4月, 2022 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 3

お知らせ

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FROMKYOTOOSAKA

南区のお客様より買受いたしました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.11

 

 

南区のお客様より、掛軸、お道具など買受いたしました。

この度は大切な御品をお譲りくださいまして、誠にありがとうございました。

 

またご縁がございましたら、古美術風光舎名古屋店をよろしくお願い申し上げます。

 

 

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新年度を迎えました。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。

ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

薄墨色を見に行ってまいりました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 古い物買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.10

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

こちら名古屋、桜の花もそろそろ終わりになってまいりました。

その花びらに隠れて準備を始めていた新緑が次の出番を待っていたかのように顔を出しはじめ、気が付くと至る所に薄っすらぼんやりした緑が木々を覆いはじめております。

この何とも言えない季節の変わり目の移ろいが、本当に好き。ことに春の移ろいは、様々な命の息吹を実感でき、毎年少しでも実感したいとこの時期、なんだか落ち着きがありません笑。

 

先日はその落ち着きのなさがいよいよ発動してしまい、その命の息吹をまさしく実感することのできる「桜」を見に行って参ました。

随分前から、生きてるうちに(大げさな…)絶対に行かねばと心にしたためておりました岐阜県本巣市の

「薄墨桜」でございます。

 

 

 

美しい名前ですね。この桜、岐阜県本巣市根尾地区の淡墨公園にある樹齢1500年以上のエドヒガンザクラでありまして、国の特別天然記念物となっています。淡墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色にちなんでおります。樹高16.3m、幹囲目通り9.91m、枝張りは東西26.90m、南北20.20m。樹齢は1500余年と推定され、継体天皇のお手植えという伝承が。日本三大巨木のひとつではありますが、そんなことよりも枝を大きく張り圧倒的なその生命力と息吹を体感しに行きたいなとかねてからの夢でありました。

 

 

昨今の状況下もあったのですが、それよりも何よりもお隣岐阜県と申しましてもここ名古屋からでもなかなかのアクセスでありまして。「この時期のこのお天気の日にこの桜をみにいこう。」と、心に誓わねばなかなかたどり着けないところであります。いえいえ、ありました…。

 

とにもかくにもカメラマンの腕前ではこのさくらの大きさがうまく伝わららないことに、少々残念ではございますが、周りの人の大きさと比較しながら、まずは「薄墨桜」ご覧になってくださいませ。

 

 

 

 

その巨木の大きさや薄墨の花びらが散る様子などが想像できますでしょうか。うまく伝えるのは難しい…。

 

 

樹齢1500年ともなりますとこれまで幾度となく風雪などによる枯死のピンチにあうことも多々。そのたびに多くの人々による保護再生をうけ、なんとか再生復活。この桜の生命力の他に薄墨桜は人々の保護再生の歴史でもあり、作家の宇野千代さんがその保護を訴えたりとたくさん方々の桜への活動もよく知られておりますよね。

そんな思いをも1500年受け継ぎながら、今年も桜は枝を大きく張りめぐらし、薄墨の花びらを精一杯咲かせ満開。見事ですね。

 

 

先にも述べましたこの桜は、蕾の時は薄いピンク、満開にいたっては白色、散りぎわには独特の淡い墨色にであり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらにちなんで呼ばれております。

その様子を継体天皇が皇子の頃、隠れて養育されていた岐阜県本巣より都へ帰る際にお世話になった住民に桜の苗木を植えて詠んだ歌がございますよ。

 

 

 

 

身 の 代と 遺す桜は 薄住よ 千代にその名を 栄盛へ 止むる
(みのしろと のこすさくらは うすずみよ ちよにそのなを さかえ とどむる)

 

たぶん、私が昨日見てきました同じ桜の前に立ち同じ薄墨色を見て、継体天皇はこのように詠んでいるのでしょうが、当時より薄墨色が大変印象に残っていたのでしょう。そして、継承天皇の詠まれたように、この「薄墨桜」が、千代にその名を残していることを、なによりもこの桜はきっと驚いていることでしょう。

 

1500年を経て千代にその名を栄盛へととむるべくたくましく生き延びた巨木に、「これまで迎えた1500回の満開の景色はどうだった?」とこれまでの物語を尋ねてみたい思いでありました。

 

みなさま一度は、「薄墨桜見に行くぞ」と、気合を入れて訪れてみてくださいませ。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Here in Nagoya, the cherry blossoms are almost over.

The fresh green, which had begun to prepare behind the petals, began to appear as if it was waiting for the next turn, and when I noticed it, the faint green was beginning to cover the trees.

I really like the transition of this indescribable season. Especially in the transition of spring, I can feel the breath of various lives, and at this time when I want to feel it even a little every year, I feel somewhat restless lol.

 

The other day, the restlessness was finally activated, and I went to see “Sakura” where you can really feel the breath of life.

For a long time, I had been thinking that I should definitely go while I was alive (exaggerated …) in Motosu City, Gifu Prefecture.

It is “Usuzumi Sakura”.

 

It’s a beautiful name. This cherry tree is an Edohigan cherry tree over 1500 years old in the Tansumi Park in the Neo district of Motosu City, Gifu Prefecture, and is a national special natural monument. The light pink cherry blossoms are light pink when they are buds, white when they are in full bloom, and have a peculiar light ink color when they are scattered. Tree height 16.3m, trunk enclosure street 9.91m, branching 26.90m east-west, 20.20m north-south. The age of the tree is estimated to be over 1500 years, and it is said that the Emperor Keitai planted it by hand. Although it is one of the three giant trees in Japan, it has been a dream since I wanted to experience its overwhelming vitality and breath with its branches larger than that.

 

 

 

There was a situation these days, but more than anything else, even if I say Gifu prefecture next door, it is quite accessible from here in Nagoya. It’s hard to reach if I have to swear to my heart, “Let’s go see this cherry blossom on this sunny day at this time.” No, there was …

 

Anyway, it’s a little disappointing that the size of this cherry tree is not transmitted well by the skill of the cameraman, but please take a look at “Usuzumi Sakura” first while comparing it with the size of the people around you. No.

 

Can you imagine the size of the giant tree and how the petals of light ink are scattered? It’s difficult to tell well …

 

When the tree is 1500 years old, it often encounters a pinch of death due to wind and snow. Every time, it was protected and regenerated by many people, and somehow it was revived. In addition to the vitality of this cherry blossom, Usuzumi Sakura is also a history of people’s protection and regeneration, and many people’s activities for cherry blossoms are well known, such as the writer Chiyo Uno appealing for its protection.

While inheriting such thoughts for 1500 years, the cherry blossoms have large branches and the petals of thin ink are in full bloom this year as well. It’s wonderful.

 

As mentioned earlier, this cherry blossom is light pink when it is a bud, white when it is in full bloom, and has a unique light ink color when it is scattered. We are here.

There is a song about the situation when Emperor Keitai planted cherry blossom saplings to the residents who were taken care of when he returned to the capital from Motosu, Gifu prefecture, where he was hidden and raised.

 

The body and the cherry blossoms that are left behind are thinly lived, and their name stops in Sakae in Chiyo.
(Minoshiro and her rubbing Sakura she’s thin, she’s back to her, and she’s staying with her)

 

Perhaps the Emperor Keitai wrote in this way when he stood in front of the same cherry blossoms that I saw yesterday and saw the same light ink color, but the light ink color was very impressive from that time. And, as the Emperor of Japan wrote, this “Usuzumi Sakura” has left its name in Chiyo, and above all, this cherry tree will surely be surprised.

 

I would like to ask the story of the giant tree, which survived 1500 years later to make its name prosperous, asking, “How was the view of the 1500 full blooms you have received so far?” was.

 

Everyone, please come visit us someday with a spirit of “I’m going to see the cherry blossoms.”

 

Well then, good luck.

