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お月見は2回が正式!?(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.17

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

 

 

今年の十五夜は、本日9月17日です。昨夜も美しく月が見えましたが、惜しくも満月は明日だそうです。月の近くに土星が見えるらしいので探してみようと思います。

 

そもそも「十五夜」とは、旧暦における毎月15日の夜を指します。新月を1日目として満月になる15日目を「十五夜」と呼び、空が澄み、月がもっとも美しく見えるといわれる旧暦の8月15日に月見をしました。

「中秋(ちゅうしゅう)の名月」というステキな呼び方もありますが、「中秋」というのは、旧暦の8月15日を指します。旧暦では7月から9月が秋になりますので、旧暦の8月15日がちょうど真ん中にあたります。そのため、旧暦の8月15日の夜に昇る月を「中秋の名月」と呼ぶようになりました。

ちなみに、十五夜が必ず満月とは限らないそうで、1~2日ズレて満月になることもよくあるとか。まあ、十五夜は月見という“お祭り”なので、細かいことは気にしないでおきましょう。

 

さて、月見のルーツは中国にあるといわれていますが、なんと始まったのは唐の時代(7~10世紀)にまで遡るそう。

それが平安時代に日本に伝わり、貴族たちの遊びとして定着しました。池に船を浮かべ、水面や盃に移る月を愛でながら詩歌を詠んだり、音楽を奏でたりしたとか。直接月を眺めるのではなく、あえて間接的に月を楽しむ。なんと雅な。

 

そんな月見が秋のイベントとして一般庶民にまで広まったのは江戸時代のことで、江戸近郊の“月見の名所”には大勢の人々が集まり月見を楽しみました。

“月見の名所”として有名だったのは、隅田川、深川、高輪、品川、不忍の池など。川辺や海辺といった水の近くでの月見が人気だったんですね。

平安貴族たちが舟を浮かべて月見を楽しんだように、江戸庶民の間では隅田川に船を浮かべて月を眺めることが“たまのぜいたくな遊び”として流行したそう。今では月見に屋形船なんて粋な遊び方はなかなかする人もいないでしょうが、一度マネしてみたいものですね。

 

 

 

現代、月見といえば「十五夜」ですが、じつは江戸時代にはもうひとつの月見の行事がありました。

その名を、十三夜(じゅうさんや)と言いますが、ご存知でしたでしょうか。

「十五夜」が旧暦8月15日に行うのに対し、「十三夜」は旧暦9月13日に行い、「後の月見」と呼ばれました。

ちなみに、月見行事は中国から伝来したものですが、「十三夜」は日本発祥の行事です。

今ではマイナーになってしまった十三夜ですが、当時は「十五夜」と「十三夜」の両方の月見を行ってこそ本当の月見といわれ、どちらかの月見しかしないことを「片見月(片月見)」と呼び、縁起が悪いとされました。

農村では「片見月は不作に陥るぞ~」と忌み嫌われていたんだそうですよ。

 

さてさて、月見に欠かせないものと言えば「ススキ」と「月見団子」ですよね。

月見にススキを飾るようになった理由は次の3つが有力とされています。

・神の依代(よりしろ)である稲穂の代わり
・月見は豊作祈願・五穀豊穣のお祭りでもあったので、稲穂に似ているススキを飾る
・切り口が鋭いので魔除けになる

魔除けパワーを標準装備しているススキは、月見でお供えした後、家の軒先に吊るしておくと1年間病気にならない、と言われたそう。実はすごい、ススキ!

 

お次は、みんな大好き月見団子。

月見のお供え物として団子がラインナップに加わったのは江戸時代中期以降のこと。江戸時代前期に食べていたのは芋煮を食べて月見を楽しんだのだとか。

お月さまのようにまん丸な団子は、大きさも十五夜にちなんで1寸5分(およそ5㎝)で、15個の団子を用意して、1段目に9個、2段目に4個、3段目に2個を積んでいきます。また、十三夜には13個の月見団子を飾ります。

ちなみに、月見団子は東西で形や数に違いがあるといわれています。

江戸ではまん丸のお団子を15個。対して京や大坂などの上方ではサトイモのように先っぽがちょっと尖がったお団子を12個。12という数字はその年に出た満月の数に由来するとか。

 

最近では季節の行事が行われなくなりつつありますが、由来を知るとちょっと今年はやってみようかな、と思えてきます。美しい月を眺めながら久しぶりの月見を楽しむのもオツかもしれませんよ。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.

 

This year’s Fifteenth Night is today, September 17. The moon was beautifully visible last night, but regrettably, the full moon is said to be tomorrow. I heard that Saturn is visible near the moon, so I will look for it.

 

To begin with, “Fifteen Nights” refers to the night of the 15th day of each month in the lunar calendar. The 15th day of the full moon, with the new moon as the first day, is called “Jugoya,” and people used to view the moon on August 15 of the lunar calendar, when the sky was clear and the moon looked its most beautiful.

The 15th day of the 15th lunar month on the lunar calendar is called “Jugoya” (the 15th day of the 15th month), when the sky is clear and the moon is said to be at its most beautiful. According to the lunar calendar, autumn falls from July to September, so August 15th of the lunar calendar falls right in the middle. Therefore, the moon rising on the night of August 15th of the lunar calendar is called “Mid-Autumn Moon.

Incidentally, it is said that Jugoya is not always a full moon, and the full moon often appears one or two days later. Well, since Jugoya is a “festival” called tsukimi (moon viewing), let’s adopt a style of not worrying about the details.

The roots of moon viewing are said to be in China, dating back to the Tang Dynasty (7th to 10th century).

It was introduced to Japan during the Heian period (794-1185) and became a popular pastime for aristocrats. They would float their boats on the pond and recite poems or play music while admiring the moon moving on the surface of the water or in the sake cups. Instead of looking at the moon directly, they enjoyed the moon indirectly. How elegant!

 

It was during the Edo period (1603-1867) that tsukimi became popular as an autumn event among the general public, and many people gathered at “tsukimi no misho” (moon-viewing spots) in the suburbs of Edo (present-day Tokyo) to enjoy it.

The most famous places for moon viewing were the Sumida River, Fukagawa, Takanawa, Shinagawa, and Shinobazu Pond. It was popular to watch the moon near the water, such as by the river or the sea.

Just as the aristocrats of the Heian period (794-1185) enjoyed viewing the moon from a boat on the Sumida River, it was popular among Edo people to float a boat on the Sumida River to view the moon as an “occasional luxurious pastime”. Nowadays, it would be difficult to find people who enjoy such a chic way of moon-viewing on a yakatabune, but I would like to try to copy it.

 

In modern times, the most popular moon-viewing event is the “Fifteen Nights,” but there was another moon-viewing event called the “Thirteen Nights.

It was called “Jusan-no-ya” (thirteen nights). Did you know about this?

While “Fifteen Nights” was held on August 15 of the lunar calendar, “Thirteen Nights” was held on September 13 of the lunar calendar, and was called “Later Moon Viewing.

Incidentally, moon-viewing events were introduced from China, but “Thirteen Nights” originated in Japan.

Although it has become a minor event nowadays, in those days, moon-viewing on both “Jugoya” and “Jusan-no-Ya” was considered true moon-viewing, and only moon-viewing on one of them was called “Katamizuki” (片見月), which was considered bad luck.

It is said that in farming villages, it was considered an abomination, saying, “You will have a bad harvest if you watch the moon over one side of the moon.

Now, “silver grass” and “tsukimi dango (moon-viewing dumplings)” are indispensable for moon viewing.

The following three reasons are the most likely reasons why people began to display silver grass at tsukimi.

As a substitute for ears of rice, which are the deity’s dependents.
Tsukimi was also a festival to pray for a bountiful harvest, so silver grass, which resembles ears of rice, was decorated.
The sharpness of the cut end of the ear protects it from evil spirits.

It is said that if you hang awn from the eaves of your house after offering it at tsukimi, you will not get sick for a year. Actually, it is amazing, Miscanthus sinensis!

