2月, 2023 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 3

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針供養の日(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.02.08

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

本日の名古屋はとっても暖かく一足早い春のようなお天気。コートなしでも日中は過ごせそうですが、夜になるとまだまだ冷えるようなので油断は禁物ですね。

 

2月8日、今日は「針供養の日」ということで、この日は裁縫を休んで、古い錆びた針や折れた針など使えなくなった縫い針を集めて社寺に納めたり、豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺したりして供養を行う日なのだそうです。

 

針供養は2月8日と、12月8日とあり西日本では12月8日に行うところが多く、東日本は2月8日に多く行われます。

ちなみに名古屋は2月8日に行われるところが多いのだとか。

ただ、地域に関わらず両日行うところもあるようでして、この日付の違いには「事始め、事納め」の捉え方が影響していると言われています。

 

この「事始め、事納め」というのは、コトノカミという神様を祀るおまつりで、「事」という字は神様への祈りの文である祝詞を入れた器をつけた木を高く捧げて祖霊を祀るという意味の「史」と、吹き流しを組み合わせた形で、「まつり」を意味しているのだそうです。

コトノカミのまつりは、12月8日と2月8日の2回あり、12月8日が「事始め」で2月8日が「事納め」になる場合とその逆になる場合があります。

この違いはコトノカミが「年神様」か「田の神様」かという違いでして、この時に行う「事」が新年に迎える神様の事なのか、田畑を耕し農耕に勤しむ人の事なのか、という違いで日付が逆転するそうです。

 

そして、この2月8日と、12月8日のことを「事八日(ことようか)」や、「事の日」などと呼び、この「事八日」の日にお世話になった道具を片付け、感謝するという風習があります。

この風習は定かではないようですが、一つの言われとして中国の「社日(土地の神様をまつる日)に針線(針仕事)を止む」という習わしに起因するというそうなのです。

そして平安時代には貴族の間で行われるようになり、江戸時代に針の労をねぎらい裁縫上達を願うまつりとして広がっていきました。

 

当時から針仕事は女性にとって重要な仕事だったため、折れた針や古くなった針に感謝の気持ちを込めて柔らかい豆腐やこんにゃくや餅に刺し、川に流したり、土に埋めたり、神社に納めたりして供養をしたという最初に書いた針供養の起源につながってくるということですね。

 

そしてなぜ、豆腐などの柔らかいものに刺すのかといいますと、これまで硬い生地などを刺してきた針に対し、最後は柔らかいところで休んでいただきたいという気持ちや供養としての気持ちがあると言われています。

針に対しても労いの気持ちを忘れないというところが、日本人の奥ゆかしさといいますか‥良いですよね。

また、「事八日」には針供養以外にも風習がありまして、妖怪や一つ目小僧などの悪神が家を訪れるとされていたため、魔除けとして目籠をくくりつけた竹竿やニンニクなどを庭先に置いたりして、「お事汁」という汁物を食べて魔除けをしたのだそうです。

そして身をつつしむためにその日は針仕事をしてはいけない、山に入ってはならないなどの言い伝えもあるそうですよ。

 

様々な背景がありますが昔からの言い伝えは現代にも引き継ぎながら、伝統を受け継いでいきたい思います。

では。

 

 

Hello everyone. This is staff M.

Nagoya is very warm today, and the weather is like an early spring. It looks like you can get through the day without a coat, but it’s still chilly at night, so don’t let your guard down.

 

February 8th is “Needle Memorial Day”, so on this day we take a break from sewing and collect old rusty needles, broken needles and other unusable sewing needles and put them in shrines and temples. It seems that it is a day to hold a memorial service by stabbing a soft object.

 

Hari Kuyo is held on February 8th and December 8th. In western Japan, it is held on December 8th, and in eastern Japan, it is held on February 8th. By the way, Nagoya has many places where it is held on February 8th. However, regardless of the region, it seems that there are places where it is held on both days, and it is said that the difference in this date is influenced by the perception of “starting things and ending things”.

 

Koto no Kami is a festival dedicated to the god Koto no Kami. It seems that it means “festival” by combining “history”, which means to enshrine, and streamers. The Kotonokami Festival is held twice, on December 8th and February 8th, and there are cases where December 8th is the “start of things” and February 8th is the “end of things”, or vice versa. This difference is whether Kotonokami is “Toshigami” or “Tanogami”, and whether the “things” to be done at this time are about the gods who welcome the new year, or about the people who plow the fields and work hard at farming. It seems that the date is reversed by the difference.