 

 

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風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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美術展の日、黒猫日和(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.09

皆さまこんにちは

 

最近、キムチ豆腐にはまっております、スタッフNでございます。

 

 

今日は朝から嬉しいことがございました。

先ほど、ポスティング途中で可愛い黒猫にお会いすることができました。

猫を見ると咄嗟に写真を撮ってしまうのですが、今回は残念ながらうまく取れませんでした。

黒猫は縁起が悪いと嫌われがちですが、私の周りの黒猫はそういわれているのがわかっているのか、人懐っこくいい子が多い気が致します。

写真は私の家にある、黒猫の絵でございます。ガンダムなどの絵も描いている有名な方だそうです。

野良猫に会う機会もめっきり減ってきて少し寂しい気も致しますが、皆どこかのおうちの子になって室内で幸せに暮らしていることを願います。

この黒猫、帰り道にもう一度再会することができて幸せな日でございました。

 

 

 

さて、4月9日は、1667年にフランス・パリで世界初の美術展が開催された日だそうです。

 

フランスの王立アカデミーが、パレロワイヤルの一画でこの日から23日まで、アカデミー会員の作品を一般公開いたしました。しかし、当時の人はあまり関心を示さず、その後も1年おきに実施されましたが、反応はいまひとつで、美術は王侯貴族のものであって、大衆にはそんな余裕はなかったようでございます。

 

もともとアカデミーは、徒弟制のもとで工房、職人組合など属していた画家や彫刻家、あるいは音楽家達が、芸術は知的な学問分野であり旧弊な制度は廃されるべきだとして結成した自由な集まりでありました。やがて彼らは国王直属の機関となり、ヨーロッパに冠たる芸術国家を作ろうという国家の芸術政策のもと、芸術家の育成・表彰・展示といった特権を独占致します。フランス革命前に、芸術関係では、絵画彫刻アカデミー(1648年、シャルル・ルブランらにより設立)音楽アカデミー(1669年設立)建築アカデミー(1671年設立)がございました。

フランス革命議会により、1791年王立アカデミーは廃止されましたが、1795年に再興致しました。王政復古期の1816年に「芸術アカデミー」に統合されました。

アカデミー制度の中心になるのは、修業方式でない方法で芸術家を育てる教育機関(エコール・デ・ボザール)、若手の芸術家から優秀な者を選びイタリアなどへの学習旅行を贈るコンクール(ローマ大賞)、自分達の発表の場を自分達で確保する展覧会(サロン)の3つでございます。

エコール・デ・ボザールは、17世紀のフランス王立アカデミーの付属学校が起源でございます。1819年に、絵画・彫刻・建築の部門が統合され、国立の美術学校(エコール・デ・ボザール)となりました。1968年の5月革命後、組織の再編が行われました。

ローマ大賞は、1803年に創設されました。絵画、彫刻、建築、音楽の各分野から毎年1名が選ばれ、ローマ留学の資格を得ることができます。現在は廃止されています。

フランス王立絵画・彫刻アカデミーは、1667年にパレ・ロワイヤル(パリ)で作品展を行い、これが美術展の始まりとされております。ルーヴル宮サロン・カレ(方形の間)で開催される展覧会(官展)をサロンと呼びました。

フランス革命後、絵画・彫刻アカデミーは廃止されますが、王政復古のもとで芸術アカデミーに統合されます。革命後、サロンはアカデミー会員による審査のもと、アカデミーに属しない一般の画家にも開かれました(公募展の始まり)。サロンへの出展が決まることが若手美術家の目標であり、サロンは登竜門になりました。アカデミーの審査員は、新古典主義的な美学を持っており、また旧来の貴族や新興のブルジョワたちの趣味に迎合する傾向があったため、保守化の傾向にありました(アカデミズム)。サロンでは新しい傾向の作品は受け入れられず、次第に若い作家たちの間に不満が高まっていきました。これら新しい傾向は、欧州を覆う自由主義を求める政治運動や科学の急速な発展とも密接につながっていおりました。

 

第二帝政期、皇帝ナポレオン3世は独自の芸術政策を進めてアカデミーと対立いたします。1863年には例年になく厳しい審査に、落選させられた作家たちの不満が高まると、皇帝は美術愛好者や大衆に判断を任せるため、落選作品を集めた展覧会を開くことをアカデミーに命じました。この「落選展」で、マネの「草上の昼食」が日常生活の裸を描いたことでスキャンダルを起こし話題になりました。1881年にフランス芸術家協会が設立され、サロンの運営を行うことになりました(民営化)。

1874年にはのちに印象派と呼ばれるグループが独自の展覧会(第1回印象派展)を開きました。1884年には無審査・出品無制限のアンデパンダン展(Salon des Indépendants)、また、1890年には別に国民美術協会(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)主催のサロンも開催されるようになります。1903年のサロン・ドートンヌ展開催以降も多くのサロンが誕生するようになっていきます。

印象派など、後に近代美術の祖となった芸術家たちはそれぞれの美学に立って、アカデミーの美術学校(エコール・デ・ボザール)が教えるような技巧優先の保守的な美術を「アカデミー的(アカデミック)」と呼んで攻撃しました。アカデミーに属さずサロンにも出さない美術家が増え、彼らは独自のグループや結社を組み、個展や独自のグループ展を行うようになりました。20世紀に入り第一次世界大戦以後、これら19世紀半ばの近代美術の画家達が評価されるようになると、逆に彼らを攻撃した芸術アカデミーのアカデミックな作風の大家たちは忘れられるようになっていきます。

官展の流れを汲むサロン(ル・サロン、フランス芸術家協会展)は現在でも毎年行われていますが、近年はこれまで使用していたグラン・パレ(1900年のパリ万博に際し建てられたガラスと鉄骨の大展覧会場)が老朽化し修理のため長い閉鎖に入ったため、他の大規模会場でサロンを行っています。また、第二次世界大戦後は芸術の中心がパリからニューヨークに移動したこともあり、サロンが芸術界(アート・ワールド)に及ぼす影響も、かつてほど大きくなくなっています。2006年以降、グラン・パレでのサロン展再開に伴い、複数のサロンが合同で開催されるSalon EN CAPITALが開催されるようになり、今後のフランス・サロン界の巻き返しが期待されています。また、2008年にはフランス学士院総裁である、Prince Gabriel de BROGLIE (Chancelier de l’institut de France) により、LA SECTION DE GRAVURE DE L’ACADEMIE -DES BEAUX-ARTS EXPOSE ET RECOIT SES INVITESが、グーテンベルクから変容し続ける版画(印刷術、書誌学)をテーマに4人のアカデミシャンへのオマージュ展として、現代活躍する版画家を招き開催されました。

 

フランスの芸術に寄与したことにより、会員(正会員・準会員)に選出された日本人がいます。例えば氏家齊一郎氏は、日本でのフランス美術の展覧会の主催、ルーブル美術館のモナ・リザの間に出資するなどの功績により選出されました。本会員は、毎週木曜日のアカデミーの会議等への出席が義務付けられています。

他にも、丹下健三(建築家、準会員)、小林與三次(読売新聞名誉会長・日本テレビ放送網会長、準会員)、小澤征爾(指揮者)(2001年、準会員。2008年9月24日〜、日本人初の本会員)などが会員に選出されております。

昔の人々のおかげで、私たちが美術を手軽に楽しめるようになったのですね。

もっと美術館に足を運んでみようと感じました。

ではでは

 

 

Hello everyone

My name is Staff N and I’m addicted to kimchi tofu recently.

I was happy from the morning today.

Earlier, I was able to meet a cute black cat during posting.

When I see a cat, I take a picture, but unfortunately I couldn’t take it well this time.

Black cats are often disliked because they are unlucky, but I think there are many friendly children who know that the black cats around me are said to be so.

The picture is a picture of a black cat in my house. He seems to be a famous person who also draws pictures such as Gundam.

I feel a little lonely because the chances of seeing stray cats are decreasing, but I hope that everyone will be a child of somewhere and live happily indoors.

It was a happy day to see this black cat again on the way home.

By the way, April 9th ​​is the day when the world’s first art exhibition was held in Paris, France in 1667.

The Royal Academy of France has released the works of the Academy members to the public from this day to the 23rd in a part of Palais Royal. However, people at that time did not show much interest, and it was carried out every other year after that, but the reaction was not good, the art belonged to the royal aristocrats, and it seems that the public could not afford it. increase.

Originally, the academy was formed by painters, sculptors, and musicians who belonged to workshops, craftsmen’s unions, etc. under the apprenticeship system, saying that art is an intellectual academic field and the old system should be abolished. It was a gathering. Eventually, they will become an institution under the direct control of the King, and will monopolize the privileges of training, commending, and exhibiting artists under the national art policy of creating an art nation that is crowned in Europe. Before the French Revolution, in the arts field, there was the Academy of Painting and Sculpture (established by Charles Le Brun and others in 1648), the Academy of Music (established in 1669), and the Academy of Architecture (established in 1671).

The Royal Academy was abolished by the French Revolutionary Parliament in 1791, but revived in 1795. It was integrated into the “Academy of Arts” in 1816 during the Restoration.

At the center of the academy system is an educational institution (Ecole des Beaux-Arts) that trains artists in a non-training manner, and a competition that selects excellent young artists and gives them a study trip to Italy (Prix de Rome). ), There are three exhibitions (salons) that secure their own place for presentation.

