9月, 2022 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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FROMKYOTOOSAKA

時代の移り変わりを実感。(名古屋市千種区姫池通 古美術品買取致します。 古美術風光舎名古屋店)

2022.09.22

みなさま、こんにちはスタッフYでございます。

 

先日、エリザベス女王の国葬の様子をTVにてみておりましたが、全世界に放映されイギリスでの視聴率はなんと国民の40%の方とのこと。また、沿道にお別れをしに集まった方々もものすごい数でしたね。日本でもご覧になられた方も多かったのではないでしょうか。

 

急なご逝去にもかかわらず、以前から準備をなさっていたとのことですので、すべての儀式などの執り行われ方は、とても粛々と執り行われているように感じ取れましたが、生前、女王も相当のご準備をされていたのでしょう。

 

国葬は、世界の要人やイギリス国内の皇室関係者や早々たる方々がいらっしゃいましたのたいへんな厳戒態勢のもとでピリッとした国葬になるのではと思ったのですが、ところどころにエリザベス女王の後を引き継ぐものや国民へのお心遣いやチャーミングなお人柄がわかるようなところもおありで、心温まるお葬式でもありましたね。

 

お棺のお花などはチャールズ国王が選んだもので「追憶」の花ことばを持つローズマリーや、女王の結婚式のブーケのお花を育てられたギンバイカのお花をお使いになったりと、他にも母に対する深い愛情を感じさせるものとして話題になったり、聖歌はこれまでの女王にゆかりのある聖歌が歌われていたり、ウインザー城では、女王の愛犬だった2頭のコーギー犬もひつぎの到着を待っていたりと、所々に女王のお人柄が垣間見えたりも致しました。

 

また、イギリス国教会の最高位の聖職者であるカンタベリー大主教による説教の中で、カンタベリー大主教は「21歳の誕生日に、生涯、公務に身をささげると宣言したのはよく知られている。これほどまでに約束が守られたことはほとんどない」と述べ、だれもが女王のその70年の重みを感じたのではないでしょうか。

 

私がとても印象的たっだのは、国葬の最後に演奏されたバグパイプでありました。これも女王がお考えになられていたようですが、バグパイプの奏者の方が教会の少し高いところで演奏をしておりまたが、途中から演奏をしながらゆっくりと袖へと退出。ウェストミンスター寺院の中に鳴り響いておりましたバグパイプの音が、徐々に徐々にゆっくりと消えていきました。

ここにちょっと感動してしまいまして、この消えゆくバグパイプの音に、女王が「そろそろ行きますね、それではごきげんよう」と最後のご挨拶をていらっしゃるようなお姿のように重なってまいりました。また、消えゆくバグパイプの音を聞きながら、ゆっくりと歴史の教科書をのページをめくっていくように、「時代が変わっていくのだな」との実感も致しました。

 

時代はきっとこのような流れので、これまでもこれからも移っていくのでしょうが、エリザベス女王の国葬はそれを生きている間にはっきりと実感できた一時だったような。また、私も移り行く時代の中のほんの一瞬生きているのだけなの人なのだなとも感じました。

 

それにしても私とここにいる古美術等。彼らも私よりももっと長くももっとたくさんの時代の移り変わりを眺めてきたことでしょうから、ここまでに至った経緯がちょっと気にはなります。

今となっては何も語らず静かにここに佇んでおりますが、彼らは私よりもこれからずっと先の時代をも眺めていくでしょうから、「これからもいろいろ見ていておくれよ。」と、今日はそんな彼らに託しておきたい気分でもありました。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is staff Y.

 

The other day, I was watching the State Funeral of Queen Elizabeth II on TV. Also, there was a tremendous number of people who gathered along the roadside to say goodbye. Many of you must have seen it in Japan as well.

 

Despite her sudden demise, preparations had already been made in advance, so I felt that all the ceremonies and other ceremonies were carried out in a very solemn manner. The Queen must have made considerable preparations.

 

The state funeral was attended by dignitaries from all over the world, members of the British imperial family, and other people, so I thought it would be a tangy state funeral under a very strict security system, but here and there, Queen Elizabeth II was present. It was also a heartwarming funeral, where you can see the things that will take over, the consideration for the people, and the charming personality.

 

The flowers for the coffin were chosen by King Charles, and he used rosemary, which has the flower language of “reminiscence,” and myrtle flowers, which were used for the Queen’s wedding bouquet. It has become a hot topic as it expresses the deep affection for her mother, and the hymns that are related to the Queen are sung. As I waited, I could catch a glimpse of the Queen’s personality here and there.

 

Also, in a sermon by the Archbishop of Canterbury, the highest clergyman in the Church of England, it is well known that on his 21st birthday he declared that he would devote himself to public service for the rest of his life. Few promises have been kept to such an extent.” Everyone must have felt the weight of the Queen’s 70 years.

 

What impressed me the most was the bagpipes played at the end of the state funeral. This seems to have been the Queen’s idea as well, but the bagpipe player was playing a little higher up in the church, and slowly stepped out into her sleeve while playing midway through. The sound of bagpipes reverberating in Westminster Abbey slowly faded away.

I was a little touched by this, and the sound of the disappearing bagpipes overlapped with the image of the Queen saying her last goodbye, “It’s time to go. Goodbye, then.” Also, while listening to the sound of the disappearing bagpipes, I realized that “the times are changing,” as if slowly turning the pages of a history textbook.

 

The times will surely change in this way, and it will continue to change, but Queen Elizabeth’s state funeral was a time when I was able to clearly realize that while I was alive. I also felt that I am a person who lives only for a moment in the changing times.

 

Even so, the antiques that are here with me. I’m a little curious as to how they got to where they are, since they’ve probably seen more and more changes over time than I have.

Now they are quietly standing here without saying anything, but since they will be looking at the future far ahead of me, I would say, “Please keep watching over me.” Today, I felt like entrusting myself to them.

 

Good evening.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。朝晩少し涼しい季節となってまりましたが、でくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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ついに行ってきました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2022.09.21

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

台風14号が温帯低気圧に変わり、とても秋らしい陽気。昨晩はエアコンを消して快適に眠ることができました。

ただ秋分の日から3連休は、日本の南海上で新たな熱帯低気圧が発生する予想で、大雨をもたらす恐れがあり注意が必要だそうです。

せっかくの3連休ですが、雨予想・・以前ブログでも書かせていただきましたが、雨の日は大掃除にもってこいの日なので、皆さまもリフレッシュ兼ねて大掃除をしてみてはいかがでしょうか。

そして大掃除などでで、古い物出てきましたら是非買取させていただきます!!

 

さて。ついに行ってきました。念願の「ボテロ・ふくよな魔法」。

 

 

生誕90年、巨匠ボテロの大規模展が東京で始まり、ついに名古屋でも7月16日から始まりました。とっても楽しみにしていたのですが、想像をはるかに超えるくらい面白かったです。

 

以前のブログをまだ読んでいただいてない方もいらっしゃると思いますので、簡単にご紹介させていただきます。

南米コロンビア出身の美術家、フェルナンド・ボテロ(1932年~)。1950年代後半から欧米で高く評価され、今日では現代を代表する美術家の一人に数えられています。

ボテロに注目が集まったのは1963年、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、レオナルドダヴィンチの「モナ・リザ」が展覧されたとき、モダンアートの殿堂、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のエントランスホールにボテロの「12歳のモナ・リザ」が展示されたことに始まるそうです。

 

ボテロの作品の特徴づけているのは、あらゆるかたちが膨らんでいるということ。ボテロのモチーフは、人物も動物もふくよかで、果物は熟れきっているかのように膨らみ、楽器や日用品さえも膨張しています。

観る人を惹きつけてやまない、ふくよかでユーモア、時に風刺を交えた独特な作風、そして作品自体の大きさにも圧倒されてしまいました。

そして、本展では2020年制作の「モナ・リザの横顔」が世界初公開され、その存在感と90歳を迎えた今もなお、美術家として探求し続ける気迫の伝わる1枚でした。

 

初期から近年までの油彩、水彩・素描作品など全70点すべて鑑賞し、ボテロ展のオリジナルグッズなどもいくつか購入して帰ってきました。スタッフMの自宅の冷蔵庫には今まで訪れた展示会で購入したマグネットたちが飾ってあるのですが、また1つ大切なものが増えました。

 

では。

 

Hello everyone. This is staff M.

Typhoon No. 14 turned into an extratropical cyclone, and it was very sunny like autumn. Last night I turned off the air conditioner and was able to sleep comfortably.

However, it is expected that a new tropical cyclone will occur over the sea south of Japan during the three consecutive holidays from the autumnal equinox, and it is likely to bring heavy rain, so caution is required. It’s been a long three-day weekend, but it’s expected to rain… As I wrote on my blog before, rainy days are the perfect days for general cleaning, so why not refresh yourself and do some general cleaning?And if you come across old items during cleaning, etc., we will definitely buy them! !

