3月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 3

お知らせ

News

FROMKYOTOOSAKA

春日井市のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.15

 

 

 

 

 

春日井市のお客様より、掛軸他買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

ただいま古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取を強化しております。

ご自宅に眠っているお品がございましたら、ぜひご相談ください。

 

 

*******************

 

 

ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

 

 

三重県のお客様より再々度買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.14

 

 

 

 

 

 

三重県のお客様より、茶道具他多数買受いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

ただいま古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取を強化しております。

ご自宅に眠っているお品がございましたら、ぜひご相談ください。

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

 

 

梅は咲いたか桜はまだ…ではなかった。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.14

皆さまこんにちはスタッフYでございます。

 

『梅は咲いたか桜はまだかいな…』

 

 

 

 

突然どうした?と、お思いでしょう。春で、ちょっと頭がふわふわしているのか?といわれそうですね。

よく、お座敷などで三味線の音色ともに歌ってるあの唄です。

 

明治時代に流行した俗謡『しょんがえ節』を基にした江戸端唄(はうた)・小唄なのですが、花柳界の芸妓たちを季節の花々や貝に例えて歌っておりまして、今日ではお座敷唄として有名ですね。

 

そうなんです、先日たしか「梅」の開花のお知らせをいたしましたとは思いますが、「桜」がまだかいな、といいたいところだったのですが、先日、なんと満開の桜に遭遇いたしました!。

 

川津桜でしょうか。川津桜は1955年に静岡県賀茂郡河津町田中の飯田勝美が河津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し庭先に植えたことが由来なのですが、桜ってこんな風に偶発的によく発見されますよね。

 

1966年から開花し、当初、発見者の飯田家の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきたが、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の栽培品種であると判明し、1974年に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名され、1975年に河津町の木に指定されてました。

どうやら開花時期が長い桜のようですので、その日もかなりの強風でしたが。しっかりと花びらは木にしがみついておりました。

 

さあ、始まりました。古美術風光舎スタッフによる恒例春の桜リレー。

今年もどこの桜が登場するか楽しみにしててください!。

 

 

それではごきげんよう。

 

Hello everyone, this is Staff Y.

I’ve been thinking about the “plum blossoms” and “cherry blossoms”…
What happened all of a sudden? You must be thinking, “What’s going on all of a sudden? Is your head a little fuzzy because it’s spring? I guess you could say that.

This is a song that is often sung in a tatami room with shamisen music.
It is an Edo hauta or kouta based on the popular song “Shongae-bushi” that was popular in the Meiji era (1868-1912), and is famous today as an otsashiki (tatami room) song, as it compares geiko of the Hanayagi world to seasonal flowers and shellfish.

I think I mentioned the other day that the ume (plum blossoms) had bloomed, but I had not yet seen the sakura (cherry blossoms), but the other day I saw them in full bloom!

Kawazu-zakura” cherry blossoms, I guess. Kawazu-zakura originated in 1955 when Katsumi Iida of Tanaka, Kawazu-cho, Kamo-gun, Shizuoka Prefecture, happened to find a 1-meter-long original tree in the weeds along the Kawazu River and planted it in his garden.

It has been in bloom since 1966, and was initially called “Komine-zakura” (meaning “Komine cherry” in local dialect) because of the name of the Iida family who discovered it, but later, through academic research, it was found to be a cultivar of hybrid origin, which had never existed before.

It seems to be a cherry tree that has a long blooming season, so it was very windy that day, but the petals were firmly clinging to the tree. The petals were firmly clinging to the tree.

Now, it has started, hasn’t it? The annual spring cherry blossom relay by the Fumikosha staff has begun. Please look forward to seeing which cherry blossoms will appear again this year.

Have a good day.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

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骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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10:00-18:00 OPEN

 

 

4月5,6,7日「器と骨董展」開催いたします!。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.14

平素は大変お世話になっております。

この度、古美術風光舎では〈器と骨董展〉を開催いたします。

 

〈器と骨董展〉のお知らせ

 

 

 

 

4月5日㈮ 16:00~19:00  night saleにて開催

4月6日㈯ 10:00~17:00     開催

4月7日㈰ 10:00~17:00  開催

 

また、4月6,7日は覚王山春祭りも開催されておりますので、風光舎にも是非お立ち寄りくださいませ。

 

 

 

 

お待ちしております!。

 

 

Fumikosha Antique Art Gallery will hold an exhibition of “Vessels and Antiques”.

