お知らせ - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 117

お知らせ

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FROMKYOTOOSAKA

唐突に…(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董・古いもの買取いたします 古美術風光舎 名古屋店)

2022.02.24

みなさま、こんにちは。

突然ですが、2年後に死んでしまうとしたら、みなさんは何をしますか?

何を突然聞くんだ、とお思いの方もいらっしゃいますかね。

今日は私の思い付きにお付き合いください。

 

 

本屋さんに行くと『明日死ぬかもよ』とか『もしあと1年で人生が終わるとしたら?』『もしも一年後この世にいないとしたら。』といった死を意識した本に出会います。

人間にとって生まれる環境は誰もが平等とは言いがたいのですが、どんな人間にも平等に訪れるのが死です。

だから、こういった本に興味を持つ方は多いのでしょうし、一定数の需要があるのだと思います。

 

 

私は昨年、母の死を身近で経験しましたし、最近では仲のよかった友人や大変お世話になった恩師の死を立て続けに経験し、意識の中では確実に死は身近なものとなりました。

死はとても辛いものがありますが、誰しもがいつかは経験することです。

だとしたら、生の延長線上に死があるからこそ、死を意識することで生がより生き生きと輝いてくるように思います。

 

 

それに、この2年くらいはコロナの影響で、家族の死に目に会えなかったとか、病院で最後の姿を見ることができないままお骨になって帰ってきた、というお話も耳にします。

今は健康でも、何が起こるのかわからない時代なんだとひしひしと感じています。

だからこそ、日々後悔のないように生きていきたいとも切に思います。

 

 

では、初めに申しました問いに話を戻します。

「あと2年後に死ぬとしたら、何をしますか?」

 

 

私だったら何をするかな、と真剣に考えてみました。

この場合、費用のことは一切考えずに考えてみますね。

 

 

まずは家族と旅行に行きます。日本国内・国外問わず。

行きたいところに片っ端から行き、きれいな景色を堪能し、美味しい現地の食べ物を食べ、そこでしかできない体験があったらやってみます。

帰ってきてからもきれいな景色を思い出して繰り返し楽しむことができますし、家族との会話でも楽しかった記憶について語り合うでしょう。

 

 

そして、会いたい人に片っ端から会いに行きます。

お世話になった方にはたくさん思い出話をし、たくさん感謝を述べてきます。

また、憧れの方でしたら、どんな人生を送ってきて今にいたるのかなど、たくさんインタビューをしたいと思います。

やはり人は人でしか成長しないと思いますからね。

 

 

他にも今まで色々な要因で諦めていたことを書き出し、すべて挑戦してみたいです。

それがうまくいこうが、いくまいが、やってみたいという気持ちを大事にしたいのです。

また、自分の子供たちだけでなく、未来のある方たちにも色々な挑戦をさせてあげたいです。

ワクワク生きる人の育成というのもやってみたいことの一つです。

 

 

でも、これらのことをすべてやるには2か月という時間は短すぎます。

だとしたら、これを達成するために一番大事なことは何かと考えました。

すると、自分に嘘をつかないことだと思いました。

自分の気持ちを我慢して人に合わせる時間はないのです。

自分の気持ちに正直に行動していかないと、やりたいことが全部できないからです。

人の顔色も窺っている場合ではないのです。

 

 

ここら辺まで来ますと、もう怖いものなんてなくなりますよね。

何が一番大事かをよくわかっているのですから。

 

 

でも、ここまでの話って、2か月後に死ななかったとしても、やれたら気持ちいいでしょうね。

そして、ここまで極端にとはいきませんが、やろうと思えばできることばかりです。

未来のことを心配しすぎて今を楽しめないでいるのなら、今を楽しむ方に少しフォーカスすることで簡単に叶うなぁと思ったんです。

 

 

死とは生きることの期限であると意識したことで、今後どうやって生きていくのかが見えてきた気がしました。

天国に行くと神様から「人生楽しんだ?」と聞かれるらしいのですが、「はい!」と大きな声で答えられるように、これからも生きていきたいな…と思った穏やかな如月の一日でした。

 

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

(スタッフM)

 

Hello everyone.

Suddenly, what would you do if you were to die two years later?

Do you think that what you suddenly hear?

Please come up with my idea today.

 

When I go to a bookstore, I say “I may die tomorrow” or “What if my life ends in another year?” “If you weren’t in the world a year later. I come across a book that is conscious of death.

It is hard to say that the environment created by humans is equal, but it is death to visit every human being equally.

Therefore, many people are interested in such books, and I think there is a certain amount of demand.

 

Last year, I experienced the death of my mother close to me, and recently I have experienced the deaths of my close friends and teachers who have been very helpful to me, and death has definitely become familiar in my consciousness.

Death can be very painful, but it is something that everyone will experience someday.

If so, I think that life will shine more vividly by being aware of death because death is an extension of life.

 

Also, I hear that for the past two years or so, due to the influence of Corona, I couldn’t see the death of my family, or I came back with bones without being able to see the last figure at the hospital.

I feel that it is an era when I am healthy but I do not know what will happen.

That is why I really want to live without regrets every day.

 

 

Now, let’s return to the question I asked at the beginning.

“What would you do if you were to die two years later?”

 

I seriously wondered what I would do.

In this case, let’s think about the cost without thinking about it at all.

 

First of all, I will go on a trip with my family. Regardless of whether it is inside or outside Japan.

Go from one end to where you want to go, enjoy the beautiful scenery, eat delicious local food, and if you have an experience that can only be done there, try it.

Even after you come back, you will be able to remember the beautiful scenery and enjoy it repeatedly, and you will talk about the memories you enjoyed in conversations with your family.

 

And I go to meet the people I want to meet.

I would like to express my gratitude to those who have taken care of me.

Also, if you are a longing person, I would like to do a lot of interviews about what kind of life you have lived and what you are up to now.

After all, I think that people can only grow as people.

 

I would like to write down what I had given up due to various other factors and try everything.

Whether it works or not, I want to cherish the desire to try it.

Also, I would like to challenge not only my children but also those who have a future.

One of the things I want to do is to train people who live with excitement.

 

 

But two months is too short to do all these things.

If so, I wondered what was the most important thing to achieve this.

Then I thought that I shouldn’t lie to myself.

I don’t have time to put up with my feelings and adapt to others.

If you don’t act honestly with your feelings, you can’t do everything you want to do.

It is not the case when the complexion of a person is also seen.

 

When you come to this area, you won’t be scared anymore.

I know what’s most important.

 

But even if you didn’t die two months later, it would be nice if you could do it.

And although it’s not so extreme, it’s all you can do if you want to.

If I’m too worried about the future and can’t enjoy the present, I thought it would be easy to focus on those who enjoy the present.

 

Being aware that death is the deadline for living, I felt that I could see how I would live in the future.

When I go to heaven, it seems that God asks me “Did you enjoy your life?”, But I want to continue living so that I can answer “Yes!” In a loud voice. did.

 

Thank you for your relationship.

(Staff M)

 

 

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

訪れたかったです永青文庫(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.23

みなさま、こんにちは。スタッフYです。

 

このところの状況下でやはり都内へいくことは、なかなかかなわず、がっかりしておりましたら、いつもの東京支部(家族です)から、可哀そうに思ってくれたのか写真を送ってきてくれました。

 

 

 

今回訪れたのははなかなかの通の美術館でありまして、それゆえに絶対に訪れたかったのですが、これまたかなわず。そちらが、永青文庫であります。

 

簡単にご説明いたしますね。

都内目白界隈は昔からの武家屋敷の名残が諸所あり、現在もその跡地に大学やホテルや研究機関やはたまた政財界の名だたる方のお屋敷があったりと当時の面影を垣間見ることができます。

 

永青文庫は、今は遠き武蔵野の面影を止める目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にある小さな美術館なのでありますが、やはりそのコレクションたるやなかなかのものがございます。

 

東京には財閥、財界の一族のコレクションの美術館も結構あるのですが、こちらは武家の細川家のコレクションが江戸の細川家の武家屋敷跡地の目白に永青文庫として保存そして展示をしております。

 

 

 

 

 

 

 

細川家は室町幕府三管領の一つとして武門の誉高い家柄で、現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まります。武人藤孝は優れた歌人・国文学者として、また、信長の雑賀征伐に弱冠15歳で初陣し先駆けの功に輝いた忠興(三斎)は千利休の高弟の一人としても名高く、その室・明智光秀の娘玉は波乱の戦国時代を清冽に生きた武将の妻として、キリスト者としてガラシャの洗礼名をうけたことは歴史でお勉強致しましたよね。

 

そんな代々文武両道にすぐれた細川家は、多くの戦功を挙げて、3代忠利のとき肥後熊本五十四万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至りました。

 

そして、この家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しているのが永青文庫であります。ここには欧州貴族にも優る七百年余の細川家の伝統が静かに息づいているのですが、こちらの細川氏、世界中を学者を同行させてコレクション行脚の旅を行っていたというのですから、静かどころかなかなかの活発なコレクターではないか。いやはや、当時はいかに世界の逸品をコレクションすることが上流階級のステイタスだったということでしょう。

 

コレクションも日本の物からヨーロッパ中近東と様々な国のものがあり、こちらのコレクション動物モチーフの物や細工が可愛らしいコレクションが多かったとの東京支部からの感想でありました。名家のコレクションにも訪れるとよくわかるのですが、何かしらコレクションする方の趣味や特徴が出ておりますよね。こちらの細川氏のコレクションは、よく拝見するとこれは面白い、すごいくないかといった、細やかなものがお好きだったようですね。

 

そのような中、永青文庫は昭和25年、斯界に著名な侯爵16代護立公によって、細川家に伝来する文化財の散逸を防ぐ目的で財団法人として設立されました。その名称は藤孝の養家の始祖細川頼有以後8代の菩提寺である京都建仁寺塔頭永源庵の「永」と藤孝の居城青龍寺城の「青」の二字をとって護立公が名付けたものでして、細川家の伝統を継承し、護り、誇りとするに相応しい名称と言えましょうか。