 

Now. I finally went. The long-awaited exhibition “Botero, Plump Magic”. On the 90th anniversary of his birth, a large-scale exhibition of master Botero began in Tokyo and finally started in Nagoya on July 16th. I was really looking forward to it, but it was so much more fun than I imagined.

 

For those of you who haven’t read my previous blogs yet, let me briefly introduce them.

Fernando Botero (1932-) is an artist from Colombia, South America. Since the late 1950s, he has been highly acclaimed in Europe and the United States, and today he is counted as one of the leading artists of our time. Botero first attracted attention in 1963 when Leonardo da Vinci’s “Mona Lisa” was exhibited at the Metropolitan Museum of Art in New York. The 12-year-old Mona Lisa is said to have been exhibited.

 

What characterizes Botero’s work is that all forms are inflated. In Botero’s motifs, both figures and animals are plump, fruits swell as if they are ripe, and even musical instruments and daily necessities swell. I was overwhelmed by the size of the work itself, as well as the unique style of the work, which is full of humor, sometimes mixed with satire, and which attracts the viewers.

 

In this exhibition, “Mona Lisa’s profile” produced in 2020 was unveiled for the first time in the world, and it was a piece that conveyed its presence and the spirit of continuing to explore as an artist even at the age of 90. We viewed all 70 works, including oil paintings, watercolors, and drawings from the early days to recent years, and purchased some original goods for the Botero exhibition. The refrigerator in Staff M’s home is decorated with magnets that I bought at the exhibitions I’ve visited so far, but there’s one more important item.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。朝晩少し涼しい季節となってまりましたが、でくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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#ボテロ#美術

空の日 沖縄の空(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2022.09.20

こんにちは、スタッフNでございます。

 

台風も過ぎ去り、気温もちょうどよく風が気持ちよくなりましたね。

 

穏やかで過ごしやすい秋、一番好きな季節かもしれません。

 

今日は、全身グレーに白靴下をはいたおしゃれな猫ちゃんに会うことができました。

 

野良猫たちは台風大丈夫でしたでしょうか、心配です。

 

先日知人から、飛行機から見た沖縄の空の写真を送っていただきました。

 

 

Nは生まれて一か月で飛行機に乗ったそうで、飛行機が大好きでございます。

長距離移動はさすがにきついですが、数時間のフライトなら毎日でも乗りたいくらいです。

この景色を見るためにお金を払ってもいいですね。

 

さて、今日は「空の日」でございます。

 

1940年(昭和15年)に「航空の日」として制定されました。

 

戦争中中断されていたが、1953年(昭和28年)に復活致しました。

 

運輸省(現:国土交通省)航空局が1992年(平成4年)に「空の日」と改称しました。

 

1911年(明治44年)のこの日、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功いたしました。

 

日本で初飛行に成功したのは、1910年(明治43年)12月19日に東京・代々木錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験でした。

 

しかし、12月では気候的に航空の行事に適さないため、帝都上空一周飛行が行われた9月20日を「航空の日」としました。

 

航空の安全と一層の成長を願い、広く国民に親しまれるようにアピールすることが目的になっております。

 

日本の航空は、1952年(昭和27年)の民間航空再開以来、半世紀の間に目覚ましい発展を遂げ、今や国民生活にとって不可欠の交通機関となるとともに、空港は地域発展の核となっております。

 

「空の日」が制定された1992年は、民間航空再開40周年に当たる年でした。

 

また、9月20日の「空の日」のほかに、9月20日~30日を「空の旬間」に制定しております。

 

シンボルキャラクターの「くにまるくん」は「空の日」改称時に同時に設定され、「く(9)に(2)まる(0)」と読む語呂合わせで命名されました。

 

「空の日」を含む「空の旬間」には、空港においてスカイフェスタなどの大規模イベントが行われるほか、各地の空港・レーダー事務所において、管制塔などの空港施設見学・航空教室などが開催されます。

飛行機、空、というとジブリ映画の「風立ちぬ」が思い浮かびますね。

 

内容をあまり覚えてはいないのですが、女性目線で見ると少し気になる部分がたくさんあったのを覚えております。

 

逆に知人の男性は「風立ちぬ」が大好きで、絶賛しておりました。

 

それぞれの立ち位置、憧れなどできっと感じ方が違うのでしょう。

 

茶道具、ブランド食器など「こんなものでも大丈夫かしら?」というものでも、一度ご相談くださいませ。

 

ではでは

 

 

 

Hello, this is staff N.

 

The typhoon has passed, and the temperature is just right, and the wind feels good.

 

Autumn is mild and pleasant, and it may be my favorite season.

 

Today, I was able to meet a stylish cat who wears white socks on the whole body gray.

 

I’m worried if the stray cats were okay in the typhoon.

 

The other day, an acquaintance sent me a picture of the sky of Okinawa seen from an airplane.

 

 

 

It seems that N got on an airplane a month after he was born, and he loves airplanes.

It’s hard to travel long distances, but if it’s a flight for a few hours, I’d like to take it every day.

I would pay to see this view.

 

Well, today is “sky day”.

 

In 1940 (Showa 15), it was enacted as “Aviation Day”.

 

It was suspended during the war, but was revived in 1953 (Showa 28).

 

In 1992, the Civil Aviation Bureau of the Ministry of Transport (currently the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism) changed its name to Sky Day.

 

On this day in 1911 (Meiji 44), the Yamada airship developed by Isaburo Yamada successfully completed a one-hour flight over Tokyo.

 

The first successful flight in Japan was on December 19, 1910 (Meiji 43), when Captain Tokugawa conducted a flight experiment at the Yoyogi Training Grounds in Tokyo.

 

However, the weather in December is not suitable for aviation events, so September 20th, when the flight around the Imperial capital was performed, was designated as Aviation Day.

 

The purpose is to appeal to the public so that they can be widely familiar with the safety and further growth of aviation.

 

Since the resumption of civil aviation in 1952, Japan’s aviation has achieved remarkable development in half a century, and now it has become an indispensable means of transportation for people’s lives, and airports have become the core of regional development. increase.

 

The year 1992, when “Sky Day” was enacted, was the 40th anniversary of the resumption of civil aviation.

 

In addition to “Sky Day” on September 20th, we have established “Sky Season” from September 20th to 30th.

 

The symbol character “Kunimaru-kun” was set at the same time as “Sora no Hi” was renamed, and was named with a pun to read “Ku (9) to (2) Maru (0)”.

 

In addition to large-scale events such as Sky Festa held at airports during the “Sky Season” including “Sky Day”, tours of airport facilities such as control towers and aviation classes are held at airports and radar offices throughout the country. It would be held.

When you think of airplanes and the sky, the Ghibli movie “The Wind Rises” comes to mind.

 

I don’t remember much about the content, but I do remember that there were a lot of things that bothered me when I saw it from a female perspective.

 

On the other hand, a male acquaintance loved “The Wind Rises” and praised it highly.

 

Each person’s standing position, yearning, etc. will surely make them feel differently.

 

Please feel free to contact us even if you are wondering if something like tea utensils or brand tableware is okay.

 

See you soon

 

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#川合玉堂 #犬 #掛軸 #古美術風光舎 #骨董

川合 玉堂の子犬掛軸が可愛すぎて仕事がはかどります(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2022.09.19

こんにちは、スタッフNでございます。

 

先日のスタッフのブログで紹介されていたbohemianvoodooを聞きながら、ブログを書いております。

 

学生時代に、八ヶ岳に野外映画とパラグライダーをしに行ったことがあるのですが、そんな素敵な音楽堂があることを今まで知らずにおりました。

 

いつか行ってみたいと思います。

 

さて、台風も近づいてまいりまして、こちらも風が強くなってまいりました。

 

先ほど、強風の中散歩している犬がおりまして、飼い主は大変そうでしたが、犬はいつもより強い風に大喜びでございました。

 

今朝出勤いたしましたら、とても可愛らしい子犬の掛軸がございました。

 

筆の柔らかい感じと丸々とした体がなんとも言えません。

 

この子のおかげで、仕事がはかどります。

 

 

 

今日はこちらの子犬の作者の川合 玉堂(かわい ぎょくどう)について調べてまいりました。

 

1873年〈明治6年〉11月24日 – 1957年〈昭和32年〉6月30日)明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家でございます。

 

本名は 川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)で、画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いました。

愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町外割田)にて、1873年(明治6年)11月24日、筆墨紙商の長男として生まれます。

 

なんと、知人の家の近くに、こんな素敵な作家が昔住んでいたとは、運命を感じます。

 

1881年(明治14年)、一家は岐阜市に移住致します。

絵には12歳頃から親しむようになったといいます。

 

1886年(明治19年)、京都の画家・青木泉橋が岐阜に来住すると、夫人も翠蘋と号する美人画家で、芳三郎少年は青木夫妻の知遇を得て大いに刺激を受けたそうです。

 

1887年(明治20年)・14歳を迎える年の9月、青木泉橋の紹介状を持って京都に上り、四条派・望月玉泉の門に入り、「玉舟」の号を得ます。

 