Notice of “Vessels and Antiques Exhibition

April 5 ㈮  16:00-19:00   at night sale
April 6 ㈯ 10:00-17:00   sale
April 7 ㈰ 10:00-17:00   sale

Please stop by Fumikosha during the Kakuozan Spring Festival on April 6 and 7.
We are looking forward to seeing you there

 

 

 

毎月18日鑑定会いたしております。今月は3月18日開催です。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.14

古美術風光舎では、毎月18日鑑定会を行っております。

今月は、3月18日(㈪)10:00~となっております。

 

 

 

 

事前のご連絡はご不要ですので、お気軽にお立ち寄りください。

ご自宅やご実家で「どのくらい価値のあるものなのだろう」と疑問に思うお品などがあれば、査定だけでも構いませんのでお持ちください。大きなお品など持ち込みが難しいお品は写真でも査定させていただきます。

ご来店を心よりお待ちしております。

 

 

 

 

At Fukosha Antiques holds an appraisal session on the 18th of every month.
This month, it will be held on March 18 (㈪) from 10:00.

No prior notice is required, so please feel free to stop by.
If you have any items at home or at your parents’ house that you wonder how much they are worth, please feel free to bring them in for evaluation. If you have large items or other items that are difficult to bring in, we will be happy to assess them by photo.

We look forward to seeing you at our store.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

 

ちょっとしたストレスを解消してくれるもの(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.03.13

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

今日の名古屋は風が強く、歩いていても前に進むのが大変でした。強風の中を歩くと疲れが倍増する気がいたします。

 

さて、風光舎にございます備前焼の片口。直径6cmほどの小ぶりの器ですが、たくさんの器の中にあっても目を引きます。作った方の指の動きが感じられ温かみもあり、握ってみると横のくぼみが親指にフィットします。手に馴染むよう、注ぎやすいようにと計算しつくされている気がします。

 

 

 

 

片口は鎌倉時代に使われていた銚子と呼ばれる柄のついた酒器から由来し、両側に注ぎ口のあるものを両口(もろくち)、片側だけにあるものを片口(かたくち)と呼んでいたそうです。

ワインをデキャンタに注ぐことをデキャンタージュといいますが、あえて空気に触れさせることで、香りを立たせ味をまろやかにする効果があります。片口にも似たような効果があり、日本酒も空気に触れることで味がまろやかになるそうです。

冷蔵庫などで保管されていた吟醸酒などは、冷蔵庫から出したばかりの時は雪冷え(5℃)の状態です。すっきりとした味わいを楽しめますが香りや甘味は感じにくいようです。花冷え(10℃)から涼冷え(15℃~20℃)くらいの温度になると香りが一層引き立ち甘みも強く感じられるとのこと。片口に注いでおけば、そこからゆっくり香りや甘みを楽しめます。

特に備前焼は内部に微細な気孔があり若干の通気性もあるため、さらにお酒の香りやまろやかさを感じることができそうです。

かなり機能的な器ではありますが、その見た目も魅力の一つです。鳥のくちばしのような注ぎ口が愛らしく、置いておくだけでも目の保養になりそうです。

 

以前からこちらの風光舎の片口の注ぎ口の形状が気になっていました。思い切って試しに水を入れて注いでみると、想像以上に滑らかに水が注がれ感動しました。液体をそそぐ器を選ぶ際、お酒などの液体のキレが大切だといわれます。注ぐたびに液体が垂れるのはちょっとしたストレスになりますよね。

 

 

 

 

注ぎやすさの条件としては注ぎ口が狭い方がキレが良いとされています。また注ぎ口の付け根にやや膨らみのある方が使い勝手がいいとのこと。このふくらみにより液体が一気に流れ出ることがなく適量が注がれるそうです。そういえば急須も注ぎ口の付け根がふくらんだものが多いですね。風光舎の片口の注ぎ口も無造作に見えて、液体が一気に流れ出ないように工夫されています。穴の大きさや注ぎ口の角度など作り手の技量が問われそうです。