 

February 8th and December 8th were called ‘Kotoyoka’ or ‘Kotoyoka’, and I was indebted to them on these ‘Kotoyoka’ days. There is a custom to put away the tools and give thanks. It seems that this custom is not certain, but one theory is that it originates from the Chinese custom of “stopping needlework on Shajitsu (the day when the gods of the land are celebrated)”. In the Heian period, the festival began to be held among the nobility, and in the Edo period, it spread as a festival to pray for the labor of the needle and to pray for the improvement of sewing.

 

Since needlework was an important work for women from that time, broken or old needles were pierced into soft tofu, konnyaku, or rice cakes, poured into rivers, buried in soil, or dedicated to shrines as a sign of gratitude. It is connected to the origin of the needle memorial service that I wrote at the beginning that the memorial service was held by.

 

As for the reason why the needles are used to pierce soft materials such as tofu, it is said that there is a desire to have the needles, which have been used to pierce hard materials, rest in a soft place at the end, or as a memorial service. increase. The fact that they don’t forget to treat their needles with kindness is one of the modest aspects of the Japanese people, isn’t it?

 

In addition to the needle memorial service, there were other customs on Koto 8th, and it was said that evil spirits such as yokai and hitotsume-kozō would visit the house, so as talismans against evil spirits, bamboo poles with eye baskets attached, garlic, etc. It is said that they placed them in the garden and ate a soup called “Okoto-jiru” to ward off evil spirits. Also, there are legends such as not doing needlework or going into the mountains on that day in order to respect oneself. There are various backgrounds, but I would like to inherit the tradition while taking over the tradition from the old days to the present age.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お寒くなってまいりましたので、お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

 

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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#骨董#高価買取#古い物#家じまい#古美術#生前整理#針#針供養

手相をみてもらいました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.02.05

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

 

先日、人生初めて占いに行ってまいりました。

名古屋在住の方はご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、大須にございます「桃源院」にて手相をみてもらいました。

 

桃源院では主に手相を中心に、恋愛、仕事、健康、金運などの運勢を占っていただけるということで、私もしっかりお話聞いてきたのですが、手相をみてすぐ適格にいろいろ言い当てられて人生初の占いは少し驚きと動揺が隠せませんでした(笑)

 

手相の歴史を少し調べてみたところ、約4000年以上前のインドが発祥と言われ、中国、チベット、エジプト、ペルシャ、ギリシャ、イスラエルなどのヨーロッパに伝わり、日本に伝わりました。

古代ギリシャの数学哲学者で有名なピタゴラスがインドに渡り、様々な学問や手相を学んだのち弟子に伝えられたとされています。

 

8世紀末、日本では平安時代になると中国から易学と一緒に手相が伝わり当時の権力者と弟子たちのみで盛んだったと言われています。

江戸時代末期には水野南北により手相の指南書である南北相法が世に出て手相占いの教科書とされたそうです。

そのころにはもう日本でも手相占いが一般化され大衆に広がったと言われています。

 

 

そして私が想像していた手相とは、手のひらを細かくみてもらい占ってもらうと思っていたのですが、手のひら含め、爪や指紋、指の形状や、指の関節や手のひらの弾力や質感など総合的にみて判断していくということも今回初めて知りました。

そして手の線については様々な名称があり、よく知られているのは生命線や結婚線、頭脳線や感情線などが挙げられますが、他にもユーモア線や、向上線、旅行線、影響線、人気線などもあり、その事柄についての運勢や現在の状態、今後起こりうることなども教えていただいて終始興味津々でした。

 

基本的に占いは自分の良いようにしか捉えないタイプですが、それでも今年は少し慎重に言われたことを思い出しながら行動していきたいなと思います。

 

 

Hello everyone. This is staff M.

The other day, I went to fortune telling for the first time in my life. If you live in Nagoya, you may know, but I had my palm read at “Togen-in” in Osu.

 

At Tougen-in, you can tell fortunes about love, work, health, financial fortunes, etc., mainly by palm reading, so I listened carefully, and when I saw the palm reading, I was able to guess various things right away. My first fortune-telling was a bit of a surprise and I couldn’t hide my turmoil.

