8月, 2022 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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FROMKYOTOOSAKA

暇つぶしがもはや暇つぶしではありませんでした三井美術館(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎)

2022.08.20

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

突然ですが教えてほしいのですが、皆さまの旅先や出先で待ち時間や時間が余ったりした際の過ごし方、どうされておりますでしょうか。いい時間のつぶし方がありましたら教えていただきたいのですが、先日上京した際のまあまあ余った時間の使い方が殊の外よかったので、本日は少しご清聴くださいませ。

 

東京駅界隈で時間があまったのですが、駅構内も人が多くせわしないですし、どうしたものかと色々検索しておりますと、日本橋にあります三井美術館がリニューアルをしたというのではありませんか。

三井美術館、八重洲側からでております無料の周遊バスを乗ってすぐですので、(これ便利です)久しぶりに行って参りましたよ。

 

 

バスで八重洲から数停留所で降り立ちました、三井本館前。

ですが美術館へ入る前に、まずは目を引く三井記念美術館が置かれる三井本館の建物。

 

昭和初期の日本を代表する重厚な洋風建築として、国の重要文化財に指定されており、美術館の入り口は、隣接して建設された超高層の「日本橋三井タワー」のアトリウムに設けられており、外資系ホテルや千疋屋の日本橋本店が入っていたりともうわくわくするのですが、それは後のお楽しみにするとして。

 

 

美術館入口へ。美術館は本館の7Fでしてエレベータで上がりますが、エレベーターもクラシカルなデザインをそのまま残しております。

そして、美術館内へ引き込まれますが、館内はもちろん撮影禁止でしたのでここからは私のつたないレポートでお届けいたします。

 

 

 

「 茶の湯の陶磁器 “景色”を愛でる 」  三井美術館

 

今回の展示は、三井家が収集した茶道具の中で、その中心となるのは陶磁器のなかでも茶碗や茶入、花入や水指などには、釉薬の変化や器の姿などに「景色」を感じ、そのインスピレーションから多くは文学的な銘が付けられている名品の数々の展示でして、是非拝見してみたかった 国宝 「志野茶碗 銘卯花墻」も楽しみであります。

 

名碗とされる茶碗の多くには、その茶碗固有の「銘」や、その茶碗独特の器形や文様などにちなんだ呼び名、さらには所持者の名前にちなんだ呼び名などがありますが、それらの名称を決める大きな要素は、茶人の間で古くから共有されて来た「景色けしき」という美意識でしょうか。

 

たとえば、高麗茶碗のうちの斗々屋ととや茶碗。全体に枇杷色を呈するなかに一部薄青色に変化した釉景色が、あたかも春霞がたなびくような自然景を連想させ、まさにそれは「かすみ」。私も一見したところその銘以外には考えられませんでした。室町三井家十二代 高大たかひろ(1908〜69)が最晩年に枕辺に置いたという遺愛の品ですので、彼はこの茶碗の中の深い「かすみ」の景色の世界に癒されたのでしょうね。

 

また、高麗茶碗のうちの粉引こひき茶碗。素地に白泥を掛け、その上に透明釉を掛けて焼く粉引ですが、下半部に水分が浸み込んでベージュ色に変色し、ツートンカラーのようになったところに「残雪」をイメージしたものと思われます。そういわれてみれば、薄っすらと残った雪がそこに残っているよう。いや、もうそう見えます。銘は小堀遠州の息子小堀正之まさゆき(遠州流二世・1620〜74)によるものと考えられますから、かつて見た庭の残雪の記憶を思い起こしたのでしょうか。

 

そして茶碗に限りませんが、その付けられた名称が「銘」に、さらにそこに文学的な背景が加えられて教養の厚みが加わり、和歌がイメージされると「歌銘」と呼ばれたりし、箱書きや貼小色紙などににさらさらと詠われた「歌銘」がそえられます。ここまできますと一つの世界観を現した芸術なのでしょうか。

 

国宝 志野茶碗 銘卯花墻。

日本で焼かれた陶磁器の中で、国宝は2碗しかなくそのうちの1碗であります。絵具による絵付けで絵が描かれた陶磁器は桃山時代から始まりますが、その早いものが志野や織部。この茶碗は轆轤目ろくろめ箆削へらけずりが大胆に施され、志野釉の下に鉄絵で簡略な垣根が描かれていますが、この白い志野釉と鉄絵の景色から「卯花墻」の銘が付けられております。片桐石州(1605~73)の筆とされる箱書と貼小色紙があり、

 

「やまさとのうのはな かきのなかつみちゆき ふみわけし ここちこそすれ」

 

と、こちらの和歌からの命名とされ、いわば歌銘ということになります。

 

実際に何も考えずに私が拝見しました「景色」の感想ですが、意外と素朴な可愛らしいお茶碗が第一印象でありましたが、お茶碗の中に何かうっすらイメージは浮かんでまいります。

 

さらに、その「ご銘」や、「歌銘」ふれ、再び眺めますと志野の繊細な焼きが可愛らしい卯の花に見え、垣根の間から清々しい穏やかな春の景色にちらほらと顔を出している様子が浮かび…。脳内ではその「景色」のイメージがはっきりと広がってまいりました。山里の卯の花の垣根がある穏やかな季節や風や情景までも想像してしまったり。

 

そんなふうに様々な銘品の「景色」を堪能すること1時間半。すでに暇つぶしの域を超え、なぜか感動。

 

当時TVもSNSもない情弱の時代に、先人たちは教養や知識やイメージをもって銘品へのリスペクトとそれを大切の受け継ぐ気持ち、そして何より楽しみ方を身に着けているのですから。情報過多の時代のわれわれの退屈や暇つぶしとは何なのだ…?。と、最後は自分の価値観の見直しまで行きついたり笑。

 

それにしても、小さな器の「景色」の中から、様々な意味で世界観や情景は器の中を軽々と飛び出し、広く深く広がっていくのだとまさに思わされた暇つぶしでありました。いえ、もはやその域はこえておりましたが。

 

それでは、ご清聴ありがとうございました。ごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is staff Y.

 

This is sudden, but I would like you to tell me, how do you spend your time while you are traveling or out and about waiting or having extra time? If you have any good ways to pass the time, please let me know.

 

I was running out of time in the Tokyo station area, but there were a lot of people in the station premises who didn’t take care of me.

The Mitsui Art Museum is just a short ride from the Yaesu side of the free tour bus (which is convenient), so I went there for the first time in a while.

 

 

 

I got off at a few stops from Yaesu by bus, in front of the Mitsui Honkan.

However, before entering the museum, the building of the Mitsui Main Building where the Mitsui Memorial Museum is located.

 

As a stately Western-style building that represents Japan in the early Showa era, it has been designated as a national important cultural property. , I’m excited that foreign hotels and Sembikiya’s Nihonbashi main store are in it, but I’ll look forward to it later.

 

to the museum entrance. The museum is on the 7th floor of the main building, and you can go up by elevator, but the elevator has a classical design as it is.

Then, you will be drawn into the museum, but of course photography was prohibited inside the museum, so I will report it in my poor report.

 

“Admiring the ‘scenery’ of tea ceremony ceramics” Mitsui Art Museum

 

Among the tea ceremony utensils collected by the Mitsui family, this exhibition focuses on ceramics such as tea bowls, tea containers, flower vases, and water jars. Inspired by this, many of the masterpieces are on display with literary names attached.

 

Many of the tea bowls that are considered to be famous have their own “mei”, a name associated with the bowl’s unique shape and pattern, and even a name associated with the owner’s name. A major factor in determining the name of the tea ceremony is probably the aesthetic sense of “scenery” that has long been shared among tea masters.