Next is everyone’s favorite, tsukimi dango.

It was not until the mid-Edo period that dumplings were added to the lineup of tsukimi offerings. The people who ate them in the early Edo period enjoyed moon viewing by eating sweet potato stew.

The dumplings, round and round like the moon, are also 1“5” (approx. 5 cm) in size in reference to the Fifteenth Night. 15 dumplings are prepared, and 9 are piled on the first tier, 4 on the second tier, and 2 on the third tier. On the thirteenth night, 13 dumplings are displayed.

Incidentally, it is said that the shape and number of tsukimi dango differ between East and West.

In Edo, there are 15 round dumplings. The number 12 is said to derive from the number of full moons in a given year.

 

Although this seasonal event is becoming less and less popular these days, knowing its origin makes me think that I might give it a try this year. It might be nice to enjoy moon viewing for the first time in a while while looking at the beautiful moon.

See you soon.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

 

なお、毎月21日の持込鑑定会では無料鑑定・買取・ご相談など、ご予約なしで承っております。

ご近所の皆さま、ご遠方のみなさまも、お気軽にお越しくださいませ。

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

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#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

 

 

【銀瓶・煎茶碗買取】(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.16

 

中村区のお客様より銀瓶、煎茶碗多数買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今古美術風光舎では、ご実家の解体、整理のご相談・買取も承っております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

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山崎蒸留所へいってまいりました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.16

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

三連休ですね、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私はと言いますと、先日山崎蒸留所へいってまいりました。昨年白州の蒸留所を訪れたのですが、ならば山崎蒸留所はいつか行こうと企んでおりまして。たまたまチェックしておりましたらキャンセルの空きがあり、速攻予約。慌てて行って参りました。百聞は一見に如かず、本日はお写真多めでお伝えします。

 

 

 

 

まず、山崎蒸留所へのアクセスはJR山崎駅、阪急大山崎駅から徒歩5~10分ほど、アクセスは抜群です。どこの蒸留所もそうなのですが、建屋に近づきますと大きな屋号が現れますが、近づいていきますと徐々にテンション上がってきます。

 

山崎蒸留所は、1923年設立の日本で最初のモルトウイスキー蒸溜所でして、創業者の鳥井信治郎が国産ウイスキーをつくりたいという想いによって、当時スコットランドから修業を終えた竹鶴政孝(後のニッカの創設者)に協力を仰ぎ完成し、ジャパニーズウイスキーの歴史はここからスタートしました。

ここ山崎蒸留所は、日本名水百選に選ばれた「離宮の水」が流れる土地の地下水を使用しております。ちなみに「離宮の水」は、昭和60年に大阪府内で唯一、環境庁(現・環境省)選定の「全国名水百選」に選ばれた水でして、水無瀬神宮の境内にある水汲み場には、連日早朝から多くのかたたちが取水に訪れているそうです。また、木製やステンレス製の発酵槽、形の異なる蒸溜器を選択して原酒を作り分けており、テイスティングができたり、山崎蒸留所限定のものも販売されておりと、いろいろ楽しみなのですが、早速いってみましょう。

 

 

まずは日本のウィスキーの始まりや、山崎蒸留所の歴史などの展示をみていきます。

 

 

 

 

 

 

日本で最初のモルトウイスキー蒸溜所ですので、当時ですとなかなかダイナミックな建物や設備、製造免許が下りるまでの苦労など、なにもかもが初めての手探りの挑戦だったことが分かります。それにしても、この山崎という土地が、現在もこの土地で作られその歴史や高度な品質が脈々と受け継がれれているのですから、当時の知識や技術を持って「この山崎の地にしよう」と、思った決め手がすごいですね。

 

1929年日本で初めて発売された本格国産ウイスキーが、この「白札」。当時の日本人の舌には合わず、大失敗に終わりました。しかしそれで諦める鳥井ではありません。改良に改良を重ねて1937年には「角瓶」を生み出し、ヒットさせ、その後も鳥井はヒット商品を世に送り出しました。

 

 

 

 

そして、鳥井の次男・佐治敬三が2代目マスターブレンダーとして就任すると、今度は「日本を代表するシングルモルトづくり」へと夢の内容が変化していきます。時は1980年代初め。高度成長の頂点を迎え、ひとりひとり異なる価値観を持つことが認められるようになってきた時期でした。「多様な価値観が認められ始めたのなら、ウィスキーも個性の強いものが求められるのではないか」と感じた佐治は、個性のはっきりしたシングルモルトで勝負に出ることを決断します。

 

それは数十万樽の中から選び抜いた原酒を掛け合わせ、最高の組み合わせができるまで、テイスティングを繰り返す気の遠くなるような作業ですが、スコッチの味に近づけるのではなく、日本独自のシングルモルトを誕生させるために、テイスティングに費やした時間はなんと約2年。ひとつの原酒が突出した個性を発揮するのではなく、多彩な個性がお互いを高めるように調和することを求めた結果、1984年3月に「山崎」は誕生しました。

 

 

 

 

 

 

三人の愛用のブレンダーグラスも展示されております。このグラスであのテイストが生まれていったんですね。

 

 

 

 

 

 

皆様のご存じの銘柄はみつかりましたでしょうか?。

 

そして、原酒の展示コーナーへ。ここでは色しかわかりませんが、香り、テイストなどなどどれ一つ同じものはありません。これらの原酒から、世界中のウィスキー愛好家を魅了してやまないウィスキーが生み出されるのですから、この原酒の多さと共に、ブレンダーの技量のすさまじさが更に伝わります。

 

 

 

 

 

 

ちなみに「山崎」ですが、これだけの種類の原酒をブレンドしてあの味が作られているそうです。どんな舌をもってブレンドしているのでしょうか…。

 

 

 

二階には、世界最高レベルの品質を目指すこだわりなどを、各銘柄ごとに説明。最近高くて手に入らない銘柄が。

 

 

 

 

そしていよいよお楽しみの昨年リニューアルしたテイスティングラウンジへ。(これを楽しみにきたようなものですが笑)ひときわ目を引く大きなポットスチルがいきなり中央に鎮座しておりました。こちらのポットスチル、リニューアル前からウイスキー館のシンボルとして存在していましたが、リニューアル後はその形状を活かしたバーカウンターとして生まれ変わりました。存在感のある大きさが特長ですが、こちらは元々山崎蒸溜所で再溜釜として使用していたポットスチルでしたが、こうやって第二の人生を送っております。

 

 

 

 

 

 

そして、楽しみにしていたテイスティングへ。本日は山崎12年の三種のみ比べをしてみました。同じ銘柄なのですが、樽やブレンドが違いますのでその違いがたいへん面白かったです。蒸留所でいただいておりますと、よくわからないのですがブレンダーの方の思いとか、理想とか、これはどうかな?、などの気持ちもこのテイストに溶け込んで直に伝わってくるような気がします。個人的には香りが甘く日本の木材でつくられた樽(ミズナラ)の方が、優しい舌ざわりのようで好みでした。あくまでも好みですので、テイストのことをあれやこれや言えた分際ではありませんので、このくらいにしておきましょう笑。

 

私は、生み出された土地ものをその土地で味わうといつもこうやってテンションがあがります。テンションを少し上げたいなと思っております方、この秋、蒸留所めぐりススメですので是非訪れてみてください。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

It’s a three-day weekend, how are you doing?

As for me, I visited Yamazaki distillery the other day. I visited the Hakushu distillery last year, and I was planning to go to the Yamazaki distillery someday. I happened to check the website and found that there was a vacancy for a cancellation, so I made a reservation immediately. I went there in a hurry. Seeing is believing, so I’ll show you more pictures today.

 

First of all, the Yamazaki distillery is accessible from JR Yamazaki station or Hankyu Oyamazaki station, which is about 5 to 10 minutes walk from the distillery. As is the case with all distilleries, you will see a large shop sign as you approach the building, but as you get closer, the tension gradually increases.