The Ecole des Beaux-Arts originated from the school attached to the Royal Academy of France in the 17th century. In 1819, the painting, sculpture and architecture departments were integrated into the National School of Fine Arts (Ecole des Beaux-Arts). After the May 1968 revolution, the organization was reorganized.

The Prix de Rome was founded in 1803. One person is selected each year from the fields of painting, sculpture, architecture and music to qualify for study abroad in Rome. It is now obsolete.

The Royal Academy of Painting and Sculpture in France held an exhibition at Palais Royal (Paris) in 1667, which is considered to be the beginning of the art exhibition. The exhibition (public exhibition) held at the Louvre Palace Salon Carré (square room) was called a salon.

After the French Revolution, the Academy of Painting and Sculpture will be abolished, but will be integrated into the Academy of Arts under the Restoration. After the revolution, the salon was opened to general painters who did not belong to the academy under the examination of academy members (beginning of the open call for participants exhibition). It was the goal of young artists to decide to exhibit at the salon, and the salon became a gateway to the dragon. Academy judges tended to be conservative because of their neoclassical aesthetics and their tendency to embrace the tastes of old aristocrats and emerging bourgeois (academism). New trends were not accepted at the salon, and dissatisfaction gradually increased among young artists. These new trends were also closely linked to the political movement for liberalism over Europe and the rapid development of science.

During the Second Empire, Emperor Napoleon III pursued his own artistic policy and confronted the Academy. In 1863, when the dissatisfaction of the rejected writers increased due to an unusually rigorous examination, the emperor ordered the academy to hold an exhibition of the rejected works in order to leave the judgment to art lovers and the masses. I did. In this “Salon des Refusés”, Manet’s “Lunch on the grass” caused a scandal and became a hot topic because it portrayed the nakedness of everyday life. The French Artists Association was established in 1881 to operate the salon (privatization).

In 1874, a group later called the Impressionists held their own exhibition (the 1st Impressionist Exhibition). In 1884, an unexamined and unlimited exhibition of Indépendants (Salon des Indépendants) will be held, and in 1890, a separate salon sponsored by the National Art Association (Societe National de Bozar) will be held. Many salons will be born after the Salon d’Automne exhibition in 1903.

Artists who later became the ancestors of modern art, such as the Impressionists, stand in their own aesthetics and “academic (academic)” conservative art that prioritizes craftsmanship as taught by the Academy’s art school (Ecole des Beaux-Arts). ) ”And attacked. The number of artists who do not belong to the academy and do not appear in the salon has increased, and they have formed their own groups and associations, and have started to hold solo exhibitions and their own group exhibitions. After World War I in the 20th century, when these painters of modern art in the middle of the 19th century were evaluated, the academic style masters of the art academy who attacked them were forgotten. I will continue.

The salon (Le Salon, French Artists Association Exhibition) is still held every year, but in recent years it has been used until now at the Grand Palais (glass built at the 1900 Paris Exposition). And the large steel exhibition hall) has been closed for a long time due to aging and repairs, so we are holding salons at other large halls. Also, after World War II, the center of art moved from Paris to New York, and the influence of salons on the art world is less than it used to be. Since 2006, with the resumption of the salon exhibition at the Grand Palais, Salon EN CAPITAL, which is held jointly by multiple salons, has been held, and it is expected that the French salon world will rebound in the future. In 2008, LA SECTION DE GRAVURE DE L’ACADEMIE -DES BEAUX-ARTS EXPOSE ET RECOIT SES INVITES was released by Prince Gabriel de BROGLIE (Chancelier de l’institut de France), the president of the French Academy. The exhibition was held as a tribute to four academicians with the theme of ever-changing prints (printing, biography), inviting contemporary printmakers.

 

There are Japanese people who have been elected as members (regular members / associate members) for their contribution to French art. For example, Seiichiro Ujiie was elected for his achievements such as hosting an exhibition of French art in Japan and investing in the Mona Lisa of the Louvre Museum. Primary members are required to attend academy meetings every Thursday.

In addition, Kenzo Tange (architect, associate member), Yosoji Kobayashi (Yomiuri Shimbun Honorary Chairman, Nippon Television Network Chairman, associate member), Seiji Ozawa (conductor) (2001, associate member, September 2008) From the 24th, the first Japanese main member) has been elected as a member.

Thanks to the people of the past, we can now enjoy art easily.

I felt like going to more museums.

See you soon

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新年度を迎えました。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

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昨日に引き続き(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.08

皆さま、こんにちは。スタッフⅯです。

 

名古屋は最近、連日暖かく長袖では少し汗をかいてしまうような天気です。

私のブログはいつもはじめに天気を語りがちと知人に言われました。笑

スタッフMの恒例としてしまおうか悩み中です。

 

ちなみに、天気の良い日は今週まで。来週は天気も崩れ、雨が降るそうです。

皆さま、念のため持ち運びに便利な折り畳み傘をかばんに1つ入れておくことをおススメします!

 

 

 

お天気の話はここら辺にして、昨日のブログで私が「今いちばん行ってみたいところ」についてLAの美術館を取り上げさせていただきましたが、今日はブログの最後にも少し書かせていただいたニュージーランドの街について書かせていただきます。

 

私が訪れたのは、ニュージーランドの首都、ウェリントン。ちなみにニュージーランドの首都はオークランドじゃないの?!と思った方いらっしゃったのではないでしょうか。

私も身内がウェリントンに留学をしていたこともあり、旅行に行くことにしたのですが、それまでてっきりオークランドが首都だと思っていました。

でもニュージーランドで何か起きると映される国会議事堂もちゃんとこのウェリントンにあるんですよ。

 

 

ウェリントンはクック海峡に面する北島最南端部に位置し、比較的小さい都市ですが、水辺の遊歩道、砂浜、活気のある港、カラフルな家屋など。多くの見どころがあります。

 

 

今回は私が実際に行ってみて、是非皆さまにも行っていただきたいというおすすめの場所が3つあるのでご紹介させてください。

 

 

 

まず1つ目に、ニュージーランド国立博物館「テ・パパトンガレワ」です。

 

 

 

1988年にオープンしたニュージーランドの文化や歴史について学ぶことができる博物館で、「テ・パパ・トンガレワ」とはニュージーランドの先住民マオリ族の使うマオリ語で「宝のある場所」という意味です。その名の通り、展示品は2万5000点にものぼります。

 

ニュージーランドの案内板は英語とマオリ語の2つで書かれていたり、国歌の一番の歌詞もマオリ語になっているくらい先住民族の文化をとても大切にしている国です。ニュージーランドという国を知るには、一番良い博物館になっていると思います。

 

 

 

 

次に2つ目、「ウェリントン植物園」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウェリントン市街を走る名物にもなっている赤いケーブルカーに乗ってアクセスすることができる植物園で、25ヘクタールの広大な園内には、たくさんの緑と花々であふれていて、ヒーリングにはぴったりの場所でした。

日本ではあまり見ることのない花にも出会えたりと、退屈せずに見てまわることができます。

またウェリントンはそこまで大きくない街なので、ケーブルカーで行った先の高台から街全体を見渡すことができます。街の景色と花々の組み合わせが最高のスポットです。

 

 

 

 

最後に3つ目、「キューバ・ストリート」。

 

 

 

ウェリントンを満喫するには外せない場所で、おしゃれなカフェや美味しいレストラン、雑貨屋などが軒を連ねます。

時間帯によっては、ストリートミュージシャンや、大道芸人のパフォーマンスも楽しむことができ、私が実際に行った時も、パフォーマンスをしていて和気藹々としていました。

 

 

通りの建物も独特な作りになっていて、見ているだけでも楽しむことができたり…

 

またウェリントンはヨーロッパからも注目される程、カフェ文化が盛んなので、若い方はカフェ巡りなんかされても楽しいかもしれません。実際に、ちょっと歩けばカフェが見つかり、コーヒー好きの私にはたまらない場所でした。

 

まだまだおすすめしたいところですが、ここらへんにしておきます。

 

実際に行ってみた感想として、ウェリントンの街全体がアートのような感じで、お散歩するだけでも楽しむことができる街だと思いました。旅行大好きな私としては、また行きたい国です。

 

旅好きスタッフⅯのブログでは、皆さまが少しでも楽しんでいただけるようなおすすめの場所や旅の感想などをこれからも交えてブログを書きたいと思いますので、またお付き合いいただけたら幸いです。

 

 

 

Hello everyone. It is staff Ⅿ.

Recently, the weather in Nagoya is warm every day and it makes me sweat a little with long sleeves. My blog was always told by an acquaintance that I tend to talk about the weather at the beginning. Smile I’m worried about whether it will be the custom of Staff M.

