ブログ - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 29

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FROMKYOTOOSAKA

鑑定会を行います。今月は2月18日(日)10:00~となります。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.11

古美術風光舎では、鑑定会を行っております。

今月は、2月18日(日)10:00~となります。

 

 

事前のご連絡はご不要ですので、お気軽にお立ち寄りください。

ご自宅やご実家で「どのくらい価値のあるものなのだろう」と疑問に思うお品などがあれば、査定だけでも構いませんのでお持ちください。大きなお品など持ち込みが難しいお品は写真でも査定させていただきます。

ご来店を心よりお待ちしております。

 

 

At Fukosha Antiques,

We have a monthly appraisal session .

This month, it will be held on February 18 (Sun.) from 10:00.

 

No prior notice is required, so please feel free to stop by.

If you have any items at home or at your parents’ house that you wonder how much they are worth, please feel free to bring them in for appraisal. If you have large items that are difficult to bring in, we will be happy to assess them by photo.

We look forward to seeing you at our store.

 

*******************

 

ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

 

 

建国記念”の”日です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.11

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

 

 

本日は「建国記念の日」。祝日が日曜日にあたり、月曜が振替休日になりましたので、今年は3連休となりました。お天気も良く絶好のお出かけ日和。皆さま何をしてお過ごしでしょうか。

今朝、「建国記念日」かと思ってカレンダーを見たところ、「建国記念の日」となっていることに今さらながら気づきました。恥ずかしながら、本当に今さらなのですが、「の」っていつからついてたの?というくらいには長らく気にも留めていませんでした。

 

「建国記念の日」は、ご存じの通り、日本で祝日となる日です。毎年2月11日が「建国記念の日」と定められていて、この日づけが毎年変わることはなく、2月11日が「建国記念の日」にあたります。

「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と記述され、日付については「政令で定める日」とされています。

普段の会話で、「明日は建国記念日でお休みだよね」などと、私のように「の」を入れずに使っている方も多いかもしれません。

2月11日が「建国記念の日」と定められたのは、昭和41年(1966年)のことです。なぜ2月11日かというと、日本の初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位した日がもとになっています。

 

もともとは、日本の初代天皇である神武天皇が即位された紀元前660年2月11日を 「紀元節(きげんせつ)」として、明治5年(1873年)から昭和23年(1948年)まで祭日 にしてお祝いしていましたが、戦後、GHQ(連合軍総司令部)が皇室と神道の関係が深いなどの理由から、祭日を廃止しました。
しかしその後、国民の間で紀元節復活を望む声が多く、「紀元節」から「建国記念の日」と名前を変え、昭和41年(1966年) に国民の祝日として認められ、翌年から適用されました。

 

では、どうして「建国記念日」ではなく「建国を記念する日」なのかということが気になります。

どうやら「記念日」とは、歴史的事実として日付が確定している日を記念するという意味で、「記念の日」とは、日付が確定していないけれどそのことを記念する日という意味となり、意味合いが違ってくるようです。
建国の定義は国によってさまざまですが、多くの国は「この日に建国された」と、日付が歴史的事実として確定しています。
例えば、アメリカの建国記念日は「独立記念日」とされ、1776年の大陸会議でアメリカ 独立宣言に署名がされた日。他にも、1991年8月24日にソビエト連邦が崩壊し、 独立を宣言したウクライナや、1957年3月6日にイギリスから独立したガーナなど、建国 記念日を「独立記念日」としている国は世界に多く存在します。

 

しかし、日本の場合はその日付が明確ではありません。神武天皇が即位された日とされ、日本書紀にもそのことは記されているのですが、神武天皇は日本神話の人物であり、実在しなかったと考えている人もいるため、紀元節 を復活させようとした話し合いの際に、神武天皇が即位された日を祝日にすべきかと いう議論が生まれたそうです。
日本は、大変歴史が古い国で、皇室は世界で最も歴史が長い王家として、ギネスブックにも記録されている一方、いつ日本が建国されたかわかる明確な資料はまだ見つかっていません。そのため、「建国記念日」ではなく、日本が建国されたことを祝う日として、「建国記念の日」という名前になったのです。

「建国記念の日」に「の」が入っているのにはこのような理由があったからなのですね。

 

余談ですが、日本神話において、神武天皇を大和の橿原(かしはら)まで案内したとされる「八咫烏(やたがらす)」は、導きの神として信仰されており、 また、太陽の化身ともされていますが、サッカーの日本代表のエンブレムの意匠として用いられています。

建国記念の日、こんな雑談が子どもたちが日本の歴史を知るきっかけや、神話に興味を持つきっかけになる日かもしれませんね。

ではでは、また。

 

 

Hello everyone. This is Staff T.

 

Today is the National Foundation Day. Since the national holiday fell on Sunday and Monday was a substitute holiday, we had a three-day weekend this year. The weather is beautiful and it is a perfect day to go out. What will you be doing on this day?

This morning, I looked at the calendar thinking it was “National Foundation Day,” only to realize after all this time that it is “National Foundation Day. I am embarrassed to say that it is really too late, but when did the “no” come on the calendar? I had not paid attention to it for a long time.

 

As you know, Kekkoku Kinen no Hi (National Foundation Day) is a national holiday in Japan. Every year, February 11 is designated as “Kokoku Kinen no Hi” (National Foundation Day), and this date does not change every year.

The date is described as “National Foundation Day” to “commemorate the founding of our nation and to nurture love for our country. and the date is “a day determined by government ordinance.

In everyday conversation, many of you may use phrases such as “Tomorrow is a National Day off because of the National Foundation Day,” without adding “of” as I do.

February 11 was designated as “National Foundation Day” in 1966 (Showa 41). The reason for February 11 is based on the date of the accession to the throne of Japan’s first emperor, Emperor Jinmu (神武天皇).

 

Originally, February 11, 660 B.C., when Japan’s first emperor, Emperor Jinmu, ascended to the throne, was celebrated as “Kigen-Setsu,” a national holiday from 1873 to 1948, but after the war, GHQ (General Headquarters of the Allied Forces) abolished the holiday because of the close relationship between the Imperial Family and Shintoism. After the war, however, the GHQ (General Headquarters of the Allied Forces) abolished the holiday due to the close relationship between the Imperial Family and Shinto.
Later, however, there were many requests from the public to revive Kikugensetsu, so the name was changed from “Kikugensetsu” to “Kokoku Kinen no Hi” (National Foundation Day), which was recognized as a national holiday in 1966, and became effective the following year.

 

Then, we are wondering why it is called “Day to Commemorate the Founding of the Nation” instead of “National Foundation Day.

Apparently, the meaning of “anniversary” is different, as it means to commemorate a day with a fixed date as a historical fact, while “day of commemoration” means a day with no fixed date but to commemorate that fact.
The definition of the founding of a country varies from country to country, but in many countries, the date is fixed as a historical fact: “The country was founded on this day.
For example, the National Day of the United States is “Independence Day,” the day the Declaration of Independence was signed at the Continental Congress in 1776. There are also many other countries around the world that celebrate their national day as “Independence Day,” such as Ukraine, which declared its independence after the collapse of the Soviet Union on August 24, 1991, and Ghana, which gained independence from the United Kingdom on March 6, 1957.