1890年(明治23年)11月になると円山派・幸野楳嶺の画塾「大成義会」に入り、同年、『春渓群猿図』『秋渓群鹿図』の連作を第3回内国勧業博覧会に出品して早くも入選を果たすと、これを機に「玉堂」に改号致しました

1896年(明治29年)・23歳の時に上京して(東京へ移住して)橋本雅邦に師事します。

 

岡倉覚三(天心)、雅邦、横山大観らの創立した日本美術院には1898年(明治31年)当初より参加。

 

1900年(明治33年)頃からは私塾「長流画塾」を主宰しております。

 

1907年(明治40年)には第1回文展(第1回文部省美術展覧会。cf 日展#開催歴 )の審査員に任命され、また、1915年(大正4年)からは東京美術学校日本画科教授、1917年(大正6年)6月11日には帝室技芸員に任じられ、日本画壇の中心的存在の一人となります。

 

1931年(昭和6年)にはフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました。

 

1933年(昭和8年)にはドイツ政府から赤十字第一等名誉章を授与されました。

 

1940年(昭和15年)には日本政府から文化勲章を授与されました。

第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)、かねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市御岳)に疎開し、住居を「偶庵(ぐあん)」、画室を「随軒(ずいけん)」と称しました。

 

戦後も同地の自然を愛する玉堂はそのまま定住し、同地にて1957年(昭和32年)6月30日、心臓喘息で死去いたしました。贈・正三位・勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。

 

神奈川県横浜市金沢区には1917年(大正6年)頃に建設した別邸「二松庵」があり、横浜市指定有形文化財として月1回の一般公開もなされていましたが、2013年(平成25年)10月16日に発生した火災で全焼してしまったそうです。

 

二松庵庭園は2016年(平成28年)11月4日付で横浜市の名勝に指定されました。

 

日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を美しい墨線と彩色で描くことを得意とし、玉堂のもとには、長野草風、池田輝方、池田蕉園、松本姿水、山内多門、高橋玉淵、今中素友、田中針水、石渡風古ら多くの門人がおりました。

 

玉堂は、1944年(昭和19年)から死去する1957年(昭和32年)までを東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市御岳)で過ごしました。

 

玉堂の死後、画家がこの地で愛した御岳渓谷に美術館を設置しようという声があがりました。

 

香淳皇后の支援のもと、諸団体、地元有志、ならびに全国の玉堂ファンから多大な寄付を受け、死後4年を経た1961年(昭和36年)5月に玉堂美術館が開館しました。

 

玉堂美術館いつか行ってみたいですね。

 

古美術風光舎では、川合 玉堂など 動物の掛軸も買取致しております。

 

ではでは

 

 

 

Hello, this is staff N.

 

A typhoon is approaching, and the wind is getting stronger.

 

A little while ago, there was a dog walking in a strong wind.

 

When I went to work this morning, I found a hanging scroll of a very cute puppy.

 

I can’t say anything about the soft feeling of the brush and the plump body.

 

Thanks to this child, work progresses.

 

Today, I have researched about Gyokudo Kawai, the creator of this puppy.

 

November 24, 1873 (Meiji 6) – June 30, 1957 (Showa 32)) A Japanese-style painter active in Japan during the Meiji, Taisho, and Showa periods.

 

His real name was Yoshisaburo Kawai, and his painting name was initially “Gyokushu,” but soon changed to “Gyokudo.” I used it as a separate number.

 

Born on November 24, 1873 (Meiji 6) in Sotowarita Village, Haguri District, Aichi Prefecture (currently Sotowarita, Kisogawa-cho, Ichinomiya City) as the eldest son of a calligrapher and paper merchant.

 

It feels like fate that such a wonderful writer used to live near my acquaintance’s house.

 

In 1881 (Meiji 14), his family moved to Gifu City.

It is said that he became familiar with painting from around the age of 12.

 

In 1886 (Meiji 19), when Izumihashi Aoki, a painter from Kyoto, came to Gifu, his wife was also a beautiful painter called Suiban, and it is said that young Yoshisaburo was greatly inspired by the courtesy of Mr. and Mrs. Aoki. is.

 

In September of 1887 (Meiji 20), the year he turned 14, he traveled to Kyoto with a letter of introduction from Izumibashi Aoki, entered the gate of Gyokusen Mochizuki of the Shijo school, and received the name ‘Gyokufune.’

 

In November 1890 (Meiji 23), he entered Taisei Gikai, a painting school of the Maruyama school Kono Bairei, and in the same year completed his third series of paintings, “Shunkei Zaru Zu” and “Shukei Guroku Zu”. After exhibiting at the Industrial Expo and being selected as a winner, we changed the name to “Gyokudo” on this occasion.

 

In 1896, at the age of 23, he moved to Tokyo and studied under Gaho Hashimoto.

 

From 1898 (Meiji 31), he participated in the Japan Art Institute founded by Kakuzo Okakura (Tenshin), Gaho, and Taikan Yokoyama.

 

Since around 1900 (Meiji 33), he has been presiding over the private school “Osaryu Painting School”.

 

In 1907 (Meiji 40), he was appointed as a judge of the 1st Bunten (the 1st Ministry of Education art exhibition. cf Nitten #Holding history), and from 1915 (Taisho 4) he was appointed as a judge of Tokyo art. He was appointed as a professor at the school’s Japanese painting department, and on June 11, 1917, was appointed as an Imperial Household Artist, becoming one of the central figures in the Japanese painting world.

 

In 1931, he was awarded the Legion of Honour by the French government.

 

In 1933 (Showa 8), the German government awarded him the Red Cross First Class Medal of Honor.

 

In 1940 (Showa 15) he was awarded the Order of Culture by the Japanese government.

 

 

In 1944 (Showa 19) during World War II, he evacuated to Mitake, Mitamura, Nishitama-gun, Tokyo (currently Mitake, Ome City), where he had frequently visited for sketching, and moved to Guan. , the studio was called ‘Zuiken’.

 

Even after the war, Gyokudo, who loved the nature of the area, settled there and died of heart asthma on June 30, 1957 (Showa 32). He received the Grand Cordon of the Rising Sun, the Order of the Rising Sun, the First Third Rank, and the Order of the Rising Sun (conferred at the time of his death).

 

In Kanazawa Ward, Yokohama City, Kanagawa Prefecture, there is a villa “Nishoan” that was built around 1917 (Taisho 6), and it was opened to the public once a month as a Yokohama City Designated Tangible Cultural Property, but in 2013 ( Heisei 25) It seems that it was completely destroyed by the fire that occurred on October 16th.

 

Nishoan Garden was designated as a scenic spot of Yokohama City on November 4, 2016.

 

He specializes in depicting the mountains and rivers of Japan in four seasons and the figures of humans and animals that live there with beautiful ink lines and colors. , Tamabuchi Takahashi, Sotomo Imanaka, Harimizu Tanaka, and Fuko Ishiwatari.

 

From 1944 until his death in 1957, Gyokudo lived in Mitake, Mitamura, Nishitama-gun, Tokyo (now Mitake, Ome City).

 

After the death of his Gyokudo, there were calls to establish an art museum in the Mitake Valley, which the artist loved in this area.

 

With the support of Empress Kojun, the Gyokudo Museum opened in May 1961, four years after his death, with a large amount of donations from various groups, local volunteers, and Gyokudo fans nationwide. .

 

I would love to visit the Gyokudo Museum someday.

 

At Antique Fukousha, we also purchase hanging scrolls of animals such as Gyokudo Kawai.

 

See you soon

 

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#川合玉堂 #犬 #掛軸 #古美術風光舎 #骨董

「赤壁賦」をお勉強しました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2022.09.18

こんにちは、スタッフYでございます。

 

本日の名古屋は雨。こんな日は、お店の中の片付けやお掃除をいつもより丁寧にしているのですが、ふと手に取った茶器の柄がきになりまして、ちょっとお勉強してみました。

 

 

 

 

こちらの茶器は江戸後期の瀬戸の陶工 「半助」の作品であります。ふっくらとした形に細かく優しい文字に何故か惹かれますね。

描かれた文字は中国の漢詩「赤壁賦」。

 

「赤壁賦」は蘇東坡の代表作の詩でして、中国、北宋(ほくそう)の政治家、文学者。この詩は、宋の元豊五年(1082年)旧暦七月十六日夜の時の事が詩の中で詠まれた詩のようです。

そもそも三国志で有名な赤壁の戦いは西暦208年の出来事であり、それから約800年後に、蘇軾が訪れた古戦場とされる場所の景色と、それを前にしての蘇軾の心情が綴られている大変情緒溢れる詩なのですが、如何せん教養が薄いもので、ここでお勉強させていただきますので、少々お付き合いのほどを。

 

