11月, 2023 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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FROMKYOTOOSAKA

高浜市のお客様より買受いたしました。(名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.19

 

 

高浜市のお客様より縄文土器、勾玉、矢じりを買受いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。。

 

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

意外と簡単 自家製調味料(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.19

みなさまこんにちは。スタッフTでございます。

いよいよ寒くなってきました。秋の夜長、みなさまどのようにお過ごしでしょうか。

私は先日、手持ち無沙汰な夜に、かねてから作ろうと材料を寝かせていた「自家製ラー油」を作ってみました。

常備している市販のラー油が切れたことと、最近消費量が増えていることもあって、軽い気持ちでチャレンジしてみようと思ったのですが、なるほど、調べてみると意外と簡単ではありませんか。ということで作ってみました。

 

 

ところで、辛いものを食べたくなるのはなぜでしょう。

唐辛子と言えばピリッとした辛さが特徴ですが、この正体は「カプサイシン」という辛味成分です。このカプサイシンには甘味、塩味、酸味、苦味、旨味は入っていません。実は辛味は刺激の一種で、唐辛子などの辛いものを食べる時に感じる痛みが辛味なのだそうです。

 

私たちが辛いものを食べると、脳内からβ―エンドルフィンというホルモンが分泌されます。 このホルモンは、おいしいものを食べたときにも分泌が促されるため、辛いものを食べると、脳が「おいしいっ!」と感じるのだそうです。β―エンドルフィンは、別名「快楽ホルモン」と呼ばれ、幸せな気持ちにさせてくれるとともに、好きなものを「やみつき」にさせる働きもあるのだとか。

 

また、唐辛子を食べると、副腎(腎臓の上にある臓器)からアドレナリンが分泌されます。このアドレナリンは別名「興奮ホルモン」と呼ばれ、発汗を促し脂肪やエネルギーの代謝を活発にしてくれます。

ときどき無性に辛いものを食べたくなるのは、身体が辛味を求めているサインかもしれません。

 

ラー油というと、中華料理というイメージですが、実際、ラー油は中国で16世紀から17世紀にかけて作られた調味料。中華料理の辛い料理に使う調味料なので、もうちょっと古くからあると思っていたのですが、比較的新しいのですね。どうして17世紀前後とわかるかというと、ラー油の主原料である「唐辛子」が伝わったのが、そのぐらいだからのようです。

そもそも唐辛子は中南米原産で、コロンブスが新大陸を発見(1492年)した後に、ヨーロッパに伝わり、その後、世界中へ伝わっていきました。日本へは1500年代にポルトガルの宣教師によって伝えられた…という説が有力だそうです。

“唐”辛子という名前ですが、中国から日本へ伝わったわけではないのですね。それどころか、中国へ伝わったのは日本よりもさらに後だといわれています。日本にラー油が伝わったのは何年か…正確なところはわかっていないようです。

 

日本で初めてラー油が発売されたのは1966年。エスビー食品が「中華オイル」として販売したのが日本初です。その後、「ラー油(辣油)」と名前を変えて現在にいたります。

日本では餃子のつけダレに使うだけという人が多かったラー油は、ちょい足しブームからフライドオニオンとフライドガーリックがたっぷり入った「食べるラー油」が爆発的にヒットしました。具材を食べるという、あまり辛くないラー油は、ジャンルとして定着しました。ブームはおさまりましたが、スーパーなどの棚にはしっかりと場所を確保されていますね。

 

 

手作りするのはハードルが高いようですが、やってみればほんの20~30分で完成しました。市販のものとは違い、香りも良く、辛さも自分好みに調節できるのが良いところ。ぜひ一度ためしてみてはいかがでしょうか。

次にチャレンジしたい自家製調味料は「塩麹」。ただし、いつになることやら・・・

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.
It is finally getting colder. How are you spending the long autumn nights?
The other day, on a lazy night, I tried to make “homemade raayu” which I had been planning to make for a long time.
I thought I would give it a try with a light heart because I had run out of the store-bought raayu that I always have on hand and my consumption has been increasing recently. So I made it.

By the way, why do we want to eat spicy food?
Chili peppers are characterized by their spiciness, and this is due to a pungent ingredient called “capsaicin. Capsaicin does not contain sweetness, saltiness, acidity, bitterness, or umami. In fact, pungency is a kind of stimulus, and the pain we feel when we eat spicy food such as chili peppers is the pungency.

When we eat spicy food, our brain releases a hormone called beta-endorphin. This hormone is also secreted when we eat something tasty, so when we eat spicy food, our brain feels “Delicious! Beta-endorphin, also known as the “pleasure hormone,” makes us happy and makes us “addicted” to our favorite foods.

Eating chili peppers also causes the adrenal glands (an organ located above the kidneys) to release adrenaline. This adrenaline, also known as “excitatory hormone,” promotes sweating and increases the metabolism of fat and energy.
The occasional craving for spicy food may be a sign that the body is craving spicy food.

The word “raayu” is associated with Chinese cuisine, but in fact, raayu is a condiment created in China between the 16th and 17th centuries. Since it is a condiment used for spicy Chinese dishes, I had thought it was a bit older, but it is relatively new. The reason why we know it was made around the 17th century is because it was around that time that chili peppers, the main ingredient of raayu, were introduced to Japan.
Originally, chili peppers are native to Central and South America, and after Columbus discovered the New World (1492), they were introduced to Europe and then to the rest of the world. It is widely believed that chili peppers were introduced to Japan by Portuguese missionaries in the 1500s.
Although the name “chili” means “hot pepper,” it did not come to Japan from China. On the contrary, it is said to have arrived in China even later than in Japan. The exact date of the introduction of raayu to Japan is not known.

