7月, 2021 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 4

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FROMKYOTOOSAKA

エモいと言われそうな喫茶店に行きました。(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎)

2021.07.03

皆さま、こんにちは。

先日京都に行った際に、喫茶店に入りました。

 

 

事前にInstagramで「#京都カフェ」と検索して、気になるものがあるか調べていました。

一人で行くので一人でも入れそうなところがないかと調べていたら、そんなことがどうでもいいと思えるような素敵な喫茶店を発見したので寄ろうと思い、頭の中の計画にも含んでおきました。

 

その喫茶店とは、京都下京区にある「喫茶ソワレ」です。

1948年(昭和23年)に開店して現在も続いている古き良き喫茶店です。

店名のソワレとはフランス語で「夜会」「素敵な夜」という意味だそうです。驚くことに店内は青色照明なのですが、それがまた「夜会」や「素敵な夜」という意味とマッチしていていいなと思います。

そして店内の青色照明は、創業者の友人である染色家、上村六郎氏が「女性がきれいに見える灯りを」とのアドバイスから決まったそうです。そのため、お見合いの場として使われることもあったそうです。女性の方はデートスポットとしてもいいかもしれませんね。

他にも青色照明は、高いリラックス効果や人の精神を落ち着かせる効果もあります。イギリスの都市で青色照明を街路に導入したところ。犯罪の発生件数が減少したという事例もあるそうです。青色照明…いいことづくめですね。

 

(写真にあるメニュー表に書かれている文字は、フランス語で「ようこそいらっしゃいました」という意味だそうです。素敵ですね。)

 

 

店内は壁に絵が多く飾ってあり、なんか見たことありそう!と思うものまでありました。コースターやコップにも女性の絵が描いてあり、東郷青児氏によって描かれたものでした。そうですよね…見たことあるぞってなりますよね。

東郷青児という名前、聞いたことないでしょうか? 絵を見れば分かるかもしれません。一度は目にしている方も多いと思います。

昭和の美人画家として戦後一世を風靡し、本屋雑誌、包装紙などに多数使われていたようです。描かれた女性像は甘くとても魅力的です。

 

喫茶ソワレでは、創業者が店のイメージに合うと気に行って飾っていたところ、二科会作家の方に連れられてご本人が来店されたそうです。

その後何枚もの美人画を描いていただいたそうです。そのため、東郷青児氏以外の絵画は二科会の会員の絵画が中心となって飾ってあるそうです。偶然が重なった結果ですね。

 

 

 

メニューも多く、魅力的な見た目のものばかりで迷ってしまいました。なので、ゼリーポンチフロートという人気どころを頼みました。

色々な色のゼリーが入っていて、とても可愛らしかったです。

ここで使われているサイダーは1889年に発売され、100年以上変わらぬ製法で作られている優しい炭酸だそうです。こだわりを感じました。

最近の若者言葉の「エモい」という言葉が合うのではないかと思いました。

(エモい・・・心地の良い懐かしさや良質なセンチメンタルに襲われた時に使われるそう)

店内もメニューも素敵でとても良かったのですが、なぜかわたしは途中から「店の回転率」という言葉が頭に浮かび、早々と出て行ってしまいました…。もし機会があれば、今度はぜひ友人と行きじっくりと店内を見回してみたいと思いました。

喫茶ソワレのホームページでは店内の写真を見ることもでき公式Instagramもあるので、

もしご興味のある方がいたら覗いてみて下さい。

 

Hello everyone.

When I went to Kyoto the other day, I entered a coffee shop.

I searched for “# Kyoto Cafe” on Instagram in advance to find out if there was something I was interested in.

Since I’m going alone, I was looking for a place where I could enter even by myself, and I found a nice coffee shop that I didn’t care about, so I decided to stop by and included it in my plan.

 

The coffee shop is “Coffee Soiree” in Shimogyo Ward, Kyoto.

It is a good old coffee shop that opened in 1948 (Showa 23) and continues to this day.

The name of the restaurant, Soiree, means “night party” or “nice night” in French. Surprisingly, the interior of the store is blue-lit, but I think it should match the meaning of “night party” and “nice night”.

