ブログ - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 22

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FROMKYOTOOSAKA

母の日はやはり定番のお花でしょうか(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.12

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

今日は母の日ですね。贈る側でもあり、贈られる側でもあるのですが、毎年何を贈ろうか・・・と悩んで、結局今年もお花になりました。

若いうちは違っても、年を取ってくると、いつからか花に魅力を感じ愛でるようになるようですので、間違いない贈り物のはずだと思ってはおりますが・・・。この時期毎年頭を悩ませております。

 

それにしても、年取ると植物や花を愛で始める方が多いのはなぜなのでしょう。そしてこの年で踏み入れ始めた私は60歳、70歳になった頃、何に新たに興味を持つのだろうかと考えてしまいます。

歳をとると花が好きになる説、確かにそうだなと感じる訳ですが、それについて以前面白いつぶやきをみつけました。

『若い頃は花なんて興味がなかったけど、30過ぎてから花が綺麗だと思うようになりました』って言ったら、『60を超えるとそれが石になるよ』って言われたのいまだにじわじわくる」というもの。

 

花鳥風月の次は石になると、タモリさんもブラタモリでおっしゃっておられたそうで。

人は人間に興味を失うと動物に興味が湧き、動物の次は植物に興味を示し、最後に石に興味が出るということみたいです。

私はまだその境地まで至っていませんが、石に思いを馳せる日が来るのでしょうか(笑)

 

そんな母の日にプレゼントを贈る人は約8割だとか。贈り物は「花」「食事」「スイーツ」の順に多いそうですが、皆さんは何を贈られましたか?

母の日の起源には諸説ありますが、よく知られているのは「100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にグラフトンの教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」という話です。

 

この風習は1910年、ウェストヴァージニア州の知事が5月第2日曜日を母の日にすると宣言し、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。
ちなみに、日本で初めて母の日のイベントが行われたのは明治末期頃と言われています。1915年(大正4年)には教会で お祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まっていったとされています。

 

母の日は、長い歴史の中でカーネーションを贈る日と定着していますが、日頃の母の苦労をいたわり母へ感謝を表す日でもあります。

かく言う私は、花より団子なのですが、お茶のひとつでも入れてくれたら、それで満足かなとも思っております。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

 

Today is Mother’s Day. I am both the giver and the receiver of gifts, and every year I wonder what to give her, and in the end, it is flowers again this year.

I think that flowers should be a gift for sure, but…. I am always troubled by this.

 

Why is it, then, that so many people begin to love plants and flowers as they get older? And I wonder what I, who started to step into them at this age, will have a new interest in when I turn 60 or 70.

I found an interesting tweet about the theory that people become more interested in flowers as they get older, and I think it’s true.

When I told him that I was not interested in flowers when I was young, but I started to think flowers are beautiful when I was over 30, he said, “When you are over 60, they turn to stone.

 

I heard that Tamori-san also said in Bratamori that after flowers, birds, wind, and moon, they become stones.

It seems that when people lose interest in humans, they become interested in animals, then animals, then plants, and finally stones.

I have not reached that point yet, but I wonder if the day will come when I will think about stones.

 

I heard that about 80% of people give gifts to their mothers on Mother’s Day. The most common gifts are flowers, food, and sweets, in that order.

There are various theories about the origin of Mother’s Day, but the well-known story is that it began about 100 years ago in West Virginia, the United States, when a woman named Anna Jarvis distributed white carnations at a church in Grafton on May 10, 1908, in memory of her late mother.

 

In 1910, the governor of West Virginia declared the second Sunday in May to be Mother’s Day, and this custom eventually spread throughout the U.S. In 1914, the second Sunday in May was established as “Mother’s Day.
The first Mother’s Day events in Japan are said to have been held around the end of the Meiji period (1868-1912), and in 1915, celebrations began to be held in churches, gradually spreading to the private sector.

 

Mother’s Day has become a day to give carnations, but it is also a day to express gratitude to mothers for their daily hardships.

Although I am more of a dumpling person than a flower person, I would be satisfied if she made me a cup of tea.

 

See you soon.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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そもそも印籠って(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.11

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

先日から、弊店のブログやSNSにて時々印籠が登場しております。

 

 

 

 

印籠なんて生まれて初めて手にしましたので、面白がって水戸黄門のワンシーンのように「ええぃ頭が高い、 この紋どころが目に入らぬか。」などと懐から取り出し、印籠を突きつけるの決め台詞の茶番をやってみたりして、ちょっと楽しんでおりました。(大人げない笑)

 

こちらの印籠は蒔絵の施された素敵な印籠なのですが、そもそも印籠は腰に提げて貴重品を携行するもののようでしたが、主に薬入れていたようで薬籠(やくろう)ともいうそうです。蓋(ふた)と本体(3重または5重のものが多い)の穴に紐(ひも)を通し、紐の先端には根付けを付けて滑り止めとしたりして、安土桃山時代(1568~1603)から用いられ、元禄(1688~1704)のころには武士のファッションとして定着したそうです。

 

材質は漆塗り、陶製のもの、金属製のものなど多様なのですが、多くは華麗な蒔絵(まきえ)や根付が施されており、当時のお洒落アイテムだったんだろうな…ということはこのデザインからも推察できます。

 

印籠がどういうものかはわかったとして、印籠とえば水戸黄門。あの時代劇のシーンにておいて重要なのはあの「葵の御紋」だったということなのでしょう。印籠をつきつけるシーンは作り話だとして何故に印籠になったのか…?なんてちょっと疑問の思ってきたのですが。

 

その前に家紋が誕生したのは平安時代からなのですが、その文化が大きく発展したのは敵味方を見分ける必要のあった戦国時代で、戦の中で旗や鎧、兜、弓、剣などに印されております。家紋によって武士が自分の能力をアピールできる意味合いもあり、戦で活躍した武士はより家格の高い家紋を賜ることができ、それによって絆を深め、その紋章に準じた待遇を受けることもできたのだそうですから、家紋はいわば当時の家柄の身分証明書、「葵の御紋」なんてついていようものなら役付きの肩書がついた名刺のようなものだったんでしょうね。

 

だとしたら「葵の御紋」が印されたものだったらなんでもよかったんじゃないかな?なんて思ったりしたのですが、当時の大切に携帯していもののアイテムである印籠に「葵の御紋」がついているのですから、これ以上説得力のある身分証明書はないということでしょうか。

 

 

 

 

そしてなによりも格さん(たぶん)が葵の御紋入りの印籠をつきだすあのシーンは今さら印籠の他のアイテムでキメることはちょっとできないな…。と思うくらい脳内にかなり染み付いているのですが、皆様も水戸黄門のあの名シーンの印籠のあのポーズが、もし他のアイテムだったら…などと想像しながら今一度見直してみてください。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Since the other day, Inro has been appearing on our blog and SNS from time to time.