ふとひらめいたのですが、小ぶりの片口は液体だけではなく、塩や七味などのスパイスを入れて食卓に置くのもいいかもしれません。瓶から振り入れたり、ちいさな匙ですくって入れるより調節しやすそうな気がします。試してみたい衝動に駆られております。

 

またまた余談ですが、卵料理を作る時に溶いた卵をフライパンなどに流し入れた後、器に残った卵液が器の外に垂れてしまうのが私のちょっとしたストレスでした。先ほど注ぎ口についてしらべておりましたら、卵液が垂れるのを防止する方法というのを見つけました。卵液をフライパンに流し入れた後の器をそのまま上に向けず、くるっと下向きに前転させるように回すのだそうです。それだけ?と思いましたが明日の朝、ぜひ試してみようと思います。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

It was very windy in Nagoya today, and it was hard to move forward even when walking. I feel that walking in a strong wind makes me twice as tired.

Now, I would like to introduce a Bizen ware “Katakuchi” at Fuhkosha. It is a small vessel with a diameter of about 6 cm, but even among so many other vessels, it catches the eye. The movement of the maker’s fingers can be felt and it has a warmth, and when you hold it, the indentation on the side fits your thumb. I feel that it has been carefully calculated to fit comfortably in the hand and to make it easy to pour.

The name “katakuchi” comes from a sake bottle with a handle called choshi, which was used in the Kamakura period (1185-1333), and those with a spout on both sides were called morokuchi (double spout), while those with a spout on only one side were called katakuchi (single spout).

Decanting is the process of pouring wine into a decanter, and the effect of allowing the wine to come into contact with the air is to bring out the aroma and mellow out the flavor. Sake also mellows out when exposed to air.

Sake that has been stored in a refrigerator, such as ginjo-shu, is snow-cold (5°C) when it is just taken out of the refrigerator. It has a refreshing taste, but its aroma and sweetness are not as pronounced. At temperatures between 10℃ and 15℃ to 20℃, the aroma is more pronounced and the sweetness is stronger. If poured into a single sip, the aroma and sweetness can be enjoyed slowly from there.

In particular, Bizen ware has minute pores inside and some ventilation, so it is likely to further enhance the aroma and mellowness of the sake.

Although the vessel is quite functional, its appearance is also one of its charms. The bird’s beak-like spout is adorable, and just by placing it on the table it seems to be a feast for the eyes.

I have long been curious about the shape of the spout of this Fukosha’s one-way spout. When I took the plunge and poured a glass of water into it, I was impressed by how smoothly the water poured out, much smoother than I had imagined. When selecting a vessel for pouring liquids, it is said that the sharpness of liquids such as sake is important. It would be a little stressful if the liquid dripped every time you poured, wouldn’t it?

The narrower the spout, the better the sharpness of the liquid. Also, a slight bulge at the base of the spout is better for ease of use. This bulge is said to prevent the liquid from flowing out all at once, allowing the right amount to be poured. Come to think of it, many kyusu also have a bulge at the base of the spout. The spout of Fukosha’s katakuchi also appears to be random, but it is designed so that the liquid does not flow out all at once. The size of the hole, the angle of the spout, and other details seem to test the skill of the maker.

It suddenly occurred to me that the small one end spout could be used not only for liquids, but also for spices such as salt and shichimi (seven spices) to put on the table. I think it would be easier to adjust than shaking it in from a jar or scooping it in with a tiny spoon. I am tempted to give it a try.

 

On a side note, it has been a little stressful for me when cooking eggs, because after pouring the beaten eggs into a frying pan or other container, the remaining egg liquid drips out of the container. I was just researching about spouts and found a way to prevent the egg mixture from dripping out of the bowl. It seems that after pouring the egg mixture into the frying pan, the bowl should not be turned up, but instead rotated forward and downward. Is that all? I thought, “Is that all?” but I will definitely give it a try tomorrow morning.

 

See you next time.