 

Established in 1923, it was the first malt whiskey distillery in Japan, and was completed by the founder Shinjiro Torii, who wanted to make domestic whiskey, with the help of Masataka Taketsuru (later founder of Nikka), who had completed his training in Scotland at the time. The history of Japanese whiskey began here. The Yamazaki distillery uses groundwater from the Rikyu-no-mizu (water of Rikyu), which was selected as one of the best 100 waters in Japan. Rikyu-no-mizu” is the only water in Osaka Prefecture that was selected as one of the ‘100 best waters in Japan’ by the Environmental Agency (currently Ministry of the Environment) in 1985. In addition, wooden and stainless steel fermentation tanks and distillers of different shapes are used to make different types of sake, which can be tasted and sold exclusively at the Yamazaki distillery.

 

First of all, let’s take a look at the exhibition on the history of whisky in Japan and the Yamazaki distillery.

 

It was the first malt whiskey distillery in Japan, so you can see how dynamic the building and facilities were at that time, and how hard it was to obtain a license for production. The fact that Yamazaki is still being produced here today, and its history and high quality have been handed down from generation to generation, is an amazing feat of the knowledge and technology of the time.

 

In 1929, the first authentic domestic whiskey sold in Japan was this “Hakufuda”. It was a huge failure because it did not suit the tastes of the Japanese people at the time. However, Torii did not give up because of that. After making improvements upon improvements, in 1937, Torii created “KAKUBOTE”, which became a hit, and Torii continued to introduce hit products.

 

 

When Torii’s second son, Keizo Saji, became the second master blender, his dream changed to “creating a single malt that represents Japan. The time was the early 1980s. The time was the beginning of the 1980s, the peak of Japan’s rapid economic growth, and people began to recognize that each person had different values. Saji felt that “if diverse values are now accepted, whisky must also have a strong individuality,” and decided to go for a single malt with a distinct personality.

 

He selected several hundred thousand casks of whisky and repeated tastings until he found the best combination. The tasting process took about two years to create a unique Japanese single malt, rather than trying to approximate the taste of Scotch. Yamazaki” was born in March 1984 as a result of the search for a harmony of diverse characteristics that would enhance each other, rather than a single outstanding characteristic of one single malt.

 

The three men’s favorite blender glasses are also on display. I wonder how many sake products were created here.

 

I wonder how many sake brands were created here.

 

Then, we went to the exhibition corner of the original sake. Here we can only see the color of the sake, but no two are the same in terms of aroma, taste, and so on. The amount of whisky on display, as well as the incredible skill of the blenders, is a testament to the quality of the whisky that is created from these raw materials, which attracts whisky lovers from all over the world.

 

Incidentally, Yamazaki is said to be made by blending such a wide variety of whiskies. I wonder what kind of palate they must have to blend them together….

 

On the second floor, each brand explains its commitment to achieving the world’s highest level of quality. Brands that are too expensive to get these days.

 

Finally, we went to the tasting lounge, which was renovated last year. (This is what I came here to enjoy, lol.) A large, eye-catching pot still was suddenly sitting in the center of the lounge. This pot still had existed as a symbol of the Whisky Pavilion before the renovation, but after the renovation, it was reborn as a bar counter utilizing its shape. This pot still was originally used as a redistillation kettle at the Yamazaki distillery, but now it has a second life.

 

 

Then, we went to the tasting that we were looking forward to. Today, we compared three different types of Yamazaki. Although they are the same brand, they are from different ages and casks, so the differences were interesting. Personally, I preferred the barrel made from Japanese wood (mizunara oak), which has a sweeter aroma and a gentler feel on the tongue. But that is just my preference.

 

But still, the luxury of tasting the local product in the locality where it was produced is very exciting. This was a tour of distilleries recommended for this fall, and I hope you will visit them.

 

Have a good day.

 

 

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まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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毎月21日鑑定会いたしております。今月は9月21日(土)開催です。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎

2024.09.15

古美術風光舎では、毎月21日鑑定会を行っております。

今月は、9月21日(土)10:00~となっております。

 

 

 

※店舗前に一台分の駐車スペースもございます。

 

 

事前のご連絡はご不要ですので、ご都合の良いお時間にお立ち寄りください。

ご自宅やご実家で「どのくらい価値のあるものなのだろう」と疑問に思うお品などがあれば、査定だけでも構いませんのでお持ちください。

大きなお品など持ち込みが難しいお品は写真でも査定させていただきます。

毎月21日は覚王山日泰寺参道にて弘法の日縁日も開催されています。縁日にお立ち寄りの際はぜひ風光舎にもお立ち寄りください。

ご来店を心よりお待ちしております。

 

FUKOSHA holds an appraisal session on the 21st  of every month.

This month, it will be held on Saturday, September 21, from 10:00 am.

 

No prior notice is required, so please drop by at your convenience.

If you have any items at home or at your parents’ house that you wonder how much they are worth, please bring them in for evaluation only. If you have large items that are difficult to bring in, we will be happy to assess them by photo.

We look forward to seeing you at our store.

 

 

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無意識を意識するとは(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.15

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

本日連休の中日、曇り空のため気温が下がっているせいでしょうか(湿気はすごいですが)、駅から風光舎へ歩いてくる途中、ランニングをする人とたくさんすれ違いました。スポーツ好きの方には楽しみでもあるスポーツの秋。きっと秋の風を待ちわびていらっしゃることでしょう。

 

風光舎にも颯爽と駆ける犬がモチーフのガラス作品がございます。フランスのガラス工芸家、ルネ・ラリック(1860-1945)の作品です。6匹の犬がガラスの中に閉じ込められてはいるものの、飛び出さんばかりの躍動感があります。

 

 

 

 

元は宝飾職人であったルネ・ラリック。1900年のパリ万博でも高い評価を受けました。その後ガラス工芸への関心が高まり、様々な加工ガラスを使ったジュエリーを生み出します。

ラリックのデザインに感銘を受けた香水店の「フランソワ・コティ」から香水瓶の注文を受けたことをきっかけにガラス製品にも興味が湧き、壺や置物、建築物の内装装飾まで幅広いガラス作品を生み出していきました。どの作品にも独特の感性を持つラリックの世界が広がっています。

 

風光舎のガラス製品もモチーフは犬なのですが、シダのようなとげとげした植物と渦を巻くように走る犬の姿が相まって、動物とも植物とも違うまた別のデザインが生まれている気がいたします。

デザインの才能はゼロに近いスタッフHは、一日でいいので天才と呼ばれる芸術家になり、その頭の中を存分に探索してみたいという衝動にかられます。

 

 

さて話は変わりますが、年々自分の筋力の衰えを感じ、運動を積極的にしなければという切迫感が常に頭の中で渦巻いているのですが中々実行に移せません。日々の生活の中での「ながら運動」を勧められ、駅で電車を待つ間やお皿を洗う間などにかかとを上げてみたり、片足立ちになってみたりと意識を筋肉に向けるささやかな努力をしております。

テレビを見ながら足の指をグーパーするのも地味ですが効果があるそうです。自分の筋肉が動いているということを意識することが大切なのだそうです。

人間の思考には意識と無意識の領域が存在し、意識できている割合は1~3%で、あとの97~99%は無意識下にあると言われています。無意識の概念は精神科医のフロイトによって確立され、フロイトは人の心を氷山に例え、氷山の水面から上に見えている部分が意識で、水面下には巨大な無意識の氷が存在するとしています。無意識は自覚できていないだけで常に働いており、行動や思考に影響を及ぼしているそうです。

現在では巨大な無意識が上にあり意識が下に位置するという考え方に変わってきているとか。

自転車をこぐときに、右足、左足と意識しなくてもこげたり、ドアが目の前に現れたら右手左手を意識せず開けたりと無意識の行動は生活上スムーズに動くために必要不可欠なものです。

自分の意志が弱いと嘆くよりも、この意識と無意識の間にある潜在意識を自覚し「習慣化」させることが目標を達成する近道となるようです。筋トレも意識せずにできるくらいにならないと持続することはできないとのこと。

その習慣化が大変なのですが…と思ってしまいますが、意識を向けるように意識し続けるということでしょうか。人の心の世界は複雑です。

 

ふと昔聞いたマザーテレサの言葉を思い出し、検索してみました。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。」

「言葉に気をつけなさい、をれはいつか行動になるから。」

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。」

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。」

「性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」

 

初めてこの言葉を聞いた時は意味が呑み込めずポカンとしていたように思いますが、年齢を重ねて少しは理解できるようになっているはず?です。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Today is the middle day of a holiday weekend, and perhaps it is because of the cloudy skies and cooler temperatures (although the humidity is still high), but on my way from the station to Fukosha, I passed many people running. For those who love sports, autumn is the season for sports. I am sure they are looking forward to the autumn breeze.

