8月, 2024 - 風光舎 | 愛知・名古屋での骨董古美術買取 三重 岐阜 - Page 2

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FROMKYOTOOSAKA

この暑さでも涼しげなお顔です(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.23

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

甲子園での高校野球も終わってしまいましたね。準決勝、決勝と激闘が繰り広げられていましたが、残念ながらお仕事で生放送では観戦できませんでした。一昨日は夜放送の‘熱闘甲子園’で、試合を決めるセンターからのバックホームの映像をなぜか繰り返し観てしまいました。はい、熱闘甲子園は必ず録画しております。以前は甲子園が終わると夏が終わった気がしておりましたが、ここ数年の夏の暑さではそうもいきませんね。

 

さて風光舎店内には、暑さをなど気にも留めずといった雰囲気の涼しげな横顔のお方がいらっしゃいます。

 

 

 

 

東郷青児の「桃色のシュミーズ」と題された油絵です。絵は詳しくありませんが、油絵なのに透明感があるのが不思議です。シュミーズ、口元、耳たぶの淡い桃色が温かみを感じさせ、さらに美しさを引き立たせているようです。晩年の作品になるにつれ伏し目がちなり、まつ毛が強調され、目が描かれなくなっていくとか。

たっぷりとした髪が美しいなと繁々と眺めているうちに、人物画は圧倒的に女性モデルのものが多いような…という考えがふと浮かび、男性の場合、自画像や肖像画の類が多いのはなぜだったかな?とぼーっと考えておりますと、急に学生の頃に受けた講義を思い出しました。

教授が「頭に浮かぶ巨匠と呼ばれる芸術家、画家を書き出しなさい。」と仰るので、ピカソ、ゴッホ、ミケランジェロ、モネなど思い付くままに書きました。

そして今書いた名前の中に女性はいますか?と教授が尋ねました。芸術の世界だけではないのでしょうが、女性がいないことを全く意識していなかった自分に驚いたのを覚えています。その講義は、女性を描いているのは主に男性画家で、なぜ近代美術以前は女性画家が一般的ではなかったのかという内容だったと思います。

そもそも絵を描くための必需品である絵具は、昔はチューブに入っていて押し出したら出てくるものではなく、鉱物などの顔料を手に入れ、鉢ですりつぶし他の材料を配合して色を作り出していました。そのため絵具づくりには化学や数学の知識も必要となってくるとのこと。当時の女性たちは学校に通っていなかったため絵具づくりの知識を得る機会もなかったのではないかとのことでした。

様々な社会的要因が絡んでくるのでしょうが、自分に見えている世界は狭いのだなと実感した若かりし頃をふと思い出しました。ちなみにその教授は小柄で可愛らしい女性でした。

 

 

 

 

さて話は全く変わるのですが、昨日スタッフYのブログで紹介された名古屋城の鯱のお話の続きで、我が家に飾られている鯱の写真をご紹介します。2021年に16年ぶりに地上へ降ろされた鯱です。親戚が撮影した写真で、金運が良くなるから神棚に飾るようにと親戚中に配ってくれました。

地上へ降ろされたのは戦後3回目で、前の2回は1984年の名古屋城博開催の時と、2005年の愛・地球博の時だそうです。

せっかくなので、我が家の神棚らしきところに飾っております。

 

 

地上で見ると本当に迫力がありそうですね。金運はさておき一度間近で拝見したいです。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

The high school baseball games at Koshien have come to an end. The semi-finals and finals were fierce battles, but unfortunately, I was unable to watch the games live due to work. The day before yesterday, I watched the nightly broadcast of “Netto Koshien,” and for some reason I repeatedly watched the video of the game-deciding back home run from center field. Yes, I always record Netto Koshien. I used to think that summer was over when Koshien was over, but with the heat of the summer these past few years, that is no longer the case.

In the Fuhkosha store, there is a person with a cool profile who does not seem to mind the heat.

 

It is an oil painting titled “Peach Color Chemise” by Seiji Togo. I am not familiar with painting, but I am amazed at the transparency of the oil painting. The pale peach color of the chemise, mouth, and earlobes gives a sense of warmth that further enhances the beauty of the painting. In the later works, the eyes become more downcast, the eyelashes are emphasized, and the eyes are no longer painted.

While I was admiring the beautiful hair, I suddenly had a thought that most of the portraits are of female models…. I wondered why there were so many self-portraits and portraits of men. As I was thinking absentmindedly, I suddenly remembered a lecture I took when I was a student.

The professor said, “Write down the artists and painters called masters that come to your mind. I wrote down Picasso, Van Gogh, Michelangelo, Monet, etc. as I thought of them.

And are there any women among the names I just wrote? The professor asked, “Are there any women among the names you just wrote? I remember I was surprised to find myself completely unaware that there were no women, although I guess it is not only in the art world. I think the lecture was about how it was mainly male painters who painted women and why female painters were not common before modern art.

To begin with, paint, a necessity for painting, was not something that used to come in a tube and come out when pushed out, but pigments such as minerals were obtained, grinded in a bowl, and blended with other materials to create colors. Therefore, knowledge of chemistry and mathematics was also necessary to make paints. Women at that time did not attend school, so they may not have had the opportunity to acquire knowledge about making paints.