「赤壁賦」は2つの詩によって構成されているようでして、最初は7月に書かれた「前赤壁の賦」、そしてもうひとつは、それから3ヶ月後の10月に書かれた「後赤壁の賦」のようですが、実は蘇軾が遊んだ赤壁は、偽の赤壁であるようです。

 

なぜならば、蘇軾が訪問したのは湖北省黄岡市黄州区西北の長江北岸の赤鼻磯であり「東坡赤壁(別名、文赤壁)」と呼ばれてるようです。この地は実際の戦場ではなかったのですが、晩唐の詩人杜牧が詩に詠んだことから赤壁の古戦場と見なされるようになり、蘇軾の作品によって、実際の古戦場以上に有名になってしまった場所のようで、本来の赤壁の戦いの古戦場は、湖北省蒲圻市(現:赤壁市)西南の長江南岸に位置する赤壁山のようですが、赤壁の戦に思いを馳せうたったこの詩のすばらしさによって、それはどうでもよくなっております。

 

 

 

 

でですね、この茶器に描かれた「赤壁賦」はといいますと、スタッフY調べによりますと、どうやら「後赤壁の賦」のようでありました。

詩の冒頭は、「是歳十月之望…」と、続いております。

 

全文を解釈付きで読みましたが、内容を端的に読みますと、(全く情緒がなく、すみません)元豊五年の旧暦十月十五日の夜、蘇軾は再び赤壁を訪ね、この時は、二人の客人と雪堂から臨皋亭に帰る途中、風雅な話をしているうちに、酒と肴を調達して、赤壁まで月見に出かけた様子をえがいております。前作と異なるところは、この作品には道士が夢に出てくるなど、道教的な雰囲気が色濃く漂っていることのようですが、漢文がすらすらと読めたのなら、もっとこの詩の風景を想像しながら味わうことができたのでしょうが、注釈付きで読むのが精いっぱいでありました。

 

漢文を読むにはしばらくお勉強は必要ですので、せめてこの茶器にお茶を注ぎ、つたない知識に苦戦しながら「赤壁賦」を読み解き、その風景に思いを馳せ、一服することを当座の目標にすることと致します笑。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello, this is Staff Y.

 

It is raining in Nagoya today. On days like this, I clean up and tidy up the store more carefully than usual, but I was curious about the pattern of a tea utensil I picked up, so I studied it a little.

 

This tea bowl is a work of “Hansuke,” a Seto potter of the late Edo period. I was attracted by its plump shape and fine, gentle characters.

The characters are from a Chinese poem “Akakabe-obi”.

 

The poem is a masterpiece of Su Dongpo, a politician and literary scholar of the Northern Song Dynasty in China. This poem seems to be a poem about the time of the night of the 16th day of the seventh lunar month in the fifth year of Yuanfeng (1082) in the Song Dynasty.

The famous Battle of Red Cliffs in the Romance of the Three Kingdoms took place in 208 AD, and this is a very emotional poem that describes the scenery of the supposedly ancient battlefield that Su Shi visited about 800 years later, as well as his feelings in front of it. Please bear with me.

 

The first poem, “A Fable on Red Cliff,” was written in July, and the second poem, “A Fable on Red Cliff,” was written three months later in October.

 

Because it seems that Su Shi visited Red-Nose Beach on the north bank of the Yangtze River in the northwest of Huangzhou District, Huanggang City, Hubei Province, which is called “Dongpo Red Cliff (also known as Wen Red Cliff)”. This place was not the actual battlefield, but it came to be regarded as the ancient battlefield of Red Cliff after the late Tang Dynasty poet Du Mu wrote a poem about it, and it seems to have become more famous than the actual battlefield due to Su Shi’s work. The original battlefield of the battle of Red Cliff is located on the south bank of the Yangtze River in the southwestern part of Gamakko City (now Red Cliff City), Hubei Province.

 

According to our staff Y’s research, the poem depicted on the tea utensil seems to be “The Poem of Akakabe”.

The poem begins with the words, “The year is October, and the month is October….

 

(Sorry for the lack of sentimentality.) On the night of the 15th day of the 10th lunar month in the 5th year of the Yuan Feng lunar calendar, Su Shi once again visited Red Cliff, this time with two guests on their way back to Linsun Pavilion from Xuedang. The story depicts a moon-viewing trip to Akakabe with two guests on their way back to Rinsho Pavilion from Xuedang. If I had been able to read the Chinese text easily, I would have been able to imagine and appreciate the scenery of this poem more, but I could only read it with annotations.

 

I will need to study for a while before I can read Chinese texts, so I would like to make it my goal for the time being to pour a cup of tea in this teacup, read “Akakabe-obi” while struggling with my limited knowledge, think about the scenery, and sip a cup of tea, lol.

 

Have a good day.

 

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二年越しの「やりたいことリスト」(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎名古屋店)

2022.09.17

みなさま、こんにちはスタッフでございます。

 

台風14号の日本縦断の予報が先日から流れておりますが、9月は本当に台風が多く天気予報とにらめっこしながらの行動に幾分疲れてまいりましたが、皆さまの地域はいかがでしょうか。私も毎度のことながら、空振りで終わってくれることを願って家の周りのチェックをしておりますが、こればかりはわかりませんので、なんとかならないかと願うばかりでございます。

 

さて先日ですが、そんな台風の心配の合間をぬって八ヶ岳へ行って参りました。

これまた個人的なお話でございますが、結論から申し上げますと、願いごとが叶ったんですよ泣。

 

この願いごと、思い返せば2年越してありました。この状況下で行動制限の一番厳しかった頃だったと思うのですが様々な規制の中、なにやら思いついたのが、「やりたいことリスト」。

 

制限が解除されたらやってみたいこと行ってみたいことをただつらつらとブログに綴ったりしておりました。人間て、思うようにならなくなると別の感覚が研ぎ澄まされるのでしょうか、その頃は妄想力や想像力がやたらと冴えていたような気がいたします。

 

そんな2年ほど前の「やりたいことリスト」の中の一つが、ジャズアーティストbohemianvoodooのLIVEでありました。いつか行きたいと日々チェックはしておりましたが、半ばあきらめて忘れかけていたというかすっかり忘れていたという方が正解か、そのボヘ(皆さん“ボヘ”と呼ぶようです)の木村イオリ(Pf)と森田晃平(Ba)によるデュオが、八ヶ岳高原音楽堂に来るという情報を何故か得ました。いつか訪れてみたかった八ヶ岳高原音楽堂でのLIVEとのことで、「行く」と早速チケットを入手。

 

 

 

 

幸い先日は台風の合間でしてお天気は安定しておりまして、名古屋から4時間車を走らせました。

会場になっております八ヶ岳高原音楽堂は、八ヶ岳の森の中にある木製のホールでして、ステージのバックはガラス窓越しに八ヶ岳の穏やかな緑と空とそして風であります。

 

こちらの音楽堂は、音響が大変素晴らしいと、そしてなによりもこの八ヶ岳の風景と共に音楽を聴けるという贅沢な環境ということで、世界的に有名な音楽家も多々訪れているようです。いつか訪れてみたいホールであったのですが、こんな形でこちらも願いが叶うとは。このような素敵なホールで音楽を聴くことも初めてですので、期待も高まります。

 

 

 

 

今回は、ピアノとコントラバスの2つの楽器のみのLIVEでありまたが、二人の研ぎ澄まされたセッションが始まると、八ヶ岳の風景と共に空間は一気にピアノとコントラバスの対話に包まれ、感動ですよ。

このような贅沢な音と風景の融合の空間にいるこの感触を記憶にしっかりとどめようようと、今思い返すと何やら集中していたような気がいたしまして、もっとリラックスして楽しめばよかったなと、ちょっと思ったりも致しましたが、まあよい。

 

森田氏も「このようなところで音楽を聴ける皆さんは、音楽への意識高いです笑。」と、冗談交じりでいっておりましたが、はるばる高原まで遠出をして聴きにきた私も意識高いのか笑。そんなふうに会話を交えながらLIVEは、あっという間でありました。

 

 

 

 

初めて訪れた八ヶ岳高原音楽堂でのLIVE、客席からの風景は空と木々そして揺れる風を背景に、ピアノとコントラバスの二人の姿とその音がとても美しい絵画のように見え、2年越しの願いということも相まって、本当に来てよかったと心から思えました。そして私には忘れられない風景となりました。

 

ここ数年の時間の流れ方に、皆さまも様々な思いもおありだったでしょうが、随分忘れたころに「あれっ?そういえば…」という形で叶っていることもあるようですので、一旦忘れて待つのもありなのでしょうか。まだかなと思われる願いごとをお待ちの皆様も、一旦忘れて今しばらくお待ちください。時が連れてきてくれることもあるようです。

 

 

それでは、本日もごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff.

 

The forecast of Typhoon No. 14 crossing Japan has been circulating since the other day, and there are so many typhoons in September that we have to keep a close eye on the weather forecast. How is it in your area? I am also checking around my house hoping that the typhoon will end in nothing, but you never know, so please be careful.

