10月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 4

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FROMKYOTOOSAKA

帝室技芸員 柴田 是真(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.10

皆様こんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

時折お届けしております帝室技芸員シリーズ。本日は、マルチな天才漆工家・絵師・日本画家、「柴田是真」についてお届けいたします。

 

恥ずかしながら柴田是真についてはほぼ不勉強なスタッフYでして、よって本日は本当に「うんうんなるほど。」と、頷きながらブログを綴ってまいりたいと思います。

 

柴田是真(しばた・ぜしん)は、幕末から明治にかけて活躍した最後の江戸職人と呼ばれておりまして、なんと、蒔絵・漆絵・絵画などを手掛け、マルチな才能で絶大な人気を誇りました。絵画で培った構図力と漆工芸という技術を掛け合わせた驚異的な作風は、現在の日本美術界に繋がるためになくてはならない存在とされております。

 

「ZESHIN」の作品は日本のみならず世界から評価されており、海外にもコレクターが多い作家の一人なのですが、どうやってジャンルの枠を超えたマルチな作品を作り続けたのか気になるところ。また、どのような人物だったのかも気になるところです。

 

 

烏鷺蒔絵菓子器(明治期)東京国立博物館画像より

 

柴田是真は1807年2月7日、江戸両国橋2丁目に生まれます。越後出身の宮大工の家系であり、父は浮世絵を学んでいたということで、芸術を身近に感じられる環境で育ちました。11歳の頃、蒔絵師・古満寛哉(こまかんさい)の元に入門し、蒔絵を学び始めます。学ぶにつれて図案に頼るのではなく自らオリジナリティのある下絵を描ける職人になりたいと志し、16歳の頃には四条派の画家・鈴木南嶺(すずきなんれい)に入門します。少年時代より蒔絵と日本画を並行して学んでいたようですね。(すでにマルチな天才の片鱗が見え隠れしますが。)そして、20歳で蒔絵師として独立しますが、当時人気が高まっていた浮世絵師・歌川国芳が是真の絵に感動し、弟子入りを申し込んだというエピソードも残っています。

 

1830年是真24歳の頃には、さらに四条派の絵についてさらに深く学ぶため、当時絵画が盛んだった京都へ移り住みます。京都では絵画だけではなく漢字も学び、他の絵師との交流を深め人脈を広げていたようです。その1年後に江戸に戻り師匠・鈴木南嶺と再会した際に絵を見せると、その大変な進歩に感心され、それを機に「是真」を称するようになりました。ですが、画家としての評価は先に得たものの蒔絵師としてはなかなか評価がされず、苦しい下積み時代を送っていたようです。

 

そんな柴田是真ですが、1840年34歳のときに転機が訪れます。江戸の住吉明徳講(砂糖商人の組合)に委嘱され、王子稲荷神社に奉納するために「鬼女図額面」を描きます。その絵図が大変な評判を呼び一躍有名となりました。これ以降、是真は漆芸家・絵師両方の作家として精力的に活動を行っていきます。

 

その後の是真の人気は日本に留まることはありませんでした。1873年のウィーン万国博覧会に「富士田子浦蒔絵額面」を出品し進歩賞牌を受賞すると、「ZESHIN」として海外にも名が知られることになります。

1876年のフィラデルフィア万国博覧会でも賞牌を受けるなど、国内外の博覧会・展覧会で多くの賞を受賞し、明治23年に帝室技芸員に任命されます。1891年に85歳でこの世を去りますが、幕末から明治の激動の時代の中で常に学びを忘れず、芸術に身を捧げる生涯でありました。

 

そんな蒔絵師・絵師・漆芸家として一線で活躍した天才作家柴田是真ですが、彼の蒔絵は他の蒔絵師とは違い、下絵から蒔絵まですべての工程を一人でこなすという驚くべき才能を発揮しました。

 

さらに勉強熱心だった是真は、作品を手に取る人々の好みも研究しております。当時江戸に生まれた人々は、確かな技術や知識に基づいた作品でも、それをひけらかすことのない滋味のある良いものを好んでいました。そのため是真の作品全体からは「江戸らしさ」や「いき」を感じさせ、洒脱でウィットに富んだ画風というところも特長のようでして、時代の流れや好みをキャッチすることも得意だったのでしょうね。

生涯新しいものへの探求心と研究・制作をし続け、さらには画家、職人の両方の顔を併せ持つ是真の作品は、これまで習得した様々な技術がすべてが溶け込んだ綿密で繊細ながら豪快さも残る独自の世界観を表現しています。

 

そんな探求心のとどまることを知らない是ですが、1845年幻とされていた技術「青海波塗」を復元します。

青海波塗とは、薄く塗った漆が生乾きのうちに刷毛などで波文を描く技法のことでして、元禄時代に活躍した絵師・青海勘七(せいかい・かんしち)が作り出して以来途絶えていた技術でした。漆絵に関しては、蒔絵で学んだ技法を応用し、青銅塗・四分一塗・鉄錆塗・砂張塗・紫檀塗・墨形塗といったさまざまな変わり塗りの新技法を作り出しました。このように深い知識とジャンルの枠にとらわれない発想で多くのオリジナリティあふれる芸術品を制作し続けました。

 

 

花鳥図(椿雀図)明治期 東京国立博物館画像より

 

そんな天才について、世の中には様々な分野の天才がおり、彼らや、彼らを語る人々が様々な天才の定義を語っておりますよね。

 

例えば、トーマスエジソンは「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」、物理学者アルバート・アインシュタインは「天才とは努力する凡才のことである。」、野口英世は「誰よりも三倍,四倍,五倍勉強する者,それが天才だ」などと語り、「天才も努力するのだ」と、いったフレーズをよく耳にしますが、この柴田是真に限ってはちょっと違う気がしまして。

 

好奇心がいつも前のめりで止まらない姿が、「天才とは、好奇心と努力の垣根が止まらなくなった究極の芸術オタク」じゃないかな笑と、ふと思いましたが、これはあくまでも私見。

 

みなさまも天才の定義、ぜひ考えてみてください。

 

それではごきげんよう。

 

Hello everyone, this is Staff Y.