The first raayu was sold in Japan in 1966. It was first sold in Japan by S.B. Foods as “Chinese oil. Later, it was renamed “raayu (辣油)” and has been marketed to this day.
In Japan, many people used raayu only as a dipping sauce for gyoza (Chinese dumplings), but the “Eating Rayu” containing lots of fried onions and fried garlic became an explosive hit due to the “add a little more” craze. The less spicy type of raayu, in which the ingredients are eaten, became a well-established genre. The boom has subsided, but it still has a firm place on the shelves of supermarkets and other stores.

Making it by hand seems to be a hurdle, but once you try it, it only takes 20 to 30 minutes to complete. Unlike store-bought ones, the aroma is good and the spiciness can be adjusted to your liking. Why not give it a try?
The next homemade seasoning I want to try is “shio koji. But I am not sure when that will be…
See you soon.

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小牧市のお客様より買受いたしました。(名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.18

 

 

小牧市のお客様より銅燈籠、贈答品、額、中国美術を買受いたしました。

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未知の世界は魅力的です(名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.18

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

先日、病院の付き添いで出かけた際に数時間一人で時間を潰さなくてはならず、病院の向かいにある「名古屋能楽堂」を初めて訪れました。総木曽檜造りの国内最大規模の能楽堂です。

 

 

 

 

 

 

旅行は好きなのですが出不精な面もあり、たまたま通りかかったからという「ついで訪問」が多くなります。

能楽の知識はほぼない状態でしたが、深い沼の入り口を覗いてしまったようで、その伝統の世界に一瞬で魅了されてしまいました。

能楽(=能と狂言)は現存する世界最古の舞台芸術といわれています。ルーツは奈良時代に中国大陸から伝わった散楽という大衆向けの芸能です。散楽はやがて演劇的要素を取り入れた猿楽能へと発展します。室町時代には観阿弥、世阿弥親子が人気となり、3代将軍の足利義満の支援を受け、歌や舞を取り入れた優美な「能」を完成させます。

室町時代、能は武士の嗜むべき諸芸のひとつとなり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も能楽の愛好家となり自ら好んで能を舞っていたとか。特に徳川家康は幼少の頃から能に親しみ、亡くなるまで能を愛し続けていたと伝えられています。

結婚式でよく聞く「たかさごや~」も「高砂」という能の演目のひとつで、武士の結婚式の席でうたわれていたようです。

さらに能と能の合間に滑稽なせりふ劇の「狂言」が演じられるようになり、同じ舞台で能と狂言が交互に演じられ現在の上演形態が出来上がったとされています。

「能」は歴史上の人物や物語を題材にした悲劇が多く、シテ方(主役)が面をかけて演じるのに対し、「狂言」は庶民の日常生活を面白おかしく描く喜劇です。

 

名古屋能楽堂では展示室などが無料で見学でき、私が訪れた日は愛知県在住の能面師による能面五人展が開催されていました。展示室に入ると壁にかけられた約40面の能面に圧倒され、一瞬足がすくむようなゾワッとする感覚がありました。

 

 

 

 

能面はヒノキで作られ、約200種類あり、その基本形は約60種で、主な面(おもて)は翁系の面、老人の面、鬼神の面、女面、怨霊のめん、男面、仏面などです。ひとつの能面は複数の異なる演目で使われることもあります。

室町時代から安土桃山時代に打たれた面を「本面」と呼び、その後はその基本形を写し(模倣)再現しています。経年変化したシミや傷も写しとるとか。能楽師は面に導かれるように役になりきって演じるとも言われています。そのため昔の面をそっくりそのまま写し、面の力を頂いて演じるそうです。

能面をつけて上を向くことを「テル」、下を向くとを「クモル」と呼び、無表情なはずの面が明るい表情に見えたり、悲しい表情に見えたり、能楽師のわずかな動きで様々な感情が表現できます。能面にはそうした能の本質である「包み隠す美しさ」が凝縮されているといいます。

 

名古屋能楽堂では、月に4回ほどガイド付きの無料の舞台見学会もあるそうです。美味しいレストランも併設されていますので、一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

※パンフレットより

 

 

それでは、またお会いしましょう。

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

The other day, I had to kill a few hours by myself when I went out to attend to a patient at the hospital, so I visited the Nagoya Noh Theater, which is across the street from the hospital, for the first time.

I like to travel, but I am also a lazy traveler, so I tend to visit places only because I happen to be passing by.

Although I had almost no knowledge of Nohgaku, I was instantly fascinated by its traditional world, as if I had peeked into the entrance of a deep swamp.

Nohgaku (= Noh and Kyogen) is said to be the world’s oldest existing performing art. The roots of Noh theater can be traced back to the Nara period (710-794), when it was introduced from mainland China as a form of performing art for the masses called sangaku. Sangaku eventually developed into Sarugaku Noh, which incorporated theatrical elements. In the Muromachi period (1336-1573), Kan’ami, Zeami and their son became popular, and with the support of Ashikaga Yoshimitsu, the third shogun, they perfected Noh, a graceful form that incorporated song and dance.

In the Muromachi period (1336-1573), Noh became one of the favorite arts of warriors, and Nobunaga Oda, Hideyoshi Toyotomi, and Ieyasu Tokugawa became lovers of Noh and loved to perform it themselves. Tokugawa Ieyasu, in particular, is said to have been familiar with Noh from an early age and continued to love Noh until his death.

The “Takasagoya” often heard at weddings is one of the Noh plays called “Takasago,” and was performed by warriors at weddings.