I was so amused that I pulled it out of my pocket and thrust it at him like a scene from “Mito Komon” (a popular Japanese comic strip show). I would pull it out of my pocket and thrust the Inro at him. I was having a bit of fun. (not very mature lol).

 

Inro was originally used to carry valuables around the waist, but it is said that it was mainly used to store medicines and was also called “Yakuro” (medicine basket). A string was threaded through the holes in the lid and body (often three or five-layered), and a netsuke was attached to the end of the string to prevent it from slipping.

The materials used for the Inro varied, including lacquered lacquer, ceramics, and metal, but most of them were decorated with gorgeous makie (gold-relief lacquer) and netsuke, and we can infer from the designs that they must have been a fashionable item at that time.

 

Now that we know what an Inro is, I guess the important thing in the scene of Mito Komon was the Aoi no Gomon, but if the scene where the Inro is pointed at is a myth, why did it become an Inro…? I am beginning to wonder why it became an “inro” if the scene in which he puts an inro to the man is a fiction…?

 

Before that, family crests were first created in the Heian period (794-1192). It was during the Warring States period, when it was necessary to distinguish friend from foe, that the culture of family crests developed greatly, and they were used to mark flags, armor, helmets, bows, swords, etc. in battle. Therefore, a family crest was, so to speak, an identification card of the family at that time, and a “hollyhock crest” must have been like a business card with a title of an official.

If so, anything with a “hollyhock crest” on it would have been fine. However, since the “Aoi no Gomon” is on the Inro, which was a very important item to be carried in those days, there is no more convincing identification card, is there?

 

And above all, the scene in which Tadasu-san (probably) holds out the Inro with Aoi no Gomon on it, I can’t use any other Inro items to make a good impression now…. I would like to ask you all to take a look at it again, imagining what it would be like if the Inro pose in that famous scene in Mito Komon had been made with another item.

 

Have a good day.

 

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

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風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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5月の誕生石 エメラルドのパワー(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.10

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

昨日今日と朝は思いの外冷え込みましたが、晴れて爽やかなお天気です。出勤の途中、山崎川で鯉のぼりが気持ち良さそうに泳いでおりましたよ。

 

 

さてさて、風薫る5月がお誕生日の方、誕生石はエメラルドですね。

”幸福を招く石”、”神秘のヒーリングストーン”として知られるエメラルド。和名は翠玉、緑玉。結婚55周年の結婚記念石でもあります。

神秘的かつ透明感溢れる緑の輝きで、古くから人々に愛されてきた宝石は、人を健康に導く力があると信じられていたとか。

一度は憧れた女性も多いのでは?

幼い子が描くお姫さまには、緑色をした首飾りを描いてみたりと、謎を秘めているかのような色には自然と引き込まれているのでしょうか。

 

その謎のパワー、なぜ魅了されるのか…。

絶世の美女と謳われる古代エジプトの女王クレオパトラもエメラルドを愛用していたことは有名です。
エメラルドジュエリーで着飾るだけではなく、粉末にしたエメラルドをアイシャドウにして化粧にも使用していました。
美しいグリーンの魅力に取りつかれたクレオパトラのエメラルド愛は、自身の名を付けたエメラルド鉱山「クレオパトラ鉱山」を所有していたほど。 この鉱山は、1818年にフランス人によって発見され実在が証明されています。
一説では、クレオパトラは実は美女では無かったという話もあります。 もしかしたら、エメラルドの力で魅力をアップさせ、男性を虜にしていったのかもしれません。

 

そしてエメラルドは、富と権力の象徴でもあったとされ、世界4大宝石にも数えられています。

ローマ帝国時代の「博物誌」(博物学者・プリニウス著)では、ダイヤと真珠に次ぐ、第三の宝石とされているとも…

実際、ポンペイなどのローマ帝国時代の遺跡からはエメラルド製品がよく出土しているそうです。

 

 

自分の誕生石を身につけた方がいいのかと勝手に思っていましたが、カラーストーンのジュエリーは、その生まれ月でなくても、直感で惹かれたものに気持ちを託すことができるそう。

若々しいエネルギーを宿すエメラルドは、心身のバランスを安定させ、ストレスを取り除くヒーリング効果の高い石として伝えられてきたとのこと。

冷静な感情をもたらすエネルギーから、”叡智”を象徴する石としても知られ、身につける人のビジョンを実現するための知恵や勇気ある行動を助けるとも言われているそうです。

 

また、愛の力を強く持ち、恋愛成就、幸せな結婚のお守りとしても、とても効果があるとされています。恋愛を成就させたい人や、夫婦円満を願う人にとってはぴったりのパワーストーン。

エメラルドは、胸に近いところにつけたほうが効果的とされています。

 

幸せな結婚、幸せな家庭への強力なエネルギーを持つエメラルドは、持ち主の愛情を豊かにするだけでなく、献身的な心や相手を思いやる心を持たせてくれる効果から、結婚運、家庭運アップのパワーストーンなのだそうですよ。

皆さまの中にはコレクションをお持ちで、すでにその願い、存分に叶えていらっしゃるかも知れませんね。

ではでは、また。

 

Hello everyone, this is Staff T.

It was unexpectedly cold in the morning yesterday and today, but the weather is sunny and refreshing. On my way to work, I saw carp streamers swimming along the Yamazaki River.

Now, for those of you whose birthdays fall in the breezy month of May, your birthstone is an emerald.
Emerald is known as a “stone that brings happiness” and a “mysterious healing stone. Its Japanese name is Sui-yoku (green jade) or Midori-yoku (green jade). It is also the wedding anniversary stone of our 55th wedding anniversary.

People have long loved this gemstone for its mysterious and transparent green glow, and it was believed to have the power to lead people to good health.
Many women may have admired them at one time or another.
Are they naturally drawn to the color that seems to hold mystery, as when a young child draws a green-colored necklace for a princess?

What is its mysterious power, and why are we attracted to it…?
It is well known that Cleopatra, the queen of ancient Egypt, who was claimed to be an immensely beautiful woman, was also a fan of emeralds.
Not only did she dress herself in emerald jewelry, but she also used powdered emeralds as eye shadow and for makeup.
Obsessed with the beautiful green color, Cleopatra’s love of emeralds was so great that she even owned an emerald mine named after herself, the “Cleopatra Mine. This mine was discovered by the French in 1818 and proved to exist.
One theory is that Cleopatra was not actually a beautiful woman. Perhaps the power of emeralds may have increased her attractiveness and made men fall in love with her.

Emeralds are also said to have been a symbol of wealth and power, and are one of the four most precious stones in the world.
In the “Natural History” of the Roman Empire (written by Pliny the Elder, a naturalist), emeralds are considered the third most precious stone after diamonds and pearls….
In fact, emerald products are often excavated from Roman ruins such as Pompeii.