This is a series of articles on the Imperial Household Artists, which we have been bringing you from time to time. Today, we would like to introduce you to the multi-talented genius lacquer craftsman, painter, and Japanese-style painter, “SHIBATA Zeshin.

 

I am ashamed to admit that I am almost completely ignorant of Koreshin Shibata, so today I really nodded my head as I wrote this blog. I will write this blog while nodding my head in agreement.

 

Shibata Zeshin is called the last Edo craftsman who was active from the end of the Edo period to the Meiji period. He worked on maki-e, lacquer painting, and painting, and was extremely popular for his multiple talents. His amazing style, which combines the compositional skills he cultivated in painting with the techniques of lacquer craft, is considered indispensable to the current world of Japanese art.

 

Zeshin’s works are appreciated not only in Japan but also in the world, and he is one of the artists who have many collectors overseas, and we are curious as to how he continued to create multiple works that transcended the boundaries of genres. We also wonder what kind of person he was.

 

Zeshin Shibata was born on February 7, 1807 in Ryogoku-bashi 2-chome, Edo. At the age of 11, he began learning maki-e under the tutelage of Koma Kansai, a maki-e artist. As he learned more and more, he wanted to become a craftsman who could create his own original maki-e designs, rather than relying on the designs themselves. It seems that he studied maki-e and Japanese painting at the same time from his boyhood. (Although there are already glimpses of his multi-talented genius). There is an episode that Utagawa Kuniyoshi, a popular ukiyoe artist at that time, was so impressed by Koremoto’s maki-e that he asked him to be his apprentice.

 

In 1830, when Koremoto was 24 years old, he moved to Kyoto, where painting was flourishing at the time, to further study the Shijo school of painting. In Kyoto, he learned not only painting but also Kanji (Chinese characters), and seems to have deepened his contacts with other painters and expanded his personal network. When he returned to Edo a year later and met again with his master Suzuki Nanrei, he showed him his paintings and was impressed by the great progress he had made, which led him to take the name “Zeshin. However, although he had already gained recognition as a painter, he did not receive much recognition as a maki-e artist, and he spent a difficult period as a lowly apprentice.

 

In 1840, at the age of 34, a turning point came for Shibata Zeshin. Commissioned by the Sumiyoshi Meitokou (sugar merchants’ association) in Edo, he painted “Oni Onna Zu (Demon Woman)” for dedication to the Oji Inari Shrine. The painting was very well received and became famous. From this point on, Koremoto worked energetically as both a lacquer artist and painter.

 

His popularity was not limited to Japan, and when he exhibited his “Fuji-Tagoura maki-e maki-e frame” at the Vienna World’s Fair of 1873 and received the Progress Award, he became known abroad as “ZESHIN.

He received many awards at domestic and international expositions and exhibitions, including a prize at the Philadelphia World’s Fair in 1876, and died in 1891 at the age of 85.

 

Unlike other maki-e artists, Shibata demonstrated an astonishing talent in all processes of maki-e, from preparatory drawing to maki-e, all done by himself.

 

Furthermore, Koreshin, who was a diligent student, also studied the tastes of the people who would take his works in their hands. People born in Edo (present-day Tokyo) preferred works that were based on solid techniques and knowledge, but that did not flaunt them. Therefore, Koremoto’s works as a whole give a sense of “Edo style” and “iki,” and his style is characterized by stylishness and wit, and he must have been good at keeping up with the trends and tastes of the times.

His works express a unique view of the world that is meticulous, delicate, and dynamic, blending all of the various techniques he has mastered.

 

In 1845, Koremoto restored “Aomiha-nuri,” a technique that had been thought to be a mirage.

Seikai-no-ha-nuri is a technique of drawing wave patterns with a brush or other means while a thin layer of lacquer is still drying, a technique that had been discontinued since it was created by Seikai Kanshichi, a painter active in the Genroku era (1688-1704). In the field of lacquer painting, he applied the techniques he learned from maki-e to create various new techniques of variegated lacquering, such as bronze, shibu-nuri, tetsubun-nuri, sunabari-nuri, shiban-nuri, and sumi-gata-nuri. With such in-depth knowledge and genre-defying ideas, he continued to produce many original works of art.

 

There are geniuses in various fields in the world, and they and the people who talk about them give various definitions of genius.

 

For example, Thomas Edison said, “Genius is 1% inspiration and 99% effort,” physicist Albert Einstein said, “A genius is an ordinary genius who works hard. We often hear phrases such as “A genius is a genius who studies three, four, or five times harder than anyone else,” or “A genius also works hard.

 

I suddenly thought that “a genius is the ultimate art nerd whose curiosity and hard work have become unstoppable,” but this is just my personal opinion.

 

I hope you all will consider the definition of genius.

 

Have a good day.

