7月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 4

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FROMKYOTOOSAKA

広重の世界に浸ってまいりました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.10

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

また通りすがりにいつもの美術館に立ち寄ってまいりました。この酷暑の中、駅に直結していて訪れやすいというのもあるのですが、こちらの美術館のポスターはいつも迫力満点で、つい吸い込まれて入館してしまいます。今回のテーマは江戸の浮世絵師、歌川広重の「広重-摺りの極み―」です。浮世絵というものを肉眼で見たことがなかったのでこの機会を逃す手はありません。

 

 

 

 

とはいえ思い付きでしたので、あまり時間に余裕がなく、ほんのちょっと覗くつもりが中に入ると340点近くの作品が展示されており、とてもちょっとでは済まない様子…。同時代に活躍した葛飾北斎展が数年おきにどこかしらで開催されているのに対し、広重の大規模かつ総合的な展覧会はあまり開催されていないらしく、希少な初摺り作品をはじめ初期から晩年までの作品が並べられ広重の魅力を堪能できます。

展覧会後期には違う作品も展示されるようですので、機会があれば今度こそゆっくりと鑑賞したいところです。

実は先日阿部サダヲ主演の「広重ぶるう」というドラマを観たところで、どうしても広重と聞くと阿部サダヲが脳裏にちらついていたのですが、三代歌川豊国が描いた広重の姿絵が最初に紹介されていたので払拭することができました。

ドラマのタイトルにもあるように、広重の青は「広重ブルー」と呼ばれ、透明感のある鮮やかな青を指します。実はこの青はドイツのベルリンの染料業者が原料の調合を間違えて偶然発見したとされる科学的な合成顔料で、日本には1747年に輸入されたとされています。発見された地名をとって名づけられた「ベルリン藍」はやがて「ベロ藍」と呼ばれるようになりました。

この見たこともない鮮明な青に江戸時代の人々は驚き、このベロ藍で摺られた広重や北斎の浮世絵が大人気を博しました。

新1000円札のデザインにもなっている北斎の「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」もこの鮮やかな青の濃淡があってこそ、あの波の迫力が生まれたと言われています。

それまで浮世絵の青は色あせが激しい植物由来のものが多く、明るい青を出す鉱物由来の顔料は高価で、庶民向けの浮世絵には使えなかったとのこと。

「ジャパンブルー」と呼ばれた広重や北斎の浮世絵の青は世界を驚かせましたが、その青色はベルリン生まれだったのですね。

 

展覧会を巡っていますと広重の青の多彩に魅了されます。白々と明けていく朝の情景から、夕闇の深さまで青の濃淡で繊細に描かれています。

また着物の帯や提灯などに指し色のように入る赤や雪の白なども印象的でした。素人目からみても構図が面白く、たくさんの作品を観ていてもあきません。少し駆け足でしたが、どっぶりと江戸の風景に浸ることができました。

広重の絵の特徴でもあるいきいきとした人物画を楽しむためには老眼鏡(リーディンググラス?)が必須かと思われます。とにかく細かいのです。黙り込んでいるような人物や、後ろ姿だけの人物にもストーリー性を感じ想像力が掻き立てられます。

広重といえば「東海道五十三次」くらいしか思い浮かびませんでしたが、「木曽街道六十九次」も描いております。こちらは写真撮影がOKだったものです。

 

 

 

 

 

 

私の写真では色の美しさは伝わりにくいと思いますが。

 

また花鳥画、美人画、戯画、役者絵、絵封筒など多くの作品を残しています。絵ハガキを何枚か購入しました。

こちらの美人画は動きがあり、夕闇に吹き抜ける風を感じませんか。

 

 

 

 

そして「月に秋草」名づけられたこちらの団扇絵(うちわえ)は世界でこの1枚しか現存しないそうです。すすきや女郎花などの草花が満月をバックに描かれとても涼やかです。

 

 

 

こんな団扇であおげたら…と外の酷暑を想像しながら、あまりゆっくり鑑賞できなかったことを悔しく思いながら展覧会をあとにしました。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

I dropped by the usual art museum again on my way by. It is easy to visit the museum because it is directly connected to the station in this extremely hot summer, but the posters of this museum are always full of power, and I am always drawn into the museum. The theme of this year’s exhibition was Hiroshige Utagawa Hiroshige, an ukiyoe artist of the Edo period, and his “Hiroshige: The Ultimate in Printmaking. I had never seen Ukiyo-e with my own eyes, so there was no way I could miss this opportunity.