 

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買取しております。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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小さいながらも迫力のあるお顔です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.03.12

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

先日、ロサンゼルスで開催されたアカデミー賞で日本の2作品が受賞しましたね。久しぶりに大きなスクリーンで鑑賞してみたくなりました。

 

さて、風光舎に新しく仲間入りしたこちらの唐物七宝獅子の置物。鋭い歯をむき出し迫力のあるお顔なのですが、目が合うとくすっと笑ってしまうような愛嬌もあります。頭の部分が少し動かせるようになっていて、向きを変えるとまた違う表情を見せてくれます。

 

 

 

 

横幅が7cmほどの小さな置物ですが、よく見ると細かい部分まで細工が施されており、頭の巻き毛やたてがみ、尾の先や玉に置いた足の形もとてもリアルです。

唐獅子はインドで仏教寺院に最強の動物として設置されていたライオンを元に、ライオンが生息していない中国で生み出された架空の生き物です。美術的装飾的にデザインされ、巻き毛のたてがみを蓄えた勇壮な姿となりました。

獅子をもっと遡ると、エジプトではライオンは王様の力の象徴とされスフィンクスが作られました。また西アジアでは城を守る動物として門に飾られており、中国でも災いから守る動物とされていたとのことです。

 

日本にも飛鳥時代に仏教と共に伝来し、当初は木造や金属製で神社の本殿や仏殿内部に設置されていたようですが、時代と共に外へと移動し、境内の入り口に置くようになり石造りとなっていったとのこと。

当初は中国と同様に一対の唐獅子でしたが、平安時代ごろより、右側に獅子、左に狛犬を置くようになったそうです。

獅子は口を開け、狛犬は口を閉じた阿吽(あうん)形として「獅子・狛犬」と呼ばれていました。

これは古代日本人が作為的なデザインよりも、自然そのものの姿を尊重し、左右非対称のものを美しいと感じていたからだとされています。そのため中国の伝説上の生き物「獅子」に対して日本独自の架空の生き物として「狛犬」を配置したと考えられています。

ちなみに阿吽とは古代インドのサンスクリット語の始まりの文字が「阿(あ)」、終わりの文字が「吽(うん)」となっており、人生や物事の始めから終わりまで、つまり「この世の全て」という意味になっているそうです。勉強になりました。

さて当初の狛犬は頭部に一本の角が生えていましたが、次第に角のない狛犬も現れ、名前も「獅子・狛犬」から単に「狛犬」と呼ばれるようになっていったとのことです。

 

唐獅子は他にも獅子舞として日本では馴染みがあります。今ではあまり見かけなくなりましたが、厄払いや豊作祈願の目的で祭りなどに取り入れられ、日本人の暮らしに浸透してきました。風光舎の唐獅子も獅子舞もなぜか愛嬌がある気がするのは、ライオンにの顔にはない立派な眉毛(実はうっすら存在するそうですが)が原因ではないかと思います。

実は眉毛は感情を示す大切な役割を果たしており、眉毛がない表情は感情が読み取りづらくなるそうです。昔の中国人も眉毛を強調することで見る側へ感情が伝わることを理解していたのではと勝手に妄想しております。

 

さて狛犬に話は戻りますが、その後も獅子と狛犬が左右が逆になったり、狛犬ではなく獅子のみが一対設置されたり、もやは獅子や狛犬ではなく兎、牛、龍、鼠、羊、猿、猪…など日本には多種多様な動物が門番として置かれているようです。なんだかとても日本らしい気がいたします。

狛犬マニアの方もいらっしゃるとのことですので、今後はお参りの際に注目してみようと思います。

 

それでは、またの機会に。

 

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

The other day, two Japanese films won awards at the Academy Awards held in Los Angeles. It has been a while since I have seen them on the big screen.

Now, this Karamono Cloisonne Lion figurine is a new addition to the Fuhkosha. It has a powerful face with sharp teeth, but it also has a charming face that makes you smile when your eyes meet his. The head can be moved a little, and when you turn it around, it shows a different expression.

 

The curls on the head, the mane, the tip of the tail, and the shape of the feet on the balls are all very realistic.

The Tang Lion is a fictional creature created in China, where lions do not exist, based on the lion that was installed in Buddhist temples in India as the most powerful animal. It was designed for artistic and decorative purposes and became a heroic figure with a mane of curly hair.

Going further back, in Egypt, the lion was a symbol of the king’s power and the sphinx was created. In Western Asia, lions were decorated on gates to protect castles, and in China, lions were also thought of as animals that protected against misfortune.