 

昭和47年から一般公開を始め、翌48年に博物館法による登録博物館となり現在に至っています。因に現在の建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたものですので、元藩主細川家から旧細川侯爵家へと時代が移り変わった様子も感じ取れます。

 

所蔵品は護立公と17代護貞氏から寄付を受けたものであり、毎年テーマをかえて美術工芸品を中心に公開展示し、もちろん故郷熊本県立美術館にても年数回にわたり展示しているようです。また、熊本大学附属図書館に藩政資料等の古文書・典籍類を、慶應義塾大学附属研究所 斯道文庫に漢籍を、東洋文庫以前ご紹介いたしましたね)に欧州で刊行された東洋学研究書(コルディエ文庫)をそれぞれ寄託し、各界の研究にも役立ているようです。

 

そんな永青文庫位置ですが、前に東京カテドラル教会お隣が椿山荘と閑静な地区の中にひっそりと入り口がございます。とても国宝8件、重要文化財34件をふくむ、およそ6,000点の美術工芸品と88,000点の歴史文書を所蔵しているとは建屋から想像もつきませんが、驚きの所蔵品の多さ。

 

その永青文庫の収蔵品の代名詞ともいえますのが、

国宝 金銀錯猟銃文鏡 (中国・戦国時代  径17.5)

 

 

白銅質の鏡面と青銅製の鏡背から成る鏡。
鏡背には、三つの怪獣渦文の間に禽・獣・狩猟の文様が象嵌されており、中でも、剣を手にした馬上の人物と虎の極めて写実的な表現から「狩猟文鏡」と名づけられたようです。
河南省洛陽の金村古墳から出土。戦国時代に流行した、金属に模様を刻んで金・銀などをはめ込む技法(金銀錯)による鏡の最も優れた作例であり、世界的に「細川ミラー」の名で知られております。

 

今回は、この展示期間であったのですが、やむなく断念。ただただ訪れた本人に、感想を聞くのみでありました。

 

そしてお伝えしましたようにこの永青文庫の前には、東京カテドラル教会が。こちらは以前丹下健三展で模型にてご紹介いたしました東京カテドラル教会でありますが、ご参考までに前回の模型の写真も復活で掲載しておきますね。

 

 

 

 

からの、椿山荘の煙を眺めるというコースだったようです。TVロケでよく登場いたしますよね。

 

 

 

東京観光としては、地味ではありますが、幕末から明治期に入った日本の武家屋敷のその後の姿を静かに体感できるスポットとして個人的にはお気に入りですのではあります。内緒にしておきたいスポットではあるのですが、東京の名所や観光はひとしきりし尽くしたなという方でしたら是非訪れてほしい地区でございます。

 

それでは ごきげんよう。

 

 

Hello everyone. This is Staff Y.

It was difficult to go to Tokyo under these circumstances, and if I was disappointed, the usual Tokyo branch (my family) sent me a photo of how pitiful I was.

 

This time I visited a museum that is quite familiar, so I definitely wanted to visit it, but I couldn’t do it again. That is Eisei Bunko. I will explain briefly.

In the Mejiro area of ​​Tokyo, there are various remnants of samurai residences from ancient times, and even now, you can get a glimpse of the remnants of those days, such as universities, hotels, research institutes, and residences of famous people in the political and business world. I’m sorry.

 

Eisei Bunko is a small museum located in the corner of the vast Hosokawa clan’s mansion, which was located in the Mejirodai area from the Edo period to the postwar period. There is one.

There are quite a few museums in Tokyo that have collections of conglomerates and clan of the business world, but here, the collection of the Hosokawa clan of the samurai is preserved and exhibited as the Eisei Bunko in Mejiro, the site of the samurai residence of the Hosokawa clan in Edo. We are here.

The Hosokawa clan is one of the three territories of the Muromachi Shogunate, and is a prestigious

family of the Buke. Tadaoki (Sansai), who was a pioneer in the battle for Nobunaga’s conquest of Saiga at the age of 15, is famous as one of Sen no Rikyu’s high-ranking younger brothers.・ You learned from history that Akechi Mitsuhide’s daughter, Tadaoki, was baptized as a Christian as the wife of a military commander who lived in the turbulent Warring States period.

The Hosokawa clan, who excels in both Bunbu and Budo for generations, was given Higo Kumamoto 540,000 stones when he was the third Tadatoshi, and reached the end of the Tokugawa shogunate as a powerful Tozama Daimyo.

 

The Eisei Bunko, which manages, preserves and researches cultural properties such as historical materials and works of art that have been handed down to this house, and is open to the public, is 700 years old, which is superior to European aristocrats. The tradition of the Hosokawa family is still alive. It seems that he was collecting items from various countries from Japanese items.

 

Under such circumstances, Eisei Bunko was established in 1950 as a foundation to prevent the dissipation of cultural properties transmitted to the Hosokawa clan by the 16th Marquis of the Marquis. The name was taken from the two characters “Ei” of Kyoto Kenninji Tower Eigen-an, which is the 8th generation of the Bodhisattva Temple after Hosokawa Fujitaka, the founder of Fujitaka’s foster family, and “Blue” of Fujitaka’s residence, Seiryuji Castle. Is it a name that is suitable for inheriting, protecting, and taking pride in the tradition of the Hosokawa family?

 

It was opened to the public in 1972, and in 1948, it became a registered museum under the Museum Act and continues to this day. By the way, the current building was built in the early Showa period as a household affairs office (office) of the former Hosokawa Marquis, so you can feel that the times have changed from the former feudal lord Hosokawa family to the former Hosokawa Marquis family.

 

The collection is donated by Moritatsu Hosokawa and Mr. Morisada 17th, and it seems that the theme is changed every year and the arts and crafts are exhibited mainly, and of course, it is exhibited several times a year at the Kumamoto Prefectural Museum of Art. is. In addition, we introduced ancient documents and books such as feudal affairs materials to the Kumamoto University Library, and Chinese books to the Keio University Research Institute Sodo Bunko before the Toyo Bunko). It seems that (Cordie Bunko) has been deposited and is useful for research in various fields.

 

Eisei Bunko holds about 6,000 arts and crafts and 88,000 historical documents, including 8 national treasures and 34 important cultural properties, and there are many collections that cannot be imagined from the building. ..

 

It can be said that Eisei Bunko is synonymous with that.

National treasure gold and silver hunting gun mirror (China, Warring States period, diameter 17.5)

A mirror consisting of a cupronickel mirror surface and a bronze mirror back.
On the back of the mirror, patterns of birds, beasts, and hunting are inlaid between the three monster swirls. It seems that it was named.
Excavated from the Kanamura Tumulus in Luoyang, Henan Province. It is the best example of a mirror made by carving a pattern on metal and fitting gold, silver, etc. (gold-silver complex), which was popular during the Warring States period, and is known worldwide as “Hosokawa Mirror”.

 

This time, it was during this exhibition period, but I had to give up. Just ask the person who visited you for their impressions.

 

And, in front of this Eisei Bunko, there is the Tokyo Cathedral Church, which was also introduced as a model at the Kenzo Tange exhibition. For your reference, I will post the photo of the previous model in the resurrection.

 

It seems that it was a course to look at the smoke of Tsubaki Sanso.

 

Although it is sober for sightseeing in Tokyo, I personally like it as a spot where you can quietly experience the aftermath of the Japanese samurai residence that entered the Meiji era from the end of the Edo period, so it is also a spot that I want to keep secret.

 

 

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

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厄除けだんごといったら…(愛知県名古屋市千種区姫池通 古美術風光舎名古屋店 骨董買取いたします)

2022.02.20

みなさま、こんにちは。

みなさまは「厄除けだんご」と聞くと、どちらのお団子を思い出すでしょうか?

大きな神社仏閣の門前町では、時々見かけますよね。

お参りにいくと、美味しいものセンサーが働く私は気づくとそんなお店に立ち寄っていますが、たいていはみたらし団子が多いのかな、と思います。

でも、静岡県出身の私は、厄除けだんごの断トツ1位がやはり「法多山(はったさん)尊永寺」の名物ではないかと思います。

以前、テレビの「ケンミンショー」などで紹介されたこともあり、全国的にもご存じの方も多いのではないでしょうか。

 

 

法多山とは、略縁起によりますと…
『法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。』

法多山はこのようなお寺で、厄除けのご祈祷の護摩焚きがとても有名です。地元の方にも愛されるお寺で、厄年のお祓いはたいてい、こちらのお寺にくるのが習わしです。

 

 

さて、冒頭に申しました、厄除けだんご。

こちらは、法多山の境内でのみ販売されている名物団子なんです。

そう、サービスエリアなど他で売られることのない、現地に行かなくては食べられない大変貴重な代物です!