However, since it was an impromptu visit, I didn’t have much time to spare, and what was supposed to be a quick peek turned out to be more than a quick one, with nearly 340 works on display. While exhibitions of Katsushika Hokusai, who was active in the same period, are held somewhere every few years, it seems that large-scale and comprehensive exhibitions of Hiroshige’s works are rarely held, so visitors can enjoy the charm of Hiroshige’s works from his early years to his later years, including rare first prints.

It seems that different works will be exhibited in the latter half of the exhibition, so if you have a chance, I would like to take the time to view them again.

I had just watched the TV drama “Hiroshige Buruu” starring Sadawo Abe the other day, and when I heard the name Hiroshige, I couldn’t help but think of Sadawo Abe, but I was able to get rid of it when I saw the first picture of Hiroshige drawn by Toyokuni Utagawa III.

As the title of the drama suggests, Hiroshige’s blue is called “Hiroshige blue,” which refers to a clear and vivid blue. In fact, this blue is a scientifically synthesized pigment that was accidentally discovered by a dyer in Berlin, Germany, who made a mistake in mixing raw materials, and was imported to Japan in 1747. Berlin indigo, named after the place where it was discovered, eventually became known as “Vero indigo.

The people of the Edo period were amazed at this unprecedentedly vivid blue, and ukiyoe paintings by Hiroshige and Hokusai, which were printed with this Bero-Ai, became very popular.

Hokusai’s “Kanagawa Okinamiura,” which is also the design for the new 1,000-yen bill, is said to have been created with this vivid shade of blue to create the power of the waves.

Until then, most of the blues used in Ukiyo-e were derived from plants, which fade rapidly, and mineral pigments, which produce a bright blue color, were too expensive to use in Ukiyo-e for the general public.

The blue of Hiroshige and Hokusai’s Ukiyo-e, called “Japan blue,” astonished the world, but that blue was born in Berlin.

 

When I visited the exhibition, I was fascinated by the variety of Hiroshige’s blue. From the morning scene in the light of dawn to the depths of dusk, the shades of blue are delicately depicted.

The red and white of the snow on the kimono obi and lanterns were also impressive. From an amateur’s point of view, the compositions were interesting, and one never got tired of looking at the many works. Although the tour was a bit rushed, I was able to fully immerse myself in the scenery of Edo.

Reading glasses (or reading glasses?) are required to enjoy Hiroshige’s lively portraits, which are characteristic of his paintings. reading glasses are necessary to enjoy Hiroshige’s lively portraits, which are characteristic of his paintings. The paintings are very detailed. Even figures who seem to be silent or only in the back are telling a story, which stirs the viewer’s imagination.

Speaking of Hiroshige, only “53 Stages of the Tokaido” came to mind, but he also painted “69 Stages of the Kiso Kaido. This one I was allowed to photograph.

I think it is difficult to convey the beauty of the colors in my photographs.

He also left many works such as flower-and-bird paintings, beautiful women paintings, caricatures, pictures of actors, and picture envelopes. I purchased several postcards.

This picture of a beautiful woman has movement, and don’t you feel the wind blowing through the darkness of the evening?

This fan painting, named “Autumn Flowers on the Moon,” is said to be the only one of its kind in the world. It is very cool with flowers and grasses such as Japanese pampas grass and gynostemma against the full moon.

I left the exhibition feeling regretful that I could not spend more time viewing the works, imagining the extreme heat outside.

See you next time.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

 

 

【茶道具・花瓶買取】名古屋市千種区のお客様より買取致しました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.09

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より茶道具、贈答品など買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今、古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取も強化しております。

処分にお困りのお品などございましたらご相談ください。

なお、毎月18日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

 

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帝室技芸員と人間国宝 何が違うの?(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.09

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

さて、本日は「帝室技芸員」についてのお勉強です。

「帝室技芸員(ていしつぎげいいん)」?聞き慣れない言葉、何それ? という方もいらっしゃるかと思います。 かく言う私も、知りませんでした……。

「帝室技芸員」と言われても、何のことやら……。それも無理はありません、現在ではもう存在しない顕彰制度です。

帝室技芸員は、1890年から1947年まで帝室(皇室)によって運営されていた美術家や工芸家の顕彰制度です。

1888年(明治21年)に帝室より「宮内省工芸員」が制定され、1890年(明治23年)にそれに変わる「帝室技芸員」制度が発足されました。最初に任命されたのは高村光雲(彫刻)、石川光明(彫刻)、柴田是真(漆工)、橋本雅邦(画家)、田崎早雲(画家)、森 寛斎(画家)、狩野永悳(画家)、伊達弥助(織物)、狩野夏雄(彫金)等がいました。