 

The other day, I took a break from worrying about the typhoon to go to Yatsugatake.

This is a personal story, but as it turns out, my wish came true.

This wish had been granted over the past two years. I think it was the time when the restrictions on my activities were the most severe under the circumstances, but among the various restrictions, I came up with the idea of a “wish list.

 

I just kept listing things I wanted to do and places I wanted to visit once the restrictions were lifted, but I think people sharpen their other senses when things don’t go the way they want.

 

One of the things on my “to-do list” about two years ago was a live performance by jazz artist “bohemianvoodoo. I had been checking the website daily hoping to go someday, but I had almost given up and forgotten about it, or perhaps it would be more correct to say that I had completely forgotten about it. Somehow I got information that the duo of Iori Kimura (Pf) and Kohei Morita (Ba) of Bohe (as everyone seems to call them) would be coming to Yatsugatake Kogen Ongakudo. I had always wanted to visit Yatsugatake Kogen Ongakudo, so I said, “I’ll be there,” and got a ticket right away.

 

Fortunately, the weather was stable between typhoons, and I drove 4 hours from Nagoya.

The venue, Yatsugatake Kogen Ongakudo, is a wooden hall in the Yatsugatake forest. The stage is backed by the calm green of the Yatsugatake Mountains, the sky, and the wind through the glass windows. The hall’s acoustics are excellent, and above all, it is a luxurious place to listen to music with the scenery of the Yatsugatake Mountains, and many world-famous musicians have visited. I had hoped to visit this hall someday, but I never thought that my wish would come true in this way. It was my first time to listen to music in such a beautiful hall, so my expectations were high.

 

This time, only two instruments, piano and contrabass, were playing live, and when their well-honed session started, the space was at once enveloped in a dialogue between the piano and the contrabass, along with the scenery of Yatsugatake, which was very moving.

Looking back on it now, I feel that I was concentrating too much on trying to remember the feeling of being in such a luxurious space where sound and scenery were fused together, and I wish I had relaxed a bit more to enjoy it, but that’s OK.

 

Mr. Morita jokingly said, “People who can listen to music in a place like this are very conscious about music. I guess I am too, since I traveled all the way to the highlands to listen to the music,” he jokingly said. The live performance went by in a flash as we talked like that.

 

The view from the audience looked like a beautiful painting with the sky, trees, and swaying wind in the background, and the sounds of the piano and double bass players.

 

I am sure you must have had various feelings about the way time has passed over the past few years, but I am sure that when you have long forgotten about it, you will say to yourself, “Oh, what a surprise! I wonder if it is possible to wait and forget about it for a while. For those of you who are still waiting for your wishes to come true, please forget about them and wait for a while. It seems that time will bring them to you.

 

So, have a good day.

 

 

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桔梗色とは(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎名古屋店)

2022.09.16

 

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

このところ少しばかり朝晩がようやっと涼しくなりましたね。昨夜はやっとクーラーをつけないで寝ることができました。たいへん体が楽でしたので暑さや暑さによるクーラーが体にはしんどいのだなと、今朝しみじみと感じておりした。

ようやっと秋に向かっていると言葉に発してよい時期になったと思ったわけですが、店舗に桔梗が登場致しましたので、鑑賞してみましょうか。

 

桔梗色にしばしみとれておりましたが、「桔梗色」とは、濃い青紫色のこと。「青みがかった紫色」「紫がかった青色」「うすい藍色」などともいえましょうか。どことなく、懐かしい青色ですが、くすみも淀みもない青にはっともさせられます。

 

由来は、秋の七草の一つで7月~9月に開花する、桔梗(ききょう)の花の色でして、それもそのはず平安時代から続く伝統色。秋に着る服の色として親しまれていたようですのですね。

 

涼しくなった今日この頃、どことなく懐かしい青紫色が秋へほっと一息ついた今朝でありました。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

The mornings and evenings have finally cooled down a bit recently. Last night I was finally able to sleep without turning on the air conditioner. This morning I am deeply feeling that the heat and the air conditioner are hard on my body.

I thought it was finally time to say that we are moving toward autumn, and now that Kikyo (Chinese bellflowers) have appeared in the store, let’s admire them.

 

I was admiring the color of Kikyo (Chinese bellflower), which is a deep bluish purple. It could also be called “bluish purple,” “purplish blue,” or “light indigo. It is a nostalgic blue color, but it is a blue that is neither dull nor stagnant.

The origin of this color is the color of the bellflower, one of the seven autumn flowers that bloom from July to September. It has been a traditional color since the Heian period (794-1185), and was popular as the color of clothing worn in the fall.

 

As the weather turns cooler this morning, the nostalgic blue-purple color is a reminder of the coming of autumn.

 

 

 

 

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「没後50年 伊東深水」所蔵品展へ行って参りました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2022.09.15

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

このところ日本画(ことに江戸末期、明治、大正、昭和初期の作品)が私の中でちょっとしたブームでして、気が付くと日本画の作家の作品をよく巡っているのに気が付きました。

 

少し前に訪れた「鏑木清方展」の影響でしょうか。ひとたびこの目で鑑賞できたことをきっかけにすっかりその世界が気になっております。何がどこが魅力的なのか?ここで素人の私の話などとても野暮ですので語りはしませんが、あの繊細さでありながらも構図や色使いはどことなく大胆であり、どの作品も時間をかけてのぞき込んで鑑賞してしまうほど。大胆さと繊細さとそれを引き立てる色使いの共演がいつまでも観ていられるのです。

 

そんな流れで今回訪れてみたかった

「没後50年 伊東深水」回顧展。

伊藤深水は鏑木清方のお弟子さんでありますから、これは絶対行かねばと意気込んでおりました。

今回訪れらのは名古屋市のご近所長久手市にございます名都美術館。開期もひと月足らずですので、慌てての訪問であります。

 

 

  「初雪」昭和20年(1945)頃

 

 

今回は幻の名品「湯の香」の初公開ということでして、楽しみです。

 

「湯の香」は、昭和2年(1927)に開催された郷土会第12回展出品作でして、5人の女性が湯浴みする様を大画面に配した意欲作であります。実際の大きさは屏風3~4枚くらいだったような気がいたしますので思っていたよりも大作でありました。描かれている女性たちの動きやお着物それぞれが様々。30歳を目前とする深水の特徴が顕著に表れた代表作のようで、長らく所在不明でしたが近頃発見されこちらの美術館に収まったようでして、そんな作品の経緯も個人的に気になります。

 

大作であるのですが、繊細な自然描写を背景とし湯けむり越しに表現された色香漂う女性たちが、優品「湯気」を彷彿させる柔らかな描写でして、しばらくのぞき込んだりしての鑑賞でありましたが、その描く線や湯気の表現などはとにかく繊細。

 

また、彼の作品は色使いや構図にも大変引き付けられます。「初雪」や「鏡獅子」「虫の音」など、その大胆な構図をさらに引き立てる色使いや配色そしてお着物の柄や布の流れなどはすっきりと描かれているのですが、よくみると気の遠くなるようなお着物の柄は細かな気の遠くなるような柄でいてたいへん繊細であります。こと色使いはなんとも言えない色をえらんでいるところが私的には天才だなと思っておりますが。(あくまでも個人的感想であります。)

 

そんな彼の天才の片鱗を垣間見る作品「恵比寿大黒」も初出展されており、こちらは幼少の頃(13歳と記しておりました)の作品とのことでしたが、もはや普通の子供が描く画ではありませんでした。そんなところからも彼の天才っぷりがうかがえしれますよ。

 

郊外の小さいけれど素敵な美術館でありましたが、《湯気》《麗日》など各時代を彩る優品、大下絵や素描なども展示し、深水の多彩な魅力が満載でありました。お時間があまりございませんので(9月25日まです)、ご興味のある方はお急ぎくださいませ。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Recently, Japanese-style paintings (especially those from the late Edo, Meiji, Taisho, and early Showa periods) have been in a bit of a boom in my mind, and I have noticed that I often visit works by Japanese-style painters.

 

Perhaps it was the influence of the “Kiyokata Kaburaki Exhibition” that I visited a while ago. Once I was able to see his work with my own eyes, I became completely fascinated with his world. What is so fascinating about it? I will not talk about it here, as it is too much for an amateur, but I will say that the composition and use of color are somehow bold despite the delicacy of the work, and the boldness and delicacy of the work, together with the use of color to complement them, are so compelling that one can spend hours looking at each piece.

 

This is why I wanted to visit the “50th Anniversary of Ito Shinsui’s Death” retrospective exhibition.

Ito was a disciple of Kaburaki Kiyokata, so I was determined to visit the exhibition.

This time we visited the Meito Art Museum in Nagakute, a neighborhood of Nagoya City. The opening of the museum is in less than a month, so we were in a hurry to visit.

 

I was looking forward to seeing the first public viewing of the mysterious masterpiece “Yunokoh”.

