9月, 2023 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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FROMKYOTOOSAKA

花にご縁のある週でした(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.16

皆さまこんにちは。スタッフHです。

例年ですと9月の3連休は秋の風を感じ始め、絶好の行楽日和だと思うのですが、今年は事情が違うようです。皆さまくれぐれも体調に気をつけてお過ごしください。

 

今週はお花に縁のある週になりました。

一つはチケットを頂き、生け花の展覧会に行く機会があったこと。そしてもう一つはお祝い事があり、久しぶりに花束を贈ったことです。お花は見ているだけで気分が華やぎます。

生け花の展覧会。伝統的なものから斬新なものまで多種多様で、楽しませていただきました。花器との一体感が印象的です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花束の方は近所で気になるお花屋さんがあったので前日に相談に行き、花を選んでいただきました。オレンジの花はなんと向日葵(ひまわり)だそうです。向日葵は現在100種類以上あるとか。当日引き取りに行くと、とても素敵な花束が用意されていました。

 

 

 

 

細長く伸びているのは「トラノオ」という花で、当日に追加されていました。花言葉は(永久)や(不滅)で、結婚や長寿のお祝いとして人気だそうです。

 

以前フラワーアレンジメントの体験レッスンを受けた時、どの角度から見ても美しく、そして隙間なく埋めていくよう教えていただきました。それが案外難しかったのを覚えています。

その頃生け花を少しかじっていたので混乱したのかもしれません。華道では「正面を意識して少ない花材で、そこに新しい空間を作るように」と指導されます。

どちらのお花も好きなのですが、何が違うのだろうとふと考えました。

 

私の個人的なイメージですが…。西洋のアレンジメントは、生ける時に花自体に意識が向き、花がいかに美しく綺麗に見えるかに集中している気がします。花の表情を見ながら次々と足していく感じでしょうか。

華道では花というより生けている自分と花器の周りの小さな空間に意識が向いている気がします。そして少ない花材を1本1本ゆっくり時間をかけて生けていきます。先生が手直してをしてくださる時、たった1本をほんの少し向きを変えたり移動させたりだけで、空間が激変しました。先生の手から何か出ているのではと思うほど空気の流れが変わるのです。

フラワーアティストの假屋崎省吾さんのお花はこの2種類の花の世界が絶妙にミックスされていると勝手に思っています。

 

以前スタッフYもブログでつぶやいておりましたが、残念ながら花は人間を喜ばせるために美しく咲いているのではなく、花を色づかせて虫を呼び寄せ、種を存続させるために色とりどりに進化してきました。

こちらがどんなに見つめても我関せずといったつれない雰囲気に勝手に癒され、励まされ幸せな気分になります。

本当は言葉が少ない方が人の心に届くのかもしれませんね。

 

 

 

 

それでは、またお会いしましょう。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Usually, we start to feel the autumn winds during the three-day weekend in September, which I think is the perfect day for an excursion, but this year seems to be different. Please take care of your health.

This week has been a week of flowers.

One is that I received a ticket and had a chance to visit an ikebana exhibition. The other is that I had a celebration and sent a bouquet of flowers for the first time in a long time. Just looking at flowers makes me feel happy.

An exhibition of ikebana. I was entertained by a wide variety of traditional and innovative flower arrangements. The sense of unity with the vase is impressive.

 

For the bouquet, there was a florist in the neighborhood that I was interested in, so I went to consult with him the day before and he selected the flowers for me. The orange flowers were sunflowers. There are currently more than 100 varieties of sunflowers. When I went to pick up the flowers on the day of the event, a very nice bouquet was prepared.

The long and slender “Toranowo” flowers were added on the same day. The language of flowers is (everlasting) and (immortal), and they are popular as congratulations for marriage and longevity.

 

When I took a trial flower arrangement lesson before, I was taught to make sure that the flower arrangement was beautiful from all angles and filled in without gaps. I remember it was surprisingly difficult.

Perhaps I was confused because I had dabbled a little in ikebana at the time. In flower arrangement, we are taught to be conscious of the front and to create a new space there with fewer flowers.

I like both types of flowers, but I suddenly wondered what the difference was.

 

This is my personal image…. I feel that in Western arrangements, the focus is on the flowers themselves when arranging them, concentrating on how beautiful and lovely they look. I guess it is like adding one flower after another while looking at the expression of the flower.

In flower arrangement, I feel that I am more conscious of myself and the small space around the vase than of the flowers. I take my time to bring each flower to life, one by one, with the few materials I have. When the teacher was rearranging the flowers, the space changed drastically with just a slight change in the direction or movement of just one flower. The air flow changed so much that I thought something was coming out of her hands.

I think Shogo KARIYAZAKI’s flowers with Flower Attis are an exquisite mix of these two flower worlds.

 

As Staff Y once tweeted on his blog, unfortunately, flowers do not bloom beautifully to please humans, but have evolved in a variety of colors to attract insects and keep the seeds alive by making the flowers colorful.

No matter how much I stare at them, I am healed, encouraged, and happy by their unassuming atmosphere.

In truth, perhaps it is the few words that reach people’s hearts.

 

I hope to see you again.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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三田青磁の小皿を手にしてみました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.14

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

まあまあ長くこちらのスタッフをやっておりますが、あらためて骨董古美術の世界はほんとうに奥が深いと日々痛感しております。日々勉強や知識をいれようと頑張ってはおりますが、まだまだ自分の知らないものや知識に出会い「へーーっ、知らなかった。」と呟く毎日ですが、骨董や古美術品に引き込まれるってこういうことなのでしょうか、本当に面白さが尽きることなく好奇心をくすぐります。

 

今日、私の好奇心をくすぐってきましたのは

 

「三田青磁」

 

もちろんお目にかかるのは初めてです。恥ずかしながら知らなかったのですが、三田青磁は中国龍泉青磁、韓国高麗青磁と並び世界三大青磁の一つとも称されることがあります。

 

主に江戸時代後期(1799年)から生産が始まり、昭和の初期頃までは多く見かけましたが、江戸時代に三田市の「志手原」「三輪」「虫尾」の窯にて製造されていた三田焼のなかでも、青磁の原石が見つかったことで生産が始まったとされています。

内田忠兵衛によって発見され、その後、豪商の神田惣兵衛の支援によって三田青磁に数々の名品が生まれていき、国内のみならず、三田陶磁会社によって輸出なども積極的に行われたのですが、残念ながら昭和10年には生産が終わってしまったようですね。

 

 

ここで少し復習なのですが、青磁とは「表面を覆っているガラス」のことでして、釉薬(ゆうやく)にも種類がたくさんあるようでして、日本のみならず世界中でさまざまな焼き物文化が伝えられております。

 

今でこそ難しいものではないようですが、登場したばかりの頃は青磁は難易度も高く取り扱いにくいものだったようです。そのため原料を見て吟味する職人の目が必要だったとのこと。三田青磁は独特の透明感美しい発色もあり、中国の青磁と同じくらいレベルの高いものとして評価されるようになるのですがこれは当時の釉薬の質が高かったことが関係しているのでしょうか。

 

そんな青磁、長年質の良い青磁が中国から数多く日本に流入していましたが、しばらくすると輸入しなくなるようなります。それもそのはず輸入されなくなる頃にはすでに三田青磁として完成し、中国の青磁と見分けがつかないほどのレベルの高い青磁が作られるようになったのこともあるようですが、衣装的には中国のものとは違いはあり日本的な要要素を取り入れていたりしているようです。

 