 

Fukosha also has a glass work with a motif of a galloping dog. Although the six dogs are enclosed in glass, they are so lively that they seem to jump out of the glass.

Originally a jeweler, René Lalique was highly acclaimed at the Paris Exposition of 1900. Later, his interest in glass crafting grew, and he created jewelry using various types of processed glass.

Lalique’s designs impressed the perfume store François Coty, who ordered perfume bottles from Lalique, which sparked his interest in glassware, and he went on to produce a wide range of glass works, from vases and figurines to interior decorations for buildings. Lalique’s world of unique sensibility is present in each of his works.

The motif of Fukosha’s glassware is also a dog, but the combination of a thorny plant like a fern and the whirling figure of a running dog creates a different design that is neither animal nor plant.

Staff H, who has almost zero talent for design, is tempted to become an artist genius for a day and explore the inside of his/her head to the fullest.

As the story goes, I feel my muscle strength declining year by year, and a sense of urgency to exercise more actively is always swirling around in my head, but I am unable to put it into action. I have been encouraged to “exercise while doing things” in my daily life, and I have been making small efforts to direct my attention to my muscles by lifting my heels or standing on one leg while waiting for the train at the station or while washing dishes.

I have also heard that toe-grooping while watching TV is also effective, although it is not so simple. It is important to be aware that your muscles are moving.

It is said that there are conscious and unconscious areas of human thought, and that only 1-3% of our thoughts are conscious, with the remaining 97-99% being unconscious. The concept of the unconscious was established by the psychiatrist Freud, who compared the human mind to an iceberg and said that the part of the iceberg visible above the surface of the water is consciousness, while there is a huge iceberg of unconsciousness below the surface. The unconscious mind is always at work, even if we are not aware of it, and influences our actions and thoughts.

Nowadays, the idea that the giant unconscious is above and the conscious is below is changing.

When you pedal a bicycle, you can do it without being conscious of your right foot or left foot, or when a door appears in front of you, you can open it without being conscious of your right or left hand.

Rather than lamenting that one’s will is weak, becoming aware of this subconsciousness between the conscious and unconscious and making it a “habit” seems to be a shortcut to achieving one’s goals. He says that even muscle training cannot be sustained unless you can do it without being conscious of it.

It is hard to make that habit…I would think, but I guess it means to keep being aware of it so that you become conscious of it. The world of the human mind is complex.

 

I suddenly remembered Mother Teresa’s words that I heard long ago and searched for them.

“Be mindful of your thoughts, for they will one day become words.”

“Beware of words, for they will one day become actions.

“Beware of actions, for they will one day become habits.”

“Beware of habits, for they will one day become character.”

“Mind your character, for one day it will become your destiny.”

When I first heard these words, I was a bit confused, but now that I am older, I should be able to understand them a little better, right? But now that I am older, I should be able to understand it a little better.

I’ll see you next time.

 

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

 

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月が綺麗に見える季節になってきました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.14

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

 

 

昨日は、スタッフHのブログを読んで、複雑な気持ちで空を見上げたのですが、複雑な気持ちとは裏腹に、上弦(半月)は過ぎましたが、月はくっきりと美しく見えました。ですが、くっきり見える月を見ても、本当に季節は秋に移っているのか?と思えるほどの日中の暑さです。

 

秋の月がなぜきれいに見えるのかというと、空気中の水蒸気量に関係します。秋は1年の中で水蒸気量が少ない時期なので、月がぼやけずにくっきりはっきりと見えるというわけです。反対に春は空気中のちりや花粉などが多く、月がぼやけて見えることもあります。
また秋は月の高度が高すぎず低すぎずちょうど良い位置にあるのも理由の1つです。夏や冬は高すぎたり低すぎたりして、きれいに見るのは難しい季節なのです。

 

そもそも月は自ら光っているわけではなく、太陽の光を反射することで輝いて見えている訳ですが、太陽の光が当たっている半球が地球から見てどちらを向いているかによって、三日月や上弦、満月、下弦など、見かけ上の形が変わります。満月、三日月は分かりますが、上弦・下弦の月はどっちがどっちだったか分からなくなるのは私だけでしょうか。

その定義によれば、「月から見た太陽の方向を基準に、黄経差が0度の瞬間が朔(新月)、90度の瞬間が上弦(半月)、180度の瞬間が望(満月)、270度の瞬間が下弦(半月)」とされているとのことですが、簡単に言うと、私たちから見て「右側」に月が見える時は「上弦」、「左側」に見える時が「下弦」ということでしょうか。あまり役には立たない知識な気がしますが、子供たちも授業で習うので、聞かれた時は自信満々に答えるチャンスですよ。

 

そもそも上弦や下弦の「弦」とは、弓に張る糸、つまり弦(つる)のことで、半月の形が弓に似ていることから、弓の真っ直ぐな部分である「弦」の漢字が用いられたと言われています。

そして上弦と下弦の名前の由来は諸説ありますが、有名なものは下記の2つです。

1つ目は、新月を含む日を1日とし、月の満ち欠けで1か月を定める太陰暦を使っていた時代に、月の前半(上旬)の月を上弦、月の後半(下旬)の月を下弦と呼んだというもの。

2つ目は、西の地平線に沈む時に、弦(半月の真っ直ぐな所)が上に位置しているか、下に位置しているかでどうかでつけられたというもの。

上弦は直線部が上で、半円部が下の状態で沈んでいきます。このため弦の部分が上で沈む月を上弦、弦の部分が下で沈む月を下弦と呼んだというものです。

 

日本では月を鑑賞するという風習は古くから見られますが、二十四節気や和風月明と同じで、毎晩見える月にそれぞれ呼び名をつけています。十五夜の翌晩から順に、十六夜(いざよい)月、立ち待ち月、居待ち月、寝待ち月と呼びます。立ち待ち月、居待ち月、寝待ち月は、名月の後に見える月は、出てくるのが遅く感じられたことから、「立って待つ月」「座って待つ月」という意味を持つ名前が付けられたそうです。

 

中秋の名月まであと少し。「月」というと、うさぎが餅つきをしている様子を思い浮かべるというのは昭和世代ならお決まりですが、私には月を見てどこがうさぎの餅つきなのか分かりません(笑)

子供が小さい頃、「どうして月にうさぎがいるの?どうしてお餅をついているの?」と聞かれ、「たぶんお餅が好きだからじゃない?」と困った挙句、親として面目丸つぶれの回答をしたことを思い出しました。

令和の子どもたちには何に見えるでしょうか?世界では「カニ」「ロバ」「本を読むおばあさん」などに見えるそうですが、皆さまはどう見えますか?

 

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.

Yesterday, I looked up at the sky with mixed feelings after reading Staff H’s blog. Despite my mixed feelings, the moon looked clear and beautiful, although the sangen (half moon) has passed. However, despite the clear moon, it was so hot during the day that I wondered if the season had really moved into autumn. It is so hot during the daytime that it seems as if the season has really moved into autumn.