 

By the way, the sunny days are until this week. It seems that the weather will collapse and it will rain next week. We recommend that you put one folding umbrella in your bag just in case!

 

I’ve talked about the weather around here, and yesterday’s blog covered the LA museum about “the place I want to go the most”, but today I wrote a little about New Zealand at the end of the blog. I will write about the city of New Zealand.

 

I visited Wellington, the capital of New Zealand. By the way, isn’t Auckland the capital of New Zealand? !! I think there was someone who thought that. Since my relatives were studying abroad in Wellington, I decided to go on a trip, but until then I thought that Auckland was the capital. But the Capitol, which is supposed to happen in New Zealand, is also in Wellington.

 

Wellington is a relatively small city on the southernmost tip of the North Island facing the Cook Strait, but with waterside promenades, sandy beaches, lively harbors and colorful houses. There are many attractions.

 

The first is the Museum of New Zealand Te Papatongarewa.

Opened in 1988, it is a museum where you can learn about New Zealand’s culture and history. “Te Papa Tongarewa” is a Maori word used by New Zealand’s indigenous Maori people to mean “a place with treasure.” As the name suggests, there are 25,000 exhibits.New Zealand’s information board is written in both English and Maori, and the first lyrics of the national anthem are also in Maori, so it is a country that values ​​indigenous culture very much. I think it’s the best museum to get to know New Zealand.

 

Next is the “Wellington Botanic Garden”.

A botanical garden accessible by ride on the red cable car, which is also a specialty of the city of Wellington, the vast 25-hectare garden is full of greenery and flowers, making it a perfect place for healing. bottom. You can see flowers that you rarely see in Japan without getting bored. Wellington isn’t that big, so you can see the whole city from the hills ahead by cable car. The combination of city views and flowers is the best spot.

 

Finally, the third one is “Cuba Street”.

It’s a must-see place to enjoy Wellington, with fashionable cafes, delicious restaurants and general merchandise stores. Depending on the time of day, I could enjoy the performances of street musicians and street performers, and when I actually went there, I was performing and being harmonious.The buildings on the street are also unique, and you can enjoy them just by looking at them … Wellington has a lot of cafe culture that attracts attention from Europe, so young people may enjoy visiting cafes. In fact, I found a cafe just a short walk away, and it was an irresistible place for me, who loves coffee.

 

I would like to recommend it, but I will leave it here.

When I actually went there, I thought that the whole city of Wellington was like art, and I could enjoy it just by taking a walk. As a travel lover, I want to go there again. In the blog of Travel-loving Staff Ⅿ, I would like to continue to write blogs with recommended places and impressions of travel that everyone can enjoy as much as possible, so I would appreciate it if you could keep in touch with me again.

 

 

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新年度を迎えました。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。

ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

 

 

 

今いちばん行ってみたいところ(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.07

こんにちは、スタッフⅯです。

 

昨晩、速報で新型コロナウイルスの水際対策について、106か国の入国拒否を解除するニュースが流れました。

 

最近、海外に行けるようになったら訪れてみたい場所についてよく考えているのですが、とくに一番気になっている場所があります。

 

ロサンゼルスにある美術館「THE BROAD(ザ・ブロード)」です。

 

こちらの美術館は2015年にロサンゼルスの中心部にできた今とっても人気なスポットだそうです。

アクセスのしやすさはもちろん、こちらの美術館なんと入場料が無料なのです。

 

資産家イーライとその妻エディスブロード夫妻のプライベートコレクションを集めた個人美術館で、作品数はなんと2000点以上。

 

絵画から、アーティスティックな立体作品、空間を利用した作品と、大きな物から小さな物まで非常に様々な作品が展示されています。そして現在も1週間に1作品以上現代アートが増え続けているそうです。

 

とくにこちらの美術館で一番の注目作品と言えば、日本を代表する作家「草間彌生」さんのアートで「Yayoi Kusama’s Infinity Rooms」。

 

合わせ鏡を用いてLEDライトが無限に広がる空間を作り出し、独特な世界観が表現されています。

こちらの部屋はひとりor1組あたりにつき45秒間与えられるプライベート空間で、ここで写真を撮ったりできます。写真だけ見ても、宇宙空間にいるようで神秘的な世界が広がっています。

 

ロサンゼルスには「THE BROAD」以外にも様々な美術館や、ギャラリーが存在します。

 

例えば、通称「MOCA」と言われる「ロサンゼルス現代美術館」。

ここは「THE BROAD」のように現代美術を多く扱っており、「キャンベルのスープ缶」や「マリリンのディスパッチ」等で有名なアンディーウォーホルの作品が常設されています。

 

アート以外にも館内には「MOCA Store」というミュージアムショップもあります。センスの良いオリジナルグッズも豊富で、欲しいモノがたくさんありました。

 

他にも、通称「LACMA」と言われる「ロサンゼルス郡立美術館」。

 

ここには世界各国から作品が集められ、西海岸最大級の美術館と言われています。

こちらにはインスタスポットとしても人気の「urban light」という作品があります。無数のライトの間を歩いたりすることもでき、プロポーズの舞台にもなるほど美しいのだとか…

アートを観ながらプロポーズ、とっても素敵ですね。

 

 

書けば、書くほど、行きたい!という思いが強くなってきます。

 

以前は、旅行の醍醐味は”食”と思っていましたが、年齢を重ね、最近は旅番組などでも美術館が取り上げられているのを見て、美術館巡りを中心とした旅も良いな、と感じるようになりました。

 

私は自分がその国へ行った気持ちにさせてくれる旅番組が大好きでそこから旅の情報を得るのですが、皆様はどのように旅の情報を集めますか?

 

最近は旅番組で気分を高めているのですが、やはり実際に現地に行って、文化に触れ、たくさんのモノを自分の目で見たいですよね!

今は自由に国外旅行をすることは難しいですが、いつか行ける時が来ることを待ちながら…

いつかの時のために、情報収集をもっと頑張りたいと思います。

 

 

この写真はロサンゼルスではないのですが、ニュージーランドのウェリントンという町に行った時に立ち寄ったギャラリーにあった作品のひとつです。

この町の人柄が分かるような作品でとてもお気に入りの一枚です。

 

 

Hello, this is Staff M.

Last night, breaking news came out about the border measures for the new coronavirus, which lifted the entry denials of 106 countries.

Recently, I’ve been thinking about places I would like to visit when I can go abroad, but there is a place I’m particularly interested in.It is a museum “THE BROAD” in Los Angeles.

 

This museum is said to be a very popular spot that was opened in the center of Los Angeles in 2015. Not only is it easy to access, but admission to this museum is free.

 

It is a private museum that collects private collections of wealthy man Eli and his wife Edith Broad, and has more than 2000 works. A wide variety of works, from paintings to artistic three-dimensional works and works that utilize space, from large to small ones are exhibited. And even now, it seems that more than one piece of contemporary art is increasing every week.

 

The most notable work in this museum is “Yayoi Kusama’s Infinity Rooms”, which is the art of Yayoi Kusama, a leading Japanese artist. A unique world view is expressed by creating a space where LED lights spread infinitely using a mirror.

This room is a private space given for 45 seconds per person or group, and you can take pictures here. Even if you look only at the pictures, you can see the mysterious world that seems to be in outer space.

 

In addition to “THE BROAD”, there are various museums and galleries in Los Angeles. For example, the “Museum of Contemporary Art Los Angeles,” commonly known as “MOCA.” Many contemporary arts such as “THE BROAD” are dealt with here, and works by Andy Warhol, who is famous for “Campbell’s Soup Can” and “Marilyn Diptych”, are permanently installed.

In addition to art, there is also a museum shop called “MOCA Store” in the museum. There were a lot of original goods with good taste, and there were many things I wanted.

 

In addition, the “Los Angeles County Museum of Art,” commonly known as “LACMA.” Works from all over the world are collected here, and it is said to be one of the largest museums on the west coast. There is a work called “urban light” which is also popular as an Instagram spot. You can walk between countless lights, and it’s so beautiful that it can be used as a proposal stage … Proposal while watching art is very nice.

 

The more I write, the more I want to go! The feeling becomes stronger.

I used to think that the real thrill of traveling was “food,” but as I grew older, I saw that museums were featured in travel programs, and I thought it would be good to travel around museums. I came to feel it. I love travel programs that make me feel like I’ve been to that country, and I get travel information from them. How do you collect travel information?

 

Recently, I’ve been feeling better with a travel program, but after all I want to actually go to the site, get in touch with the culture, and see a lot of things with my own eyes! It’s difficult to travel abroad freely now, but I’m waiting for the time to go … I would like to do my best to collect information for some time.