 

After doing some research into the history of palm reading, it is said that it originated in India more than 4,000 years ago, and then spread to China, Tibet, Egypt, Persia, Greece, Israel, and other European countries, and then to Japan. It is said that Pythagoras, a famous philosopher of mathematics in ancient Greece, traveled to India and passed it on to his disciples after learning various subjects and palmistry.

It is said that at the end of the 8th century, during the Heian period in Japan, palm reading was introduced from China along with the study of divination, and it was popular only with the rulers and disciples of that time. At the end of the Edo period, Namboku Soho, a palmistry guide, was published by Nanboku Mizuno and became a textbook for palmistry. It is said that by that time, palmistry had already become commonplace in Japan and had spread to the masses.

 

And the palmistry that I imagined was that I would have you look at your palm in detail and fortune-telling. I also learned for the first time that I will make a judgment by looking at it objectively. There are various names for the lines of the hand, well-known are the life line, the marriage line, the head line and the heart line, but there are also other lines such as the humor line, the upward line, the travel line, and the influence line. There are lines, popular lines, etc., and I was very interested from beginning to end because I was told about the fortune, current state, and what could happen in the future.

 

Basically, I’m the type who only perceives fortune-telling as my own good, but I would like to act while remembering what I was told a little more carefully this year.

 

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#骨董#高価買取#古い物#家じまい#古美術#生前整理#占い#手相

 

 

 

市原稲荷神社で稲荷の玉からパワーをいただきました(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.02.04

みなさま、こんにちはスタッフNでございます。

 

少し暖かくなってきて、今日は猫ちゃんに4匹会うことができました。

 

澄んだ空気の中日向ぼっこ、気持ちよさそうですね。

 

もうすぐバレンタインでございますね。

 

毎年話題のチョコの祭典、アムールデュショコラはもういかれましたでしょうか?

 

先日スタッフと参戦してまいりましたが、あまりの人の多さに定番のチョコを買って退散いたしました。

 

チョコのコミケと呼ばれるくらい壮絶な戦いを勝ち抜いた後のスイーツはさぞ美味しいでしょう。

 

またこちらのブログでもご紹介できるときがくるといいなと思います。

 

 

先日、刈谷市にある市原稲荷神社に行って参りました。

 

 

 

おみくじは中吉でしたが、書いてあることに納得できなかったので、紐に括り付けておきました。

 

狐様はこうしろと助言されておりましたが、頑固なのでNは従いません(笑)

 

「稲荷の玉」というものがございまして、触ってパワーをいただいてまいりました。

 

稲荷の玉にまつわる伝説がありまして。

 

昔々、全国各地を旅する一人の老人がいました。老人が市原の地に来た時、一夜の宿を探していた様子で、時の宮司が宿を貸しました。そして明くる日、その老人から「この境内には御神宝に勝るとも劣らない立派なものがある。」「それを丁重におまつりすれば、より一層繁栄するでしょう。」と言い残し去って行きました。言われるがままに境内を隈なく探してみると、御本殿の奥底より大きな石の玉が出てきました。

その後、おまつりし、参拝に来た人がこの玉に触れてみたところ、子宝に恵まれたとか病気が治ったとか数えきれぬ程の霊験を聞くようになり、諸願成就の石の玉として知れわたっていったそうです。

皆さんも参拝の折に願いを込めて『稲荷の玉』に触れてみてはいかがでしょうか。

 

 

市原稲荷神社に関する伝説もご紹介いたします。

 

むかし海中いずこからともなく、ご神体が浮かんで磯に寄り移りました。
時に市原の島に住んでいた白狐が、このご神体をくわえて陸に上がりました。

この地は「お茶屋」と呼ばれる地でした。 そこで村びとは社を建て、これをご神体としてまつりました。これが稲荷大明神だそうです。

これは「海寄り神」の伝説といって、海沿いの村にはあちこちに見られる伝説なんだとか。

 

 

「市原神社鎮座記」によると、第36代孝徳天皇の白雉(はくち)4年(653)に、亀狭山(現:亀城公園)の地に神殿を創立したのが始まりだそうです。

 

のち水野忠政が亀狭山に刈谷城を築いたのち、社を城のすみに移しまつり、神馬などを奉り手厚く武運隆昌(戦に勝って大いに栄えること)の祈願所といたしました。

 

 