 

The reason why the moon looks so beautiful in autumn has to do with the amount of water vapor in the air. Since the amount of water vapor is low in autumn, the moon appears clear and bright without being blurred. Conversely, in spring, there is more dust and pollen in the air, and the moon may appear blurred.
Another reason is that the moon’s altitude is not too high or too low in autumn. In summer and winter, it is too high or too low, making it difficult to see the moon clearly.

 

The moon does not shine by itself, but shines by reflecting the sun’s light. The apparent shape of the moon changes depending on which way the sunlit hemisphere faces from the earth, such as crescent, waxing, full, or waning. I can understand full and crescent moons, but am I the only one who can’t tell which was which for the upper and lower sine moons?

According to the definition, the moment when the difference of ecliptic longitude is 0 degrees from the direction of the sun as seen from the moon is the Saku (new moon), 90 degrees is the Jogetsu (half moon), 180 degrees is the Mo (full moon), and 270 degrees is the Shimogetsu (half moon). I guess this means that when the moon is seen on the “left side” from our point of view, it is “lower sine”. I feel that this knowledge is not very useful, but children learn it in class, so it is a good chance to answer confidently when they are asked.

 

To begin with, the “string” in Jogen and Shimogen refers to the string, or vine, that is stretched over the bow, and it is said that the kanji for “string,” the straight part of the bow, was used because the shape of the half-moon resembles a bow.

And although there are various theories about the origin of the names Sangen and Shimogen, the two most famous ones are as follows.

The first is that in the days when the lunar calendar was used to determine a month by the phases of the moon, with one day including the new moon, the first half of the month (early) was called Sangen and the second half of the month (late) was called Shimogeng.

The second is that the name was given according to whether the string (the straight part of the half-moon) was positioned above or below the moon when it set on the western horizon.

The upper sine sets with the straight part of the string above and the semicircular part below. For this reason, the moon with the string part setting above is called Sangen, and the moon with the string part setting below is called Shimogigen.

 

In Japan, the custom of appreciating the moon has been observed since ancient times, and as with the 24 solar terms and Japanese moonlight, each night’s visible moon is given a name. Starting from the night after Jugoya (the night of the fifteenth day of the eleventh month), the moons of the sixteenth, sixteenth, eighteenth, eighteenth, and nakayatsuzuki are called, in that order. The names “tachi-no-waiting moon,” “居待ち月,” and “ne-no-waiting moon” mean “standing moon” and “sitting moon,” respectively, because the moon seen after the “famous moon” seemed to be slow in coming out.

 

We are just a few days away from the Mid-Autumn Moon. The word “Tsuki” conjures up images of rabbits pounding rice cakes, which is a common sight for the Showa generation, but I don’t know what part of the moon is a rabbit pounding rice cakes (laugh).

When my children were young, they would ask me, “Why is there a rabbit on the moon? Why are they making rice cakes?” I was troubled, and then I asked myself, “Maybe because it likes rice cakes. I remember that I was embarrassed, and then I answered, “Probably because I like rice cakes.

What do you think they look like to children in 2021? I heard that in other parts of the world, they look like a crab, a donkey, an old lady reading a book, etc. What do you see?

 

See you soon.

 

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想像とはかけ離れていた宇宙の現状(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.13

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

再び台風が南方海上で発生し沖縄付近に接近しています。台風の多い時期とはいえ毎回ハラハラさせられます。

先日ブログで台風の名前について綴ったばかりですが、今回の台風13号はお菓子の名前「バビンカ」と命名されています。マカオの伝統的なお菓子でココナッツと卵を使ったしっとりとしたデザートだとか。名前は美味しそうで可愛いのですが油断は禁物です。くれぐれもご注意ください。

 

さてこの台風を観測してくれているのがニュースでも耳馴染みのある「気象衛星ひまわり」。日本が打ち上げている静止気象衛星で、第1号は1977年米国のケネディ宇宙センターから打ち上げられました。

本日はひまわりを通して空の果てに思いを巡らせておりましたら、まさに私の知らない過酷な世界が宇宙に広がっておりました。

 

宇宙をぎゅっと凝縮しているようだと常々感じていた手吹きガラスの徳利。金色の帯が永遠に続くようにも思え、宇宙にもこんな美しい世界が広がっているはずと妄想しておりました。世界でも高く評価されたガラス工芸家、藤田喬平氏の作品です。

少し歪んだフォルムがまた宇宙っぽい?のです。

 

 

 

 

「ひまわり」の話に戻りますと、いつも当たり前のようにニュースで空からの台風映像を見ることができていますが、この「ひまわり」が常に働いてくれているおかげなのですね。孤軍奮闘してくれているのかと思いきや、バックアップ機とタッグを組んで万全の監視体制をとってくれているようです。

現在まで「ひまわり」は世代交代を繰り返してきました。2022年12月にそれまでメイン機として使われてきた「ひまわり8号」がバックアップ機として2016年に打ち上げられた「ひまわり9号」と役目を交代しました。現在は9号がメイン、8号がバックアップ機として私たちに映像を送り続けてくれています。

そこで素人考えの私は1号から7号は役目を終え地球に戻ったのだと勝手に思っておりましたら、そんなに簡単なお話ではないようです。

実は約36000km上空の静止軌道から衛星を大気圏に戻すには相当のエネルギーが必要で、莫大な費用がかかるとか。そのため役目を終えたひまわりは最後の力を振り絞って、300キロほど高度を上げ「墓場軌道」と呼ばれる場所で漂い続けるのだそうです。えっ帰還できずに漂い続けるって…。もうひまわりへの感情移入が止まりません。

現在使われている8号と9号もいずれはそこへ向かうのです。回収される予定はないそうです。

 

いたたまれない気持ちで色々と調べておりましたら、深刻な宇宙の現状が見えてきました。

「スペースデブリ」という言葉はご存知でしょうか?私は何となく聞いたことはあったのですが具体的な数字などを突き付けられると驚きの連続でした。

スペースデブリとは「宇宙のゴミ」を意味し、役目を終えた人工衛星やロケットの上段部分、またはそれらが衝突してできた破片などを指します。それらが秒速7~10キロの早さで漂っているそうです。もはや漂っているという表現は当てはまらない気もします。新幹線の100倍の早さといわれてもピンときません。

それらのゴミが年々増加し、10cm以上のものは3万個以上、1mm以上のものは1億個以上とも言われています。

1957年に旧ソ連が初の人工衛星「スプトーニク1号」を打ち上げて以降、2010年代まで年間60~100機のペースでしたが、民間企業による宇宙進出などにより近年は毎年1000機以上ずつ増加しているとか。

想像していた以上でした。気象衛星や衛星放送、スマホのアプリでお世話になっている位置情報など、確かにどこから情報が来ているのかあまり深く考えていませんでした。

人工衛星の寿命は長くて15年だそうで、それらは役目を終えるとゴミとして漂い、さらに衝突することにより更に細かい破片となります。それらを回収する技術の開発も進んでいるようですがまだ実用化に至っていないようです。

人工衛星にはデブリが近づくと警報が鳴り、デブリを避けるシステムが搭載されているそうですが、現在はその警報が鳴り響いているという恐ろしい話も出てきました。想像とはかなり違う宇宙の姿です。

実際のところ人工衛星のおかげで便利な生活を送ることができ、もはやそれらが無くなってしまうのは考えられなくなっています。

これからは少し複雑な気持ちで空を眺めることになりそうです。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Once again, a typhoon has formed in the southern ocean and is approaching near Okinawa. Even though it is a season of many typhoons, it still makes me nervous every time.

I just wrote about typhoon names in my blog the other day, and this time Typhoon No. 13 is named “Babinca,” which is the name of a confectionery. It is a traditional Macau pastry, a moist dessert made of coconut and eggs. The name sounds delicious and cute, but be careful. Please be careful.

 

The typhoon is being observed by Himawari, a weather satellite that you may have heard about on the news. The first geostationary meteorological satellite was launched by Japan in 1977 from the Kennedy Space Center in the United States.

Today, as I was pondering the far reaches of the sky through Himawari, I found a world in space that I had never known.