In the Asuka period (710-794), the sphinx was introduced to Japan along with Buddhism, and was initially made of wood or metal and placed inside the main halls of shrines and Buddhist temples.

Initially, the lions were a pair of Chinese lions, as in China, but from around the Heian period (794-1185), the lions were placed on the right side and the komainu on the left.

They were called “Shi-shi (lion) and komainu (guardian dogs)” in the “A-Un” style, with the lion with its mouth open and the guardian dogs with their mouths closed.

This is believed to be because the ancient Japanese respected the natural form of the animal rather than artificial designs, and they found asymmetrical figures to be beautiful. It is believed that this is why the “komainu” was placed as an imaginary creature unique to Japan in contrast to the “lion,” a legendary creature in Chinese folklore.

Incidentally, the ancient Indian Sanskrit word “A-Un” means “A” for the beginning and “Un” for the end of life, from the beginning to the end, or “everything in the world. I learned a lot.

In the beginning, komainu had a single horn on their heads, but gradually, komainu without horns appeared, and their names changed from “lion and komainu” to simply “komainu” (狛犬).

 

Karashishi are also familiar in Japan as lion dances. Although they are rarely seen today, they have penetrated into the daily lives of Japanese people as they are used in festivals and other occasions to drive away evil spirits and pray for a good harvest. I think the reason why both Fumikosha’s Karashishi and the lion dance are so charming is because of the magnificent eyebrows (actually, I heard that they even exist), which lions do not have on their faces.

In fact, eyebrows play an important role in showing emotion, and it is said that an expression without eyebrows makes it difficult to read emotion. I have a delusion that the ancient Chinese understood that emphasizing the eyebrows would convey emotion to the viewer.

 

Now, back to the komainu (guardian dogs). In Japan, it seems that a wide variety of animals are placed as gatekeepers. It seems very Japanese.

I have heard that there are some people who are fanatic about komainu (guardian dogs), so I will pay attention to them when I visit the shrine in the future.

 

See you next time.

 

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思いがけず拝見できました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.03.10

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

本日は名古屋ウイメンズマラソンが開催されており、風光舎近くの道路にも迂回案内の警備の人の姿が見えます。最近はお洒落なウエアに身を包み颯爽と走っている女性をよく見かけます。かっこいいなぁとただ眺めております。

 

先日、通りすがりに迫力のある展覧会のポスターに出くわし、いつもの如く予定を少し変更しての鑑賞となりました。江戸時代初期の修験僧であり、諸国を行脚し数多くの仏像を彫った仏師でもある「円空」の作品展でした。

 

 

 

 

 

 

以前、円空の特集番組で名古屋市内の荒子観音寺にて毎月第二土曜日に「円空仏」を拝見できると知りました。いつか実物を拝みたいと思っておりましたが、思いがけず拝見する機会に恵まれました。撮影可能な作品もあり、いくつか写真に収めさせていただきました。

 

入り口で迎えてくれたのは高さ2メートルを超える金剛力士(仁王)立像の吽形。普通は睨みをきかせているはずですが、こちらは口元が微笑んでいるようにも見えます。

岐阜県千光寺の境内に並んで根を張っていた2本のセンノキに梯子をかけ、阿吽(あうん)二体の金剛力士像を彫ったとされています。しばらくの間、そのまま山中にありましたが、150年ほど前に根が腐朽したため切り取られ、現在は「円空寺宝館」に安置されているとのことです。展覧会では状態のよい吽形のみが展示されていました。

背中の木のこぶを見ると、まさに大木から抜け出てきたことが分かります。

 

 

 

 

円空が自身の姿を彫ったとも伝えられる「賓頭盧尊者座像(びんずるそんじゃざぞう)」も拝見することができました。

 

 

 

 

表面には永年撫でられてきたような艶があり、「撫で仏」として人々の願いを一心に受け止めてきたことでしょう。穏やかな佇まいに、思わず悩みを打ち明けすがってしまう気持ちがわかる気がいたします。

 

