ブログ - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 27

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FROMKYOTOOSAKA

思い付きドライブ、行ってきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.07

皆様こんにちは、スタッフYでございます。

 

先日から出かけたい病が発症しておりまして、うずうずしております。それも急に発症するものですから、いつも予定の決断は直前となり思い付きにもほどがあるのですが、この気持ちの赴くままに動けることが大好きな性分でして、どうもやめられません。ですが、その急な思い付き、先日はちょっと失敗でありました。

 

先日急に思い立ったのは「梅」。通りがかったお宅の庭先には美しく咲いており、もう気になりだしまして。昨年訪れて圧巻だった佐布里池梅林をもう一度見てみたくなり、友人を誘って(急にお誘いしてごめんなさい。)行って参りまいりました。

 

知多市佐布里の佐布里池梅林。

 

 

 

 

 

 

その昔、佐布里一帯は薄ピンク色の花が咲き、多くの観梅客が訪れにぎわいをみせた時代もあったようですが、昭和34年の伊勢湾台風でかなりの被害を受け、さらに愛知用水の佐布里池の建設により水没し、佐布里の梅はごく一部が残るのみとなってしまいました。その後、地元や県の協力で苗が植えられ、今では25種類、約6,000本にまで増え、現在では県下でも有名な梅のスポットであります。

 

その梅の「佐布里梅」は、明治の初めに鰐部亀蔵わにべかめぞう氏が、桃の台木に接ぎ木して増やしたと言われており、厚い果肉と小さい核が特徴で、梅干しに適しており、「佐布里梅」は、令和元年10月10日に知多市天然記念物に指定されております。そんな佐布里池梅林の見頃は2月中旬から3月中旬。薄ピンク色の佐布里梅、白色で一重の白加賀、小枝が緑で花が青みがかった白色の青軸などを楽しむことができるはずだったのですが…。あららら。

 

 

 

 

一足も二足も早かったですね笑。サイト情報の「遅咲きの梅が咲き始めました。」につられてしまい、ちょっと急ぎ過ぎたようです。ですが、ちらほら咲いている品種もありお天気も穏やかでしたので「ドライブしていたら梅が咲いてるのをみつけた。」ということに変更しました。

 

 

折角のドライブでしたので半田市の方面へ寄り道し、赤レンガ建物も見学して参りました。

 

 

 

 

半田赤レンガ建物は、1898年(明治31年)にカブトビールの製造工場なのですが、現在こちらの建物は、平成16年文化庁登録 登録有形文化財、平成21年経済産業省認定近代化産業遺産、平成26年半田市指定 景観重要建造物 第1号

などに指定されており、地方都市・半田から一流ブランドを目指し、果敢に大手ビールメーカーに挑んだ起業家たちの精神を今に伝えております。

 

この赤レンガ建物、設計者は明治建築界の三巨匠の一人、妻木頼黄(つまきよりなか)でありまして、あの横浜赤レンガ倉庫や日本橋(装飾部)なども彼の設計によるものだそうで、いわれてみれば確かに雰囲気は似ている気がいたしますね。

 

半田赤レンガ建物は、ビール工場として安定した温度や湿度を必要とすることから、現在ではほとんど例を見ない、中空構造を持つ複壁や多重アーチ床など、極めて特徴的な構造をもった建物でして、現在は建物見学の他、市民が利用したりできる場所のようでありました。昨日も確定申告の申告受付場所になっており、人が行き来しておりました笑。現役バリバリの建物のようです。

 

 

 

 

 

 

 

ところで、外観で目に入ってきます「カブトビール広告塔」。こちらは実は最近できたようです。

ご存じの方もおいででしょうが、明治41年頃の名古屋駅前(名古屋停車場)のシンボルであった「カブトビール広告塔」が2022年に 114年の時を超えて現在の半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)に蘇りました。
この高さ10mを超える巨大な広告塔、実はジブリ映画「風立ちぬ」に当時の名古屋駅の風景の中に登場しております。それが現代に目覚めるきっかけとなったようでして、2年前のジブリパーク開業にあわせてこの半田赤レンガ建物の横に復活。

 

 

 

 

 

 

それはそうと「カブトビール」さっきから気になりませんか?。実は、1943年(昭和18年)に企業整備令の適用で半田工場を閉鎖してカブトビールの製造は終了したのですが、現在は当時の文献にできる限り忠実に復刻した「明治カブトビール」と、大正時代の分析表をもとに復刻した「大正カブトビール」の2種類が復刻版が販売されております。こちらの赤レンガ倉庫でも味わうこともできるようなのですが、今回は運転中でしたので断念し、帰路につきました。

 

思い付きドライブ、計画ミスのところもありましたが、このような寄り道で思わぬことも。これも思い付きドライブの好きなことの理由の一つでして、これだからやめられないんだな…。

 

それではごきげんよう。

 

Hello everyone, this is Staff Y.

I have been itching to go out since the other day. It comes on suddenly, so I always make a decision on my schedule at the last minute, and it’s almost too much of a spur of the moment thing, but I love being able to move around as I feel like it, and I can’t seem to stop myself. However, this sudden impulse was a bit of a failure the other day.

The other day, I suddenly thought of plum blossoms. I passed by a house with beautiful plum blossoms in the yard, and I was already curious about them. I wanted to see the Saburi Ike Plum Grove again, which I visited last year and found breathtaking, so I invited a friend of mine (sorry for the sudden invitation…) and we went there. I invited a friend of mine (sorry for the sudden invitation…) and we went there.

Saburi Ike Plum Grove in Saburi, Chita City.

Once upon a time, the area around Saburi was crowded with many plum-viewing visitors who came to enjoy the light pink blossoms. However, the area was severely damaged by Typhoon Isewan in 1959, and was further submerged by the construction of Saburi Pond for Aichi Irrigation. Later, with the cooperation of the local and prefectural governments, seedlings were planted, and the number of plum trees has now grown to about 6,000 in 25 varieties, making it one of the most famous plum blossom spots in the prefecture.

The thick pulp and small kernels of the Saburi Plum trees are suitable for making umeboshi (pickled plums), and they were designated as a natural monument of Chita City on October 10, 2028. The best time to visit the Saburi Plum Grove is from mid-February to mid-March. We were supposed to be able to enjoy the light pink Saburi ume, the white single-petaled Shirakaga ume, and the white Aokushi ume with green twigs and bluish flowers, but…. Oops.

I was a step or two too early lol. I got caught up in the site information, “Late-blooming plum trees have begun to bloom.” I was a little too hasty. However, some varieties were in bloom here and there, and the weather was mild, so I changed it to “I found plum trees in bloom when I was driving around. So I decided to go for a drive and found plum blossoms in bloom.

Since we were driving, we stopped by Handa City and visited a red brick building.

The Handa Red Brick Building was a factory for the production of Kabuto Beer in 1898, and is designated as a Registered Tangible Cultural Property by the Agency for Cultural Affairs in 2004, a Heritage of Industrial Modernization by the Ministry of Economy, Trade and Industry in 2009, and an important landscaping structure No. 1 by Handa City in 2014.
The building is designated as a Tangible Cultural Property by the Agency for Cultural Affairs in 2004, a Heritage of Modern Industry by the Ministry of Economy, Trade and Industry in 2009, and an important landmark designated by Handa City in 2014, among others.

The red brick building was designed by Tsumaki Yorinaka, one of the three masters of Meiji architecture, who also designed the Yokohama Red Brick Warehouse and the Nihonbashi (decorative section).

The Handa Red Brick Warehouse is a beer brewery that requires stable temperature and humidity, so it has a very unique structure with hollow double walls and multiple arched floors, which are rarely seen today. Yesterday, it was also used as a place for filing tax returns, and people were coming and going. It seems to be an active building.

By the way, there is a “Kabuto Beer Billboard” outside the building, which seems to have been built recently.
As some of you may know, the “Kabuto Beer Advertising Tower,” which was the symbol of Nagoya Station (Nagoya Station) around 1908, was revived in the current Handa red brick building (former Kabuto Beer Factory) in 2022, after 114 years.

This huge advertising tower, more than 10 meters high, actually appeared in the Ghibli movie “The Wind Rises” in the scenery of Nagoya Station at that time, and it seems to have triggered its awakening in the modern age, so it was revived next to this Handa red brick building two years ago when Ghibli Park was opened.