I had selfishly thought that I should wear my birthstone, but with colored gemstone jewelry, you can put your feelings into what you are intuitively attracted to, even if it is not your birth month.
Emerald, with its youthful energy, has been passed down as a healing stone that stabilizes the balance between body and mind and removes stress.
It is also known as a stone symbolizing “wisdom” because of its energy that brings calm emotions, and is said to help the wearer to take courageous action and wisdom to realize his or her vision.

It is also said to have a strong power of love and is very effective as a talisman for the fulfillment of love and a happy marriage. It is the perfect power stone for those who wish to fulfill their love and for those who wish for marital bliss.
Emeralds are considered more effective when worn close to the chest.

With its powerful energy for a happy marriage and happy family, emerald is a power stone that not only enriches the owner’s love, but also makes him or her devoted and considerate of others, making it a power stone for improving luck in marriage and family.
Some of you may have a collection of these gemstones and may have already made your wishes come true to the fullest.

See you soon.

 

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小さな蒸留所を訪れてみました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.09

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

このところ洋酒を買取ってほしいというお客様のご依頼もございまして、ウィスキーなどの洋酒がちょっと気になっております。

 

とくに昨今のウィスキーブーム、その中でもジャパニーズウイスキーは国際的な賞を相次いで受賞したということもあり、海外からも熱い視線が注がれたいへん高騰しているようです。

そのなかでも有名なものですと、サントリーの山崎・響・白州、ニッカウヰスキーの竹鶴・余市・宮城峡あたりは有名どころですが、先日お値段を調べますと、もう一般市民には手の届かぬ存在のようでした笑。

 

ところで、2024年2月現在で日本には開業準備中も含め114カ所のウイスキー蒸留所が存在していることをご存知だったでしょうか。国産ウイスキーに対する海外からの注目度はまだまだ高い状態ということで、それに伴いジャパニーズクラフトウイスキー蒸留所の開業ラッシュが続いております。

 

先日、富山県に唯一ある三郎丸蒸留所へ行って参りました。

 

 

 

 

三郎丸蒸留所の母体は作酒屋の若鶴酒造なのですが、実はウイスキーをはじめとした蒸留酒の研究をスタートしたのは1947年。1953年に発売された初の自社ウイスキー「サンシャインウイスキー」は発売から70年以上を経つとのことのこと。2016年に老朽化していた蒸留所を改修し、昨今は高岡銅器の技術を活かして世界初の鋳造製蒸留器を開発したり、富山県産ミズナラ材を用いた「三四郎樽」を使用したりと、富山産のものにこだわった蒸留所のようです。

 

 

 

 

 

 

 

館内は先日訪れたサントリー白州蒸留所と比べますとこじんまりしておりますが、蒸留所の見学やガチャガチャでオリジナルお猪口を購入し、ティスティングをすることもできます。作酒屋の雰囲気も残しつつ隣の建物ではそんなお酒を堪能しながら食事もできるようでして、最近の蒸留所はどこも訪れたくなるよう素敵な空間にしております。

 

 

 

 

また、蒸留所へ行く楽しみの一つが蒸留所でしか購入することができない限定ウィスキーの購入なのですが、大概ラベルやパッケージも限定デザインだったりと色々テンションが上がります。先日訪れた白州の限定酒もそれぞれナンバリングがされており購入できた達成感が半端なかったので、ここでもはずせません。

 

というわけで早速購入。三郎丸蒸留所はスモーキーフレーバーにこだわっているということでして個人的には楽しみなティスト。富山の空気と共に車にて連れて帰ることと致しましたが、帰りの車の中ではすでに次に訪れたい蒸留所を調べていたりと、どんどん沼っていく自分に気が付きました。

 

 

 

 

その前に帰って三郎丸のティスティングをせねばいけませんね。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Recently, we have been receiving requests from customers who want us to purchase Western-style liquors, and we are a bit concerned about Western-style liquors such as whiskey.

 

Especially in the recent whisky boom, Japanese whisky has won a number of international awards, and is attracting a great deal of attention from overseas, and the price of whisky is soaring.

Among them, Suntory’s Yamazaki, Hibiki, and Hakushu, and Nikka Whisky’s Taketsuru, Yoichi, and Miyagikyo are the most famous ones, but when I checked their prices the other day, they seemed to be out of reach for the general public.

 

By the way, did you know that as of February 2024, there are 114 whiskey distilleries in Japan, including those in preparation for opening? This means that overseas attention to domestically produced whiskey is still high, and with that, the rush to open Japanese craft whiskey distilleries is continuing.

 

The other day, I visited the only distillery in Toyama Prefecture, Saburomaru Distillery.

The parent company of Saburomaru Distillery is Wakatsuru Shuzo, a sake brewery, but they actually started researching whiskey and other distilled spirits in 1947. The distillery was renovated in 2016, and recently they developed the world’s first cast distillation vessel using Takaoka copperware technology, and they use “Sanshiro barrels” made of Mizunara oak from Toyama Prefecture, so it seems that the distillery focuses on things made in Toyama.

 

The inside of the distillery is smaller than the Suntory Hakushu Distillery that we visited the other day, but you can take a tour of the distillery, purchase an original boar cup from the “gacha-gacha” machine, and have a tasting. You can also enjoy a meal while enjoying such drinks in the building next door, while still retaining the atmosphere of a sake brewery.

 

One of the pleasures of visiting a distillery is to purchase limited edition whisky, which can only be purchased at the distillery, and the labels and packaging are usually of a limited design, which makes me very excited. The Hakushu limited edition whisky I visited the other day was also numbered, and I felt a great sense of accomplishment when I purchased it, so I couldn’t miss it here.

 

So I bought it right away. Saburomaru distillery is known for its smoky flavor, and I was personally looking forward to this distillery. On the way back to the distillery, I was already looking up distilleries I wanted to visit next, and I found myself getting more and more swamped.

 

Before that, I have to go back and taste Saburomaru.

 

Have a good day.

 

 

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個性があふれる小さな芸術品(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.08

皆さまこんにちは、スタッフHでございます。

本日は太陽も顔を出し快適なお天気、と期待して外に出ましたが強風にあおられ日傘が飛ばされそうになりました。外に出るまで油断はできません。

さて先日より当店では目新しいお品が増え、普段目にすることができないものもあり繁々と眺めております。目が合ってしまったのはこちらの根付の猿。ちょっと強面で一瞬ぎょっとしてしまいました。よく見ると足元に亀を押さえつけております。それでこの形相なのですね。

 

 

 

 

裏側を見ると亀のお腹も精巧に彫られており、やはり360度どこから見ても隙がありません。

 

 

 

 

江戸時代、着物の帯に巾着やたばこ入れ、印籠などを下げて持ち歩きました。その提物を落ちないように紐で留める留め具が根付でした。実用品ですが、美意識の高い江戸の人々がその芸術性を高め、根付師と呼ばれる専門の職人により精巧で緻密な技の結晶として発展していきました。その世界観は自由で、多様なデザインにより個性を競い合いました。特に人気なのが、形彫(かたぼり)根付で七福神のような神や縁起の良い動物などをかたどったものです。

根付の魅力は何と言っていも手で触れられることで、年々色が変化し、摩耗して少し飴色になった状態を根付用語で「なれ」とよばれ、たくさん触ることで価値が増すともいわれています。風光舎の猿の根付もたくさん触れられたようです。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone, this is Staff H.

