5年)。その当時は、学年を終えるときに卒業証書が授与されていました。

学年終了時の卒業証書授与が、1870年代半ば(明治10年)ごろに、独立した儀式として定着したのが卒業式の始まりで、現在、卒業式は、学校教育法施行規則で学校行事として定められています。

 

私たちが春の風物詩のように感じている「卒業式」は、実は日本特有の文化なんだとか。3月に卒業式がある国は数少なく、欧米では9月が卒業式シーズン。南半球になると12月など国によってさまざまです。

みんなで歌って涙する、感動の卒業式のイメージもありますが、私にとっての卒業式は、特に感動的な思い出はありません(笑)

思い返してみると、感動のシーンで泣かないといけないような妙なプレッシャーを感じて、なんとなく居心地が悪かった記憶があります。あと、何度も練習させられてちょっと面倒だった思い出が…。

 

卒業式と涙はセットのようになっていますが、歌にも特別な意味があるようです。卒業式の歌がこれほどたくさん存在する国は、日本だけのようです。

昭和世代は、卒業式の歌と言えば「蛍の光」と「仰げば尊し」が定番でした。ですが、 平成頃からは時代の変化で恩師への感謝を 強要しているという考えや、 古い日本語の表現を 理解することが難しいとの理由で 歌われなくなったようです。

代わりに歌われるようになったのが、「3月9日」や、合唱曲の「旅立ちの日に」。

別れを惜しみつつも前に進む人を応援してくれるような曲が多く歌われるようになった気がします。

 

卒業式の形も変わってきているのかもしれませんが、やはり全員で卒業ソングを歌うという文化はあった方が良いかもしれないですね。小学校、中学校の最低2回、高校を含めても3回くらいしか経験ができないですから。

 

ではでは、また。

Hello everyone, this is Staff T.

March has finally arrived. Every time I am surprised to see that another month has already passed.
There is a saying that goes “January goes, February runs away, and March goes away,” so it seems as if the time between the beginning of the year and March goes by in a flash.
And as I realize that a quarter of the year is over, the more I grow older, the more I feel a strange sense of impatience, wondering if March is already over.

Well, March is also called “Yayoi” in Japanese, which is a Japanese-style month name. Incidentally, of the 12 months, only March and December do not use the Chinese character for “month.
The word “Yayoi” is said to be derived from “Yayoi,” which means that all plants and trees will finally grow in the warm weather. Ya” means “finally” or “more and more,” and “Sei” means that plants and trees will sprout.
There are many other different names for March, such as “Sakura-tsuki,” “Hanami-tsuki,” “Kage-tsu,” and “Hanasaki-tsuki. From now on, it is the season for cherry blossoms and other flowers to bloom. I am looking forward to it.

March is also called “March” in English, which is derived from “Martius,” meaning “the month of Mars” in Roman mythology. Mars is the “god of war and agriculture” and is also called the “god of war. In the ancient Roman calendar, the New Year was in March, which was considered to be a good time for the weather to improve and for armies to move into action, and also a good time to begin farming, and from there March became the month to honor Mars.

What do you think of when you think of March?

The first thing that comes to mind when I hear the word “March” is “graduation ceremony. The others are “Girls’ Festival,” “Vernal Equinox Day,” and “Spring Vacation.
In Japan, all schools and universities, including kindergartens, have graduation ceremonies, but in Europe and the United States, only university degree conferment ceremonies are held.
The school system began in Japan in 1872. At that time, diplomas were awarded at the end of the school year.
The graduation ceremony began around the mid-1870s (10th year of Meiji), when the awarding of diplomas at the end of the school year became an independent ceremony.

Graduation ceremonies, which we feel like a spring tradition, are actually a culture unique to Japan; only a few countries have graduation ceremonies in March, and in Europe and the United States, the graduation season is in September. In the southern hemisphere, it is held in December, and it varies from country to country.
There is an image of a moving graduation ceremony where everyone sings and cries together, but for me, I have no particularly moving memories of graduation ceremonies (laugh).
Looking back, I remember feeling a strange pressure to cry during the emotional scenes and feeling somewhat uncomfortable. I also remember that I was made to practice many times, which was a bit troublesome….

Graduation ceremonies and tears are like a set, but the songs also seem to have a special meaning. Japan seems to be the only country where so many graduation songs exist.
For the Showa generation, “Hotarunohikari” and “Aogeba Toutoshi” were the standard graduation songs. However, since the Heisei era, these songs are no longer sung because of the change of the times, the idea that it forces people to thank their former teachers, and the difficulty in understanding the old Japanese expressions.
Instead, “March 9” and the choral piece “On the Day of Departure” have come to be sung.

I feel that more and more songs are being sung to bid farewell but also to cheer those who are moving on.

The shape of graduation ceremonies may be changing, but I still think it would be better to have a culture in which everyone sings a graduation song together. We only get to experience this at least twice in elementary and junior high school, and maybe three times if you include high school.

So, see you again.

 

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