By the way, isn’t “Kabuto Beer” something you’ve been wondering about? Actually, the production of Kabuto Beer ended in 1943 when the Handa factory was closed due to the application of the Enterprise Development Order, but now there are two reprinted versions available: “Meiji Kabuto Beer,” which was reprinted as faithfully as possible to the literature of the time, and “Taisho Kabuto Beer,” based on an analysis table from the Taisho era! The “Taisho Kabuto Beer” is also available at the Red Brick Warehouse. It seems that you can also taste it here at the Red Brick Warehouse, but I gave up this time because I was driving.

I was driving on an impulse, and I made some mistakes in my planning, but this kind of unexpected side trip is one of the reasons why I like this place so much. That’s why I can’t stop.

Have a good day.

 

 

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長年勘違いしておりました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.03.06

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

寒暖差の激しいこの冬、頭では上手く対処できているつもりでも、体がついていけないこともございます。辛い時には無理をせず暖かくしてお過ごしください。

 

今朝、通りすがりにお庭に置かれた立派な燈籠を目にし、改めて風光舎の鉄製の燈籠を眺めております。店の真ん中でどっしりとした存在感を放っていおります雪見燈籠。透かし模様は桐の葉のようにも見えますが、鉄製のため洋風のデザインにも見えます。火が灯され模様が美しく浮き上がる姿もいつか見てみたいものです。

 

 

 

 

燈籠といえば御影石など石でできたものが多く鉄製のものは少ないようです。作られた当初は恐らく鈍い光を放っていたと思われますが、今の錆びた様子も年月の流れを感じ味わいがあります。

燈籠には「春日型」「織部型」など様々な種類がありますが、「雪見灯籠」の特徴は笠の部分が大きく、丸型と六角形が主流で「丸雪見」「六角雪見」と呼ばれています。基礎の部分は3つ足が4つ足が一般的とのこと。

 

名前の由来については、「笠の部分が雪が積もったように見える」「笠に積もった雪を鑑賞して楽しむ」などの説もあるようですが、有力な説としては滋賀県の近江八景にある「浮御堂(うきみどう)」に似ているからとのことです。「うきみ」が「ゆきみ」に変化したと言われています。主に水面を照らすために笠の部分が大きく、水際に設置されることが多いそうです。

 

燈籠は古くから東アジアの伝統的な照明器具として利用され、日本には奈良時代に仏教の伝来とともに伝わりました。仏教では灯が邪気を払うとされております。また故人があの世で迷子にならないように道しるべとなるよう灯を用いたとされています。日本全国で行われる「灯籠流し」や「灯籠まつり」は供養や鎮魂を目的として古くから行われてきました。

 

日本庭園に燈籠が取り入れられたのは桃山時代に広がった茶道文化の影響とされています。夕暮れ時の茶会における庭のあかりとして茶庭に取り入れられました。月明りのみが頼りの中、優しい燈籠の灯が路地を行く人の足元を照らしていたことでしょう。

 

今となっては電気がない生活を送ることは想像できませんが、昔の人々も漆黒の夜に明かりを求めて試行錯誤していたようです。数万年前には動物からとった油を、そして3000年前には植物の油を燃やすオイルランプが使われ始めたとのこと。

日本では平安時代に室内で小さな皿に油を満たし、台座にのせて火をともす「灯台(とうだい)」と呼ばれるものが使われていたとか。灯台?と聞いて思い浮かぶのはあの岬の先にある「灯台」でしたので、調べたところ。「灯台下くらし」ということわざの灯台は岬にある灯台ではなく、昔の室内照明の灯台だという事実に行きつきました。私は岬の灯台だと完全に勘違いしておりました。このことわざは江戸時代から存在し、岬にある灯台が「灯台」と呼ばれるのは明治に入ってからで、それまでは「燈明台」と呼ばれていたなどの理由があるそうです。

高い台の上に置かれた皿に油が入っており、真下は皿の陰になって暗かったことから、世間のことをよく知っている人でも身近なことに疎いことや、探していた答えが目の前にあったことなどを意味することわざができたとか。

 

燈籠について調べていましたら、長年の勘違いに行きつきました。これからは「灯台下くらしだね」と言う時に、あの岬の灯台ではなく、平安時代の室内をほのかに照らす灯台を思い起こすのかと思うと、少し不思議な気もいたします。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

This winter, with its extreme differences in temperature, even if you think you are coping well in your head, your body may not be able to keep up with the change. Please take it easy and stay warm when you are having a hard time.

 

This morning, as I was passing by, I saw a magnificent lantern placed in the garden and took another look at the iron lanterns at Fukosha. The Yukimi Lantern stands with a strong presence in the center of the store. The openwork pattern looks like paulownia leaves, but because it is made of iron, it also looks like a Western design. It would be nice to see the pattern beautifully floating in the air when the lantern is lit.

 

Most lanterns are made of stone, such as granite, and few are made of iron. When they were first made, they probably emitted a dull light, but the rusted appearance of today’s lanterns is also tasteful, showing the passage of time.

There are various types of lanterns, such as “Kasuga type” and “Oribe type,” but “Yukimi Toro” is characterized by its large shade part, which is usually round or hexagonal, and is called “Maru Yukimi” or “Hexagonal Yukimi. The foundation part is generally three-legged with four legs.

 

As for the origin of the name, there are some theories, such as “the shade looks like snow piled up” or “people enjoy appreciating the snow piled up on the shade,” but a leading theory is that it is because it resembles “Ukimi-do” in the eight scenic spots of Omi in Shiga Prefecture. It is said that “ukiimi” changed to “yukimi. Lanterns are often placed near the water’s edge with large shades, mainly to illuminate the water’s surface.

 

Lanterns have long been used as traditional lighting fixtures in East Asia, and were introduced to Japan in the Nara period (710-794) with the arrival of Buddhism. In Buddhism, it is believed that lanterns ward off evil spirits. Lanterns are also believed to have been used to guide the deceased so that they would not get lost in the afterlife. Lantern Floating Ceremonies and Lantern Festivals have been held throughout Japan for the purpose of memorial services and the repose of souls since ancient times.

 

It is believed that the introduction of lanterns into Japanese gardens was influenced by the tea ceremony culture that spread during the Momoyama period (1573-1600). Lanterns were incorporated into tea gardens to illuminate the garden during tea ceremonies at dusk. With moonlight as the only light, the gentle glow of the lanterns would have illuminated the feet of people walking down the alley.

 

It is hard to imagine living without electricity today, but it seems that people in the past also tried to find light in the pitch black night. Tens of thousands of years ago, oil from animals was used, and 3,000 years ago, oil lamps burning plant oil began to be used.

In Japan, during the Heian period (794-1185), a small dish filled with oil was placed on a pedestal and lit indoors, called a “todai,” or lighthouse. A lighthouse? When I heard the word “lighthouse,” what came to mind was the “lighthouse” at the end of the cape, so I looked it up. I came across the fact that the lighthouse referred to in the saying “living under the lighthouse” was not a lighthouse on the cape, but an old indoor lighthouse. I had completely misunderstood that it was a lighthouse on the cape. This proverb has existed since the Edo period, and lighthouses on the cape were not called “lighthouses” until the Meiji period (1868-1912), and until then they were called “toromyo-dai” (lighthouse tower), among other reasons.

The oil was in a dish placed on a high pedestal, and directly below was dark in the shadow of the dish, thus creating a proverb meaning that even those who know much about the world are unfamiliar with familiar things, and that the answer they were looking for was right in front of them.

 

When I was researching about the lighthouse, I came across a longstanding misunderstanding. It is a little strange to think that from now on, when we say, “I live under a lighthouse,” we are not thinking of the lighthouse on the cape, but of the lighthouse that faintly illuminated the room in the Heian period.

 

See you next time.