 

この制度は、明治維新によって日本の伝統文化が低迷している中、幕府や諸藩の庇護を失い、窮地に立たされた日本美術・工芸作家の保護奨励を目的としました。その制度によって選ばれたのが帝室技芸員で、皇室の美術・工芸品制作を勅命で行ったり、博物館総長の諮問(しもん)に応じたり、といった任務が与えられた、栄誉職でした。

定員は25名で勅任官待遇を受け、年金ももらうことができ、制度が廃止された昭和19年(1944)までに79名が任命されています。

 

「技芸員」という名前の通り、任命された作家の分野は幅広く、日本画家や西洋画家、彫刻家のほか、金工、陶工、漆工、刀工といった諸工芸作家、写真家なども任命されており、現在の「人間国宝」制度の前身になっているともいわれています。

 

 

では「人間国宝」とは?
「人間国宝」という言葉は通称であり「重要無形文化財の各個認定保持者という認定を受けた人」ということです。物ではなく、その「技」を持つ人間のそのものを“文化財”とする名称です。
芸能では雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、舞踊、演劇など、工芸技術では陶芸、染色、漆芸、金工、木竹工などで認定されています。

「無形」があるなら当然「有形」もあります。絵画や古美術品、建造物などがそうですね。

このような自国の芸術家を守る制度は日本のみで諸外国にはないようです。なんだか少し鼻が高い気がするのは私だけでしょうか。

 

現在の人間国宝が持つ「伝統文化の保護」を主目的としているのに対し、帝室技芸員は「日本の美術工芸を外国に広める」という意図があったといわれています。

とはいえ、単に「人気があるから」というだけで任命されるものではなく、任命されるに不足ない優れた技術を持つ作家が厳選されていたことは、最後に任命が行われた1944年までの55年間に、絵画 45名、彫刻7名、工芸 24名、建築2名、写真1名、計 79名しかいないことを見れば明らかです。

 

少し興味が湧いてきたところで、次回は「帝室技芸員」に誰がいるの?と題して、お勉強して参りたいと思います。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

Today, we will learn about “Imperial Household Artists.
A “Teisho Gijin” (Imperial Household Artistician)? What is this unfamiliar term? Some of you may be wondering, “What is it? I didn’t know it either. ……

Even if you say “Imperial Household Artists,” I have no idea what you are talking about: ……. It is not surprising that it is an awarding system that no longer exists today.
The Imperial Household Artists were a system of honoring artists and craftsmen that was administered by the Imperial Household (Imperial Household) from 1890 to 1947.
The purpose of the program was to protect and encourage artists of Japanese arts and crafts who had lost the patronage of the shogunate and clans and were in dire straits, while traditional Japanese culture was in a slump due to the Meiji Restoration. Under this system, Imperial Household Artists were selected for the position of Imperial Household Artists, an honorary position with duties such as producing works of art and crafts for the Imperial Household by imperial order and in consultation with the Director General of the Museums.
The number of museum curators was limited to 25, and they received imperial appointments and pensions. 79 curators were appointed until 1944, when the system was abolished.

As the name “Artist-in-Residence” implies, there were a wide range of artists appointed, including Japanese and Western painters, sculptors, goldsmiths, potters, lacquer workers, swordsmiths, and photographers, and it is said to be the forerunner of the current “Living National Treasure” system.

So what is a “Living National Treasure”?
The term “living national treasure” is a common name for a person who has been certified as an individual holder of an important intangible cultural property. It is not a physical object, but a person who possesses the “technique” that is considered a “cultural asset.
The “intangible cultural properties” are recognized in the performing arts such as gagaku, Noh, bunraku, kabuki, dance, and drama, and in the crafts such as ceramics, dyeing, lacquer, metalwork, and wood and bamboo crafts.

If there are “intangible” arts, there are naturally “tangible” arts as well. If there is an “intangible,” there is naturally a “tangible,” such as paintings, antiques, and architectural structures.
It seems that Japan is the only country that has such a system to protect its own artists, while other countries do not. Am I the only one who feels a bit proud?