I suddenly recalled my younger days when I realized that the world I was seeing was a small place, although various social factors may have been involved. By the way, the professor was a petite and lovely woman.

This is a picture of the orca that was brought down to the ground for the first time in 16 years in 2021. A relative of mine took this picture and distributed it to all the relatives to hang on the altar for good luck in money.

This was the third time the shachihoko was brought down to the ground after the war. The previous two were at the time of the Nagoya Castle Expo in 1984 and the Aichi Expo in 2005.

Since it is so special, we put it on display in a place that looks like a Shinto altar in our house.

It looks really powerful when seen on the ground. I would like to see it up close and personal.

See you next time.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

 

 

 

 

【絵巻物、掛軸買取】名古屋市北区のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.23

 

 

 

名古屋市北区のお客様より、絵巻物と掛軸を買取いたしました。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今古美術風光舎では、ご実家の解体、整理のご相談・買取も承っております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

 

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今日は「金シャチの日」なんです。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.22

みなさまこんにちは、スタッフYでございます。

 

いつも愛車に乗り込みますといつも今日は何の日かと朝から言ってくれるのですが、今朝は「おはようございます、今日は“金シャチの日”です。」とのこと。思わず朝から笑ってしまいました。

 

毎日何かしらの記念日があって興味深いのですが、今日は「金シャチの日」。先日のスタッフHの金についてのつぶやきに引き続き、本日はとても名古屋っぽい「金シャチの日」についてつぶやいてみたいと思います。

 

 

 

 

あらためて、8月22日は「金シャチの日」に制定されているようです。

由来としては、名古屋市の市章が「八」であることと、鯱鉾(しゃちほこ)の形が「2」という形に似ていて、名古屋城の天守の左右に2つずつあることが由来らしいのですが、「名古屋城」(愛知県名古屋市中区)と聞くと、真っ先に金色に輝く「金のしゃちほこ」を思い浮かべる方も多いので、この定着度は完璧ですね。

 

そんな名古屋城の金のしゃちほこですが、財政難の尾張藩に改鋳されて金が剝がされたり、明治時代には名古屋城と金鯱は取り壊されることが決まったこともあったり、1945年(昭和20年)の太平洋戦争の際には空襲により天守とともに焼失したりと、その歴史は波乱でありました。ですが創建当時の名古屋城の金のしゃちほこは、多くの人の目を奪い東海道を行く人々からも称えられた存在だったようであります。その名声は全国に広まっていき「金鯱の輝きで熱田の浜に魚が集まらない」という歌ができたほどだったようです。東海道を行き交うみなさんの憧れのシンボルだったのでしょうね。

 

時代が変われど、その気持ちはよくわかります。車などで名古屋城近辺を通り過ぎる時は必ず金の鯱鉾を探してしまうのは私だけでしょうか笑。なんだかんだいい気分になれますので、金鯱を探して眺めている姿はきっと江戸時代の人と何ら変わらないようですね笑。

 

そんな金のちゃちほこ、尾びれを潔く天に向け陽の光を浴び、輝きを放って屋根に乗っている姿はなんともカッコいいですし、バランスがいいなあといつも思うのですが、調べてみますと、実は正確には左右対称ではないようです。

 

金シャチは雌雄一対でして、天守閣北側の金鯱が雄、南側の金鯱が雌であります。しかも雄の方は、高さ2.621m重さ1,272kg、ウロコの枚数112枚。雌の方は、高さ2.579m重さ1,215kg、ウロコの枚数126枚だそうです。重さもウロコの枚数も雌雄で異なっているようで、知らなかった…。(これで明日から学校や職場で自慢してもらってもいいです笑。)

 

いうまでもなく金メッキなどではなく表面に金板が張り付けられた構造でして、創建時の金シャチにはじつに慶長大判1,940枚分(大判1枚165g・品位68%)の金が使われたと言います。純金量に換算するとなんと220kg程度に相当するそうですから、(ただしそののち幾度か改修されています。)この力の入れようは、徳川家康がこの名古屋城にかけた権力の象徴、政治的思惑などなどいろいろなものが伝わってきますね。

 

また、昭和20年には戦火で消失するという憂き目にも遭っていますが、現存する金シャチは昭和34年に大阪造幣局の協力により再建されたものでして、こちらは18金(純度75%)の金板が雌雄合わせて88kg(純金量換算で66kg)使われております。とはいえ相当な重さなのですが、創建当時の220kgの重さの金鯱が棟上げされる様子が、当時どんな様子だったのかも気になります。

 

ところで、棟飾りとしての鯱には、威厳や美観の演出の他に火除けの意味があったようですが、そのためか天守閣に鯱を載せている城は全国に存在しました。金鯱はもともと安土城に始まり、大阪城、伏見城、駿府城などの天守閣にものっていたと言います。しかしいずれも火災や破壊にあって消失してしまい、現在見ることができるのは名古屋城の金鯱だけであります。

 

最近ではお土産などのキャラ設定で可愛い立ち位置になっていますが、そんな歴史を経ても今もまお現存し輝きを放ちながら棟に颯爽とそびえる金しゃちをみますと、少しその見方が変わってきます。が、「おぉっ…!」って言いなが口を開けながら仰ぎ眺める姿はきっと江戸時代の人々と何ら変わらないのでしょうか、昔もこれからも名古屋城の屋根からその輝きを放つ憧れの存在でいてほしいものですね。

 

それではごきげんよう。

 

 

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

 

Whenever I get into my car, he always tells me what day it is in the morning, and this morning he said, “Good morning, today is ‘Kinshachi Day’. This morning he said, “Good morning, today is ‘Kinschachi Day’. I couldn’t help but laugh this morning.