 

 

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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本日は雛祭り🌸ですね。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.03

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

一年を通してみますと様々な節句やイベントがあるのですが、それらを追いかけていますと一年なんて早く通り過ぎてしまう気がいたします。

 

さてさて、本日は雛祭り。桃の節句ともいいますが、節句やイベントにランキングを付けるなんておこがましいのですが、自分の中で桃の節句は大好きな節句ランキング上位に入るうれしい節句であります。

 

何が好きかと言いましても、なんとも言い難いのですが、あの色のイメージでしょうか。

 

 

 

 

どうやら自分は、それぞれの節句やイベントをどうやら「色彩」で認識しているようで、淡い緑、白、ピンクがこれから始まる季節への高揚感が増してきます。

昨日もちらし寿司や蛤のお吸い物などなどの準備のために買い出しにスーパーへ立ち寄ったのですが、雛祭りカラー、緑、白、ピンク…が売り場の各所で可愛らしさ満載でありました。

 

そんな三色。「かわいい」と一言で片づけてしまいそうになるのですが、緑、白、ピンク(紅色)はそれぞれ色には意味が込められているようであります。

 

その雛祭りカラーの代表的なものですと菱餅でしょうか。3色の菱形の餅が重なった形をしていますが、緑には健康や長寿、白には清浄や純潔、ピンクには魔除けという意味があり、また菱餅の色は、雪の下から植物が芽生え桃の花が咲く姿を表しているのだと言われております。メッセージと共に季節を奥ゆかしくとらえたところがなんとも雛祭りらしいお菓子ですね。

 

そんな三色を今日はいろいろなところに取り入れたいと思っており、先日から食材をいろいろ買い揃えているのですが、ちらし寿司にどうしても赤身のマグロを入れたい…。

 

よって、それだけは今日は仕事の帰りに絶対買おうと計画しておりますが、夕方のスーパーの争奪戦で赤身のマグロがなくなっていないことを願うばかりです。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

There are many festivals and events throughout the year, but if you keep up with them, a year passes by so quickly. Today is Hinamatsuri (Girls’ Day). It would be a bit presumptuous of me to rank all the festivals and events, but Peach Festival is one of my favorite festivals and I am very happy to rank it high on my list of favorite festivals.

It is hard to say what I like about it, but I guess it is the image of the color.
It seems that I recognize each of the festivals and events by their “colors,” and the pale green, white, and pink make me feel more uplifted for the season to come.

Yesterday, I stopped by the supermarket to buy some chirashi-zushi, clam soup, etc., and the Hinamatsuri colors, green, white, and pink… were full of cuteness at every corner of the sales floor.
I almost put these three colors away as cute, but each color of green, white, and pink (crimson) seems to have its own meaning.

The most representative of the Hinamatsuri colors is the diamond-shaped rice cake, which is made up of three different colored diamond-shaped rice cakes, with green representing health and longevity, white purity and innocence, and pink to ward off evil. It is a confectionery that is very typical of the Hina Matsuri Festival in the way it captures the season in a profound way along with its message.

I want to incorporate these three colors into various places today, and I have been buying various ingredients since the other day, but I really want to put red tuna in my chirashizushi…. Therefore, I had planned to buy that much today.

I just hope they don’t run out of red tuna in the battle at the supermarket in the evening.

Have a good day.

 

 

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信楽へ行ってきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.02

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

三月に入り花粉が気にはなりますが、そろそろじっとしていられない方、いらっしゃるのではないでしょうか。

 

そんな中スタッフY、先日信楽を訪れてみました。

旅の目的は信楽焼の土鍋ごはんを信楽焼の器で食すランチと信楽散策でして、久しぶりの信楽、お天気にも恵まれ楽しい旅でありました。

本日はその旅行記ブログ、すこしお付き合いくださいませ。

 

名古屋から車で一時間半。

信楽は、日本六古窯のひとつである信楽焼が有名な街ということはご周知とは思いますが、そう、あの人気NHKドラマ「スカーレット」の舞台にもなった場所でもあります。各所にロケの舞台になった場所があったり(ロケ地巡りもの楽しい。)信楽焼の陶芸体験ができる施設がたくさんあり、また、街を歩いているとたくさんの信楽焼のたぬきがお出迎えをしてくてれます。

 

 

 

 

また、陶芸体験が楽しめるスポットや信楽の豊かな自然を満喫できるスポットなどもあり、今回伺った土鍋のお店も信楽焼を使用しておりまして、そんな器を使ったカフェや食事のできるお店ものどかな風景の中にできていたり。なんとも癒される街であります。

 

やはり旅のテーマは信楽焼になるのですが、

信楽焼は主に滋賀県甲賀市信楽町周辺で生産されているのですが、それはやはり付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄であるからのようです。その丘陵の道沿いにたくさんの窯元が連なっており、その風景も趣があります。

それゆえ日本を代表する陶磁器として日本六古窯のひとつにも数えられ、これまで多くの作品が生み出されてきました。

 

 

登り窯のあとがカフェになっていました。

 

 

こちらはギャラリーに

 

 

その独特な風合いは、陶土に木節(きぶし)・実土(みづち)・蛙目(がいろめ)など、さまざまな種類の粘土を混ぜて作られており、ほかにも複数の原料を使って作っているため、コシがあって肉厚な焼物に仕上がります。

 

また、材料となる粘土がしっかりとしているので、大きな焼物を作るのにも向いており、その耐火性も高く、高温で焼くことで独特な風合いになるのも魅力のひとつであります。それゆえ焼き方や窯の中の温度などにより、仕上がりが変化するのも面白いポイントでして、ひとつひとつの作品が個性に溢れているため選ぶのが楽しい焼物でもあります。

 

中世から現在まで生産が続けられている信楽焼の歴史は古く、なんと742年聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手したときに、布目瓦や汁器の須恵器を焼いたのが始まりという説があることも驚きですが、紫香楽宮跡も見ることができますが、ここに都が栄えていたことも驚きですね。

 

ですが、どことなく野性味あふれる肌感が確かに須恵器を思い起こすような気もします。また、当時すでに発展し始めていた常滑焼の技術を取り入れ徐々に発展していったとされており、当時から窯元同士の交流があったようですから、当時の職人さんたちも探求熱心だったのでしょうね。

 

明治時代以前に作られていた釉薬をかけない焼物は「古信楽」と呼ばれるのですが、室町時代末期頃までは壺などを中心に作られておりました。その後、江戸時代の茶の湯の大衆化により信楽焼は一気に発展していきますが、江戸時代末期になると陶業地として栄えますがその後は不況を迎えます。理由は金属製品などが普及したことにより、信楽焼のような陶磁器の需要が激減してしまったためです。

 

ですが時代が進むと、不況を打破するために信楽焼のタイルや傘立てなどが作られるようになり、明治時代になると、現在でもよく見かけるたぬきの置物が作られ始めました。ここでやっとたぬきの登場です。そんなたぬきの置物を気に入った昭和天皇が、信楽行幸の際に歌に詠まれたのがきっかけで全国に広まったといわれております。

そういえば、なぜ信楽は「たぬき」なのかいつも不思議に思っており、一つ謎が解けました。

 

 

 

 

ちなみにたぬきには「た(他)」「ぬき(抜く)」=「他を抜く」という意味に通じるため、「商売繁盛の縁起物」という意味をなしており、昔から店先に置かれておりますが、ちょっと気になったので、信楽周辺のお宅の玄関先を車越しに勝手に調査いたしますと…。

 

たぶん近隣の95%くらいのお宅の玄関先にたぬきが置かれていたのではないでしょうか。(スタッフY調べ)

 

 

 

 

そんなたぬき設置調査をしながら信楽を後にいたしましたが、信楽とても癒されるところでありました。

この春の旅の候補に入れてみてはどうでしょか。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

It’s March and pollen is a concern for some of you, but I think it’s time for those of you who cannot stay still.
In the midst of all this, Staff Y visited Shigaraki the other day.

 

The purpose of the trip was to have a lunch of rice cooked in a Shigaraki earthenware pot with Shigaraki ware and to walk around Shigaraki.

 

It was my first visit to Shigaraki in a long time, and the weather was perfect, so please bear with me for a moment as I write about my trip.

 

Shigaraki is an hour and a half drive from Nagoya.
As you may know, Shigaraki is famous for Shigaraki ware, one of the six oldest kilns in Japan, but it was also the setting for the popular NHK drama “Scarlett. There are many places where the drama was filmed (it is fun to visit the filming locations). There are many facilities where you can experience Shigaraki pottery making, and many Shigaraki tanuki (raccoon dogs) will welcome you when you walk around the town.

 

The earthenware pot store we visited this time also uses Shigaraki ware, and there are also cafes and restaurants in the tranquil scenery that use such ware. It is a very relaxing town.
The theme of my trip will be Shigaraki ware,
Shigaraki ware is mainly produced in the area around Shigaraki Town, Koka City, Shiga Prefecture, because the hills in the vicinity produce high-quality potter’s clay. Many kilns are located along the road along the hillside, and the scenery is very picturesque.

