ブログ - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 16

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FROMKYOTOOSAKA

エッシャー展へいってきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.20

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

先日、豊田市美術館にて開催されております「エッシャー展」行って参りました。詳細は後ほどお伝えするといたしまして、早速いってみましょう。

 

 

 

 

エッシャーといえば数々のだまし絵が有名ですよね。かつての美術の教科書などで見たことを思い出して、あぁ!と思い出す方もいらしゃるのではないでしょうか。そんな彼の技法やデザインもそうなのですが、木版画そのものの精巧さの進化にも驚かされる展覧会でありました。

 

 

球体の中には彼の姿が

 

エッシャーについて少しご説明いたしますと、

正式名は、 マウリッツ・コルネリス・エッシャー。1898‒1972年オランダ生まれでありまして、みる人に驚きと発見を与え数学者やアーティストから子どもたちにまで世界的に人気の高い版画家であります。

 

ある形で平面をくまなく覆い尽くす「テセレーション(敷き詰め)」、一つの形が次第に別の形へと変形する「メタモルフォーゼ(変容)」など、人間の視覚や錯覚を利用した緻密で幾何学的な画風が特徴的でして、今回の展示は、オランダのエッシャー財団の全面的協力のもと、初期のイタリアの風景から「だまし絵」的な代表作まで約160点を一堂に展示。かつてどこかで見たことのあるだまし絵も多数展示されておりました。

 

写真撮影可能ということで、お写真多めでご紹介いたしましょう。

 

まずお気づきかと思いますが、これらはすべて木版画という手法で表現されていることに驚かされます。エッシャーはその生涯に400点以上の作品を残しているのですがすべてが版画であり、驚くことに水彩画や油彩画はありません。

 

版画というジャンルにこだわり続け、あらゆる技法に精通し使いこなしたこと、そして納得のいくものができるまで妥協しない姿勢と粘り強さ、それらを考えても、エッシャーの在り方はひとつの分野に専心する「職人」に近いのでしょうか。近くで鑑賞しますとその精巧さと様々なチャレンジに引き込まれていきます。

 

 

「蔵書票」

およそ10センチ四方ほどの作品でしたが、線の表現が異次元ですね。(うまく表現ができませんが笑)

 

 

 

「物見の塔」 1958年 リトグラフ

 

ご存じの方もおいででは。一見普通の建物に見えますが、しばらく見ておりますと柱や階段があれあれ?どうなっているんだ…。と、解決のつかぬまま見続けてしまいます。

 

 

「相対性」 1953年 リトグラフ

 

こちらも。もはや自分が立っているのか、わからなくなります。

 

 

「バベルの塔」 1928年 木版

 

そして、そんな彼のもう一つの試みが、ある形で平面をくまなく覆い尽くす「テセレーション(敷き詰め)」、一つの形が次第に別の形へと変形する「メタモルフォーゼ(変容)」。こちらはテセレーションを表現した作品の拡大した展示物。

 

 

「太陽と月」 1948年 木版(こちらは、拡大した展示)

 

 

エッシャーにとって重要な意味を持っている経験がスペインのアルハンブラ宮殿訪問でして、彼は二回アルハンブラ宮殿を訪れております。

教義によって偶像が禁止されているイスラム教では、動物や人間のイメージの代わりに抽象的な文様が発展してあおり、そのアルハンブラの壁を飾る幾何学文様もそのひとつ。その緻密な計算に基づいた「無限に続くパターンがつくり出す美」にエッシャーに強い感銘を受け、それは「太陽と月」のような「テセレーション(敷き詰め)」を表現した作品として生まれていきます。

 

そして、もう一つの表現「メタモルフォーゼ(変容)」の代表作。

 

 

メタモルフォーゼⅡ 1939-40年

 

 

それにしても、エッシャーの画歴を見渡してると、「粘り強さ」「試行」「精巧」などなど作品のすばらしさの他にたくさんの言葉が浮んできますし、どの年代の作品もチャレンジが尽きない。

 

また、共に版画という技法を何故選んだのか、そこも気になってきます。原画から版板、紙へと転写する過程で変化・進化しうるし、また版板や紙の状態や木目などがもたらす影響も予測できない手のかかる版画の技法を選んだことも、彼にとってはまた一つのチャレンジだったのでしょうか。

 

実際に、エッシャーは自分のことを「芸術家」ではなく「版画家」と考えていたようで、この事からも、エッシャーの「版画」に対する誇りと思いや彼自身そうありたいと願っていたであろう姿が伝わってきますね。

 

色々な作品を鑑賞しましたが、実に興味の尽きない展覧会でした。

それにしても、デジタル社会を生きる私たちが今の時代とは真っ向違うアナログな版画という手法で想像力豊かなエッシャーの作品を観ていますと、作品のから伝わる迫力も相まってでしょうか、現在のデジタルをも超越しているような錯覚を自分は感じました。敵わないな…。

 

百聞は一見に如かず。

是非足を運んで、エッシャーの世界にふれてみてください。

ご一読ありがとうございました。

 

それでは、ごきげんよう。

 

企画展「エッシャー 不思議のヒミツ」
会期:2024年7月13日(土)〜9月23日(月・祝)
会場:豊田市美術館 展示室6・7・8
住所:愛知県豊田市小坂本町8-5-1
開館時間:10:00〜17:30(入場は17:00まで)

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

The other day, I visited the “Escher Exhibition” at the Toyota Municipal Museum of Art. I will tell you the details later, but let’s get started.

 

Escher is famous for his numerous trompe l’oeil paintings. Some of you may remember seeing his works in your art textbooks in the past! You may remember his techniques and designs. The exhibition was a surprise not only for his techniques and designs, but also for the evolution of the sophistication of the woodblock prints themselves.

 

Let me explain a little about Escher,

Maurits Cornelis Escher, born in the Netherlands between 1898 and 1972, is a printmaker who is popular worldwide among mathematicians, artists, and children alike for his ability to inspire wonder and discovery.

 

His works are characterized by a precise and geometric style that makes use of human vision and optical illusions, such as “tessellations,” in which one shape covers an entire flat surface, and “metamorphoses,” in which one shape gradually transforms into another. This exhibition, with the full cooperation of the Escher Foundation in the Netherlands, brings together approximately 160 works, ranging from early Italian landscapes to representative “trompe l’oeil” style paintings. Many trompe l’oeil paintings that we have seen somewhere before were also on display.

 

Since photography was allowed, I will introduce them here with many photos.

 

First of all, as you may have noticed, you may be surprised to know that all of these works are expressed by the technique of woodblock prints. In his lifetime, Escher left more than 400 works, all of which are prints, and surprisingly, none of them are watercolors or oil paintings.

Considering his persistence in the genre of printmaking, his mastery and mastery of all techniques, and his uncompromising attitude and tenacity until he was satisfied with his work, it would seem that Escher was more like a “craftsman” dedicated to a single field. When viewed up close, the exquisiteness of his work and the various challenges he undertakes will draw you in.

 

Some of you may know this tower. At first glance, it looks like an ordinary building, but after looking at it for a while, you may wonder what is going on with the pillars and stairs. What is going on? You will keep looking at it without finding a solution.

 

This one, too. I no longer know whether I am standing or not.

Another of his attempts is “tessellation,” in which a certain shape covers the entire plane, and “metamorphosis,” in which one shape gradually transforms into another. This is an enlarged version of a tessellation work.

 

An experience of great significance to Escher was his visit to the Alhambra Palace in Spain, which he visited twice.

 

In Islam, where idols are forbidden by doctrine, abstract patterns have developed in place of animal and human images, including the geometric patterns that adorn the walls of the Alhambra. The geometric patterns that adorn the walls of the Alhambra are one such example. Escher was strongly impressed by the “beauty created by endless patterns” based on precise calculations, and these patterns were born as works expressing “tessellations” (paving) such as the “sun and moon”.