円空は1632年、美濃国で生まれたとされています。7歳で母親を亡くし若くして仏教の道に入ったとされていますが、詳しい経歴は分かっていないようです。どこの寺院にも所属せず、近畿地方、東北、北海道などを行脚しながら12万体ともいわれる仏像を残したとされており、現在5000体ほどが発見され「円空仏」と呼ばれています。山に籠り、厳しい荒行を続けながら、病や災害、干ばつに苦しむ人々を救うために念仏を唱えながら仏像を彫りました。

 

初期の頃の仏像は、表面が滑らかで丁寧に彫られていますが、次第にその土地で手に入る木を使い、節や切断面、彫ったノミの跡がそのまま残る簡素な仏像へと変化していきます。「観音三十三応現身像」のように、不揃いな板切れに目、鼻、口を線で彫っただけのものもあります。

 

 

 

 

できるだけ多くの人々に届けたいとの願いもあったのでしょうが、円空自身、木の中には既に神や仏が宿っているので、余計なものを取り除いて取り出せばよいだけと考えていたようです。そのため木彫りの途中で出た小さな木っ端にも目や鼻をつけ仏を生み出しました。

 

円空仏の多くが微笑んでいるように見えるのには、幼い頃に死に別れた母親を追い求めているのではないかとも言われています。母親の33回忌に彫ったとされる十一面観音の体内から母親の形見の鏡などが発見されています。

 

いずれにしましても円空仏は長い時を超えて未だ私たちに安らいだ気持ちを与えてくれております。

荒子観音寺もまた訪れてみようと思います。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

The Nagoya Women’s Marathon is being held today, and I can see security guards on the road near the Fukosha to provide detour information. Recently, I often see women running dashingly in fashionable wear. I just look at them and think how cool they look.

The other day, I came across a poster for a powerful exhibition while passing by, and as usual, I had to change my plans a little to see the exhibition. It was an exhibition of works by Enku, a Buddhist monk of the early Edo period who traveled around the country and carved many Buddhist statues.

 

I had learned from a program featuring Enku that Enku Buddha can be viewed at Arako-Kannon-ji Temple in Nagoya City on the second Saturday of every month. I had hoped to someday see it in person, and I was unexpectedly blessed with the opportunity. Some of the works could be photographed, and I was able to capture some of them.

At the entrance, we were greeted by a standing statue of Kongorikishi (Nioh), Un-gyo, which stands over 2 meters tall. Normally, he would be glaring at us, but here his mouth looks as if he is smiling.

It is said that he carved the two statues of Kongorikishi (Nioh), A-Un and A-Un, by placing a ladder on two Sen-noki trees that were rooted side by side in the precincts of Senko-ji Temple in Gifu Prefecture. They remained in the mountain for a while, but about 150 years ago, the roots decayed, so they were cut down and are now enshrined in the Enkuji Treasure House. At the exhibition, only the “Un-gyou” was on display in good condition.

The wooden hump on its back shows that it has indeed emerged from a large tree.

 

We were also able to see the seated statue of Binzuruzonja, which is said to have been carved by Enku himself.

The surface of the statue has a sheen as if it has been stroked for many years, and as a “petting Buddha,” it must have received people’s wishes wholeheartedly. The calm appearance of the statue makes it easy to understand why people would unintentionally confide their worries and sympathize with the statue.

Enku was born in Mino Province in 1632, and is said to have entered Buddhism at a young age after the death of his mother at the age of seven, but the details of his life are not known. It is said that he left behind as many as 120,000 Buddhist statues while traveling around the Kinki region, Tohoku, and Hokkaido, without belonging to any temple. While holed up in the mountains and continuing his severe ascetic practices, he carved Buddhist statues while chanting the Buddhist prayer to save people suffering from diseases, disasters, and droughts.

 

Early Buddhist statues were carefully carved with smooth surfaces, but gradually they became simpler, using locally available wood with knots, cut surfaces, and chisel marks left by the carving process. Some, such as the “Kannon 33 Genshi-Zo,” are simply carved with lines for eyes, nose, and mouth on unevenly cut pieces of wood.

 

Although he may have wished to reach as many people as possible, Enku himself believed that the wood already contained deities and Buddhas, so all he had to do was to remove and take out the unnecessary ones. Therefore, even small pieces of wood from the wood-carving process were used to create the Buddha, with eyes and noses attached.