 

 

 

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栗の美味しい季節を堪能しております(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.09

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

昨日のスタッフTのブログにもありましたが、店頭に秋ならではの食材が並び、食事が楽しい季節になりましたね。

 

 

 

 

私の秋の楽しみといえば栗と銀杏でしょうか。祖父江の銀杏を初めて見た時は、あまりの大きさに驚きました。銀杏は手軽に食べられるのですが、栗は堅い皮に包まれていてかなり手強いです。栗ご飯が食べたい!と家族に簡単に言われましても、あの手間暇を考えるとつい聞こえないふりをしそうになります。

 

この季節、栗そのものの味を楽しめる贅沢で有難いお菓子に「栗きんとん」がありますね。嬉しいことに先日、「中津川すや」の栗きんとんをいただきました。

 

 

 

岐阜県の秋の風物詩ともいえる栗きんとん。9月になると中津川市、恵那市、八百津町などの和菓子店には栗きんとんが並びます。栗きんとん好きの人に言わせると、店によってしっとり系、ホクホク系など味も食感を違うそうです。材料は蒸した栗と砂糖のみで水なども加えずに作られるシンプルなお菓子ゆえ、収穫時期や栗の状態の違いを考慮し、長年変わらない味を引き出す菓子職人の技が必要だといわれます。

 

菓子箱の絵は、昔の店構えを描いたものなのでしょうか。現在の中津川すやの店舗に掲げられている木曽ひのきの大看板にはひらがなで「すや」の二文字があり、良寛の書から拾った文字だそうです。

 

創業は元禄年間、江戸から下ってきた武士、赤井九蔵がこの宿場町に住みつき、「十八屋」の屋号でお酢の店を開いたのが始まりだと言われています。美濃中津川は町の中を旧中山道が通り、木曽路の入り口にあたる古い宿場町でした。中津川宿の酢は中山道でも有名だっだそうです。

現在店名となっている「すや」は「酢屋」に由来するといわれています。和菓子作りを始めたのは7代目だそうで、どんなきっかけでお酢屋さんから和菓子屋さんへと転換したのかは定かではありませんが、「宿場町には茶店でしょう!」という時代の流れがあったのでは…と推測します。

栗きんとんはもともとこの地方で家庭のおやつとして作られていたようですが、それを商品として売り出したところに7代目の商才を感じます。中山道を歩き疲れた旅人がこの甘い栗のお菓子に癒されたことは間違いないでしょう。そしてSNSなどはなくともその評判は人から人へと伝わり、現在、私たちも変わらず秋を感じるお菓子として楽しむことができています。ありがたいです。

 

ところで栗は果物なのでしょうか。農林水産省では、苗を植えて1年で収穫する草本植物を「野菜」とし、2年以上栽培する植物のうち果実を食用とするものは「果樹」と分類しています。

「果物」と呼ばれることも多いメロンやイチゴ、スイカは「野菜」、梅や栗は「果樹」として分類されています。

そして意外なことに栗の果肉は、美味しい美味しいと食べているクリーム色の部分ではないそうです。栗はイガの下の固い部分は鬼皮、そのさらに下に部分は渋皮と呼ばれ、美味しく頂いている部分は実は種子だそうです。

では果肉はというと、あの固い鬼皮が果肉と呼ばれる部分なのだそうです。植物の世界は奥深いですね。

 

「中津川すや」からのれん分けした「恵那すや」という店舗が名古屋にあります。毎年10月1日より「栗パフェ」をいただくことができます。私はパフェは苦手で、最後の方は苦行のように感じながら食べるのですが、恵那すやの栗パフェはあっという間に平らげてしまいます。

しかしここ数年はご縁がなかったのでブログを覗かせていただくと、このご時世だからか少しお値段が高くなっておりました。美味しいものをいただくにも気合がいりますが、今年は寒くなる前にぜひチャレンジしたいです。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

As mentioned in yesterday’s blog by Staff T, it’s the season when delicious foods are lined up in stores, and it’s time to enjoy eating.

 

My favorite autumn delicacies are chestnuts and ginkgo nuts. When I first saw ginkgo nuts in Sobue, I was surprised at how big they were. Ginnan nuts are easy to eat, but chestnuts are wrapped in hard skin and are quite tough. I want to eat chestnut rice! I am almost afraid to pretend not to hear it when I think of the time and effort required to make it.

 

One of the most luxurious and appreciated sweets that you can enjoy the taste of chestnuts themselves during this season is “Kurikinton” (chestnut kinton). The other day, I was delighted to receive chestnut kinton from Nakatsugawa Suya.

 

Kurikinton is a typical autumn delicacy in Gifu Prefecture, and in September, chestnut kinton is lined up at wagashi stores in Nakatsugawa City, Ena City, Yaotsu Town, and other areas. According to those who love kuri-kinton, the taste and texture varies depending on the store, such as moist or crunchy. Because it is a simple confection made with only steamed chestnuts and sugar, with no added water, it is said that it requires the skill of a confectioner to bring out the same flavor over the years, taking into consideration differences in harvest times and the condition of the chestnuts.

 

Is the picture on the pastry box a depiction of the old store? The large signboard made of Kiso hinoki (Japanese cypress) that hangs in the current Nakatsugawa Suya store has the two characters “Suya” in hiragana, which are said to be characters picked up from the calligraphy of Ryokan.

 

It is said that the shop was founded in the Genroku era (1688-1704) by Kyuzo Akai, a samurai who came down from Edo and settled in this inn town, and opened a vinegar store under the name of “Juhachiya. Mino Nakatsugawa was an old post town that served as the entrance to the Kiso Road, with the old Nakasendo road passing through the town. Vinegar from Nakatsugawa-juku was famous on the Nakasendo.

It is said that “Suya,” which is now the name of the store, is derived from “Vinegar Shop. It is said that the 7th generation started making wagashi (Japanese confectionery), and although it is not certain what prompted the transition from a vinegar shop to a wagashi shop, it is likely that the trend of the times was that “a tea store is the place to be in an inn town! I assume that it was the trend of the times.

Chestnut dumplings were originally made as a snack for families in this region, and the fact that they were marketed as a product shows the business acumen of the seventh generation. No doubt, travelers who were tired of walking along the Nakasendo route were comforted by this sweet chestnut pastry. Even without social networking services, the reputation of the sweets spread from person to person, and today we can still enjoy them as sweets that remind us of the autumn season. I am grateful for that.