 

In the case of Japan, however, the date is not clear. It is said to be the day Emperor Jinmu ascended to the throne, and this is mentioned in the Chronicles of Japan, but some people believe that Emperor Jinmu was a figure of Japanese mythology and did not exist, so during discussions to revive Kigenbetsu, a debate arose as to whether the day of Emperor Jinmu’s ascension should be a national holiday.
While Japan is a very old country and the Imperial Family is recorded in the Guinness Book of Records as the oldest royal family in the world, no definite documents have yet been found that tell us when Japan was founded. Therefore, the name “Kengoku Kinen no Hi” (National Foundation Day) was chosen as a day to celebrate the founding of Japan, rather than “Kengoku Kinen Day.

This is the reason why “Kengoku Kinen no Hi” has the “no” in it.

As an aside, in Japanese mythology, Yatagarasu, who is said to have guided Emperor Jinmu to Kashihara in Yamato, is believed to be the god of guidance and also the incarnation of the sun, and is used as the emblem design of the Japanese national soccer team.

On National Day, this kind of chat may be a good opportunity for children to learn about Japanese history and to become interested in mythology.

See you soon.

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お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

 

#骨董買取#古美術買取#出張買取#無料査定#生前整理#遺品整理#家じまい#実感じまい#掛け軸#絵画#木箱入り茶碗#刀剣#洋食器#貴金属

 

 

お抹茶と器との相性とは(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.10

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

最近、毎日大量に水を飲んでいるという友人の話を聞いて、私は全く足りていないなと実感しました。あまり水分をとらなくても平気な方で、放っておくと何時間も飲まなかったりします。ただ寒い時は喉に温かい飲み物を通すと精神的にリラックスするので(個人的見解です)、夏よりも水筒のお茶の減りが早いです。日替わりで色々な温かいお茶を楽しんでいます。

さて、日本の伝統的なお茶といえばお抹茶ですが、今や世界中で愛される味となりました。抹茶は「Maccha」ではなく、「Matcha」と表記されるそうで、その方が「ちゃ」の発音に間違いがないからだそうです。

店内には抹茶の色が映えそうな赤楽茶碗がございます。名古屋市八事窯の中村道年氏の作品です。

 

 

 

 

名古屋は抹茶を楽しむ習慣が浸透した土地柄であることから瀬戸や常滑をはじめ、名古屋城内の御庭焼きなど様々な茶道具が制作されました。

中でも楽焼は名古屋独自の個性がみられ、江戸時代後期の萩山焼や宗玄焼、豊楽焼などの流れが名古屋市にある八事窯の中村道年へと引き継がれて今日に至っているとのことです。

初代中村道年は京都に生まれ、幼少より陶器作りを志し1923年に名古屋・八事に築窯しました。染付、赤絵、御本、刷毛目、伊賀、楽焼と幅広く制作し、戦後は楽焼を専門とし現在は5代目が引き継いでいらっしゃいます。

 

恥ずかしながら、楽焼=京都の抹茶茶碗、くらいの知識しかありませんでしたが、調べてみるとまさに茶の湯専用の茶碗として生まれたことを再認識しました。

茶道は鎌倉時代に禅宗と共に中国から入っていましたが、当時は中国の唐物と呼ばれる天目や青磁の茶碗が使われていました。次第に朝鮮半島で焼かれた高麗茶碗も使われるようになりますが、茶の湯専用の茶碗ではありませんでした。

そこで千利休が瓦職人であった長次郎に自分の求める茶道を表現する茶碗として作らせたのが楽茶碗の始まりと言われています。

唐物や高麗茶碗は熱伝導率が高く手で持つには熱すぎるため帛紗(ふくさ)をあてて飲みますが、楽茶碗はそのまま持って飲める茶碗でもありました。そういえば素手で持って飲めることを当たり前だと思っておりました。

また1000度以下の温度で短時間焼成し水につけて急冷するため、焼締まりが少なく、吸水性のある茶碗となっています。滑らかな「濃茶」を点てるにはこの吸水性が必要だそうです。千利休の時代には「茶」といえば「濃茶」を指し、薄茶の時のみ「薄茶」と記述されているそうです。楽茶碗は侘茶の精神を表すだけでなく、機能的でもあったのですね。

 

制作方法はろくろを使わず、土をこねて円盤状の粘土を手のひらで少しずつ立ち上げて茶碗の形にする「手びねり」「手捏ね(てづくね)」と呼ばれる技法で作られます。手のひらで包んで飲む茶碗ですから手の痕が残る温かみのあるこの技法は理にかなっているように思えます。その後へらで内部はお茶が綺麗に立つよう、口は口当たりがいいように削られます。まさに茶の湯のための茶碗です。

楽焼のルーツと言われる中国河南地方、明時代の三彩釉と焼成や釉技術などは基本的に同じですが、楽焼ではそのカラフルな色釉技法を使って黒と赤のみを表現しました。当初は「今焼」と呼ばれ、漆黒の茶碗と濃い緑の抹茶とのコントラストは当時の人々には新鮮に映ったことでしょう。豊臣秀吉は赤楽茶碗の方を好んだとか。楽焼の由来は秀吉が建てた邸宅「聚楽第」の近くでとれた土を使ったため「聚楽焼茶碗」と呼ばれ、その後「楽茶碗」となったようです。

 

常に新しい価値観や物を生み出した千利休のパワーには恐れ入ります。タイムスリップできるならぜひお会いしてみたいものです。

 

それでは、またの機会に。

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

Recently, I heard a friend of mine say that she drinks a lot of water every day, which made me realize that I am not drinking enough at all. I am a person who is fine without drinking much water, and if left alone, I may not drink for hours. However, when it is cold, having a warm drink down my throat relaxes me mentally (in my opinion), so I run out of tea in my water bottle faster than in the summer. I enjoy a variety of hot teas on different days.

Now, the traditional Japanese tea is matcha (powdered green tea), and it has become a favorite taste all over the world. Matcha is written as “Matcha” instead of “Maccha”. It is said that this is because it is easier to pronounce “cha” correctly.

In the store, there is an akaraku tea bowl that looks like it would be a perfect matcha color. It is the work of Nakamura Dounen of Yagotogama in Nagoya City.

 

Since the custom of enjoying powdered green tea was widespread in Nagoya, various tea utensils were produced in Seto, Tokoname, and Oniwa-yaki in Nagoya Castle.

Raku ware, in particular, has a unique character unique to Nagoya, and the flow of Hagiyama ware, Sogen ware, and Houraku ware from the late Edo period has been passed down to Nakamura Michitoshi of the Yagoto Kiln in Nagoya City to this day.

Nakamura Dounen was born in Kyoto, aspired to make pottery from an early age, and established his own kiln in Yagoto, Nagoya in 1923. He produced a wide range of pottery including Sometsuke, Akae, Gohon, Hakeme, Iga, and Raku ware. After the war, he specialized in Raku ware, which is now taken over by the fifth generation.