In addition, kyogen, a comical dialogue play, began to be performed between Noh plays, and it is said that Noh and kyogen were performed alternately on the same stage, thus creating the current form of Noh performance.

Noh plays are often tragedies based on historical figures or stories, and are performed with masks by the leading actors, whereas kyogen plays are comedies that amusingly depict the daily lives of ordinary people.

 

The Nagoya Noh Theater offers free tours of its exhibition rooms, and on the day I visited, there was an exhibition of five Noh masks created by Noh mask makers living in Aichi Prefecture. When I entered the exhibition room, I was overwhelmed by the 40 or so Noh masks hanging on the walls, and for a moment I had the creepy feeling that my legs were going to give way.

 

Noh masks are made of cypress wood and come in about 200 varieties, of which about 60 are basic forms. The main types of masks (omote) include masks of old men, masks of old men, masks of demons, female masks, masks of vengeful spirits, male masks, and Buddhist masks. A single Noh mask may be used in several different performances.

Masks struck from the Muromachi to Azuchi-Momoyama periods are called “hon-men,” and thereafter their basic forms are copied (imitated) and reproduced. Even age spots and scratches are copied. It is said that Noh actors play their roles as if guided by the masks. Therefore, they copy the masks exactly as they were in the past and perform with the power of the masks.

When a Noh mask is worn and the performer looks up, it is called “teru,” and when the mask is worn and the performer looks down, it is called “kumoru.” A mask that should be expressionless can appear cheerful or sad, and various emotions can be expressed with the slightest movement by the Noh performer. It is said that the essence of Noh, the “beauty of concealment,” is condensed in Noh masks.

 

Nagoya Noh Theater offers free guided tours of the stage about four times a month. It also has a delicious restaurant, so why not pay a visit?

 

See you again soon.

 

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珉平焼 色鮮やかでポップな印象です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.17

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

本日、名古屋は朝からあいにくの空模様で冷たい雨となりました。自分の手指の冷たさで、思っていたより寒さを感じております。

さて私、こちらでお仕事させていただいたばかりで、まだ右も左も分からない状態ではありますが、お店に並べられた名品たちを眺める余裕がほんの少しだけ出てまいりました。

 

そんな中、冬の季節の憂鬱で落ち込みがちな気分も明るくしてくれそうな、『 珉平焼 黄釉陰刻雲龍文 隅切角小皿 』が目に留まりました。

こちらの小皿は江戸後期に作られたもので、別名「淡路焼」とも呼ばれ、つやのあるきれいな発色です。現代でも使いやすそうで、小粒なお菓子はもちろん、小物入れとして使ってもよさそうです。

 

 

 

 

「珉平焼」(みんぺいやき)は、江戸後期の文政年間(1818~30)に、淡路島の南端、伊賀野村(現在の南あわじ市)で、賀集珉平(かしゅう みんぺい)によって始められた焼き物で、地名をとって「淡路焼」などと呼ばれます。

賀集珉平(かしゅう みんぺい)は、京から京焼の陶工・尾形周平を招いて、京焼のデザインや釉薬調合の技術を作品に取り入れました。そして天保10年(1839)には、当時の阿波藩の御用を務め、「御用御陶師」を称することを許され、藩主・蜂須賀公のお手窯として、主に花器、茶器などが作られました。

 

 

「珉平焼」の特徴は、幅広いバリエーションにあります。京焼の色絵陶器写しや中国陶磁写し、さらには漆器や金属器を写したものまで作られており、江戸時代後期の日本で、これほど多くの種類を焼いていた窯は恐らくなかったのではないかと言われています。

 

そして、もう一つの特徴は、鮮やかな色。日本の昔ながらの食器というと落ち着いた色味のものが多いイメージでしたが、珉平焼は赤、黄、緑色とカラフルでとてもポップな印象です。

釉薬には鉛を原料とするものが使われていて、ハッとするような明るい黄色などは鉛特有の発色となっているそう。

現在の法律では、食品用陶器に鉛を含む釉薬の使用は禁じられているため、この目を惹く発色の器は、今では出すことのできない貴重な色となっているそうです。

 

 

その後、明治4(1871)年に珉平が没し、衰退した後、明治18(1885) 年に「珉平焼」を継承して「淡陶社」が設立されました。そして明治34(1901)年には、輸入タイルと同レベルの国産タイルを完成させて、本格的にタイル生産を開始しました。

現在、このタイル生産はダントー・ホールディングスに引き継がれているそうで、今でも工場の敷地から当時のものと思われる焼き物が出てくるそうですよ。

 

 

カラフルな小皿たちは見ているだけで元気になれます。比較的お求めやすい価格でもありますので、コレクションするアイテムとしても最適ですね。

ではでは、また。

 

Hello everyone, this is Staff T.

Today in Nagoya, unfortunately, the sky has been cold and rainy since this morning. The coldness of my fingers is making me feel colder than I expected.

I have just started working here, and although I still don’t know what’s right and left, I can now afford to look at the masterpieces on display in the store for a little while.

 

One of the pieces that caught my eye was the “Sumiping Ware Yellow Glazed Square Dish with Inlaid Dragon and Cloud Patterns” that seemed to brighten up my depressed mood during the winter season. This small dish was made in the late Edo period and is also known as Awaji ware. They are also called “Awaji ware” and have a beautiful glossy color. They are easy to use even today and can be used not only for small snacks, but also for small objects.

 

 

 

Minpei-yaki is a type of pottery started by Minpei Kashu in Igano Village (present-day Minami-Awaji City) on the southern tip of Awaji Island during the Bunsei Era (1818-30), and is called Awaji ware after its local name.
He invited Shuhei Ogata, a potter of Kyo-yaki from Kyoto, and incorporated Kyo-yaki designs and glaze mixing techniques into his work. In 1839 (Tempo 10), he was allowed to serve the then Awa domain as an official potter, and was named “Imperial Potter”.