 

By the way, is the chestnut a fruit? The Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries classifies herbaceous plants that are planted and harvested within one year as “vegetables” and plants that are cultivated for more than two years and whose fruits are edible as “fruit trees.

Melons, strawberries, and watermelons, which are often called “fruits,” are classified as “vegetables,” while plums and chestnuts are classified as “fruit trees.

And surprisingly, the pulp of the chestnut is not the cream-colored part that we eat as a delicious and tasty treat. The hard part of the chestnut under the stigma is called the devil’s skin, and the part further down is called the astringent skin, and the part we enjoy is the seed.

The part we enjoy is the seed. As for the pulp, the hard skin is the pulp. The world of plants is very deep.

 

There is a store called “Ena Suya” in Nagoya, which is a branch of “Nakatsugawa Suya”. You can enjoy a chestnut parfait from October 1 every year. I am not good at parfaits, and the last part of the parfait is a painful experience for me, but I finish the chestnut parfait of Ena Suya in no time at all.

However, I have not had the chance to try it in the past few years, so I took a peek at their blog and found that the price had gone up a bit, probably because of the current times. It takes a lot of energy to eat good food, but I would like to try it this year.

 

See you next time.

 

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秋、この食欲を突き動かすものとは(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.08

皆さまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

時折雨が落ちてきて、どんより曇り空の名古屋です。今日から二十四節気のひとつ「寒露(かんろ)」となりました。「寒露(かんろ)」とは、野の草花に宿る露(つゆ)が冷たい空気によって霜(しも)に変わる頃、という意味です。

この時期は、雲ひとつない青々とした空を見ると、清々しい一日を運んできてくれそうな気がしてきます。
そして夜になれば、見上げる空には綺麗な月と星。秋の澄みわたった空気は、見るもの、聞くものを、クリアにしてくれる気がします。

 

気がつけばスーパーには、きのこや栗、秋鮭などの魚介、甘い柿、そして新米。秋の味覚が目につくようになってきました。
月並みですが「実りの秋」「食欲の秋」なんていうように、秋は、他の季節よりも食べ物の季節感が特に色濃くあらわれた季節だなと、先日も梨を食べながら思ったところです。

秋は、腹八分目といきたいところなのに、なぜかどれだけでも食べられる食欲増量キャンペーンの季節。

この「秋の食欲を突き動かす得体のしれないなにか」はいったい何なのでしょうか。

 

 

それは、精神状態を安定にするための、ある神経伝達物質が大きく関係しているそうです。

それがセロトニン。セロトニンは別名「幸せホルモン」とも呼ばれており、満腹感を与えて食欲を抑える働きがあります。この成分は、日光に当たる時間と比例していて、陽の光を浴びる時間が短いと減り、長ければ増えるのだとか。つまり秋は日照時間が短いので、夏に比べて太陽の光を浴びる時間が短く、かつセロトニンの分泌量も減るので、食欲が増えると言われています。人間もかつて体内時計で動いていた動物だったでしょうから、日照時間感知センサーはまだ残っているのでしょうね。

 

はたまた気温の低下も関係しているのでしょうか。

寒い環境に身を置くと、脂肪を燃焼して体温を保持しようとします。基礎代謝が上がればその分多くのエネルギーを消費してしまうので、失った分を補おうとして食欲が増すようです。また空腹は、エネルギー補給を訴える体のシグナルでもありますので、ダイエットをするなら冬場が最適、と言われるのもうなずけますね。

 

そして、涼しくなり夏バテが解消されることも要因でしょうか。

暑さによる夏バテで、食欲が減ってしまった方も多いのではないでしょうか。秋に入ると、うだるような暑さから一変、過ごしやすい気温に落ち着くので、本来の食欲に回復することが多いようで、夏バテが解消されて、食欲が増したように感じるのだと考えられます。これらすべての条件が揃うのですから、秋という季節は、食欲が増すようにできているのですね。

 

難しいことはさておき、秋に食べたいものは何ですか? と聞いたところ、1位「秋刀魚(さんま)」、2位「梨」、3位「新米」、4位「栗 」、5位「柿」 という結果だそうです。

とはいえ、こればかりは個人的な嗜好のほうが要因が強そうな気もしますが、ちなみに私の食べたいものは、もちろん、ここにあがったすべてございます(笑)。

 

それでは、また。

 

Hello everyone, this is Staff T.

 

It is a cloudy day here in Nagoya with occasional rain showers.

Today is the first day of “Kanro,” one of the 24 solar terms. Kanro means “when dew on wild flowers and grass turns to frost by the cold air.

At this time of year, the cloudless, blue sky makes us feel as if it will bring us a refreshing day.
And at night, when you look up at the sky, you will see the beautiful moon and stars. I feel that the clear autumn air makes everything I see and hear clearer.

 

At the supermarket, you will find mushrooms, chestnuts, fall salmon and other seafood, sweet persimmons, and new rice. The autumn flavors are becoming more and more noticeable.
It may sound a bit clichéd, but I was thinking the other day while eating a pear that autumn is a season in which the sense of seasonality is more strongly expressed in food than in other seasons, as in “autumn of harvest” or “autumn of appetite.

Autumn is the season of increased appetite, when we can eat as much as we want, even though we want to eat only eight portions of food.

What is this “something mysterious that drives our appetite in autumn”?

 

 

 

It is said to have a great deal to do with a certain neurotransmitter that stabilizes our mental state.

That is serotonin. Serotonin, also known as the “happy hormone,” helps to suppress appetite by making us feel full. This component is proportional to the amount of time one is exposed to sunlight; it decreases with shorter exposure to sunlight and increases with longer exposure. In other words, because of the shorter daylight hours in autumn, the amount of time spent in the sun is shorter than in summer, and the amount of serotonin secreted is also reduced, which is said to increase appetite. Humans used to be animals that ran on an internal clock, so it is likely that the daylight sensor is still in place.