I am ashamed to say that my knowledge of Raku ware was limited to the concept that Raku ware was a tea bowl for powdered green tea in Kyoto, but when I looked into it, I realized again that it was born as a tea bowl for the tea ceremony.

The tea ceremony was introduced from China along with Zen Buddhism in the Kamakura period (1185-1333), and at that time, tea bowls made of tenmoku or celadon porcelain, called Chinese karamono, were used. Gradually, Koryo tea bowls fired in the Korean peninsula also came into use, but they were not tea bowls exclusively for the tea ceremony.

It is said that Sen no Rikyu had Chojiro, a tile craftsman, make Raku tea bowls as tea bowls that expressed the tea ceremony that he wanted.

Karamono and Korai tea bowls are too hot to be held in the hand because of their high thermal conductivity, so they are held with a fukusa, but the Raku tea bowl was a tea bowl that could be held and drank as it was. Come to think of it, I had taken it for granted that I could hold it with my bare hands and drink from it.

In addition, because it is fired for a short time at a temperature of less than 1000 degrees Celsius and cooled rapidly by dipping it in water, it is a tea bowl with little firings and water absorbency. This water absorbency is said to be necessary for making smooth “thick tea”. In Sen no Rikyu’s time, the word “tea” referred to “koicha” (thick tea), and “usucha” was used only for thin tea. Raku tea bowls not only expressed the spirit of wabicha, but were also functional.

 

The production method does not use a potter’s wheel, but uses a technique called “tebineri” or “tezukune,” in which the clay is kneaded into a disk shape and raised gradually with the palm of the hand to form a tea bowl. This technique seems to make sense because the tea bowl is wrapped in the palm of the hand, leaving the warmth of the hand imprints. After that, a spatula is used to shave the inside of the bowl so that the tea will stand beautifully and the mouth will be smooth to the touch. This is truly a tea bowl for the tea ceremony.

Raku ware is said to have its roots in the Henan region of China, where the firing and glazing techniques are basically the same as those of the three-color glazes of the Ming dynasty, but Raku ware used its colorful colored glaze techniques to express only black and red. Initially called “Imayaki,” the contrast between the jet-black tea bowl and the dark green matcha must have appeared fresh to the people of the time. Toyotomi Hideyoshi preferred the red Raku tea bowl. The origin of Raku ware is said to be “Juraku ware tea bowl” because it was made from soil obtained near “Juraku-dai”, a mansion built by Hideyoshi, and later became “Raku tea bowl”.

 

I am amazed at the power of Sen no Rikyu, who always created new values and things. If I could go back in time, I would love to meet him.

 

See you next time.

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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先日アムールドショコラへ参戦してきました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.09

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

バレンタインデーが近づきつつありますが、みなさまチョコの御準備はお済でしょうか?。

 

最近は周りの男性にプレゼントという意味合いは少々薄れ、ほとんど自分やみんなで楽しむために購入する状態になりつつあるの私であります。

ですが、あの人ごみに参戦できるかな…などと危惧しつつもなぜか行ってしまうジェイアール名古屋タカシマヤで開催されております「アムール・デュ・ショコラ」。実は先月末に早々と参戦して参りました。

 

今年は、「2024 アムール・デュ・ショコラ~ショコラ大好き!~」をテーマに、2024年1月18日(木)から2月14日(水)まで開催されております。もはや全国的にも有名な日本最大級のショコラの祭典となっておりますので、説明は不要かと思いますが、今回は過去最大規模のスケールとなり、初登場約20ブランドを含む国内外約150の人気ブランドやショコラティエ、計2,500種類以上のラインナップを揃えているとのことです。

 

ネット購入などもできるものもあるようですが、やはり一通りはチェックしてみたくてウロウロ…。事前チェックしていたものをは買うとして、その日のインスピレーション?でなんとなく購入するものや、パケ買いも好きではあります。

 

スタッフHではないですが、動物ものに癒されたりして、なぜかしら動物もののパケ買いを致しました。また、カカオの原産地別の板チョコの食べ比べが面白そうで数枚購入。少し食べ比べしてみましたが、これまた味が全然違って面白かったので、またちょっと買い足したくもなりました。

 

とにかく会期中はお目当てのチョコを求め毎年大混雑や長蛇の列でごった返す状態でして、平日でも朝一番は限定チョコに並ぶお客様がいたり、夕方は通勤通学帰り方で込み合います。よって狙い目は午後の2~4時くらいでしょうか。先日もそのくらいの時間帯に訪れたのですが、混雑回避の他にもう一つのいいことがあります。

 

それは有名ショコラティエにチョコのパッケージにサインを頂ける際に少し長くお話ができること。

 

混雑時の有名ショコラティエは売り場ブースのお立ち台なるものに立ち、パッケージにサインはいただけるのですが、なにせお立ち台上ですので殿上人のようであり、お話するような感じではありません。ですが先日は、あの有名ショコラティエの辻口博啓さんが普通にブース脇にいらっしゃり、サインをもらいながら少しお話することができました。

 

辻口さんは石川県七尾市出身。実は先日のTVにて、震災後すぐに七尾市の炊き出しに向かっている様子を拝見しておりました。お見舞いの言葉をお伝えし、現地の様子などをお聞きすると、「あの状況だと、インフラ設備の回復はかなり時間がかかると思うな…。」などとご自分の故郷ですので大変心配されているようでした。私も「なんらかの形で復興のお手伝いをしたいです…。」などと少しの間でしたが自然にお話ができ、飾らない素敵な方だなという印象を受けました。いつもでしたら、殿上人です…。

 

アムール・デュ・ショコラはこの期間に有名ショコラティエが全国から大集結いたしますので(私の場合はたまたまだったのですが)普段お会いできない有名ショコラティエとの交流も楽しめる祭典でもあります。ショコラティエとゆっくりお話しなどしてみたい方は個人的には1月中の平日午後が狙い目かと思っております。

 

そんなこんなでかなり予算オーバー(毎年のこと)にて買い物終了。これ以上おりますとお財布が危険と判断し、会場を後に致しました。

 

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

As Valentine’s Day is approaching, I wonder if everyone has prepared their chocolates.

Recently, I have been buying chocolates for myself and my friends to enjoy, rather than giving them to the men around me. However, I still go to the “Amour du Chocolat” held at JR Nagoya Takashimaya, even though I am not sure if I will be able to participate in the crowds. In fact, I participated in the Amour du Chocolat at the end of last month.

 

This year, under the theme of “2024 Amour du Chocolat – I love chocolates! ~is the theme of this year’s event, which will be held from January 18 (Thursday) to February 14 (Wednesday), 2024. This year’s event will be the largest-ever in scale, with a lineup of more than 2,500 types of chocolates from about 150 popular brands and chocolatiers from Japan and abroad, including about 20 brands making their first appearances. Some of the items can be purchased online.