 

 

Sumimpei-yaki is characterized by its wide range of variations. It is said that there was probably no other kiln in Japan during the late Edo period that produced such a wide variety of pottery.

 

Another characteristic is the vivid colors. While traditional Japanese tableware is often associated with subdued colors, Sumimpei ware is very colorful and pops with red, yellow, and green colors.

 

The glaze is made from lead, and the bright yellow color is unique to lead.
Current law prohibits the use of glazes containing lead in food ceramics, so the eye-catching colors of these vessels are precious colors that cannot be produced today.

After Suminpei’s death in 1871, the pottery declined, and in 1885, the Tamito-sha was established to take over the Suminpei-yaki tradition. In 1901, the company began full-scale tile production, perfecting domestically produced tiles on the same level as imported tiles.
Today, this tile production has been taken over by Danto Holdings, and even today, pottery that is believed to be from that period can be found on the factory grounds.

Just looking at these colorful small plates will cheer you up. They are also relatively inexpensive, so they are ideal as collectibles.

See you soon.

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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茅野市尖石縄文考古館はすごかったです。(名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.16

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

八ヶ岳旅の続編の最終編、今回はいつも気になってました茅野市尖石縄文考古館へ行って参りました。

なぜもっと早くいかなかったのか、館内は国宝パーティでして、その展示数や縄文土器のその多種多様さに驚きでありました。

 

 

 

 

この辺り一帯の八ヶ岳西山麓の尖石遺跡からは縄文時代中期の遺跡でして、昭和5年から宮坂英弌氏によって発掘調査がされておりましたが、その後宮坂氏の研究内容により学術上の価値が高いとのことで、昭和27年に特別史跡に指定されております。

 

また、近隣の棚畑遺跡では、米沢(よねざわ)埴原田(はいばらだ)の工業団地の造成に伴い、昭和61年に発掘開始された市内でも最大規模の遺跡ですが、その遺跡からは縄文時代の前期から江戸時代までの生活の跡が見つかっています。

特に今から約4000年から5000年前といわれる縄文時代中期と呼ばれる時代の土偶をはじめ、膨大な量の優れた資料が出土しました。また、発見された住居址は150軒以上、完全に復元された縄文土器は600点。

 

縄文時代の集落は何軒かの家がお祭りなどに使う広場を中心にして環状に作られているのですが、ここから昭和61年(1986年)9月8日、国宝「土偶」(縄文のビーナス)が発見され、平成7年(1995年)6月15日国宝に指定されております。

 

 

 

国宝「土偶」(縄文のビーナス)

 

 

土偶はその広場の中の土坑と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていたようです。博物館では、その埋められた当時のリアルな現場も再現されております。

 

全体像は下方に重心がある安定した立像形で、高さは27センチメートル、重さは2.14キログラム。

頭は頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、帽子を被っている姿とも髪型であるとも言われています。文様はこの頭部以外には見られません。顔はハート形のお面を被ったような形をしており、切れ長のつり上がった目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有の顔のようです。耳にはイヤリングをつけたかと思われる小さな穴があけられていますので、ちょっとかわいい。

腕は左右に広げられて手などは省略されており、胸は小さくつまみ出されたようにつけられているだけですが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子をよく表していますね。

 

全体のつくりは、主な骨格となる部分を組み立てて、それに幾つかの粘土塊を肉付けするように丁寧に作られており、表面はよく磨かれて光沢があります。また、粘土は雲母が混じっており金色に輝いています。

焼きは一部甘いところがあり、右足には表面がはがれ落ちていたか所がありました。けれども、一般に見られる壊された土偶とは異なり、完全な形で埋められたものであることは明らか。

よって、八ヶ岳山麓の土偶の特徴と造形美を合わせ持つことや、当時の精神文化を考えるためにも貴重な学術資料であることから、平成7年(1995年)6月15日に縄文時代の遺跡から見つかったもののなかではじめて国宝に指定されました。名前も「縄文のビーナス」なんて素敵な名前がついております。

 

また、もう一つの女神。

 

 

こちらは、国宝「土偶」(仮面の女神)

 

平成12年(2000年)8月23日に発掘され、平成26年(2014年)8月21日に国宝に指定されておりますから、つい最近のことなんですね。

 

「仮面の女神」の愛称をもつこの土偶は、茅野市湖東(こひがし)の中ッ原遺跡から出土した全身がほぼ完存する大形土偶です。高さは34センチメートル、重さは2.7キログラム。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶というようです。今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られました。

遺跡のほぼ中央にあるお墓と考えられる穴が密集する場所で、穴の中に横たわるように埋められた状態で出土したようでして、こちらも発掘の現場が再現されております。横たわっている姿はちょっと笑えます。

 

 

 

 

右足が壊れて胴体から外れていましたが、これはなぜか人為的に取り外したことが明らかになりました。お墓に一緒に埋納されたものか、あるいはこの土偶だけが単独で埋められたものかは、今後の研究を待たねばならないようです。

 

また、「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっており、細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されております。体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれ、足には文様はなくよく磨かれています。

この土偶は、土器と同じように粘土紐を積み上げて作っているため、中が空洞になっており、こうした土偶は中空土偶と呼ばれ、大形の土偶によく見られる形態のようですね。

中ッ原遺跡の「仮面の女神」と似た土偶は、長野県辰野町新町遺跡や山梨県韮崎市後田遺跡で出土しており、どちらも20センチメートルほどの大きさであることを考えると、この土偶がいかに大きいかがわかります。