It is said that the main purpose of the current Living National Treasures is to “protect traditional culture,” while the Imperial Household Artists were intended to “promote Japanese arts and crafts to foreign countries.
Nevertheless, it is clear from the fact that during the 55 years until 1944, when the last appointment was made, only 79 artists were appointed, including 45 painters, 7 sculptors, 24 craftsmen, 2 architects, and 1 photographer, rather than simply because they were “popular”. This is evident from the fact that there were only 79 artists in total.

Now that you have become a little more interested in the subject, let’s take a look at who are the “Imperial Household Artists” in the next issue of “Who are the Imperial Household Artists? I would like to learn more about the “Imperial Household Artists.

See you soon.

 

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名古屋市千種区のお客様より【大清光諸年製碗】買取致しました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.07

 

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より大清光諸年製碗を買取いたしました。

再度のご買取依頼でした。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今、古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取も強化しております。

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今年は織姫と彦星、再会なるか?(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.07

 

 

 

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

本日は、七夕の日。

 

私の記憶が正しければ、ここ名古屋で七夕の日に雨が降らないのは久しぶりな気がいたします。今年は無事、織姫と彦星は再会を果たせるのでしょうか。

 

七夕の日、ここまで悪天候の記憶が染み付いてしまっていると、織姫と彦星がどのくらいの確立でところで再会できているのか気になってきまして。少し古いデータになるのですが、1961年から2020年までの60年間で15時時点の天気基準で「会えた」とされるのはたったの18回だそうです。確立にしてたったの30%の確率といったところでしょうか。

 

そもそも年に1度しかチャンスが無いというのに30%の確率でしか成功しないデート、間違いなくカップルの関係性は冷え切るだろうし、将来的な発展も見込めない気がしてならなくなってきました。何となくわかっていた結果でしたが、やはり織姫と彦星は滅多に会えていなかったようです。

 

また、もし曇天を「会えた」とカウントしても75%の確率でデートが成功していることになるようでして、曇天を含んでも年に1回のデートすら25%の確率で失敗に終わるというのは…。破局待ったなしの状況ではないか。

 

そんな…泣。と、嘆いているみなさま。ですが、ご心配には及びませんよ。「かささぎ説」というのが存在しておりまして、雨で天の川を渡れない織り姫と彦星を可哀想に思った「かささぎ」という鳥の群れが、翼を広げて橋を作ってくれるので、二人はどんな天候でも会うことができるという伝説が存在いたします。要するにお天気関係なく2人は再会できるんですね。あぁ、よかった…。

 

そんな2人が再開する様子を妄想していきますと、さきほど「カササギ説」も含め、七夕の日に織姫様と彦星様はどんな風に会いにいくのか?そのシチュエーションも気になってきまして。

 

どんなシチュエーションなのか気になって調べてみますと、彦星様が牛に乗って織姫様に会いに行く説、 彦星様が天の川を渡ることができないときに、無数の鳥が飛んできて天の川の橋になってくれた説が存在するようです。

 

どちらもありっちゃありのようでして、どちらかというと彦星様が牛に乗って織姫様に会いに行くという説のほうがよく知れ渡っているような気がいたしますが、牛に乗って会いに行く、天の川を渡って会いに行くも、どちらも彦星様から会いに行く設定のようです。

 

どちらにしても織姫様への愛が感じられる二説なのですが、危険な川かどうかはわかりませんが、天の川を渡っていく彦星のことを思いますと、「破局説や悪天候にも負けず天の川を渡ってほしい…。」と、応援したくなる七夕の日でありました。

 

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Today is Tanabata day.

If I remember correctly, it has been a long time since it has not rained on Tanabata day here in Nagoya. Will Orihime and Hikoboshi be able to meet again this year?

 

Since the memories of bad weather on Tanabata day have been so ingrained in my mind, I was wondering how often Orihime and Hikoboshi were able to meet again at the same place. The data is a bit old, but it seems that in the 60 years from 1961 to 2020, they met only 18 times based on the weather conditions at 3 pm. That’s a probability of only 30%.

 

I have come to think that a date with only a 30% chance of success, when there is only one chance a year to begin with, will definitely cool down the couple’s relationship, and I have come to think that there is no prospect for future development. It was a result that I somehow knew, but it seemed that Orihime and Hikoboshi rarely met each other after all.