 

It is said that the smiling faces of many of Enku Buddha’s sculptures may be a reflection of the artist’s search for his mother, who died when he was very young. A mirror and other mementos of his mother have been found inside the body of the eleven-faced Kannon, which is said to have been carved on the 33rd anniversary of his mother’s death.

 

In any case, Enku-butsu still gives us a sense of peace and tranquility after such a long time.

I will visit Arako-Kannon Temple again.

 

See you next time.

 

 

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日本のソールフード(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.09

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

突然ですが、私は毎日お弁当を作っています。ですが、今日のように家族が休日で、自分だけがお仕事の場合、どうしても作る気力が湧きません。やる気の出ない心を奮い立たせ、おにぎりのみを作って出かける日もあるのですが、今日はそんな元気もない。ということで、今日は少し前に覚王山周辺を歩いていた時に見つけたおにぎり屋さんで私のお腹を満たすこととなりました。

コンビニで手軽に買えるおにぎりも好きですが、やはり握りたてのおにぎりは美味しいですね。あっという間にお腹に吸い込まれていきました(笑)今日はそんなおにぎりの魅力についてつぶやいてみようかなと思っております。

 

 

おにぎりと言えば、たぶん日本中どこに行っても、老若男女だれでも知っている食べ物かと思われます。炊いたごはんを丸めてつくるだけのシンプルな料理。主食であるお米と具材のおかずが一体になった伝統食ですね。

 

今から約1800年前の弥生時代後期の遺跡で、おにぎりの化石と思われるものが発見されており、まさに日本のソウルフードといえますが、そんなおにぎり。いつ頃から食べられていたのかと言いますと、はっきりと分かっているおにぎりの文献上の起源は、平安時代の「頓食(とんじき)」という食べ物とされています。

 

「頓食(とんじき)」は、宮中や貴族の宴会の時に、庭上で下仕えの者に配られた弁当で、鳥の卵に似ていることから「鳥の子」という別名もあり、『源氏物語』の桐壷の巻などにも登場しています。

戦国時代になると、おにぎりは、武士が保存し、携帯できる「兵糧食」として食されるようになり、江戸時代につながっていきます。

現在のようにおにぎりが海苔で巻かれ始めたのは、江戸時代中期、元禄の頃。加工された四角い板海苔が「浅草海苔」などの名称で、一般的に売られるようになってからといわれています。それまでのおにぎりは、今の塩むすびに近かったようです。

 

おにぎりの良いところと言えば、いつでもどこでも食べられるところ。片手でぱっと食べることができるのが魅力です。古くは竹の皮に包んで日本人の旅のおともとして大活躍しました。また、炊きたて・握りたてはもちろんですが、冷めてもおいしいのが特徴。おにぎりは時間や場所を選ばない日本ならではの食べ物かもしれません。

 

また、おにぎりは、ゆっくり消化できてヘルシーというところも良いですね。パンのような「粉食」ではなくお米ひとつひとつの形が残った「粒食」なので、ゆっくり消化されます。また、時間をおいて食べることが多いので、食物繊維に似たでんぷんの一種「レジスタントスターチ」が増加するため、おにぎりは腹持ちがよくてヘルシーな食べ物なのです。おかずとなる具材といっしょに食べるので、バランスも良いですし、おなかの空き具合にあわせて、朝・昼・晩・間食・夜食、どのタイミングでもOKなのも、また良きところです。

 

私の子供の頃、たぶん持ち運びやすさや、食べる場所を選ばないなど理由はいくつかあったのでしょうが、遠足に持っていくのは決まっておにぎりでした。作る側になってみて思うことは、おにぎりって意外と作るのが面倒なのです。

炊き立てのご飯に、火傷覚悟で手早く握り、具材を入れ、絶妙な力加減で握り、最後に海苔を巻く。これを何個も何種類も作るのは結構骨が折れることに気が付きました。ですので、お弁当におにぎりが登場することは少なくなったのですが、最近家族のおにぎりブームが来ておりまして、まあまあの頻度で登場する羽目に・・・。最近は具材を数種類入れるおにぎりがお好みのようです。ひとつのおにぎりに今日はどんな具が入っているのかが楽しみだそうで。作る方は大変なのですが・・・。

 