 

他にも、こちらの地域で発見された住居址は150軒以上、完全に復元された縄文土器は600点にもなりますので、展示の数も凄い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国宝パーティでした笑。

 

 

 

 

展示数は圧巻。ですが、同じものなどひとつもないです。

 

 

こちらは、イメージ通りの縄文土器でしょうか。

 

 

発掘されてた縄文土器ですが、装飾も焼き付けもそれぞれ違っており、丁寧に緻密に装飾しているものもあれば、大胆な新進気鋭の作家風もあり、もちろんへたくそな土器も発見されております。

それぞれの作者の性格や腕前の違いがよくわかりまして、縄文人とはいえひとくくりには言えないほどの多様性。

 

そして、なによりも縄文人もこうやって暮らしがあり、生活があり、こうやって我々の暮らしや命はつながってきたのなと5000年を一足飛びしてより一層身近に感じ取れる面白いひと時でありました。

 

 

 

 

 

縄文時代にトリップしてみたい方はここははずせない博物館ですので、是非訪れてみてください。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

This is the final part of the Yatsugatake trip sequel, and this time we went to the Chino City Tsimiseki Jomon Archaeology Museum, which we have always been curious about.

Why didn’t we go earlier? The museum is a party of national treasures, and we were amazed at the number of exhibits and the variety of Jomon pottery.

 

 

The Senkishi ruins at the western foot of Mt. Yatsugatake were excavated in the middle Jomon period by Miyasaka Hideyoshi in 1930, and were designated as a special historic site in 1952 because of their high academic value.

 

The Tanahata Ruins, the largest ruins in the city, were excavated in 1986 in conjunction with the construction of an industrial park in Haniwarada, Yonezawa, and traces of life from the early Jomon Period to the Edo Period were found there.

In particular, an enormous amount of excellent materials have been excavated, including clay figurines from the Middle Jomon Period, which is said to be approximately 4,000 to 5,000 years ago. In addition, more than 150 dwelling sites have been discovered, and 600 pieces of Jomon earthenware have been fully reconstructed.

 

The Jomon period village was built in a circle around a square where several houses were used for festivals, etc. Here, on September 8, 1986, the national treasure “Clay Figure” (Jomon Venus) was discovered, and was designated a national treasure on June 15, 1995.

 

 

National Treasure “Clay Figure” (Jomon Venus)

 

 

The clay figurine seems to have been buried lying in a small hole, called a clay pit, in that square. The museum also reconstructs the realistic scene of the burial.

 

The entire statue is a stable standing figure with a lower center of gravity, 27 cm high and weighing 2.14 kg.

The head is flattened at the top and has a circular spiral pattern. No other patterns can be seen except on this head. The face is shaped as if wearing a heart-shaped mask, with slanted, upturned eyes, a pointed nose with a small hole as if pierced by a needle, and a small mouth like a small butterfly, which are typical of clay figurines from the middle Jomon period at the foot of Mt. The ears are pierced with small holes as if they were earrings, which is a little cute.

The arms are spread out to the left and right, omitting the hands, etc., and the breasts are only attached as if pinched out, but the belly and buttocks that continue below them protrude greatly, which well represent the appearance of a pregnant woman.

 

The entire piece was carefully constructed by assembling the main skeleton and then adding several lumps of clay to it, and the surface is well polished and shiny. The surface is well polished and shiny, and the clay has a golden color with mica mixed in.

Some of the firing was lax, and the surface of the right foot had peeled off. However, it is clear that the clay figurine was buried in perfect condition, unlike the broken clay figurines that are commonly seen.

Therefore, because it has the characteristics and beauty of the clay figurines found at the foot of Mt. Yatsugatake, and because it is a valuable academic material for considering the spiritual culture of the time, it was designated as a national treasure on June 15, 1995, for the first time among those found at a Jomon-era site. It also has a wonderful name, “Venus of Jomon”.

 

Another goddess.

 

This is the National Treasure “Clay Figure” (Masked Goddess).

 

It was excavated on August 23, 2000 (Heisei 12) and designated as a national treasure on August 21, 2014 (Heisei 26), so it was only recently.

 

This clay figurine, nicknamed “Masked Goddess,” is a large clay figurine with almost its entire body excavated from the Nakadahara Site in Kohigashi, Chino City. It is 34 cm tall and weighs 2.7 kg. It is a type of clay figurine generally called “masked clay figurine” because of its shape, which reminds us of a figure with a mask on its face. It was made in the first half of the late Jomon period, about 4,000 years ago.

It seems to have been unearthed in a state in which it was buried lying down in a hole in the middle of the site, where there is a cluster of holes that are thought to be graves. The figure lying down is a bit funny.

 

The right leg was broken and detached from the body, but it is clear that it was removed artificially for some reason. Whether it was buried together in a grave or only this clay figurine was buried alone seems to be a question that must await further research.

 

The face of the “Masked Goddess” is represented with an inverted triangular mask, and the V-shape drawn with thin clay strings may represent eyebrows. Below that, the nostrils and mouth are represented by small holes. The body is painted with whorls, concentric circles, and a tasuki (sashi-hanging) pattern, and the feet are well polished with no patterns.

Since these clay figurines were made by piling up clay strings in the same way as earthenware vessels, they are hollow inside, and such clay figurines are called hollow clay figurines, a form often seen in large clay figurines.

Clay figures similar to the “Masked Goddess” from the Nakagbara Site have been excavated at the Tatsuno-cho Shinmachi Site in Nagano Prefecture and the Goda Site in Nirasaki City, Yamanashi Prefecture, and both are about 20 cm in size, which shows how large this clay figure is.