 

For example, the Totoya and Toya tea bowls among the Korai tea bowls. The color of the glaze, which is loquat-colored as a whole and partially changed to pale blue, is reminiscent of a natural scenery, like a spring mist, which is exactly what it is called “kasumi.” At first glance, I couldn’t think of anything other than that inscription. Takahiro Takahiro (1908-69), the twelfth head of the Muromachi Mitsui family, placed this bequest on his pillow in his final years, so he was healed by the scenery of deep “haze” in this teacup. I bet it was.

 

Kohiki Kohiki tea bowl is also one of Korai tea bowls. Kobiki is a technique in which white mud is applied to the base material, and then a transparent glaze is applied over it. I think it’s an image. Come to think of it, a thin layer of snow still remains there. No, it looks like it already. The inscription is thought to have been made by Masayuki Kobori, the son of Kobori Enshu (Second generation of Enshu School, 1620-74), so perhaps he recalled the memory of the remaining snow in the garden he once saw.

 

And it is not limited to tea bowls, but the name given to it is “mei”, and when a literary background is added to it and the depth of education is added, and the image of waka is added, it is called “kamei”. Then, the writing on the box and small colored paper on which the poem is written are added. If you come this far, is it an art that expresses a single world view?

 

National Treasure Shino Tea Bowl Named Unhanakyo.

Among the ceramics made in Japan, there are only two national treasures, and this is one of them. Ceramics painted with paints began in the Momoyama period, but the earliest ones were Shino and Oribe. This tea bowl is boldly decorated with a potter’s wheel and sawing spatula, and a simple fence is drawn with iron painting under the Shino glaze. is marked with. There is a box inscription and a small colored paper that is said to have been written by Katagiri Sekishu (1605-73).

 

“Yamato no Naka no Nakatsu Michiyuki Fumiwake and his comfort”

 

And so to speak, it will be named after this waka poem.

 

As for my impression of the “scenery” that I saw without actually thinking about it, my first impression was of a surprisingly rustic and cute tea bowl, but some image comes to mind in the tea bowl.

 

Furthermore, if you look again at the “gome” and “kamei”, the delicate grilled Shino looks like a cute unohana, and you can see the refreshing and calm spring scenery peeking out from between the fences. floating…. In my brain, the image of the “scenery” spread further.

 

It takes an hour and a half to enjoy the “scenery” of such various brands. It’s already beyond the area of ​​killing time, and I’m impressed for some reason.

 

At that time, there was no TV or SNS, and our predecessors were educated, knowledgeable, and imaginative, respecting and inheriting these products, and above all, learning how to enjoy them. What is our boredom in the age of information overload…? . And in the end, I ended up revising my values ​​lol.

 

From within the “scenery” of a small vessel, various meanings of the world view and scenery popped out of the vessel with ease, and it was a killing time that made me think that it spreads widely and deeply. No, it was already beyond that range.

 

Thank you very much for your attention. how do you do.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

 

 

これぞ青春(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.19

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

 

今年もスタッフMの夏休みが終わってしまいました。

あっという間の夏休み…学生時代と違って宿題に追われることはありませんが、何故かやり残したことが多いようなそんな気持ちになってしまいます。

 

皆さまは、夏休みの宿題、先にする派?最後にする派?それとも計画的にする派ですか?

ちなみに学生時代のスタッフMは、8月後半にやっと手を付け始めて、迫りくる始業式と終わっていない宿題に泣きそうになっていたことを思い出しました(笑)

 

そんな私の今年の夏休み最後といえば、自宅のテレビの前でひたすら高校野球を応援していました。

高校球児にとって、一戦一戦が全てで、3年生の場合はそこで引退が決まってしまいますので、涙なしには見られない!という方も多いのではないでしょうか。

そんな昨日、準々決勝「仙台育英」と「愛工大名電」の試合から始まり、やはり地元の愛工大名電を応援しつつも、全力を出し切って勝負する姿勢に両チームとも応援したくなってしまうという…。

 

結果としては、6-2で愛工大名電が負けてしまいましたが、最後エースで主将の有馬さんの感情が溢れ出す場面に、画面越しで一緒に泣いてしまいました。

 

高校野球の全国大会は春と夏の2度行われていて、春の大会を「選抜野球高校大会」、夏の大会を「全国高校野球選手権大会」と呼び、現在はともに甲子園球場で開催されているため、春の甲子園、夏の甲子園とも呼ばれています。

実は春の選抜高校野球の始まりは、1924年第1回大会の会場が愛知県名古屋市・山本球場(現在のJR東海八事球場)でした。高校野球の全国大会が関西以外で行われたのはこのときだけだそうです。

 

わずか8校から始まり、第2回大会で12校、第3回大会では16校と少しずつ増え、現在では32校がベースで、10回ごとの区切りの大会では、記念大会として出場校を増やします。

そのため、1998年の第70回大会、2008年の第80回大会などでは史上最多の36校が出場しました。

そして甲子園の伝統といえば、敗れたチームがグラウンドの土を持ち帰る伝統がありますよね。甲子園の歴史上、一番最初に土を持ち帰った球児については諸説あるようですが、九州地方の球児が最初のようです。

ただ、現在は新型コロナウイルス対策の一環で、試合と試合の間にベンチを消毒するため、選手らは迅速に退出する必要があるとされ、出場校には後日甲子園の土を贈ることが検討されているのだとか。

 

悔しさとともに、土を持ち帰るという行為も思い出のひとつになっているのでは…と感じますが、後日土を贈ってくれるという配慮も素敵ですね。

 

甲子園を目指し、休みの日も放課後も練習に明け暮れる高校球児の汗と涙の熱戦に今年も心動かされました。ベスト4が出そろい、20日に行われる準決勝では宮城代表の仙台育英と、福島代表の聖光学院による東北対決も楽しみです。

 

 

 

Hello everyone. This is staff M.

 

Staff M’s summer vacation is over again this year. Summer vacation goes by in the blink of an eye… Unlike when I was a student, I’m not overwhelmed with homework, but for some reason I feel like I’ve left a lot of things unfinished.

 

Are you a group that does your summer vacation homework first? Do you want to do it last? Or do you plan? By the way, when I was a student, Staff M finally started working on it in the latter half of August, and I remembered that I was about to cry at the approaching opening ceremony and unfinished homework .

 

Speaking of my last summer vacation this year, I was just cheering for high school baseball in front of the TV at home. For high school baseball players, one match is everything, and in the case of a third-year player, retirement will be decided at that point, so I can’t watch it without tears! Isn’t there a lot of people who say? Yesterday, the quarter-final match between Sendai Ikuei and Aiko Daimeiden started, and although they were rooting for their hometown Aiko Daimeiden, they both gave their all to win the match.

 

As a result, Aiko Daimeiden lost 6-2, but we cried together through the screen at the scene where captain Arima’s emotions overflowed with the final ace.

 

National high school baseball tournaments are held twice in spring and summer, with the spring tournament being called the “Selective High School Baseball Tournament” and the summer tournament being called the “National High School Baseball Championship”. It is also called Spring Koshien and Summer Koshien.

 

In 1924, the first tournament was held at Yamamoto Stadium (now JR Tokai Yagoto Stadium) in Nagoya City, Aichi Prefecture. This is the only time that a national high school baseball tournament was held outside of Kansai. It started with just 8 schools, gradually increased to 12 schools in the 2nd tournament, and 16 schools in the 3rd tournament, and now has 32 schools as a base. increase. For this reason, the 70th tournament in 1998 and the 80th tournament in 2008 saw a record 36 schools participate.

 

And speaking of Koshien tradition, there is a tradition that the losing team takes back the dirt from the field. In the history of Koshien, there are various theories as to who was the first ball player to bring back dirt, but it seems that the player from the Kyushu region was the first.