市原稲荷神社の祭神は、 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・大山祇神(おおやまづみのかみ) の三柱で、「市原稲荷の大神」と言われております。

 

三神ともに太古よりの神々で、天にあっては巽(たつみ)(南東)の方角を司り、庶民にあまねく福を授け、厄いを祓(はら)い、地に在りては人の衣食住を守り、農業・商業・工業の繁栄を導き、生成化育・発展充実を理想とされるご神徳をお持ちの神でございます。

 

市原稲荷神社は、いわゆるお稲荷さんとしてこの地を支配した領主の崇敬するところで、歴代の領主から神田の寄進などがありました。天文2年(1533)水野忠政は刈谷城を築いてここに移りましたが、今川勢と織田勢にはさまれた苦難の時代でした。

 

永禄3年(1560)今川義元が西上して桶狭間の合戦となりますが、このとき今川軍の狼藉によって神社の社殿も焼き払われる苦難にあいました。

 

しかし同五年社殿は城の隅に南面として再建され、歴代城主は今まで以上に神宝を奉り、兵器を整え、崇敬を強めたといいます。

 

 

祭日には神興の渡御があります。神興は本町の獅子を先頭に秋葉社まで巡行されて休憩、市原稲荷神社に御帰還になります。お旅行列とも呼ばれます。獅子は慶長年間に刈谷城主水野勝成が寄進したものと伝えられています。この年から、本多氏の家臣である多門伝十郎信秀作の猿田彦の面が登場するようになりました。

 

ではでは

 

Hello everyone, this is Staff N.

 

It’s getting a little warmer, and today I was able to meet four cats.

 

Basking in the sun in the clear air feels good.

 

It’s almost Valentine’s day, isn’t it?

 

Have you enjoyed Amour du Chocolat, the much-talked-about chocolate festival every year?

 

The other day, I participated in the event with the staff, but due to the large number of people, I bought the standard chocolate and left.

 

The sweets after winning a fierce battle that is called the chocolate Comiket are delicious.

 

I hope the time will come when I can introduce it on this blog.

 

 

 

The other day, I went to Ichihara Inari Shrine in Kariya City.

 

 

 

 

The omikuji was Nakayoshi, but I couldn’t agree with what was written, so I tied it to a string.

 

The Fox-sama was advised to do this, but N is stubborn and refuses to comply (laughs).

 

There is a thing called “Inari no Tama”, and I touched it and received power.

 

There is a legend related to the Inari ball.

 

Once upon a time there was an old man who traveled all over the country. When the old man came to Ichihara, he seemed to be looking for a place to stay for the night, and was rented by the chief priest of the time. The next day, the old man left, saying, “In this precinct there is something as splendid as the sacred treasure. . When I searched the precincts as I was told, I found a large stone ball from the depths of the main hall.

After that, when people who came to worship at festivals touched this ball, they heard countless miraculous stories such as being blessed with children or being cured of illness. It seems that it has been known.

Why don’t you touch the “Inari ball” with your wishes when you visit the shrine?

 

 

 

We will also introduce the legend about Ichihara Inari Shrine.

 

Once upon a time, out of nowhere in the sea, an object of worship floated to the shore.
Once upon a time, a white fox who lived on the island of Ichihara climbed onto land with this sacred object in its mouth.

This place used to be called “Ochaya”. Therefore, the villagers built a shrine and enshrined it as a deity. This is said to be Inari Daimyojin.

This is the legend of the “Umiyorigami”, a legend that can be seen here and there in coastal villages.

 

 

 

According to the Ichihara Jinja Chinzaki, the 36th Emperor Kotoku built a shrine on Mt.

 

After Tadamasa Mizuno built Kariya Castle on Mt. Kamesayama, he moved the shrine to a corner of the castle and worshiped sacred horses, etc., and made it a place of prayer for Takamasa Martial Arts (won the battle and prosper greatly).

 

 

 

The deities enshrined at Ichihara Inari Shrine are Uganomitamakami, Ukemochi no Kami, and Oyamazumi no Kami, and are called ‘Ichihara Inari no Okami’. We are here.

 

All three gods are gods from ancient times. In the heavens, they rule over the direction of Tatsumi (southeast), bestow blessings on the common people and ward off misfortunes, and in the earth, they are the food, clothing, and shelter of people. It is a god who protects the world, guides the prosperity of agriculture, commerce, and industry, and has the divine virtue of ideals for the development and development of agriculture.