 

I have always felt that this hand-blown glass Tokugawa (Japanese sake bottle) seems to condense the universe. The golden band seemed to go on forever, and I was imagining that there must be such a beautiful world spreading out in the universe. It is the work of Kyohei Fujita, a glass craftsman highly acclaimed around the world.

The slightly distorted form is also space-like. The slightly distorted form is also space-like.

[Back to “Himawari,” we are always able to see images of typhoons from the sky on the news as a matter of course, but it is thanks to the constant work of this “Himawari. It seems that Himawari is always working to maintain a perfect monitoring condition by teaming up with a backup aircraft.

Until now, Himawari has gone through a series of generational changes: in December 2022, Himawari No. 8, which had been used as the main vehicle, was replaced by Himawari No. 9, which was launched in 2016 as a backup vehicle. Currently, Himawari No. 9 is the main aircraft and Himawari No. 8 continues to send us images as a backup aircraft.

So, in my layman’s way of thinking, I assumed that Himawari No. 1 to No. 7 had completed their mission and returned to the earth, but it seems that it is not that simple.

In fact, it takes a lot of energy to return a satellite from a geostationary orbit about 36,000 km above the Earth to the atmosphere, and it costs a lot of money. Therefore, the Himawari, which has completed its mission, is said to be using its last ounce of energy to raise its altitude by about 300 km and continue drifting in what is called a “graveyard orbit. Drifting without returning…. I can’t stop feeling for Himawari.

The No. 8 and No. 9 that are currently in use will eventually head there. They are not scheduled to be recovered.

 

I have been researching various things with a sense of sadness, and I have come to see the serious state of space debris.

Have you ever heard of the term “space debris”? I had heard of it in passing, but when I was confronted with concrete numbers, I was surprised at the number of times I had heard of it.

Space debris means “space junk,” and refers to the upper stages of satellites and rockets that have completed their missions, as well as the debris that results from collisions between them. They are said to be drifting at a speed of 7 to 10 kilometers per second. I don’t think the expression “drifting” applies any more. Even if it is said that the speed is 100 times faster than that of the Shinkansen bullet train, it does not ring a bell.

It is said that the number of these pieces of garbage is increasing every year, with more than 30,000 pieces of garbage larger than 10 cm and more than 100 million pieces of garbage larger than 1 mm.

Since the launch of the first artificial satellite “Sputnik 1” by the former Soviet Union in 1957, the number of satellites has been 60 to 100 per year until the 2010s, but in recent years the number has been increasing by more than 1,000 each year due to the space program by private companies and other factors.

This is more than I had imagined. I had not really thought much about where information such as weather satellites, satellite broadcasting, and location information that we use in our smartphone apps comes from.

Satellites have a lifespan of 15 years at the most, and they drift around as garbage and become smaller pieces when they collide with other satellites. Technology to recover the debris is being developed, but it has not yet been put to practical use.

Satellites are said to be equipped with a system that sounds an alarm when debris approaches and avoids debris, but now there is a frightening story that the alarm is ringing. It is quite a different picture of space than I imagined.

In fact, satellites have made our lives so convenient that we can no longer imagine them disappearing.

From now on, I will be looking at the sky with a bit of mixed feelings.

 

I will see you next time.

 

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【李朝・ペルシャ・鯉江良二買取】(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.12

名古屋市のお客様より李朝・ペルシャ・鯉江良二作茶碗など買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

本日は、出張買取の様子をお伝えいたします。

 

 

 

丁寧に鑑定させていただきました。

 

 

 

行李へ入れていきます。

 

 

 

風呂敷にて運び出しの準備完了です。

 

 

只今古美術風光舎では、ご実家の解体、整理のご相談・買取も承っております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

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帝室技芸員 海野勝珉(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.12

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

本日は帝室技芸員 海野勝珉のつぶやきをしようと思っているのですが、それにしても自分にとっては「彫金」の世界がとても敷居の高い存在。まずは「彫金」とは?。深堀していきますので、少々お付き合いくださいませ。

 

 

 

蘭陵王置物 明治23年(1890)
彫金  28.0×32.0×33.5(宮内庁HPより)

Lan Ling King figurine, 1890
Engraving: 28.0 x 32.0 x 33.5 (from the Imperial Household Agency website)

 

 

ご存知のとおり、彫金の技術は金属工芸のなかでも長い歴史があります。

古墳時代後期(6世紀前半から半ば過ぎ頃)に渡来工人によって伝えられたとされ、冠帽(かんぼう)や指輪、簪(かんざし)などの装身具、馬具類など当時の遺物を見ると、毛彫(けぼり)や透(す)かし彫りなどの基本的技術が定着していたことがわかりますし、法隆寺や正倉院でも彫金の宝物を拝見することがありますが、当時のものと言いましてもその意匠と技術のレベルには驚きますよね。

 

また、平安時代(794~1185年/1192年頃)後期に武士階級が台頭するようになると、彫金は刀剣・甲冑(かっちゅう)・金具に装飾として施されることが多くなり、室町時代(1336~1573年)には後藤祐乗(ゆうじょう)を祖とする後藤家が将軍家お抱えとなり、その格式を重んじる作風が“家彫(いえぼり)”として後世に伝えられ、江戸時代(1603~1867年)になり太平の世が続くと、刀剣は実用性を重んじるものから意匠の面白さを競うものへと変化し、精密な小型の彫金の技術が完成していきます。

 

元禄期(1688~1704年)以降、横谷宗珉(よこやそうみん)が墨絵の筆勢そのままに鏨(たがね)で表現した片切彫(かたぎりぼり)の技法を生み出しますが、宗珉自身は武家よりも町民たちとの交わりを好み腕をふるったことから、京都風の”家彫”に対して“町彫”と呼ばれ、その自由な発想と斬新なデザインは、刀剣よりもむしろ煙管(きせる)や根付(ねつけ)などの生活用品に広がりを見せるようになり、新しい流行を生み出し、その用途は変化していきました。

 

今日に至るまでこうした彫金の技術は絶えることなく伝承され、主に器物、置物、装身具、神仏具などに施され、彫金は素材本来の持ち味を引き立て、格調と重みのある製品を生み出しています。そして明治期にはいりますとその意匠と技術は超絶技巧の域に入っていきます。そんな時代の過渡期に誕生したのが、海野勝珉ですが、

 

 

 

太平楽置物 明治期(1899年)彫金、象嵌

Taiheiraku figurine, Meiji period (1899), carving and inlaying

 

 

そんな彼の略歴を述べますと、

 

1844年 茨城県水戸下市肴町に伝右衛門の四男として生まれる。

1853年 叔父の初代・海野美盛や萩谷勝平に彫金を学ぶ。

1871年 江戸へ上京し、勝珉と改名。

1876年 駒込千駄木町で開業

1877年 第1回内国勧業博覧会に出品し受賞。

1881年 第2回内国勧業博覧会で褒状。

1890年 第3回内国勧業博覧会に出品した「蘭陵王」で妙技一等賞受賞。

1891年 「東京美術学校」助教授に就任

1894年 「東京美術学校」教授に就任

1896年 帝室技芸員を拝命。

1905年 勲六等瑞宝章を受章。

1915年 逝去。享年92歳

 

 

蒔絵:川之邊一朝(1831~1910)ほか
金具彫刻:海野勝珉(1844~1915)
図案:六角紫水(1867~1950)
明治36年(1903)木製漆塗・蒔絵  46.8×135.5×122.0(宮内庁HPより)

Maki-e: Kawanobe Ischo (1831-1910) and others
Hardware engraving: Katsumikazu Umino (1844-1915)
Design: Rokkaku Shisui (1867-1950)
Lacquered wood and maki-e lacquer, 1903, 46.8 x 135.5 x 122.0 (from the Imperial Household Agency website)

 