And the blue lighting in the store was decided by Mr. Rokuro Uemura, a dyer who is a friend of the founder, from the advice that “a light that makes women look beautiful”. Therefore, it was sometimes used as a meeting place. For women, it may be a good date spot.

In addition, blue lighting has a high relaxing effect and a calming effect. I just introduced blue lighting to the streets in a British city. In some cases, the number of crimes has decreased. Blue lighting … It’s a good thing.

 

(The letters on the menu table in the photo mean “Welcome to you” in French. That’s wonderful.)

There are many pictures on the wall inside the store, so you may have seen it! There was even something I thought. Women’s drawings were also drawn on coasters and cups, and were drawn by Seiji Togo. That’s right … You’ve probably seen it.

Have you ever heard of the name Seiji Togo? You may understand it by looking at the picture. I think many people have seen it once.

As a beautiful painter of the Showa era, he prevailed in the postwar period and seems to have been used in many bookstore magazines and wrapping paper. The female figure depicted is sweet and very attractive.

 

At the cafe Soiree, the founder was interested in decorating it because it fits the image of the store, but he was taken by the Nika Association writer to visit the store.

After that, he drew many beautiful women. Therefore, it seems that the paintings other than Seiji Togo are mainly decorated by the members of the Nika Association. It’s the result of coincidence.

There are many menus, and I was at a loss because of all the attractive looks. So I asked for a popular place called Jelly Punch Float.

It contained jellies of various colors and was very cute.

The cider used here was released in 1889 and is said to be a gentle carbonic acid made by the same manufacturing method for over 100 years. I felt particular about it.

I wondered if the recent youth language “emoi” would fit.

(Emo … It seems to be used when you are attacked by comfortable nostalgia and good sentimental)

The inside of the store and the menu were nice and very nice, but for some reason I came up with the word “store turnover” and went out early … If I had a chance, I would definitely like to go and take a closer look at the store with my friends.

You can also see the photos inside the store on the Soiree website, and there is also an official Instagram, so

If you are interested, please take a look.

 

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生活様式の変化とともに、大切なお品を整理されている方もいらっしゃると思います。

ここ風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 

風光舎は、出張買取も強化しております。

愛知県内はもちろん、岐阜県・三重県その他の県へも出張いたします。

どんなにご近所の方でもお伺いできますので、まずはお電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL:052-734-8444

 

I think that some people are organizing important items as their lifestyle changes.

Here at Fukosha, we purchase various genres such as paintings, jewelry, and hobby items in addition to antiques and antiques.

Please feel free to contact us even if you have been tidied up and are wondering if this kind of thing is okay.

 

Fukosha is also strengthening business trip purchases.

We will make business trips not only to Aichi prefecture but also to Gifu prefecture, Mie prefecture and other prefectures.

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邪馬台国論争をアップデートしておきます。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎名古屋店) 

2021.07.02

みなさまこんにちは、スタッフYです。

本日大雨警報が発令されている地区もおありのようですので、ニュース等の情報に十分注意してお過ごしください。

 

 

 

ここ十数年の間に、歴史教科書の記述が大きく変わっていることをご承知の方も多いでしょうか。聖徳太子は厩戸皇子となり、鎌倉幕府の成立は1192年から1185年になっており、これをそのまま話していると昭和の人確定ですね笑。

 

他分野に比べて変化が少ないと思われがちな歴史の世界ですが、研究の進展によって、新解釈や新事実が次々と発表されています。が、その一方で、日本の歴史には、いまだ解明されていない謎はまだ多数存在しているのも事実ですよね。

 

その中でも、特に一般的な関心や人気が高いとされるのが次の3大テーマ。古代の「邪馬台国」。戦国時代の「本能寺の変」。幕末の「坂本龍馬暗」。これらのミステリー、解明自体にも歴史がありまして、それを探っていくと実に面白のです。今回は、毎度情報が錯綜する「邪馬台国」について、アップデートしていきましょう。

 

古代の日本に存在した国の一つで、女王が治めたという邪馬台国。中国の史書に記載されていますが、それが日本のどこにあったのかいまだによくわからず、さまざまな解釈をもとに各地が名乗りを上げています。その歴史も古く、邪馬台国の場所に関する本格的な論争は江戸時代後期から始まったとあり、新井白石や本居宣長が参戦して明治維新後も論争が続いております。