 

The area is also known as one of the six oldest kilns in Japan and has produced many works of ceramics and porcelain representing Japan.
After the climbing kilns, there is a café.
This one is now a gallery.

 

The unique texture of this pottery is created by mixing various types of clay, such as kibushi, mizuchi, and garome, with other materials, resulting in thicker and firmer pottery.

The clay is also suitable for making large pieces of pottery because of its firmness, and its high fire resistance is one of its charms, giving it a unique texture when fired at high temperatures. It is interesting to note that the finish changes depending on the firing method and the temperature in the kiln, and each piece is unique, making it a fun pottery to choose.

 

The history of Shigaraki ware, which has been produced from the Middle Ages to the present, is long, and it is surprising that it is said to have started when Emperor Shomu started building the Shikaraku Palace in 742, when he fired Nunome tiles and Sue ware (soup bowls).

 

However, the somewhat wild skin texture certainly reminds us of Sue ware, doesn’t it? It is also said that the pottery gradually developed by adopting the techniques of Tokoname ware, which had already begun to develop at that time, and since there seems to have been exchange between potters from that time, the craftsmen of that time must have been eager to explore.

 

Unglazed pottery made before the Meiji period is called “Koshigaraki,” and until around the end of the Muromachi period, it was mainly made into pots. Later, with the popularization of the tea ceremony in the Edo period, Shigaraki ware developed rapidly, but at the end of the Edo period, it flourished as a ceramic production center, but then entered a period of recession. The reason for this was that the demand for ceramics such as Shigaraki ware declined drastically due to the spread of metal products.

 

As time went on, Shigaraki-ware tiles and umbrella stands were produced to break the depression, and in the Meiji period (1868-1912), tanuki figurines, which are still commonly seen today, began to be produced. This is where the tanuki finally made its appearance. It is said that Emperor Showa, who was pleased with these tanuki figurines, wrote a poem about them when he went to Shigaraki, and this is how they spread throughout the country.

 

Come to think of it, I always wondered why Shigaraki is called “Tanuki.
By the way, “tanuki” has the meaning of “good luck charm for prosperous business” because “tanuki” means “to overtake others” and “nuki” means “to overtake others”. I was a little curious, so I took the liberty of checking the entrances of homes in the Shigaraki area. I guessed that about 95% of the houses had a tanuki at their entrance (according to our staff Y). (According to Staff Y’s survey).

 

We left Shigaraki with such a survey of tanuki placement, and found Shigaraki to be a very relaxing place.

Why don’t you include Shigaraki as a candidate for your trip this spring?

 

Good bye.

 

 

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3月と言えば・・・(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.03.01

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

いよいよ3月に入りました。毎度のことながら、もうひと月経ったのかと驚きますね。

年が明けてから3月までは、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」という言葉もあるくらいですから、あっという間に過ぎ去るように感じられる期間ではあります。

そして気づけば、1年の4分の1が終わるわけですから、大人になればなるほど、「もう3月が終わるのか」と妙な焦りを感じるようになってしまいました。

 

さて、3月は日本では和風月名で「弥生」とも言いますね。ちなみに、12ヶ月の中で3月と12月だけが「月」という漢字が使われていません。

「弥生」とは、暖かな陽気にすべての草木がいよいよ茂るという意味の「弥生(いやおい)」がつまって、「弥生(やよい)」になったとされています。「弥」にはいよいよ、ますますという意味があり、「生」は草木が芽吹くことを表しています。

この他にも3月の異称(別名)として「桜月(さくらつき)」「花見月(はなみつき)」「花月(かげつ)」「花咲月(はなさきづき)」など、他にもたくさんの異称があります。これからは桜など、色々な花が咲く季節。今から楽しみです。

 

また、英語で3月は「March」ですが、これはローマ神話の「マルス(Mars)の月」を意味する「Martius」に由来します。 マルスは「戦と農耕の神」で、「軍神」とも呼ばれます。 古代ローマ暦では、新年が3月であり、気候がよくなり軍隊を動かす季節、また、農耕を始まる季節に良いとされ、そこから3月はマルスを称える月となりました。

 

さて、3月といえば、みなさんはどのようなことを思いつきますか?

 

3月と言われて私が一番に思い付くのは、「卒業式」。

あとは「ひな祭り」「春分の日」「春休み」といったところでしょうか。

日本では、幼稚園はじめ、全ての学校や大学で卒業式がありますが、欧米などでは大学の学位授与式しかないそうです。日本で学校制度が始まったのは、1872年(明治5年)。その当時は、学年を終えるときに卒業証書が授与されていました。

学年終了時の卒業証書授与が、1870年代半ば(明治10年)ごろに、独立した儀式として定着したのが卒業式の始まりで、現在、卒業式は、学校教育法施行規則で学校行事として定められています。

 

私たちが春の風物詩のように感じている「卒業式」は、実は日本特有の文化なんだとか。3月に卒業式がある国は数少なく、欧米では9月が卒業式シーズン。南半球になると12月など国によってさまざまです。

みんなで歌って涙する、感動の卒業式のイメージもありますが、私にとっての卒業式は、特に感動的な思い出はありません(笑)

思い返してみると、感動のシーンで泣かないといけないような妙なプレッシャーを感じて、なんとなく居心地が悪かった記憶があります。あと、何度も練習させられてちょっと面倒だった思い出が…。

 

卒業式と涙はセットのようになっていますが、歌にも特別な意味があるようです。卒業式の歌がこれほどたくさん存在する国は、日本だけのようです。

昭和世代は、卒業式の歌と言えば「蛍の光」と「仰げば尊し」が定番でした。ですが、 平成頃からは時代の変化で恩師への感謝を 強要しているという考えや、 古い日本語の表現を 理解することが難しいとの理由で 歌われなくなったようです。

代わりに歌われるようになったのが、「3月9日」や、合唱曲の「旅立ちの日に」。

別れを惜しみつつも前に進む人を応援してくれるような曲が多く歌われるようになった気がします。

 

卒業式の形も変わってきているのかもしれませんが、やはり全員で卒業ソングを歌うという文化はあった方が良いかもしれないですね。小学校、中学校の最低2回、高校を含めても3回くらいしか経験ができないですから。

 

ではでは、また。

Hello everyone, this is Staff T.

March has finally arrived. Every time I am surprised to see that another month has already passed.
There is a saying that goes “January goes, February runs away, and March goes away,” so it seems as if the time between the beginning of the year and March goes by in a flash.
And as I realize that a quarter of the year is over, the more I grow older, the more I feel a strange sense of impatience, wondering if March is already over.

Well, March is also called “Yayoi” in Japanese, which is a Japanese-style month name. Incidentally, of the 12 months, only March and December do not use the Chinese character for “month.
The word “Yayoi” is said to be derived from “Yayoi,” which means that all plants and trees will finally grow in the warm weather. Ya” means “finally” or “more and more,” and “Sei” means that plants and trees will sprout.
There are many other different names for March, such as “Sakura-tsuki,” “Hanami-tsuki,” “Kage-tsu,” and “Hanasaki-tsuki. From now on, it is the season for cherry blossoms and other flowers to bloom. I am looking forward to it.

March is also called “March” in English, which is derived from “Martius,” meaning “the month of Mars” in Roman mythology. Mars is the “god of war and agriculture” and is also called the “god of war. In the ancient Roman calendar, the New Year was in March, which was considered to be a good time for the weather to improve and for armies to move into action, and also a good time to begin farming, and from there March became the month to honor Mars.

What do you think of when you think of March?

The first thing that comes to mind when I hear the word “March” is “graduation ceremony. The others are “Girls’ Festival,” “Vernal Equinox Day,” and “Spring Vacation.
In Japan, all schools and universities, including kindergartens, have graduation ceremonies, but in Europe and the United States, only university degree conferment ceremonies are held.
The school system began in Japan in 1872. At that time, diplomas were awarded at the end of the school year.
The graduation ceremony began around the mid-1870s (10th year of Meiji), when the awarding of diplomas at the end of the school year became an independent ceremony.

