名古屋にもある食の街道(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)
2025.02.01
先日、たまたま通りかかった際に「塩付街道」の看板を見つけました。「そうか、ここは塩付街道なのか」と思ったくらいですから、すっかり普通の道です。どうやら塩を運んでいた街道のようですが、お地蔵さんがあったりと当時の面影が所々は残っていたりしていますが。
全国的に有名な食を運ぶルート「鯖街道」「ぶり街道」や、海路ですが「北前船」などは皆さまご存知でしょう。歴史的にも名前が残っていますが、実は塩街道というものも全国的にも何カ所かあるようです。その一つであるこの塩付街道、どういった街道かといいますと…。
かつて塩作りが盛んだったころ、自然発生的に出来た塩を運ぶための道だったようですが、塩付街道の起点についてはいくつかの説があるようですが、かつて塩が作られていた海の側の星崎町(名古屋市南区)からのスタートのようです。江戸時代の中頃まで名古屋市南区本星崎町一帯ではさかんに塩が作られており、南区の富部神社付近から桜(東宝寺西、鳥栖神明社西)を通り、瑞穂公園のあたりを経由して、瑞穂区汐路町、更に北上して昭和区石仏町を通り、飯田街道(信州飯田へとつながる道)と交差した後、千種区古出来町あたりに集荷。そこから遠く信州(現在の長野県)まで俵に詰め運ばれていたようです。
その街道の名古屋市南区本星崎町から千種区古出来町までの約10kmのことを塩付街道と呼ぶのですが、ちょうど私が立っている昭和区辺りは街道の真ん中あたりでしょうか。街道はその先の東区の古出来町矢田を経て瀬戸街道へとつながっていますが、都市化の影響で道があちこちで寸断され道自体が既に消滅してしまったところも多いよう。現在は塩付街道保存会が作られていて昔の風情を今に伝えています。ここは、その名残が少し残っている道のようです。
当時は、この街道を俵に詰めて塩を馬で運んだ「中馬(ちゅうま)」といわれる運送業者が往来していたようで、汐路町の道沿いに残る松は、昔の街道の趣きを伝えています。塩のピーク時は江戸時代初期で、中期以降には瀬戸内海の安い塩に押されて徐々に衰退していったようです。
今、この街道の途中で、かつて塩を積んだ馬たちが行き来して賑やかだった街道を勝手に脳内で再現しているのですが、人間が生きていくうえで欠かせない塩、そう「食」から道がだんだん伸び繋がっていくのですから、「食」とは「道を切り開いていくこと」なのだな…などと、看板を見ながら妄想のスケールがだんだん大きくなっていくなったり、荷物をひいた馬や汗を流しながらふんどし姿の人々がせわしなくゆきかっていたかな…なんて名も無き人々に思いを馳せたり。
それにしても今はお地蔵さんが静かに佇む通りに自分一人。
いろいろ過去と現在の妄想の間で思いを巡らしているのですが、傍から見ると静かな通りにおばさんが一人佇んでいるだけの図です笑。
それではごきげんよう。
The other day, I happened to pass by and found a sign that read “Shiozuke Kaido” (Salt-carrying road). It seems to be a road that used to carry salt, but it has become an ordinary road, but there are still some traces of those days, such as a Jizo-san (a statue of Buddha). I see…this is the place.
The “Saba Kaido” (mackerel road) and the “Kitamae Senpaku” (sea route) are nationally famous food routes, but it seems that there was a food route here in Nagoya as well.
By the way, what kind of road is this “Shio-tsuke Kaido”? It seems to have been a road used to transport salt that was spontaneously created when salt production was once flourishing. Salt, which had been actively produced in the area around Honhoshizaki-cho, Minami-ku, Nagoya City until the middle of the Edo period, was collected around Tomibe Shrine in Minami-ku, through Sakura (west of Tohoji Temple and Tosu Shinmeisha Shrine), via Mizuho Park, to Shioji-cho, Mizuho-ku, then north to Ishibutsu-cho, Showa-ku, and after crossing Iida Highway (the road leading to Iida, Shinshu), to the area around Furudake-cho, Chikusa-ku It is said to have been collected around Furudechi-cho, Chikusa-ku, and transported in bales as far away as Shinshu (present-day Nagano Prefecture).
The 10-km stretch from Honhoshizaki-cho, Minami-ku, Nagoya to Furudeki-cho, Chikusa-ku, Nagoya was called Shiozuke Kaido (Salted Road), but the road was cut off here and there due to urbanization, and the road itself has already disappeared in many places, but now the Shiozuke Kaido However, the Shiozuke Kaido Preservation Society has been formed to preserve the old atmosphere of the road.
In those days, salt was carried in bales along this highway by horse-drawn carriers known as “chuma,” and the pine trees that remain along the road in Shioji-cho convey the atmosphere of the old highway. The peak period was in the early Edo period (1603-1867), and after the middle of the Edo period (1603-1868), it gradually declined due to cheap salt from the Seto Inland Sea, but it is fun to recreate in my brain the lively street where horses loaded with salt used to come and go.
Have a good day.
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