 

Or perhaps the drop in temperature has something to do with it.

When we are exposed to cold environments, we try to maintain our body temperature by burning fat. An increase in basal metabolism causes the body to expend more energy, so the appetite increases to compensate for the loss of energy. Hunger is also a signal for the body to replenish energy, which explains why people say that winter is the best time to lose weight.

 

Another factor may be the cooler weather, which relieves summer fatigue.

Many people may have lost their appetites due to the summer heat. In autumn, the sweltering heat is replaced by pleasant temperatures, which often restore the appetite to its original level, and it is thought that the summer fatigue is dissipated and the appetite seems to increase. Since all of these conditions are in place, the season of autumn is designed to increase one’s appetite.

Putting aside the difficult questions, what do you want to eat in the fall? The answer was: “Autumn swordfish (saury)” in first place, “pears” in second, “new rice” in third, “chestnuts” in fourth, and “persimmons” in fifth.

I think personal preference may be the stronger factor, but by the way, all of the above are what I want to eat .

 

See you soon.

 

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今朝は温かい珈琲をいれてみました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.06

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

今朝ですが、久しぶりに温かい珈琲をいれてみようかな、という気分になってきました。

 

温かいコーヒーを飲みたくなる気温は、一般的に最低気温が17℃を下回る頃といわれており、また、最高気温が22~23℃あたりになると、ホットコーヒーとアイスコーヒーの興味の入れ替わる目安となるそうで、だいたい10月の今頃が自動販売機の冷⇔温の入れ替わり時期だそうです。どうやら私の温かい飲み物センサーの感覚は、世間一般並みと言ったところのようでした。

 

そんなことを思いつつ温かい珈琲をいれていたのですが、先日飲んだ日田の珈琲が美味しかったことを思い出しておりました。とあるカフェにて飛びこみで買ったテイクアウトの珈琲だったのですが、雑味がなくて驚くほど美味しく、豆が美味しいのか、水が美味しいか、挽き方やいれ方がいいのか…。そこらへんは全くわからないのですが、喉にひっかっからない、雑味によって珈琲本来の風味を消していないようなテイストで、味覚が貧相な私でも、「これは違う!」と、わかる一杯でありました。

 

ところで、先日のブログにおいて軟水硬水のお話があったと思うのですが、珈琲は水の硬度が低いもの(軟水)を使ったものほど出来上がるコーヒーの濃度が薄く、硬度が高いもの(硬水)ほど濃度が濃くなる傾向があるそうです。硬水の方が成分を多く取り出している、いわゆる過抽出の味わいになりやすいとのことです。ミネラル分を多く含む硬水の方が、成分が溶け出しにくい(浸透圧の関係で)イメージなのですが。

 

そんな軟水と硬水、どうして味の違いが生まれるのかといいますと、大きな原因はミネラルの含有量(マグネシウムイオン・カルシウムイオン)に関係するとのこと。マグネシウムイオンやカルシウムイオンは、コーヒーの香味成分と結合することで、変容や反応を起こしやすくなり、そのため、コーヒー成分の取り出しの妨げになったり、逆に苦味や渋みの成分を多く取り出してしまったりなど様々な影響が考えられ、必然的にミネラルを多く含んだ硬水の方が、抽出される味に変化が生まれてくるようです。

 

逆に超軟水を使ったコーヒーに味や香りの物足りなさを感じるようで、ミネラルの影響が極端に少なく十分に成分を抽出できないようであります。よって、コーヒーの抽出に向いている水は適度なミネラルが配合された水(軟水)、ということになるそうです。

 

ちなみに先日飲んだ日田の水は浄水場によって若干異なりますが、概ね日本人が飲みやすい軟水でありました。たぶん旅先の景色や空気感諸々の高揚感による気分違いが大いにあると思うのですが、軟水とか硬水とかミネラル成分とか一旦置いといて、忘れられない一杯の珈琲となったことは確か。また飲みに行きたい。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

This morning, I feel like making a cup of hot coffee for the first time in a while.

 

It is generally said that the temperature at which you feel like drinking hot coffee is when the minimum temperature falls below 17℃, and when the maximum temperature reaches around 22-23℃, it is said that this time in October is the standard time to switch between hot and iced coffee. This time in October is said to be the time when the vending machines switch between cold and hot drinks. It seems that my sense of hot beverage sensor was about the same as the general public.

 

I was making a cup of warm coffee with this in mind, and I remembered that the coffee I drank the other day in Hita was delicious. It was a take-out coffee that I bought on the spot at a certain cafe, but it was surprisingly tasty and free of any unwanted flavors. I don’t know if the beans are good, the water is good, or the way it is ground and brewed… I have no idea, but it didn’t stick in my throat, and it had a taste that didn’t make me feel like the original flavor of the coffee had been lost due to the strange taste! Even I, with my poor taste buds, could tell that this was different!

 

By the way, in my blog the other day, I mentioned soft water and hard water, and it is said that coffee made with low hardness water (soft water) tends to have a lighter consistency, while coffee made with high hardness water (hard water) tends to have a higher consistency. Hard water tends to have a so-called over-extracted flavor, in which more of the ingredients are extracted. I imagine that hard water, which contains more minerals, is more difficult to dissolve ingredients (due to osmotic pressure).

 

The main reason why there is such a difference in taste between soft and hard water is related to the mineral content (magnesium and calcium ions). Magnesium and calcium ions easily cause transformations and reactions when they combine with the flavor components of coffee, and this can have various effects, such as hindering the extraction of coffee components, or conversely, extracting more bitter and astringent components. Hard water with a high mineral content is more likely to produce a change in the extracted taste.