 

It is interesting that every day has some kind of anniversary, but today is “Kinshachi no Hi” (day of the golden killer whale). Following Staff H’s tweet about gold the other day, today I would like to tweet about “Kinshachi Day,” which is very Nagoya-like.

 

Once again, it seems that August 22 has been designated as “Kinshachi Day.

The origin of this day seems to be that the city emblem of Nagoya City is “8” and that the shape of a Shachihoko (a mythical mythical mythical fish-shaped spear) resembles a “2” and there are two of them, one on each side of the castle tower of Nagoya Castle. This is a perfect example of how well established the castle is.

 

The gold shachihoko of Nagoya Castle has had a tumultuous history, including being recast and stripped of its gold by the financially strapped Owari clan, the decision to tear down Nagoya Castle and its golden shachihoko during the Meiji period, and its destruction by air raids during the Pacific War in 1945, along with the castle tower. However, at the time of its construction, Nagoya Castle’s golden Shachihoko (ornamental ornaments) caught the eyes of many people, and was even admired by those traveling along the Tokaido Highway. Its fame spread throughout the country, so much so that a song was composed, “The fish don’t gather on the beach at Atsuta because of the shachihoko’s brilliance. It must have been a symbol of longing for the people who passed by on the Tokaido Highway.

 

Although the times have changed, I understand the sentiment. Am I the only one who always looks for the golden shachihoko when I pass by Nagoya Castle in my car? It puts me in a good mood somehow, so I am sure that the sight of people looking for and admiring the golden shachihoko is no different from people in the Edo period lol.

 

I always think it is really cool and well-balanced to see such a golden shachihoko on the roof with its tail fin gracefully pointing to the sky, basking in the sunlight and shining brightly.

 

The golden shachi are a pair of male and female, with the male on the north side of the castle tower and the female on the south side. The male is 2.621 m tall, weighs 1,272 kg, and has 112 scales. The female is 2.579 m tall, weighs 1,215 kg, and has 126 scales. I did not know that the weight and the number of scales are different between the male and female…. (Now you can have them brag about it at school or at work starting tomorrow lol.)

 

Needless to say, it is not gold-plated, but has a structure with gold plates attached to its surface, and it is said that 1,940 pieces of Keicho Oban (165g per piece, 68% grade) of gold were used for the Kinshachi when it was built. In terms of pure gold, this is equivalent to 220 kg of gold (although the building was later renovated several times). The amount of effort that went into the construction of Nagoya Castle is indicative of the power and political considerations that Tokugawa Ieyasu had for the castle.

 

The existing Kinschachi was reconstructed in 1959 with the cooperation of the Osaka Mint, and the gold plate weighs 88 kg (66 kg in terms of pure gold), including both male and female gold plates of 18k gold (75% purity). It is quite heavy, but it is also interesting to see how the 220kg gold shachi were raised on the mune at the time of the foundation of the shrine.

 

By the way, it is said that the ornament of shachi or or shachihachi on a mune ornament was meant to ward off fire as well as to add dignity and aesthetics, which is why there were many castles with orchids on their keep throughout Japan. The golden orchid originally appeared at Azuchi Castle, and was also placed on the keep of Osaka Castle, Fushimi Castle, Sunpu Castle, etc. However, all of them were damaged by fire or destroyed. However, all of them were lost due to fire or destruction, and the only one that can be seen today is the golden shachi at Nagoya Castle.

 

These days, the golden shachi has become a cute character in souvenirs and other items, but when you see the golden shachi still standing, shining brightly and towering over the buildings, even after such a long history, your perspective changes a little. The sight of the golden shachis standing tall and shining on the building’s ridgepole changes one’s perspective a little bit. I hope they will continue to be an object of admiration as they shine from the roof of Nagoya Castle, both in the past and in the future.

 

I hope that they will continue to be a source of admiration for Nagoya Castle.

 

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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やはり金色には特別感があるようです(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.21

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

昨日の朝は窓を開けると避暑地にでも来たのかと錯覚するほど涼しかったのですが、今朝はいつもの名古屋の夏の暑さでございました。一瞬でも外気の涼しさに触れると、いつにもまして暑さが身に染みます。

 

 

 

さて今朝、通勤電車の中で‘五輪金メダルの劣化’云々の記事を目にしました。真偽のほどは分かりませんが、何人かの選手が東京五輪の金メダルと比較した写真などを投稿しているようです。個人的にはよく判別できませんでした。そもそもそれぞれの国でメダルの製造方法が異なっていているようです。

東京五輪のメダルは「勲章」の技法で作られ、パリ五輪のメダルは「硬貨」の製法で作られているそうで、違いは詳しく分かりませんがデザインから製造方法まで開催国に一任されているようですね。