 

Looking over the history of Escher’s art, words such as “tenacity,” “trial,” and “elaborate” come to mind in addition to the wonder of his works, and there is no end to the challenges in his works from any age.

 

I am also curious as to why both artists chose printmaking as their medium of choice. Was it a challenge for him to choose printmaking, which is a difficult and unpredictable technique that can change and evolve in the process of transferring the original to plate and paper, as well as the effects of the condition of the plate and paper and the grain of the wood?

 

In fact, it seems that Escher considered himself a “printmaker” rather than an “artist,” which shows his pride and passion for “printmaking” and his wish to be one.

 

I saw a variety of works and found the exhibition to be very interesting.

However, as we live in a digital society, looking at Escher’s richly imaginative works using analog printmaking, a technique that is completely different from the current era, I felt the illusion of transcending the current digital world, perhaps due in part to the power of the works themselves. I felt as if the works transcended even today’s digital technology, which is something I cannot compete with.

 

Seeing is believing. I highly recommend you to see the exhibition in person. Thank you for reading.

 

Have a good day.

 

Special Exhibition “Escher: The Secret of Wonder
Dates: July 13, 2024 (Sat) – September 23, 2024 (Mon)
Venue: Toyota Municipal Museum of Art, Exhibition Room 6, 7, 8
Address: 8-5-1 Kosakamoto-cho, Toyota City, Aichi Prefecture
Hours: 10:00 – 17:30 (Admission until 17:00)

 

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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いよいよ夏本番です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.19

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

昨日はお暑い中、鑑定会にご来店いただきまして、ありがとうございました。

 

こちら東海地方も梅雨明けしまして、いよいよ夏本番です。まとまらない髪のうねりとおさらばし、猛烈な日差しと闘う日々がやってまいります。これまで控えめに鳴いていたような気がするセミの鳴き声もこれから力強さを増してくることでしょう。

 

 

それにしても、あれだけ大きな鳴き声を響かせるセミですが、その生き様は短く、儚いことは小学生でも知っているところ。道端でひっくり返り、儚い一生を終えたセミの姿を、夏になるとよく見かけますが、もしかして「セミの一生は長い」ので儚くないのでは?

 

ちなみに、日本には全部で34種類ほどのセミが生息しているのだそう。名古屋の地域で鳴き声をよく聞くクマゼミ、羽が茶色いアブラゼミ。夏の終わりになくツクツクボウシなど。

セミも大型・小型に分かれるそうで、たとえば、大型に属するアブラゼミ。油で何かを揚げているような鳴き声だからアブラゼミという名がついたと言われていますが、夏の成虫の間に木の幹に卵を産みます。その卵が孵化するのは翌年の梅雨どき。
孵化した幼虫は土の中へ潜っていき、セミの一生の大半は土の中で過ごすことになります。

 

この潜る時の土の固さ(保水率)の違いが、種類によって生息地が違う理由の一つなのだそう。孵化した幼虫が土の中に潜る時、地面が固ければ幼虫が土にもぐるときに力が必要なので、大きな力が必要になります。

逆に地面がやわらかければ力は弱くても大丈夫です。そういった点から、地面が固い地域は大型のセミ、地面がやわらかい地域は小型のセミが見つかるという違いになるようです。

都市部では大型のセミを見やすいというのは、土が固いからなんですね。

 

その土の中にいる時間は、なんと3~17年にもおよびます。 セミの種類にもよりますが、3年以上も土の中(暗黒の地下生活)にいるとは驚きです。地中で長い時期を成虫になるために過ごすことはよく知られていますが、地上に出てきてからのセミの寿命は、1週間から1カ月の場合も。

セミが成虫になってからは、1週間くらいの寿命といわれていますが、環境さえ整えば1カ月くらいは生きられるともいわれています。とはいえ、人間をはじめ、外敵&天敵が多いため外で長期間生きるのはセミにとって、かなり難しいことのようです。例えば外敵&天敵には、人間、カラス、猫、鳥、肉食の蜂・蟻とさまざま。セミにとって、地上で生きるのって大変なんです。

 

ちなみに鳴き声を発することができるのはオスのみ。メスに合図を出すために、オスはあのような鳴き声を発しているのです。あの鳴き声のおかげで、他の昆虫に比べてオスとメスが出会う確率が高いといわれています。子孫繁栄のために、生きているわずかの時間で自らの使命を果たすのですから、これが、儚い一生と捉えられる所以なのですね。

 

またセミは種類によって、出てくる時期、鳴く時間が違います。ずっと鳴いているかと思いきや、鳴いている時間と鳴いていない時間があるんですね。

クマゼミは午前中。数が多い時期は一日中。

アブラゼミは早朝鳴き、一旦お休みして午後から。

ミンミンゼミは気温が高くなる日中。

ツクツクボウシとニイニイゼミは終日。

ヒグラシは朝夕という感じです。

理由の一つとして、同じ時間に鳴くとメスが迷ってしまうからとも言われています。

 

ちなみに、セミがもし人間と同じ大きさだとして、東京タワーにとまったとしたらどこまで声が届くと思いますか?

答えは鹿児島県までだそうです。

すごくないですか?しかも、樹液という低カロリーな食べ物であれだけの大きな声を出して鳴けるなんて。

私たちが目に触れる期間はわずかですが、満を持して地上に登場してくるセミ。短命どころか、よくよく考えますと長寿でした。儚くみえますが、実は強くたくましい一生といえるかもしれません。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.

Thank you very much for coming to the appraisal session yesterday in the heat of the day.

The rainy season has ended here in the Tokai area, and summer is finally in full swing. The days are coming when we will have to put aside the unruly swell of our hair and fight against the intense sunlight. The cicadas, which until now seemed to be chirping subduedly, will be singing with increasing intensity.

 

Even elementary school students know that the life of the cicada is short and ephemeral, despite its loud chirping. Cicadas are often seen on the side of the road in the summer after their fleeting lives, but perhaps they are not fleeting because “the life of a cicada is long.

 

Incidentally, there are about 34 species of cicadas in Japan in total. The kuma-zemi, whose chirping is often heard in the Nagoya area, and the abura-zemi, whose wings are brown. The tsukutsukuboushi, which is a species of cicada that appears at the end of summer, is one of the most common cicadas.

Cicadas are also divided into large and small ones, such as the abrazemi, which belongs to the large category. It is said that the name “abrazemi” comes from the sound it makes as if it is frying something in oil, and it lays its eggs on tree trunks during the adult summer season. The eggs hatch during the rainy season of the following year.
The hatched larvae burrow into the soil, where they spend most of their lives.

 

The difference in soil hardness (water retention rate) when they burrow into the soil is one of the reasons why different species live in different habitats. When the hatched larvae burrow into the soil, if the ground is hard, the larvae need a lot of force to burrow into the soil.

On the other hand, if the ground is soft, less force is needed. From this point of view, it seems that the difference is that large cicadas are found in areas where the ground is hard, and small cicadas are found in areas where the ground is soft.

The reason why it is easier to see large cicadas in urban areas is because the soil is hard.

 

Cicadas spend from 3 to 17 years in the soil. Depending on the type of cicada, it is surprising that they spend more than three years in the soil (dark underground life). While it is well known that cicadas spend long periods of time underground to become adults, the lifespan of a cicada once it emerges from the ground can range from one week to one month.

Once a cicada becomes an adult, its life span is said to be about one week, but it is also said that it can live for about one month if the environment is suitable. However, it seems to be quite difficult for cicadas to live outside for a long period of time because of the many external and natural enemies, including humans. For example, the cicada’s natural enemies include humans, crows, cats, birds, carnivorous bees and ants, and many others. It is very difficult for cicadas to survive on the ground.

 

Incidentally, only the male cicada can emit a call. The male cicada emits such a cry in order to signal the female. Because of this, it is said that males and females have a higher chance of meeting than in other insects. This is the reason why they are considered to have a fleeting life span, as they fulfill their mission in the little time they have to live in order to procreate.