 

Some of the items can be purchased online, but I wanted to check out the entire lineup. I was looking around to check out all of the items…. I also like to buy things by the packet.

I am not Staff H, but I am healed by animals, so I bought a packet of animals for some reason. Also, I bought a few pieces of chocolate bars that I thought would be interesting to compare by cacao origin. I also bought a few pieces to compare the taste of different chocolate bars by cacao origin, which were so different and interesting that I wanted to buy some more.

During the exhibition, there are always crowds and long lines of people waiting for the chocolates they are looking for. The best time to visit is from 2:00 to 4:00 in the afternoon. The other day I visited around that time, and besides avoiding the crowds, there is another good thing about this place.

 

Besides avoiding the crowds, there is another good thing about visiting during this time: you can talk with famous chocolatiers for a little longer when they sign their chocolate packages.

 

During busy times, famous chocolatiers stand on a stand at their booths and sign packages, but since they are on the stand, it is like talking to a lord, and not like talking to you. The other day, however, the famous chocolatier Hirohiro Tsujiguchi was standing by the booth, and I was able to talk with him for a few minutes while he signed autographs.

 

Mr. Tsujiguchi is from Nanao City, Ishikawa Prefecture. In fact, we had seen him on TV the other day, heading to a soup kitchen in Nanao City right after the earthquake. When we expressed our sympathy and asked him about the situation in the area, he replied, “Under the circumstances, I think it will take quite some time for the infrastructure to be restored…” I also expressed my wish to help in some way with the recovery efforts. I would like to help the recovery in some way…. I was able to talk with him naturally for a short time, and I got the impression that he is a wonderful person without any decorations. Normally, she would have been a lord….

 

Amour du Chocolat is a festival where famous chocolatiers gather from all over Japan during this period (in my case, it was just a coincidence), and it is a great opportunity to interact with famous chocolatiers that you would not normally meet. If you would like to have a relaxing chat with chocolatiers, I personally think that weekday afternoons in January are the best time to go.

 

So, I finished my shopping, and I ended up over my budget (as I do every year). I decided that my wallet was in danger if I stayed any longer, so I left the venue.

 

For those of you who are not in Aichi Prefecture, please take part in (or visit) this chocolate festival, Amour du Chocolat, at least once.

 

Have a good day.

動物の人形に癒されます(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.08

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

今日は過ごしやすい良い天気かと思いきや、通勤途中でかなりの突風にあおられ、思わずマフラーで顔を覆ってしまいました。今年は暖冬と言われておりますが油断大敵ですね。

この寒空の下でも、犬のお散歩をされている方をよくみかけます。種類にもよるのかもしれませんが、犬は本来「探求したい」という欲求をもっていて、散歩はこの欲求を満たすためにも必要なのだとか。私は今はペットを飼っていないので、お散歩している可愛い犬を見ると欲しくなってしまいますが、責任の重さにいつも後退りしてしまいます。

さて、私のペットではないのですが、いつもなんとも言えない表情で癒してくれる可愛い猫と犬の人形が店内にございます。どちらも雰囲気が似ていますが、持ってみると重さが違い、作られている地域も違うようです。

 

 

 

 

 

犬の人形は岩手県花巻市の花巻土人形で、宮城県仙台市の堤人形、山形県米沢市の相良(さがら)人形と並び「東北三大土人形」として知られています。花巻土人形は江戸時代中期頃、京都の伏見人形の型をもとに仙台の堤人形の影響を受け作り始めたとされています。赤、青、緑といった鮮やかな色調や梅、桜、牡丹などの花をあしらったデザインが特徴です。雛人形、恵比須、大黒天などの縁起物から動物や干支など様々なモチーフがあります。一度は製作が途絶えましたが、地元の郷土玩具を制作していた平賀工芸社や花巻市により再興されたとのこと。

色彩の中でも赤が目立つデザインが多く、これは赤が病魔を祓う色とされ、子供に疫病がとりつかないようにとの願いが込められています。また犬のモチーフは安産や健康を祈願する縁起物とされ、子供の健やかな成長を願って作れた人形なのでしょう。それにしてもこの垂れた目と少しへの字に曲がった口の愛らしさ。こんな表情で見上げられたらなんでも言うことを聞いてしまいそうです。

 

 

 

 

花巻人形は素焼きの人形に彩色を施しており、少し重みがありますが、招き猫の人形は大変軽いです。

こちらは岩手県遠野に工房がある孝洞(佐々木和孝)さんの附馬牛人形(つきもうしにんぎょう)です。原料の和紙と土を練り合わせ型取りし、自然乾燥させたものです。焼いていないため軽く、とてもしっかりしています。

江戸末期から明治初めまで遠野市の小笠原家で親子二代が作っただけの附馬牛人形でしたが、佐々木和孝さんが120年ぶりに復元され、今は奥様が制作されているそうです。作風は伏見人形、堤人形、花巻人形の流れをくんでいると言われています。

 

 

 

 

こちらの招き猫も表情がユニークです。口の下に黒く塗られているのは何だろうを思って調べますと、土人形には竈猫(かまどねこ)というモチーフがあったそうです。「結構毛だらけ猫灰だらけ」という言葉がありますが、昔は冬に猫が灰らけになるのは普通の光景だったようで、寒がりの猫が人間が火の始末をして寝た後に竈の中に潜り込んでいたとか。こうして灰だらけになった猫を「竈猫」と呼んだようです。確かに郷土人形を見ると口の周りが真っ黒な猫を見かけます。灰だらけの猫をそのまま人形にするなんて大らかで、のどかなお話でしょう。

 

それにしましても一度は途絶えた技術を復活させ、後世に伝えてくださる方々の努力には頭が下がります。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

I thought today’s weather would be pleasant and comfortable, but on my way to work, I was hit by a gust of wind that made me cover my face with my scarf. It is said to be a mild winter this year, but you can never be too careful.

Even in this cold weather, I often see people walking their dogs. It may depend on the breed of dog, but I hear that dogs have a natural desire to “explore” and that walking is necessary to satisfy this desire. I don’t have a pet at the moment, so when I see a cute dog being walked, I want one, but I always fall back on the weight of responsibility.

Now, although they are not my pets, there are cute cat and dog dolls in the store that always soothe me with their indescribable expressions. Both dolls have a similar atmosphere, but when you hold them, you can see that they weigh differently and are made in different regions.

 

The dog doll is a Hanamaki clay doll from Hanamaki City, Iwate Prefecture, and is known as one of the “three major clay dolls in Tohoku” along with the Tsutsumi doll from Sendai City, Miyagi Prefecture, and the Sagara doll from Yonezawa City, Yamagata Prefecture. Hanamaki clay dolls were first made around the middle of the Edo period (1603-1867), based on the Fushimi doll pattern from Kyoto and influenced by Tsutsumi dolls from Sendai. They are characterized by bright colors such as red, blue, and green, and designs decorated with flowers such as plum blossoms, cherry blossoms, and peonies. Various motifs are available, from lucky charms such as Hina dolls, Ebisu, and Daikokuten to animals and the Chinese zodiac. The production of these toys once ceased, but was revived by Hiraga Kogeisha, a local toy manufacturer, and Hanamaki City.