Today the sun came out and the weather was pleasant, but a strong wind blew my parasol away. You can never be too careful until you get outside.

The other day, we started to see new items in our store, some of which are not usually seen in the market. My eyes fell on this netsuke monkey. He looked a bit tough, and for a moment I was taken aback. If you look closely, you can see that he is holding a tortoise at his feet. That is why he looks like this.

Looking at the back side, the turtle’s belly is also elaborately carved, and there is no gap from any angle of 180 degrees.

In the Edo period, people carried a purse, cigarette case, inro (seal case), etc., on the belt of their kimono. Netsuke were used to fasten these items to the belt with a string so that they would not fall off. Although a utilitarian item, netsuke were developed as a crystallization of elaborate and precise techniques by specialized craftsmen called netsuke-shi, as people in Edo, with their high sense of beauty, developed their artistry. The world view of netsuke was free, and the various designs competed with each other for individuality. Especially popular are katabori netsuke, which are decorated with gods such as the Seven Deities of Good Fortune and other auspicious animals.

The charm of netsuke is that they can be touched. The color of netsuke changes over the years, and the slightly candy-colored state after wear is called “nare” in netsuke terminology, and it is said that the more you touch the netsuke, the more valuable it becomes. It seems that many people touched the netsuke of monkeys at Fukosha.

 

See you next time.

 

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片付けの需要と供給(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.07

皆さまこんにちは、スタッフTでございます。

本日名古屋は朝から雨。連休明けは肌寒いスタートとなりました。

皆さま、連休はいかがでしたか?リフレッシュできましたでしょうか?

今日からお仕事、学校の方、休み明けで通常モードに戻すのが大変かもしれませんが、一緒に頑張りましょう!

 

 

さて、私はこの連休中は、重い腰を上げ、「実家」と向き合っておりました。同じようにご実家のお片付けをされた方、勝手に同志のように思っております。

 

私にとっての実家は、「居ても落ち着かない」「家に上がって座り込むのはお盆とお正月くらい」と、残念ながら居心地が悪く、将来自分が帰ってくる場所とは思えませんでした。

モノを捨てられない母に対して思うことはあれど、親の暮らしは親のもの、私は私、と割り切っていたところがあったように思います。

ところが数年前に母の病気から実家に通わざるを得なくなりました。そこで目にした親の暮らしの現実。「このままじゃやばい」と思った瞬間でございます。

今日はそんな実家の片付けに向き合い、気づいたことについて綴ってみたいと思いますので、よろしければお付き合いください。

 

何から手を付けたかと言いますと、まずは、残ったままになっていた自分の荷物を処分するところから始まりまして、素手で触るのははばかられるような水回りをコツコツ、コツコツ、本当に少しずつ掃除を繰り返していきました。

ところが、やっていると、やはり「やりたくないけど、やってあげてる」感は出てきてしまうわけで・・・

そんな時は「やってほしくないけど、やらせてあげてる」感丸出しの母とよく険悪な雰囲気になりました。

 

母は自分の家だから、私が片付けようとすると、自分が動かされるものだと思い、別に片付けたくないのに面倒くさいことをされてると思っていたんでしょう。物を動かしたり、処分したりといったことをそれはそれは嫌がりまして、機嫌がものすごく悪くなるんです。ですが、掃除してスッキリして綺麗になれば、素直にありがとうと言ってくれました。

 

そうやってお掃除から始めて、少しずつ母からの信頼を勝ち得まして、徐々に食器をはじめ大量のアレコレを処分していったわけなんですが・・・。そこで、私の悪い癖がでまして。「どうせその作業をするなら、他に効率悪くて困ってる収納とかもこの際片付けちゃえば?」と提案してしまったのです。

 

例えば、母は毎日着替えをタンスの一番下の引き出しから腰をかがめて取っていたし、両親の衣類は、なぜだか何カ所にも分けて置かれているし、もう少し動線を少なくできるだろうと私は思ったわけです。

 

この時、実家の片付けにおいて重要なことを学びました。高齢となった両親にとって、「捨てる・動かす・減らす」はNGワードなのです。

いかに相手の需要に応える形に持っていくかが重要なのだと気づきました。いくら両親のためと思っての行動だとしても、両親にとっては、ただのありがた迷惑ということも多いのです。片付けた結果のメリットだけを説明したり、あくまでも動くのは私であることを強調したりということも必要でした。

 

という訳で、両親に「この際、困ってるところも一緒に改善しようよ、何かある?」と、わたしにとっては最大の優しい口調で聞きましたら、

「なーんにも、ない!」と言われてしまったのです。

 

片付けには個人それぞれのタイミングがやっぱりあって、そうでないタイミングで頑張ってしまうと空回りしてしまうものなんですよね。

客観的に見たら、絶対こうした方が良いってわかることでも、毎日の当たり前としてやっていることは、大変さが麻痺するんでしょうか。違和感に気が付かないですし、なんなら、環境の変化へのストレスの方が大きいこともあるんでしょうね。両親にとっては、今じゃなかった…。

 

と、これは数年前の話で、ここから「片づけたい」と思わせることに成功したのですが…。

長くなりましたので、続きはまた次の機会に。

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

Hello everyone, this is Staff T.

It has been raining in Nagoya since this morning. It was a chilly start to the consecutive holidays.

How was your holiday weekend? Were you able to refresh yourselves?

For those of you who will be working or going to school from today, it may be difficult to get back to normal mode after the vacations, but let’s do our best together!

 

 

Well, during this consecutive holidays, I was facing my “parents’ home” with a heavy heart. For those of you who have also cleaned out your parents’ home, I take the liberty of thinking of you as my comrades.

 

For me, my parents’ house was unfortunately uncomfortable, “I don’t feel at home even if I stay there,” “The only time I come up and sit in the house is during Obon and New Year’s,” and I didn’t think it was a place I would come back to in the future.

Although I had my own thoughts about my mother’s inability to get rid of things, I think I had always thought that my parents’ life belonged to them and I was left to my own devices.

However, a few years ago, my mother became ill and I was forced to move back home. There I saw the reality of my parents’ lifestyle. It was the moment when I thought, “This is not good enough.

Today, I would like to write about what I realized when I faced the task of cleaning up my parents’ house, so please bear with me if you like.