この小皿も薄っすらと亀甲模様をほどこしているのですが、たしかにこの細かさは日本的な細かなクオリティだなと思えてきます。また、磁器は陶器よりも割れにくい性質を持っているからでしょうか、汚れがほとんど見当たりませんねので、割れさえしなければそのままの姿で維持できるのも三田青磁などの焼き物の素晴らしい点ともいえますね。

 

そんな青磁の歴史ですが、日本ではもともと平安時代に青磁の文化が認識されるようになりました。当時はもちろん国内ではなく中国から輸入したものが最も質の高いトップブランドが主流で、他にも韓国の高麗青磁なども知名度が高く知られてきます。

 

実は、青磁が最初に日本で焼かれたのは、17世紀初頭の肥前鍋島(現在の佐賀県)、やはり青磁石の採掘地でもありました。その後、別の青磁石が三田でも採掘されどうにか焼けないかと考え、当時殿様にも進言しても興味を持ってもらえず、神田惣兵衛を中心に動き、京都から優秀な陶工「欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)」を招きいれ「三輪明神窯」にて作り焼くことになったのが三田青磁の始まりのようです。

 

その三田青磁の仕上がりのレベルが高かったこともあり「中国のものと見間違うほど」と評判に。日本全国に広がると大阪や江戸にも青磁販売所ができ徐々に流通が拡大。三田青磁は「世界三大青磁」と言われるようになるのですが、中国や朝鮮の青磁とは違って、すさまじい速さでここまでのクオリティとブランドに育ったことは、他国の青磁とは大いに違うところですね。

 

そんな三田青磁のクオリティの特徴といいますと、一般的な焼き物といえば釉薬(ゆうやく)を1度かけて仕上げをしていくのですが、この三田青磁はその断面からも4回かけて作られていることがわかります。この独特の製法を使っていることで、奥深さも感じられ、自然な奥行きが出てくるよう。もともと釉薬は透明ではあるのですが、微量に鉄分が入っているものや職人の焼き方によってでしょうか、それぞれを塗り重ねるごとに違った色味になり、艶のある仕上がりになっています。どちらかというと淡いやわらかい色彩といった印象です。

 

また、釉薬の塗り方によってもそれぞでが変わってくるなど、とても繊細なもので、この小皿もそれぞれ手に取ると均一ではなく部分的に薄くなっていたりして違う厚みがグラデーションのように見えてきます。それがまたそれぞれ個性的な青磁の奥深さなどを見せてくれます。

 

一般的な青磁のあのガラスの釉薬のひやっとした印象をイメージとは一味違うこの三田青磁。手に取っているとわかるのですが、ひとつひとつ丁寧に作った職人が、それぞれの個性豊かな艶を生み出しているなと伝わるちょっと暖かい青磁でありました。

 

機会がございましたら、一度是非、手に取ってみてください。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

I have been a staff member here for quite a long time, and I am keenly aware of how deep the world of antiques and antiques art really is. Although I try my best to study and gain knowledge every day, I still encounter things and knowledge that I do not know and mutter to myself, “Wow, I didn’t know that. I am still trying to learn and gain knowledge every day, but every day I come across things and knowledge that I do not know. I wonder if this is what it means to be drawn to antiques and antiquities, which really tickle my curiosity without end.

 

Today, my curiosity was piqued by

Sanda celadon porcelain.

 

Of course, this is the first time for me to see it. I am ashamed to admit that I did not know this, but Mita celadon is sometimes referred to as one of the world’s three major celadon wares, along with Chinese Longquan celadon and Korean Goryeo celadon.

 

Production mainly began in the late Edo period (1799) and was seen in large numbers until the early Showa period (1926-1989). It is said that production began when the original celadon stones were found among the Sanda ware produced in the Shidehara, Miwa, and Mushio kilns in Sanda City in the Edo period.

The discovery was made by Chubei Uchida, and later, with the support of the wealthy merchant Sohei Kanda, numerous masterpieces of Sanda celadon were produced, which were actively exported not only domestically but also by the Sanda Ceramic Company.

 

There are many types of glazes, and various pottery cultures have been handed down not only in Japan but also around the world.

 

Celadon glaze is not so difficult to make nowadays, but when it first appeared, celadon was very difficult to make and handle. Therefore, it required a craftsman’s eye to look at and examine the raw materials. Sanda celadon porcelain, with its unique transparency and beautiful coloring, came to be regarded as a high level of quality as Chinese celadon porcelain, which may be related to the high quality of glaze at that time.

 

For many years, many high-quality celadon wares flowed into Japan from China, but after a while, the importation of such wares stopped. However, there are some differences between Chinese celadon and Japanese celadon in terms of costume, and some Japanese elements have been incorporated into the Chinese celadon.

 

This small dish also has a thin tortoiseshell pattern, which is indeed a very fine Japanese quality. Porcelain is more resistant to cracking than ceramics, and there is almost no stain on the porcelain, so as long as the porcelain is not broken, it can be maintained in its original form, which is another wonderful point of Sanda celadon ware.

 

The history of celadon porcelain in Japan can be traced back to the Heian period (794-1192), when the culture of celadon porcelain was recognized. At that time, of course, the most high-quality top brands were imported from China, not domestically, and other well-known and well-known brands such as Koryo celadon from Korea.

 

In fact, celadon was first produced in Japan in the early 17th century in Hizen Nabeshima (present-day Saga Prefecture), which was also a place where celadonite was mined. Later, another type of celadon stone was mined in Sanda, and the local lord was not interested, so Kanda Sohei took the initiative and invited Kinkodo Kamesuke, an excellent potter from Kyoto, to make and bake celadon at the Miwa Myojin Kiln. This was the beginning of Sanda celadon porcelain.

 

The high level of finish of Sanda celadon porcelain was so high that it was mistaken for Chinese porcelain, and the reputation of Sanda celadon porcelain spread throughout Japan and spread to Osaka and Edo (now Tokyo). As Sanda celadon spread throughout Japan, celadon sales offices were established in Osaka and Edo (now Tokyo), and distribution gradually expanded. Mita celadon became known as one of the “world’s three major celadon porcelains.” Unlike celadon from China and Korea, Mita celadon has grown to such a high quality and brand in a tremendous speed, which is a great difference from celadon from other countries.

 

The quality of Mita celadon porcelain is characterized by the fact that it is generally glazed and finished once, but this Mita celadon porcelain is made four times, as can be seen from its cross section. The use of this unique process gives the piece a sense of depth and natural profundity. The glaze is transparent to begin with, but each coat gives a different color and glossy finish, perhaps due to the trace amount of iron in the glaze or the way the craftsman fired it. The coloring is rather pale and soft.

The glaze is also very delicate and varies depending on how it is applied, and when you pick up each of these small dishes, you can see a gradation of different thicknesses. This also shows the depth of each unique celadon.

 

This Mita celadon dish is different from the usual celadon dish with a glass glaze that gives a cold impression. As you can see when you hold it in your hand, it is a slightly warm celadon that conveys that the craftsmen who carefully made each piece have created their own unique glaze.

 

If you have a chance, why don’t you pick one up?

Good bye.