投稿している選手は2大会連続で金メダルを獲得しているからこそ比較できる訳で、凄いことだなと主旨から外れた感想を持ってしまいました。

恐らくほとんどの選手にとって一生に一度の金メダルとなり、子孫代々受け継がれ、偉業を語り継がれていくと期待しているのではないでしょうか。いつまでも金色に輝き続けてほしいという願いは当然のように思えます。なかなか難しいのかもしれませんが…。

 

さて風光舎を見回してみますと、帝国技芸員の一人でもある平櫛田中作、金色に輝く恵比須様と大黒天様のブロンズ像(鋳物)がございます。金箔で仕上げられており存在感を放っているのですが、2等身のころんとしたお姿が愛らしく見る者を和ませてくれます。

 

 

 

 

平櫛田中といえば彩色を施した木彫が有名で、歌舞伎6代目尾上菊五郎が舞う姿を彫った「鏡獅子」は22年の歳月をかけて完成させ、高さ2メートルもある作品です。幾重にも重なった衣装の下で実際の骨格や筋肉がどうのようになっているのかを知るために尾上菊五郎のもとに通い、衣装なしでポーズとった姿を「鏡獅子試作裸像」として事前に作っています。衣装の中身の細部に至るまで掴もうとしていたようです。一転して店内にございます恵比須様と大黒様はかなりデフォルメされたお姿で芸術家の頭の中はどうなっているのだろうと不思議なところでございます。

 

金箔の話に戻りますが、日本の金箔は98%以上が金沢で作られているとのこと。2グラムの金を畳一畳分にまで伸ばすのだとか。日本で金箔がいつ頃作られたかは不明のようですが、金箔を施された古墳時時代のアクセサリーが見つかっているそうです。仏教伝来とともに中国から伝わった製箔技術が日本において独自の発展を遂げたと言われています。

金沢で初めて金箔が作られ始めた時期が定かではないそうですが、1593年、加賀藩の前田利家が豊臣秀吉より明の使節団の出迎え役を申し渡され、装飾のための槍などを飾るため利家が加賀、能登で金箔、銀箔の製造を命じたとされています。

黄金好きで知られる豊臣秀吉は調度品などに金箔を好んで使用し、諸大名も権力の象徴として瓦や内装に金箔を使っていたとされています。

徳川家康の時代になり経済強化のため「箔打ち禁止令」が出され、京都以外では金箔、銀箔の生産は厳しく禁じられることとなりました。しかし加賀藩では密かに続けられ、限られた材料で技術を研鑽し、輪島塗や山中塗、加賀蒔絵など今も私たちを魅了する伝統工芸の技法として受け継がれています。

 

ところでお菓子や飲み物に金箔が入っていることがありますね。とても華やかな雰囲気なのですが、食べても大丈夫なのかな?とかすかな引っ掛かりを感じながらいただいております。でんぷん質が含まれている食用金箔もあるようですが、フレーク状や非常に薄いシート状のものは純金箔だそうです。基本的には金は体内で吸収されず、かなり薄く伸ばしていることもあり食べても問題はないようです。また金箔は血行促進や抗酸化作用があるとされ化粧品にも使われており、金の顔パックシートもあるとか!ここぞという時に使ってみてはいかがでしょうか。

 

それでは、また次の機会に。

 

Hello everyone. This is Staff H.

Yesterday morning it was so cool that when I opened the window, I thought I was in a summer resort, but this morning it was the usual Nagoya summer heat. Whenever I feel the coolness of the outside air, even for a moment, the heat sinks in more than ever.

This morning, on the train to work, I saw an article about the “deterioration of Olympic gold medals. I am not sure if it is true or not, but it seems that some athletes have posted photos comparing their medals with the gold medals of the Tokyo Olympics. Personally, I could not distinguish them well. It seems that the medals are manufactured differently in each country.

The medals for the Tokyo Olympics are made using the “medal” technique, while the medals for the Paris Olympics are made using the “coin” method.

I don’t know the details of the difference, but it seems that the design and production methods are left up to the host country.

It is probably a once-in-a-lifetime gold medal for most of the athletes, and they expect that it will be passed down to their descendants and their achievements will be passed on to future generations. It seems natural to hope that they will continue to shine gold forever. It may be quite difficult….

 

Looking around the Fuhkosha, there are bronze statues of Ebisu-sama and Daikokuten-sama (cast metal), both shining in gold, by Hirakushi Denchu, one of the Imperial Artists in Charge. The gilded finish gives the statues a strong presence, and their two-length, rounded figures are charming and comforting to the viewer.

 

Hiragushi Denchu is famous for his colored wood carvings, and his “Kagami-jishi (mirror lion),” which depicts Kabuki actor Onoe Kikugoro VI dancing, took 22 years to complete and stands 2 meters high. In order to understand what the actual skeleton and muscles looked like under the layers of costume, the artist went to Onoe Kikugoro and created a “prototype naked figure of Kagami-jishi” in advance, showing him posed without costume. It seems that he was trying to grasp every detail of what was inside the costume. On the other hand, Ebisu-sama and Daikoku-sama in the store are quite deformed, which makes us wonder what is going on in the mind of an artist.