Graduation ceremonies, which we feel like a spring tradition, are actually a culture unique to Japan; only a few countries have graduation ceremonies in March, and in Europe and the United States, the graduation season is in September. In the southern hemisphere, it is held in December, and it varies from country to country.
There is an image of a moving graduation ceremony where everyone sings and cries together, but for me, I have no particularly moving memories of graduation ceremonies (laugh).
Looking back, I remember feeling a strange pressure to cry during the emotional scenes and feeling somewhat uncomfortable. I also remember that I was made to practice many times, which was a bit troublesome….

Graduation ceremonies and tears are like a set, but the songs also seem to have a special meaning. Japan seems to be the only country where so many graduation songs exist.
For the Showa generation, “Hotarunohikari” and “Aogeba Toutoshi” were the standard graduation songs. However, since the Heisei era, these songs are no longer sung because of the change of the times, the idea that it forces people to thank their former teachers, and the difficulty in understanding the old Japanese expressions.
Instead, “March 9” and the choral piece “On the Day of Departure” have come to be sung.

I feel that more and more songs are being sung to bid farewell but also to cheer those who are moving on.

The shape of graduation ceremonies may be changing, but I still think it would be better to have a culture in which everyone sings a graduation song together. We only get to experience this at least twice in elementary and junior high school, and maybe three times if you include high school.

So, see you again.

 

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本日2月29日、うるう年です。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.02.29

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

本日は2月29日ですね。そう、今年はうるう年。

4年に一度しか自分は気に留めないような気がしまして、本日は「うるう年」についての小ネタを仕入れてみました。一息つきたい時にご一読ください。

 

もともと「閏(うるう)」という言葉自体には、「平年よりも日数や月数が多い」という意味がありまして、つまり「閏年(うるう年)」とは、「閏のある年」。平年よりも1日、日付が多くなる年のことを、うるう年と言います。

 

現在、世界で広く使われているのは、地球が太陽の周りをまわる周期をもとにした「太陽暦」。しかし、地球が太陽の周りを1周するのにかかる日数はピッタリ365日ではなく、365日よりおよそ1/4日長い365.2422日(365日5時間48分46秒)なのですが、このことは紀元前から天体観測で発見されており、その補正を行う必要があって設けられたのが、うるう年なのであります。

 

そんなうるう年、歴史はなんと紀元前までさかのぼります。紀元前45年からローマの英雄ユリウス・カエサルによって「ユリウス暦」が導入されていたのですが、それまでに使われていたのは、1年を355日とした「ヌマ暦」。ですが、責任者の怠慢などでうるう月の挿入が正しく行われなかったことなどから、暦と実際の季節が合致しない事態に陥ってしまいます。

そこで、ユリウスが「平年を365日」とするユリウス暦で暦の改革を行いました。このときのユリウス暦に、4年に1度のうるう年も制定されております。

このころ、まだ日本ではたぶん暦なんて概念もなく、ただぼにやりと太陽を眺めていたひとがほとんどだったような時代の気がして、その文明の格差をひしひしと感じますね。

 

また、そんなうるう年、英語では「leap year(リープ・イヤー)」と言うようです。「leap」には「跳ぶ、跳ねる」という意味があるようで、たとえば、平年の場合は、2021年1月1日は金曜日、翌年の2022年1月1日は土曜日という具合に、同じ月日を見ると、翌年はひとつ先に進んだ曜日に当たります。

 

しかしうるう年の場合は、翌年の曜日が2つ先に進むこととなります。たとえば、2020年1月1日は水曜日ですが、2021年1月1日は金曜日でした。そのように、曜日がひとつ先に飛ぶことから、「leap year」という名前がついたのではないか、と言われています。面白いですね。

 

また、「ユリウス暦」で4年に1度のうるう年が制定されたことを紹介しましたが、長い長い年月を経ていくと、暦と季節にズレが生じ、やがてそれが無視できないレベルにまで到達します。そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世が、地球が太陽をまわる時間を「365日よりわずか0.2422日だけ長い」ことを天体観測で実証し、1582年、現在も使われている「グレゴリオ暦」に改暦しております。このグレゴリオ暦では、うるう年を次のように定めています。(1)西暦が4で割り切れる年をうるう年とする(2)西暦が100で割り切れて、400で割り切れない年は、平年とする

 

2020年や2024年は(1)に当てはまるので、うるう年となりますが、2100年、2200年、2300年は(2)に当てはまり、うるう年にはなりません。また、2000年や2400年は100で割り切れますが、400でも割り切れるため、うるう年となるそうです。

 

また、補正が必要となる時間が0.25日ではなく、0.2422日だったため、うるう年を「4年に1度」挿入するだけでなく、それ以外にわずかな補正が必要となったようでして、「4年に1度のオリンピック開催年がうるう年」と単純にならないのは、このような理由があるようでして、確かに地球と太陽の動きをきちんと暦に合わせるためにその誤差の扱いは難しいところではありますね。

 

ところで、たまに2月29日が誕生日の方がいらっしゃるのですが、誕生日をいつ祝っているのか気になります。前倒しにしたりそもそも出生届の日付を変更しているのでしょうか。

本日は4年に一度のジャスト誕生日ですので、本日お誕生日のみなさま4年分を盛大に祝ってほしいものです。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

Today is February 29. Yes, this year is a leap year.
I feel like I only pay attention to it once every four years. Please read it when you want to take a break.
Originally, the word “leap” itself means “more days or months than in a normal year,” and a leap year is a year with a leap. A leap year is a year in which one more day is added than in a normal year.
The solar calendar, which is based on the cycle of the earth’s orbit around the sun, is widely used in the world today. However, it takes 365.2422 days (365 days, 5 hours, 48 minutes and 46 seconds), which is a quarter of a day longer than 365 days, for the earth to make one full revolution around the sun, This was discovered by astronomical observations since BC, and the leap year was established to compensate for this fact.

 

The history of leap years dates back to 45 B.C., when Julius Caesar, a Roman hero, was born. The Julian calendar was introduced in 45 B.C. by Julius Caesar, a Roman hero, but the Numa calendar, which had 355 days in a year, was used until then. However, due to negligence on the part of those in charge, the leap month was not inserted correctly, resulting in a situation where the calendar and the actual seasons did not match.

 

Therefore, Julius reformed the calendar with the Julian calendar, which set the normal year at 365 days. The Julian calendar at that time also established a leap year once every four years.
At that time, most people in Japan probably did not have the concept of a calendar and were just gazing at the sun in a daze, and I feel the gap in civilization very keenly.
In English, such a leap year is called a “leap year. For example, in a normal year, January 1, 2021 falls on a Friday and January 1, 2022 falls on a Saturday.

 

However, in the case of leap years, the following year’s day of the week is advanced by two. For example, January 1, 2020 is a Wednesday, but January 1, 2021 is a Friday. It is said that the name “leap year” may have come from the fact that the day of the week jumps ahead one day. Interesting.
I also mentioned that a leap year was established every four years in the “Julian calendar,” but over the long, long years, a discrepancy between the calendar and the seasons occurs, and eventually it reaches a level that cannot be ignored. Pope Gregory XIII, however, demonstrated through astronomical observations that the earth’s orbit around the sun was only 0.2422 days longer than 365 days, and in 1582 the calendar was changed to the “Gregorian calendar,” which is still in use today. In the Gregorian calendar, leap years are defined as follows (1) A leap year is a year in which the western calendar is divisible by 4. (2) A leap year is a year in which the western calendar is divisible by 100 and not divisible by 400.

 

In addition, since the time that needed to be corrected was 0.2422 days instead of 0.25 days, it seems that not only did a leap year need to be inserted “once every four years,” but also a slight correction was required. It is true that it is difficult to handle the error in order to properly adjust the movement of the earth and the sun to the calendar.
By the way, there are people whose birthdays are on February 29 sometimes, and I am wondering when they celebrate their birthdays. Do they move it forward or change the date on their birth certificate in the first place?

Today is just a once-every-four-years birthday, so I hope that everyone who has a birthday today will celebrate it in a big way for the past four years.

Have a good day.