 

However, as part of measures to prevent the spread of the new coronavirus, the benches will be disinfected between matches, so it is said that the players will have to leave quickly. It is said that Along with the frustration, I feel that the act of taking the soil home is also one of the memories… but it’s nice to have the consideration of giving the soil later.

 

Aiming for Koshien, I was moved again this year by the sweat and tears of the high school baseball players who devoted themselves to practice on their days off and after school. The best 4 are all set, and in the semi-finals on the 20th, I am looking forward to the Tohoku showdown between Miyagi representative Sendai Ikuei and Fukushima representative Seiko Gakuin.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

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各所でおまつり復活しましたね。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.18

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

お盆休みも終わり、遊び疲れも癒えぬまま現実に引き戻されている皆様いかがお過ごしでしょうか笑。

 

かく言う私もその一人なのですが、こちら名古屋はお盆明けからの豪雨。今朝からすごい雷と雨で、少しばかり緊張感のある出勤でありました。皆様もこのところの突然の豪雨どうかお気を付けくださいませ。

 

さてさて、先日のTVでの京都五山の送り火の放映、ご覧になられたかたもいらったのではないでしょうか。先月の祇園祭といい、徳島の阿波踊り、青森のねぶた祭りなどなど今年は各地方で、お祭りや伝統行事が少しずつ復活いたしましたね。人数制限や形態を変えたりいろいろ気を付けながらともお聞きしますが、各所のお祭りの景色、音色、熱気(気を付けながらですが)のニュースを目にしますと、やはり血が騒ぐのでしょうか、やはりうれしいものですね。

 

本日は、先日家族が行って参りました岐阜県郡上八幡市のあのお祭り、「郡上まつり」の様子をお伝えいたしますが、こちらも三年ぶりの開催とあって盛り上がっていたようですよ。

 

 

 

 

「郡上おどり」詳しくは知らなかったのですが、「阿波踊り(徳島県)」と「西馬音内の盆踊(秋田県)」とともに、日本三大盆踊りのひとつでありまして、1996年(平成8年)12月20日、重要有形民俗文化財に「郡上踊」が指定されており、400年もの歴史があるおまつりであります。

 

江戸時代の初期に郡上八幡城主・遠藤慶隆(えんどうよしたか)が領民の融和を図るため、各所の踊りを集め城下のお盆の祭として奨励したことが始まりと伝えられておりますのですが、知れば知るほど結構すごかったのですが、まずはその開催期間の長さ…。

 

毎年7月中旬から9月上旬までの期間に、31夜開催される日本でいちばん長期間のお祭りでして、クライマックスのお盆になりますと、13日~16日の4夜連続は徹夜おどり(20時~翌日明け方頃)が行われるのですが、本年度は20時から翌日1時までと時短での開催。ですがなにせ三年ぶりの開催、どんな形でもうれしいではありませんか。

 

参加した家族によると、この郡上おどり、誰でも(観光客でも)踊り手になることができますので、見物客よりも踊る人の方が多いというお祭りだったとのことでして、一度は参加して踊ってみて!とのこと。踊りの中心には「やかた」と呼ばれる踊りやぐらがあり、そこに上った唄の「音頭取り」とお囃子の「囃子方」が、生歌と生演奏で踊りを盛り上げ、踊り手はそのやかたの周りを回って踊ります。

 

その際誰でも参加でき、どのタイミングでも自由に踊りの輪に入ったり抜けたりすることができます。
踊りは10種類ほどあり、その多さも郡上おどりの特色。曲によって振り付けは異なりますが、周りを見ながら真似て踊っているうちに覚えられる簡単なものですし、踊る際の服装にも決まりはありません。浴衣を着て踊る人はもちろん多いのですが、強いて郡上おどりの唯一あったらいいアイテムといえば、「踊り下駄」ではないでしょうか。

 

郡上おどりは下駄で地面を叩いて音を出しながらリズムをとる踊りが多いため、踊り下駄はマストアイテム。この時期になりますと街中にこの下駄の音がなり響き、それがこの地域ならではの夏の風物詩でもあります。

その郡上おどりで使われる下駄は、郡上でとれる良質なヒノキを用いて作られおります。軽くて丈夫なヒノキは長時間踊っても壊れにくく、軽やかで綺麗な音を鳴らしますので、ピッタリなのでしょうね。しかも、その白い木肌が祭りの夜の闇に美しく、そして涼しげに映えております。

 

 

そしてこの時期の日中の風景がこちら。玄関先に下駄を乾かしている風景ですが、人も下駄も今宵の踊りに備えているのだな…の風景ともみてとれますね笑。

 

 

 

 

それゆえ30数夜踊っていては踊り下駄が持たない人もいるのだとか。郡上八幡には確かに下駄を扱うお店が数多くあり、下駄を履き潰したら踊りの途中にお店で新たに購入する方もいそうですよね。おどりの期間中、ワンシーズンで2〜3足の下駄を履き潰す人もいるようですので、いやはや恐れ入りました。

 

ちなみに家族によると、まつり明け翌日17日は、あらゆる街中のお店など(チェーン店ですら)がお休みとなり、街はまさに寝静まった風景になっていたとのこと。下駄やお囃子の音の記憶を吉田川の水の音に溶かしながら皆さま寝静まっているのでしょうか…。そうやって街はだんだんといつもの水の音の街に戻っていく様子もこれまた郡上の風景なのでしょうね。私も、いつか参加したくなりましたので、まずはマイ下駄を購入するところからでしょうか。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is staff Y.

 

How are you all doing now that the Obon holiday is over and you have not recovered from the tiredness of playing and are being pulled back into reality?

I’m one of those people, but here in Nagoya it’s been raining heavily since the end of Obon. It’s been raining and thundering since this morning, and I was a little nervous about going to work. Please be careful of the sudden heavy rains in your area as well.

 

By the way, I’m sure some of you may have seen the Kyoto Gozan Okuribi broadcast on TV the other day. Last month’s Gion Festival, Tokushima’s Awa Odori, Aomori’s Nebuta Festival, and other festivals and traditional events have come back to life this year. We are trying to limit the number of people in each place and change the form, but when we see the news about the scenery, the sound, and the heat (while being careful) of the festivals in various places, does it still make your blood boil? It’s a pleasure, isn’t it?

 

Today, I would like to tell you about the “Gujo Festival” in Gujo Hachiman City, Gifu Prefecture, which my family went to the other day.

 

I didn’t know the details of “Gujo Odori”, but it is one of Japan’s three major Bon dances, along with “Awa Odori (Tokushima Prefecture)” and “Nishimonai no Bon Odori (Akita Prefecture)”. ) On December 20, “Gujo Dance” was designated as an important tangible folk cultural property, and it is a festival with a history of 400 years.

 

It is said that in the early Edo period, Yoshitaka Endo, the lord of Gujo Hachiman Castle, collected dances from various places and encouraged them to hold the Obon festival in the castle town in order to promote harmony among the people of his domain. , The more I learned, the more amazing it was, but first of all, the length of the event…

 

Every year from mid-July to early September, it is the longest festival in Japan, held for 31 nights. It is held from 20:00 to around dawn the next day), but this year it will be held from 20:00 to 1:00 the next day. But anyway, it’s the first time in three years, aren’t you happy in any way?

 

According to the family who participated, anyone (including tourists) can become a dancer in this Gujo Odori, so it was a festival where there were more people dancing than spectators. and dance! That’s what I’m talking about. At the center of the dance is a dance tower called a yakata. dance around the

 

At that time, anyone can participate, and you can freely enter and leave the dance circle at any time.
There are about 10 types of dances, and the large number of them is also a characteristic of Gujo Odori. The choreography differs depending on the song, but it’s easy to learn by just looking around and imitating the dance, and there are no rules about what to wear when you dance. Of course, there are many people who dance wearing yukata, but I think the only item that would be nice to have in Gujo Odori is the “Odori-geta”.