 

Returning to gold leaf, more than 98% of Japan’s gold leaf is made in Kanazawa, where 2 grams of gold can be stretched to the size of a tatami mat. It is unknown when gold leaf was first produced in Japan, but gilded accessories from the Kofun period have been found. It is said that the technique of gold leaf making, which was introduced from China along with the arrival of Buddhism, developed uniquely in Japan.

It is not known when gold leaf was first produced in Kanazawa, but it is said that in 1593, Maeda Toshiie of the Kaga Clan was asked by Toyotomi Hideyoshi to welcome a delegation from Ming Dynasty China, and Toshiie ordered the production of gold and silver leaf in Kaga and Noto to decorate lances and other objects for decoration.

Toyotomi Hideyoshi, who was known for his love of gold, favored the use of gold leaf for furnishings, and it is said that the feudal lords also used gold leaf for roof tiles and interior decorations as a symbol of their power.

During the reign of Tokugawa Ieyasu, the production of gold and silver leaf was strictly prohibited outside of Kyoto due to a “ban on foiling” issued to strengthen the economy. However, the Kaga Clan secretly continued to produce gold and silver leaf, and with the limited materials available, the technique was refined and passed on as a traditional craft technique that still fascinates us today, such as Wajima-nuri, Yamanaka-nuri, and Kaga maki-e (maki-e lacquerware).

 

By the way, you sometimes find gold leaf in sweets and drinks. It looks very glamorous, but is it safe to eat? I have a faint feeling of uneasiness when I eat them. There are edible gold leaves that contain starch, but those in flake or very thin sheet form are said to be pure gold leaf. Basically, gold is not absorbed by the body, and there seems to be no problem in eating it, partly because it is stretched very thin. Gold leaf is also used in cosmetics for its blood circulation promoting and antioxidant properties, and there are even gold face pack sheets! Why don’t you try using it when you have a special occasion?

 

See you next time.

 

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【碁盤、洋酒買取】名古屋市千種区のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.21

 

 

 

名古屋市千種区のお客様より、碁盤と洋酒を買取いたしました。

再度のご依頼のお客様です。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今古美術風光舎では、ご実家の解体、整理のご相談・買取も承っております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

 

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ご近所でなにやらあるようですが・・・(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.20

皆さまこんにちは、スタッフTでございます。

朝方降った雨のおかげで、久しぶりに涼しい名古屋。朝、窓を開けた第一声は「涼しい!」でした。

名古屋の連続猛暑日も25日間でようやくストップしました。長かった…。まさに恵みの雨です。

このまま秋に向かって季節が進んでくれると助かるのですが…。近頃は、冬と夏しかないような、ちょうど良い季節が短すぎます。

 

 

さてさて、夏休みを取らせていただき、久しぶりに風光舎へお仕事に来てみますと、城山八幡宮あたりがなにやら騒がしいではありませんか。

 

 

 

城山八幡宮に上っていく途中、いきなり崖の上にそびえる、教会のような修道院のような古い建築物があるのですが、その辺りでトラックやら重機が入って何やら大掛かりな雰囲気です。

じつはこの建物、過去にも『銀河鉄道の父』の病院のシーンの撮影にも使われたりしておりますので、今回も何かの撮影なのでは?とミーハー心をくすぐられております。

 

神社建築でもなく、寺院建築でもゴチック建築でもない、塔を中心とした一風変わった様式の建物。『旧昭和塾堂』と言いまして、広小路通りからすぐ近くにも関わらず、木々や建物に遮られ広小路からはほとんど見えない小山の上にあります。昭和の初めの頃に建てられた建物で、レトロな雰囲気で八角形の塔が目立ちます。現在は立ち入り禁止になっており、外から眺めることしかできません。

 

 

この『旧昭和塾堂』、愛知県が青年向けの社会教育に資するために建設した建物で、建築家黒川紀章氏の父、黒川巳喜氏も設計に加わって昭和4年に建築されております。

1943年(昭和18年)には旧日本軍により接収されることとなり、戦時中には陸軍の東海軍司令部として使用されました。戦後は、名古屋大学医学部基礎医学系諸教室や、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎などを経て、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されています。

現在は、1967年(昭和42年)に愛知県から払い下げられた城山八幡宮が管理しています。

 

過去には取り壊しも検討されたことがあるようですが、今のところ具体的な取り壊しの動きはないようです。ですがもうすぐ築100年。今では、古い町並みがどんどん減っていて、このような建物は近い将来でなくても、日本映画を撮るためにも保存してほしいなぁと思ってしまいますが、そんな簡単な話ではないですね。

 

さてさて、一体どなたが撮影に来られてるのでしょうか。這ってでも一目見たい!思うあの方でしょうか。と、撮影されている前提ですが、色々想像すると、ちょっとテンションも高くなります。もし撮影であれば厳戒態勢でしょうから、一目なんて見ることもできないでしょうから、続報は期待せずお待ちください(笑)

 

ではでは、また。

 

Hello everyone, this is Staff T.

Thanks to the rain that fell in the morning, Nagoya is cooler than it has been in a while. The first thing I said when I opened the window in the morning was “It’s cool! I was so happy to hear that.

The consecutive hot days in Nagoya finally stopped after 25 days. It was a long time… It is truly a blessing.