 

Ichihara Inari Shrine is a place worshiped by the feudal lord who ruled this area as the so-called Inari-san, and there were donations of Kanda from successive feudal lords. In 1533, Tadamasa Mizuno built Kariya Castle and moved here, but it was a difficult time between the Imagawa forces and the Oda forces.

 

In the 3rd year of Eiroku (1560), Yoshimoto Imagawa went west and fought in the Battle of Okehazama, but at this time, the Imagawa army was violent and the main building of the shrine was burned to the ground.

 

However, in the same five years, the shrine was rebuilt on the south side in the corner of the castle, and it is said that successive lords of the castle dedicated more sacred treasures, prepared weapons, and strengthened reverence.

 

 

 

There is a Shinko togyo on festival days. The shinko parades to Akiba Shrine, headed by the lion of Honcho, takes a break, and returns to Ichihara Inari Shrine. Also called a travel train. The lion is said to have been donated by Katsunari Mizuno, the lord of Kariya Castle during the Keicho era. From this year onwards, the mask of Sarutahiko by Tamon Denjuro Nobuhide, a vassal of the Honda clan, began to appear.

 

See you soon

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#骨董#高価買取#古い物#家じまい#古美術#生前整理#遺品整理 #市原稲荷神社 #神社

 

長久手市のお客様より買受いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 古美術買取 古美術風光舎)

2023.02.03

 

長久手市のお客様より、中国美術を買受いたしました。

大切な御品をお譲りくださいまして、誠にありがとうございます。

また何かございましたら、古美術風光舎をよろしくお願い申し上げます。

 

風光舎では、中国美術等買取強化しております。

お気軽にご相談ください。

 

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今年は「南南東」(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.02.03

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

鬼は外、福は内。今日2月3日は「節分」です。

節分といえば千葉県成田市、成田山新勝寺の豆まき式が有名ですよね。今年は3年ぶりにコロナ禍に伴う入場制限を設けずに開催され、朝ドラヒロインやNHK大河ドラマに出演する俳優なども参加し賑やかな豆まきになったのだとか。

ところで皆さま、節分といえば2月の行事という認識の方が多くいらっしゃると思いますが、実は節分は年4回もあるそうなのです。

 

そもそも「節分」とは、季節の節目である「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」の前日のことを言います。その中でも「春の節分」には、邪気が入りやすいと考えられていることから、1年間の平穏無事と邪気を祓う意味を込め「追儺(ついな)」という行事が行われていたそうです。

 

もともとは平安時代に宮中行事として大晦日に行われていたそうですが、江戸時代ごろなり徐々になくなっていき庶民の間で節分に豆をまいて鬼を追い払い無病息災を祈る行事として追儺が広まり、いつしか豆まきが節分の行事となったと言われています。

 

そして節分といえば、恵方巻は欠かせませんよね。

今年の縁起の良い方角は「南南東」ですので、皆さま恵方巻丸かぶりして福をたくさん招いていきましょう。

 

ちなみに今日店主に、柊鰯を飾るかどうか尋ねられまして。

わたくし柊鰯という存在を初めて知ったのです。

柊鰯とは・・・「焼いた鰯から出る煙の強い香りで邪気を追い払い、尖った柊で鬼の目を刺す」という魔除け・厄除けの意味があります。

実際に写真を見てみると、なかなかインパクトの強い見た目で私が鬼だったら近づきたいくないような雰囲気でした(笑)

 

最近では、恵方巻と豆まきが主流で柊鰯を飾られるご家庭も少なくなってきたかと思いますが、思い出したときに日本の伝統や風習を取り入れてみるのも良いのかもしれませんね。

ぜひ柊鰯作られ方いらっしゃいましたら、InstagramのDMなどで共有していただけたら嬉しいです。

 

 

それでは、今年も皆さまにたくさんの福が訪れますように。

 

 

 

Hello everyone. This is staff M.

Demons are outside, fortune is inside. Today, February 3rd is “Setsubun”. Speaking of Setsubun, the bean-throwing ceremony at Naritasan Shinshoji Temple in Narita City, Chiba Prefecture is famous. This year, for the first time in three years, there were no admission restrictions due to the corona crisis, and the heroines of Asadora and actors who appeared in NHK Taiga dramas also participated, making it a lively bean-scattering event.