 

近畿地方にあったとする畿内説、九州中北部にあったとする九州説に別れることが多いですが、文献資料では今のところ「魏志倭人伝」以外に決定的な証拠がなく、遺跡などの発掘調査による論証から証明していかざるを得ないといったところです。また「魏志倭人伝」の記述も正確とはいいがたく、読み方や解釈によって距離や方位などが恣意的に読み取れることも位置議論を白熱させた要因ではないでしょうか。

 

当時の日本はまだ統一国家めいたものが存在しないので、各地にそれぞれ豪族が割拠し、大中小の豪族があるいは覇を競い、あるいは合従連衡を繰り返していたと考えられ、そうした遺跡が各地にあり、これもまた邪馬台国論争を複雑化させてきたのではありますが、これまでの200年くらいかけて諸説紛々出てきているという日本最長のミステリーに認定されそうですね。ここでそれらをすべてご紹介はできませんが、とにかく決め手がないんです、と、失礼ながらもうしあげておきましょうか。

 

邪馬台国だったと証明できる要因は何なのかといったところでも論点が分かれるところですが、例えば卑弥呼が魏と使者を交換していた木簡や印などの証拠が出たり、埋葬品などから明らかに卑弥呼のものとわかる墓があればそれだけで解決しそうなのですが、そうした遺物が都合良く出てくればいいが、残念ながらそんなものは未だ発見されていないのが現状。

 

そこに今回、名古屋大学宇宙地球環境研究所年代測定研究部の研究グループが、奈良県桜井市にある纒向(まきむく)遺跡(三輪山の北西)で2009年に出土したモモの種を調べたところ西暦135〜230年のほぼ100年間に食べられたモモの種だということがわかり、この遺跡と年代の合致する邪馬台国がこの場所にあったのではないかという論証を発表したというのです。要因が、桃の種とは新しい切り口ですね。

名古屋大学のリリースによれば、纒向遺跡の大型建造物跡の土坑から2800個という大量のモモの種が出土していたが、そのうちの12個を放射性炭素年代測定で測定し、12個はほぼ同じ年に土坑に捨てられた可能性が高いことがわかったというのです。

 

生物の寿命の長さにより誤差が生じる可能性があるのですが、モモは1年ごとに果実を作るため、種はその1年だけの試料となり、放射性炭素年代測定に適しているらしいとはなるほどです。これまで纏向遺跡から出土した動植物の遺骸や土器、木製品などで放射性炭素年代測定による調査は行われておらず、保存状態が良く1年ごとの試料として適しているモモを使ったということ。さらに別の研究グループが同じ土坑から出土した2個のモモの種を調べたところ、それらも同じ年代という結果がでたということです。

 

日本を含む東洋文明において、モモという果物は西洋のリンゴと同じように祭事や信仰、呪術の対象として古くから珍重されて、日本でのモモは桃太郎の昔話で有名ですが、モモ信仰の源流は中国にあることは、以前ブログでお勉強したような…。

 

このあたり、モモに関する民俗学的な論争もあり、邪馬台国と同じようにナショナリズムが絡んで複雑で厄介な状態になっているのでしが、モモという植物自体が中国原産であり、モモを食べて不老不死を得た西王母や桃源郷伝説など、モモ信仰が中国由来であることは間違いないありません。『古事記』にある、イザナギノミコトを追ってきたイザナミノミコトにモモを投げつけるというくだりも中国の伝承からの描写と考えられております。 中国でモモ(核果類)が栽培された歴史は6000年以上ともいわれ、やがて日本にも伝えられたのでしょうか、もしも卑弥呼が不老不死の西王母にならってモモを食べていたなら、今回の纒向遺跡で大量のモモの種が出土したこととつなぎ合わせ、また年代も合致することから邪馬台国の場所である可能性が高いという推理。

 

4世紀からと考えられてきた纒向遺跡は、最近の研究により3世紀からのものする説が強く出され、卑弥呼の墓という説の根強い箸墓古墳がありますが、弥生時代から古墳時代にかけての過渡期的な遺跡でもある纒向遺跡から出土したモモの種は、果たして邪馬台国論争に終止符を打つのでしょうか、おそるべし邪馬台国論争、いや、桃論争に今後注視していきましょうか。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

It seems that some areas have issued heavy rain warnings today, so please pay close attention to news and other information.