 

Conversely, coffee made with ultra-soft water seems to lack in taste and aroma, and the influence of minerals seems to be extremely small, making it impossible to fully extract the ingredients. Therefore, it is said that the water suitable for coffee extraction is water with moderate minerals (soft water).

 

Incidentally, the water I drank the other day in Hita varies slightly depending on the water purification plant, but it was generally soft water that is easy for Japanese people to drink. I think there is probably a lot of difference in mood due to the exuberance of the scenery and atmosphere of the destination, soft water, hard water, mineral composition, once put aside, it is certain that it became an unforgettable cup of coffee. I would like to go back for another cup.

 

Have a good day.

 

*******************

 

ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

 

 

 

 

千種区民まつり、残念ながら行けず…。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.06

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日のスタッフHからの報告もあったように、この週末、ここ千種区界隈はお祭りづいております。先日の日・タイ文化フェスも大変盛り上がっておりましたね。私的にはスタッフHと同じく、トゥクトゥクが気になったので、トゥクトゥクに乗って少し身を乗り出してポーズを決めて写真撮りたいですね…。トゥクトゥクかわいい。

 

そんな日・タイ文化フェス、本日も開催されておりますので、是非お出かけください。今日も近くを通り抜けておりましたら、わらわらと人が日泰寺方面へ向かっておりましたので、今日も盛り上がっていることでしょう。

 

そして、今日はもう一つ。千種区の平和公園メタセコイア広場にて開催しております千種区民まつりの様子を偵察、いえいえちょっと楽しみに見に行こうと思い、車にて近くに向かったのですが時すでに遅し。駐車場、そして平和公園界隈に許可されている路駐はどこまでも満車で、会場へいくことができませんでした泣。

 

千種区民ではないもので情報が薄く、このような残念なことになってしまったのですが、どうやら当日は星が丘や茶屋ヶ坂などの最寄駅から無料シャトルバスが出ているようです。向かわれる方は、徒歩や自転車や公共交通機関で向かわれてください。完全に予習不足でして、車窓にて眺めただけでありましたが、屋台や特設ステージなどですでにたくさんの人がおりましたので、こちらも(たぶん)盛り上がっているようでありました。

 

とまあ、今週末は千種区界隈、たいへん賑わっております。昨夜の雨のなんとかあがりましたで、今日の予定がまだ未定の皆さま、午後からお出かけしてみてください!。

 

その節は、古美術風光舎もぜひお立ち寄りください。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

As Staff H reported the other day, this weekend has been full of festivals here in the Chikusa Ward area. The Japan-Thailand Culture Festival was also very exciting the other day. I, like Staff H, was interested in the tuk-tuks, so I would like to take a picture of myself leaning forward a bit to pose for a photo…. Tuk-tuks are cute.

The Japan-Thailand Culture Festival is still being held today, so please come out and enjoy it. I was passing by today and saw many people heading towards the Nittaiji temple, so it must be a very exciting event today as well.

 

And one more thing to do today. I went to the Chikusa Ward Citizens’ Festival at Heiwa Park Metasequoia Plaza in Chikusa Ward to check out the festival, or rather, to have a bit of fun, but it was already too late. The parking lot and the street parking allowed in the Peace Park area were all full, and I could not get to the venue.

 

I am not a resident of Chikusa Ward, so my information was limited, but it seems that there is a free shuttle bus service from Hoshigaoka, Chayagasaka, and other nearby stations on the day of the event. If you are heading to the event, please walk, ride a bicycle, or take public transportation. I was completely unprepared for the event and only saw it from the car window, but there were already many people at the food stalls and special stages, so it seemed (probably) to be a very exciting event here as well.

 

As you can see, the Chikusa Ward area is very crowded this weekend. The rain stopped last night, so for those of you whose plans for today are still undecided, please go out in the afternoon!

 

If you do, please stop by the Fuhkosha Antique Art Gallery.

 

Have a good day!

 

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覚王山日泰寺の「日・タイ文化フェス」を覗いてきました!(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.05

皆様こんにちは。スタッフHでございます。

 

ご近所の日泰寺境内において開催されている「日・タイ文化フェス」を少し覗いてきました。

 

 

 

 

秋の風を待っていましたとばかりに、多くの人が訪れ楽しんでいらっしゃいました。

仕事中ですのでゆっくりとはいきませんでしたが、それでもお祭りのウキウキした雰囲気を味わうことができました。

 

本格的なタイ料理のお店もたくさん出店していました。

 

 

 

 

トゥクトゥクに乗って写真を撮るコーナーもあり、大変心惹かれましたがグッと我慢しました。

 

 

 

 

他にもタイマッサージや雑貨屋さんなどたくさんのお店が出ておりました。

 

 

 

 

明日も開催されておりますので、ぜひお出かけください。

 

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

 

I just had a quick peek at the “Japan-Thailand Culture Festival” being held at the Nittaiji temple in our neighborhood.

 

Many people came to enjoy the autumn breeze.

Although I was not able to take my time because I was at work, I was able to enjoy the exciting atmosphere of the festival.

There were also authentic Thai food restaurants lined up.

There was also a corner where you could ride in a tuk-tuk and take pictures, which was very tempting, but I held back.

There were also many other stores such as Thai massage, zazen experience, and general stores.

 

The festival will be held again tomorrow, so please come and visit.