 

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幻想的な光に見入ってしまいます(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.28

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

昨日は風の強い日でしたね。仕事から帰る途中、普段なら目にしないものが色々と道に落ちておりました。皆さまご無事だったでしょうか。

本日、名古屋は一転して穏やかな日となりました。風光舎の店内は午後になると陽の光が差し込み、陳列されている品々の影が長く美しく伸びてまいります。うっすらと黄緑色が入ったこちらのウランガラスは紫外線により自ら発光するため、影の美しさと相まって幻想的な姿を見せてくれます。原料のウラン鉱石が蛍光鉱物なのでブラックライトや紫外線を浴びると発光します。私の撮影技術では、発光の美しさが伝わりにくいと思いますが…。

 

 

 

 

 

 

こちらは一輪挿しでしょうか。ふっくらと膨らんだ曲線が優しく、レトロな雰囲気を醸し出しております。窓辺に飾ると陽の光による色の変化を楽しめそうです。

 

ウランガラスは1830年ころ、チェコ・ボヘミア地方で製造されたのが始まりとされています。その後、ヨーロッパ各地やアメリカで花瓶や食器、アクセサリーなど各種のウランガラス製品が大量に作られました。現在ではウラン価格の高騰や製造者の安全、緑色に発色する他の原料が見つかったなどの理由から、極少量が生産されているに過ぎないとのことです。ちなみにアメリカなどの英語圏では「ワセリングラス」と呼ばれています。

「ウラン」と聞くと、害があると思われがちですが、ガラスに含まれているのはごく微量のため人体には全く影響がないとの検査結果が出ているとのことです。

元々はガラスを光らせるために作られたわけではなく、この淡い黄緑色の発色を求めて作られていたとのことで、着色のために混ぜたものがたまたまウラン化合物だったとか。そのため「紫外線で光る」というのは後になって分かった事実で、ブラックライトなどがなかった時代は紫外線が多く含まれる朝日や夕日に照らして楽しんでいたようです。

 

日本では和製ウランガラスが大正から昭和のはじめの10~15年の間に製造されていましたが、一度途絶え、2003年に岡山県の人形峠で日本産のウランを使用した「妖精の森ガラス」が開発されたということです。現地の「妖精の森ガラス美術館」で、外国産、日本産のウラングラスを見ることができます。先日ブログで取り上げたエミール・ガレの作品もあるようです。ぜひいつか訪れてみたいです。

 

それにしましても電源もないのになぜ光るのか、という浅はかな疑問が理化学に弱い私には常につきまといます。鉱物に限らず、発光する生き物もたくさん存在します。ホタル、クラゲ、イカ、キノコなど様々な生物が自ら光を放ちます。その光には生存するための理由があるのでしょうが、幻想的な光にただただ見入るばかりです。光を得るために多大な努力をしなければならない私たちにとっては、手の届かないものだからでしょうか。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

Yesterday was a windy day. On my way home from work, I found many things on the road that I would not normally see. I hope everyone was safe.

Today, Nagoya turned out to be a much calmer day. In the afternoon, sunlight streamed into the store of Fuhkosha, and the shadows of the displayed items stretched long and beautifully. The uranium glass with a faint yellowish green color emits light when exposed to ultraviolet rays, creating a fantastic appearance in combination with the beauty of the shadows. The raw material, uranium ore, is a fluorescent mineral, so it emits light when exposed to black light or ultraviolet rays. I think it is difficult to convey the beauty of the luminescence with my photographic technique…

 

Is this a vase for a single flower? The plump, bulging curves create a gentle, retro atmosphere. It looks like you can enjoy the change of color by sunlight when you put it on the window sill.

 

It is said that uranium glass was first produced in the Bohemia region of the Czech Republic around 1830. After that, various types of uranium glass products such as vases, tableware, and accessories were made in large quantities throughout Europe and in the United States. Today, only a very small amount of uranium glass is produced due to the high price of uranium, the safety of the manufacturers, and the discovery of other raw materials that produce a green color. Incidentally, in the United States and other English-speaking countries, it is called “Vaseline Glass.

The word “uranium” is often thought to be harmful, but tests have shown that the amount of uranium contained in glass is so small that it has absolutely no effect on the human body.

Originally, the glass was not made to shine, but was made for this pale yellowish-green coloration, and what was mixed in for coloration happened to be a uranium compound. In the days when there were no black lights, people enjoyed the glass when it was illuminated by the sunrise or sunset, which contained a lot of ultraviolet rays.

 

In Japan, Japanese uranium glass was manufactured from the Taisho era to the beginning of the Showa era (10-15 years), but it was discontinued once and “fairy forest glass” using Japanese uranium was developed at Ningyo-toge in Okayama Prefecture in 2003. You can see both foreign and Japanese uranium glass at the local “Fairy Forest Glass Museum. It seems that there are also works by Emile Gallé, which I recently featured in my blog. I would love to visit there someday.

 

I have always wondered why it glows even though there is no power source. There are many living things that emit light, not just minerals. Fireflies, jellyfish, squid, mushrooms, and many other creatures emit light themselves. They may have their own reasons for their light to survive, but I just can’t help but admire their fantastic light. Perhaps it is because light is out of reach for those of us who have to make a great deal of effort to obtain it.

 

 

I will see you next time.

 

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想像力を試されている気がします(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.27

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

連休はどのように過ごされたでしょうか。我が家は大々的に家の片付けをいたしまして、気持ちが晴れ晴れとしております。片付けが面倒で見て見ぬふりをしていましたが、無意識下でかなり負担に感じていたのかもしれません。懐かしいものや、何故保管していたのか理解できない品もたくさん出てきました。自分にとって本当に必要なものは何かを考えさせられます。

 

さて、古来より中国の文人は石を生涯の友とまで呼び、大切にしていたといいます。机上の装飾品として愛で、詩に詠んでいたということです。中国では「鑑賞石」という文化があり、現代でも石愛好家は多く、石の模様を山水画に見立て楽しんでいるそうです。

 

風光舎店内にも太湖石と呼ばれる石がございます。足元が細く絶妙なバランスで立っております。

 

 

 

 

太湖石とは中国蘇州のかつて内海だった太湖から産出された石灰岩の奇石です。長年、湖水や風雨の浸食を受けて石の表面にくぼみや孔穴のある複雑な形をしています。自然が作り出す芸術品として珍重されてきました。

太湖石の発見者は唐代の詩人、白居易(白楽天)であるという説もあり、愛好家として知られています。宋代には太湖石を峰に見立てて庭園に飾ったり、書斎の装飾品としても用いられました。また絵画や工芸品にも描かれるなど大変人気のあるモチーフだったとのことです。

鑑賞ポイントは諸説あるそうですが、有名なところで「痩、漏、皺、透」という基準があるとのこと。痩は細く長いこと、自立していること。漏は複雑に穴が開いていること。皺は石肌がよく、皺や模様に趣があること。透は大小の穴から奥の景色がみえることだそうです。最高ランクの物は皇帝や貴族たちがこぞって集めたと言われています。

 

しかしその独特な珍しい形は目を楽しませるためだけのものではなかったようです。中国の文献によると、道教の視点から複雑にあいた穴が別世界への入り口であるとも考えられ、別世界が一つの太湖石の中にいくつも存在するとみなされたそうです。奇石はミニチュアの宇宙の集合体とも考えられ永遠の世界が凝縮していると想像を膨らませていたようです。

当時の人々にとっての宇宙は、今私が想像する宇宙とは比べ物にならないほど果てしなく、得体の知れない空間だったことでしょう。机に向かいながらそんな世界に心を馳せ、俗世から離れて自由な思考を楽しんだのでしょうか。覗いているのは穴の向こうなのか、それとも自分の頭の中なのか。いずれにしても見る側の想像力が試される気がいたします。

 

 

 

 

日本でも中国の影響を受け、太湖石を絵画や工芸品のモチーフとして取り入れられています。伊万里焼でも初期伊万里以来、柿右衛門式様式、金襴手様式で奇石の背面から花が伸びる構図の文様をみることができるとのこと。しかし時代と共に太湖石の描き方が簡素化していき、次第にただの丸で表されるようになったそうです。文様の中で、この丸いものは何だろうという疑問が湧いたら太湖石の名残かもしれませんね。

 

話は逸れますが、先日雛菓子をいただきました。食べるのが忍びないほど可愛いく、淡い色合いが春を感じさせてくれます。しばらく眺めて楽しみたいと思います。

 

 

 

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

How did you spend the holidays? We cleaned up our house extensively, and we are feeling refreshed. I pretended to ignore it because it was a hassle to clean up, but I may have unconsciously felt it was quite a burden. I found many items that I missed and many items that I don’t understand why I kept. It makes me think about what is really necessary for me.