 

Cicadas also differ in the time of their appearance and the duration of their chirping, depending on the species. Cicadas have different times of the day and different times of the day when they are singing.

The kuma-zemi sings in the morning. When there are a lot of them, they sing all day long.

Abura-zemi chirps early in the morning, then takes a break and chirps in the afternoon.

Minminzemisemisemi sing during the day when the temperature is higher.

Tukutukuboshi and Ninii Zemi are all day long.

The brown-headed cowbirds sing in the morning and evening.

One of the reasons for this is that cicadas chirp at the same time of the day, which makes the female cicadas lose their way.

 

By the way, if a cicada were the same size as a human and perched on Tokyo Tower, how far do you think its voice would reach?

The answer is as far as Kagoshima Prefecture.

Isn’t that amazing? And how can a cicada make such a loud cry with such a low-calorie food source as sap?

Cicadas are only visible to us for a short period of time, but they appear on the ground with their full potential. Not only are they short-lived, they are also long-lived when you think about it. It may seem ephemeral, but in fact, it may be said that it has a strong and vigorous life.

 

See you soon.

 

 

 

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日進市白山宮足王社の社殿がとても進化系でした。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.18

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

暑い日が続いておりますが、そうはいっても友人とどこか出かけてみようという話になりまして。先日気になっていました愛知県日進市の「白山宮」へ行って参りました。

 

なんだ、いつもの神社巡りなのか笑…と、思いきやそこはちょっと違うんですよ。

百聞は一見に如かず。とりあえず画像をみてみましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

日進市白山宮の中にあります足王社であります。

 

白山宮の創立年代は不詳なのですが、境内に古墳があることから古い年代に求めることができ、加賀国白山のご分霊を勧請した近郷無双の古社であります。また、大永3年(1523)本郷城主、丹羽若狭守氏清(天文7年岩崎へ移城)が始めて祭祀を司ったとの記述も残っております。

近年では、夏の茅ノ輪祭をはじめ多くの祭礼に年間を通じ数万人の参拝者が訪れ、地元の方に愛される神社といったところでしょうか。

 

 

 

 

その白山宮の中にある足王社なのですが、ここには「痛みとり石」この石を手でさすり、痛みのある患部を撫でると痛みがとれたとの言い伝えがのこる伝説の石がまつられております。

 

 

 

 

昔、飯田街道の裏街道と呼ばれた街道が日進市藤島町にあり、商人や旅人達が道中の足の安全を祈願する足名椎神をお祀りするほこらがあり、時代の流れと共に街道を行き交う人々も少なくなり、 街道隣接(藤島町大根)の山本邸に祀られていたものを終戦前後に当宮に勧請したのが起源とされるようになり、「足腰の神様」として有名になりました。

 

こちらの社殿の裏側、足王社の本殿内部の中央の神様の真下に「痛みとり石」は鎮座しておりますが、足腰の神様ということで「サッカー神社」とも呼ばれるようになり、日本代表のエンブレムがはいった御守、絵馬も授与され全国よりサポーターも参拝されているそうです。

 

それにしてもこの社殿は斬新ですね。社殿の屋根と一体化した回廊がうねうねと波うち、その空間中から社殿の奥の緑と清々しい風を感じ取れます。2017年に建造された社殿ですが設計の観点から読み取りますと…。

 

社殿の基本となる軸は南北に取り、参拝者がたどる経路は一方的な直線ではなく、多様で回遊的なものとています。社は細い木を組み合わせてつくられ、木の隙間から漏れる光や杜からの風を感じながら誘われ礼拝するようになっています。御神体の背後に光と木の柔らかな曲線に満たされた「洞の参道」に歩み入り、痛みとり石に触れ、帰途につくとき、杜と一体であることを実感できることを意図して設計されているそうです。

 

 

 

 

御神体の背後には光と木の柔らかな曲線に満たされた「洞の参道」があるのですが、そこに歩み入り「痛みとり石」に触れ(現在は手で触れてることはできません)帰途につくと、杜と一体であることを実感しながら通り抜けます。この社殿は遠くからただ拝むのでなく、杜の一部として神様を身近な存在の触れまた歩み出すような一連のかかわりを願ってこのような様式になっているのですが、まずは設計の意図など知らない状態で参拝をいたしました。

 

そして、後からその設計の意図を知りますと、なるほど。そのとおりでして、知らぬ間に参拝をして「洞の参道」にて「痛みとり石」に触れ(実際には触れていませんが)、より身近に、そして流れるような一連の参拝でありました。そして、拝殿から遠ざかったとしても、その印象的な景色がいつまでも脳裏に残ります。また、斬新な意匠ではあるのですがすっかり社に馴染んでいることにも気づきます。

 

ところで、神社の建築様式も神明造、大社造などなどありますが、その建築様式が必ず決まったものでなくてもよいとことにも驚いたのですが、ありなんですね。

とても斬新な足王社ですがその設計の意図がわかりますと、神様を大切に祀り心地よく参拝してもらいたい気持ちはどんな社殿においても同じ気持ちなのだということもわかりました。

そんな斬新な社殿にて足腰の健康を祈願し、清々しい気持ちと共に白山宮足王社を後に致しました。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

It has been a hot day, but even so, my friends and I decided to go out somewhere. The other day, I went to “Hakusan Shrine” in Nisshin City, Aichi Prefecture, which I had been curious about.

 

What a surprise…it was just the usual shrine tour…but it was a little different.

Seeing is believing. Let’s take a look at the pictures for now.

 

This is Ashio Shrine in Hakusan Shrine in Nisshin City.

 

The date of establishment of Hakusan Shrine is unknown, but the presence of an ancient burial mound in the shrine’s precincts suggests an early date. It is said that Ujikiyo Niwa Wakasa no Mamoru, the lord of Hongo Castle (moved to Iwasaki in 1523), first performed rituals at the shrine.

In recent years, the shrine has been visited by tens of thousands of worshippers throughout the year for many festivals, including the summer Kayanowa Festival.

 

The Ashio Shrine is located in the Hakusan Shrine, where a legendary stone is enshrined that if one rubs the stone with one’s hand and caresses the affected part, the pain will be gone.

 

In the old days, there was a road called “Ura-Kaido” in Fujishima-cho, Nisshin City, where merchants and travelers prayed for the safety of their feet along the way. It is said that the shrine became famous as the “God of Legs and Backs.

 

The “pain relief stone” is located behind this shrine pavilion, directly under the central deity in the main hall of Ashio Shrine.

 

The shrine pavilion is very innovative. The corridor, which is integrated with the roof of the shrine building, undulates in waves, and from within this space, one can feel the greenery behind the shrine building and the refreshing breeze.

 

The basic axis of the shrine is north-south, and the path taken by visitors is not a one-way straight line, but a diverse and circuitous one. The shrine is made of a combination of thin trees, and visitors are invited to worship while feeling the light leaking through the gaps between the trees and the breeze from the forest. The shrine was designed with the intention that visitors will feel at one with the forest when they walk into the “Cave Approach,” filled with light and the soft curves of the trees behind the sacred body, touch the pain-taking stones, and return home.

 

Behind the sacred body is a “cave path” filled with light and soft curves of wood, and when you enter the path, touch the “pain-relieving stone” (currently not accessible by hand), and return home, you will feel at one with the forest. This shrine pavilion is designed in such a way that you do not just worship from a distance, but rather, as a part of the forest, you touch God as if you are close to Him, and you hope that you will be able to step forward to experience His presence again.

 

I first visited the shrine without knowing the intent of the design, and when I later learned the intent of the design, I realized that it was exactly as I had expected. I was right. I visited the shrine without realizing it and touched the “pain-relieving stone” on the “cave path” (although I did not actually touch it), which made me feel closer to the shrine and made my visit to the shrine more fluid. And even if you move away from the worship hall, the view will forever remain as an impression.