 

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明日、平和公園にて千種区民まつりが開催されます(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.05

皆様こんにちは。スタッフHでございます。

 

彼岸花が美しく咲く季節となり、ようやく秋を感じられるようになりました。

風光舎の近くでは様々なイベントが目白押しとなっています。

 

明日10月6日(日)9:30~15:00

平和公園メタセコイア広場にて「第35回 千種区民まつり~みらいへ翔べ ちくさ~」が開催されます。

ステージ上での和太鼓などの演奏、フリーマーケット、はしご車に乗る体験など盛りだくさんのイベントです。お散歩のついでに覗いてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてこの時期に開花する彼岸花。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれますね。

サンスクリット語の赤を意味する「manjusaka」に由来しており、「天上に咲く花」という意味があるそうです。また仏教の経典にある「おめでたい事が起こる兆しとして天から降ってくる花」だとも言われているそうです。(個人的には山口百恵さんの歌が頭の中でずっと流れておりますが…。)

 

元は中国大陸原産の多年草で、9月中旬になると蕾を出し直径10cmほどの集合花を咲かせます。

こちらの彼岸花はご近所の城山八幡宮に咲いていおりました。白い彼岸花はあまり見かけたことがないのですが、華やかな印象で、よく見る紅色の彼岸花とはまた違った美しさがありますね。

 

なぜか子供の頃、彼岸花にはあまり近づかないようにと言われたせいか、あまりじっくりと眺めたことがありませんでした。

真っ赤な彼岸花が絨毯のように一面に咲いている情景は綺麗なのですが、子供心に少し怖さも感じていたのかもしれません。

調べて見ると球根の部分に毒の成分があるそうです。毒は他の植物の生育を阻害するため雑草対策となり、また田んぼを荒らすネズミやモグラ除けとしてあぜ道によく植えられたようです。

 

しかし昔は飢饉などの際に球根をすりつぶし何度も水にさらして毒を抜き、団子や雑穀と混ぜて食べたとか。当時の人々の知恵の深さとたくましさを感じます。

 

白い彼岸花は主に九州に自生していますが、赤と黄色の彼岸花の交配種のため繁殖力が弱く、全国的には珍しいようです。墓地の近くで植えられていることが多いことから、亡くなった人に対して「また会う日を楽しみに」という花言葉もあるそうです。他には白という色が相手を一途に思う純粋な心を表すとして「思うはあなた一人」という何ともロマンティックで切ない花言葉もあるとか。

彼岸花のイメージが変わってしまいそうです。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

The higanbana (cluster amaryllis) is blooming beautifully and we can finally feel the autumn season.

Various events are being held in the vicinity of Fumikosha.

 

Tomorrow, October 6 (Sun.) from 9:30 to 15:00

The 35th Chikusa Ward Citizens’ Festival “Fly to the Future, Chikusa” will be held at Heiwa Park Metasequoia Plaza.

There will be Japanese drum performances on stage, a flea market, a ladder truck ride, and much more.

Why don’t you take a look at it while you take a walk?

 

Now, higanbana (higanbana) blooms at this time of year. It is also called manjusaka (manjushage), right?

It is derived from the Sanskrit word “manjusaka,” meaning “red,” and is said to have the meaning of “flowers blooming in the heavens. It is also said to be “a flower that falls from the heavens as a sign of good fortune” in Buddhist scriptures. (Personally, I am reminded of the lyrics of a song by Momoe Yamaguchi…)

 

Originally a perennial herb native to the Chinese continent, it puts out buds in mid-September and produces clusters of flowers about 10 cm in diameter.

These higanbana were in bloom at a nearby Shiroyama Shrine. I have not seen white higanbana before, but they look gorgeous and have a different beauty from the red higanbana we often see.

 

For some reason, I was told not to get too close to higanbana when I was a child, so I never really took the time to look at them.

It was a beautiful sight to see bright red higanbana blooming all over the place like a carpet, but perhaps I was a little scared of them in my childish mind.

I found out that the bulb part of the flower is poisonous. The poison inhibits the growth of other plants, so it was often planted along the roadside to prevent weeds and to repel rats and moles from destroying the rice paddies.

 

However, in times of famine, people used to grind the bulbs and soak them in water repeatedly to remove the poison, and then eat them mixed with dumplings or cereals. This shows the wisdom and resilience of the people of that time.

 

White higanbana grows naturally mainly in Kyushu, but it is a crossbreed between red and yellow higanbana, so its fertility is weak and it is rare throughout Japan. Since they are often planted near cemeteries, they also have a flower language that says “look forward to the day we meet again” for the deceased. The color white is also said to express a pure heart that is single-mindedly devoted to a partner, and the flower’s language is said to be romantic and wistful: “You are the only one I think of.

It seems to change the image of higanbana.

 

See you next time.

 

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今年も日泰寺フェスが開催されます。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.04

皆様こんにちは、スタッフYでございます。

 

まずはお知らせを。

今年も古美術風光舎のご近所

日泰寺にて

10月5日(土)、6日(日)

「日・タイ文化フェスティバル2024(日泰寺フェス)」が開催されます。

 

日泰寺境内において、たくさんのお店が出展し、さらにイベント会場ではムエタイやタイ舞踊などのパフォーマンスなど、日本にいながらタイの文化を楽しめる面白いフェスです。是非遊びにいらしてみてください。

日泰寺から弊店は徒歩5分ほどですので、是非古美術風光舎にもお立ち寄りください!。

 

 

 

 

さてさてここからは、本日のつぶやきとまいりましょう。

 

このところ大河ドラマの「光る君へ」にはまっておりまして。特に色鮮やかな十二単や束帯などの意匠をみることがとても楽しみなのですが、きっと、この衣装の色彩にもいろいろなメッセージや特徴があるのだろうな…と、薄々想像しながら、もしくは裏情報を探しながらみております。そんな主人公まひろはやはり紫式部ということで、名前の通り、衣装の所々に紫を使っていることが多いようです。そんな「隠れ紫」をよく探しております。

 