 

 

 

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半田市のお客様より買受いたしました。(名古屋市千種区姫路通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.12

 

 

愛知県半田市のお客様より、仏像、茶道具、茶箪笥、リトグラフ等多数買受いたしました。

建て替えに伴う買取でございました。

長年大切にしておりました御品をお譲りくださいまして、誠にありがとうございました。

 

また何かございましたら古美術風光舎をよろしくお願い申し上げます。

 

 

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20世紀の天才の作品にふれてみました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.12

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

いきなりですが、本日はラリックの初期の作品を鑑賞しております。

モチーフはわんちゃん。いいいですね。わんちゃんが追いかけっこしており、ガラスの中を只今ずーっと眺めております。

 

皆様あこがれの「ルネ・ラリック」(1860-1945)ですが、そのはじまりはジュエラーだったようです。最初のアトリエを開いた1885年だといわれて、後の1905年ヴァンドーム広場に店を開き、1913年にはガラス工房を買い取るなど様々な活動を行った憧れのラリック作品。

 

ですが、現在はガラス工芸作家としてのイメージが強く見られているラリックも始まりは宝飾職人としての活動だったようです。先日訪れた元絵描きだったディオールや、もっとすごいところですと画家、解剖学、天体学、飛行航空工学…などなどの元祖天才レオナルドなどやもそうだったのですが、天才とは様々な分野の垣根を軽々と越えてくる人と個人的には定義付けているのですが、ラリックもどうやらジュエラーからガラスへなんなく垣根を超えた天才には間違いないですね。

 

そんなラリックの天才の軌跡は1876年、父親の死後16歳のラリックはパリの宝飾職人「ルイ・オーコック」の店で見習いとして働き始めたところからはじまります。
同時に夜間は装飾美術学校「エコール・デ・アーツ・デコラティフ」、1978年18歳の時にロンドンに渡り「サイデナム・カレッジ」で2年間教育を受け、宝飾品などの基礎を学び、1880年にはパリに戻り、宝飾職人だけではなくデザイナーとしても活動を始め、多くのジュエリーを宝石店へ提供していたそうです。

「オーコック」、「ジャクタ」、「カルティエ」、「ブシュロン」、「ヴェヴェール」などの宝石店とも取引があったそうですので、このあたりから天才の片鱗が見え隠れしはじめていますよね。ですが、その当時のラリックのデザインは、伝統的な控えめなものだったそうで、このわんちゃんのガラスの器からはちょっとイメージがかけ離れております。

 

そして1885年には、デザインを納めていた ガイヨン広場にある宝石商「ジュールデステープ」 からアトリエを買い取、その後の1910年頃までの期間が、宝飾職人、デザイナーとしての絶頂期だったと言われています。数々のコンテストに出品をして優勝を果たし、1900年のパリ万博でも多くの人気を集め、高い評価を築いていきました。

また、パリで有名な舞台女優「サラ・ベルナール」のためにジュエリーを製作するなど、当時のジュエリースタイルに革命をもたらし「今までに見たことのないものを作りたい」という彼の活動から「現代のジュエリーの発明者」として称賛されていたそうです。
更に同年、ラリックはフランスの「レジオンドヌール勲章」の役員にも任命され、ジュエリー界では頂点を極めたのでしょうか。ラリックは次第にガラス工芸への関心が深まり、香水店の「フランソワ・コティ」から香水瓶の注文を受けたことから本格的に活動がガラスへと変わっていったようです。

 

その頃にはラリックのジュエリーは非常に珍しく異色なデザインなものと印象付けられ、デザインの発想力と奇抜さそしてそのアイデアをジュエリーとして形にするための素材選び、更に製作時の加工技術も極めたと言います。デザインは、女性の顔や身体、自然界の植物や昆虫、動物などを取り入れたもので神秘的なものから一見グロテスクな奇抜なものまで独創的なものが多くなり、ジュエリーとしては考え難いデザインなのですが全て見事にジュエリーとして形にして表現されいますが、ジュエリーだけでは、自分の表現したいことがおさまらなくなってきたのでしょうね。

 

そんな中ラリックは、こうした独創性に溢れた作品に仕上げるために、素材選びにも斬新な発想をいれていきます。使用していた素材には、動物の骨、象牙、ガラス、七宝、オパール、バロックパールなどがあり、金の板の打ち出しや硫化して黒くなった銀など特殊な加工の地金にダイヤモンドや色石を要いてつくっていたそうで、素材の価値よりもデザインのフォルムを重視し、表現する為に適したものを選んでいたことがよくわかります。そんな流れからも1900年頃からラリックがジュエリーではなくガラス工芸に興味を見せ始めたことは自然の流れだったのでしょうか。ジュエリーを製作する際にガラスを宝石の一種として使用していましたが、次第にガラスのみを使ったジュエリーが増えていきます。

 

1910年前後になると、ガラス工芸の興味は急速に増していき、表面を化学処理によって色付けたガラス(パティナ)や、蛇、魚、鳥の形に鋳込んだ色ガラス、裏面からインタリオ状に絵を彫った板ガラスなど様々な加工ガラスを使ったジュエリーを生み出していきます。そして1905年には「ルネ・ラリック」はヴァンドーム広場24番地に店を開業しますが、そこにはジュエリーだけではなく、これまでにアトリエで製作されてきたガラス製品も展示されていたそう。

 

当時同じヴァンドーム広場に店を構えていた調香師の「フランソワ・コティ」は、ルネ・ラリックのデザインに非常に感銘を受けていたそうでして、ラリックの才能を香水業界で生かせるようにと香水瓶の製作を依頼。
このコラボレーションにより香水業界にも革命が起こり、珍しく魅力的な香水瓶に入った香水を人々が手に入れやすい価格で提供することが初めて可能になったとのことです。その後1912年、ラリックはガラス作品だけの展示会を開きはじめ、ジュエリーを製作することを辞めガラス工芸にのめり込みはじめます。

その後の香水瓶を始め、壺や置物、列車や建築物の内装装飾など幅広く生み出した彼の作品は皆さんご存じのことでしょう。

 

1945年、ルネ・ラリックの死去しますが、息子のマークが事業の責任者を引き継ぎ、現在でもあのマークによって「ラリック」は更にガラスの時代へと進んでいき大きな成功を遂げております。

 

やはり、天才とは様々な分野の垣根を軽々と越えてくる人でした。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

I know this is sudden, but today we are looking at Lalique’s early works.
The motif is a dog. It is nice. The dog is chasing after her, and we are looking at the inside of the glass all the time.

René Lalique (1860-1945), who is admired by everyone, started out as a jeweler. He is said to have opened his first atelier in 1885, and later opened a store on Place Vendôme in 1905, and in 1913 he purchased a glass studio.

However, Lalique, who is now strongly seen as a glass craft artist, seems to have started out as a jewelry craftsman. I personally define a genius as a person who easily transcends the boundaries of various fields, as was the case with Dior, a former painter I visited the other day, and Leonardo, the original genius of painting, anatomy, astronomy, aeronautical engineering, etc., etc, Lalique is no doubt a genius who has easily transcended the boundaries between jewelry and glass.

Lalique’s genius began in 1876, when, after the death of his father, the 16-year-old Lalique began working as an apprentice in the store of Louis Aucocq, a jeweler in Paris.
At the same time, he attended the “Ecole des Arts Décoratifs” at night, and in 1978, at the age of 18, he moved to London to attend “Sydenham College” for two years to learn the basics of jewelry and other crafts. In 1880, he returned to Paris and began working not only as a jeweler but also as a designer, supplying jewelers with many pieces of jewelry.
He had business dealings with jewelers such as Aucocq, Jacta, Cartier, Boucheron, and Veveyre, so we can see glimpses of his genius from this point on. However, Lalique’s designs at that time were traditional and modest, which is a bit far from the image of this doggy’s glassware.