 

Many of Gujo Odori dances involve striking the ground with wooden clogs to create a rhythm, so Odori clogs are a must-have item. At this time of year, the sound of geta clogs echoes throughout the city, and is a summer tradition unique to this area.

The clogs used in the Gujo Odori are made from high-quality Japanese cypress harvested in Gujo. The light and durable cypress is hard to break even when you dance for a long time, and it produces a light and beautiful sound, so it must be perfect. Moreover, the white bark of the tree looks beautiful and cool in the darkness of the festival night.

 

And here is the scenery during the day. It is a scene of people drying their geta at the front door, and you can see that both the people and the geta are preparing for tonight’s dance.

 

That’s why some people don’t wear geta after dancing for 30 nights. Gujo Hachiman certainly has many stores that sell geta, and it seems that some people buy new ones in the middle of the dance after wearing them out. During the dance period, some people wear two or three pairs of clogs in one season, so I’m sorry.

 

By the way, according to my family, on the 17th, the day after the festival, all the shops (even chain stores) were closed, and the town was completely asleep. I wonder if everyone is asleep while melting the memories of the sound of clogs and music into the sound of the water of the Yoshida River… The sight of the city gradually returning to the usual sound of water must be another sight of Gujo.

 

Good evening.

 

 

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秋田県立美術館(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.17

皆さま、こんにちは。スタッフNでございます。

 

ニュースで暑すぎて向日葵がかれてしまったそうです。

 

夏の代表なのに枯れてしまうなんて悲しすぎます。

 

甲子園の高校球児も心配ですし、早くちょうどいい夏の気温になってほしいものです。

 

さて先日、秋田県立美術館に行って参りました。

 

 

この時期の秋田県は愛知県と違ってからっとしており、とても過ごしやすかったです。

 

秋田県立美術館と言えば、世界的な画家藤田嗣治が、昭和12年当時の秋田を描いた大壁画「秋田の行事」が有名でございます。

カンバス貼りの油彩の大きさは約3700号という驚きの大きさでございます。

 

 

フランスから帰国後の個展で知りあい、藤田の支援者となった秋田の富豪の平野政吉は、秋田を題材にして巨大壁画を注文します。

 

藤田が映画の監督・撮影のため秋田を訪れたさい、「世界一の絵を」と頼み、制作の依頼をしたそうです。

 

秋田県立美術館は、幅20m余にも及ぶ「秋田の行事」をはじめとする公益財団法人平野政吉美術財団の所蔵する作品の展示をメインとしながら、秋田市の中心市街地にある千秋公園を望む地といった特徴を活かし、「ここにしかない魅力のある美術館」をコンセプトに設計されました。

 

また、旧県立美術館の持つ最大の特徴であり県民の皆様の心に溶け込んでいる三角形屋根に呼応するように、三角形をモチーフとしたデザインになっています。

 

設計者は、独学で建築を学び、プリツカー賞、文化勲章など数多くの賞を受賞し、国内はもとより海外からも高い評価を得ている安藤忠雄でございます。

 

壁の支えや柱のない螺旋階段、水庭越しに千秋公園の美しい風景を存分に楽しむことが出来る解放感あるラウンジ空間、そして美術館と街とをつなぐ大きな三角形吹抜けのエントランスホールなど新しい県立美術館にはたくさんの見どころがありました。

 

特に、大きなガラス窓から映画のスクリーンを見ているかのようなミュージアムラウンジは、ずっとここにいたいと思えるほど素敵な場所でございました。

 

ソファーに座ってくつろぐことができます。コーヒーやケーキなどをご注文いただけます。

 

近所にあったらNは毎日通っていることでしょう。

優雅にアップルパイをいただきました。

 

 

動画をTikTokとInstagramにあげましたので、ご興味あれば是非ご覧くださいませ。

 

美術館に入ってすぐに目に飛び込んでくる螺旋階段は、壁からの支えや柱がありません。

 

若い子が階段の真ん中でポーズをとっておりまして、どうやらインスタ映えスポットになっているようです。

Nも頑張ってみましたが、これが限界でした。

 

 

 

 

ここで、平野政吉(ひらのまさきち)について調べてみました。
1895(明治28)年~1989(平成元)年

秋田市の商人町で米穀商を営み、県内有数の資産家でもあった平野家の三代目です。

青年期から浮世絵、骨董、江戸期の絵画などに興味を持ち、生涯を賭けて美術品を蒐集しました。
平野がはじめて藤田嗣治の作品を観たのは、1929(昭和4)年の藤田の一時帰国時の個展でした。
その後、1934(昭和9)年、東京の二科展の会場で、平野と藤田は出会います。
平野は、1936(昭和11)年、藤田の妻・マドレーヌの急逝にともない、その鎮魂のために美術館の建設を構想。
藤田の大作を多数、購入し、藤田の壁画制作も進めました。
しかし、戦時下、美術館の建設は中止されます。
その約30年後、1967(昭和42)年、平野は「青少年を豊かな人間に」と願い、長年収集した美術品を公開するために財団法人平野政吉美術館を設立。
同年5月には、平野政吉コレクションを展観する秋田県立美術館が開館し、現在に至っています。
平野政吉コレクションの核である藤田作品は、1930年代の藤田の画業を俯瞰する作品群として、広く知られています。
実は、秋田のNの知人は平野政吉の知り合いで、自宅に遊びに行ったことがあるそうで、最近知って驚きました。
皆さんご存知かと思いますが、藤田嗣治(ふじたつぐはる)についても触れておきます。
1886(明治19)年~1968(昭和43年)

東京都牛込区(現在の新宿区)で、後に陸軍軍医総監となる藤田嗣章の次男として生まれました。

東京美術学校西洋画科を卒業後、1913(大正2)年、渡仏。
パリでは、滑らかな乳白色の下地に、面相筆でよどみない輪郭線を描いた裸婦像で画風を確立し、高く評価されました。
1931(昭和6)年、パリを離れ、中南米を歴訪。
この頃から、画風は豊かな色彩表現が主流となります。1933(昭和8)年には日本に帰国。二科会員となり、東京、大阪、京都で壁画を制作しました。
秋田市の資産家・平野政吉とともに美術館の建設を構想。
1937(昭和12)年には壁画《秋田の行事》を完成させました。
戦時下は戦争画を制作。
敗戦後の1949(昭和24)年、日本を離れ、渡米。
翌年、パリへ戻りました。
フランス国籍を取得し、その後、カトリックの洗礼を受けました。
ランスの礼拝堂を設計し、内部のフレスコ画も制作しています。
1968(昭和43)年、チューリッヒで没。
俳優のオダギリジョーが主演で映画化された藤田嗣治の半生を描いた「FOUJITA」もございます。
猫好きで有名な藤田嗣治ですが、秋田県立美術館にも「眠れる女」など、猫が登場する絵もございました。
秋田県って何があるの?行ったことない、と言われる方も多くいらっしゃいますが、こんな時期だからこそ、人の少ない穴場の美術館に行かれてみてはいかがでしょうか?
運が良ければ貸し切りで堪能することができます。
県立美術館の前には、秋田犬とふれあえる秋田犬ステーションもございます。
Nが行ったときは、休みで会えませんでしたが、千秋公園で会うことができました。
おとなしくて凛々しくて可愛い秋田犬、素敵でした。
空港や駅などいたるところに大きな秋田犬のぬいぐるみが登場するので、犬好きにはたまらないと思います。
古美術風光舎では藤田嗣治など絵画の買取もしております。

 

ではでは

 

 

 

Hello everyone. I am Staff N.