 

I was also surprised to see that the architectural style of the shrine, whether Shinmei-zukuri or Taisha-zukuri, does not always have to be a specific one.

The Ashio Shrine is very innovative, but I am sure that the desire to worship the gods with care and comfort is the same in any shrine building. Today, I prayed for the health of my legs and feet, and left Hakusangu Ashio Shrine with a fresh and innovative feeling.

 

I wish you all the best.

 

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毎月18日鑑定会いたしております。今月は7月18日(木)開催です。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎

2024.07.17

古美術風光舎では、毎月18日鑑定会を行っております。

今月は、7月18日(木)10:00~となっております。

 

 

 

 

事前のご連絡はご不要ですので、ご都合の良いお時間にお立ち寄りください。

ご自宅やご実家で「どのくらい価値のあるものなのだろう」と疑問に思うお品などがあれば、査定だけでも構いませんのでお持ちください。大きなお品など持ち込みが難しいお品は写真でも査定させていただきます。

ご来店を心よりお待ちしております。

 

FUKOSHA holds an appraisal session on the 18th of every month.

This month, it will be held on Thursday, July 18, from 10:00 am.

 

No prior notice is required, so please drop by at your convenience.

If you have any items at home or at your parents’ house that you wonder how much they are worth, please bring them in for evaluation only. If you have large items that are difficult to bring in, we will be happy to assess them by photo.

We look forward to seeing you at our store.

 

 

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あまり理解していなかった銀製品の純度とは(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.17

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

前回のブログでは銀生産の歴史について綴りましたが、今回は銀の性質や銀製品の純度などについてお話したいと思います。

 

大航海時代を経て世界中に大量に流通するようになった銀。その後様々な銀製品となり人々の日常を彩ってきました。

現在では就職祝いや出産祝い、銀婚式や還暦、退職の記念品など人生の節目に贈り物として贈られることも多くなりました。ヨーロッパでは赤ちゃんに銀のスプーンで食事を与えると、その子は生涯食べ物に困ることがなく幸せな人生を送るとされ、出産祝いに銀のスプーンを贈る習慣もあります。

 

風光舎に陳列されている銀のケースも戦前に外務大臣より日本の実業家であった石坂泰三氏に贈呈された品です。味わいのある渋い光を放っております。

 

 

 

 

銀の純度は純銀を1000として合金に含まれる銀の割合を3桁の数字で表します。

銀製品を制作する際の銀の純度は、原則として925/1000以上とされていますが、商品により950/1000、970/1000などの純度のものも用いられます。銀は純度が高いほど柔らかく加工が難しくなり、キズもつきやすくなるため、割り金として銅など他の素材を増ぜることにより、製品に加工しやすい硬度を保ちます。

日本では現在、一般的に925/1000以上の純度のものが銀製品と呼ばれています。

銀の含有率が92.5%の「シルバー925」の刻印には「925」「SV925」「S925」などの表記があります。シルバー925の7.5%の割り金には大抵「銅」が用いられますが、他にも亜鉛、アルミニウム、ニッケル、コバルトが含まれることがあります。

シルバー925の中でも残りの7.5%の割り金に「銅」のみが使用されるものだけを「スターリングシルバー」と呼びます。スターリングシルバーは元々はイギリスの銀貨の純度を示していました。

日本ではジュエリー協会が定めた基準により、銅以外の金属を混ぜたものはスターリングシルバーとは名乗れないとされています。

 

スターリングシルバーは銅だけを割り金として使っているため純銀に近い白く明るい輝きを放ちます。シルバー925はやや黄味がかっていることもあり、ニッケルやコバルトが入っている場合は青みがかることもあります。ニッケルにアレルギー反応を起こす人もいるのでジュエリーとして使用する場合は注意が必要です。

スターリングシルバーとシルバー925はどちらも変色しやすい特徴があります。銀は空気中にわずかに含まれる硫黄分などと反応し、硫化銀となるためです。変色の度合いは日頃の手入れの仕方や使用頻度などにより変わるため、使用後に汚れを拭き取ったり、保管方法に気を配るなどの注意が必要です。

 

先日行われたテニスのウィンブルドン選手権では、男子の優勝者にはスターリングシルバーに金メッキが施された優勝カップ、女子の優勝者にはトロフィーとしてスターリングシルバー製の大皿「ローズウォーター・ディッシュ」が決勝後に手渡されます。実際には現物は博物館に保管され、優勝者にはミニチュアのレプリカが贈られるそうです。

 

五輪の金メダルも中身が銀だと知ったときは驚きましたが、選手にとってはそんな下世話な話はどうでもよく、もっと崇高な志をもって戦っているはずですね。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

In my previous blog, I wrote about the history of silver production, and this time I would like to talk about the properties of silver and the purity of silver products.

 

After the Age of Discovery, silver came to be distributed in large quantities all over the world. Since then, silver has been used in various kinds of silver products and has been a part of people’s daily lives.

Today, silver products are often given as gifts to celebrate milestones in people’s lives, such as job-hunting, childbirth, silver wedding, 60th birthday, and retirement. In Europe, it is said that if a baby is fed with a silver spoon, he or she will have a happy life and never have to worry about food for the rest of his or her life.

 

The silver case on display at Fuhkosha was also presented to Mr. Taizo Ishizaka, a Japanese businessman, by the Minister of Foreign Affairs before World War II. It emits an austere light with a taste.

 

The purity of silver is expressed as a three-digit number, with 1000 being pure silver and the percentage of silver contained in the alloy.

As a general rule, the purity of silver used in the production of silver products is 925/1000 or higher, but depending on the product, purities such as 950/1000 and 970/1000 may also be used. The higher the purity of silver, the softer and more difficult it is to process, and the more easily it scratches, so other materials such as copper are added as an alloy to maintain a hardness that makes it easy to process into products.

In Japan, silver products are generally called “silver products” if the purity is 925/1000 or higher.

Silver 925” with a silver content of 92.5% is stamped with ‘925,’ ‘SV925,’ ‘S925,’ etc. Copper” is usually used for the 7.5% split in silver 925, but zinc, aluminum, nickel, and cobalt may also be present.

Among 925 silver, only those pieces in which only copper is used as the remaining 7.5% of the alloy are called “sterling silver. Sterling silver originally denoted the purity of British silver coins.

In Japan, according to the standards set by the Jewelry Association of Japan, any metal mixed with metals other than copper cannot be called sterling silver.

 

Sterling silver is made of only copper as a split metal, giving it a bright white shine close to that of pure silver. Silver 925 may have a slightly yellowish tinge, and if it contains nickel or cobalt, it may have a bluish tinge. Some people have allergic reactions to nickel, so care should be taken when using it as jewelry.

Both sterling silver and 925 silver have a tendency to tarnish. This is because silver reacts with a small amount of sulfur in the air to form silver sulfide. The degree of discoloration depends on how the item is cared for and how often it is used, so care should be taken to wipe off any dirt after use and to be careful about how it is stored.

 

At the recent Wimbledon Tennis Championships, a gold-plated sterling silver men’s championship cup and a sterling silver “Rosewater Dish” platter as the women’s trophy are handed to the winners after the final. The actual items are kept in a museum, and the winners are given miniature replicas.

 

I was surprised when I learned that the gold medals in the Olympics were also silver, but I believe that the athletes are not concerned with such trivial matters and are competing with more noble aspirations.

