彫金の買取について
2024.09.12
彫金の技術は金属工芸のなかでも長い歴史があります。
古墳時代後期(6世紀前半から半ば過ぎ頃)に渡来工人によって伝えられたとされ、冠帽(かんぼう)や指輪、簪(かんざし)などの装身具、馬具類など当時の遺物を見ると、毛彫(けぼり)や透(す)かし彫りなどの基本的技術が定着していたことがわかりますし、法隆寺や正倉院でも彫金の宝物を拝見することがありますが、当時のものと言いましてもその意匠と技術のレベルには驚きますよね。
また、平安時代(794~1185年/1192年頃)後期に武士階級が台頭するようになると、彫金は刀剣・甲冑(かっちゅう)・金具に装飾として施されることが多くなり、室町時代(1336~1573年)には後藤祐乗(ゆうじょう)を祖とする後藤家が将軍家お抱えとなり、その格式を重んじる作風が“家彫(いえぼり)”として後世に伝えられ、江戸時代(1603~1867年)になり太平の世が続くと、刀剣は実用性を重んじるものから意匠の面白さを競うものへと変化し、精密な小型の彫金の技術が完成していきます。
元禄期(1688~1704年)以降、横谷宗珉(よこやそうみん)が墨絵の筆勢そのままに鏨(たがね)で表現した片切彫(かたぎりぼり)の技法を生み出しますが、宗珉自身は武家よりも町民たちとの交わりを好み腕をふるったことから、京都風の”家彫”に対して“町彫”と呼ばれ、その自由な発想と斬新なデザインは、刀剣よりもむしろ煙管(きせる)や根付(ねつけ)などの生活用品に広がりを見せるようになり、新しい流行を生み出し、その用途は変化していきました。彫金の技術は絶えることなく伝承され、主に器物、置物、装身具、神仏具などに施され、彫金は素材本来の持ち味を引き立て、格調と重みのある製品を生み出し、明治期にはいりますとその意匠と技術は超絶技巧の域に入っていきます。
彫金において、人間国宝の認定を受けているのは、海野清、内藤四郎、鹿島一谷、金森映井智、増田三男、鴨下春明、中川衛、桂盛仁、山本晃の9人。また、帝室技芸員としては、加納夏雄、高村光雲、石川光明、海野勝珉、香川勝広など。