 

Also, if we counted cloudy weather as “meeting,” it seemed that there was a 75% chance of a successful date, and even including cloudy weather, there was a 25% chance that even one date a year would end in failure…. Isn’t that a catastrophe waiting to happen?

 

Oh, no…I cry. I am so sad to hear that. But there is no need to worry. Legend has it that a flock of birds called “Kasasagi” felt sorry for Weaver and Hikoboshi, who could not cross the Milky Way due to rain, so they spread their wings to form a bridge so that they can meet no matter what the weather is like. In short, the two can meet again regardless of the weather. Oh, thank God…

 

I was wondering how Orihime and Hikoboshi would meet on Tanabata day, including the “magpie theory” I mentioned earlier, when I fantasized about their reunion. I was also curious about the situation.

I was curious about the situation, so I looked it up. There is a theory that Hikoboshi-sama rides on a cow to meet Orihime-sama, and there is a theory that when Hikoboshi-sama could not cross the Milky Way, countless birds flew to her and served as a bridge over the Milky Way. Both of them seem to be possible, and I think the theory that Hikoboshi-sama rides on a cow to meet Orihime-sama is more well known, but it seems that Hikoboshi-sama goes to meet her either by riding on a cow or by crossing the Milky Way.

 

I am not sure if it is a dangerous river or not, but when I think of Hikoboshi crossing the Milky Way, I want him to cross the Milky Way without being defeated by the catastrophe theory or bad weather…” I hope Hikoboshi will be able to cross the Milky Way, despite all the theories of catastrophes and bad weather…” It was the day of Tanabata.

 

Have a good day.

 

 

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【掛軸・花器買取】名古屋市昭和区のお客様より買取致しました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.06

 

 

名古屋市昭和区のお客様より掛軸、花器を買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今、古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取も強化しております。

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この夏は何本食べることになるでしょうか(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.06

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

暦の上では二十四節気が夏至から小暑(しょうしょ)へと変わりました。「小暑(しょうしょ)」とは、梅雨が明け、暑さが本格的になる時期のことを指します。

いよいよ蝉も鳴き始め、暑中見舞いを出すのもこの頃です。うっかりすると暑中見舞いを出してしまいそうな暑さでしたので、今ならもう胸を張って、暑中お見舞いを申し上げられますね。 これからの猛暑を乗り切るために、たくさん食べ、体力をつけておきたいところです。

 

 

さて、夏もおいしいものがたくさんあります。ナスにキュウリにトマトの三大夏野菜を始め、スイカにメロンにモモ、とみずみずしい果物もうれしい味です。もうひとつ、夏ならではの、明るく元気いっぱいで食べられるものといえば、トウモロコシ。

 

季語でいうと、トウモロコシの花は夏、実は秋に分類されるようですが、感覚としては夏の食べ物です。そういえば、近頃の夏祭りの屋台で焼きとうもろこしを見かけなくなった気がしますが、皆さまの地域はいかがでしょうか。あの香ばしい醤油の焦げた香りはお祭りの気分がとても上がるのですが…。

 

トウモロコシは、メキシコにて約5000年以上前から栽培されていたと言われています。15世紀末に新大陸を発見したコロンブスがヨーロッパに持ち帰って広まり、日本へは江戸時代にポルトガル人が日本へ持ち込み、北海道から順に普及していきました。

ポルトガルから伝わったトウモロコシですが、当時の日本は輸入品すべてを中国から入ってきたものとして、「唐」と呼んでいました。トウモロコシの形が「もろこし」という作物に似ていることから、唐もろこしと呼ばれるようになったようです。

トウモロコシは漢字で書くと「玉蜀黍」です。初見ではなかなか読めないですね。「もろこし」を漢字で書くと「蜀黍」であるため、とうもろこしが日本に伝わってきた当初は「唐蜀黍」だったそう。その後、とうもろこしの粒が綺麗で並びが美しいことから、「唐」の代わりに宝石を表す「玉」の字を充てて「玉蜀黍」と書くようになったんだとか。

 

南米など、地域によっては主食にしている人々もいますので、穀物であるトウモロコシは重要な作物です。日本では主食の地位は得られませんでしたが、夏の野菜売り場ではいい位置をキープしています。

トウモロコシのいいところは、茹でるだけでおやつとしてそのまま食べられるところではないでしょうか。ハッピーイエローの粒々は食欲をそそりますし、見た目の愛嬌もたっぷり。