 

I will see you next time.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

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今年もご近所城山八幡宮茅輪くぐり、始まりました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.16

みなさまこんにちは、スタッフYございます。

 

 

 

 

この三連休、京都の祇園祭ではいですが各所で夏祭りが開催されていたようですが、ここ名古屋も名古屋港の花火大会などが開催されていたりと、いよいよ夏祭りのシーズンが始まりますね!。

 

ですが、この時期の夏祭りは梅雨が明けたか明ける前ということで悪天候が毎年懸念されることは多々でして、昨日の祇園祭もものすごい豪雨の様子がニュースで流れていたりと、雨が降るにしてもちょっと手加減してくれよ…と、言いたい気分でありました。

 

 

 

 

そんな夏祭りですが、今年も古美術風光舎のご近所城山八幡宮にて

2024年7/15(月祝)-17(水)「大茅輪(おおちのわ)くぐり・夏祭り」が行われております。

 

茅輪くぐりは、神社境内に設置された大きな輪をくぐることにより、無病息災・厄除け・家内安全などを祈願する行事のことをいいいますが、「輪くぐり」・「茅の輪くぐり」とも呼ばれ様々な神社にてこの時期おこなわれておりますよね。みなさまのご近所の神社にも、この時期輪があるのではないでしょうか。

 

この輪くぐり、スサノヲノ命の故事に習い祓芦(はらえよし)を持って茅の輪をくぐり、茅(ち・ちがや)の働きによって無病息災・諸難消除・疫病退散・健康長寿を御護り戴く夏の神事。スタッフY、そのくぐり方を毎年のごとく、うっかり忘れて毎年緊張するのですが、自分だけでしょうか。

 

少しおさらい致しますと、

先ず、茅の輪の前に立って軽く礼。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。 次に茅の輪の前で軽く礼をし、 右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って元の位置に戻るそうです。各神社にて多少の違いはあるとは思いますが、後ろの方などがおりますと早くせねば…と、焦りもあってか、毎年のごとくミスっております笑。

 

これでは無病息災・諸難消除・疫病退散・健康長寿の祈願が届かないのでは…と、欲を張ってもう一度やり直ししたりするのですが、まぁ毎年実に格好の悪い輪くぐり。

 

そんな自分のことは一旦置いておいて、先日輪くぐりをしてきました店主の祓芦を早速店内に飾っております。祓芦は、「あし」を「よし」と云い替えて「よき事」を招く「換言」の一種ですので、自分もこの空間にいるということであやかりたいもの。よき事を招くと共に、さーっと伸びた祓芦のクールな佇まいが、このジメジメしたお天気を少しだけ軽やかにしてくれ「清涼感」も招いてくれました。

 

 

 

 

 

 

また、城山八幡宮の大茅輪くぐりは夕方から露店などもでて賑やかになってまいりますので、お時間ございます方、是非足を運んでみてください。

 

本日のブログにて予習はできましたので、私も今年こそは格好よくくぐる準備はできているのですが、たぶん焦るとはおもいますが、お仕事帰りにいってまいります。

 

それではごきげんよう。

 

城山八幡宮 大茅輪くぐり
日時:7月15日㈪~17日㈬ 9:30~21:00
住所:愛知県名古屋市千種区城山町2-88
交通手段:地下鉄東山線 本山駅、覚王山駅

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

It seems that summer festivals were held in various places during this three-day weekend, including the Gion Festival in Kyoto, and here in Nagoya, the summer festival season has finally started with the fireworks display at the Port of Nagoya!

However, there are always concerns about bad weather during the summer festivals held at this time of the year, as the rainy season has just ended or is about to end.

The summer festival will be held again this year at Shiroyama Hachimangu Shrine in the neighborhood of Fumikosha Antique Art House.
The “Oochi-wa Kiguri (thatched-rope procession) and Summer Festival” will be held from July 15 (Mon., holiday) to 17 (Wed.), 2024.

Ouchi-no-wa-kuguri, also called “ring-kuguri” or “thatch-ring-kuguri,” is an event to pray for good health, protection from bad luck, and safety in the home by passing through a large thatch-ring set up in the shrine precincts. I am sure that there is a ring at your neighborhood shrine during this season.

This is a summer ritual to pray for good health and longevity, to get rid of all illnesses, to get rid of various troubles, to get rid of pestilence and disease, and to be blessed with good health and longevity by the action of thatch. Every year, Staff Y forgets how to go through the thatched roof and gets nervous, but is it just me?

Let me review it a little,
First, stand in front of the thatched ring and bow lightly. Then, you cross the ring with your left foot, turn to the left, and return to the original position. Next, you stand in front of the thatch ring, bow lightly, step over the right foot through the ring, turn clockwise, and return to the original position. I am sure there are some differences between shrines, but I always make a mistake every year, perhaps because I am in a hurry to get to the back of the line… lol.

I am always in a hurry to get it done, and I miss it every year. I am afraid that I will not be able to receive the prayers for good health, good health, good luck, and long life… I am so greedy that I have to do it all over again, but it is really not a good way to go around the circle every year.

I put such things aside for a moment, and I immediately put up the owner’s “purification ashi” that I went around the ring the other day in the store. A purification ash is a kind of “kanten,” which means to invite good things by changing “ash” to “yoshi,” so I would like to be in this space and do something good. The cool appearance of ASAHI ASHI, which was quickly stretched out, invited good things to happen and also brought a sense of “coolness” by making the gloomy weather a little lighter.

The “Great Kayawa-kuguri” at Shiroyama Hachimangu Shrine will be crowded with stalls from the evening, so if you have time, please visit the shrine.

I am ready to go through the shrine in style this year, but I will probably be in a hurry, but I will be there after work.

I will probably be in a hurry, but I will be there on my way home from work.

Shiroyama Hachimangu Shrine Grand Kayuri (thatched-rope procession)
Date and time: July 15 ㈪~17 ㈬ 9:30~21:00
Address: 2-88 Shiroyamacho, Chikusa-ku, Nagoya City, Aichi Prefecture
Access:Honyama Station or Kakuouzan Station on the Higashiyama Subway Line

 

 

 

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銀製品、涼やかさだけではありませんでした(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.15

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

夏の蒸し暑さの中、店内のガラス製品や銀製品の涼やかさが目を引きます。

 

 

 

 

銀製品は涼やかさだけではなく、近年の研究では脱臭や抗菌効果が期待されるとして様々な製品に使われています。

銀を水に入れ電流を流すと電気分解され銀イオンが発生し、その銀イオンは細菌に付着し、細菌の生命維持に必要な酵素の働きを止めてしまいます。そのため銀イオンを含んだ水で洗濯をすると銀イオンが繊維の中に入り込み細菌の繁殖を抑え、防臭効果も高めてくれるとされています。

 

古くから銀は宝飾品、食器などに使われてきましたが、少し恐ろしいお話として。中世では毒物にヒ素が多く使用されており、当時の純度の低いヒ素には硫黄が含まれていて、硫黄に反応して黒く変色する銀の食器が毒殺から身を守るものとして使われていたという説もあります。

 

人と長い付き合いのある銀ですが、その起源はどのようなものだったのでしょうか。その歴史を調べてみました。

最も古い歴史としては紀元前4000年頃にアナトリア半島カッパドキア(現トルコ中部)で粒状の銀がつくられたと言われています。

最古の銀製の宝飾品は紀元前3000年頃、古代シュメールの都市ウルの埋葬遺跡で銀を素材にしてつくられたものが発見されています。中世の時代には重要な装飾品を作るために銀が活用されていました。

当時は銀は自然銀でも産出しましたが、自然金よりは少なく鉱石から取り出す必要があり、技術的に金よりも銀の方が純度の高いものを手にするのが難しかったため、純度の高い銀は非常に貴重で、金の2.5倍の価値があったともいわれています。

紀元前2500年頃、銀を精錬する灰吹法が発明され銀の生産量が一気に増え、銀の価値は金に比べ低いものとなっていきました。

灰吹法とは金や銀を含んだ鉱石と鉛を混合して加熱し合金を作ります。それを灰が入っている皿の灰の上に置き加熱すると、鉛は酸化して溶けて酸化銀となり灰の中に染み込み、不純物の少ない金や銀が灰の上に残るという精錬方法です。