In 1885, Lalique purchased the atelier from the jeweler Jules d’Estaupe in Place Gaillon, where he had been delivering his designs, and the period from then until around 1910 is said to have been his peak as a jewelry craftsman and designer. He entered and won numerous contests, and was very popular at the Paris Exposition of 1900, where he built a strong reputation.
He also revolutionized the jewelry style of the time by creating jewelry for the famous Parisian stage actress “Sarah Bernhardt,” and was praised as the “inventor of modern jewelry” for his “desire to create something that has never been seen before.
Furthermore, in the same year, Lalique was appointed as an officer of the French “Legion of Honor,” perhaps the pinnacle of the jewelry world. Lalique’s interest in glass art gradually deepened, and it seems that his activities turned to glass in earnest when he received an order for perfume bottles from “François Coty,” a perfume store.

 

Lalique’s jewelry was considered to be very rare and unusual, and he was able to master the conception and eccentricity of his designs, the selection of materials to give form to his ideas, and the processing techniques used in the production of his jewelry. The designs are often original, ranging from the mysterious to the seemingly grotesque and eccentric, incorporating a woman’s face and body, plants, insects, and animals from the natural world, and although these designs are difficult to imagine as jewelry, they are all beautifully expressed in the form of jewelry, but not only jewelry, However, it seems that what Lalique wants to express is no longer contained in jewelry alone.

In order to create such originality, Lalique also used innovative ideas in the selection of materials. The materials he used included animal bone, ivory, glass, cloisonne, opal, and baroque pearls, and he also used diamonds and colored stones on specially processed base metals such as hammered gold plate and sulfurized blackened silver. It is clear that the form of the design was more important than the value of the material, and that the most suitable material was chosen to express the design. It was natural that Lalique began to show interest in glass craft rather than jewelry around 1900. Glass was used as a type of jewelry when making jewelry, but gradually more and more jewelry was made using only glass.

Around 1910, interest in glasswork rapidly increased, and jewelry made with various types of processed glass, such as glass whose surface was colored by chemical treatment (patina), colored glass cast into the shapes of snakes, fish, and birds, and plate glass with intaglio-shaped pictures engraved from the backside, were created. In 1905, René Lalique opened a store at 24 Place Vendôme, where he displayed not only jewelry but also glassware that had been made in his atelier.

François Coty, a perfumer who also had a store at Place Vendôme at the time, was very impressed with René Lalique’s designs and asked him to create perfume bottles so that Lalique’s talent could be put to use in the perfume industry.
This collaboration revolutionized the perfume industry, making it possible for the first time to offer perfumes in unusual and attractive perfume bottles at prices people could afford. Later, in 1912, Lalique began exhibiting only his glass works and quit making jewelry to devote himself to glass art.
He quit making jewelry and began to devote himself to glass art, which he continued to produce extensively, including perfume bottles, vases, figurines, and interior decorations for trains and architectural structures.

In 1945, René Lalique died, but his son Marc took over as head of the business, and to this day, Marc continues to be very successful as Lalique moves further into the age of glass.

After all, a genius is a person who easily crosses the boundaries of various fields.

Good day to you all.

 

 

 

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和洋折衷の美しさとお香の香り(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.10

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

昨晩久しぶりにエアコンを付けずに寝ました。外からの風が気持ちよく、いつもより熟睡できた気がします。しかしまだまだ油断せず暑さ対策を怠らないよう気を引き締めております。

 

先日友人宅を訪問した際、近所に茶室がある素敵な美術館があるよと教えてもらい、少し覗いてみました。桑山美術館という住宅街にひっそり佇む落ち着いた美術館でした。

 

 

 

 

知多出身の実業家・桑山清一が永年に渡り収集した美術品/工芸品/茶道具を広く、多くの一般の方々に鑑賞してもらい、地域の文化向上に寄与することを願って設立された私設美術館です。

本館の外観は近代の洋館をイメージした現代建築といった趣きですが、庭は草庵茶室‘青山’を中心とした回遊式日本庭園で、この和洋折衷の雰囲気が何ともいえず居心地がいいのです。

茶室へ続く門の合間からも洋館がのぞいています。

 

 

 

 

 

椿/桜/牡丹/つつじなど、春に見頃を迎える花が植えられ、紅葉も多いのできっと秋には見事な景色になるのでしょう。

茶室で印象的だったのは、腰掛待合から中門へかけての壁や庇(ひさし)のカーブ。壁は竹で覆われており、まるで西洋の神殿の柱にも見えました。やはりここも和洋折衷を意識しているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

茶室内も障子を開けて拝見することができました。開けた途端、お香の良い香りがしました。

茶道では手前を行う前に香を焚いて空間を清めるとともに、香りをつけるためにお香を用います。

正式な茶席ではお茶を点てる前に炉や風炉に炭をくべる「炭点前」が行われますが、この炭点前の時に香を焚きます。現在の茶席では炭点前が省略されることも多く、茶室にて床の間を拝見した際に香合が飾られている場合「炭点前を省略します。」という意味になるそうです。

炭に乗せる前の香木などを入れている容器が香合ですが、茶道具のなかで種類が豊富で、その形状や素材は多岐にわたります。

炭点前の際のお香について知らないことが多かったので調べてみました。

 

お香にはいくつも種類があり、直接火をつけるタイプのお香が一般的に親しまれていますが、茶道では火を付けず熱灰の上に置き間接的に熱を加えることで茶室にやわらかな香りをそえてお客様をお迎えします。

使用するお香の種類は炉と風炉の季節により異なります。それに伴い「香合」も使い分けるそうです。

5月から10月の風炉の季節は「白檀」や「沈香」などの香木を使用します。風炉の季節は木地製や漆器の香合を用います。

 

11月から4月の炉の季節は練香(ねりこう)を使用します。練香とは粉末にした香料に密や梅肉を加えて練り上げ、一定期間熟成させた丸い形状のお香です。練香は配合により香りが様々に変化するので、亭主の好みの香りを用いるようです。練香を入れるため、炉の季節は陶磁器・焼物の香合を用います。

 

貝類や金属製の香合は時期を選ばず使用できるとのこと。

香合を床の間に飾る時には下には紙釜敷を20~30枚ほど重ね四つ折りにしたものを敷きます。紅白・染紙・美濃紙など種類が豊富にあり、亭主は香合との組み合わせにより季節感や茶席にのテーマに合わせ趣向をこらします。

 

茶事の世界はトータルコーディネートに抜かりがないですね。

秋になり、涼しくなったら久しぶりに体験したくなりました。

 

 

 

 

それでは、またお会いしましょう。

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

Last night I slept without air conditioning for the first time in a while. The breeze from outside felt good, and I think I slept more soundly than usual. However, I am still trying to stay alert and take precautions against the heat.

 

When I visited a friend’s house the other day, she told me about a nice art museum with a tea ceremony room in the neighborhood, so I took a peek. I took a quick peek at the Kuwayama Museum of Art, a quiet art museum tucked away in a residential area.

It is a private art museum established by Seiichi Kuwayama, a businessman from Chita, in the hope that the art, crafts, and tea ceremony utensils he collected over the years will be widely appreciated by the general public and contribute to the cultural improvement of the area.

While the exterior of the main building is a modern Western-style building, the garden is a Japanese-style garden with a circular path around a hermitage teahouse called “Aoyama”.

The Western-style building peeks out from between the gates leading to the tea house.

The garden is planted with camellias, cherry blossoms, peonies, azaleas, and other flowers that are at their best in spring, and there are also many autumn leaves, so the scenery is sure to be spectacular in the fall.

What was impressive about the tea ceremony room was the curve of the wall and the eaves from the koshikake-waiting area to the middle gate. The walls were covered with bamboo and looked like the pillars of a Western temple. I wonder if the Japanese and Western style was also considered here.