 

By the way, many of you may think of Setsubun as an event in February, but in reality, Setsubun is held four times a year.

 

In the first place, “Setsubun” refers to the day before the turning points of the seasons, “rishun”, “summer”, “autumn”, and “winter”. Among them, “Spring Setsubun” is considered to be prone to evil spirits, so it seems that an event called “tsuina” was held with the meaning of warding off evil spirits and peace for the year.

 

Originally, it was held on New Year’s Eve during the Heian period as a court event, but it gradually disappeared around the Edo period. It is said that one day the bean-throwing event became a Setsubun event.

 

And speaking of Setsubun, Ehomaki is indispensable. This year’s auspicious direction is “south-southeast”, so let’s invite a lot of good fortune by wearing a round ehomaki.

 

 

By the way, today the shopkeeper asked me if I would like to decorate with Hiiragi sardines. It was the first time I learned about the existence of Hiiragi Iragi. The holly sardine has the meaning of warding off evil and warding off evil, as the strong scent of smoke from grilled sardine drives away evil spirits, and the pointed holly tree pierces the eyes of demons. When I actually looked at the photo, it looked quite impactful, and if I were a demon, I wouldn’t want to get close to it.

 

Recently, Eho-maki and bean-scattering have become mainstream, and the number of households decorating with holly sardines has decreased. . If you know how to make holly sardines, I would appreciate it if you could share them via Instagram DM. May this year bring you many blessings.

 

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明日は節分ですね。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2023.02.02

みなさま、こんにちはスタッフYでございます。

 

ついこの間、新年を迎えたばかりだと思っておりましたら、先日から早くも2月に突入ではないですか。個人的に非常にびっくりしております。そして、明日は早くも節分を迎えようとしており、お正月のバタバタが落ち着いたのも束の間、今年の節分や恵方巻はどうしようか悩ましい本日でございます。

 

 

それにしても毎年加速度的に歳月が早くなったと感じるのですが、周りの知人や家族もいっておりますので、間違いなくこれは自分に限ったことではないようなのは確か。

 

そのようなことを、先だっての「ちこちゃんに叱られる」でも質問が寄せられておりましたよね。

ちこちゃんが言うには「人生にときめきがなくなったから。」という、大人にとってはなんとも寂しい回答でありましたが、要はワクワクやときめきが多いか少ないかによって、過ぎた時間を長く感じるか短く感じるかになることのようであります。

 

経験したことがないことをやっているときは(幼少期のころの体験などでありましょうか)それが強く意識に残り時間が長く感じ、反対に慣れてしまうと(今現在の私のような大人のことでしょうか)時間の長さが気にならなくなり、あっという間に時が過ぎたように感じるとか。

 

また、そういった理由付けのほかにも別の観点から解析してくれたすごいお方がいらっしゃるようでして、こちらの法則もなかなか面白いですが。

 

19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネという方が、その歳月を年を取ることによって早く感じることを〈ジャネーの法則〉という法則を発案しており、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則がございます。

 

「主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く感じられる」という現象を心理学的に説明したものですが、例えば、50歳の人間にとって一年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。つまり、50歳の人にとっての10年間は、5歳の人にとっての一年間にあたり、5歳の人にとっての一日は、50歳の人にとっての10日にあたるということのようでして。

簡単にまとめると、〈ジャネーの法則〉は「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」ということでして、生きてきた年数によって一年の相対的な長さがどんどん小さくなることによって、時間が早く感じるというわけです。

 

具体的に私の年齢で換算して述べたいところなのですがそれは割愛するといたしまして、5歳のお子さんとご自分の年齢で、どうぞシャネーの法則、あてはめてみてくださいませ。5歳の子供の一日がどんなに充実しているか驚きでありますね。いやぁ、我々にもそんな頃があったのですが、忘れたな…。

 

いずれの理由においても主観的に経験や記憶されるものが生活の中にたくさんある方が、時間は長く感じられるようですので、現在、5歳+N歳の私もまだ遅くはないか。主観的に記憶されるワクワクやドキドキを探せばいいのだな、ならばさっそく何かないのか…と、思案しておりましたことろ思いつきましたよ、そう明日のあれを笑。

 

明日は節分の豆まき。いつもは豆を投げる鬼退担当なのですが、今年は鬼担当をかって出まして、あの豆を投げつけられるエキサイト感を味わってみてはどうかと思いつきまして。明日は担当を入れ替わって、主観的に記憶されるワクワクやドキドキを試し、心理的な時間長さの体感を早速試してみたいと思っております。

 

それでは、ごきげんよう。

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

I thought we had just welcomed the New Year a few days ago, but the other day it was already February. I am personally very surprised. Tomorrow is already Setsubun, and while the New Year’s flurry of activities has settled down, today I am wondering what to do about Setsubun and Ehoumaki this year.