大量に生産できるようになった銀からは銀貨が作られるようになり、最も古い銀貨は紀元前650年ころリディア王国で作られたとされ、その後ギリシャでも鋳造されるようになりました。採掘には多くの奴隷を苦役があったそうです。多くの犠牲もあったのでしょうね。

 

15世紀終わりから、ポルトガルとスペインによる新航路の開拓が進み、16世紀には地球上の大陸や海域は船によって繋がり世界の一体化が始まりました。コロンブスの大西洋横断から約50年後、スペイン支配下の南米アンデス山中でも銀鉱が発見され銀が大量生産され世界へと広まりました。

日本でも1530年代に灰吹法が導入され、石見銀山を中心とした日本銀の産出が増大し、一転して銀の輸入国から輸出国となりました。

日本とアメリカ大陸での銀の大量生産により、銀は国際商品としてこの時期の貿易の拡大を支えたのといわれています。

その頃の中国では銀に対する需要が高まっており、当時貴重なものとされていた中国の絹織物や陶磁器などが銀と交換され大量にヨーロッパへ流れたといわれています。

 

大航海時代に貿易の中心となった銀は、日用品や芸術品などに形を変え現在の生活を彩っています。

次回は様々な銀製品について綴ってみようと思います。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

In the humid summer heat and humidity, the coolness of glass and silver products in the store catches my attention.

Silver products are not only cool but also used in various products as they are expected to have deodorizing and antibacterial effects according to recent studies.

When silver is put in water and an electric current is applied, it is electrolyzed to produce silver ions, which adhere to bacteria and stop the action of enzymes that are necessary for bacteria to maintain life. Therefore, when washing clothes in water containing silver ions, the silver ions penetrate into the fibers, inhibit the growth of bacteria, and enhance the deodorant effect.

It has been used for silver coins, jewelry, and tableware since ancient times. A somewhat frightening story is that arsenic was widely used as a poison in the Middle Ages, and there is a theory that silver tableware, which reacts with sulfur and turns black in response to sulfur, was used as protection against poisoning because the low-purity arsenic of the time contained sulfur.

 

Silver has a long association with people, but what were its origins? We looked into its history.

The earliest known history of granulated silver is said to date back to around 4000 B.C. in Cappadocia on the Anatolian Peninsula (now in central Turkey).

The oldest silver jewelry was found around 3000 B.C., made of silver at the burial site of the ancient Sumerian city of Ur. During the Middle Ages, silver was used to make important ornaments.

At that time, silver was also produced as natural silver, but it had to be extracted from ore less than natural gold, and since it was technically more difficult to obtain silver of higher purity than gold, silver of higher purity was extremely valuable and was said to be worth 2.5 times as much as gold.

Around 2500 B.C., the ash-blowing method of refining silver was invented, and silver production increased dramatically, making silver less valuable than gold.

In the ash-blowing process, ores containing gold or silver are mixed with lead and heated to produce an alloy. The lead oxidizes and melts to silver oxide, which seeps into the ash, leaving the gold and silver with few impurities on top of the ash.

The earliest silver coins were made in the Kingdom of Lydia around 650 B.C., and were later minted in Greece. Mining required the hard labor of many slaves. There must have been a lot of sacrifices.

From the end of the 15th century, Portugal and Spain began to explore new sea routes, and by the 16th century, the continents and seas of the earth were connected by ships, beginning the unification of the world. About 50 years after Columbus’ Atlantic crossing, silver ore was discovered in the Andes mountains of South America under Spanish rule, and silver was mass-produced and spread throughout the world.

In Japan, the ash-blowing method was introduced in the 1530s, and the production of Japanese silver, mainly from the Iwami Ginzan Silver Mine, increased, turning Japan from a silver importer to an exporter.

The mass production of silver in Japan and the Americas is said to have supported the expansion of trade in silver as an international commodity during this period.

At that time, demand for silver was increasing in China, and Chinese silk fabrics and ceramics, which were considered valuable at the time, were exchanged for silver and shipped in large quantities to Europe.

 

Silver, which became the center of trade during the Age of Discovery, has been transformed into daily necessities and works of art, and is now a part of our daily lives.

In my next entry, I will write about various silver articles.

 

See you next time.

 

 

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髪や肌でも感じる湿気です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.14

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

 

3連休ですが、すっきりしないお天気ですね。今日の名古屋は午後から雨が降るようですので、湿度増し増しで不快指数MAXです。先日のような自分の身が焼かれるような暑さに比べれば、いくぶんマシかとも思いますが、梅雨時の方がなんだか暑く感じてしまうこともあります。

 

 

ほぼ梅雨時にしか聞かない気もしますが、「不快指数」とは蒸し暑さによる不快さを表す指数のことで、気温と湿度から求めた「体感温度の指標」のことを指します。不快指数が高いほど、体感温度が高いことを意味します。

 

具体的な求め方は(別に覚える必要もないのですが)、0.81×温度+0.01×湿度×(0.99×温度-14.3)+46.3。数式にするとよく分かりませんが、温度が高い、また湿度が高いほど、不快指数、つまり体感温度も高くなるということのようです。

この不快指数が77を超えると、おおよその日本人は不快感を覚えるそうです。

例えば、気温38度、湿度0%のときの不快指数は77。つまり、カラッカラに乾いていれば、38度の酷暑でも不快とはいえないことになります。逆に、湿度100%の時は気温25度で不快指数77。湯気のあふれるお風呂場は、25度を超えると不快と感じるということです。

 

「不快指数」は高温多湿の日本人にとっては、単なる暑さだけではなく、湿気感としての「蒸し暑さ」を程よく表す目安といいましょうか。 気付けばすっかり市民権を得た言葉となりました。実際の数字はどうであれ、堪え難い日本の夏を代表するにふさわしい言葉であることは間違いありませんね。

ところで、客観的な数値で表される「湿度」に比べ、「湿気」というと何やら親しみさえ感じる不思議さ。昔の人が湿気止めと呼んでおりました乾燥剤を、海苔の缶に入れるだけでなんだか安心感が湧いてくるのは、長年湿気とつきあってきた日本人の習性でしょうか。

 

またこの時期、天気予報の「洗濯指数」や「服装指数」が役に立ちますが、ところで、いつの間にか「〇〇指数」の種類が増えている気がしますが、気のせいでしょうか。

気になって気象関連のホームページをのぞいてみると、「のど飴」や「アイス」「シミ・リバウンド」まで、見慣れない指数の数々が。「何でもあり?」と突っ込みたくなりますが、「○○指数」は数字の集積である気象データを、いかに暮らしやすさにつなげるかが本質であるそう。「何でもあり」ではないようです。

 

指数のほとんどは、気温や湿度、風速、降水量など日本気象協会が持つ膨大な気象データを、独自に生み出した計算式から導いており、何をどう掛け合わせるかは「企業秘密」なのだそう。

のどの乾燥しやすさを示す「のど飴指数」や、日焼け止めなど肌のダメージ対策を促す「シミ・リバウンド指数」など、確かに日々の暮らしで目にすると、ちょっと気にして取り入れてみようかなという気持ちになるものです。少々そういった数値に踊らされている感はありますが、確かに日常生活に浸透している気がしますね。

 

ここで豆知識を一つ。日本気象協会によると、ネットのアクセス数が多いものは、毎日役立つ「洗濯指数」と「服装指数」に、肩を並べるのは天体観測の目安になる「星空指数」なのだそう。

今日のお天気では無理そうですが、星空指数が高いほど綺麗な星空が見られますよ。

日常にロマンが足りないと感じているみなさん、参考にしてみてください(笑)。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone. This is Staff T.

It’s a three-day weekend, but the weather is not so clear. It is supposed to rain in Nagoya this afternoon, so the humidity is increasing and the discomfort level is at its maximum. Compared to the heat like the other day, when I felt as if I was burning myself, it is a little better, but sometimes I feel hotter than during the rainy season.