平安装束、得に十二単については様々な研究や情報があふれ、皆さま既に周知とは思いますが、それぞれの色に官位や状況、そしてもちろん季節によって色が違っているのですが、さらに色彩や柄や素材の違いで重ねた襲色目(かさねいろめ)と呼ばれるをも楽しんでいたようです。ここまでおしゃれにこだわることは、われわれ現代人、到底かなわないのですが、とはいえパーソナルカラー診断などは今流行っているところをみますと、どんな色を纏うのかは未来永劫、人間にとって気になるところなのでしょうね。

 

参考までに調べて見たのですが、平安装束のカラーコーディネートのポイントは3種類あるようです。

 

  1. 重色目
    表の色と裏の色の組み合わせ。当時の絹は薄かったので裏地が透けたため複雑な色彩となり、バリエーションも豊富だったのでしょうか。
  2. 襲色目
    いわゆる十二単のような重ね着で、重なる色彩のグラデーションを楽しむもの。一番目立つポイントでしょうか
  3. 織りによるかさね色目
    反物を織る段階で縦糸と横糸の色を変え、玉虫色の色彩を楽しんだようです。

 

こんなふうに公家たちは季節季節で色彩を暮らしの中で楽しんでいたようですね。そこに当時はさらにこれらに季節感を取り入れた配色が流行したようで、それらを襲色目(かさねいろめ)と言いますが、そのバリエーションの数がものすごく、いったい各季節に着物を何枚もっていたのか…などと焦ってきます。ですが、これが貴族の日常。「焦っている」といった自分の庶民具合だけが露わになっただけでした笑。

 

さらに、その「襲色目」(かさねいろめ)ですが、気になって調べて見ますとものすごい数でした笑。これは現代に伝わる秋のかさね色目のほんのごくごく一部なのですが、

 

 

和楽Webより

 

 

たとえば、「紅葉(もみじ)」と「青紅葉(あおもみじ)」。おなじ「紅葉」のキーワードが入っていても、高揚した紅葉なのかこれから紅葉していく紅葉なのかでも色が違ってきますし、そもそも紅葉を表す「赤」も少し違っていますよね。紅葉一つとっても異なる配色と景色を生み出し、それらをさらに重ね重ね衣裳で表現しているのですから、平安貴族たちの観察力の鋭さと、季節を愛でる心がいかに繊細だったのかが伺えしれます。

 

それに比べ、現代は季節も色もデザインも何の制約もなく好きなものを着ればいい時代のはずなのに、自分に至ってはマンネリコーデが日々を悩ましております。この秋のマンネリコーデ脱却にむけて、この無限に広がる「襲色目」(かさねいろめ)が、何かの参考になるかもしれない気がしてきましたので、早速帰って秋の洋服を引っ張り出してみいたいと思います。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Recently, I have been absorbed in the historical drama “Hikaru Kimi e” (To the Luminous Kimi). I am especially looking forward to seeing the colorful designs of the junihitoe (12-layered kimono) and sokutai (a ceremonial kimono worn over a kimono), and I imagine that there must be various messages or characteristics in the colors of the costumes… I watch the drama with my imagination, or while looking for information behind the drama. The main character, Mahiro, is also called Murasaki Shikibu, and as her name suggests, she often uses purple in various parts of her costumes. I often look for such “hidden purple.

 

There is a lot of research and information on Heian costumes, especially juni-hitoe, and I am sure everyone is already familiar with them, but it seems that people also enjoyed the “kasane-iro-me,” a color layered with different colors, patterns, and materials. We modern people can never be this particular about fashion, but judging from the popularity of personal color diagnosis, it is likely that people will always be interested in what colors they wear.

 

For reference, I looked into it and found that there are three types of color coordination points for Heian costumes.

 

Double-colored eyes
A combination of the color of the front and the color of the back. Silk was thin at that time, so the lining was transparent, resulting in complex colors and a wide range of variations.
Soushoku-keime (a color combination of two colors)
This is a layered dress like the so-called juni-hitoe, in which the gradation of colors is enjoyed. This is probably the most conspicuous point.
Kase-iro-me by weaving
The colors of the warp and weft threads were changed at the stage of weaving the fabric to enjoy the iridescent colors.

 

It seems that court nobles enjoyed the colors of the seasons in their daily lives. The number of variations was so great that one wonders how many kimonos they had for each season. But this is the daily life of aristocrats. But this is the daily life of an aristocrat, and only his “impatience” reveals how much of a commoner he is.

 

I was curious about this “kasane-iro-me,” but when I looked it up, I found a tremendous number of them. This is just a small part of the autumnal kasane-iro-me that have been handed down to the present day,

 

For example, “Momiji” and “Aomomiji. Even if the same keyword “Momiji” is used, the colors are different depending on whether the leaves are exuberant or just starting to turn red, and the “red,” which represents autumn leaves, is also slightly different. The red color for autumn leaves is also a little different. The fact that they created different color schemes and landscapes even for a single autumn leaf, and expressed them in layers and layers of costumes, shows how sensitive the Heian aristocrats were in their observation and love of the seasons.

 

In comparison, today, we should be able to wear whatever we like without any restrictions on season, color, or design, but for myself, I find myself in a rut every day. I have a feeling that this endlessly expanding “Kasane-iro-me” may be of some help to me in getting out of this autumn rut, so I would like to go home and pull out my autumn clothes.

 

Have a good day.

 

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【茶道具買取】名古屋市千種区のお客様より買取致しました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.04

 

 

名古屋市千種区のお客様より茶壷、建水を買取いたしました。

ご近所のお客様がふらりと立ち寄ってくださいました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

 

古美術風光舎では、茶道具などの買取もおこなっております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

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【藪内佐斗司ブロンズ像買取】名古屋市瑞穂区のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.10.03

 

 

名古屋市瑞穂区のお客様より藪内佐斗司ブロンズ像2体買取いたしました。

大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

 

古美術風光舎では、ブロンズ像などの買取もおこなっております。

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