We were also able to open the shoji to take a look inside the tea ceremony room. As soon as I opened the shoji, I could smell the fragrance of incense.

In the tea ceremony, incense is burned to purify the space and to add fragrance before the tea ceremony.

At formal tea ceremonies, before tea is served, charcoal is burned in a furnace or windmill, and incense is burned during this charcoal preparation. In today’s tea ceremony, charcoal preparation is often omitted. When you see the alcove in a tea room, if you see an incense container on display, it is said to mean “I will omit charcoal preparation.

The container that holds the fragrant wood before it is placed on the charcoal is called an incense container, and there are many types of incense containers among tea ceremony utensils, with a wide range of shapes and materials.

There are many different types of incense for charcoal preparation, so I did some research on this topic.

 

There are many types of incense, and while incense that is lit directly is generally popular, in the tea ceremony, incense is placed on hot ashes and heated indirectly to add a soft fragrance to the tea room and welcome guests.

The type of incense used depends on the season of the furnace and the wind furnace. The type of incense used depends on the season of the furnace and the fuso, and the “incense container” is used accordingly.

During the wind furnace season from May to October, incense wood such as sandalwood and agarwood is used. During the wind-burner season, wooden or lacquer incense containers are used.

During the furnace season from November to April, neriko (kneaded incense) is used. Neriko is a round form of incense that is made by kneading powdered fragrance with densely packed aroma powder or plum paste and allowing it to mature for a certain period of time. The fragrance of kneaded incense varies depending on the combination, so the owner of the house is likely to use the fragrance of his/her choice. In order to hold the kneaded incense, ceramic or pottery incense containers are used during the furnace season.

Shell or metal incense containers can be used regardless of the season.

Underneath the incense container, 20 to 30 sheets of paper kamashiki, folded four times, are placed. There are a wide variety of paper mats, such as red and white, dyed paper, and Mino paper, etc. The owner of the tea ceremony can choose the combination of the paper mat and the incense container to match the season and the theme of the tea ceremony.

 

The world of tea ceremonies is all about total coordination.

I would like to experience this for the first time in a long time when the weather turns cooler in the fall.

 

I hope to see you again soon.

 

 

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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白露の候、いかがお過ごしでしょうか。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.09

白露の候、夏のお疲れが出やすい時期となりましたが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

スタッフYでございます。

そういえば、昨年も呟いた気がするのですが暦の上では今年ですと9月8日(金)から9月22日(金)が「白露」といる時季であります。同じ時期に使える時候の挨拶としては“仲秋の候(ちゅうしゅうのこう)”“爽秋の候(そうしゅうのこう)”“清涼の候(せいりょうのこう)”“秋晴の候(あきばれのこう)”があるのですが、実際のところ台風一過により暑さがぶり返した地域も多いのではないでしょうか…。本日も「白露」とはほど遠い暑さの予感ですね。

白露とは、残暑は遠のき秋の気配が色濃くなっていく早朝などに草木の先や花に露(つゆ)が結び、白く光って見える…といった時季ですが、本日の自分は日傘をさして夏の洋服で出勤、お茶も冷たいままだし。なのに先日は某所でおせちの予約のチラシをもらったり、今朝のTVは栗蒸し羊羹を作っている映像が流れたりと、個人的な感想ですが9月は時候と気候が一番乖離しているな感じております。そして、夏の暑さや疲れを引きずりつつも、やっと心地よく活動できるなと次なる秋の計画や味覚の期待を馳せる、なんとも入り乱れた、一言で言えば落ち着かない季節だな…とも思います。

そんな中、一旦片付けものをしたりして落ち着いた暮らしにリセットしようと先日家の片付け始めたのですが、やはりまだ暑かったのでクローゼットや大きな物は断念。(暑さでちょっとくらっとした。)その日の体調もあるかと思いますが、家の中が大丈夫とは必ずしもいえないようですね。気を取り直して、クーラー至近距離のチェストの中の小さなものから始めることとしましたのですが、小さなものを掘り返してみますと(笑)結構な量の不要物がでてきました。いつも思うのですが、これだけ片づけただけでもよくこんなに入っていたものだなと感心致しますので、これから時候がよくなって大きなものを片付け始めたらどんなことになるのか、今はあまり考えないようにしておきましょう…。

このように片付けものを始めますと、つい夢中になって暑さや給水を忘れたりします。ほんとうに危ないな…と、実感致しましたので、お片付けを時候が良くなって始めようと計画されているかたもいらっしゃるかと思いますが、意識的に休憩や給水の時間をはさむくらいでちょうどよい気がいたしました。

白露の候、くれぐれもご注意くださいませ。それではごきげんよう。

 

 

 

 

 

The weather is getting colder and the summer fatigue is starting to show, I hope you are all doing well.

This is Staff Y.

 

By the way, as I think I mentioned last year, this year’s “Hakuro” or “white dew” season runs from September 8 (Fri.) to September 22 (Fri.) according to the calendar.

In fact, the typhoon has passed, and the heat may have returned to many areas…. Today, too, we have a feeling that the heat is far from “White Dew”.

 

The white dew is when dew forms on the tips of plants and flowers in the early morning as the lingering summer heat fades away and the first hints of autumn appear, leaving them glowing white. However, I went to work today under a parasol and in summer clothes, and my tea is still cold.

And while the heat and fatigue of summer are still lingering in the air, we are finally able to work comfortably, and we are looking forward to the next autumn plans and tastes.

 

In the midst of all this, I started tidying up the house the other day to reset my life to a more settled state, but it was still too hot, so I gave up on closets and large items (I was a bit dizzy from the heat). (I was a little dizzy from the heat…). I guess it depends on your physical condition that day, but it seems that the house is not always okay.

I decided to get myself together and start with the small items in the chest of drawers in close proximity to the cooler, but when I dug through the small items (lol), I found quite a bit of unwanted stuff. I am always amazed at how much stuff was in the chest, so I will try not to think too much about what will happen when the weather improves and I start cleaning out the big stuff.

 

When I start cleaning up like this, I get carried away and forget about the heat and water supply. I think some of you may be planning to start cleaning up when the weather improves, but I think it is just as well to take a conscious break and drink some water.

 

Please be careful in this season of white dew.

Have a good day.

 

 

 

 

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徳川家康夏期特別展の続編、本日のつぶやきは「花押」についてです。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.07

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

先日より徳川美術館の徳川家康夏期特別展のつぶやきをしております。(この美術館についての詳細は昨日のブログを覗いてみてください。)徳川家康そして尾張徳川家の収蔵品をたっぷり楽しむことが出来ましたが、展示の中には数多くの書状が展示されておりました。

 

それにしても有名な刃や茶碗や調度品などを拝見することは、とにかく一目瞭然のすばらしさが誰の目にもすぐに伝わってくるのですが、書状については内容についての注釈がついてはおりますが、内容がわからないことにはその価値すらわかるはずもなく。この書状がすらすらと読めたのなら歴史学者の磯田道史先生みたいにもっと歴史の面白さや推理が広がるのだろうな…と、いつも実感いたします。

 

ですが、そんな書状があまり読めない自分でもすぐにわかるのはこの「花押」。(「華押」とも書きますが、本日は「花押」とさせていただきます)いつもの浅い好奇心で家康の花押はどこからきているものかなとちょっと調べてみたのですが、大変興味深かったです。

 