 

 

I started by getting rid of my belongings that had been left behind, and then I began to clean up the areas around the water that I was not allowed to touch with my bare hands, little by little, and really, really slowly.

However, as I was doing it, I started to feel that “I don’t want to do it, but I’m doing it for them”.

I often got into a bad mood with my mother, who didn’t want me to do it, but felt that I was making her do it for me.

 

 

I guess my mother thought that because it was her house, if I tried to clean it up, she would be the one to move it, and she felt that I was giving her a hard time even though I didn’t want to clean it up. She didn’t like the idea of moving things around, getting rid of things, etc., and her mood became extremely bad. However, if I cleaned the room and it became clean and tidy, he would honestly say thank you.

 

I started with cleaning and gradually won my mother’s trust, and gradually got rid of a lot of things, including dishes…. Then I got into a bad habit. I suggested, “If you’re going to do that work anyway, why don’t you clean out the other inefficient storage space as well? I suggested, “If you’re going to do that, why don’t you clean up all the other inefficient storage space as well?

 

 

For example, my mother had to bend down to get a change of clothes from the bottom drawer of the wardrobe every day, and my parents’ clothes were somehow separated into several different places, and I thought it would be possible to make the flow a little less complicated.

 

 

It was at this point that I learned an important lesson in cleaning out my parents’ home. For my aging parents, “throw away, move, or reduce” is not a word.

I realized that the key is how to make the house meet their needs. No matter how much you think you are doing something for your parents, for them it is often just a thankless inconvenience. It was necessary to explain only the benefits of cleaning up the mess, and to emphasize that it was only I who would make the move.

 

Therefore, I said to my parents, “Let’s improve the troubled area together at this time, what do you have?” I asked them in the kindest tone I could muster,

They replied, “Nothing! I was told, “Nothing!

 

There is a certain timing for each individual when it comes to tidying up, and if you work hard at a time when you don’t, you will end up spinning out of control.

I think that if you look at it objectively, even if you know that it would be better to do it this way, if you do it as a matter of course every day, you become numb to the difficulty. I don’t notice the discomfort, and if anything, I guess sometimes the stress of the change in environment is greater. For my parents, it wasn’t now….

 

And so far, this was a few years ago, and now we are going to face another challenge…

This is a long story, so I will continue next time.

 

連休いかがお過ごしだったでしょうか。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.05.06

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

はぁーーーーっ…。

大きなため息をついておりますスタッフYでございます。今日で連休が終わってしまいますね…。連休後半のお天気が爽やかを通り越して少々暑かった地域も多かったのようですが、皆さまの連休はどうお過ごしでしたでしょうか。

 

先日もTVでオーバーツーリズムのことを取材しておりましたが、後半は気候も良くお出かけされた方が本当に多かったようですね。私も先日の報告の通り土岐美濃焼祭りへ参戦したり、自宅でだらだらすごしたりとありきたりな連休の過ごし方でしたが、気候も良くお天気がよかったというだけで、まあまあいい時間を過ごしたような気がしてきます。

 

さて、少しだけその報告を致しますが、日本三大陶器まつりである「土岐美濃焼祭り」へ行って参りました。一言で感想を述べますと、器好きさんは一度は行ってほしいお祭りでありました。なにせその器の量とお買い得感が凄かったです。

 

そもそも土岐市は飲食用食器生産日本一でして、その土岐市北部に土岐美濃焼卸商業団地(協同組合土岐美濃焼卸センター)があります。そこに有力な産地陶磁器卸商社が一同に集まり、美濃焼などどんなものでも取り扱っている豊富な品揃えが自慢なのですが、このエリア、なんと名古屋ドーム約6個分の広大な敷地に各店舗が点在しております。

 

伝統的な志野焼・織部焼をはじめ、洋食器・ガラス製品・漆製品・インテリア雑貨・アロマ用品・天然はちみつ・手作りパンなど個性豊かなお店が勢揃いしており、しかも全店、信頼の卸商社直営ですので、大変お値打ちに購入することができます。

 

普段からそんなお値打ちな団地エリアなのですが、5月連休の土岐美濃焼祭りではそのエリアが歩行者天国となり、道路には1km以上にわたり卸商社だけでなく近隣の陶芸作家さんなども出店しなんと250以上のテントが連なるイベントと化し、さらにお買い得になります。

 

そんなわけで気合を入れて出発せねばなりません。私も名古屋から1時間以上はかかりそうですし、初日朝市に掘り出し物があるということで狙って朝6時出発いたしました。聞くところによると、買い物した後の荷物のことを考えて手があいた状態の方がよいということですので、帽子、スニーカー、リュックやカートの準備がいいようであります。

 

目標時間には到着しましたが、既に駐車場への車の列ができておりました。(8時過ぎくらいだったような。)すでに開いているブースや店舗もあり、さっそく参戦。とにかくその出店数と陶器の数に圧倒されますが、掘り出し物のたたかいにも参戦したり笑、少し慣れてきまして店舗横のカゴやテーブル脇にある掘り出し物を探すようになってきました。そうするとよく普通の店舗などで見かけるお高めの器のB品を目ざとく見つけたり、好みの陶芸作家さんの作品を探したり、と、だんだん面白くなってきまして、購入した器の量と重さに一度車へ購入した器を置きに戻るという事態になってしまいました笑。

 

 

 

 

そして、気が付くとお昼近くには歩行者天国に人が溢れかえっておりまして。参道では飲食店の出店や大道芸のパフォーマンスがあったりとにぎわっておりましたが、なにせ朝早くからでしたので、まだお昼なんだ笑と、ちょっと苦笑いでありました。

 

と、いうわけでまだお昼だったという長い一日ではありましたが、また来年に楽しみはとっておくとしてお昼にて会場を後に致しました。それにしても連休がっつり楽しんだと思える一日でありましたので、食器好きの方は来年の連休は、是非カート持参で掘り出し物の戦いに臨んでみてください。

 

それではごきげんよう。

 

 

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Hello everyone, this is Staff Y.

 

Sigh….

This is Staff Y with a big sigh. Today is the end of the consecutive holidays…. It seems that the weather in the latter half of the holidays was not only refreshing but also a little bit hot in many areas, but how did you spend your holidays?

 

The other day, I was watching a TV program about over tourism. It seems that many of you went out in the latter half of the year because the weather was good. As I reported the other day, I also participated in the Toki Mino pottery festival and spent the consecutive holidays in a conventional way, such as slacking off at home, but just because the weather was good and the weather was fine, I feel as if I spent a good time so to speak.

 

Now, I would like to report a little bit about the “Toki Mino Ceramic Ware Festival,” which is one of the three major pottery festivals in Japan. In a word, it was a festival that those who love pottery should go to at least once. In any case, the quantity of the pottery and the sense of bargain were great.