 

This photo isn’t in Los Angeles, but it’s one of the works in the gallery I stopped by when I went to the town of Wellington, New Zealand. It’s a work that shows the personality of this town and is one of my favorites.

 

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上杉瓢箪茶入に惹きつけられる。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取致します 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.06

こんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

本日は朝から出勤途中に、カラフルなランドセルを背負った、あどけない小学一年生と親御さんたちに遭遇。本日、ここ名古屋は公立小学校の入学式だったようですね。

 

正門の前で満面の笑みで記念撮影をする姿がそこかしこでみうけられ、通りすがりではありますがこれからの待っているであろう輝かしい未来に目をキラキラさせている皆さんの姿をちらりと拝見できました。この記念すべき瞬間に通りすがりでも立ち会えて嬉しいものだなと思いながら本日は通勤。

入学をされた皆様、おめでとうございます。これからの皆様の活躍、応援しておりますよ。

 

ところで、ここからは入学式ではなく先日伺った野村美術館のリポートの続編でありますので、私のももっぱらの趣味の域ではございますが、少々お付き合いいただけましたら幸いです。

 

先日申しました千利休生誕500年とは少し離れますが、展示の銘品の中で個人的に大変気になりました銘品の話を少し。

 

 

「上杉瓢箪」

 

実に美しい茶入でして。実際、拝見いたしましたところ、本当に手のひらにすっぽり収まる素朴で小さな茶入。しかも銘のごとくぷっくりとした、えもいえぬ瓢箪の形が大変可愛らしい。と、言いましたら「これだから素人は困る…」とお叱りを受けそうですが。

 

 

「上杉瓢箪」(野村美術館ポストカード)

 

この「上杉瓢箪」、室町時代に中国から輸入された所謂「唐物」でありまして、明代15世紀頃の作。「天下ニ六ツノ内」といわれる六瓢箪の茶入の筆頭に数えられる瓢箪型の茶入でして、柿金気釉の中に共色の釉の抜け紋があり、その上に黒味勝ちの飴色釉が鶉斑をなし、口縁から肩にかけて黒飴釉が濃くなだれて景色がたまらぬもののようです。

 

たしかに。小さなその茶入にひろがるその景色は、奥深くその細部をずっと眺めていたくなり、私も何度も何度も拝見。人を惹きつけるその魅力は確かに納得であります。

 

そしてもう一つ気になって仕方ないその銘の由来。それはその茶入にどれだけの人が惹きつけられたかの歴史の物語でもあるのですが、なんちゃって歴女の私も間違いなく惹きつけられましたので、簡単ですが綴っておきましょう。

 

この茶入、将軍・足利義政が蒐集した「東山御物」の一つで、義政から茶人の村田珠光、武野紹鷗の手を経て、山口の大内義隆へと伝わり、そこで「大内瓢箪」と称されております。ここまで知る限りでも、どんだけすごい方の手に渡ってきたのだと思われますが、大内氏の家臣であった陶晴賢のクーデターにより大内義隆は自害。その後、晴賢は豊後の大名・大友宗麟の弟である大友晴英を大内家の当主に擁立します(晴英は大内義長と改名)。この時点で「大内瓢箪」は義長が所蔵。

 

そして、かの有名な毛利元就が、弘治元年(1555)に毛利元就が陶晴賢をあの「厳島合戦」で破り、同3年(1557)には大内義長を攻め降します。元就は、大友宗麟に義長の処分を相談していますが、宗麟は義長の助命を請わず、その代わりに、この茶入を所望し、元就から宗麟に茶入が寄贈されたというのですから、この可愛らしい茶入が武将達を惹きつけるその魔性っぷりが伺えます。(失礼致しました。)

 

この後、「大内瓢箪」は「大友瓢箪」と呼ばれるようになり、宗麟から子の義統へと受け継がれます。さらにこの茶入の歴史は続き、天正15年(1587)に豊臣秀吉による九州征伐では大友氏は豊臣方につき、豊後一国並びに豊前宇佐郡半郡を安堵されます。その謝礼として義統は秀吉に「大友瓢箪」を寄贈。いよいよあの秀吉の手に渡っております。

 

その後、豊臣秀吉から上杉景勝に下賜され、そこから現在の「上杉瓢箪」の名がついたようです。それからは、定勝公の時世まで約50年に渡り上杉家が所蔵していましたが、定勝公の死後に綱勝公が家を継ぐに当たり、幕府に献上して上杉家の手を離ることに。その後は一時加賀の前田家に移りましたが、再び幕府に献上され、さらに紀伊大納言頼宣が隠居の際にこれを拝領し、以来紀州家に伝来しております。

 

そして、明治から昭和時代前期の実業家であり、野村財閥を築き上げた野村徳七(得庵)に渡り、今日に至っているということになりますから、この茶入の旅してきた足跡をたどりますと、室町からの日本の歴史を大体網羅できそうですね。

 

「上杉瓢箪」の伝来を整理しますと、足利義政→村田珠光→武野紹鷗→大内義隆→大内義長→(毛利元就)→大友宗麟→大友義統→豊臣秀吉→上杉景勝→上杉綱勝→徳川将軍家→加賀前田家→徳川将軍家→紀州徳川家→野村得庵(野村美術館)

 

これらの有名な武将や茶人のことをひとつひとつ辿りながら、これらが次の持ち主に渡ったいきさつなどを勝手にめぐらしておりますと、「あの茶入をあの武将とあの武将と…手にしたのか…」などと興奮気味に想像がしますと、何度何度も拝見したくなる気持ちも少しはわかっていただけたのではないでしょうか。

 

それにしても、一つ疑問が。上杉家を離れたにもかかわらず、「上杉瓢箪」という銘で今日伝わっているのは何故に。これは理由はわからずではありましたが、歴代のこの茶入を手にした武将たちも、おそらく「なぜに上杉?」と、苦笑いされておられるのではと、いらぬ心配をしながらその場を後に致しました。

 

「上杉瓢箪」機会がありましたら、是非、惹きつけられに行ってみてくださいませ。

 

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

Hello, this is Staff Y.

 

Today, on my way to work from the morning, I met an innocent first grader and parents carrying colorful school bags. It seems that Nagoya was the entrance ceremony for a public elementary school today.

 

I was able to see a commemorative photo taken with a big smile in front of the main gate, and I could glimpse everyone who was passing by, but their eyes were shining in the bright future that would be waiting for them in the future. .. I commute to work today, thinking that I am happy to be present even if I pass by at this memorable moment.

Congratulations to all the enrolled students. We are supporting the success of everyone in the future.

 

By the way, this is not the entrance ceremony but the sequel to the report of the Nomura Museum of Art that I visited the other day, so it’s my hobby, but I’d appreciate it if you could get along with me a little.

 

It’s a little different from the 500th anniversary of Sen no Rikyu’s birth, which I mentioned the other day, but I would like to talk a little about the items that I personally noticed among the items on display.

 

“Uesugi Gourd”

 

It ’s a really beautiful chair. In fact, when I saw it, it was a simple and small tea bowl that really fits in the palm of your hand. Moreover, the shape of the gourd, which is plump like the inscription, is very cute. If you say, “This is why amateurs are in trouble …”

 

“Uesugi Gourd” (from Nomura Museum Postcard)

 

This “Uesugi gourd” is a so-called “karamono” imported from China during the Muromachi period, and was made around the 15th century in the Ming dynasty. It is a gourd-shaped tea bowl that is counted as the first of the six gourd tea bowls called “Tenka Nirokutsunouchi”. The candy-colored glaze forms a glaze, and the black candy glaze is deeply drowned from the rim to the shoulder, and the scenery seems to be irresistible.

 

Certainly. The scenery that spreads out in the small chair is deep and makes me want to look at the details all the time, and I also see it over and over again. The attraction that attracts people is certainly convincing.

 

And the origin of the inscription that can’t be helped. It’s also a story of how many people were attracted to the world of the little chair, but this was also very attractive to me as a reki-jo.

 

This tea ceremony is one of the “Higashiyama Treasures” collected by Shogun Ashikaga Yoshimasa. It is called. As far as I know, it seems that it has come into the hands of an amazing person, but Yoshitaka Ouchi is suicide due to the coup d’etat of Sue Harukata, a vassal of Mr. Ouchi. After that, Harukata established Harukata Otomo, the younger brother of Sorin Otomo, the lord of Bungo, as the head of the Ouchi family (Haruhide was renamed Yoshinaga Ouchi). At this point, Yoshinaga owns “Ouchi Gourd”.