The red color in many of the designs stands out among the colors, because red is believed to be the color that exorcises disease, and it is believed to be a wish that children will be free from plague and disease. The dog motif is also considered a lucky charm to pray for safe delivery and good health, and it is likely that these dolls were made to wish for the healthy growth of the child. The drooping eyes and slightly crooked mouth are so adorable. If someone looked up at her with such an expression, she would listen to anything you say.

 

Hanamaki dolls are made of unglazed porcelain and painted, so they are a little heavy, but beckoning cat dolls are very light.

This is a Tsukimoushi doll made by Takado (Kazutaka Sasaki), whose workshop is located in Tono, Iwate Prefecture. The raw materials, Japanese paper and clay, are kneaded together, molded, and dried naturally. Because they are not baked, they are light and very firm.

From the end of the Edo period to the beginning of the Meiji period, only two generations of the Ogasawara family in Tono, father and son, made these tsukimoushi dolls, but Mr. Kazutaka Sasaki has restored them after 120 years, and his wife is now making them. The style is said to be in the vein of Fushimi dolls, Tsutsumi dolls, and Hanamaki dolls.

 

This beckoning cat also has a unique expression. I wondered what was painted in black under the mouth, and found out that there was a motif called “kamado neko” (a cat in a hearth) on clay dolls. There is a saying, “A cat covered in hair and ashes,” and it was a common sight to see cats covered in ashes in winter in the old days. Cats covered in ashes in this way were called “hearth cats. Indeed, if you look at local dolls, you will see cats with black mouths. It is a very generous and tranquil story that a cat covered in ashes is made into a doll as it is.

I am deeply impressed by the efforts of those who have revived this once-abandoned craft and passed it on to future generations.

 

I hope to see you again next time.

 

 

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お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

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また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

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南国から来た小さく愛らしい香合(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.07

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

最近寒さで手がかじかんでいるのか、年齢のせいなのかよく物を落としてしまいます。食事の支度中にも箸や皿など派手に落とし家族に笑われております。やはり後者が原因の気がいたします。

 

店内の掃除の際にも、小さくて触る時に手が震えてしまう陶器がございます。直径4㎝高さ3㎝の小さくて愛らしい香合で、タイの宋胡録(すんころく)と呼ばれる焼き物です。「スンコロク」と聞いた時は耳慣れない音の響きに一瞬思考が止まってしまいましたが、タイの焼き物と知り納得しました。タイ語で知っているのは「サワッディーカー(こんにちは)」と「コップクンカー(ありがとう)」くらいですが、リズミカルで発音するのが楽しい言語だなと思っていました。

 

 

 

 

 

 

宋胡録(すんころく)とはタイの地名であるスワンカロークの音をそのまま漢字に変換したといわれています。タイの北中部、スワンカローク市の郊外のパーヤン村、ツターカ村、バン・コーノイ村には145か所ほどの古陶磁窯があり、その中心がスワンカローク窯とのことです。

スワンカローク焼の起源は13世紀といわれており、当時はスコータイ王朝の絶頂期でもありました。タイではそれまでは装飾性がなく、生活雑器として使われる地味な焼き物が主流でしたが、3代目カムヘーン王が中国から陶工を招き、鉄絵などの装飾技術を学び生まれたのがスワンカローク焼です。そのため中国の陶磁器の影響を強く受けており、青花や青磁を模し、胎土に白化粧を施し、そこに鉄絵や灰青磁釉で模様を描いた作品が多く見られるとのことです。

 

江戸時代前期の鎖国政策が行使されるまでの日本は、東南アジアを中心に盛んに貿易が行われていました。桃山時代や江戸初期に皿、鉢、蓋物などのスワンカローク焼が輸入され、その中でも小さくて素朴な温かみのある蓋物は茶人の間で人気となり、香合として見立てていたそうです。千利休も愛用していたとか。

その形状から「柿香合」と呼ばれる物もあり、風光舎にある宋胡録の香合の絵柄も柿のようにも見えます。しかし実際はこれらは柿を模して作られたものではなく、南国のフルーツ、マンゴスチンの果実を模したものだとか。当時の日本の人々がマンゴスチンを目にすることはそうそうなかったでしょうから、柿で正解としましょう。

 

余談ですが宋胡録が飾られている台は昔の枕として使われていいたものです。綺麗に結った髪が乱れないようこの高さ、この形状になっているのでしょうが、どう考えても熟睡できない気がいたします。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Recently, I often drop things, perhaps because my hands get cold or because of my age. My family laughs at me when I drop things like chopsticks and plates while preparing meals. I think the latter is the cause.

 

When cleaning the restaurant, there is a small piece of pottery that makes my hands tremble when I touch it. It is a small and lovely incense container with a diameter of 4 cm and a height of 3 cm, and is called “Sungkorok” pottery from Thailand. When I heard the word “Sungkorok,” I stopped thinking for a moment because of the unfamiliar sound, but when I learned that it was Thai pottery, I was convinced. The only Thai words I know are “Sawadhikkar (hello)” and “Kopkunkkar (thank you),” but I thought it was a rhythmical and fun language to pronounce.

 

It is said that Sungkorok is the sound of Suwankarok, a place name in Thailand, directly converted into Chinese characters. There are about 145 old pottery kilns in the villages of Phayang, Tutthakha, and Bang Koh Noi in the suburbs of Suvankolok in north central Thailand, and the center of these kilns is the Suvankolok kiln.

The origin of Suvankarok ware is said to date back to the 13th century, which was also the peak of the Sukhothai dynasty at that time. Until then, the mainstream of Thai ceramics had been plain and unadorned, used as miscellaneous daily utensils, but King Kamphaeng the 3rd invited potters from China and learned decorative techniques such as iron painting, which gave birth to Suvankalok ware. Therefore, the influence of Chinese ceramics was strong, and many of the pieces were imitations of blue-and-white or celadon porcelain, with white glaze applied to the clay and patterns painted on it using iron painting or gray celadon glaze.

 

Until the policy of national isolation was exercised in the early Edo period (1603-1868), Japan was actively engaged in trade, especially with Southeast Asia. During the Momoyama period and early Edo period, plates, bowls, lids, and other types of suwankorok ware were imported, and among them, small, simple, warm lids became popular among tea masters, who used them as incense containers. It is said that Sen no Rikyu also used it as a favorite.

Because of their shape, some are called “persimmon incense containers,” and the design of the Songkoroku incense containers in the Fuhkosha also looks like a persimmon. In reality, however, they were not made to resemble persimmons, but rather the fruit of the mangosteen, a tropical fruit. Since Japanese people at that time would not have seen the mangosteen so often, the persimmon is the correct answer.

 

As a side note, the stand on which the Songkoroku is displayed was used as a pillow in the old days. The height and shape of the pillow is probably designed to keep the hair in a neatly tied bun from being disheveled, but I don’t think I would be able to sleep soundly on it.