 

It seems that the sunflowers have been burned in the news because it was too hot.

 

It’s too sad that it withers even though it’s a representative of summer.

 

I’m also worried about high school baseball players at Koshien, and I hope that the summer temperature will be just right as soon as possible.

 

Well, the other day, I went to the Akita Prefectural Museum of Art.

Unlike Aichi Prefecture, Akita Prefecture during this period is dry and very comfortable.

 

Speaking of the Akita Prefectural Museum of Art, the world-famous painter Tsuguharu Fujita is famous for the large mural “Akita’s Events” depicting Akita at the time of 1937.

The size of the oil painting on canvas is about 3700, which is a surprising size.

 

 

 

Masakichi Hirano, a wealthy man from Akita who met Fujita at a solo exhibition after returning from France and became a supporter of Fujita, ordered a large mural with Akita as the theme.

 

It is said that when Fujita visited Akita to direct and shoot a movie, he asked for “the best picture in the world” and asked him to produce it.

 

The Akita Prefectural Museum of Art is located in the center of Akita City, overlooking Senshu Park, and mainly exhibits works from the collection of the Masakichi Hirano Art Foundation, including the 20-meter-wide “Events of Akita”. Taking advantage of these characteristics, it was designed with the concept of “an attractive museum that can only be found here.”

 

In addition, the design is based on a triangular motif, in line with the triangular roof, which is the greatest feature of the Former Prefectural Museum of Art and which has melted into the hearts of the citizens of the prefecture.

 

The designer is Tadao Ando, ​​a self-taught architect who has received numerous awards, including the Pritzker Prize and the Order of Culture, and has received high acclaim both domestically and internationally.

 

A new prefectural art museum with a spiral staircase without wall supports or pillars, a spacious lounge space where you can fully enjoy the beautiful scenery of Senshu Park over the water garden, and a large triangular atrium entrance hall that connects the art museum and the city. had many attractions.

 

In particular, the museum lounge, which looks like you’re watching a movie screen through the large glass windows, is such a wonderful place that you’ll want to stay here forever.

 

You can sit on the sofa and relax. You can order coffee, cake, etc.

 

If I lived nearby, I would go to N every day.

I had a nice apple pie.

 

I posted the video on TikTok and Instagram, so please take a look if you are interested.

 

The spiral staircase that catches your eye as soon as you enter the museum has no support from the walls or pillars.

 

A young girl is posing in the middle of the stairs, and it seems to be an Instagrammable spot.

I tried my best with N, but it was the limit.

 

Here, I tried to find out about Hirano Masakichi.
1895 (Meiji 28) to 1989 (Heisei 1)

 

He is the third generation of the Hirano family, who ran a rice merchant in Akita City’s merchant town and was one of the most wealthy people in the prefecture.

From his youth, he became interested in ukiyo-e, antiques, and paintings from the Edo period, and devoted his life to collecting works of art.

 

Hirano first saw the works of Tsuguharu Foujita in 1929 (Showa 4) at a solo exhibition when Foujita temporarily returned to Japan.

Later, in 1934, Hirano and Fujita met at the Nika Exhibition in Tokyo.

 

In 1936, following the sudden death of Fujita’s wife, Madeleine, Hirano envisioned the construction of a museum in memory of her.

He purchased many of Fujita’s large-scale works and proceeded with Fujita’s mural paintings.

However, construction of the museum was canceled during the war.

 

About 30 years later, in 1967, Hirano founded the Masakichi Hirano Museum of Art to display the works of art he had collected over the years, hoping to “enrich young people.”

In May of the same year, the Akita Prefectural Museum of Art, which exhibits the Masakichi Hirano collection, opened and continues to this day.

 

Fujita’s works, which are the core of the Masakichi Hirano collection, are widely known as a group of works that provide an overview of Fujita’s painting career in the 1930s.

 

Actually, an acquaintance of N in Akita is an acquaintance of Masakichi Hirano, and I was surprised to learn recently that he had visited his house.

 

As I’m sure you all know, I would like to touch on Tsuguharu Fujita.
1886 (Meiji 19) to 1968 (Showa 43)

He was born in Ushigome Ward (currently Shinjuku Ward), Tokyo, as the second son of Tsuguaki Fujita, who later became Surgeon General of the Army.

After graduating from the Department of Western Painting at the Tokyo School of Fine Arts, he went to France in 1913 (Taisho 2).

In Paris, he established his style of painting with nudes drawn with smooth outlines on a smooth milky-white background, and was highly acclaimed.

In 1931, he left Paris and visited Central and South America.

From around this time, his style of painting became predominantly rich in color. In 1933, he returned to Japan. He became a member of Nika and produced murals in Tokyo, Osaka and Kyoto.

Together with Masakichi Hirano, a wealthy man from Akita City, he conceived the construction of an art museum.

In 1937 (Showa 12), he completed the mural “Events in Akita”.

During the war he produced war paintings.

In 1949, after Japan’s defeat in the war, he left Japan and went to the United States.

He returned to Paris the following year.

He obtained French citizenship, after which he was baptized Catholic.

He designed the Chapel of Reims and also created the frescoes inside.

He died in Zurich in 1968.

There is also “FOUJITA”, which depicts the life of Tsuguharu Fujita, which was made into a movie starring actor Joe Odagiri.

 

 

Tsuguharu Fujita is famous for his love of cats, and the Akita Prefectural Museum of Art also has paintings featuring cats, such as “Sleeping Woman”.

What is Akita Prefecture? There are many people who say they have never been there, but why not go to a little-known museum at this time of year?

If you are lucky, you can enjoy it as a charter.

 

In front of the Prefectural Museum of Art, there is also an Akita dog station where you can interact with Akita dogs.

When N went, I was on vacation so I couldn’t meet him, but I was able to meet him at Senshu Park.

The quiet, dignified and cute Akita dog was wonderful.

A large Akita dog stuffed toy appears everywhere in airports, train stations, etc., so I think it’s a must for dog lovers.

At Kobijutsu Fukousha, we also purchase paintings by Tsuguharu Fujita and others.

 

See you soon

 

 

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夏の帰省などで、ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

名東区のお客様より、古銭、アクセサリー、など買受させていただきました。

2022.08.17

 

 

 

名東区のお客様から、古銭、アクセサリーなど買受させていただきました。

 

誠にありがとうございます。

 

また処分される前に、一度お声がけいただけましたら幸いでございます。

今後とも古美術風光舎名古屋店をよろしくお願い申し上げます。

 

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このところ、整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

ムーラン(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.10

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

8月に入って、一つ目の台風「ムーラン」が南シナ海で発生したそうです。進路を西よりにとってベトナム方面に進み、勢力を落として熱帯低気圧になる予想のため、日本への直接の影響はなさそうですね。

 

ところで、台風にはいつも番号と名前が付けられていますよね。今回の台風7号は「ムーラン」。その前の台風6号は「トローセス」と名付けられています。

私にとって番号の方が馴染み深いので、名前をあまり意識したことはありませんでしたが、(名前の存在も最近までは知りませんでした。)気象庁での公式サイトや天気予報などでは台風の番号と同時に名称も公表しているんです。

 

番号と共に、名前を付けるようになった由来はアメリカから伝わったとか…

アメリカではハリケーンに人名(女性名)をつけることが慣例となっていて、国土交通省によると、「1946年から1952年までの6年間はアメリカの占領下に置かれていたため、その慣例にならい、台風にも番号のほかに英語名をつける」ということになっているそうです。

 

その後も台風に名前を付けるという慣習は続きましたが、北西太平洋や南シナ海で発生した台風防災に関する各国の政府間組織として位置づけられている”台風委員会”が2000年から、この領域で発生する台風に共通のアジア名を付けるということで統一されました。