ちなみに、昔は遠足や運動会といえば、アルミホイルで包まれたおにぎりが定番でした。当たり前の日常風景でしたが、おにぎりはアルミホイルで包むのが美味しさを引き出すポイントなのだそうですよ。握りたてのおにぎりでも適度に湿気が逃げていき、べちゃっとせず、おにぎりの食感が変わることがないからだそうです。やったことのない方は一度試してみてください。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

Suddenly, I am making lunch every day. However, when my family is on holiday and I am the only one working, like today, I just can’t muster up the energy to make it. There are days when I have to go out and make only onigiri (rice balls) to rouse my unmotivated mind, but today I don’t have the energy to do so. So today I decided to fill my belly at an onigiri shop I found while walking around the Kakuozan area a while ago.
I like onigiri that can be easily bought at convenience stores, but freshly made onigiri is delicious. I was sucked into my stomach in no time at all (lol). Today I would like to write about the charm of onigiri.

Onigiri is a food that is probably well-known to people of all ages and both sexes, no matter where you go in Japan. It is a simple dish made by simply rolling up cooked rice. It is a traditional food that combines the staple food, rice, with a side dish of ingredients.
It can be said that onigiri is Japan’s soul food, and fossils of onigiri have been found at ruins dating back to the late Yayoi period (about 1,800 years ago). The origin of onigiri is known to be a food called “tonjiki” in the Heian period (794-1185).

Tonjiki” was a lunch box distributed to servants in the garden during banquets held by the court and aristocrats.
In the Warring States period, onigiri came to be eaten by warriors as a “military food” that they could preserve and carry with them, leading to the Edo period (1603-1868).
It was during the Genroku period (1688-1704) in the mid-Edo period that onigiri began to be wrapped in seaweed as we know them today. It is said that it was during the Genroku period (1688-1704) that processed square sheets of laver began to be sold to the public under names such as “Asakusa Nori. Until then, onigiri was similar to today’s shio-musubi (salted rice ball).

The good thing about onigiri is that they can be eaten anytime, anywhere. The appeal of onigiri is that it can be eaten quickly and easily with one hand. In ancient times, onigiri were wrapped in bamboo skin and were very popular as travel companions for Japanese people. In addition, they are delicious not only freshly cooked and freshly nigiri (rice ball), but also even when cold. Onigiri may be a uniquely Japanese food that can be enjoyed any time and any place.

Onigiri is also good in that it can be digested slowly and is healthy. Since onigiri is not a “powder food” like bread, but a “grain food” in which the shape of each piece of rice remains, it is digested slowly. In addition, because it is often eaten after a long period of time, the amount of “resistant starch,” a type of starch similar to dietary fiber, increases, making onigiri a healthy food that keeps you full longer. Onigiri can be eaten at any time of the day (breakfast, lunch, dinner, snack, or evening meal), depending on how hungry you are.

When I was a child, there were probably several reasons for this, such as ease of portability and not having to choose where to eat, but I always brought onigiri to field trips. Now that I have been on the making side, I realize that making onigiri is surprisingly troublesome.

 

 

I would quickly grip the cooked rice, ready to burn myself, add the ingredients, grip the rice with exquisite force, and finally wrap the rice with nori seaweed. I realized that it takes a lot of effort to make many, many kinds of these. So, onigiri have rarely appeared in my bento boxes, but recently my family has been experiencing an onigiri boom, so they appear fairly often…. Recently, they seem to prefer onigiri with several kinds of ingredients. They are looking forward to seeing what kind of ingredients are in one onigiri today. It’s not easy to make onigiri, though.

Incidentally, in the past, onigiri wrapped in aluminum foil were the standard for field trips and athletic meets. I thought it was a matter of course, but I heard that wrapping onigiri in aluminum foil is the key to bring out the best taste. This is because even if the onigiri is freshly made, moisture escapes moderately, it does not become sticky, and the texture of the onigiri does not change. If you have never tried it, please give it a try.

See you soon.

 

 

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名古屋市千種区のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.09

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より、古伊万里、掛軸、絵画、他多数買取りいたしました。

今回はお引越しのため、ご自宅のお片付けでのご依頼でした。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

ただいま古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取を強化しております。

ご自宅に眠っているお品がございましたら、ぜひご相談ください。

 

 

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