でも、買う場所が法多山のみに限られるというだけで、1箱600円というとても買いやすいお値段で売られているんです。

静岡県西部にお住いの方でしたら、お参りにいった近所の方からよくいただくお土産で、年間に3回以上は食べるおだんごではないでしょうか。

私も昔はそうでした。(笑)

実際、法多山ではお土産袋に5箱、10箱と持って帰る方をよく見かけます。

この厄除けだんごを配ることで、自分の厄も落としてくれると言われていますし、もらった方も美味しく厄落としに協力出来て、まさに幸せのお団子です。

 

 

こちらの厄除けだんごは、徳川家十三代将軍・家定公の頃にお正月の献上品となったようで、将軍家から「くし団子」とご命名賜って以来150年以上、一般参拝客に愛されているそうです。

串にさした団子は、頭・首・胴体・手・脚を表しており、団子に厄除けの意味を込めたと伝えられています。

法多山の境内のだんご茶屋にて「厄除けだんご」は、販売されています。

イートインと、お土産とあり、参拝後にだんご茶屋でちょっといっぷくが私の小さいころからの至極のひと時でした。

イートインでは、歩き疲れた身体に、甘さ控えめのお団子とほのかな香りのする深蒸しの袋井茶のセットが用意されています。

それが1皿(2かさ)で200円というお値打ちさも魅力です。

 

 

一つの串に単三電池くらいの大きさのお餅が刺さったものが5本並んで、1かさになっています。

その上に、甘さ控えめのこし餡がのっかっていて、それが絶妙のバランスなんですよ。(昔はもっとたっぷりあんこがのっていたような気もしますが、今くらいが本当にちょうど良いです。)

お餅もとても柔らかく、1かさペロッといってしまいます。

だから、2かさがちょうど良い量なんです。

 

昔から保存料など使用せず、変わらない形・味・ほどよい甘さで作られてきたそうで、日持ちがしないので、遠くの方にとっては幻のお土産になってしまうのですね。

また、法多山の御縁日(お茶湯日)に参拝すれば、日によって違いますが90日から6,000日の間お参りしたのと同じだけのご利益があるといわれます。

そして、その御縁日(月に1日あるようです)に合わせて、だんご茶屋では「茶だんご」を限定販売しているそうです。

私はまだ出会ったことがありませんが、ご縁日にもいつかお参りしてみたいです。

 

 

先日、実家に帰った際に父親と久しぶりに法多山に参拝し、だんご茶屋でも厄除けだんごを食べ、お土産でもたっぷり堪能しました。

おみくじでは「凶」がでましたが、お団子を食べたことで体の中から厄落としできたのかな、と思っています。(笑)

(ちなにも、法多山のおみくじは「凶」が多くて有名で、私も父も「凶」でしたよ…。)

みなさまもご興味ありましたら、是非行かれてみてください。

 

(スタッフM)

 

Hello everyone.

Which dumpling do you remember when you hear “Apotropaic magic”?

You can sometimes see it in the town of Monzen, a large shrine and temple.

When I go to visit, the delicious food sensor works, and when I notice it, I drop in at such a shop, but I think that there are usually many mitarashi dumplings.

However, I’m from Shizuoka prefecture, and I think that Hattasan Son-ei-ji Temple is the most famous dumpling for warding off evil.

It was introduced on TV “Kenmin Show” before, so many of you may be familiar with it nationwide.

 

What is Hattasan?
“Hatasan is a special head temple of the Koyasan Shingon sect, whose temple name is called Sonei-ji. Since ancient times, the principal image of the Kannon Bodhisattva has been commonly referred to as the Apotropaic Magic Kannon, as it is a spiritual test for the benefit of good luck. It is said that in the second year of Jinki (725), Gyoki Shonin, who was ordered by Emperor Shomu, searched for a sacred place for the great pessimistic Kannon and enshrined the main Buddhist image of the Kanzeon Bodhisattva. increase. The spiritual virtue of the principal idol extends far into Kyoto, and was added to the line of the fixed-price temples of Shirakawa and Emperor Go-Shirakawa. After that, he gained the worship of warlords such as Imakawa, Toyotomi, and Tokugawa, and was treated by Ieyasu Tokugawa in the form of 50,000 stones, especially in the 7th year of Keicho (1602). However, in the Meiji Restoration, the red seal land was returned, the twelve bos were abolished, and the name was changed to Sonei-ji Temple. 』\

 

Hattasan is such a temple, and it is very famous for its prayer for warding off evil. It is a temple that is loved by the locals, and it is customary to come to this temple for the prayers of the bad years.

 

Well, as I said at the beginning, it’s a dumpling to prevent evil.

This is a famous dumpling sold only in the precincts of Hattasan.

Yes, it is a very valuable item that cannot be eaten without going to the site, which is not sold elsewhere such as in the service area!

However, just because the place to buy is limited to Hattasan, it is sold at a very easy-to-buy price of 600 yen per box.

If you live in the western part of Shizuoka prefecture, it’s a souvenir that you often get from the neighbors who visit you, and it’s probably a bun that you eat at least three times a year.

I used to be like that. (Lol)

In fact, in Hattasan, we often see people who bring 5 or 10 souvenir bags with them.

It is said that by handing out this apotropaic magic dumpling, you will be able to get rid of your own apotropaic magic, and the people who received it will be able to help you get rid of the apotropaic magic.

 

 

This apotropaic magic seems to have been a gift for the New Year when the 13th Tokugawa Shogunate, Iesada, was given the name “Kushi Dango” by the Shogunate, and has been loved by general worshipers for over 150 years. It seems that it has been done.

The dumplings on the skewers represent the head, neck, torso, hands, and legs, and it is said that the dumplings have the meaning of warding off evil.

“Apotropaic magic dumplings” are sold at the dumpling teahouse in the precincts of Hattasan.

There was an eat-in and a souvenir, and after worshiping, I had a little bit of a dice at the dango teahouse, which was the perfect time since I was little.

At Eat-in, a set of low-sweetness dumplings and deep-steamed Fukuroi tea with a faint scent is prepared for a tired body.

The value of 200 yen for one plate (2 pieces) is also attractive.

 

 

Five pieces of rice cake, about the size of an AA battery, are lined up on one skewer to form a single piece.

On top of that, there is a low-sweetness strained bean paste, which is a perfect balance. (I feel like there was more bean paste in the past, but now it’s really just right.)

The mochi is also very soft, and it’s called 1 bulky.

Therefore, 2 is just the right amount.

 

It seems that it has been made with the same shape, taste, and moderate sweetness without using preservatives for a long time, and since it does not last long, it will be a phantom souvenir for people far away.

In addition, it is said that if you visit Hattasan’s fair (Ochayu Day), you will get the same benefits as if you visited for 90 to 6,000 days, depending on the day.

And, according to the fair (it seems that there is one day a month), the dango teahouse sells “cha-dango” for a limited time.

I haven’t met him yet, but I would like to visit him someday on a fair day.

 

 

The other day, when I returned to my parents’ house, I visited Hattasan with my father for the first time in a long time, ate dumplings at a dango teahouse, and enjoyed plenty of souvenirs.

There was a “bad” in the fortune telling, but I wonder if eating the dumplings helped me get rid of it from inside my body. (Lol)

(By the way, Hattasan’s Omikuji is famous for having a lot of “bad”, and both I and my father were “bad” …)

If you are interested in it, please come and visit us.

 

(Staff M)

 

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

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問題です。どちらが桃か桜でしょう。(名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.18

こんにちは、スタッフYでございます。

本日はなかなかの寒さであるのですが、日差しだけはそろそろ春めいてきた気がいたします。そろそろ花粉など気になり始めた方もおいででしょうか。

 

先日店先にて、このところ気になってまいりました桃と桜を購入。飾ってみましたよ。流派はいつもの通り我流でございますので、ご了承くださいませ。

 

さてさて、ここで問題。どちらが、桃か桜かでしょうか。

蕾はどちらもピンク色、手前の枝は少しつるつるしており、もう一つの枝はごつごつしております。

 

 

この時期、桜が?と思われますよね。私も少しびっくり致したが、まあ早咲きの品種「東海桜」のようでした。

 

こちらの東海桜、早咲きの仲この桜はケイタロウザクラ(啓太郎桜=ケイオウザクラ 啓翁桜と同一品種)の実生苗から選抜されたケイオウザクラ(敬翁桜)が別名として「東海桜」、「岳南桜」で売られたため和名が混乱しているといわれます。啓翁桜とは樹形が異なり箒状となります。また、樹幹からの気根の発生が多くみられることから、支那実桜が関与したものと推定されます。

 

昨年このブログにて桜の変異種についてつぶやいておりますが、桜は変異しやすい植物。早咲き品種も結構ありそうですので、これについてはまたつぶやくと致します。

 

そんな中、桃と同時期に咲く桜をみかけ一緒に投げ入れてみたのですが、どちらも蕾は固く、うっすらとピンク色をのぞかせているまでであります。どちらが先に咲き、どんな花を咲かせるのかが楽しみですね。と、桜と桃の競演が華やかな店内でありますが、先ほどの問題の答えに戻りましょうか。

ですが、ここで少しヒント。と、いいますかわたくしも一緒にお勉強したいだけでありますが。

 

まず桜、桃、そして梅。じつはこの3つの花はすべてバラ科の植物というのは周知のことでありますが、いずれもバラの仲間であることから見た目がとてもよく似ていて見分けるのが難しいとも。そんな上に咲く時期までいっしょとなりますと、これまた困ってまいりました。

 

そんな中、見た目は似ていますが、いくつかのチェックポイントを注意深く観察すれば、それぞれの特徴が見えてまいります。見た目、開花時期、香りの3つのチェックポイントに着目すると誰でも簡単に見分けることができるようになりますので、少しご紹介いたしましょう。

 

まずは大まかなところで、花びらに着目。花びらに切れ込みがあれば桜、切れ込みがなければ梅か桃になります。次に、梅と桃の違いですが、ポイントは葉と花がひらくタイミング。花だけがひらいている場合は梅、葉と花が同時にひらいていれば桃になるようですので、葉の出るタイミングは要チェックのようであります。

 

桜の花びらは、先が割れ、花柄(枝と花が繋がっているところ)は長く、花の数は、1つの節に多くの花をつけております。また、幹肌は赤茶色で、ゴツゴツした横縞模様になっており、葉は花が咲き終わった頃から初夏にかけて茂るのは言うまでもありませんね。私がイメージしましたのは、東山魁夷の「宵桜」「花明かり」などでしょうか。

 

また、梅は、花びらの先が丸く、花柄はほとんどございません。そして、花の数は1つの節につき花は1つのみのですので、桜ほどはにぎやかに咲いてはいませんね。幹肌は黒ずんでいて、比較的ざらついているものも。葉は、花が咲き終わってから出てきます。こちらは国宝、尾形光琳「紅白梅図屏風」をイメージすると間違いない!。

 