台風委員会では、加盟している14ヵ国などから提案された名前を一覧として140個の名称をリストにしたものが用意されています。実際にこのリストの1番から順番に、台風が発生した際の名前を付けていくそうです。

アジア名として採用する基準として「文字数が多くないこと」「音節が多くなくて発音しやすいこと」「他の加盟国や地域の言語で感情が害すような意味を持たないこと」などが条件のようで、ちなみにこのリストの中には日本から提案された10個の名称もあります。

・コイヌ

・ヤギ

・ウサギ

・カジキ

・カンムリ

・クジラ

・コグマ

・コンパス

・トカゲ

・ヤマネコ

これらはすべて「星座名」で、理由は特定の個人や法人の名称、商標、地名、天気現象名ではない「中立的」な名称で、かつ自然の事物であって比較的利害関係が生じにくく、天空に大気現象である台風にイメージ上の関連があり、人々に親しまれていることが挙げられています。

 

これらの名称は繰り返し使われていますが、被害が大きかった場合などは、被害発生後に別の名称をつけることがあるそうです。

 

台風にもそれぞれ呼び方があることを知ってから、台風第○○号、と番号だけでなく、名前まで確認してしまう癖がついてしまいました。今回の台風「ムーラン」は、中国が用意した名前で花の名前に由来されているそうです。

 

名称は可愛らしくて、馴染みがあっても、台風はとても危険な災害ですので、やはり常に情報を確認しながら、外の様子などを見て早めに命を守る行動を心掛けなければいけません。

また現在、北日本の停滞前線の影響で大雨が続いている地域の方、とても心配です。皆様どうかお気をつけてお過ごしください。

 

そして早い方は明日からお盆休みに入られるのではないでしょうか。今年のお盆もとっても暑くなりそうなので、熱中症対策を万全に楽しくお過ごしください。

 

では。

 

 

 

Hello everyone. This is staff M.

 

In August, the first typhoon “Mulan” appeared in the South China Sea. The typhoon is expected to take a westward course and head towards Vietnam, weakening to become a tropical cyclone.

 

By the way, typhoons always have numbers and names, don’t they? Typhoon No. 7 this time is “Mulan”. The previous typhoon No. 6 was named Troses.

Numbers are more familiar to me, so I hadn’t paid much attention to their names (until recently, I didn’t even know they existed). At the same time, we are announcing our name.

Along with the number, the origin of the name came from the United States… In the United States, it is customary to give hurricanes human names (female names). , typhoons are also given English names in addition to numbers.”

 

After that, the custom of naming typhoons continued, but since 2000, the “Typhoon Committee”, which is positioned as an intergovernmental organization for typhoon disaster prevention in the Northwest Pacific Ocean and South China Sea, has been established in this area. It was unified by giving common Asian names to typhoons.

 

The Typhoon Committee has prepared a list of 140 names proposed by 14 member countries. In fact, it seems that the name of the typhoon will be given in order from the first on this list.

 

The criteria for adopting an Asian name include conditions such as “not having too many letters,” “not having too many syllables and being easy to pronounce,” and “not having offensive meaning in the languages ​​of other member countries and regions.” So, by the way, there are also 10 names proposed by Japan in this list.

・Koinu ·Goat ·rabbit ・Marlin ・Creeper ・Whale ・Cogma ·compass ・Lizard ・ Wildcat

 

These are all “constellation names” because they are “neutral” names that are not the names of specific individuals or corporations, trademarks, place names, or names of weather phenomena, and they are natural things that are relatively unlikely to create conflicts of interest. , It is mentioned that people are familiar with typhoons, which are atmospheric phenomena in the sky.

 

These names are used repeatedly, but if the damage is serious, it seems that another name may be given after the damage occurs. After learning that each typhoon has its own name, I got into the habit of checking not only the number, but also the name. This typhoon “Mulan” is said to be derived from the name of a flower with a name prepared by China.

 

Although the name is cute and familiar, typhoons are very dangerous disasters. Also, I am very worried about people in areas where heavy rain continues due to the effects of a stationary front in northern Japan. Everyone please take care of yourself.

And the early one will be able to start the obon holiday from tomorrow. It looks like it’s going to be very hot this year’s Obon, so please take all possible precautions against heat stroke and have a great time.

Bye.

 

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夏の帰省などで、ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

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まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

 

 

夏のお知らせ

2022.08.09

平素は古美術風光舎をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。

 

お盆休み中は、出張などにより不在の場合もございますので、お電話にてご連絡いただけましたら幸いです。

 

 

ムーミンの日(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.09

皆さま、こんにちは。スタッフNでございます。

今日はムーミンの日でございます。

 

6月3日から【ム(6)ーミ(3)ン】の語呂合わせにちなんで、元々は日本のムーミンファンが6月3日に記念日を独自制定しておりました。

 

ムーミン誕生60周年となる2005(平成17)年には、全世界で通用する記念日にとの思いから、著者トーベ・ヤンソン氏の誕生日にちなんで8月9日に改定したそうです。

 

Nはムーミンが大好きでして、フィンランドでムーミンの言葉に感銘を受けてから、ムーミンを探してしまう毎日でございます。

 

ファンの方には怒られてしまうかもしれませんが、Nは昔スナフキンとミィに似てると言われたことがあります。

 

昔の写真を見てみると、わからないこともないような気も致します。

 

昔は自分のことが嫌いで、似てると言われた人を嫌う傾向にありましたが、今は愛着がわきます。

 

2019年に日本で2D3D新作アニメが公開されたのですが、今までの平面ではなく立体で、もちもちしているムーミンたちがとても可愛らしいです。

 

大人になってからアニメを見なくなった方も癒されるので是非見てほしいです。

ゆるいながらも時々突っ込みどころ満載なめちゃくちゃなことをしたり、急にはっとする名言を言ったり、意外に楽しめます。

 

今回ムーミンについて調べてみると驚きの事実が明らかになりました。

 

皆さまはムーミンというとどのくらいの大きさだと思われますか?

 

Nは、人間と同じ大きさだと思っておりました。

 

しかし、原作者である女性作家トーベ・ヤンソンによると、ムーミンの身長は電話帳くらいのサイズであるそうです。

 

とても小さいですよね。

 

ムーミンはカバとよく間違えられますが、ムーミントロールという妖精なので、そのくらいのおおきさなのかもしれません。

 

昭和版ムーミンというのもあったのですが、色が暗くて正直可愛いとは言えないキャラクターでございました。

 

昭和版ムーミンは、1969年~1970年、1972年1月~12月31日までにカルピスまんが劇場(後の世界名作劇場)で放送されたアニメ「ムーミン」の事でございます。

有名な「ねぇ!ムーミン」はこの昭和版のムーミンの主題歌だそうです。

しかし作者のトーベ・ヤンソンからは不評で、赤字でもあったためそれを口実に放送を終了したとか。

「楽しいムーミン一家」が作られて以降は、「楽しいムーミン一家」以外のムーミン(昭和版)の再放送やグッズ展開は自粛されているそうです。

ムーミンの著作権を持つムーミン・キャラクターズ社からも昭和版は認められていないそうです。

そして、人間だと思っていたスナフキンは、実はムムリク族という妖精だそうです。

 

そして埼玉県にあるムーミンバレーパーク、いつか行きたいです。

行った際はこちらのブログでも紹介致します。

 

ムーミンHPにはキャラクター診断があるのですが、Nはスナフキンでございました。

 

Twitterに診断結果を上げましたので、ご興味がある方はそちらからやってみてください。

 

@fu_ko_sya(古美術 風光舎 名古屋店)で出てきますので、登録よろしくお願い申し上げます。

 

調べていると、ムーミンは奥が深くて、フィンランドに行って感化されただけでムーミン好きを名乗っていた自分が恥ずかしくなりました。

まずは図書館でムーミンの小説を借りてこようと思います。

 

最後に古美術に関係ありそうな名言を見つけました。

それはいいテントだが、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ。パンケーキ・フライパンも。ぼくたちには、用のなくなった道具だもの

スナフキン   ムーミン谷の彗星  より

スナフキンの言葉に片付けようかと思った皆さま、捨てる前に一度古美術風光舎へご連絡ください。

 

ではでは

 

 

 

Hello everyone. I am Staff N.