 

Then, the famous Motonari Motonari defeated Sue Harukata in the first year of Koji (1555) in that “Battle of Miyajima”, and in the same year (1557) he attacked Yoshinaga Ouchi. .. Motonari consulted with Sorin Otomo about the disposition of Yoshinaga, but Sorin did not ask for Yoshinaga’s help, but instead wanted this tea ceremony, and it was said that Motonari donated the tea ceremony to Sorin. Therefore, you can see the magical nature of this cute chair that attracts the warlords. (Excuse me.)

After this, “Ouchi Gourd” became known as “Otomo Gourd” and was passed down from Sorin to his son’s righteousness.

Furthermore, the history of this tea ceremony continues, and in the 15th year of Tensho (1587), when Toyotomi Hideyoshi conquered Kyushu, Mr. Otomo was relieved to be a Toyotomi person and to Bungo Ichikuni and Buzen Usa-gun Hangun. As a reward, Yoshinori donated “Otomo Gourd” to Hideyoshi. It is finally in the hands of Hideyoshi. After that, it was given to Uesugi Kagekatsu by Toyotomi Hideyoshi, and it seems that the current name of “Uesugi Gourd” was given from there.

 

After that, the Uesugi clan had been in the possession for about 50 years until the time of Tsunakatsu, but when Tsunakatsu took over the house after the death of Tsunakatsu, he gave it to the shogunate and left the Uesugi clan. Especially.

 

After that, he moved to the Maeda clan in Kaga for a while, but it was presented to the shogunate again, and Yorinobu Kii Dainagon worshiped it when he retired, and since then it has been handed down to the Kishu clan.

Then, from the Meiji era to the early Showa era, he went to Tokushichi Nomura (Tokuan), who was the founder of the Nomura conglomerate, and has reached the present day. , It seems that you can roughly cover the history of Japan from Muromachi.

 

To summarize the tradition of “Uesugi Gourd”,

Yoshimasa Ashikaga → Tamami Murata → Shogunate Takeno → Yoshitaka Ouchi → Yoshinaga Ouchi → (Mori Motonari) → Sorin Otomo → Yoshimune Otomo → Hideyoshi Toyotomi → Kagekatsu Uesugi → Tsunakatsu Uesugi → Shogunate Tokugawa → Shogunate Kaga → Shogunate Tokugawa → Kishu Tokugawa family → Nomura Tokuan (Nomura Museum)

 

While tracing these famous warlords and tea masters one by one, I was wondering how they passed on to the next owner without permission. I think that you could understand the feeling that you want to see it over and over again.

 

Even so, I have one question. Even though I left the Uesugi family, why is it transmitted today under the name “Uesugi Gourd”?

I don’t know the reason for this, but the warlords who got this tea ceremony in the past are probably laughing bitterly.
Thank you for your relationship.

 

Well then, good luck.

 

 

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このところ、生前整理などのご相談をされる方が多くおられます。

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また、出張買取査定、持込買取査定、LINEやメールなど出張につきましては、ご近所はもちろん愛知県内、岐阜県、三重県その他の県も対応しておりますので、まずはお電話をお待ちしております。

 

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名古屋市千種区のお客様より買受いたしました。誠にありがとうございました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.05

 

名古屋市千種区のお客様より買受いたしました。

大切にされておりました御品をお譲りくださいまして、誠にありがとうございました。

 

またご縁がございましたら、古美術風光舎名古屋店を宜しくお願い申し上げます。

 

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名古屋の桜の標本木(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2022.04.05

こんにちは、スタッフYでございます。

 

本日は、ここ名古屋爽やかな晴天。桜の花もそろそろ満開のピークを越え、花弁がひらひらと舞い始めて参りました。そんな、舞い散る花弁の中を自転車にて通り過ぎておりましたら、その名古屋地方気象台の敷地に植わっております桜の花びらのであることに気づきました。

 

しばし自転車をとめて仰ぎ見ますと、満開の桜の隙間から青空にそびえる白亜のレーダードームが。

 

 

 

 

こちらの名古屋地方気象台、ご存じの通りこの地域の地上気象観測や地域気象観測(アメダス)、生物季節観測からなる気象観測業務、予報業務、地震情報・防災・広報業務をおこなっておりまして、一日に一度は、皆様TVなどのお天気予報や地震情報などでお世話になっておりますよね。

 

実はここ名古屋は、名古屋地方気象台の敷地内に桜の標本木がございます。こちらの桜の開花によって、この近辺の開花宣言が発信されるようです。

 

こちらの施設、古美術風光舎名古屋店から自転車で5分くらいのいたって普通の住宅地の小高い山の上にございますが、職員の方や関係者の方しかこちらの施設内には立ち入ることはできないません。よって標本木を間近でながめることはできませんが、施設の入り口のぎりぎりのところまでお邪魔して、なんとかのぞいて探してみましたが、わかるはずないか…。構内には何本かの満開の桜が咲いておりましたが、どれが標本木かは残念ながら確認はできませんでした。

 

噂によると、かなりの老木のようで樹齢は定かではないようですが、1923年にこちらの気象台から開設されているようですのでそれより以前にはここに存在していたのでしょうか。また、不測の事態のために二代目も育てているようですので、どうぞご安心を。

 

そんな名古屋の桜開花は、この施設の敷地内のソメイヨシノに5~6輪以上(「5輪以上」で良いと思う表現だけど。)の花が開いた状態となった日に発表されます。先ほども述べた通り、こちらの敷地内は東京の靖国神社のように一般の人が立ち入ることはできませんので、「桜開花発表だって、花見行くぞっ!」といった周りの盛り上がりはない中、少し寂しいいえいえ落ち着いた開花宣言でありそうですね。ですが、TV大騒ぎしているような周りからのプレッシャーはなさそうですね笑。

 

 

 

 

結局のところ標本木は確認できませんでしたが、この抜けるような青空と真っ白なレーダードームそして満開の桜は贅沢にも独り占めですることできました。そんなひらひらと舞う花びらのなかを「この風景は目に焼き付けよう」と思いながら自転車で走り抜けた今朝でありました。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

Hello, this is Staff Y.

 

Today is a refreshing sunny day here in Nagoya. The cherry blossoms have already passed the peak of full bloom, and the petals have begun to flutter. When I was riding my bicycle past the scattered petals, I noticed that it was the petals of the cherry blossoms planted on the site of the Nagoya Local Meteorological Observatory.

 

When I stopped my bicycle for a while and looked up, I saw a chalk radar dome rising in the blue sky through the gaps between the cherry blossoms in full bloom.

 

This Nagoya Local Meteorological Observatory, as you know, is engaged in ground-based meteorological observation, regional meteorological observation (AMEDAS), meteorological observation work consisting of seasonal biological observation, forecast work, earthquake information, disaster prevention, and public relations work for one day. Once in a while, everyone is indebted to us for weather forecasts and earthquake information on TV.

 

Actually, here in Nagoya, there is a cherry tree specimen on the premises of the Nagoya Local Meteorological Observatory. It seems that the flowering of this cherry blossom will send out a declaration of flowering in this area.

 

This facility is located on a small mountain in an ordinary residential area, about 5 minutes by bicycle from the antique art Fukosha Nagoya store, but only staff and related persons can enter this facility. not. Therefore, it is not possible to look at the specimen tree up close, but I tried to find it by going to the very limit of the entrance of the facility, but I wonder if I can understand it. There were some cherry blossoms in full bloom on the premises, but unfortunately it was not possible to confirm which was the specimen tree.

 

Rumor has it that it looks like a fairly old tree and its age is uncertain, but since it was opened from this meteorological observatory in 1923, did it exist here before that? Also, it seems that the second generation is also being raised due to unforeseen circumstances, so please be assured.

 

Such cherry blossoms in Nagoya will be announced on the day when the Yoshino cherry tree on the premises of this facility has 5 to 6 or more flowers (although “5 or more” is a good expression). As I mentioned earlier, the site is not open to the general public like Yasukuni Shrine in Tokyo, so I’m a little lonely while there is no excitement around me saying “Sakura flowering announcement, I’m going to see the cherry blossoms!” No, it seems to be a calm declaration of flowering. However, there seems to be no pressure from the surroundings like the TV fuss.

 

After all, I couldn’t confirm the specimen tree, but I was able to lavishly monopolize this clear blue sky, the white radar dome, and the cherry blossoms in full bloom. It was this morning when I ran through the petals fluttering and fluttering on my bicycle, thinking, “Let’s burn this landscape into my eyes.”

 

Well then, good luck.