 

This ambitious work was exhibited at the 12th exhibition of the Goudokai in 1927, and depicts five women bathing in a large painting. The actual size of the painting was about three to four folding screens, so it was a larger work than I had expected. It seems to be a representative work that clearly shows the characteristics of Shinsui, who was about to turn 30 years old, and its whereabouts were unknown for a long time, but it was recently discovered and housed in a museum here.

 

It is a large work, but the women with a hint of color and fragrance expressed against the background of delicate depictions of nature and through the steam are softly depicted, reminiscent of the excellent “hot water”.

 

The lines and the steam in his paintings are very delicate. The coloring and composition of his works are also very appealing. The use of colors and color schemes that enhance the bold compositions of “Hatsuyuki (First Snowfall),” “Kagami-jishi (Mirror Lion),” “Insect Sound,” and others, as well as the patterns of kimono and the flow of cloth, are clearly drawn, but if you look closely, you can see the fanciful patterns of kimono, which are very detailed and delicate. The use of colors, in particular, is genius in the choice of indescribable colors. (This is just my personal opinion.)

 

This work was created when he was a child (he wrote that he was 13 years old), but it was no longer the kind of picture that an ordinary child would draw. It is no longer the work of an ordinary child, but rather a work of genius.

 

The museum, which is small but beautiful in the suburbs, was full of Fukasui’s various charms, exhibiting excellent works from various periods, such as “Yumei” and “Rihi,” as well as large sketches and sketches.

We do not have much time left, so please hurry if you are interested in seeing the exhibition.

 

Good bye, and have a nice day.

 

 

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#長久手市#名都美術館#骨董#買取#古書買取#伊東深水

福禄寿(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎名古屋店)

2022.09.14

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

昨日までは2つ台風が発生していましたが、今朝天気予報を見ると、なんと3つ目の台風が発生していました。9月は台風が発生しやすい印象でしたが、さすがにトリプル台風とは…。

せっかくの三連休は大荒れの予想となっていますが、今日の名古屋は猛暑です。

皆さま、こまめな水分補給、塩分補給で暑さも台風も乗り切っていきましょう!

 

さて、本日は新しく店頭に並んだ酒器について書かせていただきます。

 

こちらは、【福禄寿 竹形酒器 宗照作】

華やかで落ち着きがあり、小さいですが、重厚感のある作品です。

中には、「福禄寿」とあります。

 

福禄寿とは、七福神の一人であり、長寿の神様です。

仙人がモチーフになっており、長い頭と長い顎鬚、大きな耳たぶが特徴です。左手には宝珠、右手には巻物をくくりつけた枝を持つ姿をしているのが、特徴的で、招徳人望の神様として信仰されています。

 

中国発祥の神様であり、南極老人星の化身として中国の村や街に住んでいたと言い伝えられています。

そこから日本に伝わり七福神として非常に有名な神様になりました。

福禄寿には、名前を形成している感じそれぞれに意味があり、「福」は幸福、「禄」は財宝、「寿」は長寿を表しています。

 

縁起の良いこちらの酒器で日本酒など、良いですよね。もちろん飾っておくだけでも良い運気がやってきそうです。

 

まだまだ最近店頭に新しく追加されたものが多いので少しずつご紹介させていただきます。

 

では。

 

Hello everyone. This is staff M.

There were two typhoons until yesterday, but when I looked at the weather forecast this morning, there was a third typhoon. I had the impression that typhoons are more likely to occur in September, but what is a triple typhoon? Although it is expected to be stormy during the long three-day weekend, it is extremely hot in Nagoya today.

Ladies and gentlemen, let’s survive the heat and typhoon with frequent hydration and salt replenishment!

 

Well, today I would like to write about the sake cups that are newly lined up in the store. This is [Fukurokuju bamboo sake set by Sosho] It is gorgeous and calm, and although it is small, it is a work with a profound feeling. It says “Fukurokuju” inside.

 

Fukurokuju is one of the Seven Lucky Gods and is the god of longevity. Hermit is the motif, and features a long head, long beard, and large earlobes. It has a characteristic appearance of holding a branch with a jewel in its left hand and a scroll tied in its right hand, and is worshiped as a deity of virtue and popularity. A god originating in China, it is said to have lived in villages and towns in China as an incarnation of the Antarctic Old Star. From there, it was transmitted to Japan and became a very famous god as one of the Seven Lucky Gods. Fukurokuju has a meaning for each feeling that forms the name, “Fuku” means happiness, “Roku” means treasure, and “Kotobuki” means longevity.

 

This auspicious sake cup is good for drinking sake, isn’t it? Of course, it seems that good luck will come just by decorating it. There are still many new items added to the store recently, so I will introduce them little by little.

 

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#酒器#福禄寿

 

 

 

山本梅荘 水仙 掛軸について(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎名古屋店)

2022.09.13

みなさまこんにちは、スタッフNでございます。

 

エリザベス女王の死去により、悲しみに暮れるイギリス国民のニュースが連日放送されておりますね。

 

あんなに愛されたエリザベス女王を、うらやましく思います。

 

最近、考えさせられることがあり、たとえ楽でも自分らしさを見失うことはいけないなと感じました。

 

人生において自分がするべきこと、人生のテーマを思い出しました。

 

自分の大切なものを奪われていないか、奪っていないか、よく考えてみたいと思います。

 

 

さて、商品紹介ページに掛軸、山本梅荘作「水仙」追加致しました。

 

山本梅荘は、1846-1921 明治-大正時代の日本画家でございます。

 

 

弘化(こうか)3年8月13日生まれ、貫名(ぬきな)海屋,三谷雪崦(せつえん)に文人画をまなび,郷里愛知県半田にもどって中国の古画を手本に修業をつみます。

山水画にすぐれ,吉嗣(よしつぐ)拝山,児玉果亭とともに地方の三大家といわれました。

大正10年2月24日死去。76歳でございました。

 

名は(“馬へん”に「冏」)。字(あざな)は子埜。通称は倉蔵。作品に「夏景山水」などがございます。

 

ここで掛軸について調べてみました。

 

掛軸(かけじく)とは、書や東洋画を裂(きれ)や紙で表装したものでございます。

 

日本では床の間などに掛けて鑑賞し、「床掛け」と言われることもございます。

 

後述のように、掛け軸と同様な方法で保管・鑑賞される書画は中国美術に古来存在致します。

 

仏教を広めるための道具として日本に流入した後、日本の文化と融合し、室内装飾で重要な役割を果たしております。

「床掛け」に近い掛軸としては、茶道の茶室内で用いる禅語などを書いた、やや細い「茶掛け」がございます。

 

それ以外では、仏壇の中で使う「仏掛け」があり、本尊や脇侍の絵像が描かれていたり、名号・法名軸に仕立てられたりしております。

 

現代においても、昔の掛け軸が文化財として保護・展示されていたり、骨董として収集・売買されたり、肉筆や印刷で新たに制作されたりしています。

掛軸の始めりは、中国の北宋時代に掛物として掛軸が用いられておりました。
「掛けて拝する」事に用いられ、礼拝用の意味合いが強くあったと思われます。
桐箱に入れると持ち運びに容易である事と、比較的複数生産が可能であったため、掛軸は仏教の仏画用にまず普及を始めました。

 

日本では、すでに飛鳥時代に掛軸が仏画として入ってきていますが、鎌倉時代後期に禅宗の影響による水墨画の流行から掛軸も流行していきました。
この流行により、掛軸は「掛けて拝する」仏教仏画の世界から、花鳥風月の水墨画など独立した芸術品をさらによく見せる補完品として発達していきました。
室町時代以降、「茶の湯」の席で座敷の「床の間」にも水墨画の掛軸が多く見られるようになりました。
千利休が掛軸の重要性を言葉にするようになると、茶を愛する人達により掛軸が爆発的に流行するようになりました。
来客者、季節、昼夜の時間を考慮して掛軸を取り替える習慣が生まれました。
来賓時、その場面の格式などを掛軸で表現することが重要視される考え方が生まれたそうです。
真の(さらに真、行、草)、行の(さらに真、行、草)、草の(さらに行、草)などがございます。
江戸時代に明朝式表具が日本へ入り、文人画には文人表装などで掛軸が華やいでいきました。
それと同時に、表具の技術技巧が著しく発展を遂げました。
また、大和錦・絵錦唐織など複雑な文様の織物が好まれ、西陣など織物産地で次々生まれていきました。
18世紀には、江戸を中心とする狩野派とは別軸で京都画壇が栄えました。
日本画も楽しむという価値観を持った人達に支持され、掛軸もそれにつれ、芸術価値を高めていきました。
肉筆浮世絵で花開きました。
明治・大正期は日本画の隆盛により、掛軸もさらに大きく飛躍していきました。
昭和に入ると、官公庁主催であった「文展」(現:日展)と「日本美術院」などの台頭により日本画の隆盛期を迎えました。
現在は非常に質の高い作品を身近に楽しめるだけの環境が整っており、日本が誇れる伝統と文化のひとつを担っています。
一般家庭における床の間は、家族の心の拠り所であり、ご来訪のお客様をもてなす大事な場所だとされており、家主の思いを来客に伝え、先人の想いを子孫に伝え、また、日本人の長い歴史に培われた「美」を表現する大切なお道具となりました。