花押は重要な文書や、誰かにあてた手紙や、自分が描いた作品など様々なシーンにいれる「署名」なのですが、日本に中国では自分のサインを絵のようにデザインした「花押」というサインが存在いたします。花押は見ての通り特殊な形状をしており、他人は一朝一夕で真似をすることは難しく、その花押は自分が書いたと承諾したことを証明する役割を果たします。

 

そして書状を受けとった相手は、花押があるかないかでその書状が送り主本人からの正式なものかどうかを判別でき、すでに手元にある正式な花押と比較し、異なっていれば偽物と判断するようです。いわば本人を装った偽の書状(なりすまし)の防止のためであるのですが、まったく初めてもらう相手の書状の真偽はどうなるんだ?とちょっと疑問が残りますが、それはちょっと置いておくとしましょう。

 

これは、先日拝見した書状の徳川家康の花押

 

 

 

単体ですとこのような花押でして、シンブルですが、堂々とした風格を感じます。

 

 

 

 

花押はお家で代々引き継がれるパターンがあるようでして、調べていただくと代々よく似ております。徳川家も調べますとよく似ているのですが、最後の15代将軍慶喜だけは一切無視のちょっと凝ったものちょっと気になりました笑。

 

これらの花押、調べるとかなり沼りそうだったのですが、大まかに羽柴秀吉(豊臣秀吉)の「悉」や、織田信長の花押の1つに麟(きりん)を文字を使うパターンと、伊達政宗の花押で鳥の鶺鴒(せきれい)などの動物などの絵を使うパターンとがあるようです。どちらにしても大切な自分の分身のような「署名」ですので、どの武将や偉い方も意味を深く考え、そして偽装されぬように考えて考えて作っていることは伝わります。

 

とすると、この徳川家康の花押は文字?絵?の、どのくずしパターンなのか?と気になったのですが、ちょっと調べましたところ今川義元の花押と似ておりまして、たぶん義元の「義」のくずし文字だとのこと。幼少期身今川義元のもとに身を寄せていたことを鑑みますと、ありよりのありですね。

 

 

今川義元の花押

 

こちらが、今川義元の花押ですが、徳川家康の花押はこちらをシンプルにしたような花押。そして、この花押の元の文字は「義」ではないかと言われておりますが、こちらもまた辿っていきますとやはり室町時代から武家の花押は足利将軍家の花押の流れに従っていたようでして(足利家の花押も「義」をくずているかんじです。)歴代の将軍家へのリスペクトやあこがれもこうやって代々引き継がれるものなのでしょうね。

 

 

こちらは、武田信玄の花押。

 

武田勝頼の花押。こちらも一族で似ています。

 

 

 

お付き合いありがとうございました…。ほんの一部の搔い摘んだつぶやきになってしまいましたが、書状を読むことはハードルが高いとして、花押はちょっと面白そうですしなんとか解読できそうですね。今後書状をみる際の楽しみになるかと思いますので、ご興味のございます方は「花押」是非、いろいろ調べてみてくださいませ。

 

それにしてもこの「花押」の沼、かなり深かったです。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Since the other day, I have been tweeting about the Tokugawa Art Museum’s Tokugawa Ieyasu Summer Special Exhibition. (For more information about this museum, please take a peek at yesterday’s blog.) ) We were able to enjoy a lot of the collection of Tokugawa Ieyasu and the Owari Tokugawa family, and among the exhibits were a number of letters.

 

While viewing famous blades, teacups, and furnishings, one can easily understand the beauty of the items at a glance, the letters are annotated, but without knowing the contents, there is no way to understand their value. I always felt that if I could read the letter easily, I would be able to enjoy history more and expand my reasoning, just like the historian Mr. Michifumi Isoda.

 

However, even I, who cannot read such a letter very well, can easily recognize this “hanaseki” (flower stamp). (It is also written as “hanaoshi,” but I will use “hanasei” today.) With my usual shallow curiosity, I did a little research to see where Ieyasu’s hanasei came from, and it was interesting again.

 

Hanaseki is a signature that is placed on various occasions such as important documents, letters to someone, or works of art that you have painted, etc. In Japan and China, there is a signature called hanaseki, which is a pictorial design of your signature. As you can see, the hanaoshi has a special shape that is difficult for others to imitate overnight, and the hanaoshi serves as proof that you wrote it and that you agree with it.

 

The presence or absence of the haseki enables the recipient of a letter to determine whether the letter is from the sender himself or herself, and to compare it with the official haseki he or she already has on hand. The purpose of this system is to prevent a fake letter (spoofing), so to speak, but what about the authenticity of a letter from someone who is receiving it for the first time? But what about the authenticity of a letter from a person who is completely new to the company?

 

This is a hanaseki of Tokugawa Ieyasu from a letter I saw the other day.

 

It is a thimble, but I feel it has an imposing dignity.

 

It seems that hanaseki are handed down from generation to generation in a family, and if you check, you will find that they are similar from generation to generation. The Tokugawa family also has a similar pattern, but only the 15th shogun, Yoshinobu Yoshinobu, ignored all of them, which is a little elaborate and a little interesting.

 

I was almost swamped when I looked into these hanaseki, but it seems that there are roughly two types of hanaseki: “shikirin” of Hashiba Hideyoshi (Toyotomi Hideyoshi), one of Oda Nobunaga’s hanaseki that uses the character for “in” (Kirin), and one of Date Masamune’s hanaseki that uses pictures of animals such as “sekigaki” (wagtails). It was very interesting to research the matter, but it can be understood that all the generals and great men thought deeply about the meaning of their signatures, which are like their own alter egos, and thoughtfully created them so that they could not be disguised.

 

Then, is this hanaseki of Tokugawa Ieyasu a character or a picture? A picture? I was curious as to which kuzushi pattern is used for this hanaseki. I was curious about this, but after a little research, I found that it is similar to the hanaseki of Yoshimoto Imagawa, and is probably a kuzushi character of “righteousness” of Yoshimoto. Considering the fact that he lived with Imagawa Yoshimoto from his childhood, it is more plausible than not.

 

Hanaseki of Imagawa Yoshimoto

 

This is the hanaseki of Yoshimoto Imagawa, and the hanaseki of Ieyasu Tokugawa is a simplified version of this hanaseki. It is said that the original character of this hanaseki is “義” (meaning “righteousness”), and if we trace back the Hanaseki, we find that the Hanaseki of the samurai family has been following the Hanaseki of the Ashikaga shoguns since the Muromachi period (the Ashikaga Hanaseki also uses “義”). ) It seems that the respect and longing for the shoguns of successive generations was also passed down from generation to generation in this way.

 

This is a hanaseki of Shingen Takeda.

 

This is a hanaseki of Katsuyori Takeda. This one is also similar in the family.

 

Thank you for your time. I have only scratched the surface of what is written in these letters, but if you are interested in reading these letters, please take a look at “hanaseki” and see if you can decipher them, If you are interested, please check out the “hanaseki” in various ways.

 

I am still in the depths of this “hanaseki” swamp.

 

Good bye.