Now, since ancient times, Chinese literati even called stones their lifelong friends and cherished them. They loved them as desk ornaments and composed poems about them. In China, there is a culture of “appreciating stones,” and even today there are many stone lovers who enjoy the patterns on stones as if they were landscape paintings.

There is a stone called “Taihu Stone” in the Fukosha store. It stands with a slender foot and is exquisitely balanced.

 

Taihu Stone is an unusual limestone stone produced from Taihu Lake, which used to be an inland sea in Suzhou, China. Over the years, the lake water and wind and rain have eroded the stone into intricate shapes with hollows and holes on the surface. It has been prized as a work of art created by nature.

Some say that Taihu Stone was discovered by the Tang Dynasty poet Bai Juyi (Bai Le Tian), who is known as a connoisseur of the stone. During the Song dynasty (960-1279), Taihu Stone was used as a peak in gardens and as an ornament in study rooms. It was also a very popular motif in paintings and crafts.

There are various theories on how to appreciate the stone, but the most well-known are the following criteria: slenderness, leakiness, wrinkles, and translucency. Slender means long and thin, and freestanding. Leakage is a complicated hole in the surface. Wrinkles are those with good stone skin, and the wrinkles and patterns have a certain elegance. The word “toru” means that the view from the back can be seen through the holes of various sizes. It is said that the highest-grade pieces were collected by emperors and aristocrats.

 

However, their unique and unusual shapes were not meant to please the eye. According to Chinese literature, from a Taoist perspective, the intricate holes were thought to be portals to other worlds, and other worlds were considered to exist within a single taihu stone. The odd stones were also thought to be miniature collections of universes, and people imagined that the eternal worlds were condensed in them.

The universe for the people of that time must have been an endless, unfathomable space far beyond anything we can imagine today. They must have enjoyed the freedom of thinking about such a world away from the mundane world as they sat at their desks. Was he peering through a hole or into his own head? Either way, I feel that the viewer’s imagination is put to the test.

Influenced by China, Japanese people have also adopted taiko-seki as a motif in their paintings and crafts. In Imari ware, since the early Imari period, Kakiemon style and Kinrande style have also been used to depict flowers extending from the back of the strange stones. However, as time went by, the drawing of taiko-seki became simpler, and it gradually came to be represented as a simple circle. If you wonder what these circles are in the design, they may be the remnants of Taihu Stone.

 

This is a digression, but the other day I received some hina festival sweets. They are so cute that I can hardly bear to eat them, and their pale colors are indescribably beautiful. I would like to enjoy looking at them for a while.

 

See you next time.

 

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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#骨董買取#古美術買取#出張買取#無料査定#生前整理#遺品整理#家じまい#実家じまい#掛け軸#絵画#木箱入り茶碗#刀剣#洋食器#貴金属

 

 

犬派か猫派か、どちらでしょうか。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.02.25

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

今朝、通勤途中に名古屋大学前を通過しておりますと、二次試験の案内の看板が。どうやら本日は二次試験のようであります。取材の方や心配そうにみつめる親御さんがいたりと、物々しい雰囲気はすぐにわかりました。

受験生のみなさん、ここまでの頑張りが発揮できますよう、知らない大人も車の中からエールを送ります。頑張ってください。

 

 

ところで最近、SNSなどで動物の動画や画像をよくみているのですが、画面一面動物ばかりが流れてくるようになりまして、ちょっと笑えてきます。やはりその中でも犬や猫の画像が多めでありますが。

 

 

 

 

どちらも可愛いのですが、みなさまは犬派?猫派?どちらでしょうか。ウサギ派、ブタ派…などいらっしゃるとは思いますが、とりあえず多勢のその二派ということで。

 

あるアンケートの調査では、「犬派? 猫派?」の問いに、「犬派」が59.2%、「猫派」が40.8%という結果に。全ての世代で犬派の方が多かった。20~40代は犬派が50%台にとどまったが、50代では65.9%、60代では62.7%と割合が高かったようです。ちょっと犬派が多いのかなところでしょうか。自分の中では、この二派が年替わり、日替わり、いえいえ時間替わりで入れ替わるのですが、まあ、どちらも好きです。

 

そういえば、昔、犬と猫をいっしょに飼っていたのですが、昔ですので躾などは程遠く、ただの逃亡・破壊癖のある犬と自由であざとかわいいを振りまいていた猫が、顔を見合わせるたびに眼(ガン)を飛ばし、終いには殴り合いのけんかをするような仲の悪さでありました。

 

よって、実際動物との暮らしとなると、いまだに夢が描けないままなのですが、映像や動画なので眺めてることは大好きでして、犬もいいな…、猫かわいいな…などと、日々犬派と猫派をさまよっております。

 

また、SNSで流れてくるような物分かりのいい躾の行き届いた仲睦まじい犬猫をみては、動物たちとこんなに優雅に暮らせる世界もあるのだ…と、いつも感心し憧れてたりもするのですが、同時に我が家で飼っていたあの子たちは、なんだったのだ…と、苦笑いしながら思い出したりもいたします。(今となっては暴れまくっていたあの子たちが懐かしい。)

 

 

 

 

そこで気になってきたのが、そんなワンちゃんネコちゃんたちとのお付き合いの歴史。

 

ワンちゃんは、縄文時代のおよそ400もの遺跡から、犬の骨が見つかっており、このことから、すでに縄文時代にはイエイヌ、いわゆる縄文犬が日本にいたと考えられております。

 

最も古い埋葬事例は、縄文時代早期の愛媛県上黒岩岩陰遺跡や佐賀県夏島遺跡から出土した犬の骨で、小型~中型の犬だったそうです。おそらく狩猟用に飼われていたのでしょう。ルーツについては日本犬と韓国犬、モンゴル犬の遺伝子が近いことが解明されており、東北アジアから韓国へ移入した犬がさらに日本へ渡ったことが指摘されました。ただし日本犬の中には東南アジアの犬と同型の遺伝子を持つものがいて、ルーツが1つではないこともいえます。

 

また、日本における最古のイエネコ(ヤマネコではなく、人に飼いならされた猫)の証拠は、2011年に調査された長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(弥生時代後半)から発見された橈骨(前腕の骨)とされておりまして、遺伝子分析を行ったわけではありませんが、交易のあった韓国でもその時代の貝塚にネコ(猫の種類は特定されていない)の骨が発見されていることなどから、イエネコの可能性が高いと結論づけられたようです。これが本当にイエネコの骨であれば、弥生時代には飼い猫がすでにいたことになり、おそらく穀物をネズミの害から守るために飼われていたのでしょう。今までは確実な飼い猫の証拠は6~7世紀にならないとみられなかったため、もしカラカミ遺跡の骨がイエネコであるならば、日本での猫の歴史が大きく遡ることになるそうです。

 

とまぁ、ワンちゃんネコちゃんとの暮らしの始まりは、現在のSNSなどで登場するような「癒し」の存在というより人の生活と共に過ごす使役犬、使役猫としてのお付き合いから始まったようですが、時代ごとに役割こそ少し違ってきました。ですが、ワンちゃんやネコちゃん、長きにわたって私たちと暮らしていたことは確かですので、これからも人間に一番近い存在として、そばにいて癒してほしいものです。

 

それにしても、我が家で飼っていたあの二匹が縄文時代であれば、たいへん正解だったことはよくわかりました。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

This morning, as I was passing by Nagoya University on my way to work, I saw a signboard informing me of the second round of examinations.It seems that today is the second round of examinations.I could tell immediately that the atmosphere was very tense, with reporters and parents anxiously watching the students.
To all the students taking the exam, I send my best wishes for your hard work up to this point from the car, from a stranger. Good luck!

 

By the way, recently I have been watching a lot of animal videos and images on social networking sites.It’s funny to see all the animals on social networking sites, and among them, there are a lot of images of dogs and cats.
Both are cute, but are you a dog person or a cat person? Which do you prefer, dogs or cats?Which do you prefer? I am sure there are people who prefer rabbits, pigs, etc., but for now, let’s just say that there are a lot of people in the two groups.

 

According to a survey, the question was “Dogs or cats? Cats? 59.2% of the respondents were “dog people” and 40.8% were “cat people. All generations were more dog-oriented; dog-owners in their 20s to 40s were only in the 50% range, while dog-owners in their 50s and 60s seemed to have higher percentages at 65.9% and 62.7%, respectively. I wonder if there are a little too many dog people in this group. In my mind, these two groups switch from year to year, from day to day, or even from hour to hour, but I like them both.