It would be great if the season would continue to progress toward autumn…. These days, just the right season is too short, as if there is only winter and summer.

 

 

Now, after taking a summer vacation, I came to work at Fumikosha for the first time in a while, and found something noisy around Shiroyama Hachiman-gu Shrine.

On the way up to Shiroyama Hachiman-gu Shrine, there is an old church-like or monastery-like structure that suddenly rises above the cliff, and around that area, trucks and heavy machinery are moving in, creating a big scene.

This building has been used in the past for the filming of the hospital scene in “Father of the Galactic Railroad,” so I was curious to know if they were filming something this time as well. I was tickled to see it again.

 

 

The building is not a shrine, a temple, or a gothic building, but a building with an unusual style centering on a pagoda. It is called “Kyu Showa Juku-do,” and although it is located very close to Hirokoji-dori, it is almost invisible from Hirokoji because it is blocked by trees and buildings. The building was built in the early Showa period (early 20th century) and stands out for its retro atmosphere and octagonal tower. It is now off-limits and can only be viewed from the outside.

 

 

 

The “Old Showa Juku-do” was built in 1929 by Aichi Prefecture to contribute to social education for young people, with architect Kisho Kurokawa’s father, Miki Kurokawa, participating in the design.

In 1943, the building was seized by the former Japanese Army and used as the headquarters of the Army’s Tokai Army during the war. After the war, the building was used as the Nagoya University School of Medicine’s basic medical school, the Aichi Prefectural Institute of Education and Culture, and the Chikusa Ward Office temporary government building, before being used as the research building of the Aichi-Gakuin University Graduate School of Dentistry.

Currently, the building is managed by Shiroyama Hachimangu Shrine, which was disposed of by Aichi Prefecture in 1967.

 

 

 

In the past, demolition of the building has been considered, but so far there are no concrete plans for its demolition. However, it will soon be 100 years old. Nowadays, old townscapes are decreasing rapidly, and I would like to see such buildings preserved for the sake of Japanese movies, if not in the near future, but it is not that simple.

 

Now, who in the world is coming to film here? I want to see it at a glance even if I have to crawl to see it! Is it that person you would like to see at first hand? I’m assuming that they are filming, but when I imagine it, I get a little excited. If they are filming, they will be on high alert, so you won’t be able to catch a glimpse of them, so please don’t hold your breath for further updates (laughs).

 

So, I’ll see you later.

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

TEL052(734)8444

10:00-18:00 OPEN

#出張買取#骨董#古美術#骨董品#絵画#版画#茶道具#刀剣#彫刻

 

 

 

 

 

 

【茶器、屏風、懐石道具、時計、ランプ】北名古屋市のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.20

 

 

 

 

北名古屋市のお客様より、茶器、屏風、懐石道具、時計、ランプなど買取いたしました。

再度のご依頼のお客様です。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今古美術風光舎では、ご実家の解体、整理のご相談・買取も承っております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

 

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愛知県名古屋市千種区姫池通

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暑さはまだまだ続きますが。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.18

皆さまこんにちは、スタッフYでございます。

 

 

 

 

本当に暑いですね…。

 

少々夏休みをいただいておりましたが、相変わらず猛暑が続いており季節が全く変わっていないかんじですが、何もする気が起こらず今日に至っております。そろそろ秋の気配が恋しいものですね。

 

今日は夏の帰省の移動の中の方もおいででしょうが、みなさまのこの夏休みはいかがだっだでしょうか。私の夏休みはオリンピックをはじめ甲子園などスポーツ観戦いやいやTVの前での応援や、暑い中お墓参りをしたりと、いたって普通の夏休みではありました。

 

ところでお盆は終わってしまったのですが、皆様の地区は「精霊馬・精霊牛」でご先祖様を迎える風習はありでしょうか。ご存じかと思いますが精霊馬とはご先祖様が家に帰るための乗りものなのですが、お盆になると盆棚に ナスやキュウリで作った精霊馬、精霊牛を飾ります。キュウリが「精霊馬」・ナスが「精霊牛」なのですが、お迎えは馬で早くご先祖様をお迎えして、帰りは牛でゆっくりと帰っていただくといった意味合いのようです。

 

そんな精霊馬・精霊牛ですが、最近の精霊馬・精霊牛のカスタマイズが凄いので、先日からそれをみて感心、いやいや笑っております。残念ながら画像はありませんが、スーパーカーにカスタマイズしていたり、脚の部分にモーターを付けたり、いろいろなキャラによせてみたり、はたまた某自動車メーカーの投稿で行きは乗用車、帰りはスーパーカブの素晴らしい精霊馬、精霊牛を作っておりました。レベルが凄いので一度調べてみてほしいのですが、昔ながらの風習もこうやって進化しながらでも伝わっていくのだったらそれはそれでいいのかなと思いました。

 

それにしても肝心のご先祖様は「え、これに乗れってこと?」などと多少びっくりするのでしょうか。実のところはわかりませんが、自分はスーパーカータイプだったら乗ってもいいかな…笑、なんて勝手に想像しております。

 

ご興味のあります方は是非検索してみてください、けっこう感動しますよ。

 

それではごきげんよう。

 

 

Hello everyone, this is Staff Y.

It is really hot here….