 

Originally, Toki City is the largest producer of tableware for eating and drinking in Japan, and there is the Toki Mino ware wholesale commercial complex (Cooperative Union Toki Mino ware Wholesale Center) in the northern part of Toki City. There, all the leading local ceramic wholesale trading companies gather and boast a rich assortment of products of any kind, including Mino ware, but in this area, each store is scattered over a vast site the size of about six Nagoya Domes.

 

Starting with traditional Shino and Oribe pottery, there are stores selling Western tableware, glassware, lacquerware, interior goods, aroma goods, natural honey, handmade bread, and many other unique items.

 

Although it is usually such a reasonable area, during the Toki Mino Pottery Festival on consecutive holidays in May, the area becomes a pedestrian paradise, and the road becomes an event with more than 250 tents where not only wholesale trading companies but also pottery artists in the neighborhood open stalls for more than 1 km, making it even more affordable.

 

So, I had to set out with great enthusiasm. It would take me more than an hour to get there from Nagoya, and I left at 6 a.m., hoping to find a bargain at the morning market on the first day of the event. I was told that it is better to leave your hands free for luggage after shopping, so it is better to prepare a hat, sneakers, and a backpack or cart.

 

We arrived at the target time, but there was already a line of cars waiting to park. (It was about past 8:00 am, I think.) Some booths and stores were already open, so we quickly entered. Anyway, I was overwhelmed by the number of booths and the number of ceramics, but I also participated in the fight for bargains, and I got used to it and started to look for bargains in the baskets next to the stores and by the tables. I started to get used to it and started to look for bargains in the baskets next to the store and by the tables. Then I started to notice some of the more expensive pieces of pottery that I often find in regular stores, and I started to look for my favorite ceramic artists’ works.

 

And then I noticed that by noon, the pedestrian mall was overflowing with people. The approach to the temple was bustling with restaurants and street performances, but since it was so early in the morning, I was a little bitterly surprised that it was still lunchtime.

 

So, although it was still noon, we left the venue at lunchtime, saving the fun for next year. We hope that tableware lovers will bring their own carts to fight the battle of the bargains next year.

 

Have a good day.

 

美しい筆文字は永遠のあこがれです(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.05.01

みなさまこんにちは、スタッフHでございます。

先日スタッフYが写真を載せておりましたが、満開のつつじが目を引く季節ですね。先日濃いピンクと純白のつつじが並んで咲いていて、おめでたい!と思ってしまいました。実はつつじの鮮やかな赤紫色を指す名前に躑躅色(つつじ色)というのがあるそうです。平安時代からある伝統色だそうで、清少納言の「枕草子」にも「躑躅色は冬の下襲に良い色だ」と記されているのだとか。

大河ドラマなどを観ていると平安時代の色の多様さに驚かされるのですが、他にも目を奪われるものがあります。登場人物がさらさらと筆で書く仮名文字の美しさです。無性に書いてみたくなり、筆ペンを引っ張り出してきて書いてみるのですが、似ても似つかない仕上がりとなります。

それにしても書きたいと思った時に毎回墨をするのは大変な労力だったのではと想像します。

ところで墨をするの「する」は「磨る」とう漢字を使うそうです。硯の平らな面で優しく磨くイメージで磨ると綺麗な墨を作り出すことができるのだとか。とろっとした粘りが出て、墨の良い香りがふっと立つ瞬間が磨り終わりの目安とされています。

 

さて風光舎にも新しく中国の「古墨(こぼく)」が陳列されています。両面の龍の絵柄に風格を感じます。

 

 

 

 

 

 

墨は煤(すす)と膠(にかわ)と香料を混ぜ合わせて作られ、日本で作られたものを「和墨」、中国で作られたものを「唐墨」といいます。中国における墨の歴史は日本よりはるかに長く、紀元前1500年頃の殷の時代に始まったとされています。それから時代ごとに数多くの製墨家が現れ、特に文化大革命前の墨は寿命が長く、「古墨」と呼ばれ珍重されています。

長期保存により墨の質も変化し、膠は分解がすすみ「枯れた」状態になるといいます。膠が枯れた状態の墨は伸びがよく墨色に立体感が出て様々な表現が可能になるといわれています。

唐墨は一般的に日本の墨より膠の含有率が高いため墨のおり方が遅く黒味が出にくい一方で粘り気が弱く、柔らかく品のある墨色がでるそうで、漢字書道をされる方に人気があるのだそうです。

 

日本への墨の伝来は諸説ありますが、中国から文字が伝来したころだといわれています。奈良時代には仏教の中心地だった今の奈良市で写経や学問に使う墨づくりが盛んになり、現在まで継承されています。和墨には粘り気が強い膠が使われ、煤の割合が多いため墨のおり方が早く、強い黒が出せるといいます。

墨は作られる国の風土、水などの違いによりそれぞれ発展し、書道を嗜む方々は用途により使い分けているそうです。いずれにしても墨で書かれた文字は1000年残ると言われております。

 

高校の書道の授業で中国の書家として知られる王羲之の「蘭亭序」を書き写すという機会があり、当時一体何を書いているのかも分からず、苦労した記憶があります。少しトラウマでもあるようで「蘭亭序」という言葉すら忘れられない状態ですが、年を経て少しは書の趣も感じられるようになりました。

美しい筆文字がすらすらと書けたらどんなに楽しいだろうかと改めて妄想しております。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff H.

As Staff Y posted a picture the other day, it is the season of azaleas in full bloom. The other day, azaleas in deep pink and pure white were blooming side by side! I thought to myself, “Congratulations! Actually, there is a name for the bright reddish purple color of azaleas: azalea azalea-iro. It has been a traditional color since the Heian period (794-1185), and in Sei Shonagon’s “The Pillow Book” it is written that “azalea color is a good color for winter raids”.

When I watch historical dramas, I am amazed at the variety of colors used in the Heian period, but there is something else that catches my eye as well. The beauty of the kana characters written by the characters with a brush is also a sight to behold. I was so inspired that I pulled out my brush pen and tried to write them, but the result was nothing like the original.

I imagine it must have taken a lot of effort to ink the brush every time he wanted to write.

By the way, the Chinese character for “ink” is “polish”. The inkstone’s flat surface is used to polish the ink gently to produce a beautiful ink. The moment when the ink becomes thick and sticky and the good aroma of the ink is released is considered to be the end of the polishing process.

 

The Fuhkosha also has a new display of Chinese “koboku” (old ink). The dragon design on both sides gives a sense of elegance.

Sumi ink is made by mixing soot, glue, and spices. The history of sumi ink in China is much longer than that of Japan, and is said to have begun around 1500 BC during the Shang Dynasty. In particular, ink produced before the Cultural Revolution has a long life span and is called “Ko-Boku” (old ink) and is highly prized.