 

いざ調理をというときは、広げた新聞紙の上で、農家の方への感謝しつつ、実を包んで守っている何枚もの皮を、そろりそろりと剥いでいきます。皮がとれてくると、真新しいツヤツヤの可愛らしい実が現れます。粒々たちは、お行儀よくみっちり並んで笑っているように見えてきます。

 

茹で上がったトウモロコシを「ハーモニカ食い」するのは夏しか味わえない至福の時間。

この夏は、何本のトウモロコシを食べることになるでしょうか。粒々なので、細かく刻む手間もありません。オリジナルのお料理など考案して、ハッピーイエローを楽しみたいと思います。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone, this is Staff T.

According to the calendar, the 24th day of the month has changed from summer solstice to “Shosho” (short summer heat). Shosho” refers to the time when the rainy season is over and the heat is in full swing.

The cicadas finally begin to sing, and this is also the time when we send out our summer greeting cards. It has been so hot that we might have inadvertently sent out a hottest summer greeting card, so now we can now offer a hottest summer greeting card with our hearts in our mouths. In order to survive the coming heat wave, we should eat a lot and keep our strength up.

 

Well, there are many delicious foods in summer as well. Eggplant, cucumber, and tomato are the three major summer vegetables, and fresh fruits such as watermelon, melon, and peach are also a delight. Another thing that can be eaten with bright and full of energy, which is unique to summer, is corn.

 

In terms of seasonal words, corn flowers are classified as summer and corn is classified as autumn, but in the sense of the word, corn is a summer food. Come to think of it, I don’t think I have seen grilled corn at summer festival stalls in recent years, but how about in your area? The aroma of the burning soy sauce is a very uplifting smell at festivals, but….

 

Corn is said to have been cultivated in Mexico for more than 5,000 years, and was brought back to Europe by Columbus, who discovered the New World at the end of the 15th century, and spread to Japan by the Portuguese in the Edo period (1603-1868), starting from Hokkaido.

Although corn was introduced from Portugal, Japan at that time called all imported products “Tang” as if they came from China. It seems that the name “Tang corn” came about because the shape of corn resembles a crop called “maize.

Corn is written in Chinese characters as “gyokushokubi. It is not easy to read at first sight. The Chinese character for “corn” is “shokubi,” so when corn was first introduced to Japan, it was called “karashokubi. Later, because the grains of corn are beautifully arranged, the character for “jewel” was substituted for “tang” and the name was changed to “gyokushokubi”.

 

Corn, a grain, is an important crop because in some regions, such as South America, people use it as a staple food. In Japan, it has not achieved the status of a staple food, but it keeps a good position in the vegetable market in summer.

The good thing about corn is that it can be simply boiled and eaten as is as a snack. The happy yellow grains are appetizing and have a charming appearance.

 

 

When it comes time to cook the kernels, we peel off the many layers of skin that surround and protect the kernels on a sheet of newspaper, thanking the farmers for their kindness. When the skins are removed, brand-new, shiny, and lovely berries are revealed. The kernels are lined up in a neat row, looking as if they are smiling.

 

 

Eating boiled corn “harmonica-eating” is a blissful experience that can only be enjoyed in summer.

How many stalks of corn will we eat this summer? Since the corn is in grains, there is no need to chop it into small pieces. I would like to enjoy the happy yellow color by inventing original dishes.

 

See you soon.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

【茶道具・民芸品買取】三重県のお客様より買取致しました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.05

 

三重県のお客様より茶道具、民芸品他多数を買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今、古美術風光舎では、ご家庭にございます骨董古美術品の買取も強化しております。

処分にお困りのお品などございましたらご相談ください。

なお、毎月18日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

 

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暑くてもお祭りは楽しいものですね(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.05

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

今日の名古屋は、昨日に引き続き、うだるような暑さが続いております。少しでも暑さを凌ごうと木陰に避難してみるものの、少し前までの爽やかな風は感じられないほどの暑さです。暑いと感じる日差しも、これまでの記憶と照らし合わせてみれば、まだまだ序の口の気がしてなりません。毎年思うことなのですが、今年の夏も無事過ごせるのか不安になります。

 

こんな暑い中、近くの神社では茅輪くぐり・赤丸神事が行われておりました。ここ風光舎に近い城山八幡宮では7月15日~17日に取り行われます。

 