 

There are also more than 150 other dwelling sites found in this area and 600 pieces of fully restored Jomon earthenware, so the number of exhibits is amazing.

 

It was a national treasure party lol.

 

The number of exhibits is impressive. But no two are the same.

 

Is this Jomon earthenware as you can imagine?

 

 

Some are carefully and intricately decorated, others are bold and in the style of up-and-coming artists, and of course, there are earthenware pieces that were found to be terrible.

The diversity of the Jomon people is so great that it is difficult to lump them all together.

 

It was an interesting moment for me to realize that this is how the Jomon people lived, and that our lives and livelihoods were connected in this way, jumping back 5000 years.

 

 

If you are interested in a trip back to the Jomon period, this is a museum you should not miss, so please visit.

 

Have a good day.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

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#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

名東区のお客様より買受いたしました。あり(名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.16

 

 

名東区のお客様より鉱石置物、翡翠置物など買受いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。。

 

また何かございましたら、古美術風光舎へご相談くださいませ。

 

 

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白州蒸留所へいってまいりました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.15

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

本日は、先日の八ヶ岳旅の続編でありますが、行って参りました「サントリー白州蒸留所」。

 

 

ウィスキーのことは詳しくありませんが、このところのジャパニーズウィスキーのブームにより、入手困難や価格高騰で販売されている状況はよく耳に致しますよね。

 

よく知りもしない「にわか」なのですが、今年50周年を迎えたサントリー白州蒸溜所が今年10月2日にリニューアルオープンしたと聞きつけ、せっかくですので立ち寄ることに致しました。新たにできた施設の見どころやバージョンアップした見学ツアーの内容、お土産リストに入れたい限定ショップアイテムなどもあるそうでして、ちょっと気になります。

 

ところで、サントリーのウィスキーの銘柄と言いますと、響、山崎、知多、そしてここ白州などが有名なのですが、ここ白州の情報を少し捕捉しますと…。

全国各地を調査した中から日本有数の名水地である“白州”の地が選ばれ、日本で初めてウイスキーづくりを始めてからちょうど50年を迎えた1973年にサントリー第2のモルトウイスキー蒸溜所が“白州”に開設され作られたウィスキーが白州でありあます。

 

長い年月をかけて、南アルプスの山々をくぐり抜けてきた地下天然水は、ほどよいミネラルを含むキレの良い軟水で、この水で仕込まれた原酒は軽快で穏やかな味わいを持ち、重厚で華やかな山崎の原酒とはタイプが異るそうでして、白州蒸溜所の稼動によりこれまで以上に多彩で奥深いウイスキーを生み出すことが出来るようになりました。

 

また、ここ白州ではご存じでしょうがウィスキーの他に天然水やビールなどの飲料も生産されております。やはり、水の厳選は飲料にとっては命そのものなんですね。

 

そんなサントリー白州蒸留所、いってまいりました。と、いいましても場内へ訪れるには事前予約が必要になりますから、ご注意ください。

エントランスからは、白州の森から一望できる八ヶ岳連峰がその日は鮮やかに観ることが出来ました。ラッキーです。

 

 

 

 

ここから白州の森への入り口といったところでしょうか。エントランス建物を潜り抜けるとこのような白州の森が広がっております。

 

 

 

 

森の向こうに見えてきたのが、博物館です。

 

 

 

 

ここは、白州の森ととウイスキーを様々な視点からとらえた世界でも珍しいウイスキー専門の博物館でして、1階では、シングルモルトウイスキー「白州」誕生の歴史や、蒸溜所のつくりのこだわり、豊かな水と広大な森を守るサントリーの環境活動などを分かりやすく紹介しております。2階から3階にかけては、醸造や蒸溜の神秘をはじめ、世界のウイスキー文化についての展示が楽したり、最上階の展望台からは、八ヶ岳や南アルプスなどの雄峰をはじめ、眼下には白州蒸溜所の広大な森が眺望できますが、リニューアルに向けて改修工事のところもあります。今回は2階以上は見学できませんでしたが、これは次回の楽しみとしておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

初期のポットスチルも展示しております。

 

そして、博物館のお隣の建物はウイスキーやこだわりのグラスをはじめ、樽材グッズやウイスキーなどの多彩な商品が揃っています。そしてなにより、ここ白州でしか販売されていない白州蒸留所限定のウィスキーが販売されております。数量が限られているため、お一人様1本の限定でして、日によっては欠品していることもあるようですが、なんとか手に入れることが出来ました。なんと1本1本シリアルナンバーが入っておりました。

 

そして、同じ館内にはティスティングラウンジが。実は、これを楽しみに来られる方が大半ではなかろうか笑。

 

 

 

 

中に入りますと、大きな窓の向こうに、白州の青い森が画面いっぱいに広がっており、白州の森の中、ティスティングが楽しめます。

 

 

 

 

それぞれのお酒単独でも楽しめますが、面白そうでしたので三種の飲み比べをオーダー。山崎18,白州18、そしてなんと響21です。

もちろん車の運転手の方は飲むことはできませんので、残念ながら今回、私は香りをティスティングするのみでありました。

ティスティングされたい方は、同乗者と話し合いをするか笑、無料のバスが小淵沢駅から出ているようですので電車からそちらを利用してみてもいいかもしれませんね。次回はティスティング絶対したい…。

 

 

 

 

工場内の見学や特別なティスティングは有料見学会のみのようですので、ご興味のありますかたはこちらをエントリーしてみても面白そうです。ただし抽選です。

 

そんなこんなでしばらく滞在ののち出てきますと、すでに夕日に美しく映える八ヶ岳が。

 

 

 

 

それにしても、この地で生まれる「水」こそが飲み物の命であることがとても伝わる白州の地。ウィスキーのお里を思い出しながら、そろそろ手に入れた蒸留所限定ウィスキーの開封の儀でもしてみようかと思っているところであります。

 

それではごきげんよう。

 

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古美術風光舎では、ウィスキー等の買取もおこなっておりますので、お気軽にご相談ください。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Today is a sequel to our recent trip to Yatsugatake, and we visited Suntory Hakushu Distillery.