そして、桃。桃の木を拝見することは、桜や梅と比べますとそうお目にかからないですが、花びらは先が尖っており、花柄は短く、花の数は、1つの節につき花が2つ(節の中央に葉芽があり、その両側に花芽が1つ)であります。そして、幹肌は白っぽく、ツルツルしていて、斑点模様があるのが特徴。葉は花と同時に可愛らしく開いていますよね。そんな桃の木ですが、私の知識不足により、なかなかイメージする有名絵画が浮かばす、探しましたよ。

ゴッホの、「花咲く桃の木」(1888年作)。こちらの作品は、ゴッホ美術館に所蔵されておりますので、是非そちらをイメージしてみてくださいませ。

 

一般的な開花時期は、梅→桃→桜の順ではありますが、この早咲きの桜のように地域や気候によって開花が重なることもあります。開花時期を知っていれば、どの花なのか大体の見当をつけることができますが、早咲きとは…。これは想定外でしたね汗。

 

 

そんな、ヒントをもとに答えを導き出しますと、花は咲いておりませんので、幹での判定になります。よって、つるつるしたものが桃、ごつごつしたものが「東海桜」であります。参加者の皆さま、お疲れさまでした笑。

 

そして上級編ではありますが、桜・桃・梅と似ている花に杏(あんず)がございますがこうなると、もう混乱。丸い花びらが梅とよく似ていて、開花時期も3月から4月となっているため、見分けるのが難しいと感じる人が多いようですが、そんな杏と梅の決定的な違いは花のつき方のようでして、1つの節に1つの花なら梅、1つの節に複数の花が咲いていれば杏のようですが、わたくしは、杏はなかなかお目にかからないようですのでとりあえず知識として入れますが、一旦忘れておくことに致します笑。

 

いやはや、これから春の花の競演シーズンに突入するわけですが、これらの蘊蓄がちょっとお助けになりましたら幸いです。今から開花が楽しみになってまいりました。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

Hello, this is Staff Y.

It’s quite cold today, but the sunshine is about to spring.

The other day, I bought peaches and cherry blossoms that came to the storefront. I tried to decorate it. Please note that the school is our own as usual.

 

Well, here’s the problem. Which is peach or cherry blossom?

Both buds are pink, the branch in the foreground is a little slippery, and the other branch is rugged.

 

 

 

What about cherry blossoms at this time of year? I think that. I was a little surprised, but it looked like the early-blooming variety “Tokai Sakura”.

 

This Tokai cherry tree, early blooming Naka This cherry tree is also known as “Tokai cherry tree” and “Dake”, which are selected from the seedlings of Keitaro cherry tree (Keitaro cherry tree = the same variety as Keio cherry tree). It is said that the Japanese name is confused because it was sold at “Minamisakura”. The tree shape is different from that of Keio Sakura, and it looks like a broom. In addition, since aerial roots are often generated from the trunk, it is presumed that Chinese cherry blossoms were involved.

 

Last year, I tweeted about the mutant species of cherry blossoms in this blog, but cherry blossoms are plants that are easily mutated. It seems that there are quite a few early-blooming varieties.

Meanwhile, I saw a cherry blossom that bloomed at the same time as the peach and threw it together. In both cases, the buds are hard and have a faint pink color, but I am looking forward to seeing which one will bloom first and what kind of flower will bloom.

 

Such a competition between cherry blossoms and peaches is gorgeous in the store, but I will return to the quiz I mentioned earlier, but I would like to give you some hints here, and I will study with you.

 

It is well known that these three flowers, cherry blossoms, peaches, and plums, are all plants of the Rosaceae family, but since they are all members of the rose family, they look very similar and difficult to distinguish. When it came to the time when it bloomed on top of that, I was in trouble again.

 

The appearance is similar, but if you carefully observe some checkpoints, you can see the characteristics of each. If you focus on the three checkpoints of appearance, flowering time, and scent, anyone can easily distinguish them, so let me introduce a little.

 

First of all, pay attention to the petals in a rough place. If there is a notch in the petals, it will be cherry blossoms, and if there is no notch, it will be plum or peach. Next, regarding the difference between plums and peaches, the point is the timing when the leaves and flowers open. If only the flowers are open, it will be plum blossoms, and if the leaves and flowers are open at the same time, it will be peaches, so it seems that you need to check the timing of the leaves.

 

The petals of the cherry blossoms have cracked tips, long peduncles (where the branches and flowers are connected), and the number of flowers is large in one node. In addition, the trunk skin is reddish brown and has a rugged horizontal stripe pattern, and it goes without saying that the leaves grow thick from the time when the flowers have finished blooming to early summer. What I imagined was Kaii Higashiyama’s “Evening Sakura” and “Flower Light”.

 

In addition, plums have rounded petals and almost no floral patterns. And since the number of flowers is only one per node, it is not as lively as cherry blossoms. The trunk skin is dark and some are relatively rough. The leaves come out after the flowers have finished blooming. There is no doubt that this is an image of the national treasure, Korin Ogata’s “Red and White Plum Blossoms”.

 

And peach. Seeing peach trees is less common than cherry blossoms and plums, but the petals are sharp, the peduncles are short, and the number of flowers is two per node. (There is a leaf bud in the center of the node and one flower bud on both sides of it). The trunk skin is whitish, smooth, and has a speckled pattern. The leaves are cute and open at the same time as the flowers. It’s such a peach tree, but due to my lack of knowledge, I was looking for a famous painting that I could easily imagine.

Van Gogh’s “Flower-blooming Peach Tree” (1888). This work is in the Van Gogh Museum, so please try to imagine it.

 

The general flowering time is plum → peach → cherry blossom, but flowering may overlap depending on the region and climate like this early blooming cherry blossom. If you know the flowering time, you can get a rough idea of ​​which flower it is, but what is early blooming? That was unexpected, sweat.

 

 

 

If you derive the answer based on such a hint, the flower is not blooming, so it will be judged by the trunk. Therefore, the slippery one is peach and the rugged one is “Tokai Sakura”. Thank you to all the participants.

 

And although it is an advanced version, there is an apricot in a flower that resembles cherry blossoms, peaches, and plums, but this is already confusing. The round petals are very similar to plum blossoms, and the flowering time is from March to April, so many people find it difficult to distinguish them, but the decisive difference between apricots and plum blossoms is the flowering. It looks like a plum blossom if one flower is in one node, and an apricot if multiple flowers are in one node, but I don’t seem to see an apricot, so I know it for the time being. I will put it in as, but I will forget it once lol.

 

No, we are about to enter the spring flower competition season, and we hope that these savings will help us a little.

 

Well then, good luck.

 

 

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今年も鷽鳥の季節がやってまいりました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.16

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

今年もやってまいりましたよ、例の季節が。

 

昨年このブログにて少しお伝えしたかと思いますが、私がささやかにコレクションしております「鷽鳥」の季節でございます。

その前に、まずは鷽鳥とは端的にお伝えいたしますと、この鷽鳥は鷽替え神事にて配布される木材や陶器などで鷽鳥の形に象り彩色した、まあ鳥のオブジェであります。

 

鷽替え神事とは、毎年1月に行われる開運招福を祈願する行事でありまして、参詣者が神前に集い、授かった鷽を「替えましょう、替えましょう」と声をかけ合いながら人の手から手へと渡して取り替えていく、少し変わった行事であります。その際に、何度も何度も取り替えていくことによって、前年に起こった悪いことを嘘(鷽)であったことにして、吉事に替えることができるという意味があるようで。そのようにして持ち帰った鷽は、お守りとして神棚におまつりしたり、置物として飾るなど様々な場所に置かれ、鷽が幸せを運んできてくれるよう願うようであります。

 

先に「季節」と申しましたが、そんな鷽替え神事は1月25日の初天神の日に行われることが多く、時間帯も太宰府天満宮では、夜暗闇の中でに行われたりと、参加するにはなかなか難しいスケジュール。

 

またこの行事の特性上、掛け声をかけあい、鷽鳥を手に手に交換し、人と集まることはこの状況下では3大やってはいけない項目になっておりますので、お札などを受けるところでお受けできる形態になっている天神さんが多いようですね。

 

名古屋には三大天神とよばれる、「桜天神」、「山田天満宮」、「上野天満宮」があるのですが、今回はですね、岡崎市にございます「岩津天満宮」へ、鷽鳥を求めてやってまいしたよ。

 

2月頃の開花に合わせて、梅まつりも開催されますが、あとすこしといったところでしょうか。

 

 

 

そして、今回我が家へ連れて帰ってきました、鷽鳥はこちら。

陶器製でございます。

 

 

どことなく、こちらをみており何かいいたげでありますが、本日より既存のメンバーたちに仲間入りをしていただきたいと思います。よろしくね。

 

それでは、ごきげんよう。

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

We’re here again this year, the usual season.

As I mentioned in this blog last year, it is the season of “Satori” that I have a small collection.

Before that, let me tell you briefly about the bullfinch. This bird is a bird object that is colored in the shape of a bullfinch with wood and pottery distributed at the Shinto ritual. ..

 

The reshuffle ritual is an event held in January every year to pray for good luck, and worshipers gather in front of the shrine and talk to each other to change the sword that was given to them. It is a slightly unusual event to hand over and replace. At that time, by replacing it over and over again, it seems that it means that the bad thing that happened in the previous year can be replaced with a good thing by making it a lie. The bullfinch brought back in this way is placed in various places such as a talisman for festivals on the Kamidana and decorated as a figurine, and it seems that he hopes that the bullfinch will bring happiness.

 

I mentioned “season” earlier, but such a reshuffle ritual is often held on January 25th, the day of Hatsu Tenjin, and at Dazaifu Tenmangu Shrine, it is held in the dark at night. It’s a difficult schedule to participate.

 

Also, due to the nature of this event, talking to each other, exchanging bullfinch in hand, and gathering with people are three major items that should not be done in this situation, so it is a form that can be accepted at the place where you receive bills etc. It seems that there are many Tenjin-san who have become.