I had a short summer vacation, but the heat is still intense, and it feels as if the season has not changed at all, but I have no motivation to do anything. It is almost time for me to miss the feeling of autumn.

Today, some of you may be on your way back home for the summer, but how was your summer vacation? My summer vacation was pretty normal, watching the Olympics, cheering on the athletes in front of the TV, visiting graves in the heat, and so on.

By the way, the Obon season is over, but do you have a custom of welcoming ancestors with “spirit horses and cows” in your area? As you may know, the Seirei Ma is a vehicle used by ancestors to return home, and during Obon, Seirei Ma and Seirei Uyu made of eggplant and cucumber are displayed on the Bon Festival shelf. The cucumber is the “spirit horse” and the eggplant is the “spirit cow.” The horse is used to welcome the ancestors early, and the cow is used for the slow return home. This is a custom that did not exist in the area where I grew up,

I have been admiring, or rather laughing, at the recent customization of the spirit horses and cows. Unfortunately, I don’t have any pictures of them, but you should check them out because they have been customized to look like supercars, motors, and various characters. I would like you to check it out.
I don’t know what my ancestors would think, but I was thinking that I would be willing to drive a super car type…if it was a super car type. If you are interested, please search for it.

Have a good day.

 

 

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ご実家の整理やお片付けなどをされている方のご相談などが多くございます。

お片付けなどくれぐれもご無理のないようになさってくださいませ。

風光舎では古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区姫池通

骨董 買取【古美術 風光舎 名古屋店】

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【中国美術、煎茶道具、茶道具、朝鮮民画、掛軸】三重県のお客様より買取いたしました。(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.18

 

 

 

三重県のお客様より、中国美術、煎茶道具、茶道具、朝鮮民画、掛軸など買取いたしました。

再度のご依頼のお客様です。

長年大切にされておりました御品をお譲りくださり、誠にありがとうございました。

 

只今古美術風光舎では、ご実家の解体、整理のご相談・買取も承っております。

また、ご実家のお片付けなどで出ました骨董古美術品の行先でお困りのお品などございましたらお気軽にご相談ください。

 

 

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まずは、お電話お待ちしております。

 

 

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暑い時期にはあえて温かい飲み物も摂取しましょう(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取 古美術風光舎)

2024.08.17

皆さまこんにちは。スタッフHでございます。

名古屋は厳しい暑さが続いております。皆様お盆はいかがお過ごしだったでしょうか。

風光舎では、明日8月18日(日)10時より店舗にて持込鑑定会を開催いたします。

大きなお品や持込の難しいお品は写真でも査定させていただきます。

店舗前に1台分の駐車スペースもございますので、ご都合の良い時間にお気軽にお立ち寄りください。

お待ちしております。

 

さて私は月末のパラリンピック開催を待ちつつ、甲子園の高校球児たちに元気をもらいながら酷暑を過ごしております。

あまりの外の暑さに外出する勇気が出ず、エアコンの効いた部屋にこもる毎日ですが、夏でも冷え性には注意が必要なようです。室内と室外の寒暖差による自立神経の乱れや、冷たい飲食物の摂り過ぎ、体を冷やす夏野菜などにより内臓が冷え、いわゆる隠れ冷え性になるそうです。肩こり、頭痛、免疫力の低下など様々な体調不良を引き起こすとか。

内臓の冷えには意識して暖かいものを摂取することが有効だそうで、今日は久しぶりに温かいお茶を水筒に入れて持参しました。エアコンの効いた部屋で温かいものを体に入れるとほっとしてリラックスできる気がします。やはり体が求めているのでしょうか。

日本にはお茶を美味しくいただくための道具として鉄瓶がありますね。風光舎にも長年丁寧に扱われてきたことがうかがえる鉄瓶がございます。

コロンとした丸みが愛らしく、吉祥文様の笹の葉がデザインされています。竹や笹はまっすぐに勢いよく伸びる姿と、冬も枯れないことから「不老不死」「長寿」を表します。

 

 

 

鉄瓶には裏表があり、表は注ぎ口を右側にした時の面になります。鉄瓶を右手で持った時に客人から見られる面が表となり絵柄や文字などの文様が施され、裏面はシンプルなデザインが多いそうです。風光舎の鉄瓶も表面の方が笹の葉の数が少し多くなっています。

 

鉄瓶の歴史は古く、その原型は茶の湯の釜とほぼ同時期に生まれたとされています。茶の湯の釜に取っ手をつけたことから当時の名前は「手取り釜」だったとか。底に三本の足があるものを薬用に使っていたようです。

蓋の持ち手の小さな摘み(つまみ)にも様々な形があるそうで、梅、松の実、瓢箪などの形の他にも銀や翡翠を使ったものもあるとか。

肩と呼ばれる部分も風光舎の鉄瓶のような「丸肩」になっているものや、角ばった「肩衝(かたつき)」、なだらかに傾斜した「撫肩」など多種多様な形があります。個人的には丸肩が可愛いなと思っております。

取っ手の部分は弦(つる)と呼ばれ、湯が沸騰しても弦の部分が熱くならないよう中が空洞になった「袋弦」などもあるようです。熱いものを持つことが苦手な私にはありがたい工夫です。