「茅の輪(ちのわ)くぐり」は厄落としとして行われます。茅の輪とは、チガヤという草で編んだ輪のことで、神社の境内に直径数メートルの「茅の輪」を作り、くぐり抜けることで疫病退散・無病息災を願います。多くの神社は神主さんや巫女さんだけでなく、一般の参拝客もくぐることができますよ。

 

茅の輪くぐりはに日本神話に由来します。スサノオノミコトが旅の途中に宿を求めた、備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)との逸話が起源です。

貧しいにもかかわらず、喜んでスサノオノミコトをもてなした蘇民将来に対し、弟である巨旦将来(たんしょうらい)は裕福にもかかわらず宿を貸そうともしませんでした。数年後、再びスサノオノミコトは蘇民将来のもとを訪れ「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えました。

教えを守った蘇民将来は難を逃れられ、それ以来、無病息災を祈願するため、茅の輪を腰につけていたものが、江戸時代を迎える頃には、現在のように茅の輪をくぐり抜けるものになったといわれています。

 

茅の輪をくぐる時には、8の字を描くように左・右・左と3度くぐり抜けます。くぐり方など作法は、看板がたてられているのでご安心を。

 

茅の輪くぐりとともに子供たちがお楽しみなのは、たくさんの露店ですね。この暑い中たくさんの人で賑わっていました。露店のゲームもひと昔前より値上げされており、気軽に子供たちが自分のお小遣いで楽しむという訳にもいかないようで…。親としては、すぐにゴミにしかならないゲームの景品に何百円も使いたくない…。そんな気持ちが垣間見えるやり取りがそこかしこで見られました(笑)

 

私はというと、暑い中、屋台の食べ物を食べたりおしゃべりしたりする元気はないので、涼しいお家で屋台メニューを作ってその気分を味わおうかなと思っております。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone, this is Staff T.

Today in Nagoya, the sweltering heat continues as it did yesterday. I tried to take shelter in the shade of a tree to beat the heat a little, but it is so hot that I cannot feel the fresh breeze that I used to feel a short while ago. The heat is so intense that I can no longer feel the fresh breeze that I felt a few days ago. Every year, I wonder if I will be able to spend this summer safely.

In such a hot weather, the Kayawa-kuguri and Akamaru Shinto rituals were being held at a nearby shrine. At Shiroyama Hachimangu Shrine, which is close to Fumikosha, the ceremony will be held from July 15 to 17.

 

The “Chi-no-wa Kuguri” is held as a way to drive away evil spirits. A “thatch ring” is a ring made of woven grass called chigaya, and a “thatch ring” several meters in diameter is made in the precincts of a shrine. In many shrines, not only Shinto priests and shrine maidens but also general visitors are allowed to go through the rings.

 

The process of going through the thatched ring comes from Japanese mythology. It originated from an anecdote about a man named Sominshorai from Bingo Province, whom Susanoo-no-mikoto asked for lodging during his journey.

Despite his poverty, Sominoshorai gladly hosted Susanoo-no-mikoto, while his younger brother, Tanshorai, despite his wealth, refused to rent him a place to stay. A few years later, Susanoo-no-Mikoto visited him again and told him to wear a ring of thatch on his waist to escape the plague.

The priests who followed his teachings were able to escape from the plague, and since then, people have worn rings of thatch around their waists to pray for good health.

 

When going through the thatch ring, one goes through it three times, left, right, and left, as if drawing the figure of eight. Signs are posted to tell you how to do this.

 

Along with the thatched-rope procession, children are also looking forward to the many stalls. Many stalls were crowded in this hot weather. The prices of games at the stalls have been raised since a decade ago, and it seems that children cannot casually enjoy them with their own pocket money…. Parents do not want to spend hundreds of yen on game prizes that will soon be nothing but trash…. I could catch glimpses of such feelings in the exchange that took place here and there (laugh).

 

As for me, I don’t have the energy to eat food from a food stall and chat in the heat, so I’m thinking of cooking a food stall menu at home where it’s cooler and I can enjoy the atmosphere.

 

See you soon.