 

There are three major Tenjin in Nagoya, “Sakura Tenmangu”, “Yamada Tenmangu”, and “Ueno Tenmangu”, but this time, I went to “Iwazu Tenmangu” in Okazaki City to ask for a bird. I did it.

 

A plum festival will be held in conjunction with the flowering around February, but is it a little more?

 

And here is the bullfinch that I brought back to my house this time.

It is made of pottery.

 

 

Somehow, I’m looking at this and it’s something good, but I would like to invite existing members to join us from today.

 

Well then, good luck.

 

 

 

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桶狭間の戦い(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買い取ります 古美術風光舎 名古屋店)

2022.02.15

みなさま、こんにちは。

先日、全然歴女でもなんでもない私が、縁あって、「歴史上の出来事の場所に赴いて思いを馳せる旅」ということをしてきました。

というのも、私の友人に、ご先祖様が戦国武将の佐久間信盛でしたという方がいらして、その方が名古屋に来る用事があったので、そのついで(いや、これがメインですね。)にご先祖様を思う旅にご一緒させていただいたんです。

 

 

佐久間信盛は織田信長の家老だったので、まずは風光舎のご近所の「城山八幡宮」から旅がスタートしました。

城山八幡宮は織田信長のお父様の信秀公と弟・信行公の居城だった神社ですので、まずはご挨拶です。

すると、兵庫から来たその友人は、とても気のよい神社だと喜んでおり、こんな神社が自分のうちの近所にもあったら毎日でも来たいと言っておりました。

普段から近くにあるのが普通である身としては、外から来た方の意見は新鮮ですし、改めてありがたみが湧いてきますね。

 

 

 

次に鳴海城跡公園に。

鳴海城の城主にもなったことがあるらしいので、お城があった場所に赴きました。

今はお城の跡地の中心部が公園になっていましたが、小高い丘の上にあり、当時の様子が伺えます。

現在は県道を挟んだ目の前には天神社がありますが、かつてはそちらも城の敷地だったそうです。

そちらに鳴海城址の石碑が立っていました。

 

そのあとで、桶狭間の合戦場に向かいました。

信長といえば、今川義元と戦った桶狭間の合戦が有名ですものね。

それに家老として参戦したのですから、桶狭間を巡ることは外せません。

また、歴史の教科書に名前が載っている場所がこの名古屋市にあるのですから、行かない手はありません。

 

そちらに着くと、案内の看板には桶狭間の戦いの様子が案内されていましたが、一番驚いたのは、公園内が当時の信長軍と家康軍、今川軍の進軍路がジオラマ形式になっていたことです。

もちろん、城や砦の位置も模された配置になっています。

しかも、専用のアプリをダウンロードすると、そこでどんな合戦が繰り広げられたのかAR劇場で楽しめるような作りになっているんです。

私たちはそれまではやらなかったのですが、歴史を勉強中の学生さんなど、合戦の状況を動画で見ることができ、生きた勉強空間だなぁと感心しました。

また、訪れてみて気づいたのが、意外と狭い場所だったということです。

そして、桶狭間の戦いは尾張なので濃尾平野という平地のイメージではありましたが、実際は周辺は山谷が続く高低差が激しい地域です。

今川軍に対して圧倒的に数では負けている信長軍が勝つには、この土地でなければなかったんだと思いましたし、改めて信長の頭の良さに感心しました。

 

 

こうやって歴史で何か起こった場所を尋ねることは、教科書で読むより何倍も面白いんだと気付きましたし、臨場感をもって理解が深まります。

それが自分のご先祖様のこととなれば尚更です。友人はとても感慨深い様子でした。

私もご一緒できたことで、歴史認識の曖昧な部分がクリアになりました。

 

そんな感じで、知的に楽しい一日になり、帰りには美味しいものも食べて帰ってきました。

 

今日もとりとめもないブログにお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

(スタッフM)

 

Hello everyone.

The other day, I, who is not a reki-jo at all, had a relationship and said, “A trip to go to a place of historical events and think about it.”

Because, one of my friends said that his ancestor was Sakuma Nobumori, a warlord of the Warring States, and he had a business to come to Nagoya, so that’s the main thing (no, this is the main thing). ), I took a trip to think of my ancestors.

 

Nobumori Sakuma was the chief retainer of Nobunaga Oda, so the trip started from “Shiroyama Hachimangu” in the neighborhood of Fukosha.

Shiroyama Hachimangu is a shrine that was the residence of Nobuhide Oda’s father and his younger brother Nobuhide, so I would like to say hello first.

Then, the friend who came from Hyogo was pleased that it was a very nice shrine, and said that he would like to come every day if there was such a shrine in his neighborhood.

As a person who is usually close to me, the opinions of those who come from outside are fresh, and I am grateful again.

 

Next, go to Narumishiroato Park.

It seems that he has also become the owner of Narumi Castle, so I went to the place where the castle was.

The center of the site of the castle was now a park, but it is on a small hill, and you can see what it was like at that time.

Currently, there is a Tenjin shrine in front of you across the prefectural road, but it seems that it used to be the site of a castle.

There stood a stone monument at the site of Narumishiroato.

 

 

After that, I headed to the battlefield in Okehazama.

Speaking of Nobunaga, the battle between Okehazama who fought against Yoshimoto Imagawa is famous.

Also, since I participated in the war as a chief retainer, I cannot miss going around Okehazama.

Also, there is a place in Nagoya where the name appears in history textbooks, so there is no choice but to go.

 

When I arrived there, the signboard of the guide showed the battle between Okehazama, but what surprised me most was that the park was a diorama of the Nobunaga army and Ieyasu army at that time, and the Ieyasu army’s course. It was supposed to be.

Of course, the location of the castle and fort is also imitated.

What’s more, if you download the dedicated app, you can enjoy what kind of battle was fought there at the AR theater.

We hadn’t done it before, but I was impressed that it was a living study space because I could watch the video of the battle situation, such as students studying history.

 

Also, when I visited, I noticed that it was a surprisingly small place.

And, since the battle between Okehazama was Owari, it was an image of a flat land called Noo Plain, but in reality, the surrounding area is a region with a large difference in elevation where mountains and valleys continue.

I thought that Nobunaga’s army, which was overwhelmingly defeated by the Imagawa army, had to be in this land to win, and I was once again impressed by Nobunaga’s smartness.

 

I realized that asking where something happened in history in this way is many times more interesting than reading it in a textbook, and it gives me a sense of realism.

Especially when it comes to your ancestors. My friend looked very emotional.

By being able to work with me, the vague part of historical awareness has been cleared.

 

With that feeling, it was an intellectually enjoyable day, and on the way back, I ate delicious food and came back.

Thank you for visiting our rambling blog today.

 

 

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

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ジブリパーク開園が楽しみですね。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.13

皆様、こんにちは。スタッフYでございます。

 

 

愛知県の名古屋に住むようになって十五年以上たちまして。(いまさらどうした。)思っていたよりも住みやすくなかなか快適な暮らしができており、私もいよいよ名古屋人になってきたのでしょうか。

 

そんな愛知県のイメージですが、よく街頭インタビューなどで「味噌!名古屋めし」とか「車!」とか「ど派手、見張り!」「金のちゃちほこ!」などど、いろいろ癖の強いコメントがでてまいります。普段名古屋で暮らしておりますと、あまり見ないし、そういう感じはしないのですが、私があまりにも馴染みすぎて気づかずに暮らしているだけなのでしょうか。

 

ですが、これだけはちょっと感じでおります。

「愛知って何にもないよね。」というコメント。「何」て、なんだ?。たしかに、まあまあ各地を転々とした経験として、愛知県や名古屋は暮らしてみると渋滞はないし、鉄道もまあまあ通ってるし、名駅、栄あたりに行きますと大体のショップはあるし特別なブランド以外ははだいたい手に入るし、ショッピングモールどこに行こうかくらいたくさんあって迷うし、大変暮らしやすい土地ではないか。

 

ただですね、他県の友人などをおもてなししようとしてもどこにお連れしようか?と、しばし考えるということが多いような。熱田神宮も名古屋城ももう連れて行ってあげたしなぁ…と、毎度「何」に頭をひねります。

 

そのイメージは明らかなランキングにもでておりまして、平成30年度に観光文化交流局が行った「都市ブランドイメージ調査」によると、名古屋市は札幌市・東京23区・横浜市・京都市・大阪市・神戸市・福岡市の全8都市中、魅力のある都市ランキングの最下位という、なんとも不名誉な結果に終わりました。実はこれ、初めてではなく2年連続なのであります。住んでいる人々にとっては、そんなことないのだがと思っており、残念でなりませんが致し方ないのか。

 

この結果から、「何」とは観光名所を含めた「街の魅力」のようでして、そんなランキングなんて出されると、ますます名古屋は「魅力に乏しい街」というイメージが強くなってしまうというではないかと危惧してしまい。「名古屋で魅力を感じる部分」の質問に対しても、名古屋城の次に来るのが「特にない」「思いつかない」というコメントですから、いかに愛知県の存在感が薄いのかが、残念ながらわかってまいり、そこだけは言われたくなった!とは少々感じております。

 

ですが、本当に愛知県って魅力がない街と言われるのかと言われると、そうでもなくて決して観光地が少ないわけではありませんよ。名古屋城、熱田神宮に、シャバーニのいる東山動物園、シャチのいる名古屋港水族館、三重県ですが近くにアトラクションの聖地ナガシマリゾートだってありますし。

 

一説によると、名古屋、愛知県は企業数が多く経済も安定しているため、わざわざ観光で盛り上げる必要がないとおっしゃる方もいらっしゃいます。故に、「観光都市の魅力調査で愛知へ県が最下位だったことについてどう思う?」という問いに対しても「仕方がないと思う」「そうでしょうね」と答えている市民が非常に多いようですし、きっと、私のように「え?そうなの?暮らしやすいけどなにか?」と、言う方は多いような。捉え方もいたってナチュラルなのでしょうか。

 