 

I feel that the years go by faster and faster every year, and since my acquaintances and family members around me are also saying the same thing, I am sure that this is not limited to me.

 

I know that you were asked about this in “Chiko-chan ni scolded” a while ago.

Chiko said, “Because my life has lost its thrill. The point is, depending on whether you have more or less excitement and thrill, you may feel that the time that has passed is longer or shorter.

When you are doing something you have never experienced before (perhaps an experience from your childhood), it remains in your mind and you feel the time is long. On the other hand, when you get used to it (perhaps you are an adult like me now), you do not care about the length of time and it seems like time passes in a flash.

 

In addition to such reasoning, there is a great person who has analyzed it from another point of view, which is also quite interesting.

Paul Janet, a 19th century French philosopher, proposed a law called “Janet’s Law,” which states that we feel the years pass more quickly as we get older.

For example, for a 50-year-old person, a year is one-fiftieth the length of life, but for a 5-year-old person, it is one-fifth. In other words, 10 years for a 50-year-old is one year for a 5-year-old, and one day for a 5-year-old is 10 days for a 50-year-old.

Simply summarized, “Janay’s Law” states that “the psychological length of time at a certain point in one’s life is proportional to the inverse of one’s age (inversely proportional to one’s age),” and that the relative length of a year becomes smaller and smaller with the number of years one has lived, making time seem to go by faster.

 

It is amazing how full a day can be for a 5-year-old child. Well, we had those days too, but I forget….

 

For whatever reason, time seems to seem longer when there are more things in life that are subjectively experienced and remembered, so I guess it’s not too late for me, now 5+N years old. I was thinking that I should look for the excitement and thrill of being remembered subjectively…and then I thought of something….

 

Tomorrow is the Setsubun bean-throwing day. Normally, I am in charge of throwing beans at the ogres, but this year, I would like to take on the role of an ogre and experience the excitement of having those beans thrown at me. For those of you who are looking for the excitement and thrill of being remembered subjectively, why don’t you try a change of pace tomorrow and switch the person in charge?

 

Have a good day.

 

 

 

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重ね正月(愛知県名古屋市千種区姫池通 古美術買取 古美術風光舎)

2023.02.01

皆さま、こんにちは。スタッフMです。

 

 

 

早いものでもう2月に入りましたね。本日2月1日は「重ね正月」または「一夜正月」。

厄年の人のための2回目のお正月で、厄年の人が「年かさね」と称して、この日を2回目の元日として仮にひとつ歳をとらせ、厄年を早くやり過ごそうとする風習でございます。

 

現在は満年齢で数えますが昔は数え年で、生まれた年が1歳で新年のたびに1歳を+する計算方法が使われてきました。現在の数え方なら、厄年を迎えた人はその年がずっと厄年にあたってしまうのに対して重ね正月をすれば、1月だけ厄年で済ませられるということになります。

こう聞くと少し厄年に対しての考え方や厄年に該当する方の1年間のモチベーションが変わってきますよね。

 

 

もともと「重ね正月」とは、陰陽道が日本に伝わった平安時代とされています。

厄年は悪い意味として解釈されることが多いものの、昔は村などの集落で重要な役割をこなせる年齢という意味で「役」として使っていたとも言われているんだそうです。神事に関わる人は特に身を慎むとされ、現在も厄年は慎重に過ごす傾向が根付いています。

 

 

重ね正月の過ごし方はいくつかありますが、2回目の正月を迎えるため、2月1日は少し豪華な料理を振る舞うと良いとされています。地域によっては近所の人や、親戚などにも食事を振る舞い厄落としする場合もあるようです。

お雑煮をはじめ、元旦に食べた紅白かまぼこには初日の出を表わす意味があり、赤は魔除け、白は清掃を意味しますのでこちらもいただくと良いとされています。

 