 

I will see you next time

 

 

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春よ来い(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.06

皆さまこんにちは。スタッフTでございます。

 

名古屋は本日快晴となりました。昨日よりは暖かくなりましたが、頬に当たる風は冷たく感じ、まだまだ春遠しといったとこでしょうか。関東地方の大雪は2年ぶりだそうですね。雪のピークは過ぎたようですが、どうぞ足元などお気を付けになってお過ごしください。

 

 

さて2月の別名は「如月」。寒さゆえに、着物を重ねて着たという意味の「木更着」と書かれた由来があることは、先日のブログでもお伝えしましたが、普段はあまり気にかけませんが、今日のように雪が降ったり、冷たい風が吹いたりすると、この季節を表す言葉って他にどんなものがあったかなと気になったりもします。

 

まだまだ寒い2月には、如月以外にもどんな別名があるかといいますと、有名なところでは、『初花月』でしょうか。

年明けに初めて咲く花を「初花」と言います。この初花とは、「梅」を指すと言われています。昔は桜より梅の花見が主流であったと言われていますので、このような名前が付けられたのかもしれませんね。

 

2月はまだまだ寒いと思っていますが、梅の花が咲き始める時期から、梅に関する名前が多く、『梅見月』、『梅津月』、『梅津早月』などがあります。今日も外を歩いておりますと、気付けば梅がほころんでいて、どこからか良い香りを運んできていましたよ。

その他、『仲春(ちゅうしゅん)』、『雪消月(ゆききえつき)』、『木芽月(このめつき)』などがあり、どれも厳しい寒さの中にある小さな春を思い起こさせる言葉です。

 

春待ち遠しい今日この頃ですが、立春が過ぎたころに吹く『春一番』も気になります。

春一番は、立春(2月4日頃)から春分(3月21日頃)までの期間に、風速8.0m/s以上・南よりの風・日本海に低気圧がある・前日より気温が高い)などの諸条件が揃った風を「春一番」として各地で発表されます。

ただ、この強風が花粉や黄砂などを運んだりするおかげで、体調を崩したり、アレルギー反応が出てしまったりするのです。

 

毎年、辛い花粉症に悩まされる私としては、春待ち遠しいとは思いながら、もう少し待ってほしいと矛盾を抱えています。

とは言え、やはり早く『春よ来い』でしょうか。

 

ではでは、また。

 

Hello everyone. This is Staff T.

It is a beautiful sunny day here in Nagoya today. It is warmer than yesterday, but the wind on my cheeks feels cold and spring is still far away. I heard that it has been two years since the Kanto area experienced heavy snowfall. The peak of the snow seems to have passed, but please be careful with your footing.

February is also known as “Kisaragi. As I mentioned in my blog the other day, the origin of the word “Kisaragi,” meaning that people wore kimono in layers because of the cold weather, is not something I usually pay much attention to, but when it snows and cold winds blow as they do today, I wonder what other words there are to describe this season. I am not so sure.

February, which is still cold, has another name besides “Kisaragi.” The most famous is “Hatsuhana-tsuki,” which means the first flowers bloom at the beginning of the year.
Hatsuhana” refers to the first flowers that bloom at the beginning of the year. This first flower is said to refer to “ume” (plum blossoms). It is said that in the old days, viewing plum blossoms was more popular than cherry blossoms, which may be why it was named this way.

Although we think February is still cold, there are many ume-related names from the time when ume flowers begin to bloom, such as “Umezuki”, “Umezuki”, and “Umezuhayatsu”. As I was walking outside today, I noticed that the ume blossoms were blooming and bringing a pleasant fragrance from somewhere.
There are also “Chushun,” “Yukikieretsuki,” and “Konometsuki,” all of which remind us of a little spring in the midst of the harsh cold.

We are anxiously awaiting the arrival of spring, but we are also concerned about the “first storm of spring” that blows around the time Risshun (first day of spring) passes.
The first day of spring is announced in various regions as “the first day of spring” when the following conditions are met: wind speed of 8.0 m/s or higher, wind from the south, low pressure over the Sea of Japan, and higher temperatures than the previous day during the period from Risshun (around February 4) to the first day of spring (around March 21).
However, these strong winds carry pollen and yellow sand, which can make people sick or cause allergic reactions.

As someone who suffers from severe hay fever every year, I am inconsistently looking forward to spring, but wishing that it would wait a little longer.
However, I still wish that spring would come soon.

See you soon.

 

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春の訪れを気長に待ちます(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.04

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

本日は立春。暦の上では春の始まりを告げる日となっております。まだまだ寒い日が続きますが、立春ですよと言われると気持ちが少し和らぐ気がいたします。

店内に掛けられた節句の掛軸にも春の訪れを感じます。

 

 

 

 

部屋の模様替えとして、敷物やクッションなどの布物を変えると季節感を演出できるといわれますが、掛軸を季節や行事ごとに掛け替えるのも簡単で効果的な方法かもしれません。

床の間がないと飾れないのではと思い込んでいましたが、絵やタペストリーのように気軽に楽しめるものなのかもと思えてきました。

掛軸とは縁のない生活をしておりましたが、触れる機会が多くなり興味が湧いてまいりました。

 

掛軸は中国から伝来したもので、元は仏教画を掛けて拝する礼拝の対象として生まれたということです。丸めて持ち運びやすく、桐箱に入れることで汚れが付きにくく劣化を防ぐことができ、仏教の普及に役立ったとのこと。

現在の掛軸の様式が確立されたのは唐の時代で、日本へは飛鳥時代に仏教と共に伝わってきたとされています。その後、鎌倉時代に禅宗の影響で水墨画が流行ると、それに伴い掛軸も広まり、室町時代には茶道の流行と共に茶室の床の間を飾ることを目的とした鑑賞用の水墨画などの掛軸がたくさん作られるようになりました。

先日、日本の諸芸道における「真・行・草」の概念について触れましたが、掛軸の表装においてもこの概念が適用されるようです。一般的には茶室で飾られる掛軸は「草」とされています。

また「風帯(ふうたい)」と呼ばれる表具の上から垂れ下がっている2本の細い布がある掛軸の方が格が高いとされています。このひらひらしたもの、何のためにあるのか不思議に思っておりましたので調べてみました。

 

昔の中国では掛軸は軒先や屋外に近い広間に飾られることがありました。そのため鳥に汚される恐れがあり、風帯が風になびくことで鳥除けとなっていたようです。そのため「驚燕(きょうえん)」とも呼ばれていたとか。実用的な目的があったのですね。中国では明の時代に廃れ、日本では単に装飾するものとして形式だけが残ったといわれています。

しかし風帯の作成は高度な裁縫技術が必要で、かなりの手間もかかるといいます。それでも残していったのは「ある方がいいよね」という日本人の美的感覚もあったのではないかと勝手に推測しています。個人的には風帯があると少し立体感が出るような気がします。

 

これまで掛軸の絵や文字にしか意識が向いておりませんでしたが、こちらの桃の節句の掛軸を眺めていますと、表装とのトータルコーディネートの大切さ、面白さも感じます。

こちらの掛軸を眺めながら春を気長に待ちたいと思います。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

Today is the first day of spring. According to the calendar, it marks the beginning of spring. Although the days are still cold, I feel a little more relaxed when I am told that it is Risshun.

