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FROMKYOTOOSAKA

建仁寺(愛知県名古屋市千種区姫池通 骨董買取いたします 古美術風光舎名古屋店)

2022.05.15

皆さま、こんにちは。

携帯だけ持ってスーパーにお昼ごはんに行きましたが、paypayが使えず、ICカードで支払うも残高不足、仕方がないのでいつもの店に来てみたらまさかのお休み。薬局に来てみたら、マスクとビニールシートで声が届かず、悲しいスタッフNでございます。

しかし、いいこともございました。

ポスティング中に、ポストの上にいる可愛らしい白黒にゃんこに出会いました。

近くに行っても逃げないので、いつもの定位置なのでしょう。

この家に来た郵便屋さんはさぞ、ほっこりなさることでしょうね。ただし、猫好きに限りますが。

先日行った建仁寺のお話をしたいと思います。

 

実は建仁寺、知り合いにつれていかれるまでは存じ上げませんでした。

いざ行ってみると、今まで知らなかったのが悔やまれるくらい素晴らしいところでございました。

建仁寺(けんにんじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山の寺院でございます。創立者は源頼家、開山は栄西でございます。かつて京都五山の第3位でありました。

俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝えております。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などがございます。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺だそうです。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれております。なお、しばしば日本最初の禅寺といわれますが、これは間違いで、博多の聖福寺(妙心寺派)が最初の禅寺だそうです。

 

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西であるとされております。栄西は永治元年(1141年)、備中国に生まれました。13歳で比叡山に上り翌年出家。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航致しました。1度目の渡宋はわずか半年でしたが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅致しました。

建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て帰国致します。当時、京都では比叡山延暦寺の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難でありました。栄西は初め九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となります。

その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、元号を寺号とし、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺でございます。

 

特に、中庭は四方どこから見ても美しく時間を忘れて皆畳の上に静かに座っておりました。

畳に座って中庭をぼんやり眺めるだけでも、建仁寺に来る価値があると思います。

創建当時の建仁寺は真言院・止観院を構え、天台・真言・禅の3宗並立でありました。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にあるそうです。

寛元4年(1246年)6月と翌寛元5年(1247年)、そして建長8年(1256年)7月に焼失し衰微しました。しかし、正嘉元年(1258年)5月、東福寺開山の円爾(聖一国師)が当山に入寺し仏殿などを復興致します。翌、正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、臨済禅道場となりこの頃から純粋禅の寺院となります。文永2年(1265年)には臨済禅寺となり、寺名を建寧寺に改名致します。

そして、康永元年(1342年)寺名を建仁寺に戻します。

 

 

応永4年(1397年)11月、応仁の乱に巻き込まれて焼失致します。文明13年(1481年)にも炎上しており、当寺は火災が多く創建当時の建物は残って。おりません。

天正年間(1573年 – 1592年)に安国寺恵瓊が復興に努め、江戸時代にも修理が継続して行われました。

法堂(京都府指定有形文化財) は仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねている当寺の本堂でございます。明和2年(1765年)再建され、2002年(平成14年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により「双龍図」が描かれました。方丈と渡り廊下で繋がっております。

写真で見ても伝わるこの迫力、素晴らしいですね。実際には、想像よりも天井が高く広かったので驚きました。

方丈(重要文化財) – 長享元年(1487年)の建立で、もと安芸国の安国寺にあり、安国寺恵瓊が慶長4年(1599年)に建仁寺に移築したものでございます。東側に設けられた大玄関を介して本坊と連結しており、創建当初は杮葺であったが元文元年(1736年)に瓦葺きに改められました。建物の外周すべてに建具が入り壁が少ない構造のためか、1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊し、1940年(昭和15年)に創建当初の杮葺で復旧されました。その後1962年(昭和37年)に銅板葺きに改められていたが、2013年(平成25年)に杮葺に復しました。各室には桃山時代の画壇を代表する画家の一人である海北友松の水墨障壁画がありましたが、現在は襖から掛軸に改装され、京都国立博物館に寄託されております。台風被害の復旧後は、日本画家橋本関雪による障壁画『生生流転』(しょうじょうるてん)『伯楽』『深秋』『蕭條』『松韻(寒山子)』(計60面、1940年完成)が設置されております方丈前庭「大雄苑」 -枯山水庭園。1940年(昭和15年)の作庭。

庭園「〇△□乃庭」 – 2006年(平成18年)北山安夫による作庭でございます。

 

 

風神雷神図 – 俵屋宗達筆。金地の二曲一双屏風のそれぞれに風神と雷神を描いております。たっぷりと取られた余白が広い空間を暗示し、天空を駆ける両神のダイナミックな動きを感じさせます。印も落款もありませんが、俵屋宗達の代表作として名高いです。原本は京都国立博物館に寄託され、常時の公開はされておりませんが、複製の屏風および陶板は建仁寺で見ることができます。元々は京都の豪商・打它公軌(うだきんのり/糸屋十右衛門)が建仁寺派である妙光寺再興の記念に俵屋宗達に製作を依頼したもので、その後、妙光寺から建仁寺に寄贈されました。

 

 

壮大な天井画、絵にかいたような中庭、今にも飛び出しそうな襖絵などが堪能できるアーティスティックな建仁寺、大好きになりました。

次回京都旅行に来た時も、ぜひ行きたい場所です。

このようにいろんな土地に自分のお気に入りが増えるのは素敵なことでございますね。

古美術風光舎も、皆さまのお気に入りにいれていただけると幸いでございます。

ではでは

 

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風光舎では、古美術品や骨董品の他にも絵画や宝石、趣味のお品など様々なジャンルのものを買受しております。

お片付けをされていて、こういうものでもいいのかしらと迷われているものでも、どうぞお気軽にご相談下さいませ。

また風光舎は、出張買取も強化しております。

ご近所はもちろん、愛知県内、岐阜県、三重県その他の県へも出張いたします。

まずは、お電話お待ちしております。

 

愛知県名古屋市千種区・骨董 買取

『古美術 風光舎 名古屋店』

TEL 052(734)8444

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