前述のとおり、海野勝珉が得意とする彫金の技術はもとは刀装具に施す技法だったのですが、明治政府の廃刀令により刀装具(特に刀の鍔)の制作ができなくなり、その後は金工彫刻に力を入れ制作活動を行っていきます。
多くの刀装金工達が貿易用の欧米人好みにデザインされた花瓶、煙草箱、アクセサリーなどを作って生計を立てるようになったのですが、海野勝珉はそういったものにとらわれず、新しい時代の金属工芸の姿を真剣に模索し、芸術品、美術品としての彫金作品を手掛け、数多くの展覧会に出品しその地位を築きあげます。

 

また、彼の作品は、鋭角な刃先を持つ小刀のような鑿で金属を彫る片切彫を得意とし、象嵌の技法を使い、様々な金属の組み合わせて作る豊かな色彩表現や、色彩感のある金銀象眼と片切り彫りを得意とし、強健な鏨の力に優美さをもつ作風であります。また、金属面に江戸の花鳥画を彷彿させる絵画世界を描くのを得意とし、写実の中に優雅な趣をみせた作風で、明治彫金界の主流を成していき、度々国内で開催される博覧会に出展した作品は高い評価を受け、明治23年(1890)46歳のときに第3回内国勧業博覧会では、雅楽の演者をモチーフにした「蘭陵王置物」を出展し妙技一等賞を受章しており、翌年には東京美術学校(現・東京芸術大学)の助教授に就任。同じ大学の教授であり当時彫金家としても活動していた加納夏雄に師事し、1894年には東京美術学校の教授に就任し学生へ技術指導をし、帝室技芸員にも任命されております。

 

そんな中、私が海野勝珉を知るきっかけにもなった昨年訪れた三の丸尚蔵館の収蔵品展。海野勝珉の作品「太平楽置物」を直接拝見した際には、「人間はこの域まで到達するのか…」と、その技巧に心奪われたことが記憶に残っております。どうやってこれを表現するのか技術はわかりませんが、細部までここまでに至る技術の重みと迫力は伝わりました。その迫力と重みは、時代が江戸から明治期に変わり、否応なく時代の変化に対応しなければならない苦悩と、これまでの歴史から受け継いできた技術による迫力と重みなのわかりませんが、それらがとても伝わってくる彫金でありました。

 

海野勝珉作品は、現在新しくなった皇居の三の丸尚蔵館にて拝見することができますので、機会がありましたら是非訪れてみてください。海野勝珉や他の帝室技芸員の作品を拝見することができます。(開催展示時期はご確認ください。)

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Today, I am going to write a tweet by Sumi Unno, an Imperial Artist, but even so, the world of “Engraving” is a very difficult one for me to understand. First of all, what is “Engraving”? Please bear with me for a moment as I delve deeper.

 

 

As you know, the art of engraving has a long history among metal crafts.

It is said that the technique was introduced by a foreign craftsman in the late Kofun period (around the first half to mid-6th century), and relics from that period, such as crowns, rings, ornaments, and harnesses, show that basic techniques such as kebori and sukashi-bori were established, and that the technique is still used at Horyuji Temple and the Shosoin Repository. The level of design and technique is astonishing, even for objects of that period.

 

In the late Heian period (794-1185/1192), when the warrior class came to power, engraved metal was often applied to swords, armor, and metal fittings as decoration. During the Edo period (1603-1867), as the era of peace and prosperity continued, swords shifted from being made with an emphasis on practicality to those that competed for the interest of design, and the technique of precision small-scale engraving was perfected. The technique of precision small-scale engraving was perfected.

 

After the Genroku period (1688-1704), Somin Yokoya developed the katagiribori technique, in which he used chisels to express the brush strokes of ink paintings. His free ideas and innovative designs spread to everyday items such as smoking pipes and netsuke rather than swords, creating new fashions and changing their uses. The use of the technique has changed over the years.

 

The technique of engraving has been handed down to the present day, and is mainly applied to vessels, ornaments, accessories, and sacred objects, etc. Engraving enhances the original qualities of the material and creates products with dignity and weight. In the Meiji period (1868-1912), the designs and techniques of the craftsmen entered the realm of superb craftsmanship. It was during this transitional period that Katsumikazu Umino was born,

 

Here is a brief biography of Katsumikazu Unno,

 

1844 Born as the fourth son of Den-emon in Sakanamachi, Shimoichi, Mito, Ibaraki Prefecture.

1853 Learned metal engraving from his uncle, Mimori Umino I and Shohei Hagiya.

1871 Moved to Edo (Tokyo) and changed his name to Sumikin.

1876 Opened his business in Komagome Sendagi-cho.

1877 Exhibited at the 1st National Industrial Exhibition and won an award.

1881: Awarded a prize at the 2nd National Industrial Exhibition.

1890 Awarded the first prize for his work “Lan Ling Wang” at the 3rd National Industrial Exhibition.

1891: Appointed assistant professor at the Tokyo School of Fine Arts.

1894: Appointed professor at the Tokyo Fine Arts School.

1896: Appointed as an artist to the Imperial Household.

1905: Awarded the Order of the Sacred Treasure, 6th class.

Passed away in 1915. He was 92 years old.

 

As mentioned above, the engraving technique in which Katsumikazu Umino excelled was originally a technique used on sword implements. However, the Meiji government’s decree banning the production of sword implements (especially sword tsubas) made it impossible for him to produce sword implements, and he subsequently focused his efforts on metalwork engraving.
Many swordsmiths began to make a living by making vases, tobacco boxes, and accessories designed to Western tastes for trade, but Katsumikazu Umino was not bound by these customs and seriously sought a new form of metalworking for a new era. His works were exhibited in numerous exhibitions, and he established himself as a leading figure in the metalworking world.

 

His works are characterized by his skill in katakiribori, a technique of metal engraving using a chisel like a small knife with a sharp edge. He also excels in rich colorful expressions created by combining various metals using the inlaying technique, and in colorful gold and silver inlays and katakiribori, a style that has elegance in his robust chisel power. He was also good at depicting the world of paintings reminiscent of Edo period flower-and-bird paintings on metal surfaces, and his style, which showed elegance in realism, made him a mainstream artist in the Meiji metal carving world. The following year, he was appointed assistant professor at the Tokyo Fine Arts School (now Tokyo National University of Fine Arts and Music). The following year, he became an assistant professor at the Tokyo Fine Arts School (now Tokyo National University of Fine Arts and Music). He studied under Natsuo Kano, a professor at the same university who was also active as a metal carver at the time, and in 1894 became a professor at the Tokyo Fine Arts School, where he provided technical guidance to students and was appointed a member of the Imperial Household Artists.

 

I visited the San-no-maru Shozo-kan collection exhibition last year, where I became acquainted with Katsumikazu Umino. When I saw his works “Lanryo-o Okimono” and “Taiheiraku Okimono” in person, I was fascinated by his technique and wondered if human beings could reach this level. I do not know how the technique was used to express this, but I could feel the weight and power of the technique that led to this level of detail. I don’t know if the power and weight of the technique comes from the struggle to cope with the change from the Edo to Meiji period and the techniques that have been engraved in the past history, but I could feel the power and weight of the engraved metal.

 

You can see Katsumikazu Unno’s works in the newly renovated San-no-Maru Shozo-kan of the Imperial Palace, so please visit there if you have a chance. If you have a chance, please visit there and see the works of Katsumikazu Umino and other Imperial Household Artists.

 

Have a good day.