仏画、肉筆浮世絵、山水画、花鳥画、墨蹟、古筆、色紙、短冊、画賛、手紙である「消息」、巻物を切り取った一部である「断簡」などが表装され、掛軸となります。

 

連作となる複数の書画を同じ表装で仕立てたものを「対幅」(ついふく)と呼びます。

 

対幅には柿栗図や竜虎図といった双幅、観音・猿・鶴などを描いた三幅対、四季を描いた四幅対、12ヶ月を描いた十二幅対などがございます。

 

「床掛け」以外の掛軸には、仏壇の中に掛ける掛軸がございます。

本尊や脇侍の絵像、名号・法名軸があります。

 

庶民向けに簡素、安価に製造・販売される掛軸もあり、北関東ではかつて、生まれた子供の初正月に掛け軸絵を贈る風習がありました。

 

初節句の祝い品とした地域もあり、絵柄は七福神などのほか、男児向けには武者や軍人、女児には美人画が好まれたといいます。

 

主な産地は栃木県佐野地方で「佐野掛地」と呼ばれました。


掛軸の様式は茶道と共に確立しました。

 

座って見上げるときに美しく見えるように寸法が定められており、床の間の大きさや畳の大きさを考慮して作られています。

 

一般に関東では「上一文字」の丈が「下一文字」の丈の2倍、「天」の丈が「地」の丈の2倍といったように、上部と下部の比率が2対1になっているが、関東よりも畳の大きな関西では、2対1よりも上部を若干短めに作られます。

 

表装の材質として紙あるいは、金襴、銀欄、緞子(どんす)、紗(しゃ)といった裂(きれ)が用いられます。

 

「一文字」と「風帯」は共裂(ともぎれ)が用いられ、「中廻し」(ちゅうまわし)には別の素材が用いられ変化をつけています。

 

通常、「一文字」に最上の素材が用いられます。

 

これらの裂の取り合わせが画面を一層引き立てます。

 

大和表具
図で示した様式。上(天)・中廻し・下(地)の三段に分かれ、上には風帯という帯状のものを一対下げます。最も一般的な様式で。ございます
文人表具、袋表具
大和表具の上下(天地)と風帯を略し、中廻しの上側と下側を伸ばした様式でございます。
茶掛表具、利休表具
中廻しの幅を狭めた様式で、茶席などに用いる表具の様式です。
本尊表具、仏表具、神聖表具
上下の裂で中廻しの左右の外側をも囲むようにした様式は、神仏に関するものについてのみ用います。

軸の材料には象牙、紫檀、カリン、堆朱(ついしゅ)、水晶などが用いられるが、画題により、南画には木製の軸端、仏画には金属、水晶の軸端などが選ばれます。

 

また、書画を表装して掛軸に仕立てることを軸装といいます。

 

 

掛軸は自分自身の環境を表しています。

 

自分自身は掛軸の本紙部分、本紙には目に映る四季の移ろいゆく風景や花々、訪れた人や家族への思い、自分への戒めなどが描かれています。

  • 本紙の上には天、そして半月で月を表し、風帯が風を表す。
  • 木々に降り注いだ雨が風になびき露となる。
  • その露が集まり川となり、土壌や木々を育む。
  • 本紙より下には地があり、軸木、軸先(天然木及び陶器)で土壌や木々を表現する。

掛軸を掛ける際には、先端がY字状あるいはU字状になっている矢筈あるいは掛物棹と呼ばれる道具を用います。

 

フックや釘などが高い位置にある場合には、高さを調節可能な自在掛を介して掛けます。

掛ける手順
  1. 巻緒(掛軸の外側に巻かれた紐)を解いて掛緒(掛軸の上部に有る紐)の右側に寄せる。
  2. 掛軸を左手に持ち、右手で矢筈を持つ。矢筈の金具を掛緒に掛ける。
  3. 掛緒を釘やフックに掛け、ゆっくりと広げ下げる。
  4. 下げ終わったところで左右のバランスを取る。風帯が有れば下に広げる。必要に応じて風鎮を軸先に掛ける。
外す手順
可能ならば2人で行うのがいいです。
 1人で行う場合は、あらかじめ矢筈は壁に立てかけておきます。

  1. 両手で軸をゆっくりと巻き取る。きつく巻くと掛軸を痛める。
  2. 本紙を巻き込んだあたりで、左手で掛軸を順手に持ち、右手で矢筈を持ち、掛緒を釘などから外す。
  3. 掛軸を折らないよう注意しながら上部を下に降ろし、矢筈を外して置く。そして最後まで巻き取る。
  4. 風帯のある掛軸の場合、まず向かって左手側の風帯を右手側の風帯の下に曲げ込み、右手側の風帯を左手側の風帯の上に載せるように曲げる。風帯の先が余る場合には折り目に合わせて曲げる。
  5. 巻紙(幅5 – 7cmぐらい、長さ20 – 25cmぐらいの紙)がある場合にはそれの一端を掛軸に巻き込む形で巻き付ける。
  6. 掛軸を左手に、巻緒を右手に取り、巻緒を(掛軸を巻いてきたのと同じ向きに)左から右に3回巻く。仏画・名号等では巻緒が長めになっているので、それ以上巻く場合がある。巻緒の右端で輪を作って掛緒の右下からくぐらせ、左下に通す。
  7. 揉紙(包み紙)で包み、軸箱に納める。

掛軸は湿気や乾燥に弱いため、桐箱などに収めて温度変化の少ない場所に保管すると良いです。

 

桐箱には香木等を用いた防虫香を共に納めます。

ナフタレン等の防虫剤は軸先を痛める場合があります。

掛軸は湿度の高い場所に保管すると、しみ、むし、かび、などの原因になります。

 

また、汚れや傷などによって大切な美術品の価値も半減してしまいます。

 

掛軸は保存と取扱いに注意すれば永く愉しむことが出来ます。

 

掛軸の収納方法が大きく分けて3つあります。

 

桐箱収納
桐材は軽くて丈夫で、保湿・耐火性が高いため、骨董品や高級品を保存するのによく使われます。
また、桐箱は内部の湿度を一定に保ち、虫を寄せ付けない成分を発しているため、掛軸を保存するのに最適だといわれます。

 

二重箱収納
桐箱の表面に塗箱に収納することにより、さらに防湿、防虫効果を高めます。

 

太巻収納
掛軸をしまう時の注意点は、きつく巻きすぎないことです。
太巻といわれる桐の芯材を軸棒に取り付けて巻くことにより、掛軸をしまう時に自然と巻きが柔らかくなり、本紙を折れにくくします。

 

普段なじみのない掛軸でしたが、とても勉強になりました。

 

おうちに眠っている掛軸ございましたら、是非お譲りくださいませ。

 

ではでは

 

 

Hello everyone, this is Staff N.

 

The news of the British public mourning the death of Queen Elizabeth is broadcast every day.

 

I envy Queen Elizabeth who was loved so much.

 

Lately, something has made her think, and even if it’s easy, she shouldn’t lose sight of who she is.

 

She remembered what she should do in life, the theme of her life.

 

I would like to think carefully about whether or not I have been robbed of something important to me.

 

 

 

Well, I added a hanging scroll, “Daffodil” by Umeso Yamamoto, to the product introduction page.

 

Baisou Yamamoto is a Japanese painter from 1846-1921 Meiji-Taisho period.

 

 

 

Born on August 13, 1888. Learned literati painting from Kaiya Nukina and Setsuen Mitani, and returned to his hometown of Handa, Aichi Prefecture, to study old Chinese paintings as models. I will pick up

He excelled in landscape painting, and was said to be one of the three great local painters along with Yoshitsugu Haizan and Kodama Katei.

Died on February 24, 1925. He is 76 years old.

 

His name is (“Horse” to “冏”). His character (Azana) is Kono. His nickname is Kurazo. Some of his works include “Natsukage Sansui”.

 

Here I tried to find out about the kakejiku.

 

Kakejiku is a piece of paper or calligraphy that is mounted on a piece of paper.

 

In Japan, it is sometimes called “alcove” because it is hung on the alcove for viewing.

 

As described later, paintings and calligraphy that are preserved and appreciated in the same way as hanging scrolls have existed in Chinese art since ancient times.

 

After being introduced to Japan as a tool to spread Buddhism, it has been integrated with Japanese culture and plays an important role in interior decoration.

As a hanging scroll that is similar to the “alcove”, there is a slightly thin “chakake” that has Zen words used in the tea room of the tea ceremony written on it.

 

Other than that, there is a “Buddha-gake” that is used in the Buddhist altar, and there are pictures of the principal image and attendant samurai, and it is tailored to the myo and dharma axis.