 

I used to have a dog and a cat together, but since that was a long time ago, discipline was far from a given. The dog, who had a destructive habit, and the cat, who was selfish and pretending to be cute, would fly a glance at each other every time they saw each other, and eventually they would fight each other.

 

So, when it comes to actually living with animals, I still can’t picture my dream, but I love watching videos and images of them. I also see well-disciplined and well-behaved cats and dogs on social networking sites, and I am always impressed and admire that there is a world where people can live with animals so elegantly… but at the same time, I always wonder what those children I used to have at home were like… and I always laugh. At the same time, I always remember with a wry smile what those children we had at home were like. Nowadays, I miss those children who were rampaging around.
So I began to wonder about the history of my relationship with those dogs and cats.

 

 

Dog bones have been found at some 400 archaeological sites from the Jomon period, which leads us to believe that Iainu, or so-called Jomon dogs, already existed in Japan during the Jomon period.

The earliest burials are dog bones excavated from the Kamikuroiwa Iwayashin site in Ehime Prefecture and the Natsujima site in Saga Prefecture, which date back to the early Jomon period, and they were small to medium-sized dogs. It was probably kept for hunting. As for the roots, it has been elucidated that the genes of Japanese, Korean, and Mongolian dogs are close, and it was pointed out that the dogs were introduced from Northeast Asia to Korea and then to Japan. However, some Japanese dogs have the same type of genes as dogs from Southeast Asia, so it can be said that they do not have a single origin.

 

In addition, the oldest evidence of the Aeneko (not a wild cat, but a domesticated cat) in Japan is a radius (forearm bone) found at the Karakami site (late Yayoi period) in Iki City, Nagasaki Prefecture, which was surveyed in 2011. Although no genetic analysis has been conducted, it has been concluded that the bone is most likely that of Ae. aegypti, since a bone of a cat (the type of cat has not been identified) has been found in a shell mound from that period. If these are indeed bones of Ae. eneko, then there were already domesticated cats in the Yayoi period, probably kept to protect grain from rodent damage.

Until now, reliable evidence of domesticated cats was not seen until the 6th or 7th century, so if the bones at the Karakami site are indeed those of an Aedes aegypti, it would be a significant step back in the history of cats in Japan.
The beginning of our life with dogs and cats seems to have started as a relationship with them as servant dogs and cats that spent time with people’s lives, rather than as “healing” beings as they appear on social networking sites today. We hope that dogs and cats will continue to live with us as our closest companions and heal us.

 

I hope that they will continue to be with us and heal us as they are the closest thing we have to humans.

 

Have a good day.

 

 

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無性に食べたい・・・そんな時は(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.02.24

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

突然ですが、みなさま、無性に何か食べたくなる時ってありませんか?

 

昨日の私は、無性にポテトチップスが食べたくなり、お仕事の帰りについついコンビニに立ち寄ってしまいました。

ダイエットを意識して、ゆる~くですが制限しておりますので、ひさびさに食べた味は、なんとまあ美味しかったこと。しかし、その後すぐに罪悪感でいっぱいになるわけですが……

 

この「無性に〇〇が食べたい」「最近〇〇をよく食べてしまう」という状態。よくある話ですが、実は、栄養不足サインかもしれないのだそうです。
食品ロスが話題となっている時代にあり得ないと思いますが、実は栄養失調の方が増えているといいます。
栄養失調と聞くと、 食糧が乏しいことによって起こるものだと想像しますが、現在では食事制限のダイエットや、栄養素のバランスが悪い食事による食生活の偏りなどが原因で、女性や子供に多く見られるといわれています。
そんな「新型」栄養失調などによる栄養不足のサインが、無性に〇〇が食べたくなるときかもしれませんね。

見えないストレスから身体が欲していることも多いので、気にかけてみると良いかもしれませんよ。

 

ちなみに、ジャンクフードが食べたいときは『カリウム不足』。

フライドポテトやチキンなどのファストフードや、ポテ トチップスなどの脂っこいお菓子が食べたくなる人は カリウム不足が考えられ、欲求に任せて、油ものを思う存分摂取すると、太る原因に。また、カリウムが不足すると排泄機能が低下し、水分を溜め込んでむくみの原因になる可能性もあるそうです。

 

このような無性に食べたくなる発作のようなものも困りものですが、夜中まで起きていると、なんとなく口さびしくなって、甘い物が欲しくなる、という時もありませんか?

なんと、夜に食べてしまう習慣がなかなかやめられないのは、性格や意志の力のせいではなく、脳の仕組みが原因なのだそうです。
睡眠不足だと、夜中にお菓子を食べるようになると聞いて、生活習慣を見直そうと誓いました。

 

脳は、連続して起きている時間が長いほど、消耗してエネルギー不足になり、20時間起きている状態での脳の働きは、酔っぱらっているときの、弱度酩酊状態まで低下。

単に夜更かししていただけだとしても、脳はこれを「エネルギー不足だ」と判断し、エネルギーを補給しようとして、満腹ホルモンを減らして食欲刺激ホルモンを増やすのだそうです。
しかし、実際にはもう眠る時間なのに起きているから、エネルギー不足になっているだけで、この時間帯にエネルギーを補給する必要はありません。

この反応、いわば脳の勘違いで、夜中まで起きていれば誰にでも起こるようですが、普段から睡眠不足の人の方が、より強く食欲を感じるのだそう。

 

また、睡眠不足と糖尿病の関係も明らかになっているそうですので、食べる欲求を我慢するより睡眠を増やす方が、簡単にダイエットできるかもしれません(笑)

1日15分でも早寝するために、これからは、夜中に小腹が空いたら、それは脳の勘違いだということを思い出して、やり過ごそうと思います。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

I know this is sudden, but do you ever have a sudden craving for something?

Yesterday, I had an uncontrollable craving for potato chips, so I stopped by a convenience store on my way home from work.

I have been on a diet and have been trying to keep my weight down, so I had a taste of them for the first time in a while, and to my surprise, they were delicious. However, I was immediately filled with guilt afterwards. ……

This state of “I want to eat 00 irresistibly” or “I eat 00 a lot these days. It is common, but in fact, it may be a sign of nutritional deficiency.
It seems impossible in an age when food loss is a hot topic, but the number of malnourished people is actually increasing.
When we hear the word “malnutrition,” we imagine that it is caused by a lack of food, but now it is said to be more common in women and children due to restrictive diets and unbalanced diets.
A sign of nutritional deficiency due to such “new-type” malnutrition, for example, may be when you have an uncontrollable craving for 00.

It may be a good idea to pay attention to it, as it is often a sign that the body is craving it due to unseen stress.

By the way, when you want to eat junk food, you are ‘potassium deficient.

If you feel like eating fast food such as French fries and chicken, or greasy snacks such as potato chips, you may be deficient in potassium. In addition, when potassium is deficient, the excretory function declines, which may cause water retention and swelling.

These fits of uncontrollable cravings are also troubling, but aren’t there times when you stay up until midnight and somehow get a craving for something sweet because you are feeling a bit mouth-watering?

To our surprise, the reason why it is so hard to stop the habit of eating at night is not because of our personality or willpower, but because of the way our brain works.
When I heard that lack of sleep makes people eat sweets in the middle of the night, I vowed to review my lifestyle.

The longer the brain is awake continuously, the more depleted and energy-deprived it becomes, and the brain’s function after being awake for 20 hours drops to the state of weak intoxication, when you are drunk.

Even if you were simply up late, the brain judges this as a lack of energy, and in an attempt to replenish energy, it reduces satiety hormones and increases appetite-stimulating hormones.
However, there is no need to replenish energy at this time of the day, just because we are awake when in fact it is already time to sleep, and therefore we are lacking energy.

This reaction, so to speak, is a misunderstanding of the brain, and it seems to happen to everyone if they stay awake until midnight, but people who are usually sleep deprived feel the appetite more strongly.

Also, the relationship between sleep deprivation and diabetes has been revealed, so it may be easier to lose weight by increasing sleep than by holding back the desire to eat (lol).

In order to go to bed even 15 minutes earlier a day, from now on, if I get hungry in the middle of the night, I will remember that it is a misunderstanding of my brain and try to get through it.

See you later.

 

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