 

 

古代の魔除けからラーメン鉢まで繋がっております(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.09.11

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

スタッフYのブログにもありましたが、私も少しだけでも秋を感じようと虫の音を聞くために夕方窓を開けます。あまりの蒸し暑さにすぐに閉めざるを得ないのですが。

 

最近は天候が不安定で突然の大雨や雷による混乱が増えていますね。私はとにかく雷が苦手で、といいますか雷の音にかなりダメージを受けます。そんなに大きな音でなくても思わず叫んでしまうので、恥ずかしい思いをしたこともあります。なんとかならないものかと自分でも思うのですが中々難しいところです。

 

さて風光舎には雷光を表しているとも言われる雷紋(らいもん)が施された九谷焼の水盤がございます。雷紋は渦巻形が方形になった文様で、複数個連なって構成されることが多いようです。九谷焼では古九谷の時代からこの雷紋がよく描かれています。

 

 

 

 

凡人ですのでこの雷紋を見てまず思い浮かぶのはやはり「ラーメン鉢」。美味しい麺をすする間、常に視界に入ってくる模様ですから記憶に定着しない訳がありません。雷紋がラーメンの鉢に行きつくまでには長い年月があり、このシンプルな紋様は古の人々から大切に受け継がれてきたようです。

 

雷紋の歴史は古く、日本では弥生時代には既に存在し、室町時代には家紋として雷紋が使用され48種類のデザインがあるそうです。雷紋は中国から日本へ伝わったとされており、中国では殷の時代の青銅器に多く見られ、伝統的な幾何学文様として知られています。

雨をもたらす雷光は五穀豊穣を象徴し、迷路のような形から魔除けの意味もありました。また文様が連続して用いられることが多いため、不断長久を願う吉祥文様とされてきました。日本の家紋に用いられたのはこのためかもしれませんね。

日本の大和言葉の「かみなり」は神が鳴らすものと信じられ「神鳴り」からきているとのこと。雷光は大和言葉では「いなずま・いなづま」とも呼ばれ、旧暦の夏から秋の始めにかけて発生する雷が稲穂に感光することで開花し実を結ぶという信仰が生まれ「稲の妻(配偶者)」から「稲妻」と呼ばれるようになったそうです。

まだ科学という概念もない時代、空に轟く雷鳴がまさに神様からのお告げのように感じたことは不思議ではありません。

ちなみに日本語の「雷」は音も光も表せますが、英語では雷の音は「thunder(サンダー)」、雷の光は「lightning(ライトニング)」と厳密に区別されているようで、英語の授業で厳しく注意された記憶があります。

そんなに強く言わなくても、どっちでもいいのではと言葉の壁を感じたのをふと思い出しました。

 

話を戻しますが、雷紋は中国が起源なのだなと思っていたら、別の遠い国でも昔から存在していたとのこと。

新石器時代のギリシャでもこの文様が魔除けや幸福のシンボルとなっていました。ギリシャではメアンドロス川という川の名前に由来し「メアンダー模様」「メアンドロス模様」とも呼ばれているようです。この川の蛇行した様子がモチーフになっているとも言われています。その後歴史的な建造物や陶器にも使用されるようになり、家具の装飾にも使われていきます。

 

では中国の雷をモチーフにした雷紋とギリシャの川の流れをモチーフにした雷紋「メアンダー模様」は別々に自然発生したのでしょうか。それともどこかで繋がったことがあったのでしょうか。調べてみてもあまりはっきりとしが答えは見つかりませんでした。そもそも紀元前のお話ですから想像を巡らせる楽しみにしておきましょう。

虫の音のように、同じものを見たり聞いたりしても違う捉え方をする中で、違うものを見て同じイメージを浮かべたのだとしたら人間て面白いですね。

 

最後にラーメン鉢の雷紋に戻りますが(忘れてはおりません)、1910年にに日本初のラーメン店がオープンした頃、ラーメン専用の鉢として浅草の九谷焼を扱う陶器卸専門店に「中華料理らしい器」を依頼しました。こちらのお店「小松屋」は石川県小松町(現小松市)から上京した本清太郎氏が九谷焼を広めようと始めたお店だそうです。依頼を受け、九谷焼で昔から馴染のある雷紋を鉢に施したのが始まりとされています。

その後ラーメン店は次々と増え、それに伴い雷紋のラーメン鉢が日本全国に浸透していったとか。

なんだか無性にラーメンが食べたくなってきました。

 

それでは、また次の機会に

 

Hello everyone. This is Staff H.

As mentioned in Staff Y’s blog, I open the window in the evening to listen to the sound of insects in order to feel the autumn at least a little. But it is so hot and humid that I have to close the window immediately.

 

The weather has been unstable lately, with sudden heavy rain and thunderstorms causing more and more chaos. I am not good at thunder anyway, or rather, the sound of thunder is quite damaging to me. Even if the sound is not that loud, I scream unintentionally, and I have been embarrassed by it. I wish I could do something about it, but it’s not easy.

Now, at Fuhkosha, we have a Kutaniyaki water basin decorated with a raimon, which is said to represent a thunderbolt. The raimon is a square pattern of spirals, and is often composed of several pieces in a row. In Kutani ware, this thunder pattern has been often depicted since the Ko-Kutani period.

As an ordinary person, the first thing that comes to mind when I see this lightning pattern is a “ramen bowl. It is impossible for this pattern not to stick in one’s memory because it is always in one’s field of vision while slurping down the delicious noodles. It took many years for the lightning pattern to find its way to the ramen bowl, and this simple pattern seems to have been carefully passed down from generation to generation.

The history of the thunder pattern is long, already existing in Japan in the Yayoi period (710-794), and in the Muromachi period (1333-1573), the thunder pattern was used as a family crest, and there are 48 different designs. It is said that the thunderbolt pattern was introduced to Japan from China, and in China, it is often seen on bronze vessels from the Shang Dynasty, and is known as a traditional geometric pattern.

The thunderbolt that brings rain symbolizes a bountiful harvest, and its maze-like shape was also meant to ward off evil. The pattern is often used in succession, so it has been regarded as an auspicious design to wish for perpetuity and longevity. This may be the reason why it was used as a family crest in Japan.

Kaminari” in the Japanese Yamato language comes from ‘kaminari,’ which is believed to be sounded by a god and is derived from ”kaminari. Thunderbolt is also called “Inazuma/Inazuma” in the Yamato language, and is said to have come to be called “Inazuma” from “Inazuma (wife) of rice,” from the belief that the lightning that occurs from summer to early autumn in the lunar calendar causes the rice ears to blossom and bear fruit when they are sensitized.

It is not surprising that in an age when the concept of science had not yet been invented, the thunder roaring in the sky felt like a sign from the gods.

Incidentally, the Japanese word “thunder” can be used to describe both sound and light, but in English, the sound of thunder is strictly distinguished as “thunder” and the light of lightning as “lightning,” and I remember being strictly warned in English class.

I suddenly remembered that I felt a language barrier, thinking that I did not have to say it so strongly, and that it was fine either way.

 

Back to the story, I thought that the lightning crest must have originated in China, but I was told that it had existed in another distant country for a long time.

Even in Neolithic Greece, this pattern was a symbol of protection against evil and happiness. In Greece, it is also called “meander pattern” or “meandros pattern,” derived from the name of the river Meandros. It is said that the meanderings of the river were the motif of the pattern. Later, it came to be used on historical buildings and pottery, and was also used to decorate furniture.

So, did the Chinese thunder pattern, which is based on lightning, and the Greek thunder pattern, “meander pattern,” which is based on a flowing river, arise spontaneously separately? Or were they connected at some point? I could not find a very clear answer in my research. Since this is a story from B.C. to begin with, let’s enjoy letting our imagination run wild.

It would be interesting to know if people could see and hear the same thing but perceive it in different ways, like the sound of an insect, and if they could see different things and conjure up the same image.

 

Finally, returning to the lightning pattern on the ramen bowl (I have not forgotten), when the first ramen restaurant in Japan opened in 1910, I asked a pottery wholesaler specializing in Kutani ware in Asakusa to create “a bowl that is typical of Chinese cuisine” as a bowl exclusively for ramen. This store, Komatsuya, was started by Seitaro Moto, who came to Tokyo from Komatsu Town (now Komatsu City) in Ishikawa Prefecture, to promote Kutani ware. Upon receiving a request, he applied the thunderbolt pattern, which has been familiar in Kutani ware for a long time, to a bowl.

The number of ramen stores increased one after another, and ramen bowls with the lightning pattern spread throughout Japan along with it.

I have an uncontrollable craving for ramen.

See you next time!

 

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