The quality of ink changes with long-term preservation, and glue decomposes and becomes “withered”. It is said that the dead glue gives the ink a three-dimensional effect and allows for a variety of expressions.

In general, Tang ink has a higher content of glue than Japanese ink, which makes it slower to form ink and harder to produce black color, but it is less sticky and produces soft and elegant ink color.

There are various theories about the origin of sumi ink in Japan, but it is said to have been introduced to Japan around the time when Chinese characters were introduced to Japan. Japanese ink is made of glue, which is very sticky, and has a high percentage of soot, which is said to make the ink form quickly and produce a strong black color.

Sumi ink has been developed according to the differences in climate and water in each country where it is produced, and people who enjoy calligraphy use different types of sumi ink for different purposes. In any case, it is said that characters written in ink will remain for 1,000 years,

 

I remember that I had an opportunity to copy “Lanting Preface” by Wang Xizhi, a well-known Chinese calligrapher, in my high school calligraphy class, and I had a hard time understanding what he was writing. It seems I was a bit traumatized and I have not even forgotten the word “Preface to Lanting Pavilion,” but as the years have passed, I have come to appreciate the calligraphy a little more.

But I have come to appreciate calligraphy a little more now that I am older. I still fantasize about how fun it would be to write beautiful brush strokes with ease.

 

See you next time.

 

 

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うぐいすのさえずりに癒されています(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.04.30

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

ようやくGWの中盤となりました。この平日は、子育て中の方にはうれしい休息日といったところですね。

 

気付けば今日で4月も終わり、明日から暦も変わるわけですが、この4月は光のような早さで過ぎた気がいたします。ありがたいことに、お問い合わせも多数いただき慌ただしい日々でしたが、数あるお店の中から当店をお選びいただけたことは、大変うれしく、日々のお仕事の励みとなりました。

 

さて、最近出勤すると、うぐいすの美しい鳴き声が聞こえてきて、癒されています。

うぐいすの『ホーホケキョ』というさえずりを聞くと、春が来たなと感じます。そんなうぐいす、別名を「春告鳥」といいます。

春になると『ホーホケキョ』と鳴き、私たちに春の訪れを教えてくれるうぐいすですが…実は年中『ホーホケキョ』という鳴き方をするわけではないのをご存知でしたか?言われてみれば、暑くなる頃には『ホーホケキョ』という鳴き声はいつの間にか聞こえてきません。

 

うぐいすの鳴き声は3種あるといわれ、『ホーホケキョ』と鳴くのは繁殖期のオスだけなのだそうです。

繁殖期を迎えたオスが鳴く『ホーホケキョ』は「さえずり」といい、自分の縄張りにメスを呼ぶために発する鳴き声で、同時にほかのオスに“ここは自分の縄張りだ”と主張する意味合いもあるようです。

一般的にウグイスの繁殖期は2・3月から7月半ばぐらいまでなので、それ以外の時期に『ホーホケキョ』と鳴くことはないのだそう。

 

では、それ以外の季節はどう鳴いているのかというと、秋から冬にかけては「笹鳴き」と呼ばれる『チャッチャッ』という鳴き方をしていて、これが気温が上昇し、暖かくなってくると『ホーホケキョ』と鳴き、春の訪れを告げるのだそうです。

そしてこうした「ウグイスの初鳴き」は梅や桜の開花日と同様、現在でも気象庁が生物季節観測として全国的に観測を行っており、うぐいすの『ホーホケキョ』という鳴き声は、文字通り“日本の春の訪れを告げる一つの指標”になっているのだそうです。

 

じつはウグイスは、一夫多妻制の鳥。9割以上の鳥は一夫一妻だそうなので、かなり少数派になりますね。オスのアピールも、メス一羽とカップルになれば終わりというわけではなく、多いと5~6羽ほどの奥さんを持つそうなので、その分長くなるんですね。

 

そんなうぐいすを実際に見かけたことはありますか?

うぐいすは全身が灰褐色で、どうやら簡単に見つけるは難しそうです。くすんだ黄緑色を『うぐいす色』といいますが、古い時代にメジロと混同されて伝わったようです。うぐいすの大きさはスズメと同じくらいの14~15cmほどで、体形がスズメより細いのでひと回り小さく見えるのだそう。

オスのほうがメスよりもだいぶ大きく、肉眼で「これがうぐいすかも!」と見分けるのは難しそうですが、目の上に白いラインが入っているのが特徴のようですよ。

 

「声はすれども姿は見えず」の代表のようなうぐいすですが、近くにある城山八幡宮のどこかにいることは間違いないので、声がしたら立ち止まって姿を探してみようと思っています。

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

 

Finally, we are in the middle of GW. It is a nice rest day for those who are raising children.

I have just realized that today is the end of April, and the calendar will change tomorrow, but I feel as if April has passed as quickly as light. Thankfully, we have received many inquiries and it has been a hectic month, but we are very happy that you have chosen us out of all the stores, and it has encouraged us in our daily work.

 

 

Recently, when I come to work, I am soothed by the beautiful singing of the Japanese bush warbler, Uguisu.

When I hear them chirping “Ho ho ho kekyo,” I feel that spring has come. The Japanese nightingale is also known as the “spring-breaking bird.

In spring, they chirp “Ho ho ho kekyo” to tell us that spring has come. If you ask me, you won’t hear them singing “Ho ho ho kekyo” anytime around the time it gets hot.

 

It is said that there are three kinds of calls of the Japanese nightingale, and only males in the breeding season sing “ho ho ho kekyo.

The “ho ho kekyo” call of the male Japanese bush warbler is called a chirp, and is used to call females to their territory, and at the same time, it is meant to assert to other males that “this is my territory.

Generally speaking, the warbler’s breeding season is from February and March to mid-July, so they do not make the “hohokekyo” call at other times of the year.

 

When the temperature rises and the weather gets warmer, the song goes “Ho ho ho kekyo,” signaling the arrival of spring.

The first cry of the Japanese bush warbler is still observed nationwide by the Japan Meteorological Agency as part of its seasonal biological observation, just like the blooming dates of the plum and cherry trees. The Japanese bush warbler’s “hohokekyo” call is literally “one indicator of the arrival of spring in Japan.

 

The Japanese bush warbler is a monogamous bird, and since more than 90% of birds are said to be monogamous, it is in the minority. The male’s appeal does not end when he becomes a couple with one female, but he has as many as five or six wives, so he has to stay that way for a long time.

 

Have you ever actually seen such a Japanese nightingale?

Uguisus are grayish-brown all over and apparently difficult to spot easily. The dull yellowish-green color is called “igusu-iro,” which seems to have been introduced in ancient times due to confusion with the white-eyes. The size of the Japanese nightingale is about the same as a sparrow (14-15 cm), but its body shape is thinner than that of a sparrow, making it look a bit smaller.