 

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気になっていたもの(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.03

皆さまこんにちは、スタッフMです。

昨日から雨が降り続き、桜も見納めになりそうな週末…

衣替えをしてしまい冬服が無いので、何枚も重ね着をして寒さを凌いでいます。

 

春のことわざでこんな言葉があります。

「春に三日の晴れなし」

これは、春の日本列島の上空を流れている偏西風(ジェット気流)が強くなり、移動性高気圧や低気圧の移動速度が次々と本州付近を通過し、高気圧に何日も覆われることがなく、天気変化が早くなるという意味です。今まさにこのことわざ通りの日々ですね。

 

天気が変わりやすい春、念のため鞄に1つ折り畳み傘をいれておくと良いかもしれません。

 

さて、本日はスタッフⅯの古美術学習の日として、当店の作品の中から1つご紹介兼勉強をしたいと思います。本日の作品はこちらです。

 

 

これは李朝の花器で、すっきりとした白磁に整然と並ぶ文字が印象的な作品です。

 

「李朝」とは朝鮮半島に存在した国で、李氏朝鮮を略した名称であり、正しくは朝鮮国または朝鮮王国と言います。この朝鮮王国は1392年に高麗の武将、李成桂(リセイケイ)太祖が興し、1910年まで500余年に渡り続きました。

(日本で言うと、室町時代から、安土桃山・江戸を経て、明治の終わり頃まで続いたことになります。)

 

この時代の芸術文化を支えたのは、「両班(ヤンバン)」と呼ばれる高級官僚たちで、李朝家具の成り立ちにも、この両班が深く関わっています。

 

当時両班は国の政治を担い、また地主・領主としても大きな力を有していました。

両班は科挙制で選ばれたため、「学問」が非常に奨励されていました。そして当時は、儒教を国教としていたため、「礼を重んじ、華美・贅沢を嫌う」精神が、尊ばれました。

 

こうした精神は、当然のように両班達の身の回りの品々にも反映され、質朴な家具や文房具などが多く生み出されたと言われています。

 

この李朝家具は、王朝が奨励した儒教の精神を多分に反映し、「素朴さ、静けさ」をたたえられ、世界中、特に「侘び寂びの心」をよしとする日本では、とても愛される存在となりました。

多くの文人墨客が、李朝の器や家具を好み、日本の陶芸家、職人達に技術や表現が浸透していきました。

芹沢銈介、白洲次郎、正子夫妻また民芸運動の父である柳宗悦などの多くの文化人も「李朝家具」を愛し、広くその良さを伝えたことは有名ですが、彼らが活躍した時代から、かなりの年月を経た現代においても、私たちを魅了する「李朝家具」には時代が変わっても不変”美”がありますよね。

 

 

李朝のものは当店には花器以外に、書棚もあります。

 

 

 

観音扉で使いやすい構造になっていて、ところどころシンプルながらも韓国ならではの伝統的な意匠が見受けられます。李朝の家具は、洋室にも和室にもマッチしてシンプルだけどお部屋のポイントになるものばかりですよね。

現代に溶け込む美しい李朝の世界を知り、また受け継がれていく素晴らしさをより体感しました。

 

 

このお仕事をしていると、物の美しさや、大切さ、またその時代の背景を知ることができるのでとても面白いです。

そして今改めて、もっと学生時代に世界史や日本史の勉強をしておくとよかったのに…と悔しくなったりもします。ですが、今からでも皆さまとこうして学んでいくことが楽しかったりするのです。

 

また一緒にお勉強させてくださいね。

 

では。

 

 

Hello everyone, this is Staff M.

It’s been raining since yesterday, and the cherry blossoms are about to be seen on the weekend … I have changed my clothes and I don’t have winter clothes, so I wear many layers to survive the cold.

 

There is such a word in the spring saying. “There is no sunny day in spring” This is because the westerlies (jet stream) flowing over the Japanese archipelago in spring become stronger, and the moving speeds of mobile high pressure and low pressure pass around Honshu one after another, and they are not covered by high pressure for days.

It means that the weather will change faster. Right now, the days are exactly as the saying goes.

In spring, when the weather changes easily, it may be a good idea to have one folding umbrella in your bag just in case.

By the way, today is the day of studying antique art of Staff IV, and I would like to introduce and study one of our works. Today’s work is here.

This is a vase of the Li Dynasty, and the characters lined up in a neat white porcelain are impressive.

 

“Joseon” is a country that existed on the Korean Peninsula, and is an abbreviation for Mr. Lee, which is correctly called Korea or the Kingdom of Korea. The Kingdom of Korea was founded in 1392 by Taejo of Joseon, a military commander of Goryeo, and continued for more than 500 years until 1910.

(In Japan, it continued from the Muromachi period through Azuchi-Momoyama and Edo until the end of the Meiji era.)

 

The artistic culture of this era was supported by high-ranking bureaucrats called “Yangban”, who are deeply involved in the formation of Li Dynasty furniture.

 

At that time, both groups were in charge of national politics, and also had great power as landowners and lords. Since both groups were selected by the Imperial Examination System, “academic studies” were highly encouraged. At that time, Confucianism was the state religion, so the spirit of “respecting gratitude and hating splendor and luxury” was respected.

It is said that this spirit was naturally reflected in the personal items of both groups, and many simple furniture and stationery were produced.

This Li Dynasty furniture reflects the Confucian spirit encouraged by the dynasty, and is praised for its “simpleness and tranquility”, and has become a very beloved presence all over the world, especially in Japan, where the “heart of wabi-sabi” is good.

I did. Many literary artists liked the vessels and furniture of the Li Dynasty, and the techniques and expressions permeated Japanese potters and craftsmen.

 

It is well known that many cultural figures such as Keisuke Serizawa, Jiro Shirasu, Masako and his wife, and Soetsu Yanagi, the father of the folk art movement, also loved “Li Dynasty Furniture” and widely conveyed its goodness. Therefore, even in the present age, which has passed a long time, the “Li Dynasty furniture” that fascinates us still has “beauty” that does not change even if the times change.

 

In addition to vases, we also have bookshelves for Li Dynasty items.

 

The structure is easy to use with the Kannon door, and you can see the traditional design unique to Korea in some places, although it is simple. Li Dynasty furniture is simple, matching both Western and Japanese rooms, but it’s all the point of the room. I learned about the beautiful world of Li Dynasty that blends into the present age, and experienced the splendor that has been passed down.

 

It is very interesting to be able to know the beauty and importance of things and the background of the times when doing this work.

And now, I wish I had studied world history and Japanese history more when I was a student. However, I still enjoy learning with you in this way. Let me study together again. Bye.

 

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新年度を迎えました。

風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。

ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸切子と薩摩切子(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.04.02

皆さまこんにちは

 

スタッフNでございます。

 

昨日、きまぐれに映画館で映画のチケットを購入したら、ロッカーに手荷物を預けられ、不思議に思っていると、まさかのMX4Dでした。

MX4Dとは、風や水しぶきが出たり椅子が揺れたりするアトラクション型シアターなのですが、楽しかったです。

 

飲み物やポップコーンを買わなくてよかったです。

 

さて、先日買取させていただいた中にとても可愛らしいグラスがございました。

この切子細工のグラス、手のひらサイズで持ちやすく色も上品な紫色で美しいです。

模様もシンプルでいいですよね。

5つ並んでいる姿も素敵です。

店主もお気に入りで「可愛い~!可愛い!」と連呼しておりました。

 

 

日本の切子は、江戸切子と薩摩切子の2つが有名でございます。

江戸切子は、庶民が日常的に使う物として商人が作り出しました。
色被せガラスが薄く、透明感や華やかさが特徴的で、幕末・維新を乗り越え、受け継がれております。

一方薩摩切子は、主に海外との交易用、鑑賞用に作られており、藩レベルでの産業として発展致します。色被せガラスに厚みがあり、重厚感が特徴的で、幕末・維新に工場が焼失、藩もなくなり産業が途絶えますが、現在は復刻生産されております。

江戸切子と薩摩切子の一番の違いは、カット後の色ガラスの残り方にあります。
江戸切子は色ガラスの部分が薄く、カットした後はカットした透明な部分と色つきの部分の境目がシャープになるのに対し、薩摩切子は色ガラスの部分が厚い為、カットすると境界の部分がグラデーションのようになるのです。

天保5年に江戸でビードロ問屋を営んでいた加賀屋久兵衛が、西洋から持ち込まれたガラス製品に金剛砂を使って切子細工を施したのが江戸切子の始まりと言われています。

黒船が来航した時、献上品の中に加賀屋の切子瓶があり、その細工の美しさにペリーが驚いたという話も残っています。
明治時代に入るとガラス製作が政府の事業のひとつとなり、ヨーロッパの新しい技術なども導入され、江戸時代後期から続く江戸切子の伝統は絶えることなく現代に受け継がれてきているのです。