そして重ね正月の過ごし方は厄落としがメインとなりますので、これを機に不要なものを処分するのも良いと言われています。

整理整頓や断捨離をすることで運気アップにつながり、自然と良い運気が舞い込んでくると考えられています。そう考えると2月中に厄年の方が周りにいる方や、今年厄年の方は是非、風光舎にて断捨離のお手伝いをさせていただきますのでお気軽にご相談ください。一緒に運気アップしていきましょう。

 

 

 

さて、ここまで重ね正月や厄年についてお話してまいりましたが、「あれ?今年厄年だったけ?」と考えている方もいらっしゃるかもしれませんので、厄年についても簡単に説明させていただきますと…

 

男性は25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳の方が厄年に該当いたします。

 

厄年は人生に3回訪れるもので、不幸や災難が降りやすいと考えられている年のことを言います。

厄年はライフステージが変化し、健康状態にも負担がかかると考えられ、意外なトラブルや普段よりも判断力が乱れてしまうといったことで災難を招く場合もあると考えられています。

 

また厄年の年齢になると、その1年間は「本厄」、前年は「前厄」、後年は「後厄」になり、合計すると3年間注意が必要となります。

 

とくに注意が必要なのは、大厄と言われる男性42歳、女性の33歳です。

この年齢は男女ともに心身落ち着かないことも多く、結婚、出産、転職など、大きなイベントと重ならないようにするのがベストと言われています。

ですが、否定的に考えすぎていては、うまくいくこともうまくいかなくなってしまいそうですので、頭の片隅に覚えておくようにするくらいの方がいいかもしれませね。

 

では。

 

Hello everyone. Staff M.

It’s early and it’s already in February. Today, February 1st, is called “Kasane New Year” or “Ichiya New Year”. It is the second New Year for those who are unlucky years, and it is a custom for those who are unlucky years to call themselves “Toshi Kasane” and treat this day as the second New Year’s Day, temporarily making them one year older, and trying to pass the unlucky years early.

 

Today, people are counted according to their full age, but in the old days, people used to count by counting years. Under the current method of counting, people who have had an unlucky year will be in an unlucky year for the rest of the year, but if they repeat the new year, they will only have one unlucky year. If you hear this, your way of thinking about unlucky years and the motivation for the year of those who fall under unlucky years will change.

 

Originally, “Kasane New Year” is said to be the Heian period when Onmyo-do was introduced to Japan. Although the unlucky year is often interpreted as having a bad meaning, it is said that in the old days, it was used as a role, meaning that it was the age at which one could play an important role in villages and other settlements. People involved in Shinto rituals are said to be especially careful, and even today there is a strong tendency to spend the unlucky year cautiously.

 

There are several ways to spend the New Year, but since it is the second New Year, it is said that it would be good to serve a little extravagant food on February 1st. Depending on the region, it seems that there are also cases where neighbors and relatives are treated to meals to dispel evil. The red and white kamaboko eaten on New Year’s Day, including the ozoni, symbolize the first sunrise of the year.

 

And since the main way to spend New Year’s holidays is to get rid of bad luck, it is said that it is also good to take this opportunity to dispose of unnecessary things. It is believed that tidying up and getting rid of things will lead to better luck, and that good luck will come naturally. If you think about it, if you have people around you who are in bad years during February, or if you are in bad years this year, Fukousha will help you get rid of it, so please feel free to contact us. Let’s improve our luck together.

 

 

Well, I’ve talked about New Year’s and unlucky years so far, but some people may be wondering, “Was this year an unlucky year?” So let me briefly explain about unlucky years… Men aged 25, 42, and 61, and women aged 19, 33, and 37 are unlucky years.

 

An unlucky year is a year that comes three times in one’s life, and is a year in which misfortune and misfortune are likely to occur. Unlucky years are thought to change the life stage and put a strain on one’s health.

 

Also, when you reach the age of unlucky year, the first year will be “main bad luck”, the previous year will be “fore bad luck”, and the later year will be “late bad luck”, so you need to be careful for a total of three years.

 

Those who need special attention are 42-year-old men and 33-year-old women, who are said to be in great trouble. At this age, both men and women often feel restless physically and mentally, and it is said that it is best not to overlap with major events such as marriage, childbirth, or changing jobs. However, if you think too negatively, even things that are going well will not go well, so it might be better to keep them in the corner of your head.

 

 

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