 

The “discomfort index” is an index of discomfort caused by hot and humid weather, and is an indicator of the temperature you feel in your body, calculated from the air temperature and humidity. The higher the discomfort index, the higher the temperature you feel.

 

The specific formula is (and you don’t have to remember it): 0.81 x temperature + 0.01 x humidity x (0.99 x temperature – 14.3) + 46.3.

When the discomfort index exceeds 77, most Japanese people feel uncomfortable.

For example, when the temperature is 38 degrees Celsius and the humidity is 0%, the discomfort index is 77, meaning that if the air is dry and crispy, even a heat wave of 38 degrees Celsius is not uncomfortable. On the other hand, when the humidity is 100%, the discomfort index is 77 when the temperature is 25°C. This means that a bathroom full of steam is uncomfortable when the temperature exceeds 25°C.

 

The “discomfort index” is not just a measure of heat for the Japanese, who are used to high temperatures and humidity, but also a good measure of humidity, or “hot and humid”. The term has become a household word. Regardless of the actual number, there is no doubt that it is an appropriate word to represent the unbearable Japanese summer.

By the way, compared to “humidity,” which is expressed as an objective numerical value, “humidity” is a strange and even familiar word. Just putting a desiccant, which people in the past called a “moisture stopper,” in a can of dried laver gives me a sense of relief, perhaps a Japanese habit of dealing with humidity for many years.

 

Also during this time of year, the “laundry index” and “clothing index” in the weather forecast are very useful.

When I looked at weather-related websites out of curiosity, I found a number of unfamiliar indexes, including “throat lozenges,” “ice cream,” and even “stains/rebounding. I was tempted to ask, “Is anything possible? But the essence of the “XX Index” is how to connect weather data, which is an accumulation of numbers, to the ease of living. It seems that it is not “anything goes.

 

Most of the indexes are derived from the Japan Weather Association’s vast amount of meteorological data, including temperature, humidity, wind speed, and precipitation, and from original formulas.

The “throat lozenge index,” which indicates how dry one’s throat tends to get, and the “blemish/rebound index,” which promotes measures against sunscreen and other skin damage, are certainly things that, when you see them in your daily life, make you think about adopting them with a little care. Although I feel that we are a little bit dancing around such figures, they certainly seem to have permeated our daily lives.

 

Here is a piece of trivia. According to the Japan Weather Association, the top three most frequently accessed online weather data are the “laundry index” and the “clothing index,” which are useful every day, and the “starry sky index,” which is a guide to astronomical observation, are on a par with the “laundry index” and the “clothing index.

It may seem impossible in today’s weather, but the higher the starry sky index, the more beautiful the starry sky will be.

For those of you who feel that your daily life is lacking in romance, please take a look at this for reference (laughs).

 

See you soon.

 

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たくましさと美しさを併せ持つ芙蓉の花(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.13

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

パリオリンピックを2週間後に控え、テレビで過去の五輪競技の映像などを観る機会が多くなりました。

当時の自分を振り返り、時の流れを感じずにはいられません。リオ五輪で日本男子が400mリレーで銀メダルを獲った瞬間は、駅構内のテレビで見ず知らずの人と喜びを分かち合いました。懐かしいです。

 

さて本日は中国製の「古染付 芙蓉手」をご紹介します。

 

 

といいましても知識不足ですので自分なりに調べてみました。

古染付は中国明時代の末期を中心に景徳鎮民窯で焼かれた染付磁器です。形も絵も自由奔放でのびやかさがあり、白く美しい磁器に澄んだコバルトで染付された作品が日本人にも好まれ、日本の茶人からの注文によって作られたものもあると考えられています。

絵柄には長寿、富貴栄華、子孫繁栄などの願いが込められたものが多く描かれています。

その中でも芙蓉手とは見込中央に大きく円窓を施し、周囲を花弁のように区切る文様構成が芙蓉の花を思わせることから名付けられたそうです。17世紀初めにオランダ東インド会社が「染付芙蓉手」の器を中国に特別に注文し輸入したところ、その藍色のみの華やかさがヨーロッパで人気となったとのこと。

その後、明から清への王朝交代に伴う動乱期に中国磁器の輸出は縮小されることとなり、代わりに日本の伊万里焼が芙蓉手を制作し、主に輸出向けの様式としてヨーロッパに渡ることとなりました。

 

風光舎にございます芙蓉手の皿、手に取るとまずその薄さと軽さに驚きます。お皿の口縁部にかすかに切込みが入っていて花びらの繊細さと軽やかさを演出しています。

淡い藍色の染付で優しい雰囲気なのですが、見込みに描かれた花鳥や縁の吉祥文様が一面にのびやかに描かれていて芙蓉手の名前にふさわしい華やかさがあります。

 

ところで、今さらですが芙蓉の花とは?

芙蓉はハイビスカスの仲間でもあり、7月から10月にかけて10センチほどの大輪の花が咲く花木だそうですが、花自体は朝に開花し夕方にはしぼんでしまう一日花だそうです。ただ次々と新しい花を咲かせ続けるため長く楽しむことができます。

古代中国では詩や絵画に頻繁に登場し、皇室の庭園に植えられることも多く、美しさと優雅さの象徴とされてきました。

日本においても庭園や茶室の装飾として愛され、夏目漱石や与謝野鉄幹なども歌に詠んでいます。能や狂言といった伝統的な日本芸術にも影響を与え、また富士山もその姿の神秘的で美しい姿から「芙蓉峰」とも呼ばれていたことから日本人には馴染みの深い花だったのでしょう。

芙蓉の一種で10月頃に咲く「酔芙蓉」は、朝に咲いた白い花が夕方にかけて徐々にピンクに色づいていくそうで、その様子が酔っているように見えることから酔芙蓉と名付けられてそうです。なかなか一日眺めていることはできませんが、興味津々です。ぜひお目にかかりたいものです。

個人的にはあまり馴染がなかった芙蓉ですが、この夏、目を凝らして探してみようと思います。

芙蓉は盛夏の暑さにも強く、太陽の光があればアスファルトやコンクリートからでも芽を出し、排気ガスなどの影響をものともせず花を咲かせるそうで、高速道路の街路樹にも使われているそうです。私の勝手なイメージとは違いとてもたくましい花でした。あやかりたいです。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

With the Paris Olympics coming up in two weeks, I have had many opportunities to watch the past Olympic games on TV.

Looking back on those days, I can’t help but feel the passage of time. The moment Japan’s men won the silver medal in the 400m relay at the Rio Olympics, I shared my joy with total strangers on the TV in the station. It was nostalgic.

 

Today, I would like to introduce a Chinese-made “Kozuke (old dyed blue) Fuyote”.

I don’t know much about it, so I did some research on my own.

Ko-zome porcelain was produced in Jingdezhen private kilns mainly in the late Ming Dynasty of China. The shapes and pictures were free and unrestrained, and the beautiful white porcelain, dyed in clear cobalt, was favored by the Japanese, and it is thought that some of the pieces were made to order by Japanese tea masters.

Many of the designs depict wishes for longevity, wealth, prosperity, and offspringhood.

The Dutch East India Company specially ordered and imported hibiscuses from China at the beginning of the 17th century, and their gorgeous indigo color only became popular in Europe. The indigo color of this gorgeous ware became popular in Europe.

Later, during the upheaval that accompanied the change of dynasties from Ming to Qing, exports of Chinese porcelain were curtailed, and instead, Japanese Imari ware produced Fuyo-te porcelain, which was mainly exported to Europe.

 

The Fuyou-te plate at Fuhkosha is surprisingly thin and light in weight when you pick it up. The faint incision at the mouth edge of the dish allows you to feel the delicacy and lightness of the petals.

The pale indigo-colored underglaze blue gives the dish a gentle atmosphere, but the flowers, birds, and auspicious motifs on the edge of the plate are all painted on the surface, giving it a gorgeous appearance befitting its name “Fuyote.

 

By the way, what are hibiscuses?