 

Many of you know that the description in history textbooks has changed significantly over the last decade or so. Prince Shotoku became Prince Shotoku, and the establishment of the Kamakura Shogunate was from 1192 to 1185. It is a world of history that is often thought to have little change compared to other fields, but as research progresses, new interpretations and new facts are being announced one after another. However, on the other hand, it is also true that there are still many unsolved mysteries in Japanese history.

Among them, the following three major themes are said to be particularly popular and popular. The ancient “Yamatai country”. “Honnoji Incident” during the Warring States period. “Ryoma Sakamoto Darkness” at the end of the Edo period. These mysteries and elucidation itself have a history, and it is really interesting to explore them. This time, let’s update about “Yamatai Kuni” where the information is complicated every time.

Yamatai is one of the countries that existed in ancient Japan and was ruled by the Queen. Although it is mentioned in Chinese history books, it is still unclear where it was in Japan, and various places are making a name for themselves based on various interpretations. It has a long history, and it is said that a full-scale debate about the location of Yamatai began in the latter half of the Edo period, and the controversy continues even after the Meiji Restoration with the participation of Arai Hakuseki and Motoori Norinaga.

It is often divided into the Kinki theory that it was in the Kinki region and the Kyushu theory that it was in the central and northern part of Kyushu. There is no choice but to prove it from the evidence from the excavation survey. In addition, the description of “Wei Shi Yajinden” is not accurate, and the fact that the distance and direction can be read arbitrarily depending on the reading and interpretation may be a factor that heated up the position discussion.

At that time, Japan did not yet have a unified nation, so it is thought that the great tribes were allotted to each place, and the large, medium and small tribes were competing for victory, or repeating merging and merging, and there are such ruins in each place. This has also complicated the Yamatai dispute, but it seems to be recognized as Japan’s longest mystery that various theories have been confused over the past 200 years. I can’t show you all of them here, but I’m sorry to say that there is no decisive factor anyway.

The issue is also divided in what factors can prove that it was Yamatai country, but for example, evidence such as wooden tablets and marks that Himiko exchanged messengers with Wei appears, and it is clear from burial items etc. If there is a grave that can be identified as Himiko’s, it seems that it will be solved by itself, but it would be nice if such relics came out conveniently, but unfortunately such a thing has not been found yet.

This time, a research group of the Dating Research Department of the Institute for Space and Global Environment, Nagoya University investigated the peach seeds excavated in 2009 at the Makimuku site (northwest of Mt. Miwa) in Sakurai City, Nara Prefecture. It turned out that it was a peach seed that was eaten for almost 100 years from 135 to 230 AD, and released an argument that there might have been a Yamatai country that matches the age of this site. That is. The factor is that peach seeds are a new way of thinking.

According to the release of Nagoya University, a large amount of 2800 peach seeds were excavated from the pit of the site of a large building at Makimuku Heritage, 12 of which were measured by radiocarbon dating and 12 of them. Was found to be likely to have been abandoned in the pit in about the same year.

There may be an error due to the length of life of the organism, but since peaches produce fruits every year, the seeds are only a sample for that year, and it seems that it is suitable for radiocarbon dating. I see. So far, radiocarbon dating surveys have not been conducted on the remains of animals and plants excavated from the Makimuku site, earthenware, wood products, etc., and peaches that are well preserved and suitable as annual samples were used. Yet another research group examined two peach species excavated from the same pit and found that they were of the same age.