そんな長い前置きはさておき、「何もない」とディスられまくっている愛知県に、嬉しいニュースが。いよいよ例のテーマパーク開園のニュースが飛び込んでまいりましたよ。

 

なんと、スタジオジブリの世界観を再現した

「ジブリパーク」が11月1日に開園いたします。

 

場所は、皆様懐かしい愛・地球博記念公園内の未使用地。愛・地球博が閉会された後、どのように利用するかしばらく時間がかかっておりましたが、地元ではジブリパークの噂は兼ねがねあがっておりました。

 

そんな「ジプリパーク」では、国内外で多くの人に親しまれてきたスタジオジブリ作品の世界観を表現することを目指しており、パーク内は大きなアトラクションや乗り物はないとのこと。スタジオジブリ作品の世界観を忠実に再現した美術品やセットを配置し、来場者は映画の主人公になったような気分で原寸大のジブリの世界を体験することができるまさにパークになるのではないかと。そんな新しいスタイルのテーマパークいえいえ、私は勝手にあえて「パーク」ととらえておりまして、その完成が楽しみで仕方ありません。

 

27日に行なわれたメディア向け説明会にて、スタジオジブリの宮崎吾朗監督はジブリパーク設立の経緯について説明しており、

「スタジオジブリには元々テーマパークを作らないかという提案は各所からあったが、ジブリ作品はファンタジーの側面をもちつつも現実に立脚していることから、テーマパークというありかたについては違和感があった。パーク内には大きなアトラクションや乗り物はなく、森や道をそのまま自分の足で歩き、スタジオジブリの世界観を体験することができる。」とのこと。

 

そこに、愛知県からの提案をうけ、公園として愛・地球博記念公園内の未利用地に整備することになったという経緯が。未利用の土地を使ったのは、既存の愛・地球博記念公園に思い入れがある人達の気持ちを壊したくないためとしており、たしかに万博の思い出も、こと愛知県民には大切な思い出でありますものね。

 

先日はジブリパークのサイトも開設され、情報はこれから徐々に明らかになっていくと思われますが、まずは、「青春の丘エリア」「ジブリの大倉庫エリア」「どんどこ森エリア」が2022年11月1日(火)に開業を迎えます。その後おおむね1年の時を経て「もののけの里エリア」と「魔女の谷エリア」が順次2023年に開業予定だそうですので、パークががどんどんと成長していく様子も大変楽しみでもあります。

 

話は元に戻るのですが、そもそも先ほどの愛知県の魅力を伝えるとするならば、「愛知県に観光にいらしてください。」というアピールではないような気がだんだんしてまいりました。

名古屋城、熱田神宮、東山動物園、名古屋港水族館、三重県ですがナガシマリゾート、名古屋めし、モーニング…そして新たにジブリパーク、「愛知県には体験しに来てください。」だなと、勝手にひとり観光大使は、勝手にキャッチコピーを作っておくことに致しました。

 

それではごきげんよう。

あ、名古屋にお越しの際は、古美術風光舎名古屋店にも是非お越しくださいませ。

 

 

 

Hello everyone. This is Staff Y.

 

It’s been ten years since I started living in Nagoya. (What happened now?) It’s easier to live than I expected, and I’m living a comfortable life, so I wonder if I’m finally becoming a Nagoya person.

 

It’s an image of Nagoya, but in street interviews, I often get comments with strong habits such as “Miso! Nagoya food”, “Car!”, “Gaudy lookout!”, “Kin no Chachikoho!” I will. When I usually live in Nagoya, I don’t see much and don’t feel that way, but I wonder if I’m so familiar that I just live unnoticed.

 

However, this is just a little feeling.

The comment “Nagoya is nothing.” What is “what”? .. Certainly, as an experience that has changed from place to place, there is no traffic jam when I live in Aichi prefecture, Nagoya, there is a fair amount of railroads, and when I go to Meieki Sakae, there are mostly shops and other than special brands. It’s usually available, and I’m wondering where to go to the shopping mall, so it’s a very comfortable place to live.

But where should I take you to entertain friends from other prefectures? It seems that I often think about it. I’ve already taken Atsuta Jingu and Nagoya Castle, and every time I twist my head.

 

The image is clearly shown in the ranking, and according to the “Urban Brand Image Survey” conducted by the Tourism and Culture Exchange Bureau in 2018, Nagoya City is Sapporo City, Tokyo 23 Wards, Yokohama City, Kyoto City, Osaka. Of all the eight cities of the city, Kobe, and Fukuoka, the result was a disgraceful result, being the lowest in the attractive city rankings … Actually, this is not the first time, but the second consecutive year. For the people who live, I think that’s not the case, and I’m sorry, but I can’t help it.

 

From this result, “what” seems to be “the charm of the city” including tourist attractions, and when such a ranking is given, the image of Nagoya as “a city with little charm” becomes stronger. I’m a little worried that it might be, but when asked about the “parts that appeal to me in Nagoya,” the comments that come next to Nagoya Castle are “nothing in particular” and “I can’t think of anything,” so how does Nagoya exist? Unfortunately, I will understand whether the feeling is weak. I’m a little disappointed as a person living in Nagoya.

 

However, when it comes to saying that Nagoya is really an unattractive city, that is not the case, and there are not a few tourist destinations. At Nagoya Castle and Atsuta Jingu, there are Higashiyama Zoo with Shabani, Port of Nagoya Public Aquarium with Shabani, and Nagashima Resort, a sacred place for attractions in Mie Prefecture.

 

According to one theory, there are many companies in Nagoya and Aichi prefectures, and the economy is stable, so some people say that there is no need to bother with sightseeing. Therefore, it seems that there are a large number of citizens who answered “I think it can’t be helped” or “I think so” when asked “What do you think about Nagoya being the lowest in the tourist city attraction survey?” However, I’m sure there are many people like me who say, “What? Is that so? It’s easy to live in, but what?” Is it natural to think of it?

 

Aside from that preface, there is good news in Aichi prefecture, which is being dismissed as “nothing”. The news of the opening of the theme park has finally arrived.

The “Ghibli Park”, which reproduces the world of Studio Ghibli, will open on November 1st.

 

The place is an unused land in the nostalgic Aichi Expo Memorial Park. After the Aichi Expo was closed, it took a while to figure out how to use it, but there were rumors about Ghibli Park in the local area.

At such “Ghibli Park”, we aim to express the world view of Studio Ghibli works that have been familiar to many people at home and abroad, and there are no big attractions or vehicles in the park. By arranging works of art and sets that faithfully reproduce the world view of Studio Ghibli works, visitors will be like a forest where they can experience the world of full-scale Ghibli as if they were the main characters of the movie. I imagine that it might be. Such a new style theme park No, I think of it as a park without permission, and I can’t help but look forward to its completion.

 

At the media briefing held on the 27th, Studio Ghibli director Goro Miyazaki explained the background of the establishment of Ghibli Park.

“Although there were proposals from various places to create a theme park for Studio Ghibli, Ghibli’s work has a fantasy aspect but is based on reality, so there is a sense of discomfort about the theme park. There were no big attractions or vehicles in the park, so you can walk the forests and roads with your own feet and experience the world of Studio Ghibli. ”

 

There, in response to a proposal from Aichi Prefecture, it was decided to develop the park as an unused land in the Aichi Expo Memorial Park. The reason for using the unused land is that we do not want to break the feelings of those who have a feeling for the existing Aichi Expo Memorial Park, and the memories of the Expo are certainly important memories for the people of Aichi Prefecture. Hey.

 

The site of Ghibli Park was opened the other day, and information is expected to be gradually revealed, but first of all, “Youth Hill Area”, “Ghibli Large Warehouse Area” and “Dondokomori Area” will be in 2022. It will open on Tuesday, November 1st. About a year later, the “Mononoke no Sato Area” and the “Witch Valley Area” are scheduled to open in 2023, so I’m looking forward to seeing the park grow steadily.

 

Returning to the story, if you want to appeal to Aichi prefecture in the first place, I gradually feel that it is not “Please come to Aichi prefecture for sightseeing.”

Nagoya Castle, Atsuta Jingu, Higashiyama Zoo, Port of Nagoya Public Aquarium, Nagashima Resort in Mie Prefecture … and a new Ghibli Park, “Please come to Aichi Prefecture to experience it.” I decided to make a catch copy in Nagoya.

 

Good luck.

Oh, when you come to Nagoya, please come to the antique art Fukosha Nagoya store.

 

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まだまだ寒い日が続いております、体調など壊さぬようお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方も多いことと思われます。

ここ風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

 

チョコ熱があつい名古屋女子(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.12

 

 

そんなチョコの祭典「アムール・デュ・ショコラ」。

毎年有名パティシエやショコラティエが一堂に会し、テレビやマスコミ各社が取り上げ、新作や話題性や売り上げを熱く競うという、訪れた方はわかると思いますが、パティシエやショコラティエそして購入したい方にとってもまさに闘いの場といった空気感であります。

ですが、日本中の有名なパティシエやショコラティエが集まる祭典が年に一度くらいあってもいいような、そして東京ではなくて名古屋で開催してくれることが地元民としては大変うれしく思います。

 

毎年熱い名古屋のバレンタイン商戦を牽引するアムール・デュ・ショコラは、20年まで11年連続で売上高が全国百貨店のトップに輝いており、20年には過去最高の32億円を達成。これ、チョコの売りあげですよね笑。売り場もかつては朝5時から整理券待ちの行列ができたほどですが、この状況下に対応し21年もオンライン販売を開始。それを含め21億円を売り上げたとのことです。

 

今年のアピールポイントはどうやら地元食材の活用による地域貢献。

名古屋市出身で、パティスリー・サダハル・アオキ・パリの青木定治氏は「海外に行けない分、日本の色々な食材を発掘できた」と振り返っており、三重県亀山市の茶葉を使用した限定ボンボンや、岐阜県産の和栗を使った新作の限定トリュフを売り出しをしております。

 