1985年に東京都の伝統工芸品に指定、2002年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

薩摩藩28代目藩主島津斉彬は諸藩に先駆けて造船、製鉄、紡績、印刷など大規模な近代化事業を推進します。

この中にガラス工場も含まれており、薩摩切子を始めとする様々なガラス製品を製造していました。
「薩摩の紅ガラス」とその美しさを称賛されたガラスの着色方法も研究され、紅・藍・紫・緑などの発色に成功したと言われています。

しかし斉彬が急逝するとこの事業も縮小され、1863年の薩英戦争で工場が焼失し、明治に入ってからの西南戦争前後には薩摩切子の技術も完全に途絶えてしまいました。

それから100年経った1985年、鹿児島市に薩摩ガラス工芸が設立され薩摩切子を復元。
その伝統を大切にしながら、新しい商品への開発にも意欲的に取り組んでいるそうです。

2001年には新世紀の始まりを記念し「二色被せ」の薩摩切子が誕生。
単色での濃淡が基本だった切子の色彩に、新しい世界が広がりました。

現在はさつま町、霧島市、南さつま市、鹿児島市にある5つの工房で薩摩切子は生産されています。

 

また、最近話題なのは黒色の切子。
切子はカットする際に裏側から光を当てて下書きの線を確認しながらグラインダーでカットするのですが、黒色だと光が通らない為、下書きの線は見えません。
長年の修行を積んだ職人が、カットの音や振動を頼りに、五感を駆使してようやく完成する事が出来る逸品なのです。

切子には食器、酒器、花器、ランプなどの商品があります。
中でもグラス類が最も多く、ぐい呑み、焼酎グラス、ロックグラス、ワイングラス、タンブラー、ビアグラス、冷酒グラス、升グラス、シャンパングラス、等の酒器が人気でございます。。
贈答用や各種お祝い事の記念品などとしても喜ばれております。
食器では小皿~大皿、小鉢、大鉢、サラダボウル、またペーパーウエイトやスマホケースといった小物や、置時計やフォトフレーム、風鈴、アクセサリーなどといった商品もあります。

切子はとても繊細なので、その取扱い方にも注意が必要です。
特にグラスや食器など、頻繁に出番がある物のお手入れの方法は、

  • 柔らかいスポンジや布などを使って洗う
  • 食洗機は使用しない
  • 急な温度変化に弱いので熱いものはもちろん、冷蔵庫に入れるのもNG
  • ほかの食器との接触で割れやすいので気を付ける。重ねるのは厳禁
  • 油汚れのものと一緒に洗わない
  • 拭く時も柔らかい布で丁寧に優しく行なう

などのことに気を付けましょう。
それでもある程度使っていると「くすみ」が生じてきます。
その場合は家庭用の漂白剤を薄めて浸すこと数分で、くすみが取れて切子の輝きが復活するそうです。

江戸切子を実際に体験できる工房などもございます。

世界にひとつだけの自分オリジナルの切子細工、是非つくってみたいものですね。

繊細さと艶やかさを合わせ持つ日本の切子は、国内だけではなく、海外での人気も根強いものがございます。

江戸時代からの人々の願いが込められた切子細工、これまでの伝統技術を大切に受け継ぎ、新しいものも取り入れながら進歩していく文化は大切にしていきたいですね。

母の日に、切子細工グラスにカーネーションを添えてプレゼントなんていうのも嬉しいですね。

ではでは

 

 

Hello everyone

This is Staff N.

Yesterday, when I bought a movie ticket at a movie theater on a whim, I left my baggage in a locker, and when I was wondering, it was MX4D.

MX4D is an attraction-type theater where the wind, splashes, and chairs sway, but it was fun.

I didn’t have to buy drinks or popcorn.

 

By the way, there was a very cute glass that I bought the other day.

This cut glass is palm-sized and easy to hold, and the color is elegant purple and beautiful.

The pattern is simple, isn’t it?

The appearance of five lines is also wonderful.

The president also liked it and called it “Cute! Cute!”

 

There are two famous Japanese kiriko, Edo kiriko and Satsuma kiriko.

 

Edo Kiriko was created by merchants as something that ordinary people use on a daily basis.
The colored glass is thin, and it is characterized by its transparency and gorgeousness, and has been passed down through the end of the Edo period and the Meiji Restoration.

On the other hand, Satsuma Kiriko is mainly made for foreign trade and appreciation, and will develop as an industry at the clan level. The colored glass is thick and has a profound feeling. At the end of the Edo period and the Meiji Restoration, the factory was burned down, the clan disappeared, and the industry was cut off, but it is currently being reprinted.

The biggest difference between Edo Kiriko and Satsuma Kiriko is the way the colored glass remains after cutting.
Edo Kiriko has a thin colored glass part, and after cutting, the boundary between the cut transparent part and the colored part becomes sharp, while Satsuma Kiriko has a thick colored glass part, so when you cut it, the boundary part becomes sharp. It looks like a gradation.

It is said that Edo Kiriko began when Kyubei Kagaya, who ran a beadro wholesaler in Edo in the 5th year of Tenpo, used Kongo sand to cut glass products brought in from the West.

When Kurofune arrived, there was a Kagaya Kiriko bottle in the gift, and there is a story that Perry was surprised at the beauty of the work.
In the Meiji era, glass production became one of the government’s businesses, new European technologies were introduced, and the tradition of Edo Kiriko, which has continued since the latter half of the Edo period, has been continuously passed down to the present day.

It was designated as a traditional craft of Tokyo in 1985, and designated as a traditional craft by the Minister of Economy, Trade and Industry in 2002.

 

Shimazu Nariakira, the 28th feudal lord of the Satsuma Domain, will promote large-scale modernization projects such as shipbuilding, iron making, spinning, and printing ahead of other domains.

This included a glass factory, which manufactured various glass products such as Satsuma Kiriko.
Research was also conducted on “Satsuma’s red glass” and the method of coloring glass, which was praised for its beauty, and it is said that it succeeded in developing colors such as red, indigo, purple, and green.

However, when Nariakira died suddenly, this business was also reduced, the factory was burned down in the Satsuma Rebellion in 1863, and Satsuma Kiriko’s technology was completely lost before and after the Satsuma Rebellion in the Meiji era.

In 1985, 100 years later, Satsuma Glass Crafts was established in Kagoshima City and restored Satsuma Kiriko.
While valuing that tradition, he is enthusiastically working on the development of new products.

In 2001, Satsuma Kiriko was born in commemoration of the beginning of the new century.
A new world has opened up in the colors of Kiriko, which was based on shades of a single color.

Currently, Satsuma Kiriko is produced at five workshops in Satsuma Town, Kirishima City, Minamisatsuma City, and Kagoshima City.

 

Also, the topic recently is the black facet.
When cutting a kiriko, shine light from the back side and cut it with a grinder while checking the draft line, but if it is black, the light does not pass, so the draft line cannot be seen.
It is a gem that a craftsman who has trained for many years can finally complete by making full use of his five senses, relying on the sound and vibration of the cut.

Kiriko has products such as tableware, sake sets, vases, and lamps.
Among them, glasses are the most popular, and sake sets such as drinking glass, shochu glass, rock glass, wine glass, tumbler, beer glass, cold sake glass, box glass, champagne glass, etc. are popular. ..
It is also appreciated as a gift or as a souvenir for various celebrations.
As for tableware, there are small plates to large plates, small bowls, large bowls, salad bowls, small items such as paper weights and smartphone cases, and products such as table clocks, photo frames, wind chimes, and accessories.

Kiriko is very delicate, so you need to be careful about how to handle it.
Especially, how to care for things that are frequently used, such as glasses and tableware,

Wash with a soft sponge or cloth
Do not use the dishwasher
Since it is vulnerable to sudden temperature changes, it is NG to put it in the refrigerator as well as hot ones.
Be careful as it is easily broken by contact with other tableware. Do not stack
Do not wash with greasy items
Gently and gently wipe with a soft cloth.

Let’s be careful about such things.
Even so, if you use it to some extent, “dullness” will occur.
In that case, dilute and soak the household bleach in a few minutes to remove the dullness and restore the brilliance of the kiriko.

There is also a workshop where you can actually experience Edo Kiriko.

I definitely want to make my own original cutlery work, which is the only one in the world.

Japanese Kiriko, which has both delicacy and luster, is popular not only in Japan but also overseas.

I would like to cherish the culture of making progress while carefully inheriting the traditional techniques of Kiriko work, which has been filled with the wishes of people from the Edo period, and incorporating new ones.

On Mother’s Day, it’s nice to have a carnation on a cut glass as a gift.

See you soon

 

 

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新年度を迎えました。

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お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

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ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

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