In oriental civilizations, including Japan, the fruit called peach has long been prized as an object of festivals, beliefs, and spells like apples in the West. Being in China is like studying on a blog before …

Around this time, there is a folkloric debate about peaches, and as with Yamatai, nationalism is involved and it is in a complicated and troublesome state, but the plant itself called peaches is native to China, and peaches are There is no doubt that the peach worship is of Chinese origin, such as the Queen Mother of the West who ate and gained immortality and the legend of Taoyuan Township. The story of throwing a peach at Izanamino Mikoto, who chased Izanagi Nomikoto, in “Kojiki” is also considered to be a depiction from Chinese folklore. It is said that peaches (drupes) have been cultivated in China for more than 6000 years, and it was probably passed on to Japan. It is inferred that it is highly likely that it is the location of Yamatai country because it is linked to the excavation of a large number of peach seeds at Makimuku Heritage and the ages match.

The Makimuku heritage site, which has been thought to be from the 4th century, has been strongly suggested to be from the 3rd century by recent research, and there is a deep-rooted chopstick grave burial mound called Himiko’s grave. Will the peach seeds excavated from the Makimuku heritage site, which is also a transitional site, put an end to the Yamatai dispute? Shall we?

 

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愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

10:00-17:00 OPEN

 

 

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Chikusa Ward, Nagoya City, Aichi Prefecture, antique purchase

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新・名古屋名物⁈(愛知県名古屋市千種区・骨董 買取 古美術 風光舎より)

2021.07.01

 

本日は巷で注目のトピックスより…

まずはここ名古屋発のスイーツ「ぴよりん」が再び話題となっているようです。

名古屋駅でしか買えない、なんとも愛くるしいひよこの姿のご当地スイーツ。

ちょうど本日7月1日が誕生10周年ということです。パチパチパチ。

数年前に、SNS上で話題となりました「ぴよりんチャレンジ」。

ぴよりんは非常に柔らかいため形がくずれやすく、箱を開けたら顔面崩壊になっている!この難関、自宅まで無事にぴよりんを持ち帰ることができるか?とゲーム感覚でチャレンジする方が続出したものです。

成功しても失敗しても、むしろ失敗しグチャっとしてしまったちょっと無残なぴよりんのお姿…

その方がインパクトのある写真を投稿できるとSNS上では盛り上がっていたようですが。

ぴよりんが作られる工程の多くは手作業のため、完成まで随分な時間を要するとのことです。

チョコレートで作られたトサカや目、くちばし、羽根などを愛らしく見える絶妙な位置につけるのも大変な作業かと思います。

(パン教室にて、パンダの顔のパンを仕上げている時でした。小さなパーツをくっつける場所によって随分と表情が変わるものですね。私はなんだか不細工なカオに出来上がってしまうこと多々ありまして、残念な顔立ちのまま完成とさせていましたので…)

それから直近の人気に拍車をかけたのは、藤井聡太王位の”おやつ”としてですね。

先日の名古屋能楽堂での豊島将之竜王との対局。

1日目の午後のおやつに注文したスイーツがこの「ぴよりんアイス」だったことでネットがざわざわ。

公式サイトが一時サーバーダウンということで、みなさんの目の付け所の方に感心してしまいます笑。

こちらはコラボぴよりんとのことで、名古屋コーチンの卵を使ったバニラアイスと中はプリンではなく、マンゴーソルベになっているよう。

本日より名古屋マリオットアソシアホテルにて販売されるそうで、一日早く訪れたスタッフ I は残念ながらアイスぴよりんには会えずじまいでした泣。

この時世の中、こういったほのぼのとした話題にこそ癒されます。

ひよこってズルいぐらい無条件に可愛すぎですもんね。

名古屋市内・近郊在住の方はもちろん、県外からおみえの際も”新・名古屋名物” 上手に連れて帰ってことができるか、ゲットしてみるのも面白いかと思います。

 

愛知県つながりから次のトピックスへ。

”ジブリパーク、開園まであと1年” と題されたプレイベントが開催されるとのことで、全国のジブリファンの方々、今から更なるお楽しみが増えましたね。

7月17日~愛知県美術館にて『ジブリの大博覧会』実施予定とのことであります。

「ハウルの城」に焦点をあて、建築模型が一般公開されるのをはじめ、”ネコバスアトリエ”というエリアでは、古今東西から集めた美術品・工芸品を今回しか見られない空間で展示されるよう。