Today is Moomin Day.

 

From June 3rd, Japanese Moomin fans originally established their own anniversary on June 3rd, after the pun of [mu (6) – mi (3) n].

 

In 2005, the 60th anniversary of the birth of Moomin, the date was revised to August 9th, the birthday of the author, Tove Jansson, in order to make it an anniversary that can be used all over the world.

 

N loves Moomin, and since he was impressed by Moomin’s words in Finland, he has been looking for Moomin every day.

 

Fans may get mad at me, but I was once told that N looked like Snufkin and Mi.

 

When I look at his old photos, I feel like there is something he doesn’t understand.

 

In the past, he hated himself and tended to dislike people who said he looked like him, but now he’s attached to him.

 

In 2019, a new 2D and 3D animation was released in Japan, but the Moomins who are three-dimensional instead of two-dimensional and sticky are very cute.

 

Even those who haven’t watched anime since becoming an adult will be healed, so please watch it.

It’s surprisingly fun to do crazy things that are loose but sometimes full of impetus, and suddenly say amazing quotes.

 

When I researched Moomin this time, a surprising fact became clear.

 

How big do you think Moomin is?

 

I thought N was the same size as a human being.

 

However, according to Tove Jansson, the original author, the Moomin is about the size of a telephone book.

 

Very small, isn’t it?

 

Moomin is often mistaken for a hippopotamus, but since it is a fairy named Moomintroll, it may be that big.

 

There was also a Showa version of Moomin, but it was a character that was dark and honestly not cute.

 

The Showa version of Moomin is the animation “Moomin” that was broadcast at Calpis Manga Theater (later World Masterpiece Theater) from 1969 to 1970 and from January to December 31, 1972.

 

The famous “Hey! Moomin” is said to be the theme song of this Showa version of Moomin.

However, it was unpopular with the author, Tove Jansson, and it was also in the red, so it was said that the broadcast was ended with that as an excuse.

Since the “Fun Moomin Family” was created, it seems that rebroadcasts and goods development of Moomin (Showa version) other than “Fun Moomin Family” have been refrained.

It seems that the Showa version is not recognized by Moomin Characters, which holds the copyright of Moomin.

 

Snufkin, who he thought was human, is actually a fairy called Mumlik.

 

And I want to go to Moominvalley Park in Saitama Prefecture someday.

I will introduce it on this blog when I go.

 

Moomin HP has a character diagnosis, but N was Snufkin.

 

I posted the diagnosis results on Twitter, so if you are interested, please try it from there.

 

It will appear at @fu_ko_sya (Antique Fukosha Nagoya store), so please register.

 

When I researched it, I found that Moomin has a lot of depth.

First of all, I think I’ll borrow a Moomin novel from the library.

 

Finally, I found a quote that seems to be related to antique art.

It’s a nice tent, but you have to try not to get attached. Throw it away. Also pancakes and frying pans. It’s a useless tool for us
Snufkin from Comet in Moominvalley

 

If you are thinking of putting it away in Snufkin’s words, please contact Antique Fukousha before throwing it away.

 

See you soon

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夏の帰省などで、ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL052(734)8444

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真夏の激闘 (愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.07

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

2022年8月4日から第43回 2022年FIM世界耐久選手権”コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレースが開催され、本日最終日は決勝ですね!

 

毎年10万人のファンが来場する「鈴鹿8耐」は、8時間でコースを何周するかを競い、世界戦の中でも勝つのが難しいレースとして有名です。世界各国から集まるトップレーサーたちの8時間に渡る熱い戦いが見どころですよね。

 

近年はコロナ禍で、2020年、2021年の大会は中止となり、今年は3年ぶりに開催されるということで待ちに待っていた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

スタッフMは勤務中のためライブでは見られませんが、スタッフMの父は大のバイク好きということもあり、テレビの前に張り付いて見ているようです(笑)

 

今年で43回目の大会を迎えた「鈴鹿8耐」、はじまりは1978年(昭和53年)。当時は国内の自動車・オートバイメーカーが排気ガス規制などの環境問題への対応に追われ、さらに石油危機もあり、モータースポーツが一時停滞していた時代だったそうです。

 

そんな閉塞感を打ち破ろうと、新しい耐久レースとして企画されたのがこの「鈴鹿8耐」でした。

当時ホンダはヨーロッパで人気を集めていた耐久レースにホンダRCB1000のワークスマシンを参戦させていました。「不沈艦」と呼ばれるほど圧倒的な強さを見せていたワークスマシンを日本のオートバイファンにお披露目したいという本田宗一郎(ホンダソウイチロウ)の思いもあり、鈴鹿8耐は生まれました。

 

当時は台数集めに非常に苦労し、鈴鹿サーキットはどこにもない耐久レースを目指すべく、「夜の時間にゴールし、打ち上げ花火で締め括る」という演出にもこだわったそうです。

ただ、当時のレース専用バイクにはライトが装着されておらず、「懐中電灯をテープで固定してでも夜間走行でゴールするレース」にこだわり参加チームを説得したのが、当時のチームオフィシャルの藤井暉美(フジイテルヨシ) 。

〈現在のFIM世界耐久選手権に「F.C.C TSR Honda France」として参戦するTSRの藤井正和監督の実父〉

 

この藤井暉美の情熱がチームに理解され、11時30分スタート、19時30分ゴールという伝統の8時間フォーマットで1978年の第1回大会が行われたそうです。

 

ちなみにこの第1回大会で優勝したのが、「ポップ吉村」こと吉村秀雄率いるプライベートチーム「ヨシムラ」のスズキGS1000でした。

最強と言われていたホンダワークスの優勝が予想されていた中で、度重なるトラブルに即座に対処し、独自のノウハウでレースを戦った「ヨシムラ」の優勝に、鈴鹿8耐人気は急上昇。空前のオートバイブームが訪れました。

 

その後、様々なアクシデントや、予想を覆すような展開、ドラマチックな優勝など今でも多くの伝説が語り継がれる「鈴鹿8耐」は国内最大級のレースイベントとなり、今大会まで変わらず愛され続けています。

 

自分で書いておきながら、レースが見たくてうずうずしてきました。

家に帰る頃にはきっと終盤の一番良いところだと思うので、今日は寄り道せずに帰りたいと思います。

では。

 

 

Hello everyone. This is staff M.

 

The 43rd 2022 FIM Endurance World Championship “Coca-Cola” Suzuka 8 Hours Endurance Road Race will be held from August 4, 2022, and today is the final day!

The Suzuka 8 Hours, which attracts 100,000 fans every year, is famous for being one of the most difficult races to win, even among world races, where people compete to see how many laps the course can be completed in 8 hours. The highlight is the 8-hour hot battle of top racers from all over the world.

In recent years, due to the corona disaster, the 2020 and 2021 tournaments have been canceled, and there are many people who have been waiting for the first time in three years.

Staff M is at work so he can’t see it live, but Staff M’s father is a big fan of motorcycles, so he seems to be stuck in front of the TV and watching .