Males are much larger than females, and it is difficult to tell them apart with the naked eye. It is difficult to tell them apart with the naked eye, but they are characterized by the white lines over their eyes.

 

Although the igusu is a representative of the “heard but not seen” type of bird, I am sure that they are somewhere in the nearby Shiroyama Hachimangu Shrine, so I will stop to look for them when I hear them.

 

So I will stop and look for them when I hear their voices.

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連休、いかがお過ごしでしょうか。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董品買取 古美術風光舎)

2024.04.29

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

連休ど真ん中、皆様いかがおすごしてでしょうか。この過ごしやすい時期を楽しんでいらっしゃいますでしょうか。私はこうやって本日は仕事をしておりますが、連休中お仕事の方も多いのではないでしょうか。

 

お子さんのいらっしゃる方は別として、大人だけの事情でしたら、このところお休みの時期をずらしてとる方もいたりして、このところ、そんなに「ここで休まねば!」といった時代ではなくなったような気がいたしますが、お休みはどこかでほしいものですね。

 

ところで、昔の人はハレの日以外そんなに休みがなかったような話を聞きますが、それは農作物を作っていた農民に限ってだったのでしょうか。武士のようにお勤めのある方の働き方はどうだったのか、調べて見ると江戸時代の武士の働き方がちょっと興味深かったので少しお付き合いくださいませ。

 

例えば江戸城に勤務する武士。護衛や雑務に従事する下級武士は「3日勤め」。2日勤務したら、次の日は休みだったようです(当番2日、非番1日)。朝から晩までの勤務というわけではなく、朝番・夕番・不寝番に分かれた三交代制だったのだようでして、また、藩の事例ではあるが、長州藩の城の警備職の場合は1日夜勤して2日休みというものもあったようです。

 

ただし、下級武士の給料は低かったので、それではとても生活していけないということで、カゴやザル作り傘張りなどの内職をしていたようです。つまり休みの日にも多くの時間は仕事をしていたということになり、ある意味現在の副業OKの会社のようですね笑。

また、中級以上の武士になるとさすがに内職などをする必要はなかったようですが。ちなみに上級の武士はどういう働き方だったのでしょうか。

 

江戸幕府の最高職というべき老中は、譜代大名の中から選ばれ定員は4人から5人。月番制であり毎月1人が担当したようです。午前10時に江戸城に登城し、午後2時には退出したというから勤務時間は約4時間でありました。とは言え、老中職の仕事だけでなく藩主としての仕事もあるので、かなり多忙だったようです。役職を掛け持ちる会社役員のようですね。

 

また、寺社奉行は定員約4人、町奉行は2~3人というように、江戸幕府は各役職の定員が複数人であったようで、老中と同じように月番制でありました。1カ月交代で業務をしつつ、最後には合議制で物事を決めていったようです。

 

このような体制にしたのは、1人の者に権力が集中するのを避けるためでしょうが、1人で物事を決めるのではなく他人と合議することによって、よりよい解決策を見出すことができると考えたという見方もできるのでしょうか。いやいや、意地悪く考えるなら責任の所在を明らかにしない無責任体制ともいえるかもしれませんね。

 

ただし武士の勤務時間(日数)や時間管理は商家や農家に比べて、楽なように見えるものの無断欠勤には処罰もあったし、時間厳守の風潮もあったようでう。また、勤務を終え自宅に帰ってからも、自宅で執務することもあったり、下級武士のように内職のような残業のようなものであったりと、結構厳しめで忙しかったようですね。

 

こうやって昔からよく働き、それが染み付き「休み下手」の国民性が出来上がったことはよくわかりました…。

 

ですが、このところの働き方改革でお休みがとりやすくなってきたものの、自分を含めお休み中も心の片隅に仕事や家庭のことが離れない性分の方もいらっしゃるのではないでしょうか。これが手離せたらどんな解放感なのか…、日本人が古から染み付いたマインドセットから解放され、その域に達するのにはもう少し時間を要するような気がいたしますが、そんな私も明日からの連休の予定を今慌てて考えたりと、やはり休み下手が染み付いております。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

How is everyone doing in the middle of the consecutive holidays? I hope you are enjoying this pleasant time of year. I am working today, but I am sure that many of you are working during the holidays.

 

Except for those with children, there are some adults who are taking their holidays at different times. It seems that the feeling of “I have to take a holiday here! I feel that the feeling of “I have to take a holiday here!

 

By the way, I have heard that people in the past did not have vacations except for special occasions. I was interested to learn more about the working styles of samurai in the Edo period (1603-1868), so please bear with me for a moment.

 

For example, a samurai working at Edo Castle. Low-ranking samurai engaged in guarding and miscellaneous duties had a “three-day shift,” meaning that they worked two days and had the next day off (two days on duty and one day off duty). In the case of castle guards in the Choshu domain, there were also cases where one day was night shift and two days off.

 

However, since the salaries of lower-ranked samurai were low, they could not make a very good living with that, so they worked inside jobs such as making baskets and colanders and stretching umbrellas. In other words, they spent much of their time working even on their days off. In a sense, it is like today’s companies that allow side jobs.

In a sense, it is like today’s companies that allow people to work on the side. By the way, what kind of work style did senior samurai have?

 

The highest position in the Edo Shogunate, the Ranchu, was selected from among the feudal lords of the Edo period, and the number of Ranchu was limited to four to five. The post was assigned to one person each month on a monthly basis. The Ranchu arrived at Edo Castle at 10:00 a.m. and left at 2:00 p.m., which means that he was on duty for about four hours. Nevertheless, he was quite busy, not only with the work of the old man’s post but also with his duties as a feudal lord. It seems that he was like a company executive who holds several positions.

 

The Edo shogunate had a system in which the magistrate for temples and shrines had a maximum of about 4 people, and the magistrate for towns had 2 to 3 people, and like the Ranchu, each position had a monthly shift.

 

This system may have been adopted to avoid the concentration of power in the hands of one person, but it may also mean that he thought he could find a better solution by discussing with others instead of making decisions alone. No. Or, to put it another way, it could be called an irresponsible system that did not clarify where responsibility lay.

 

However, although the working hours (number of days) and time management of samurai seemed easier than that of merchants and farmers, there were punishments for unauthorized absences, and there seems to have been a climate of punctuality. In addition, even after returning home after work, they sometimes held office work at home or did some kind of overtime work like low-ranking samurai did at home.

 

I could understand that working hard in this way for a long time has been ingrained in the Japanese people and has created a national character that is “bad at taking time off”….

 

However, although the recent reforms in the way we work have made it easier to take vacations, there are probably some people, including myself, who cannot seem to let go of thoughts of work and family in the corner of their minds even during their vacations. I think it will take a little more time for Japanese people to free themselves from the mindset that has been ingrained in them since ancient times and reach that level of freedom. I’m still not very good at taking holidays.

 

Have a good day.

 

 

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