今年は残念ながら私も売り場へは足を運ぶことができなかったのですが、オンライン販売に参戦いたしました。ですが、人気商品は早くも売り切れ。こちらも熱い戦いだったようです。やはり、売り場へ行けばよかったと後悔いたしました。

 

以前参戦いたしました時には、各お店のブースにテレビでも有名なパティシエやショコラティエが売り場に自らショーケースの後ろのお立ち台なる顔見世の台に立ち、ご本人に直接会って少しお話もできたり、購入商品にはサインをいただけるというまたとないチャンス。そんなテンションが会場中にまきおこっておりますので、まあおかしくなります。そして予算なんていつのまにかぶっ飛ぶというぐあい。

 

そんなチョコの購入総額、気になりませんでしょうか。JR名古屋高島屋の調査によると、22年のバレンタインで購入するチョコの予算総額はなんと「3万円以上」と答えた人が4割に。まあまあの金額ではありますが、チョコは日持ちがするものもありますのでゆっくり食べようとか、所用で使われたり、せっかく来たからとか購入目的はいろいろでしょう。ですが、私のように変なテンションでつい買ってしまった方も結構いらっしゃるのでは。

それくらいの、おかしなテンションと化すチョコの祭典いえ、チョコの戦い、一度足を運んでみますときっと、その理由がわかってもらえるかと思います。他県の皆様も、この状況下が落ち着きましたらこの戦いに参戦しに来てくださいませ。

 

今年は会場に行けませんでしたので、路面店にございます私のお気に入りのショコラティエにて購入。

今年は一旦落ち着いて、チョコを味わいたいと思います。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Three days left until Valentine’s Day this year. It doesn’t matter if it’s your favorite, your in-law, or your reward, and at this time of year, the topic of chocolate will definitely come up here in Nagoya, but you already know. Chocolate festival “Amour du Chocolat”.

It is held at JR Nagoya Takashimaya from January 20th to February 14th this year. Should we be an overseas Chinese this weekend?

It is an annual event that friends who participated in the war always exchange information such as “The chocolate of XX is already sold out”, “It’s a little-known spot at that time”, and “I definitely recommend XX”. It is becoming well known nationwide, so it is a tradition of Nagoya to everyone in other prefectures, so once this situation has settled down, I would recommend participating in the war. I think it is selfish.

Such a chocolate festival “Amour du Chocolat”.

Every year, famous pastry chefs and chocolatiers meet together, and TV and media companies take up the topic and compete hotly for new works, topicality and sales. It is a feeling of air like a place.

However, as a local, I am very happy that there may be a festival where famous pastry chefs and chocolatiers from all over Japan gather once a year, and that it will be held in Nagoya instead of Tokyo.

 

Amour du Chocolat, which leads the hottest Valentine’s Day sales season in Nagoya every year, has been the top department store in Japan for 11 consecutive years until 2020, reaching a record high of 3.2 billion yen in 2020. This is chocolate sales, isn’t it? The sales floor used to have a line waiting for numbered tickets from 5 am, but in response to this situation, online sales have started for 21 years. Including that, it has sold 2.1 billion yen.

 

Apparently, this year’s appeal is to contribute to the local community by utilizing local ingredients.

Sadaharu Aoki of Patisserie Sadaharu Aoki Paris, who is from Nagoya city, recalls, “I was able to discover various Japanese ingredients because I could not go abroad,” and limited to using tea leaves in Kameyama city, Mie prefecture. We are selling new limited truffles using bonbons and Japanese chestnuts from Gifu prefecture.

 

Unfortunately I couldn’t go to the sales floor this year, but I participated in online sales. However, popular products are already sold out. It seems that this was also a hot battle. After all, I regretted that I should have gone to the sales floor.

 

When I participated in the war before, pastry chefs and chocolatiers, who are famous for TV, stand at the booth of each shop on the stand behind the showcase, where they can meet themselves and talk a little or buy. A unique opportunity to sign a product. Such tension is spreading all over the venue, so it will be strange. And the budget is just like flying away.

 

Don’t you care about the total purchase price of such chocolate? According to a survey by JR Nagoya Takashimaya, 40% of the respondents answered that the total budget for chocolate purchased at Valentine’s Day in 2010 was “30,000 yen or more”. Although it is a reasonable amount of money, some chocolates will last for a long time, so there are various purposes for purchasing them, such as eating them slowly, using them for their own purposes, or because they came here. However, there may be quite a few people like me who just bought it with strange tension.

It’s a chocolate festival that turns into a strange tension, but once you visit the battle of chocolate, I’m sure you will understand the reason. Everyone in other prefectures should come to participate in this battle when this situation calms down.

 

I couldn’t go to the venue this year, so I bought it at my favorite chocolatier at the roadside store.

This year, I would like to calm down and taste the chocolate.

 

Well then, good luck.

 

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まだまだ寒い日が続いております、体調など壊さぬようお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方も多いことと思われます。

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

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雛のつるし飾り(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董・アンティーク 買い取ります 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.11

みなさま、こんにちは。

先日、名古屋駅に用事でいきましたところ、マリオットアソシアホテルのロビーで可愛いおもてなしをうけました。

雛のつるし飾が入り口の正面に飾ってあったのです。

それがこちら。

つるし飾り(つるし雛)って可愛いですよね。

たくさんの可愛らしいお人形が吊るされていて、赤ちゃんをあやすベッドメリーのような、モビールのような、ゆらゆら揺れる姿も愛くるしいんです。

それはただ、女の子の誕生を祝い、健やかに成長することを祈って作られたであろうお人形が吊るされているのですが、色んな人からの愛が込められているのでとてもあたたかい存在で…。

みんなの想いをいっぱい詰め込んで作られたつるし雛は、昔から赤ちゃんの大事なお守りとして、とても大切にされてきたようですね。

 

 

ところで、お雛様といえば…。

実家にいた頃から合わせると、飾らなくなって早うん十年が経ちます。

嫁いでからも我が家には息子しかいませんので、とんと遠い存在になっていましたが、やはり女の子の私は久しぶりに見るお雛様にキュンとしました。

(女の子と自分で言うあたり、悲しくなってきますが、お許しくださいね。涙)

 

 

 

ホテルのロビーに展示してある中に入ると、つるし飾りの中に一つ、お雛様の段飾りがありまして、まるで異世界に迷い込んだ感覚になりました。

あの赤色の空間…。

なんて言い表せばいいのでしょうか。

雅なものであるけれども、それでいて魔物を寄せ付けない強さのようなものもあり、また妖艶でもある。

あの赤色の醸し出す空気感は本当に不思議です。

蜷川実花さんが表現する写真や映画の世界のような…。

 

 

ところで、先ほどから私が言っているこの赤色。

正確に言うと、緋色(ひいろ)というらしいのです。

お雛様に敷いてある赤いフエルトの絨毯を「緋毛氈(ひもうせん)」と言うことから知ったのですが。

緋毛氈の色は赤色の中でも、日本古来の「緋色」で染められています。

緋色はあかね草(温帯アジア原産の草)で染められる赤の中でも、最も鮮やかで紫色に次ぐ高貴な色とされているようです。

その歴史は古く、推古天皇の時代に定められた官位十二階の赤色は緋色と推測されているといいます。

 

 

でね、このような高貴な色の毛氈がいつから飾られるようになったのかといいますと、どうも江戸時代の後期からのようなんです。

江戸時代中期の浮世絵(享保年間)によれば、裕福な町人のようなお座敷で紗布(しゃぎぬ:手で押して柄を染めるもの)の上にお内裏様や雛道具をかざっている様子が描かれています。

その頃は、まだ赤の絨毯が一般的ではなかったようです。

 

それが、江戸時代後期(文久年間)の浮世絵を見ると、武家の姫君の雛飾りで、緋色の布地で雛壇を覆っているものがあるようなんです。

赤の毛氈が用いられるようになったのは、段飾りが生まれた頃のようですが、でもまだ特に赤の無地布と決められていたのではないようです。

それが次第に春の節句にふさわしい華やかな雰囲気を醸し出すものとして、じわじわと広まっていったようです。

そして、現代では赤の毛氈で雛壇を覆うのが一般的になってきたのですね。

 

赤は活力や生命力を表す太陽の色。

そして赤には魔除けの意味があります。

そのような意味があるので、神聖な場所を家の中に作り神様に来てもらう場所を作るためにひな人形に赤い毛氈を敷くようになったのでしょうね。

 

風光舎も今、緋色のひな人形の掛け軸を飾り、絶賛お雛祭り期間であります。

先日のスタッフYさんの記事にもありました、一刀彫のお雛様や、江戸時代の貝桶なども飾って

みなさまのご来店をお待ちしております。

よろしかったらお立ち寄りくださいませ。

 

(スタッフM)

 

Hello everyone.

The other day, when I went to Nagoya Station for business, I received a cute hospitality in the lobby of the Marriott Associa Hotel.

The hanging decoration of the chicks was displayed in front of the entrance.

Here is it.

Tsurushi decorations (hanging chicks) are cute, aren’t they?

A lot of cute dolls are hung, and the swaying appearance like a bed merry that comforts a baby, like a mobile is also lovely.

It just hangs a doll that would have been made to celebrate the birth of a girl and pray for her healthy growth, but it is a very warm existence because it contains the love of various people … ..

It seems that hanging chicks made with everyone’s feelings have been very important as an important amulet for babies since ancient times.

 

By the way, speaking of chicks …

It’s been 10 years since I was at my parents’ house.

Even after I got married, I had only a son in my house, so I was far away, but as a girl, I was sick of the chicks I saw for the first time in a long time.

(I feel sad when I say myself as a girl, but please forgive me. Tears)

 

When I entered the exhibition in the lobby of the hotel, there was one tsurushi kazari decoration, which made me feel as if I was lost in a different world.

That red space …

What should I say?

Although it is elegant, it has some strength that keeps monsters away, and it is also bewitching.

The feeling of air created by that red color is really strange.