 

Even today, old hanging scrolls are protected and exhibited as cultural assets, collected and sold as antiques, and newly created by handwriting or printing.

Kakejiku was first used as a hanging scroll in the Northern Song Dynasty of China.
It was used for “hanging and praying”, and it is thought that it had a strong meaning for worship.
Kakejiku first began to spread for use in Buddhist paintings because it was easy to carry around in a paulownia box and relatively multiple production was possible.

 

In Japan, hanging scrolls were already introduced as Buddhist paintings in the Asuka period, but in the latter half of the Kamakura period, ink painting became popular due to the influence of Zen Buddhism.
As a result of this trend, kakejiku developed from the world of Buddhist and Buddhist paintings to be hung and worshiped as a complement to stand-alone works of art such as ink paintings of Kachofugetsu.
From the Muromachi period onwards, hanging scrolls with ink paintings began to be seen in the alcoves of tatami rooms during tea ceremonies.
When Sen no Rikyu began to speak about the importance of hanging scrolls, the popularity of hanging scrolls exploded among tea lovers.
A custom was born to change the hanging scrolls according to the number of visitors, the season, and the time of day and night.
It is said that the idea that it is important to express the formality of the scene with a hanging scroll when a guest is present was born.
True (further true, row, grass), row (further true, row, grass), grass (further row, grass) and so on.
In the Edo period, Ming Dynasty mountings were introduced to Japan, and hanging scrolls became popular with literati paintings.
At the same time, the technical skills of mountings have developed remarkably.
In addition, textiles with complex patterns such as Yamato Nishiki and Enishiki Karaori were favored, and they were born one after another in textile production areas such as Nishijin.
In the 18th century, the Kyoto art world flourished on a separate axis from the Kano school, which was centered in Edo.
It was supported by people who valued enjoying Japanese paintings, and along with that, kakejiku also increased its artistic value.
It blossomed with hand-painted ukiyo-e.
During the Meiji and Taisho periods, the popularity of Japanese-style paintings made kakejiku even more popular.
Entering the Showa era, the rise of the Bunten (currently the Nitten) and the Japan Art Institute, which were sponsored by government offices, ushered in a period of prosperity for Japanese painting.
Today, we have an environment where we can enjoy extremely high-quality works close at hand, and it is one of the traditions and cultures that Japan can be proud of.
The alcove in a typical home is the heart of the family, and is considered an important place to entertain guests. It has become an important tool to express the “beauty” that has been cultivated in the long history.

 

Buddhist paintings, hand-painted ukiyo-e, landscape paintings, bird-and-flower paintings, calligraphy, old calligraphy, colored paper, strips of paper, paintings, shosoku, which are letters, and dankan, which are parts of scrolls, are mounted and hung.

 

A series of paintings and calligraphy made with the same mounting is called tsuifuku.

 

There are double scrolls such as persimmon chestnut paintings and dragon and tiger paintings, three paintings depicting Kannon, monkeys, cranes, etc., four paintings depicting the four seasons, and twelve paintings depicting the 12 months.

 

There is a hanging scroll that is hung inside the Buddhist altar.

There are principal images, images of attendant samurai, names and statutory scrolls.

 

There are also hanging scrolls that are simple and inexpensive to manufacture and sell for the common people, and in the northern Kanto region, there used to be a custom of giving hanging scroll paintings to children on their first New Year.

 

In some regions, it was used as a gift for the first festival, and it is said that, in addition to the seven deities of good fortune, the designs were popular for boys, warriors and soldiers, and for girls, paintings of beautiful women.

 

The main production area was called “Sano Kakeji” in the Sano region of Tochigi Prefecture.

 

The style of hanging scrolls was established together with the tea ceremony.

 

The dimensions are determined so that it looks beautiful when you sit down and look up, and it is made considering the size of the tokonoma and the size of the tatami mats.

 

Generally, in the Kanto region, the length of the upper part is twice the length of the lower part, and the length of the upper part is twice the length of the lower part. However, in Kansai, where the tatami mats are larger than in the Kanto region, the upper part is slightly shorter than the 2:1.

 

As a material for the mounting, paper or broken materials such as gold brocade, silver column, donsu, and gauze are used.

 

“Ichimonji” and “Kazetai” are made of two different materials.

 

Usually, the best material is used for “one character”.

 

The combination of these cracks enhances the screen even more.

 

Yamato Mounting
Style shown. It is divided into three stages, upper (heaven), middle mawashi, and lower (ground). in the most common fashion. Thank you
Literary mounting, bag mounting
It is a style that abbreviates the top and bottom (top and bottom) and wind obi of Yamato mounting, and extends the upper and lower sides of the nakamawashi.
Chakake mountings, Rikyu mountings
This style narrows the width of the nakamawashi, and is a style of mounting used for tea ceremonies.
Honzon Mounting, Buddhist Mounting, Sacred Mounting
The style in which the upper and lower splits surround the left and right sides of the nakamawashi is used only for items related to Shintoism and Buddhism.

Ivory, rosewood, Chinese quince, tsuishu (red lacquer), and crystal are used as materials for the shafts. Depending on the theme, wooden shaft ends are selected for Nanga paintings, while metal and crystal shaft ends are selected for Buddhist paintings.

 

Also, the process of mounting paintings and calligraphy on a hanging scroll is called scrolling.

 

 

 

The hanging scroll represents one’s own environment.

 

I myself am the main paper part of the hanging scroll, and on the main paper, I can see the changing scenery and flowers of the four seasons, my feelings for the people who visited and my family, and the commandments to myself.

On the paper, the sky is represented, the half moon represents the moon, and the wind zone represents the wind.
The rain falling on the trees blows in the wind and turns into dew.
The dew gathers and becomes a river, which nourishes the soil and trees.
There is a ground below the main paper, and the soil and trees are expressed with shafts and shaft tips (natural wood and pottery).

 

When hanging a hanging scroll, a tool with a Y-shaped or U-shaped tip called a yahazu or kakemono-sao is used.

 

If hooks, nails, etc. are in a high position, hang them via a height-adjustable free hanging.

hanging procedure
Untie the makio (a string wrapped around the outside of the hanging scroll) and bring it to the right side of the kakeo (a string on the top of the hanging scroll).
Hold the hanging scroll in your left hand and the arrow hazu in your right hand. Hang the metal fittings of Yahazu on the hanging.
Hang the kakeo on a nail or hook and slowly spread it down.
Balance left and right after lowering. If there is a wind belt, spread it downward. If necessary, hang a windmill on the shaft tip.
Procedure to remove
It’s best to do it with two people if possible.

If you are doing it alone, lean the yahazu against the wall in advance.

Slowly wind the shaft with both hands. Tight winding will damage the hanging scroll.
When the paper is rolled up, hold the hanging scroll with your left hand, hold the arrowhead with your right hand, and remove the hook from the nail.
Take care not to break the hanging scroll, lower the upper part, and remove the arrowhead. and wind up to the end.
In the case of a hanging scroll with a wind belt, first bend the left hand wind belt under the right hand wind belt, and then bend the right hand wind belt over the left hand wind belt. If the tip of the wind belt is left over, bend it along the crease.
If you have a roll of paper (about 5-7 cm wide and 20-25 cm long), wrap one end of it around the hanging scroll.
Take the hanging scroll in your left hand and the winding string in your right hand, and wind the winding string three times from left to right (in the same direction that the hanging scroll was wrapped). In Buddhist paintings and myogo, the winding cord is longer, so it may be wound longer. Make a loop at the right end of the cord, pass it through the lower right corner of the cord, and pass it through the lower left corner.
Wrap it in kojishi (wrapping paper) and put it in the axle box.

Since the hanging scroll is vulnerable to moisture and dryness, it is better to store it in a paulownia box and store it in a place where the temperature does not change much.

 

The paulownia box contains an insect repellent incense made from fragrant wood.

Insect repellents such as naphthalene may damage the shaft tip.

 

If the hanging scroll is stored in a place with high humidity, it may cause stains, worms, mold, etc.

 

In addition, the value of important works of art is halved due to dirt and scratches.

 

A hanging scroll can be enjoyed for a long time if it is stored and handled with care.

 

There are three main ways to store hanging scrolls.

 

paulownia box storage
Paulownia wood is light, strong, highly moisturizing and fire resistant, so it is often used to preserve antiques and luxury items.
In addition, the paulownia box maintains a constant humidity inside and emits an ingredient that repels insects, so it is said to be ideal for preserving hanging scrolls.

 

double box storage
By storing it in a lacquered box on the surface of the paulownia box, the moisture-proof and insect-proof effects are further enhanced.

 

Futomaki storage
When storing the hanging scroll, be careful not to wind it too tightly.
By attaching a paulownia core called futomaki to the shaft and winding it, the winding becomes soft when the hanging scroll is put away, and the main paper does not easily break.

 

It was a hanging scroll that I was not familiar with, but I learned a lot.

 

If you have a sleeping hanging scroll at home, please donate it.

 

See you soon

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