The hanging scrolls of seasonal festivals in our store also remind us of the coming of spring.

 

It is said that changing the fabric of a room, such as rugs and cushions, can create a sense of the season, but changing the hanging scrolls for each season and event may be an easy and effective way to change the look of a room.

I used to think that you need to have an alcove to display them, but now I am beginning to think that they can be enjoyed as casually as paintings or tapestries.

I have never been involved with hanging scrolls in my life, but now that I have more opportunities to come into contact with them, I have become more interested in them.

 

Kakejiku scrolls were introduced from China, and were originally created as objects of worship to be hung and worshipped with Buddhist paintings. They were rolled up for easy transportation and placed in paulownia wood boxes to prevent them from getting dirty and deteriorating, thus helping to spread Buddhism.

The current style of hanging scrolls was established in the Tang Dynasty, and it is said that they were introduced to Japan along with Buddhism in the Asuka Period. Later, when ink and wash painting became popular under the influence of Zen Buddhism in the Kamakura period (1185-1333), hanging scrolls spread along with it, and in the Muromachi period (1333-1573), with the popularity of the tea ceremony, many hanging scrolls with ink and wash paintings for appreciation were produced to decorate alcoves in tea rooms.

The other day, I mentioned the concept of “truth, action, and grass” in the various Japanese arts, and it seems that this concept also applies to the mounting of kakejiku. Generally, kakejiku displayed in a tea ceremony room are considered to be “grass.

A kakejiku with two thin strips of cloth called “fūtai” hanging down from the top of the mounting is considered to be more prestigious. I wondered what this fluttering cloth was for, so I looked it up.

 

In old China, hanging scrolls were often displayed at the eaves or in a hall near the outdoors. Therefore, there was a fear that they might be soiled by birds, and it seems that the wind band fluttering in the wind served as a bird repellant. That is why it was also called “kyoyen,” meaning “surprised swallow. So it had a practical purpose. In China, it was abandoned during the Ming dynasty (1368-1644), and in Japan, it is said that only the form remained as a mere decoration.

However, it is said that creating a futai requires advanced sewing techniques and a great deal of time and effort. I assume that the reason why they still kept them was due to the aesthetic sense of the Japanese people, who thought that it was better to have them. Personally, I feel that the wind belt gives a slightly more three-dimensional effect.

 

I have only been conscious of the pictures and words on the hanging scrolls, but looking at this Momo-no-Sekku hanging scroll, I feel the importance and interest of total coordination with the mounting.

I would like to wait patiently for spring while looking at this hanging scroll.

 

See you next time.

 

 

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何気に節分は忙しい。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.03

皆様こんにちは、スタッフYでございます。

 

ここ名古屋、本日は快晴であります。澄み切ったお天気の中、突き刺すような寒さを頬にうけながらの出勤して参りますと、気持ちが引き締まる思いがいたします。

 

 

 

 

さてさて、本日は節分であります。

 

先日からスタッフTのブログでも節分の呟きをお届けをしておりますが、節分って何気にやらなめればならないことが多いような気がいたします。すべては気持ちの問題なのですが、スルーしてしまうのもちょっと気持ちわるいので、毎年やるようには勤めております。

 

まずは恵方巻。幼い頃、実家では豆まきと柊とイワシの頭を軒先に飾っていたのですが、名古屋ではその風習がないようでこちらはスルーなのですが、いつからか始まった恵方巻が全国的にやるべきことに追加されておりましたね…。

 

それはそうと、恵方巻が年を追うごとにエキサイトしてきております。具材のカスタマイズはさることながら、先日はスィーツでできた恵方巻や金箔を纏った超豪華恵方巻などをTVでみまして、恵方巻もここまで来たか…と。ここまでくると次なるカスタマイズが少し楽しみにもなってもくるのですが、恵方巻の進化かがとまりませんね。

 

そして、豆まき。我が家では、なぜか「鬼担」と「鬼退治担」の役を毎年それぞれ決めるのですが、今年は「鬼退治担」に立候補。なぜならば、昨年外に出る「鬼坦」はちょっと寒いと判断しまして。

 

ところで、みなさまのお宅の豆まきの掛け声はどのようなものでしょうか?。

 

「鬼は外、福は内。」これは定番。「福は内、福は内。」このタイプの地域もありますよね。少々調べてみますと「鬼は内、福は外」の逆バーションや、「鬼は内、福は外」の頭がこんがらがってくるバージョンもございました。また、かわったところで、浅草浅草寺では「千秋万歳、福は内」などともいうそうでして、他にも興味深い掛け声がありそうです。それぞれの所以はいろいろあるようですが、この手の調べ物は始めるととまらなくなり暴走する性分ですので、このあたりで一旦終わりに致します。ご興味のございます方は是非調べてみてください。

 

ちなみに、今年の我が家の掛け声は「福は内、福は内。」に。全力で鬼退治につとめます笑。

 

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

It is a beautiful sunny day here in Nagoya today. I feel a sense of strength when I come to work in the clear weather with a piercing coldness on my cheeks.

 

Well, today is Setsubun.

I have been delivering Setsubun-related musings on Staff T’s blog since the other day, and I have a feeling that there are many things that need to be done on Setsubun. It is all a matter of feelings, but it would be a little unpleasant to ignore it, so I try to do it every year.

 

First of all, we have “ehomaki”. When I was a child, my parents decorated the eaves of the house with beanbags, holly and sardine heads, but it seems that this custom is not practiced in Nagoya, so I don’t do it here, but I see that ehoumaki, which started sometime ago, has been added to the list of things to do nationwide….

 

That said, ehoumaki is becoming more and more exciting with each passing year. Not only are the ingredients customized, but the other day I saw an ehoumaki made of sweets and gold leaf on TV, and I wondered if ehoumaki had come this far. I am looking forward to the next customization. By the way, our family decided to make Temakizushi this year.

 

And then, the bean-throwing ceremony. For some reason, we decide who will be the “devil bearer” and who will be the “demon exterminator” every year, and this year, I ran for the “demon exterminator” position. This year, I ran for “Oni-Dan” because last year, we decided it was a bit cold for “Oni-Dan” to go outside…lol.

 

By the way, what is the call for bean-throwing at your home?

 

“Oni wa soto, Fuku wa uchi.” This is the standard. Fuku wa uchi, fuku wa uchi.” There are some areas where this type of call is used. I did some research and found that there is a reverse version of “Oni wa uchi, Fuku wa soto” and another version of “Oni wa uchi, Fuku wa soto” that makes one’s head spin. I also heard that Senso-ji temple in Asakusa says “Senju banzai, fuku wa uchi” and there are some other interesting calls. There seem to be many reasons for each of them, but since it is my nature to get carried away when I start researching this kind of thing, I will end here, but if you are interested, please check them out.