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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違和感しかなかったのですが。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.04

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

連日の不安定なお天気に少しうんざりしていたのですが、ここ名古屋、先日から猛暑であります。

しかも日差しが大変きつく、例年「これは目がやられてるな…。」などと気にはなっておりました。そんな中、なんと先日度付きのサングラスを新調いたしました。

 

 

 

 

先月の雨天続きの中に購入をしてなかなか使う機会がなかったのですが、はじめて強い日差し中運転中にかけてみました。それがかなり驚き。目がたいへん楽です。はすずしてみますと日差しが目に刺さるような感覚になってしまうので、これまでいかに酷使してきたことが伺えしれます。あぁ、買ってよかった…。

 

目そのものの保護もそうなのですが、「目から入る紫外線が日焼けやシミの原因になる」ということがいわれているようでして、そちらも気になって購入に至ったのですが。

なぜ?といいますと、日に当たると角膜だけでなく水晶体など目全体に紫外線が入り、炎症を起します。その情報を受けた脳は、肌を守ろうとして全身のメラノサイト(メラニンを作る工場のような細胞)にメラニンを作るように指示するらしく、肌に紫外線が当たっていなくてもメラニンがたくさん作られてしまい、日焼けやシミとなって現れるという仕組みのようです。

 

そんなわけでお洒落目的ではなく、あくまで目の保護目的なのですが、どうせ買うなら似合ったものを…と、ショップでしばらくあれやこれやかけたり外したりしていたのですが。

結論、厳選なるセレクトの挙句一つ選んだのですが、やはり似合わない笑。しばらくするとたぶん慣れてくるとは思うので、サングラスをかけた自分に慣れてくるのを待つしかないですが、まあ馴染んできたか…、あくまでも目の保護のためです笑。

 

とまあ、先日の新札発行ではないですが、新たな物事やチャレンジ?は自分にとっては当初違和感は多かれ少なかれありますが。そんな中に無理矢理飛び込むことは当初は違和感しかなかったのですが、少し気分も変わってワクワクもしますし、自分は案外すぐ馴染むことも分かりました。

 

ちなみにサングラスの始まりは、15世紀の明の時代裁判官が使った黒眼鏡が、サングラスのはじまりとされているのですが、当初の目的は、裁判中裁判官が証拠の真偽などをどのように判断しているのか、目の動きから相手に悟られないようにかけられていたようです。 ただし、サングラスといっても石英のレンズをススで黒くいぶしたものだったようです。そういったこともちょっと知ることができて面白かったのですね。なるほど。

 

さあ、猛暑が始まりました。この長い夏、新たな違和感をちょっと取り入れてみるのもいいかもしれませんよ。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

I have been a little fed up with the unstable weather every day, but it has been extremely hot here in Nagoya since the other day.

The sun is shining so brightly that every year I worry that my eyes are getting burned. I had been concerned that my eyes were being damaged by the heat. I bought a new pair of sunglasses the other day.

 

I had not had a chance to use them since I bought them last month during a series of rainy days, but the other day I tried them on for the first time while driving in strong sunlight. I was quite surprised. It is very easy on the eyes. When I put them on, I could feel the sunlight stinging my eyes, which shows how much I have been using them. I’m glad I bought it….

 

I was concerned about the protection of the eyes themselves, but also about the fact that it is said that “ultraviolet rays entering the eyes can cause sunburn and sun spots,” so I decided to buy it.

Why? When exposed to the sun, ultraviolet rays enter not only the cornea but also the entire eye, including the lens, causing inflammation. The brain receives this information and instructs melanocytes (melanin-producing cells) throughout the body to produce melanin in order to protect the skin.

 

So, I went to a store and tried on and off for a while, not for fashion but for eye protection, thinking that if I was going to buy something, it should be something that suited me.

In conclusion, after careful selection, I chose one, but it still doesn’t suit me. I think I will probably get used to them after a while, so I guess I will just have to wait until I get used to myself wearing sunglasses, just to protect my eyes, lol.

 

Well, it is not the issuance of new bills the other day, but new things or challenges? is more or less uncomfortable for me at first. I was initially uncomfortable with the idea of forcibly jumping into such a situation, but I found that I felt a little different and excited, and that I was able to adjust to it more easily than I had expected.

 

Incidentally, the origin of sunglasses is said to be the dark glasses used by judges in the Ming Dynasty in the 15th century. The original purpose of sunglasses was to prevent the judges from realizing how they were judging the truth or falsity of evidence during a trial from the movement of their eyes. However, the sunglasses were quite different from those used today, with quartz lenses smoked black with soot. I see.

 

The heat wave has begun. It might be a good idea to try to add a new sense of discomfort to your life during this long summer.

 

Have a good day.

 

 

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