It is said that hibiscus rosebay is also a member of the hibiscus family and is a flowering tree with large flowers of about 10 cm in length from July to October. However, it can be enjoyed for a long time because it keeps producing new flowers one after another.

In ancient China, it frequently appeared in poems and paintings, and was often planted in imperial gardens as a symbol of beauty and elegance.

In Japan, it is also loved as a decorative element in gardens and tea rooms, and has been written about by poets such as Soseki Natsume and Tekkan Yosano. Fuji was also called “Fuyo-bo” (Mt. Fuji) because of its mysterious and beautiful appearance, so the flower must have been familiar to Japanese people.

The “drunken hibiscuses,” a type of hibiscuses that blooms around October, are named “drunken hibiscuses” because their white flowers bloom in the morning and gradually turn pink in the evening, making them look as if they are drunk. It is not easy to spend a whole day looking at them, but I am very interested in them. I would love to see it.

I was not familiar with hibiscuses, but I will try to look for them this summer.

I heard that hibiscuses are used as roadside trees along expressways because they are resistant to the heat of mid-summer, sprout from asphalt or concrete if there is sunlight, and bloom without being affected by exhaust gas. Unlike my own image, it was a very strong flower. I would like to be blessed by them.

 

See you next time.

 

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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初代帝室技芸員 田崎早雲 (愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.07.12

 

 

本日は、初代帝室技芸員にも選ばれた 日本画家 田崎早雲 のご紹介です。

 

日本画家 田崎草雲は1815年に生まれた日本を代表する画家の一人です。

田崎草雲は、文化12(1815)年10月15日に、江戸の神田小川町の足利藩邸内にて生まれ、幼い頃から親戚の金井烏洲(かないうじゅう)に絵画の手ほどきを受け、20歳のときに藩士をやめて谷文晁(たにぶんちょう)・渡辺崋山(わたなべかざん)という日本画の大家と呼ばれる二人に師事し本格的に絵画を学び始めます。嘉永6(1853)年には、足利藩の絵師になっています。

画家としても、評価の高い田崎草雲ですが、実は志士としても活躍をしています。志士たちと交友を深め、尊王の志を強くし、幕末・維新の動乱期には誠心隊(せいしんたい)という民兵組織を結成し治安維持にあたり、足利を戦火から守ったという記録が残されています。

 

そんな田崎草雲ですが、写実性の高い作品を多く残していることで知られます。南画の師である谷文晁や渡辺崋山亡き後、書画会における草雲の評価は低かったとされています。草雲は文晁を畏敬はしたが、真似をした作品を書くことを嫌がっていたといいます。プロ意識が高く、写実のため本草学も学ぶという熱心さがあり、凧の絵や浮世絵を書いたりして世渡りをする一方で、自らの描く芸術だけには信念を曲げることなく、江戸っ子としての「意地」の部分が草雲を大成させたと言えるのではないでしょうか。

 

そんな田崎草雲の作品は、山水画を始め、花鳥図、人物などが多いことが特徴です。「白華朱楼図」では、山水の方式を取り険しい岩肌の崖から覗く情緒ある寺院に橋など、基本に忠実に描かれています。その独特の強さや繊細な画風などは独特の雰囲気や空気感を得ることができる作品となっています。

初期の頃はあまり高い評価を得ていなかったと言われる田崎草雲ですが、次第に高い評価を得ていきます。明治23(1890)年には、芸術家にとって最も名誉ある帝室技芸員(ていしつぎげいいん)に、橋本雅邦(はしもとがほう)らとともに選ばれました。

また、後世の教育にも力を入れており、岱寺山(れんだいじやま)〔現:足利公園内〕に白石山房(はくせきさんぼう)を建て、足利では多くの弟子をとり絵画を教えました。しかし、絵を欲しがるだけの志しが低いものは受け入れることはせず、自身の目に敵う者だけに師事させたといいます。

 

また、司馬遼太郎の小説、「喧嘩早雲」のモデルともなっており、早熟の作家というよりは年をとるにつれ認められた作家といえるでしょう。弟子に小室翠雲がおり、時代の代表者として後輩画家を育てた経歴の持ち主です。

代表作は「蓬菜山図」「富嶽図」です。彼の各作品は国内だけでなく国外でも高い評価を受けています。「絹本着色 蓬莱仙宮図」に描かれた海と蓬莱山。「絹本墨画 富嶽図」の望遠鏡さえ使ったといわれる富士山の見事な風格。「絹本着色 花鳥図 3幅対」からは、喧嘩っ早い彼が小さなものをも愛していた様子が伺われます。

また、足利市には「早雲美術館」があり、足利が生んだ幕末の勤皇画家田崎草雲の遺作・遺品を展示しています。足利公園の南端にあり、美術館の横には草雲が画室や居宅として使っていた白石山房があります。

 

Today, we would like to introduce Soun Tasaki, a Japanese-style painter who was also the first Imperial Household Artist.

 

 

Japanese painter Soun Tasaki, born in 1815, is one of Japan’s leading painters.

He was born on October 15, 1815, in the Ashikaga domain residence in Kanda Ogawa-cho, Edo (present-day Tokyo). He began to study painting in earnest under Tani Buncho and Watanabe Kazan, two of the great masters of Japanese painting. In 1853, he became a painter for the Ashikaga clan.

Although highly regarded as a painter, Soun Tasaki was also active as a samurai. He formed a militia called “Seishintai” to maintain public order during the upheavals of the late Edo period and the Meiji Restoration, and protected Ashikaga from the fires of war.

 

Tazaki Soun is known for his highly realistic works. After the death of Tani Buncho and Watanabe Kazan, his teachers in nanga, Soun’s reputation in the calligraphy and painting circles was low. It is said that although Soun was in awe of Buncho, he did not want to write works that imitated him. He was highly professional and eager to learn herbology for the sake of realism, and while he was a world-famous artist who wrote kite paintings and ukiyoe, he never wavered in his belief in his own art, and it can be said that his “willfulness” as an Edo native made him a great artist.

 

The works of Soun Tasaki are characterized by their landscape paintings, flower-and-bird paintings, and human figures. In “Baihua Shurozu,” the artist has faithfully depicted the basics, such as a bridge and an emotional temple peeking out from a steep rocky cliff, following the landscape style. The unique strength and delicacy of the painting’s style give the work a distinctive atmosphere and atmosphere.

It is said that Soun Tasaki did not receive high acclaim in his early years, but he gradually gained a high reputation. In 1890, he was selected as a member of the Imperial Household Artists’ Association, the most prestigious honor for an artist, along with Hashimoto Gaho and others.

He also devoted himself to the education of future generations, building the Shiraishi Sambo (White Stone Mountain Studio) on Mount Rendaiji (now Ashikaga Park) and teaching painting to many students in Ashikaga. However, he did not accept those with low aspirations who only wanted to paint, and only allowed those who were good in his eyes to study under him.

 

He was also the model for Ryotaro Shiba’s novel, “Kenka Soun,” and can be considered a writer who was recognized as he grew older rather than a precocious artist. His pupil was Suiun Komuro, who was a representative of his time and trained junior painters.

His representative works are “Bokkaisan-zu” and “Fugaku-zu. Each of his works has been highly acclaimed not only in Japan but also abroad. The sea and Mount Horai depicted in “Horai Sengu Zu” (Coloring on Silk). The depth of the painting. Fuji, which is said to have even used a telescope in “Fugakuzu (Mt. Fugaku)” (ink painting on silk). The “Coloring on Silk, Flowers and Birds, Pair of Three Pairs” shows how he loved small things as well as quarrelsome ones.

Ashikaga City is also home to the Soun Tasaki Museum of Art, which exhibits the works and belongings of Soun Tasaki, an Ashikaga-born painter of the late Edo period. Located at the southern end of Ashikaga Park, next to the museum is the Shiraishi Yamabo, which Soun used as his painting studio and residence.

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