2024.08.31
織部は、今から四百年程前の桃山時代に、茶の湯と共に花開いた美濃の窯(岐阜県東濃地方)で焼かれた陶器のうちのひとつでして、一般的には銅緑釉(銅により緑色に発色する釉薬)を施した陶器をさすことが多いようですが、黒釉を掛けた織部黒や銅緑釉を掛けていない絵織部などもあります。型にはまらず斬新で大胆にデフォルメされた造形は、その時その時代においての一般概念を打ち破る革新的なところが特徴であります。
織部と言う名称は武将で利休の高弟子であり茶人であった古田織部によるものですが、一説には古田織部が今で言うプロヂューサー兼デザイナーであり、織部好みの陶器を焼かせていたとも言われておりますが、真相不明。
織部には数々の種類があります。
1.黒織部
鉄釉を掛け分けて、掛け残した余白の部分に鉄絵を施し、その上に長石釉を掛けたもの。瀬戸黒と同じ焼成方法で、焼成中の窯から引き出すことで急冷させて黒色に発色させ、黒織部と織部黒といえば沓茶碗というほど沓形の茶碗が多く見られる。文様も織部の特徴ともいえる幾何学文様が自由奔放に描かれた秀作が多く、陶工にとっても腕の見せ所だったのか、面白みのある茶碗が多い。ほとんどが茶碗だが、茶入れ、香合などにも良いものが見られる。
2. 織部黒
器全体に鉄釉が掛けてあり、黒織部と同じく窯から引き出して黒色に発色したもの。織部黒もほとんどが沓茶碗で、口縁部分に鉄釉と長石釉を二重掛けして釉の変化をねらったものが多く見られ、その他に瀬戸黒に似た半筒形の茶碗もあるが、器面をヘラなどで削り手で形を整えるなど意匠の強いものとなっており、瀬戸黒とは違ったものといえる。
3.青織部
部分的に銅緑釉を掛け分けて余白の所に鬼板(褐鉄鉱)などで文様を描いてあるもの。銅緑釉の緑色は、長石と土灰などの釉に銅を入れて酸化焼成することで得られる色であり、この釉は還元焼成すると赤色に発色する。
織部のなかには緑色が部分的に赤く発色したものも見うけられるが、鉄絵の上には長石釉が掛けられている。織部といえばこの手のものを指すぐらい、種類も多く大量に作られている代表的な陶器。但し、茶碗として作られたものはほとんどなく、特に食器類が多く、鉢、向付などには三日月・舟形・扇の形など色々な形のものが見られる。
4.志野織部
織部として焼かれたものではなく、志野を作ろうとして窯の様式の変更により次第に織部風になっていったものを志野織部という。志野は穴窯で焼かれていたが、次第に熱効率の良い登り窯へと変わったことから温かみのあるふんわりとした志野独特の釉調が薄れ、下絵もはっきりと見えるようになり、光沢の強いものへと変化。現在でも穴窯で志野を焼かれている方がいるように、窯の温度が上がりにくく冷めにくい窯で時間を掛けてじっくりと焼かなければ、志野独特の釉調は得られない。
5.絵織部
白土に鉄絵を施して長石釉だけ掛けられたもの。上記に書いた志野織部とは違い、明らかに織部としての意匠をもって作られたもので、銅緑釉が掛けられていないので、鉄絵の文様が強調されたものになっている。
6.総織部
銅緑釉だけが器全体に掛けられたもの。皿などには、銅緑釉の下に文様を線彫りした物などが多く見られる。総織部の茶碗はほとんど見あたらず、皿、鉢、香合などが主で、変わったところでは香炉、硯、煙管などの細工物がある。
7.鳴海織部
赤土と白土を継ぎ合わせて白土のところへ銅緑釉を掛け、赤土には白泥と鉄絵で文様を描き長石釉を掛けてあるもの。青織部よりもカラフルで複雑な文様になっており、赤土の素地に白と黒を使い文様を強調することで立体感が生まれ、軽やかな動きのある文様といえる。継ぎ合わせて作るので型物の手鉢や向付が多いが、ろくろ作りの沓茶碗にも良いものが見られる。鳴海織部の名称は名古屋の鳴海地方で作られたと思われていたため、この名称が付いたという説もあるが、詳細はわからない。
8.赤織部
赤土だけで作られており、素材の赤土に鉄絵で文様を描いたり、白泥と鉄絵で描き長石釉を掛けてあるもの。素材の白土と銅緑釉のない鳴海織部ともいえる。香合や向付などに見られる。
9.伊賀織部
美濃伊賀とも呼ばれ、三重県の伊賀焼の花生や水指などに倣って織部の窯で作られたもの。伊賀焼は窯の燃料でもある木の灰が器面に付いて青緑色のビードロといわれる自然の釉だれが景色となっているが、それを織部では白泥を部分的に掛け、全体に薄く土灰釉を掛けてからビードロの代わりに飴色の鉄釉を流し掛けにしている。
10.唐津織部
美濃唐津とも呼ばれ、絵唐津に倣って織部の窯で作られたもの。唐津でも織部に倣って作られた沓茶碗などがあり、美濃と唐津の交流がうかがえる。