 

I am not familiar with whisky, but I have often heard that Japanese whisky is hard to obtain or sold at a high price due to the recent boom of Japanese whisky.

 

I am a novice, but I heard that Suntory Hakushu Distillery, which celebrated its 50th anniversary this year, reopened on October 2 this year, so I decided to drop by. I heard that there are some highlights of the new facilities, upgraded tours, and limited store items that I would like to include in my souvenir list, so I am a bit curious.

 

By the way, Suntory’s famous whiskey brands include Hibiki, Yamazaki, Chita, and Hakushu. After researching all over Japan, the location of “Hakushu” was chosen as one of the best water areas in Japan, and in 1973, exactly 50 years after the first whisky production in Japan, Suntory’s second malt whisky distillery was established in “Hakushu”. In 1973, exactly 50 years after the first whisky was produced in Japan, Suntory’s second malt whisky distillery was established in “Hakushu” and Hakushu is the whisky produced.

 

The natural underground water that has passed through the mountains of the Southern Alps over a long period of time is a crisp, soft water with just the right amount of minerals, and the whisky made with this water has a light and gentle taste, which is different from the heavy and floral Yamazaki whisky. With the operation of the Hakushu distillery, we are now able to produce more diverse and profound whiskeys than ever before.

 

As you may know, Hakushu produces not only whisky but also beverages such as natural water and beer. After all, careful selection of water is the very life of beverages.

 

I visited the Suntory Hakushu Distillery. However, please note that you need to make a reservation in advance in order to visit the distillery.

From the entrance, we could see the Yatsugatake mountain range, which can be seen from the Hakushu forest, vividly on that day. We were lucky.

 

 

This is the entrance to the Hakushu Forest. After passing through the entrance building, you will see the forest of Hakushu like this.

 

 

Beyond the forest is the museum.

 

 

On the first floor, visitors can learn about the history of Hakushu single malt whisky, the distillery’s production process, and Suntory’s environmental activities to protect the abundant water and vast forests. From the second to the third floor, visitors can enjoy exhibits on the mysteries of brewing and distilling as well as whisky culture from around the world. From the observation deck on the top floor, visitors can look down on the vast forest of Hakushu Distillery, including the majestic peaks of Yatsugatake and the Southern Alps. However, due to renovation work, we were not able to visit the distillery more than twice this time, but this will be something to look forward to the next time.

 

Early pot stills are also on display.

 

And the building next door to the museum offers a wide variety of products, including whiskey and special glasses, as well as barrel wood goods and whiskey. Above all, Hakushu Distillery’s limited edition whisky, which is only sold here in Hakushu, is available for purchase. Due to the limited quantities, only one bottle per person is available, and it is sometimes out of stock depending on the day, but we managed to get our hands on a bottle. Each bottle was individually numbered.

 

In the same building, there is a tasting lounge. Actually, I think most people come here for the fun of it.

 

Once inside, the blue forest of Hakushu fills the screen behind a large window, and you can enjoy tasting in the midst of the Hakushu forest.

 

You can enjoy each sake by itself, but we ordered a three-sake comparison because it looked interesting. Yamazaki 18, Hakushu 18, and Hibiki 21.

Of course, drivers are not allowed to drink, so unfortunately, I could only taste the aroma.

If you would like to try the tasting, you can discuss it with your companion or take the free bus from Kobuchizawa station. I definitely want to do the tasting next time.

 

 

If you are interested, you can enter the tour for a fee, but you will be selected by lottery. However, it will be by lottery.

 

When I came out after staying there for a while, I could already see the beautiful Yatsugatake Mountains in the evening.

 

 

By the way, Hakushu is a place where you can feel that “water” is the lifeblood of beverages. Remembering the delicious whisky in Hakushu, I am thinking of opening a bottle of the distillery’s limited-edition whisky that I have just acquired.

 

Have a good day.

 

 

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日進市のお客様より買受いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.14

 

 

 

 

日進市のお客様より、額を買受いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり誠にありがとうございました。

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古美術風光舎では、名古屋市内のみならず愛知県他府県への買受も承っております。

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寒い日にはおでんがいいですね(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.11.14

皆さまこんにちは。スタッフT でございます。

朝晩はすっかり冷え込み、いよいよ冬がやって来ますね。もう少し秋を楽しみたいなと思うのですが、季節は待ってくれませんね。それならばと、着々と冬支度始めた今日この頃です。

 

 

寒い季節には、あったかいおでんが食べたくなります。ここ数日でぐっと寒くなりましたので、私も今日はおでんを仕込んでまいりました。おでんはいまやコンビニでも気軽に買うこともできる、日本国民にとって冬の定番メニューのひとつ。でも実は、味つけや具材に地域差がありますね。

 

おでんのルーツは室町時代に流行した「豆腐田楽」。その後、江戸時代にはファストフードとして江戸庶民に愛され、やがて煮込みおでんへと進化。さらに屋台や居酒屋で食べる料理から家庭で食べる料理へと変化し、おでんは現代の定番料理へ。時代とともに進化を遂げてきました。

 