 

 

This year marks the 43rd year of the Suzuka 8 Hours, which began in 1978 (Showa 53). At that time, domestic automobile and motorcycle manufacturers were busy dealing with environmental issues such as exhaust gas regulations, and there was also the oil crisis, and it seems that motor sports were temporarily stagnant.

The “Suzuka 8 Hours” was planned as a new endurance race to break through such a sense of stagnation. At that time, Honda entered the works Honda RCB1000 in endurance races, which were gaining popularity in Europe. The Suzuka 8 Hours was born out of Soichiro Honda’s (Honda Soichiro’s) desire to show Japanese motorcycle fans a works machine that was so overwhelmingly strong that it was called the “unsinkable ship.”

At that time, it was very difficult to collect the number of cars, and in order to aim for an endurance race unlike any other at Suzuka Circuit, he was particular about the production of “going to the finish line at night time and ending with a fireworks display.”

 

However, racing bikes at the time were not equipped with lights, and it was Fujii, an official of the team at the time, who persuaded the participating teams to stick to “a race where you can finish at night even if you fix the flashlight with tape.” Teruyoshi Fujii.

<Father of TSR manager Masakazu Fujii, who participates in the current FIM Endurance World Championship as “F.C.C TSR Honda France”>

 

This passion of Kumi Fujii was understood by the team, and the first tournament in 1978 was held in the traditional 8-hour format, starting at 11:30 and finishing at 19:30.

 

By the way, the Suzuki GS1000 of the private team “Yoshimura” led by Hideo Yoshimura, also known as “Pop Yoshimura”, won the first competition.

 

Honda Works, which was said to be the strongest, was expected to win, but the popularity of the Suzuka 8 Hours skyrocketed with the win of “Yoshimura”, which immediately dealt with repeated troubles and fought the race with its own know-how. An unprecedented motorcycle boom has arrived.

Since then, the Suzuka 8 Hours has become one of the largest race events in Japan, with many legends still being passed down, such as various accidents, unpredictable developments, and dramatic victories.

 

I was itching to see the race while writing it myself. By the time I get home, I’m sure it will be the best part of the final stage, so I’d like to go home without detouring today.

 

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夏の帰省などで、ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。お暑い日が続きますのでくれぐれもご無理のないように、なさってくださいませ。風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

白丸ダム(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎)

2022.08.06

皆さま、こんにちは。スタッフNでございます。

 

祖母の家の片付けをしておりましたら、可愛いアクセサリーを見つけました。

 

古いものでしたが、アンティークとして使えば可愛いですし、何より祖母の形見として何か身に着けておきたかったので、良かったです。

他にも父の母子手帳が出てきたり、物持ちのいい、物を捨てられないタイプの祖母でしたが、こんなに懐かしいものが出てくるとは、驚きです。

 

またまた東京の知人が、白丸ダムの写真を送ってきてくれました。

 

 

 

ダム見学私は行ってことがありません(たぶん)。

写真をみているだけで、落ちたらどうしよう、怖いと思ってしまします。

しかし、いざ行くと圧巻の景色に、さぞ感動するんでしょうね。

 

白丸ダム(しろまるダム)は、東京都西多摩郡奥多摩町白丸、多摩川水系多摩川に建設されたダム。高さ30.3mの重力式コンクリートダムで、東京都交通局の発電用ダムでございます。

ダム湖(人造湖)の名は白丸湖(しろまるこ)と言います。

なんだか、ちびまる子ちゃんみたいで可愛いですね笑

 

 

 

 

櫻坂46の「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」という曲のPVにも出てくるそうです。

現在最も古いというわれているダムは、エジプトのメネス王によってつくられたもので、今から4,900年ほど昔のものだそうです
日本では、ダムは、かんがい用のため池としてつくられ始めました。
いま残っている最も古いダムは、奈良県の蛙股池(かえるまたいけ)や大阪府の狭山池(さやまいけ)で今から1,900年近く昔につくられました。
そんなに昔からあるのですね。
日本の国土交通省で管理しているダムは、128ダムあります。
ダムの種類では、約50%は土を盛ってつくるアースダムで、約40%がコンクリートダム、約10%がロックフィルダムです。
ダムにも種類があるとは、初めて知りました。
ダムの絵を探していると、巨大ダムに直接書かれた絵を発見致しました。
この絵を描いたのはフランスの芸術家デュオElla&Pitrだそうです。巨大な建築物などに絵を描くことで知られている人物で、いつもの絵やアートを見るような視点では見ることができないアートを作ります。
遠くの街や飛行機からも作品が見えるように作るそうです。

また、彼らはホームレスや老人など社会的に無視された人物たちのことを描くため、世界の難民問題に対して取り組んでいるアーティストでもあるそうです。

そして世界のダムは規模が違いました。
  • フーバーダム(Hoover Dam) /アメリカ
  • イタイプダム(Itaipu Dam)/ブラジル
  • スリセーラムダム(Srisailam Dam)/インド
  • バイオントダム(Vajont Dam)/イタリア
  • アルメンドラダム(Almendra Dam)/スペイン
など、アーチ型の豪快な放水が、迫力満点でございます。
写真を見ただけで、すごすぎて気持ち悪くなってきてしまいました。
ダム写真検索はほどほどに・・・
ダムの浮世絵や絵画などもお待ちしております。
ではでは

Hello everyone. I am Staff N.

 

When I was cleaning up my grandmother’s house, I found a cute accessory.

 

It was old, but it’s cute if you use it as an antique, and above all, I wanted to keep it as a memento of my grandmother, so it was good.

My father’s mother and child handbook was also found, and my grandmother was the type of person who didn’t throw things away, but it’s surprising to find something so nostalgic.

 

An acquaintance in Tokyo sent me another photo of Shiromaru Dam.

 

 

 

 

Dam tour I have never been (probably).

Just looking at the pictures makes me feel scared, what if I fall?

However, when you go there, you will surely be impressed by the spectacular scenery.

 

Shiromaru Dam (Shiromaru Dam) is a dam built on the Tama River in the Tama River system in Shiromaru, Okutama Town, Nishitama District, Tokyo. This 30.3m high concrete gravity dam is a power generation dam operated by the Tokyo Metropolitan Transportation Bureau.

The name of the dam lake (artificial lake) is called Shiromaruko.

Somehow, it looks like Chibi Maruko-chan, so cute lol

 

 

 

 

 

 

It seems that it will also appear in the PV of Sakurazaka46’s song “Why didn’t you fall in love?”

The oldest dam is said to have been built by King Menes of Egypt about 4,900 years ago.

In Japan, dams began to be built as reservoirs for irrigation.
The oldest surviving dams were constructed nearly 1,900 years ago at Kaerumaike Pond in Nara Prefecture and Sayamaike Pond in Osaka Prefecture.

It’s been that long.

There are 128 dams managed by the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism of Japan.
About 50% of dams are earth dams, 40% are concrete dams, and 10% are rockfill dams.

I learned for the first time that there are different types of dams.

When I was looking for a picture of a dam, I found a picture drawn directly on a huge dam.

The painting was done by the French artist duo Ella & Pitr. He is known for his paintings on gigantic buildings, etc., and creates art that cannot be seen from the usual perspective of looking at paintings and art.
It seems that the work will be made so that it can be seen from distant cities and airplanes.

In addition, they are also artists who are working on the world’s refugee problem to draw socially ignored people such as homeless and elderly people.

 

And the dams of the world differed in scale.
Hoover Dam / USA
Itaipu Dam / Brazil
Srisailam Dam / India
Vajont Dam / Italy
Almendra Dam / Spain
And so on, the powerful arch-shaped water discharge is impressive.

Just looking at the photo made me feel sick.

Dam photo search in moderation…

Ukiyo-e and paintings of the dam are also waiting for you.

See you soon

 

 

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