 

 

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名古屋市千種区のお客様より再度買受いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.07

 

名古屋市千種区のお客様より、菊花石を多数買受いたしました。

再度の買受のご依頼誠にありがとうございました。

また何かございましたらお気軽に古美術風光舎へお尋ねくださいませ。

 

 

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国宝の「太刀 銘 長光 名物 津田遠江重久」を眺めてきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎) 

2023.09.06

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

今朝ですが、ここ名古屋市千種区近辺はちょうど通勤時間帯に激しいゲリラ豪雨でありました。いつもの通り車で通勤なのですがちょうど通勤途中の東山界隈で冠水に遭遇いたしまして、あれよあれよという間に道路の雨水か増水。まだ水の浅いであろう部分をなんとか車で走り抜けましたが、本当に怖かったです。よくTVなのでゲリラ豪雨による冠水をニュースで拝見した際に「一瞬の間に水が溢れて。」とインタビューで答えている方がおりますが、あれは本当ですね。雨水の増水はあっという間でありました。さらに車でしたので、閉じ込めなどの恐怖も一瞬よぎり、災害はいつ降りかかってくるかわからないとほんとに実感いたしました。この意識がぼやけぬように知識や備えについてはアンテナを張っておかねばといかと思った今朝でありました。

 

さあ、気を取り直して本日のブログといきましょう。

 

 

 

 

 

 

たしか今年の冒頭に、今年は大河ドラマが徳川家康だし、せっかく地元とということもあり徳川家康についてちょっと追っかけてみようかなと呟いた気がいたします。ドラマはちょうど羽柴(豊臣)秀吉が関白に任命されたあたりなのでまだまだ戦国の世は続いておりますので、まだ徳川の世はまだまだといったところですが。

 

そんな家康に沸いているここ名古屋で、徳川家康や尾張徳川家にちなんだ徳川美術館の「徳川家康特別展」へ、行って参りました。

 

家康の資料を中心に家康が亡き後尾張徳川家に贈られた駿府御分物(家康の遺品)を中心に、家康の人となりから政治、学問、茶道や香道、芸能などに焦点をあて、家康像を紐解いた大変見ごたえのある特別展でして、県外の観光の方かな?という方もいらっしゃるようでした。

 

この尾張徳川家の御品はなにが素晴らしいかと言いますと、戦後の多くの大名家お家解体の際にもこの美術館として保存したため外に流出することなく現在も状態の良くたくさん保存されているとのことでして。こちらの美術館にはよく足を運ぶのですが、私がまだ目にしていない収蔵品はまだまだありそうですが、今回はこちらの収蔵品の国宝 太刀 銘 長光を拝見することが出来ました。

 

と、いいましても太刀や刀本来の波紋や風景などの良さは正直なところど素人の私にはなかなかわからないものでして。ですが、太刀や刀はストーリーといいますか思いを馳せることによって、この刃は輝きを放つのでしょうか。その波紋や景色は私には何とも言えぬ深い漆黒の中にその光を放つ刃に見えました。この国宝長光のストーリーの印象が乗っかっているからかどうか分かりませんが、大変印象に残る太刀でありました。

 

この国宝長光、鎌倉時代後期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「長船長光」が作刀した太刀でして、ご存じの通り長光の刀剣は、その多くが国宝や重要文化財に指定されている古刀期を代表する名匠でもあります。

もともとは織田信長の愛刀でありましたが、明智光秀があの本能寺の変のあとに安土城から持ち出したと言われています。そのあと本能寺の変に尽くした褒美として、家老の津田遠江重久(つだとおとうみしげひさ)に与えたことから、「津田遠江長光」の名が付きます。しかし、明智光秀はそのあとほどなくして豊臣秀吉に滅ぼされたことは史実でして、津田遠江重久はしばらく放浪のときを過ごします。その後、彼は加賀国(現在の石川県南半部)前田家に仕えることになり、その際に本刀を前田利常(まえだとしつね)へ贈ったとされております。

 

のちに前田利常から5代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)へ献上され、尾張藩4代藩主徳川吉通が6代将軍徳川家宣より拝領。そして現在のこの愛知県名古屋市の徳川美術館が所有しこちらの美術館に現存する徳川家康由来の遺品のなかでも名だたる名刀。長いストーリを経てここに存在することに、きっと私だけではないと思うのですが、多くの方が熱い思いを馳せ、その刃を眺めておりました。

 

そんな徳川家康特別展、いろいろ面白かったので次回続編をお届けいたします。次回もどうぞお付き合いください!。

 

 

 

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

This morning, there was a heavy guerrilla downpour in the neighborhood of Chikusa-ku, Nagoya City, right around the time of my commute to work. As usual, I drove to work, but on the way to work, I encountered flooding in the Higashiyama area, and in no time at all, the water on the road was rising. I managed to drive through the part of the road where the water was still shallow, but it was really scary. I often see people on TV saying in interviews when they see flooding caused by guerrilla downpours on the news, “The water overflowed in an instant. This is true. It was true. The rising water from the rain was so fast. I was also in a car, so the fear of being trapped in a car was also a fearful thought, and I realized that you never know when a disaster will strike. This morning, I felt that I must keep my antennae up for knowledge and preparedness so that my awareness will not become blurred.

 

Now, let’s get back on track.

 

At the beginning of this year, I remember that this year’s Taiga Drama was about Tokugawa Ieyasu. I think I mentioned at the beginning of this year that I would like to follow Tokugawa Ieyasu, since he is a local resident. The drama is set around the time when Hideyoshi Hashiba (Toyotomi) was appointed as the Chief of the Warring States period, so the Warring States period is still going on.

 

In Nagoya, where Ieyasu is still very much alive, I visited the Tokugawa Ieyasu Special Exhibition at the Tokugawa Art Museum, which is related to Tokugawa Ieyasu and the Owari Tokugawa family. The exhibition was a very impressive one, focusing on Ieyasu’s personal history, politics, academics, tea ceremony, incense ceremony, and performing arts, and unraveling the image of Ieyasu, with a focus on Sunpu Gobunmono (Ieyasu’s belongings) presented to the Owari Tokugawa family after his death. Some visitors may have come from outside the prefecture.

 

The Owari Tokugawa family’s artifacts were preserved in this museum even during the postwar demolition of many feudal lords’ houses, so they have not been lost to the outside world and are still in good condition. I often visit this museum, and there are many more items in the collection that I have not yet seen, but this time I was able to see the National Treasure Nagamitsu Nagamitsu Tachi Sword.

 

I have to admit that it is not easy for me to appreciate the original beauty of swords, such as the ripples and the scenery. However, I was able to see how the blade shines when you think about the story of the sword or the sword. The ripples and scenery of the blade seemed to me to be a blade that radiated an indescribable deep jet-black light. I do not know if it is because of the impression of the story of this National Treasure Nagamitsu, but it is a sword that left a great impression on me.

 

As you know, many of Nagamitsu’s swords are designated as national treasures or important cultural properties, and he is a master swordsman representing the old sword age.

Originally, it was Oda Nobunaga’s favorite sword, but it is said that Akechi Mitsuhide took it out of Azuchi Castle after the Honnoji Incident. After that, he gave it to his retainer, Tsuda Toe Shigehisa (津田遠江長光), as a reward for his services in the Honnoji Incident, hence the name “Tsuda Toe Nagamitsu. However, it is a historical fact that Mitsuhide Akechi was destroyed by Hideyoshi Toyotomi shortly thereafter, and Shigehisa Tsuda Toe spent some time in wandering. Later, he came to serve the Maeda family in Kaga Province (present-day southern half of Ishikawa Prefecture), and it is said that he presented this sword to Maeda Toshitsune.

 

It was later presented by Maeda Toshitsune to the 5th shogun, Tokugawa Tsunayoshi, and received by the 4th lord of the Owari domain, Tokugawa Yoshimichi, from the 6th shogun, Tokugawa Ienobu. It is now owned by the Tokugawa Art Museum in Nagoya City, Aichi Prefecture, and is one of the most famous swords among the relics of Tokugawa Ieyasu that exist at the museum. I am sure that I am not the only one who was looking at the blade with passion for the fact that it exists here after such a long story.