また名作の数々を観返したくなりますね。

世界で唯一ジブリのキャラクターを使った洋菓子も製造されるとのことなので、これまたネットでざわつく話題となるでしょうか。

見どころが少ない、買い物が不便などとちょっと悲しいことを言われがちな名古屋ですが、注目されれば一気に人気上昇のパワーも持っています。

当店スタッフたちでこちらのブログにて紹介させてもらっているスポットやおすすめなど、少しでも参考にしていただければと日々綴らせてもらっていますが、おでかけの計画やちょっと挑戦…手にとってみようかなと思われるきっかけになれれば幸いです。

気が付けば早くも7月、下半期突入でございます。

不安定な天候が続いたり、急に暑さがやってきたりと日々様々な変化に対応しないといけませんが、ひよこちゃんほどでもささやかな楽しみがどんどん増えていきますよう。。

*今日から明日にかけ全国的に警報級の大雨の恐れということで、皆さま十分に気をつけてお過ごしくださいませ。

 

Today from the hot topics in the streets .

First of all, it seems that the sweets “Piyorin” from here in Nagoya have become a hot topic again.

Local sweets in the shape of a lovely chick that can only be bought at Nagoya Station.

Today, July 1st is the 10th anniversary of our birth. Crackling crackling.

A few years ago, the “Piyorin Challenge” became a hot topic on SNS.

Piyorin is so soft that it easily loses its shape, and when you open the box, your face collapses! With this difficulty, can you safely bring Piyorin home? There were a lot of people who challenged like a game.

Whether it succeeds or fails, it’s rather a miserable appearance of Piyorin who has failed and messed up .

It seems that it was exciting on SNS that that person could post a photo with impact.

Many of the processes for making Piyorin are manual work, so it will take a considerable amount of time to complete.

I think it’s a difficult task to put the combs, eyes, beaks, feathers, etc. made of chocolate in exquisite positions that look lovely.

(I was finishing the bread on the panda’s face in the bread class. The expression changes a lot depending on where the small parts are attached. I’m sorry that I often end up with a ugly chaos. Because it was completed with a nice face …)

Then, what spurred the latest popularity was the “snack” of Souta Fujii’s throne.

A game with Masayuki Toyoshima Ryuo at the Nagoya Nogakudo the other day.

The sweets I ordered for the afternoon snack on the first day were this “Piyorin Ice”, which made the internet rush.

Since the official website is temporarily down, I’m impressed by everyone’s eyes.

This is a collaboration Piyorin, and it seems that the vanilla ice cream using Nagoya Cochin eggs and the inside are mango sorbet instead of pudding.

It seems that it will be sold at the Nagoya Marriott Associa Hotel from today, and staff I who visited early one day unfortunately could not meet Ice Piyorin and cried.

At this time, you will be healed by such a heartwarming topic.

The chicks are unconditionally too cute.

I think it would be interesting to get a good “new Nagoya specialty” when you see it from outside the prefecture, as well as those who live in or near Nagoya.

 

From Aichi Prefecture connection to the next topic.

The pre-event entitled “Ghibli Park, one year to open” will be held, and Ghibli fans all over the country will have more fun from now on.

From July 17th, the “Ghibli Exposition” will be held at the Aichi Prefectural Museum of Art.

Focusing on “Howl’s Castle”, architectural models will be open to the public, and in the area called “Nekobas Atelier”, arts and crafts collected from the east and west will be exhibited in a space that can only be seen this time. Yeah.

You will also want to look back at the many masterpieces.

It is said that the only Western confectionery in the world that uses Ghibli characters will be manufactured, so will this be a hot topic on the Internet again?

Nagoya is often said to be a little sad because there are few things to see and shopping is inconvenient, but if it gets noticed, it has the power to rise in popularity at once.

I am writing every day that our staff can refer to the spots and recommendations introduced on this blog as much as possible, but I think that I will try it for my outing plan and a little challenge. I hope you can get a chance.

If you notice it, it will be in the second half of July as early as July.

We have to deal with various changes every day, such as unstable weather and sudden heat, but I hope that even chicks will have more and more small fun.

And from today to tomorrow, there is a fear of heavy rain at the warning level nationwide, so please be careful.

 

 

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