 

By the way, this year, our family’s motto is “Fuku wa uchi, Fuku wa uchi. We will do our best to exterminate the ogres. We will do our best to exterminate ogres.

 

Have a good day.

 

 

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節分の準備はされましたか?(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.02.02

みなさまこんにちは、スタッフTでございます。

 

 

さて、明日は「節分」ですね。

節分は、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」と4つある季節の変わり目のうち、「立春」の前日にあたる日のことを指しまして、地球と太陽の位置関係によって決められるのですが、だいたい毎年2月4日頃に訪れるため、節分はその前日にあたるようです。

 

2024年の立春は2月4日。よって、その前日の2月3日が節分の日になります。節分は、翌日から新しい季節が始まる区切りの日と考えられておりますので、邪気や悪いものを落として、新しい年に幸運を呼び込むことを目的に、日本各地でこの行事が行われていますね。

 

名古屋でも各所で盛大に節分の豆まきイベントが開催されますが、名古屋の節分会で有名なのが「尾張四観音」です。

「尾張四観音」とは、「荒子観音寺」「龍泉寺」「甚目寺観音」「笠寺観音」の4つの寺院を指します。
徳川家康が尾張の国の中心として名古屋城を築いた際、名古屋城から見て鬼門の方角にあたる寺院を、名古屋城の鎮護として「尾張四観音」と定めたことが由来とされています。

 

尾張四観音の節分恵方は、「笠寺観音」→「龍泉寺」→「荒子観音寺」→「笠寺観音」→「甚目寺観音」と5年サイクルで回っており、2024年の恵方は「龍泉寺」です。

さらに今年の干支は「辰」。尾張四観音の節分恵方が5年で一巡するのに対し干支は12年で1サイクルですので、今年は60年に一度しかない「辰」と「龍」が合わさる奇跡の年なのだそう。

この地方では、名古屋城から見て、その年の歳徳神という吉祥の神様がいる方角に当たる恵方に一番近い寺へお参りするとご利益があると言われていますので、60年に一度の巡り合わせを考えると、御利益もさらにあるような気がしてきますね。

 

子供の頃から親しんできた「節分」ですが、なんで「鬼に豆をまくのか」という質問をされ、困ったことも何度か。これを機会にあらためて、節分について学んでみました。

 

仏教では、鬼は煩悩を表します。節分の鬼は赤か青のイメージがありましたが、他にも緑・黒・黄の鬼もおりました。

鬼は「人間の心にある煩悩の象徴」とされ、赤は欲望、青は怒り・憎しみ、緑はやる気が出ない、黒は疑い、黄色は甘えなどの意味があり、それぞれが違う煩悩の種類を表しているようです。

この5つのなかから、自分が打ち勝ちたい煩悩を選び、それを表す鬼に豆をぶつけると良いといういわれがあり、鬼に豆をまくことで煩悩を追い払い、気持ち良く新しい季節を迎える意味があるようですね。

 

では、なぜ豆をまくのかというと、昔から、人間の命を支える五穀(米、麦、ひえ、あわ、大豆)の中でも大豆が一番大きく、力が強いと考えられていたからだそう。

また、豆には「魔(ま)を滅(め)する」という意味も込められていて、節分には必ず炒った豆を使うのも、「豆を炒る」が「魔の目を射る」に通じることからきているようです。

さらに豆まきに使う豆を枡に入れるのも「“ますます”力が“増す”」という意味が込められているんだとか。

 

節分の後、私にとって辛いのは、豆の片付けと、年の数(満年齢に新年の分として1粒プラスした数)だけ豆を食べること。心身の邪気も払えて無病息災になれるとのことですが、豆類の苦手な私は、毎年増える豆の量に、修行のようになっております。今年は何粒食べようかしら・・・

 

ではでは、また。

 

 

Hello everyone, this is Staff T.

 

 

 

Tomorrow is “Setsubun”.

Setsubun is the day before Risshun, one of the four seasonal turning points: Risshun, Risshatsu, Risshakyu, and Risshunyu. Setsubun is determined by the position of the earth and the sun, and it usually falls on February 4 every year.

 

In 2024, the first day of spring will be February 4. Therefore, February 3, the day before Risshun, will be the day of Setsubun. Setsubun is considered to be the day to mark the beginning of a new season, so this event is held in many parts of Japan to bring good luck in the new year by removing evil spirits and bad things.

 

In Nagoya, Setsubun bean-throwing events are held in various places, and the most famous Setsubun event in Nagoya is the “Owari Four Kannon”.

The “Owari Four Kannon” refers to four temples: Arako-Kannon-ji Temple, Ryusen-ji Temple, Jimoku-ji Kannon Temple, and Kasadera Kannon Temple.
When Ieyasu Tokugawa built Nagoya Castle as the center of Owari Province, he designated the temples in the direction of the devil’s gate from Nagoya Castle as the “Owari Four Kannon” to protect the castle.

 

 

The Setsubun eho of the four Owari Kannon temples rotates in a five-year cycle from “Kasadera Kannon” to “Ryusenji” to “Arako-Kannonji” to “Kasadera Kannon” to “Jimokuji Kannon”, with the eho for 2024 being “Ryusenji”.

Furthermore, this year’s zodiac sign is “dragon. While the Setsubun ekata of the four Owari Kannon temples rotate once every five years, the zodiac signs rotate once every 12 years, so this year is a miracle year for the combination of “dragon” and “dragon,” which happens only once every 60 years.

In this region, it is said that it is beneficial to visit the temple closest to the direction of the god of good fortune called “Toshitokujin” as seen from Nagoya Castle, which is the direction of the god of good fortune for that year.

 

Setsubun” has been familiar to me since childhood, but I have been asked several times why I have to “throw beans at ogres,” and I have been troubled by the question. I took this opportunity to learn about Setsubun once again.

 

In Buddhism, ogres represent vexations. I had an image of red or blue ogres for Setsubun, but there were also green, black, and yellow ogres.

Oni are said to “symbolize the vexations in the human mind,” with red representing desire, blue anger and hatred, green lack of motivation, black doubt, and yellow naivete, each representing a different kind of vexation.

It is said that it is good to choose the affliction you want to conquer from among these five and throw beans at the demon that represents the affliction.

 

The reason why people sow beans is because soybeans were thought to be the largest and most powerful of the five grains (rice, wheat, millet, millet, and soybeans) that sustain human life since ancient times.

Beans also have the meaning of “destroying evil spirits,” and the reason why roasted beans are always used for Setsubun is because “to roast beans” means “to shoot out the eyes of evil spirits.

The beans used in the bean-throwing ceremony are also placed in a “masu”, which is said to mean “more and more power”.

 

After Setsubun, the hardest part for me is to clean up the beans and eat as many beans as the number of the year (full age plus one bean for the New Year). It is said that it can dispel evil spirits in body and mind and bring good health, but as I am not good at beans, the amount of beans increases every year, and it has become like a training for me. I wonder how many beans I will eat this year…

 

See you soon.

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