The Tokugawa Ieyasu Special Exhibition was interesting in many ways, and I will bring you the sequel in the next issue.

 

Have a good day.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

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やはり心が洗われる場所です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.09.03

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

昨夜の男子バスケットボールW杯の試合、興奮しました。完全に‘にわか’ファンなのですが、3ポイントシュートというのはあんなに決まるものなのでしょうか。魔法のようにネットに吸い込まれていきました。まさに練習のたまものですね。

開催国枠として参加した東京オリンピックでの全敗など、これまで屈辱を味わってきた日本男子チームの物語が更に感動を増幅させました。パリオリンピックも楽しみです。

 

さて前回のブログの続きにお付き合いください。伊勢神宮に近づくにつれて上空に雨雲が発生し、駅に着いた頃には土砂降りに。引き返すわけにもいかずバスで内宮に向かうと、山に重くかかっていた雲が少しずつ消え、神々しく瑞々しい山が現れました。街なかとは別世界の景色に心が洗われました。

 

 

 

 

伊勢神宮の内宮では五十鈴川が御手洗場とされており、かつてはここで全身を清めたとも言われています。今も川のほとりまで行って手を洗うことが出来ますが、残念ながら雨のため濁流となっており手を入れることはできませんでした。しかし差し込んだ太陽の光に反射して、雨粒の一つ一つがきらきらと光る様子に一同しばらく見惚れてしまいました。

 

 

 

 

初めて参拝した友人たちも雨の伊勢神宮を堪能していました。やはり何か目に見えないものの存在を感じる場所です。

 

伊勢神宮では他の神社と違って控えた方がよい行動がいくつかあるそうです。初参拝の友人を率いていくので再度調べて確認してみました。

今回は濁流で見えませんでしたが、五十鈴川の川底を見ると多くの小銭が沈んでいるのが見えます。参拝者が賽銭のつもりで投げ入れたのでしょうが、ここは身を清める場所なので、多くの人の手に触れ穢れもため込んできたお金を投げ入れるのは、川を汚すことになるので控えましょうとのこと。

もし賽銭をしたいのであれば、御手洗場のすぐ横にある瀧祭神(たきまつりのかみ)の賽銭箱があります。瀧祭神は五十鈴川の守り神で内宮の取り次ぎ役の神様だそうです。通り過ぎる方も多いのですが、手を洗った後はここにお参りすると正宮の天照大御神に取り次いでくれるとか。

 

次にお賽銭についてですが、伊勢神宮では外宮、内宮ともに正宮には賽銭箱がありません。代わりに白い布が敷いてあります。しかしこの布はお賽銭をするためのものではないそうです。

そもそも正宮は個人的なお願いをする場所ではなく、日本の平穏を願い祈る場所でした。そのため紙幣禁断とされ、個人的な願い事はしてはいけません。そのため賽銭箱が置いていないのですが、それでも賽銭をする人が後を絶たないので、お金から神殿を守るために白い布が敷かれています。そうとは知らずほとんどの人が賽銭をするそうです。

ここでは賽銭をせず、日頃の感謝、参拝できた感謝をし、賽銭や個人的な願い事は正宮の後に参拝する別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)でしましょうとのことです。

 

最後に伊勢神宮の木々について。神宮には真っすぐに伸びた立派な太い木がたくさんあり、思わず触りたくなります。実際多くの人が木を触っているのを見かけ、人が触った部分は色が変わっています。触るとパワーがもらえる気がしますが、木が傷むのでやめておきましょう。

 

これらの行動をしてしまったからといって何か悪いことが起きるとか、罰があたるとかでは決してなく、せっかくなので気持ちよくお参りできればと思います。

余談ですが、こういう控えてほしい行動について何も注意喚起の札などがないところが伊勢神宮なのだなと感じました。

 

お参り後は、おはらい町でお腹も満たされ帰路につきました。帰りは近鉄特急「ひのとり」に乗車。往きのレトロな列車とは打って変わり最新設備が揃い、乗り心地が最高でした。メタリックレッドの車体がかっこよかったです。

 

それでは、またお会いしましょう。

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

night’s men’s World Cup basketball game was very exciting. I am a complete ‘mere’ fan, but I was wondering how a 3-point shot can be that good. It was like magic and went into the net. It was a true testament to the practice.

The story of the Japanese men’s team, which has experienced humiliation in the past, including losing all the games at the Tokyo Olympics, where they participated as the host nation, further amplified the excitement of the event. I am looking forward to the Paris Olympics.

 

Now, please bear with me as I continue from my previous blog. As we approached Ise Jingu Shrine, rain clouds started to form in the sky, and by the time we arrived at the station, it was pouring. Not wanting to turn back, we headed for the Inner Shrine by bus. The clouds that had been hanging heavy over the mountains gradually disappeared, and the mountains appeared divine and fresh. It was a different world from that of the city, and I felt refreshed by the scenery.

The Isuzu River is considered the washing place for the inner shrine of Ise Jingu, and it is said that people used to wash their hands here to purify themselves. Even today, you can go to the river to wash your hands, but unfortunately, due to the rain, the water was too muddy to put your hands in. However, we were all fascinated by the way each raindrop glistened in the sunlight.

My friends who visited the shrine for the first time also enjoyed the rainy Ise Jingu. After all, this is a place where one can feel the presence of something invisible.

 

Unlike other shrines, there are a few things you should refrain from doing at Ise Jingu. Since I was leading a group of friends on their first visit to the shrine, I looked them up again to make sure.

Although I could not see it this time due to the muddy water, if you look at the bottom of the Isuzu River, you will see many small coins sunk in the river. However, the temple staff told me that since this is a place for purification, I should refrain from throwing money into the river, which has been touched by many people and has accumulated dirt, because it would pollute the river.

If you want to make a money offering, there is a money box for Takimatsurinokami (the god of waterfalls) located right next to the Mitarashi place. Takimatsurinokami is said to be the guardian deity of the Isuzu River and the intercessor for the Inner Shrine. Many people pass by, but if you visit here after washing your hands, you will be interceded to Amaterasu, the deity of the main shrine.

 

Next, regarding monetary offerings, there are no money boxes in the main shrines of both the Geku and the Naiku at Ise Jingu. Instead, a white cloth is laid out. However, it is said that this cloth is not for making money offerings.

The Shogu was originally a place to pray for peace and tranquility in Japan, not a place to make personal requests. Therefore, paper money is forbidden and personal wishes are not allowed. For this reason, there is no money-offering box, but since there is no end to the number of people who make money offerings, a white cloth is laid out to protect the temple from money. Most people make money offerings without knowing that they are doing so.

The temple is a place to give thanks for the daily blessings and the opportunity to visit, and to make money offerings and personal wishes at the Aramatsurinomiya, a separate shrine that is visited after the Shogu.

 

Finally, let me tell you about the trees of Ise Jingu Shrine. There are many thick, straight, magnificent trees in the shrine, and you can’t help but want to touch them. In fact, I saw many people touching the trees, and the parts that people touched changed color. You may feel you can get power from touching them, but don’t do it because it will hurt the trees.

I hope you will visit Ise Jingu with a good feeling since you have taken the trouble to visit the shrine.

As a side note, I felt that the Ise Jingu Shrine is a place where there are no warning signs about the kind of behavior that should be refrained from.

 

After visiting the shrine, I was satisfied with my meal at Oharaicho and headed home. On the way back, we took the Kintetsu limited express train “Hinotori. The train was a far cry from the retro trains of the previous trip, but it had all the latest equipment, and the ride was very comfortable. The metallic red body of the train was very cool.

 

See you again soon.

 

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