おでんの語源は、拍子木型に切った豆腐に竹串を打って焼いた「田楽」だそうで、この「田楽」の女房言葉と言われています。女房言葉とは、宮中などに仕える女房が使用した隠語で、田楽に「お」をつけて丁寧にし、楽を省略して「おでん」となったようです。

豆腐を串に刺して焼き、辛みそをつけた「焼き田楽」、こんにゃくを串に刺し、みそをつけて食べる「こんにゃく田楽」が人気料理となります。そして明治期には汁気が多いおでんに進化し、それが大正期に関西に伝わったようです。東京の料理人によって大阪に持ち込まれた煮込みおでんは、みそだれのおでん(田楽)と区別して「関東煮」(かんとうだき、かんとだき)と呼ばれました。

 

味つけにしてもおでん種にしても変化の少ないと思われがちな「おでん」ですが、おなじみの具から変わり種まで、さまざまな食材の味を楽しめますね。

おでんの具材の定番といえば何を思い浮かべるでしょう。「大根」「たまご」「牛すじ」「はんぺん」などの練り物でしょうか。定番以外で、私がお気に入りなのは「玉ねぎ」と「卵焼き」です。

玉ねぎは丸ごと具にします。皮をむいてへたを落とし、十字に切込みを入れた玉ねぎをレンジで加熱した後、おでんのだしを別の鍋にとり、煮込みます。柔らかくなったら他の具材とともに味を浸み込ませれば完成です。「卵焼き」は煮卵が苦手だからという理由ですが、だしが浸み込んでふわふわでおいしいですよ。

 

一般的なおでんは、鰹節や昆布でとった出汁をベースに味付けされますが、名古屋のおでんは一味違います。名古屋グルメと言えば味噌をふんだんに使用した料理が有名ですが、なんとおでんも味噌ベース。味噌をベースに甘めの出汁で煮込まれた「味噌おでん」は、別名「味噌どて」とも呼ばれており、名古屋だけではなく愛知県全域で愛されています。

「味噌おでん」は本来、大阪を中心に食べられていた牛すじ煮込みである「どて焼き」が変化し、現在の形になったと考えられています。その説を裏付けるように名古屋で「どて焼き」は「どて煮」と呼ばれ、それぞれ区別されていますが、基本的な味付けは同じ。提供するお店によっては「味噌おでん」も「どて煮」も区別していない場合もあるようですね。

 

味の浸みこんだ「おでん」をあてに一本つけたくなりました。ではでは、また。

 

 

Hello everyone. This is Staff T.

The mornings and evenings are getting colder, and winter is finally here. I would like to enjoy autumn a little more, but the season doesn’t wait for me. So, I have started to prepare for winter.

 

 

 

The cold season makes me want to eat warm oden. It has gotten much colder in the past few days, so I prepared some oden today. Oden is now one of the staple winter dishes for the Japanese people, and can be easily purchased at convenience stores. But in fact, there are regional differences in seasoning and ingredients.

 

Oden has its roots in “tofu dengaku,” which became popular in the Muromachi period (1333-1573). Later, during the Edo period, it was loved by the Edo common people as a fast food, and eventually evolved into stewed oden. Oden has further evolved from a food served at yatai (food stalls) and izakaya (Japanese style pubs) to a home-style dish, and has become a staple of today’s cuisine. Oden has evolved with the times.

 

The word “oden” is said to have originated from “dengaku,” which is tofu cut in the shape of a spur and grilled on a bamboo skewer, and is said to be a wives’ language. Wives’ language was a cloak used by wives serving in the imperial court, etc. It seems that “dengaku” was made polite by adding “o” and omitting “raku” to become “oden” (oden).

Yaki-dengaku” (grilled tofu skewered and grilled with spicy miso) and “konnyaku-dengaku” (konnyaku skewered with konnyaku and dipped in miso) became popular dishes. In the Meiji period (1868-1912), oden evolved into oden with a lot of liquid, which was introduced to the Kansai region in the Taisho period (1912-1926). Stewed oden brought to Osaka by Tokyo chefs was called “Kanto ni-ni” (kanto daki or kanto daki) to distinguish it from oden (dengaku) with miso broth.

 

Oden is often thought of as having little variation in terms of seasoning or oden type, but you can enjoy the flavors of a wide variety of ingredients, from familiar ingredients to oddball varieties.

What do you think of the standard ingredients for oden? Daikon radish, eggs, beef tendon, and fish paste such as hamburger patties are probably what come to mind. My favorites are “onion” and “omelette”.

Whole onions are used as a garnish. Peel the onion, remove the stem, and heat the onion in a microwave oven with a cross-shaped slit. Once softened, let the onion and other ingredients soak up the flavors and the dish is complete. The reason for the omelet is because I don’t like boiled eggs, but the broth soaks into the oden and makes it fluffy and delicious.

 

Oden is usually seasoned with soup stock made from dried bonito flakes and kelp, but Nagoya’s oden is different. Nagoya is famous for its gourmet cuisine that uses a lot of miso (soybean paste), and oden is also miso-based. Miso oden, also known as “miso dote,” is a dish made with miso-based sweet soup stock, and is loved not only in Nagoya, but throughout Aichi Prefecture.

It is believed that “Miso Oden” was originally called “Doteyaki,” which is a stewed beef tenderloin eaten mainly in Osaka, and that it was transformed into its current form. This theory is supported by the fact that “Doteyaki” is called “Dote-ni” in Nagoya, and they are distinct from each other, but the basic seasoning is the same. Some restaurants do not distinguish between “miso oden” and “dote-ni” either.

 

I feel like putting on a bottle of “oden” soaked in flavor. See you later.

 

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