胴体の模様としては霰(あられ)模様が有名ですが、関西鉄瓶と呼ばれるものには華やかで立体的な文様や装飾が施されたものもあるようです。写真で見ましたが驚くほど立体的な装飾が施されたものもありました。

ここ東海地方では三重県の桑名鉄瓶が有名だそうですが存じ上げませんでした。

桑名の鋳物の歴史は古く、安土桃山時代に桑名藩の藩主となった本多忠勝が鉄砲の製造をしたことが始まりとされ、浜辺で発見された砂が鋳造に適していたことから桑名において鉄砲、燈籠、農具、鍋などの鋳物製造が栄えたとのことです。

桑名鉄瓶は存じ上げなかったのですが、そういえば数年前、桑名で製造される「魔法のフライパン」が話題となっていました。気になり調べてみると手元に届くまで「2年待ち!」の超人気商品でした。お肉などが信じられないほど美味しく焼けるとの噂で、手に入らないとなると余計に使ってみたくなるのが人の性。注文しようかとも思いましたが、あまりに長い待ち時間に耐えられず諦めました。今も手に入りにくいのでしょうか?気になってきました。

 

それでは、また次の機会に。

 

 

 

 

Hello everyone. This is Staff H.

It has been very hot here in Nagoya. How did you spend your Obon vacation?

Fukosha will be holding an in-home appraisal tomorrow, August 18 (Sun.) from 10:00 a.m. at the store.

Large items and items that are difficult to bring in will be appraised by photo.

There is parking space for one car in front of the store, so please stop by at your convenient time.

We look forward to seeing you.

 

Now, I am waiting for the Paralympics to be held at the end of the month, and am spending my time in the extreme heat cheered up by the high school baseball players at the Koshien Stadium.

It is so hot outside that I don’t have the courage to go out and stay in my air-conditioned room every day, but if I am not careful, it seems that I need to pay attention to my sensitivity to the cold even in summer. The difference in temperature between indoors and outdoors disturbs the autonomic nervous system, too much cold food and drink, and summer vegetables that cool the body can cool the internal organs, resulting in so-called hidden sensitivity to cold, which can cause stiff shoulders, headaches, lowered immunity, and a variety of other physical ailments.

I heard that it is effective to consciously consume warm food to cool the internal organs, so today, for the first time in a while, I brought a warm cup of tea in my water bottle. In an air-conditioned room, I feel relieved and relaxed when I take something warm into my body. I guess that is what my body needs.

In Japan, there is an iron kettle as a tool to make tea tasty. We have an iron kettle in our store that has been carefully handled for many years.

The rounded shape of the tetsubin is lovely, and the design features the auspicious motif of bamboo grass leaves. Bamboos and bamboo leaves are said to represent “immortality” and “longevity” because they grow straight and vigorously and do not wither in winter.

The tetsubin has two sides: the front side is when the spout is on the right side. The front side of the tetsubin is the side that is visible to guests when the tetsubin is held in the right hand, and is decorated with designs and characters, while the back side has a simple design. The tetsubin from Fukosha also has a slightly larger number of bamboo leaves on the front side.

The history of tetsubin tetsubin is long, and their prototype is said to have been created at about the same time as the kettles used in the chanoyu tea ceremony. The name of the kettle at that time was “te-tori kettle” because a handle was attached to the kettle of chanoyu. It seems that those with three legs on the bottom were used for medicinal purposes.

The small picks (knobs) on the lid handles are said to have various shapes, including plum, pine nut, and gourd shapes, as well as silver and jade.

There are also various types of shoulders, including round shoulders like those of Fukosha’s tetsubin, angular katatsuki shoulders, and gently sloping nadekata shoulders. Personally, I think round shoulders are cute.

The handle part is called “Tsuru,” and there are also “Fukuro-gen,” which is hollow inside so that the string part does not get hot even when the water boils. I am not good at holding hot things, so this is a nice touch.

The hail pattern on the body is well-known, but there are also some Kansai tetsubin with gorgeous three-dimensional patterns and decorations. Some of them are decorated with surprisingly three-dimensional patterns, as shown in the photo.

Here in the Tokai region, Kuwana tetsubin from Mie Prefecture is said to be famous. I had never heard of it.

 

The history of casting in Kuwana dates back to the Azuchi-Momoyama period, when Honda Tadakatsu, who became lord of the Kuwana domain, began manufacturing guns. The sand found on the beach was suitable for casting, and the manufacture of cast iron guns, lanterns, farming tools, pots, and other items flourished in Kuwana.

I had never heard of Kuwana Tetsubin, but a few years ago, “magic frying pans” made in Kuwana were the talk of the town. I was curious about it, and when I looked it up, I found that it was an extremely popular product with a two-year waiting list to receive it. It was a very popular product. It was rumored to cook meats and other foods incredibly well, and it is human nature to want to try it if you can’t get it. I thought about ordering it, but I couldn’t stand the long waiting time and gave up. Is it still hard to get? I’m getting curious.

Well, I’ll see you next time.

 

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お盆期間中の古美術風光舎の営業でございますが、急な出張買受などで外出していることもございますので、まずはお電話にてご連絡いただけましたら幸いでございます。お電話での対応は随時お受けしておりますので、お気軽にお問い合わせくださいませ。

 

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