Like the world of photography and movies expressed by Mika Ninagawa.

 

 

By the way, this red color that I have been talking about earlier.

To be precise, it seems to be scarlet.

I learned from the fact that the red felt carpet laid on the chicks is called “Himosen”.

The color of scarlet felt is red, but it is dyed with the ancient Japanese “scarlet”.

Scarlet is the most vivid and noble color next to purple among the reds dyed with Akane grass (a grass native to temperate Asia).

It has a long history, and it is said that the red color on the 12th floor of the official position, which was set during the time of Emperor Suiko, is presumed to be scarlet.

 

 

Well, when it comes to the time when such noble colored felts began to be displayed, it seems to be from the latter half of the Edo period.

According to Ukiyo-e (Kyoho era) in the middle of the Edo period, it looks like a wealthy tradesman holding a gauze cloth (shaginu: something that is pressed by hand to dye a pattern) with an inner lining and chick tools. It is drawn.

At that time, it seems that red carpets were not yet common.

 

Looking at the ukiyo-e prints from the latter half of the Edo period (Bunkyu era), it seems that there are some samurai princess dolls that are covered with scarlet cloth.

It seems that red felt was used around the time when the step decoration was born, but it seems that it was not decided to use plain red cloth yet.

It seems that it gradually spread as something that creates a gorgeous atmosphere suitable for spring festivals.

And in modern times, it has become common to cover the hinamatsuri with red felt.

 

Red is the color of the sun that represents vitality and vitality.

And red has the meaning of amulet.

Because of that meaning, I think I started to put red felt on the Hina dolls in order to create a sacred place in the house and make a place for God to come.

 

 

Fukosha is now decorating the hanging scroll of the scarlet dolls, and it is the period of the acclaimed Hinamatsuri.

The other day, staff Y’s article also decorated the one-sword carved chicks and the shellfish tub of the Edo period.

We look forward to your visit.

Please drop in if you like.

 

(Staff M)

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椿餅をいただきました(少し自分へのご褒美)(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.02.10

皆様こんにちは、スタッフYです。

 

 

 

本日は、ここ名古屋は雨。ひところのような底冷えの寒さではないものの朝からしとしとと降り続いております。首都圏信越関東地方には、大雪の予報も出ておりますので、そちらの地方皆様どうぞお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

ところで、今朝、急に椿餅が食べたくなりまして、朝から和菓子屋へ立ち寄りササっと買ってまいりました。まあ、自分へのご褒美といったところでしょうか。

 

私の行きつけの和菓子さんは朝9時からお店が開いておりまして。よそへお伺いするときにこの時間に開いているお店は大変重宝致します。つまり、わたしにも大変重宝致しました。

よって本日、椿餅がSNSにも登場いたしますので、そのつややかな葉をどうぞご鑑賞くださいませ。ですが、鑑賞後お昼休憩に私が代表していただきますので、そこはご了承くださいませ。

 

ところで、この時期によくみかけます椿餅ですが、知らなかったのですがなんと平安時代から食されていたお菓子のようです。椿餅は春の季語でもあるようで、気候的には、冬と春の両方を感じる2月頃に多くみかける和菓子ではありますが、そんなことも知らずに今までいただいておりました。

 

「椿餅」の登場は、紫式部の大作「源氏物語」にも。遣唐使が伝えた唐菓子をはじめ「源氏物語」にはお菓子の場面がいくつかございます。

源氏物語には、「椿餅」(ひばいもち)は、南北朝時代に書かれた源氏物語の注釈書『河海抄(かかいしょう)』によると、椿の葉を合わせて餅(もちい)の粉に甘葛(あまずら)をかけて包みたる物と説明されているようでして、その登場場面はといいますと…

源氏物語「若菜上」において、光源氏41歳 3月の夕暮れ、六條院春の御殿で光源氏のお召しにより若者達が蹴鞠に興じていました。蹴鞠ののち、饗宴が催され「椿餅」の名が登場します。

 

「わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る」

(訳:気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。)

とまあ、蹴鞠後の賑やかな雰囲気のまま、若い貴公子たちは、はしゃぎながら果物や椿餅を食べたと記されております。優雅で華やかな蹴鞠の様子が伝わりますね。おほほほほまた、先にも述べた通り椿餅はご覧になってわかるように椿の葉の間に俵形の道明寺生地 (餡入り) をはさんだお菓子でして、(本日の椿餅は、餡を羽二重餅で包んでおります)いたってシンプルなフォルム。

すでに平安時代にあったとは驚きですが、現代のお菓子屋さんに置かれておりましても平安時代からあるの?といった印象は受けません。洗練されています。

 

しかし当時は甘い小豆餡などはまだなく、甘味は生地に甘葛 (あまづら:つたの汁を煮詰めたもの) をいれる程度で、味の方は現在とは違う味だったのではないでしょうか。この時代は呼び方も違ったようで「つばきもち」ではなく「つばいもちい」と呼んでいたそうで、その名残でしょう今でも椿餅と書いても「つばいもち」と呼んでいる所もあるようですから、そこからも歴史を感じずにはいられませんね。

 

そんな時代のお菓子を、紫式部が私たち同様賞味していたことを想像すると、一瞬ですが宮中にておすべらかしに十二単衣をまとった平安貴族になった気分になり、当時の生活をいとも簡単により身近に感じることができる歴史的食遺産なのではないかと、大げさに個人的には思ったりもいたしました。

 

そんな「椿餅」をちょっとした自分へのご褒美として今朝買ってまいりましたが。

 

 

 

 

ところで、みなさまの自分へのご褒美どんなものかと、いろいろ周りの方からお聞きしますと…。

女性ですとやはり多いのは身に着けるものを購入。はたまた美味しいものを食す、旅行へ行く。最近は、美容にという方も多いようですね。これ、すごく興味がございまして、その方の価値観や大事にしているものの本質が見え隠れしているように思えてなりません。

 

そんな私の自分へのご褒美なのですが、今朝「椿餅」を買いながら、これだなと先ほどうっすら気づいてきました。

そう、季節の片鱗を感じ、堪能すること。食すものでも景色でも行事ごとでもなんでもよいのですが、日々移ろっていくその季節の片鱗を日々見つけては、「いよいよきたな」と、ニヤリとする瞬間がたまらないのだなと確信いたしました。

 

それとは相反すかの如く、先日のお雛様いつ飾るか問題ではないですが、たまにプレッシャーになることもあるにはありますが、飾った暁にはきっと「いよいよきたな」と、ニヤリとしながらご褒美の瞬間をあじわっているのは間違いございません。

 

というわけで、本日は平安貴族になりきって自分への小さなご褒美「椿餅」をお昼休憩に堪能致したいと思います。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

It’s raining here in Nagoya today. Although it is not cold like a chilly place, it has been raining since the morning. There is also a forecast of heavy snowfall in the Shinetsu Kanto region of the Tokyo metropolitan area, so please be careful of everyone in that region.

 

By the way, I suddenly wanted to eat Tsubaki mochi this morning, so I stopped by a Japanese sweets shop in the morning and bought it quickly. Well, is it a reward for yourself?

My favorite Japanese sweets shop is open from 9am. The shops that are open at this time when you visit another place are very useful. In other words, it was very useful to me.

Therefore, Tsubaki Mochi will appear on SNS today, so please enjoy the glossy leaves. However, please note that I will be the representative for the lunch break after the appreciation.

 

By the way, I often see Tsubaki mochi at this time, but I didn’t know it, but it looks like a sweet that has been eaten since the Heian period. Tsubaki mochi seems to be a seasonal word for spring, and although it is a Japanese sweet that you often see around February when you feel both winter and spring, I have received it without knowing that.

 

The appearance of “Tsubaki Mochi” is also in Murasaki Shikibu’s masterpiece “The Tale of Genji”. There are some sweets scenes in “Genji Monogatari” including the sweets that the envoy to Tang told. I didn’t know that there is a scene where young people eat pears, citrus fruits, camellia mochi, etc. after kicking in a tatami mat called “Wakanagami”, so let’s check it.

 

As you can see, the camellia mochi is a sweet made by sandwiching a bale-shaped Domyoji dough (with bean paste) between the leaves of the camellia. It has a very simple form. It’s surprising that it was already in the Heian period, but is it from the Heian period even if it is placed in a modern candy store? I do not get the impression. It is sophisticated. However, at that time, there was no sweet bean paste yet, and the sweetness was just the addition of sweet kudzu (amazura: boiled down tsuta juice) to the dough, and the taste was probably different from the current one.

Also, in this era, it seems that the name was different, and it was called “Tsubai Mochii” instead of “Tsubaki Mochi”, which is probably a remnant of that. There seems to be a place.

 

However, imagining that Murasaki Shikibu was enjoying Tsubaki mochi like us, it made me feel like a Heian aristocracy wearing twelve single clothes in the palace for a moment, and life at that time was very easy. I personally thought that it was a historical and food heritage that I could feel closer to.

 

I bought such “Tsubaki Mochi” this morning as a small reward for myself.

 

By the way, when I ask people around me what kind of rewards they have for themselves …

Most women buy what they wear. I also go on a trip to eat delicious food. Recently, it seems that there are many people who are interested in cosmetology. I’m very interested in this, and I can’t help but think that the values ​​of that person and the essence of what I cherish are hidden.

 

It’s a reward for me, but while I was buying “Tsubaki Mochi” this morning, I noticed that it was this.

Yes, feel and enjoy the seasonal scales. It doesn’t matter what you eat, the scenery, or the event, but when you find the seasonal scales that change every day, I’m convinced that the moment when you grin is irresistible.

 

As if it is contrary to that, it doesn’t matter when you decorate the chicks the other day, but sometimes there is pressure, but when you decorate it, you will surely say “It’s finally time”, a moment of reward while grinning. There is no doubt that you are playing with.

 

So, today I would like to enjoy a small reward for myself at “Tsubaki Mochi” for a lunch break.

 

Good luck.

 

 

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